UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産) 当サイトで参考にしたUFO関連本一覧
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●UFO研究家・作家・コンタクティなど(名前の頭文字;は〜ほ)を紹介するページです。
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人物紹介6
(は〜ほ)
(UFO研究家・作家・コンタクティなど)



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は ひ ふ へ ほ
●ハウスホーファー
カール・ハウスホーファーを参照。
●橋本健(はしもとけん)
(1924〜2007)memory

橋本健工学博士。東京大学電気工学科卒。
大学在学中に, 超心理的現象を体験して超心理学に興味をもち, 研究に没頭した。
超心理学に関する著書が, 多数ある。


関連サイト=>日本超科学会

【主な著書】
『きみにも超能力がある』,1972年
●浜田政彦(はまだまさひこ)
【濱田政彦】
(1969〜);

浜田政彦主な著作に, 『神々の軍隊 三島由紀夫, あるいは国際金融資本の闇』, 『僕は画家になりたかった ヒトラーに立ちはだかった帝国』, 『彼らはあまりにも知りすぎた UFOをめぐる宇宙的沈黙の系譜』(以上, 三五館)など。
【参考文献】
『怪奇秘宝[戦慄編]』【執筆者紹介】,2017年


参考外部=>YOUTube(『神々の軍隊』浜田政彦氏が語る近未来)

【主な著書】
『神々の軍隊VS国際金融資本の超暗闘』,2008年
『UFO最後の真実異次元に広がる超文明世界の謎』,2009年
『宇宙人最後の真実人類を操る異次元の暗黒宇宙人』,2009年
●浜野志保(はまのしほ)
(1974〜);

浜野志保千葉工業大学工学部准教授。
専攻は近代視覚文化史。(特に19世紀から20世紀にかけてのパラノーマル文化 [念写, 心霊写真, 降霊会, ダウジングなど] について)
共著に, 『天空のミステリー』(青弓社), 訳書にタイラー・コーエン 『創造的破壊』(作品社)など。
【参考文献】
『写真のボーダーランド』, 著:浜野志保


参考外部=>twitter(浜野(伊神)志保)
参考外部=>Peatix(佐藤守弘×橋本一径×浜野志保「心霊写真という不安 - 私たちは写真に何を見ているのか」『写真のボーダーランド - X線・心霊写真・念写』刊行記念)

【主な著書】
『写真のボーダーランド』,2015年
●原澤亮(はらさわりょう)
(?〜);

原澤亮理化学研究所研究員, アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health)招聘研究員, 宮崎大学助教授, 東京大学助教授, 岩手大学(岐阜大学大学院兼務)教授を歴任, この間, 国際原核生物分類命名委員会(International Committee on Systematics of Prokaryotes)委員, 国際マイコプラズマ学会(International Oeganization for Mycoplasmology)評議員を併任, 日本獣医学会賞受賞(1990年), 日本マイコプラズマ学会北本賞受賞(2003年), 岩手大学室内楽倶楽部主宰(ビオラ, バイオリン担当), 将棋六段。
現在, 岩手大学名誉教授。
【参考文献】
『漏えい文書が明かす「UFOタブー」と積極的不可知論』, 著者:
原澤亮, 2022年

参考外部=>researchmap.jp(原澤亮)
参考外部=>nrid.nii.ac.jp(原澤亮)
参考外部=>research-er.jp(原澤亮)
参考外部=>jglobal.jst.go.jp(原澤亮)

【主な著書】
『漏えい文書が明かす「UFOタブー」と積極的不可知論』, 2022年
『UFOs 世界の軍・政府関係者たちの証言録』, 2022年, 著者:レスリー・キーン, 訳者:
原澤亮
●ハリー・エドワーズ
( Harry James Edwards )
(1893〜1976);
memory
ハリー・エドワーズキリスト以来, 最大の霊的治療家と言われる。
若いころから, 公共の仕事に興味を持ち, 英国初期のボーイスカウト団に加わり, パイオニアとなる。
のちに, 陸軍大尉。退役後, 印刷業を営む傍ら, 政治活動にも従事した。
1936年頃から, スピリチュアリズム に興味を持ち, たちまち霊的治療能力を発揮し, サリー州シェアに宏大な治療院を設け, 難病奇病の人々を含む, 世界各地からの治療依頼者を治癒させた。
その奇跡的な治療能力は, 英王室や英国国教会, 多くの医師たちからも認められた。長く英国霊的治療家連盟の会長を務め, 世界の霊的治療家の最高峰と仰がれる。

【参考文献】
『ジャック・ウェバーの霊現象』(新装版) ,2015年


イギリスの 心霊医ハリー・エドワードは, イギリス式心霊治療法を施し, 過去4年間に1万人の患者を, 医師の霊の一団の助けを得て, 治療したと主張している。
霊のうちの多くは, 生前に明らかに医学的修行を積んだ者で, ルイ・パスツールやリスター卿が, その代表だという。

彼の基本的な治療法は, まず目を閉じ, 霊と波長を合わせ, 力が体を貫くように流れるのを感じるまで待ち, それから治療を行なう。
彼は触診はしない。患部の上に, 軽い揺するような動きを与える。

(★ハリー・エドワードが, 背中の病気で苦しんでいる患者に手を触れて, 手当をしているところ)
【参考文献】(以下より抜粋・写真も)
『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


・Wikipedia(ハリー・エドワーズ (ヒーラー))
・Wikipedia(英語版;Harry Edwards (healer))


参考外部=>真のスピリチュアル・ヒーリングの時代へ((3)スピリット・ヒーリングの主役「霊医」と、地上の先駆的ヒーラーたち)
参考外部=>webcatplus.nii.ac.jp(Harry James Edwards   (1893-1976))
参考外部=>psi-encyclopedia.spr.ac.uk(Harry Edwards)
参考外部=>psychictruth.info(Medium Henry James Edwards England UK.)

【主な著書】
『ジャック・ウェバーの霊現象』, 著:
ハリー・エドワーズ, 監修:梅原伸太郎,訳:近藤千雄 
●ハリー・古山(ハリー・ふるやま)
【古山晴久】
(195?〜);

ハリー・古山1970年にアメリカに渡り, UFOと宇宙人の真相を社会に啓蒙する活動を, UFO教育センターの シャーロット・ブロッブ女史 らと続けながら, 地球に暮らす宇宙人とコンタクトを重ねた。
2004年に帰国し, 国内でUFO活動を続けている。
【参考文献・サイト】
『UFOと宇宙』(No.36):1978年, 【横尾忠則UFO対談 / 古山晴久】
『私が出会った宇宙人たち』:著者:ハリー・古山
「UFO STATION」


参考外部⇒UFO STATION
参考外部=>ハリー古山・講演記録

【主な著書】
『私が出会った宇宙人たち』, 2008年
●ハリー・フーディーニ
( Harry Houdini )
(1874〜1926);
memory
ハリー・フーディーニフーディーニことハリー・フーディーニは, 「脱出王」 の異名を取った, ハンガリーのブダペスト市出身のユダヤ人で, アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師(イリージョニスト)である。本名はヴェイス・エリク (Weisz Erik)。
「不可能を可能にする男」 という評価を得て, 現在でも 「アメリカで最も有名な奇術師」 と呼ばれるほど認知度は高く, 奇術師の代名詞ともなっている。飛行機や陸上競技への造詣も深かった。
また, 超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られる。
【参考サイト】
Wikipedia(ハリー・フーディーニ)


心霊術者たちは, 降霊現象をやってみせるために, 多少はごまかしをやることを身につけてゆく。ある種の尊敬を集めている 霊媒者 ですら, 見せかけの霊を装って, それを暴露されている始末である。
一度くらいペテンをやったって大丈夫, と信じているのである。ごまかしが暴かれた後でも, 降霊会 を開くと部屋を満員にできるのは, 大衆もごまかしに寛容だからである。
舞台魔術師の
ハリー・フーディーニは, 霊媒の起こす 心霊現象 のごまかしを暴こうと, 至る所で霊媒に挑んで回ったのである。このフーディーニの挑戦は, 大変な評判を取り人気をもたらした。彼がやったことの中には, 降霊会で霊媒が本当の心霊現象を起こすと, フーディーニもまた, それと全く同じ現象を, トリックでやってのけたのである。
イギリスの心霊術者たちの週刊誌 『心霊ニュース』 によると, フーディーニ自身も, 魔術師として有名になる5年ほど前までは, 怪しげな霊媒をやっていたということであるが, いかがわしい心霊術から大衆を守る, これは私の使命である, とフーディーニは言っている。それは彼が心霊現象におけるまやかしを証明するために, 白か黒かを徹底的に追求するということでもあった。
*
フーディニーは, ダベンポート兄弟(Davenport brothers) がやって見せる不思議な出来事のすべてを, 自分は魔術(マジック)的トリックでやることができると信じていた。
1909年, 彼はダベンポート兄弟の一人で, すでに70代にあったアイラ・ダベンポート(Ira Davenport)を訪ねた。そして彼は, 兄弟が披露した現象の謎の一端を知ることができたと主張している。

(★ハリー・フーディニー(右)とアイラ・ダベンポート(左)。弟のウィリアム・ダベンポートは, 1877年にオーストラリアへの旅の途中で亡くなっていた。1909年, フーディーニは兄弟がどのように心霊現象効果をあげたか, そのからくりをアイラから教えてもらったと主張した。)
*
ハリー・フーディーニは, 1926年に死ぬ間際, 妻のベアトリス(Beatrice "Bess" Houdini) に暗号を示し, もし霊媒の誰かが, 私からのメッセージを受けたなどと言ったら, それが本当に私自身かどうかを, これでもって確かめよ, とベアトリスに遺言を残した。

【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


・Wikipedia(英語版;Harry Houdini)

参考外部=>biography.com(Harry Houdini)
参考外部=>britannica.com(Harry Houdini)
参考外部=>apl.org(Harry Houdini)
参考外部=>en.wikipedia.org(Davenport brothers)
参考外部=>twitter.com(#ダベンポート兄弟)
●ハリー・プライス
( Harry Price )
(1881〜1948);
memory
ハリー・プライスイギリスの心霊現象研究家(psychic researcher)で作家。
イングランド・エセックスの幽霊が出るとされるボーリー牧師館の調査でよく知られている。

【参考サイト】
Wikipedia(ハリー・プライス)


ハリー・プライスは, イギリス国立心霊研究所(National Laboratory of Psychical Research) の理事で, いかさま 霊媒 の試験とすっぱ抜きに, 時間と金をかけた人である。
1930年, ハリー・プライスは魔術師(マジシャン)をけしかけて, 霊媒の ルディ・シュナイダー(Rudi Schneider) と同じ条件下で 心霊現象 を再現できる者はいるか, と言った。
オーストリアの霊媒シュナイダーは, いろいろなテストを受けていた。イギリス国立心霊研究所で開かれた降霊会で, 彼は各種の物体の空中浮揚をやってのけ, 音楽を奏で, 自分の座っている所から約1.5メートル離れたキャビネットの中で, 部分的な霊姿化(れいしか)現象を起こしている。シュナイダーと心霊現象の間には, 接触がないようにいろいろな規制が課せられていた。
プライスの申し出を受けて立つ者はいなかった。プライスは, この挑戦に勝った者には多額の賞金を出すと提案したのだったが, それについては条件がつけられていて, 挑戦者が勝てなかった場合は, 同額の金を彼の研究機関に寄付するというものだった。
ヨーロッパの偉大な本物の魔術師(マジシャン)の一人, ウィル・ゴールドストン(Will Goldston) は, シュナイダーの心霊現象を見てから, こう語った。「降霊会で私が見たものは, トリックでなかったと確信している。あのような条件のもとでは, 我々の仲間のだれも, あんな現象を起こすことができないであろう」
ゴールドストンは, 自分が心霊派に転向した次第を,
1933年の彼の著書 『有名な奇術師の秘密』 の中で, 以上のように述べたのである。
【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


1934年
の英国には新たに二つの心霊機関が設立されている。6月にはハリー・プライスが代表となって, 「University of London Council for Psychical Investigation」 が設立され, 純学術的研究を開始した。
それに先だって, 「International Institute for Psychical Research」 が設立されている。これも霊魂説を支持する者と否定する者の双方によって構成され偏見のない調査研究を主眼として発足した。
【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の次元』【解説 近藤千雄 】, 著:ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 編・監修:南山宏, 解説:近藤千雄, 1985年


ロンドンのウエスト・エンドにある国立心霊研究所を創設したのは, 資産家で陽気なアマチュアの奇術師でもある
ハリー・プライスという, 各種の心霊現象の調査に情熱を傾けていた風変わりな人物だった。
プライスは, 彼が偽霊媒と見なした相手に対して非常に手厳しく, それが意図的にさまざまなトリックを使った場合であれ, テレパシーのような純然たる超能力を 「霊界からの声」 などと誤解するケースであれ, 情け容赦なくやりこめる人物としても知られていた。
【参考文献】(下記より抜粋)
『X-ZONE(NO.6)』【交霊会で明らかになった大惨事の真相】, 1997年


・Wikipedia(英語版;Harry Price)


(★ハリー・プライスによる, 霊姿化(霊の物質化)現象の再現。霊媒の ルディ・シュナイダー はプライスにより, 完全に体を押さえられている。左にある キャビネット のカーテンから霊姿化された手が現われている。プライスは, この霊媒(シュナイダー)について 「これまで記録されたことのない現象が, 過酷な条件のもとで実際に起こった」 と書いている。)
『心霊の世界【第8章/ふるい分けられた証拠】』から

参考外部=>Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話(世界的人気を誇った超常現象研究家ハリー・プライス (1881〜1948年) イギリス)
参考外部=>london.ac.uk(Harry Price: a biography)
参考外部=>spookyisles.com(Harry Price ghosthunter - was he a fake?)
参考外部=>curiousarchive.com(The Ghost of Rosalie, as Investigated by Harry Price)
●ハリー・レベルソン
( Harry Lebelson )
(?〜);

ハリー・レベルソンアリゾナ州ツーソンに本部をおくUFO研究団体 APRO(空中現象調査機構) の現地調査員。
『UFOと宇宙』 のアメリカ通信員をつとめているほか, 『OMNI』 や中国のUFO雑誌のレギュラー執筆者でもある。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.86):1982年
●ハリー・S・トルーマン
( Harry S. Truman )
(1884〜1972);
memory
トルーマン大統領アメリカ合衆国の政治家。
上院議員, 第34代副大統領, 第33代大統領を歴任した。
フランク・ルーズベルトの死を受けて,
1945年に, 副大統領から大統領に昇格した。
【参考サイト】
Wikipedia(ハリー・S・トルーマン)


多くの有名な空飛ぶ円盤事件が, トルーマン政権時代に起きている。
このためトルーマン政権は, UFO研究史に残るドラマチックな目撃事例や遭遇事件に対処せざる得なかった。
しかし, ホワイトハウスが発信元だったり宛て先になったりした覚書や文書を見つけるのは, 非常に難しい。 安全保障の維持についての, トルーマンの優れた能力が挙げられる。
トルーマンと側近たちの通信文書は, 書き方が曖昧で, 暗号めいており, 極端に言葉が省略されているからだ。
【参考文献】(以下より抜粋)
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年

⇒・Wikipedia(英語版;Harry S. Truman)


参考外部⇒なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪(【原爆投下を実行指示したトルーマン大統領を投げ飛ばした女性、林田民子】)
参考外部⇒超能力者の独り言 前世や過去世への旅(不思議な話 その95 アメリカ大統領とUFO情報)
参考外部⇒宇宙NEWSLETTER2016(米国大統領とUFO問題の深相 (その1))
●春川栖仙(はるかわせいせん)
(?〜?)memory

東北大学医学部卒業, 医学博士。
平成8年(1996年)より 日本スピリチュアリスト協会 会長。
主な心霊研究関係著書に, 『心霊研究辞典』 『心霊現象を知る辞典』 『新時代におけるスピリチュアルな生き方』 『スピリチュアリズムの人間研究』 『近代古神道の歩み』 などがある。
【参考文献】
『スピリチュアル用語辞典』, 2009年


参考外部=>hmv.co.jp(春川栖仙 プロフィール)

【主な著書】
『スピリチュアル用語辞典』, 2009年
●ハロルド・シャーマン
( Harold Morrow Sherman )
(1898〜1987);
memory
ハロルド・シャーマンミシガン大学入学後, 第一次世界大戦に従軍。
新聞記者等を経て, 著述家として活躍した。主要作品に 『マーク・トウェインの冒険』 がある。
1937年にヒューバト卿と歴史的なテレパシー実験を行い, 注目を浴びた。
ESP研究財団理事長等を務めた。

【参考文献】
『霊感の世界」(下)』,1974年

・Wikipedia(英語版;Harold Sherman)


【主な著書】
『霊感の世界」(上)』,著:ハロルド・シャーマン,訳:早川芳男
『霊感の世界」(下)』,著:
ハロルド・シャーマン,訳:早川芳男
●ハロルド・T・ウィルキンス
( Harold Tom Wilkins )
(1891〜1960);
memory
ハロルド・T・ウィルキンス ハロルド・トム・ウィルキンスは, 英国のジャーナリスト。
「トレジャーハンティング(treasure hunting)」について, および 「アトランティス(Atlantis)」 と 「南アメリカ(South America)」 に関する
偽史的主張(pseudohistoric claims)に関する本で知られている。
【参考サイト】
En.Wikipedia(Harold T. Wilkins)

さらに, もう一人のすぐれた英国のUFO研究家で, 著述家である
ハロルド・T・ウィルキンスが, 彼の1955年の著書 『空飛ぶ円盤の真相(Flying Saucers Uncensored)』 で, UFOの 疑似物質 的側面を強調した。
UFO研究の初期の段階では, 彼は証拠の多くは, UFOが攻撃的意思を示していると結論していたのだが, のちに, もっとよく疑似物質的側面を理解するようになったときに, この結論を修正したのだった。
【参考文献】(以下より引用)
『UFO超地球人説』【第2章/答えなんかどうでもいい! 問題は何か?】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年


参考外部=>En.Wikipedia(Pseudohistory)
●ハロルド・ハームズワース【初代ロザーミア子爵】
( Harold Harmsworth ; 1st Viscount Rothermere )
(1868〜1940);
memory
ハロルド・ハームズワース 初代 ロザーミア子爵ハロルド・ハームズワースはアソシエイテッド・ニュースペーパーズ( Associated Newspapers Ltd. )を所有する英国の大手新聞発行者でした。
彼は, デイリーメールとデイリーミラーの発行で, 兄のアルヘレッド・ハームズワース(後のノースクリフ伯爵)とともに, よく知られている。
ロザーミアは, 人気のあるジャーナリズムの先駆者でした。
【参考サイト】
Wikipedia(ハロルド・ハームズワース (初代ロザミア子爵))

En.Wikipedia(Harold Harmsworth, 1st Viscount Rothermere)

1929年に, 米国を訪問中のロザーミア卿(Load Rothermere)にインタビューしたことが縁で, ナンドー・フォドー は, 卿の直属のスタッフの一人になることが出来た。
ロザーミア卿すなわち
ハロルド・ハームズワース(Harold Sidney Harmsworth)は, 知る人ぞ知る英国全土を牛耳る新聞王で, デイリーメール, デイリーミラー, イブニングニューズ, サンデーディスパッチの社主であったが, フォドーにとって幸運だったのは, 当時の卿が第一次大戦後のハンガリーの復興に深い関心を寄せていたことである。
【参考文献】(以下よりそのまま抜粋)
『心霊の次元』【解説 近藤千雄】, 著:ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 編・監修:南山宏, 1985年


参考外部=>britannica.com(Harold Sidney Harmsworth, 1st Viscount Rothermere)
参考外部=>spartacus-educational.com(Harold Harmsworth, 1st Lord Rothermere)
参考外部=>newworldencyclopedia.org(Harold Harmsworth)
●ハワード・メンジャー
( Howard Menger )
(1922〜2009);
memory
ハワード・メンジャー主に1950年代末から1960年代初頭に活動した, 自称UFOコンタクティ。
本人によれば, 10歳の頃UFO(未確認飛行物体)を目撃した後, 森の中で(金星から来たという)女性と遭遇し, 自らの未来を告げられたという。
その後成人し, 兵役中にも, 不思議な異星人たちに助けられながら, 九死に一生を得たという。
戦後は看板業を営んでいたが, 34歳の頃に, 農場裏の野原に飛来した円盤を撮影し, さらに, 後には宇宙船に搭乗して月面へ案内されたとも主張。写真に写った円盤のかたちに歪みが見られるのは, 円盤から発する磁気の影響であるという。
1959年に, 自らの体験記 「外宇宙からあなたへ」 を出版。著書は, 世界的な反響を呼び, テレビ・ラジオへの出演および全米を巡り講演活動を行なう。
【参考サイト】
Wikipedia(ハワード・メンジャー)


ニューヨーク市のラジオ局WORで, オールナイト・トーク・ショーをしていたパーソナリティのロング・ジョン・ネベル(Long John Nebel)は, 新しい趣向を探していた。
そして彼は, それを空飛ぶ円盤に見出し, 接触者, 霊能者, いろいろな奇人変人などと, とっぴなインタビューで大へんな人気を築き上げた。
ハワード・メンジャー(Howard Menger)の最初のロング・ジョンへのショーへの出演は, メンジャーの故郷ニュージャージー州ハイ・ブリッジ(High Bridge, New Jersey)に大へんな騒ぎを引き起こした。
メンジャーによると, 空飛ぶ円盤がひんぱんに彼の地所に着陸し, そのUFO乗員たちは, しばしばコーヒーを飲みに立ち寄っていたという。
メンジャーは, 物柔かな, まじめな態度でおだやかに話す男で, 自分は最初, かつて第二次世界大戦中に軍隊にいるとき, 自動車の中で長髪のブロンドの男たちに接触されたと主張した。
【参考文献】
『UFO超地球人説』【第11章/ 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある! 」】, 1976年, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平

⇒・Wikipedia(英語版;Howard Menger)


参考外部=>En. Wikipedia (WOR (AM))
参考外部=>Hakan Blomqvist's blog (Howard Menger and esotericism)
参考外部=>YouTube(Howard Menger - UFO Contactee)
参考外部=>YouTube(The Howard Menger Encounters)
参考外部=>science. howstuffworks. com(Howard Menger and UFO Contactees)
参考外部=>santa fe ghost and history tours (ALIEN CONTACTEE OR FRAUD? HOWARD MENGER THE UFO MAN )
●ハワード・P・ロバートソン
( Howard Percy (Bob) Robertson )
(1903〜1961);
memory
ハワード・ロバートソンアメリカの数学者, 物理学者。
1953年1月
に, UFOの危険性を評価するため, CIA が開催した, 査問会 (ロバートソン査問会)の議長を務めた。
【参考文献】
『ムー(No.36)』【「UFO研究の最高権威ハイネック博士に聞く」】

・Wikipedia(英語版;Howard P. Robertson)
⇒・google (Howard P. Robertson)
●ハンス・ピーターセン
( Hans Christian Petersen )
(?〜2013);
memory
ハンス・ピーターセンUFO研究家。
北欧のUFO研究のパイオニアとして知られる。
デンマーク王立空軍(=NATO)退役空軍少佐。
GAP デンマーク代表。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.44)』【「雲に隠れるリング状物体」】, 1979年


参考外部=>ニコニコ動画(ハンスピーターセン氏.mpg)
参考外部=>Mysterious Universe(UFOs Around the World: Denmark)
参考外部=>GA Site(二つのコンタクト事件)
●ハンス・ベンダー
( Hans Bender )
(1907〜1991);
memory
ハンス・ベンダーハンス・ベンダーは, ドイツの心理学者(Psychologist)。
ドイツのフライブルク(Friburgo)にある 「超心理学研究所(Institut für Grenzgebiete der Psychologie und Psychohygiene)」 を設立した。
彼はポルターガイストや透視など超常現象を調査研究した。
【参考サイト】
Es.Wikipedia(Hans Bender)

ハンス・ベンダー教授は, フリードリヒ・ユルゲンソン(Friedrich Jürgenson )コンスタンティン・ラウディヴ(Konstantin Raudive) が録音した霊の声を調査した。
教授は, ユルゲンソンが録音した声について, "声" が本物であることには異論を持っていないが, その声は必ずしも霊を必要としないというのである。実験者の潜在意識が, どういう経路を経てか, テープに入ってしまうのだと信じるのだ。
【参考文献】(下記を引用)
『心霊の世界』【第6章/ 霊媒と機械】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年

参考外部=>alchetron.com(Hans Bender)
参考外部=>g-rudder.at.webry.info(霊界交信の道を拓いた男)
参考外部=>asahi-net.or.jp(コンスタンティン・ラウディヴ)
参考外部=>Wikipedia(電子音声現象)
参考外部=>el-aura.com(亡くなった人と会話する人たち〜EVP(電子音声現象)の始まり)
参考外部=>el-aura.com(亡くなった人と会話する人たち〜EVP(電子音声現象)を世界に広めたラウディヴ)
参考外部=>会長日記blog.livedoor.jp(霊界について)
参考外部=>cariosutea.exblog.jp(EVP(Electronic Voice Phenomena:電子音声現象))
参考外部=>encyclopedia.com(Jürgenson, Friedrich (1903-1987))
参考外部=>en.wikipedia.org(Konstantins Raudive)
●パイパー夫人
レオノーラ・パイパー を参照。
●パトリック・ムーア
( Patrick Moore )
(1923〜2012);
memory
パトリック・ムーア
望遠鏡による月観測の専門家。
多くの著作を手掛け, ラジオのキャスターなども務めた有名人でもある。
1954年2月18日, スコットランド北端のロシーマウスに近い海岸で, 空飛ぶ円盤から降りてきた, 火星人とコンタクトした(火星人コンタクト事件)ことで有名な セドリック・アリンガム は, 実際はムーアが体験したことで, アリンガムは偽名であるという。
世間的な顔を隠した立場で, この体験を『Flying Saucer from Mars』 (邦訳;『火星からの空飛ぶ円盤』,
1971年 )で感じたありのままを思う存分述べているという。

(★左;ムーア,右;アリンガム)
[水島保男外伝版ブログ]から

【参考文献・サイト】
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』, 著:韮澤潤一郎, 2015年
「水島保男外伝版ブログ」

・Wikipedia(英語版;Patrick Moore)
 

参考サイト⇒水島保男外伝版ブログ
参考サイト⇒ Wikipedia(木星・冥王星重力効果)

【主な著書】
『火星からの空飛ぶ円盤』 著:
C・アリンガム, 訳:岩下肇, 1971年
●パール・レノア・ポラード【ジョン・カラン夫人】
( Pearl Lenore Pollard ; Mrs. John Curran )
(1883〜1937);
memory
パール・レノア・カラン(ジョン・カラン夫人)パール・レノア・ポラード(ジョン・カラン夫人)は, ペイシェンス・ワース(Patience Worth)スピリット・ガイド とするアメリカの 霊媒者 で自動書記者。
ペイシェンス・ワースの精神(霊)と交信することにより, いくつかの小説, 詩, 散文を生み出した。
【参考サイト】
En.Wikipedia(Patience Worth)

1883年
にイリノイ州マウンドシティ(Mound City)で生まれたパールは, その後両親とともにミズーリ州セントルイス(St. Louis)に移り, 子ども時代と大人の人生のほとんどを過ごした。パールは24歳のときに, ジョン・ハワード・カラン(John Howard Curran)と結婚しカラン夫人(パール・カラン)となった。
それまで霊媒としての能力などなかったパールだが, 友達が持ってきた ウィジャボード を使用して,
1913年に初めての霊からのメッセージを受けた。それは, ペイシェンス・ワース(Patience Worth) というイギリス出身の女性霊であった。
ワースのメッセージは書きとられ, やがていくつかの小説となって出版された。パールの夫のジョンが亡くなる
1922年までは, ジョンがウィジャボードのポインター(プランシェット)が示す文字を書き取り, 文章としていたが, のちには, パールが心に浮かんだ文字を発音して, それを口述した。
1917年にヘンリー・ホルト社により出版された 『The Sorry Tale.』 は, 最初の小説で, イエスの時代のパレスチナに関するもので, 著名な歴史家から高い評価を受けた。2番目の小説は, 『Hope Trueblood.』 で1918年に出版された。
1930年, パールはロサンゼルス(Los Angeles)に引っ越した。1937年11月にパールは亡くなったが, 数週間前に, それはペイシェンス・ワースから伝えられていたという。
22年間でペイシェンス・ワースは400万語以上を伝え, パールは5つの小説, 格言, 数百の詩, いくつかの戯曲を書いた。今日まで, この驚くべき偉業の適切な説明は, なされていない。
【参考サイト】
unsolvedmysteries.fandom.com(Pearl Curran)

参考外部=>オカルト・クロニクルokakuro.org(ペイシェンス・ワース 本物のゴースト・ライター)
参考外部=>ラウンジピュアww5.tiki.ne.jp(No.89ペイシェンス・ワースの自動書記)
参考外部=>enigma-calender.blogspot.com(幽霊が書いた小説があった!〜本物のゴーストライター、ペイシェンス・ワースが小説を書き始めた日)
参考外部=>tuokaken.wiki.fc2.com(ペイシェンス・ワース)
参考外部=>encyclopedia.com(Curran, Pearl Lenore (Pollard) (1883-1937))
参考外部=>findagrave.com(Pearl Lenore Pollard Curran )
参考外部=>unsolvedmysteries.fandom.com(Pearl Curran)
参考外部=>wikitree.com(Pearl Lenore (Pollard) Curran (1883 - 1937) )
●バド・ホプキンス
( Budd Hopkins )
(1931〜2011);
memory
バド・ホプキンス画家でUFO研究家。
1981年に, 『失われた時間 -Missing Time- 』 という著書を刊行し, アブダクション研究にまったく新しい視点を取り入れて話題を巻き起こした。
それまで考えられていたよりもはるかに多くの人々がUFO乗員に誘拐され, さまざまな検査を受けている可能性があることを指摘した。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』, 著者:中村省三, 1989年

1987年
に出版された著書 『侵入者 -Intruders- 』 には, 『失われた時間』(1981年出版)以来の誘拐記録の研究と新しいケースにもとづいての, さらに驚くべき仮説を示唆している。
彼は, 一人が何人かの家族といっしょに何度も誘拐され, 「遺伝子操作」 と思われる体験報告が繰り返されるパターンを発見した。
報告が真実なら, その証拠は 「宇宙人」 が, 人間の胎児をいじったり取りだしたりして, 宇宙人と人間の雑種をつくりだしたことを示唆しているといえる。
これは, 突拍子もないことに聞こえるかもしれないが, 「証拠」 を別の方法で解釈するのは難しい。
しかし, この証拠は有効なのだろうか。 ホプキンスの仕事と, 懐疑論者の別の解釈(心理的なもの)の両方が, 『オムニ』 誌の
1987年12月号に報告されている。
【参考文献】
『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』【第5章/ 連れ去られた男たちの証言】, 著:リチャード・ホール, 訳:青木日出夫, 1989年

・Wikipedia(英語版;Budd Hopkins)

参考外部⇒UFO大学 (国際Abductionの研究史)
参考外部⇒UFO CASEBOOK (Budd Hopkins Describes UFO Abduction on the Kate Valentine UFO Show)
●バリー・J・グリーンウッド
( Barry J. Greenwood )
(1953〜);

バリー・J・グリーンウッド1964年以来UFO研究に携わる。歴史家, 古文書研究家。
MUFON のマサチューセッツ支部ミドルセックス郡指導員, CAUS 顧問, CUFOS, APRO, BUFORA(英国UFO研究協会)の各会員。
また, 全米科学振興協会と全米天文学会の準会員。

【参考文献】
『人類は地球外生命生物に狙われている』1987年, 著者:ローレンス・フォーセット / ハリー・J・グリーンウッド, 編訳:南山宏


参考外部=>NICAP (The NICAP A-Team as of November 30,2016)
参考外部=>NOUFORS (Barry J. Greenwood)


【主な著書】
『人類は地球外生物に狙われている』, 1987年
●バーニー・バーネット
( Barney Barnett )
(?〜1969);
memory
バーニー・バーネットもう一つのロズウェル事件(UFOの墜落場所がサンアグスティン平原)で, 墜落した機体と数体の乗員(うち一人は生きていた) を目撃した地質学者。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年

1978年
に, スタントン・フリードマン がミネソタ州のベミジ州立大学で講演を行ったとき, 聴衆の中にいたマルテイス夫妻が, 土木技師のバーニー・バーネットのことを話してくれた。
夫妻は, ニューメキシコに住んでいたときの彼と親友になった。 バーネットは,
1947年7月上旬, 墜落円盤のそばで宇宙人の死体を発見したと夫妻に打ち明けたという。
それによると, ニューメキシコ州ソッコロの西, マグダレーナという小さな町の近くの砂漠の中で, 直径9メートル程度の円盤型をした物体の残骸を発見した。
彼がそれを調査していると, 少人数のグループが近づいてきて, ペンシルバニア大学考古学チームのメンバーの一部だと語ったという。
彼らは, 地面に横たわっている何体かの死骸を取り囲むように立っていた。機体の中にも何体かの死骸があるとバーネットには思われたという。
バーネットは, 死骸のすぐそばまで近づいた。 それは人間によく似た生物で, 頭が丸く, 目が小さくて, 髪の毛がなかった。 全員がグレイの上下続きの服を着用しており, ジッパーやボタン, ベルトのたぐいはついていなかった。
間もなく軍隊が到着して現場を取り仕切り, 彼をその場から連れ去ったという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』, 1991年


参考外部=>ufo explorations. com (THE OTHER ROSWELL CRASH: The Secret of the Plains Revealed)
参考外部=>Open Minds (Roswell Revelations)
●ヒュー・パーシー・ウィルキンズ
( Hugh Percy Wilkins )
(1896〜1960);
memory
H・P・ウィルキンズイギリスの天文学者。月理学(セレノグラファー)の最高権威者であった。
1953年7月に, ジョン・オニールが, 月面上に人工の橋 (オニール橋 と名づけられた)らしいものを見たことを報告すると, 他の天文学者から, ごうごうたる非難を浴びせられた。
ウィルキンズ博士は, それを自分も見たとの声明文を出した。
そこに, 言われるような橋があったか否かは別として, 肝心なのは, ウィルキンズ博士には, 自分が何を見たかを報告するガッツがあったということである。
そして彼には, オニールを誹謗した連中を, 顔色なからしめるほどの名声があったということなのだ。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎

・Wikipedia (英語版;Hugh Percy Wilkins) 


参考外部=>Llanelli Community Heritage (Hugh Percy Wilkins 1896 - 1960)
参考外部=>THE MOON- WIKI (Hugh Percy Wilkins)
参考外部=>
クレーター
●平川陽一(ひらかわよういち)
(1946〜);

平川陽一早稲田大学文学部仏文学科卒。
光文社カッパ・ブックス編集部を経て, 轄K運社代表になる。
主に, 歴史ミステリーや発想クイズの分野で活躍している。

【参考文献】
『本当は怖い!日本のしきたり』, 2018年


参考外部⇒読書メーター (山と村の怖い話(宝島社文庫))
参考外部⇒dmenuニュース (「てるてるぼうず」は実在した? その起源は、あまりにも残酷だった!)

【主な著書】
『UFO&宇宙人の謎』, 1991年
『1999年アルマゲドンの全真相』, 1999年
『本当は怖い!日本のしきたり』, 2018年
●平田篤胤(ひらたあつたね)
(1776〜1843);
memory
平田篤胤江戸時代の国学者, 神道家, 復古神道(古道学)の大成者で, 国学四大人の一人。
25歳に松山藩士の平田篤隠(あつやす)の養子となり, 板倉家に仕えた。
本居宣長没後の門人を称する。国学を研究し, 宣長の学問を祖述し, 著述を多数刊行した。
霊界研究書として 「仙境異聞」 「勝五郎再生記聞」 などを著す。

・Wikipedia(平田篤胤)


参考外部⇒BUSHOO! JAPAN (江戸時代の国学者・平田篤胤とは? オカルト世界を真面目に追求したフシギな御仁の一生)

【主な著書】
『江戸の霊界探訪記』2014年 (「仙境異聞」「勝五郎再生記聞」)現代語訳:加賀義
●平田留三(ひらたとめぞう)
(1924〜?);
memory
平田留三旧制関西商工学校商業科卒後, 日活映画勤務, 小学校教諭, 映画劇場支配人を経て, 阪神録音社を経営。
1966年に 「日本UFO研究会」 を設立した。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.41)』, 1978年【UFOスペシャル'78】


参考外部⇒SkyPeople(UFO関係者の思い出など)
参考外部⇒異界探偵Okundの(トンデモ)謎解き日記(平田留三会長の夢を見た)
●平塚柾緒(ひらつかまさお)
(1937〜);

平塚柾緒太平洋戦争研究会, 近現代フォトライブラリーを主宰している。
【参考文献】
『ヤマモト・ミッション 山本五十六司令長官機撃墜を可能にしたもの』


・Wikipedia(平塚柾緒)


参考外部⇒東京新聞 TOKYO Web
主宰サイト⇒太平洋戦争研究会

【主な著書】
『ヤマモト・ミッション山本五十六司令長官機撃墜を可能にしたもの』, 2016年
●平野威馬雄(ひらのいまお)
(1900〜1986);
memory
平野威馬雄作家。少年文学, 仏自然主義文学, 空飛ぶ円盤に関する著書が多数ある。
料理愛好家として有名な平野レミさんの父親。

・Wikipedia(平野威馬雄)


【主な著書】
『これが空飛ぶ円盤だ』, 1960年
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,1974年
『アポロと空飛ぶ円盤』著者:荒井欣一 / 平野威馬雄, 1973年

★平野レミさんについての参考外部=>wikipedia(平野レミ)
 
●ピーター・ブルックスミス
( Peter Brookesmith )
(1946〜);
ピーター・ブルックスミスUFO研究家。
怪奇現象などを扱って国際的にも評価の高い雑誌 『フォーティアン・タイムズ』 に, UFO問題について定期的に寄稿している。
3,000ページにもおよぶ超常現象事典 『The Unexplained』 の編纂にあたったほか, リーダーズ・ダイジェスト社から刊行された全12巻の超常現象シリーズの監修もつとめた。
この他の著書には, 『UFO- The Complete Sigghtings Catalogue』 などがある。

【参考文献】
『政府ファイル UFO全事件』:1998年

⇒ ・Wikipedia(英語版;Peter Brookesmith)


参考外部=>UFO- SVERIGE (Brookesmith, Peter (1946-))

【主な著書】
『政府ファイル UFO全事件』, 著:ピーター・ブルックスミス, 訳:大倉順二
●ビリー・マイヤー
( "Billy" Eduard Albert Meier )
(1937〜);
ビリー・マイヤースイスに生まれ, 5歳のとき初めてUFOを目撃した。
その後, 相次いで接触してきた宇宙人によって, 知的・霊的な面での教育を受けた。
コンタクトした代表的な宇宙人に, セムヤーゼ がいる。
1978年, スイス民法60条に基づく FIGU(フィグ) という公益法人を友人たちと設立した。 彼はその一員として今日まで執筆活動を続けている。
【参考文献】
『宇宙人がくれた21世紀の聖書』:1989年, 著者:大高良哉
『宇宙人との遭遇』:著者:ウェンデル・スティーブンス, 訳:芝田康彦

・Wikipedia(ビリー・マイヤー)
・Wikipedia(英語版;Billy Meier)
●ビル・クリントン
( William Jefferson "Bill" Clinton )
(1946〜);

ビル・クリントンアメリカ合衆国の政治家。
アーカンソン州司法長官, アーカンソン州知事, 第42代アメリカ合衆国大統領(
1993年1月〜2001年1月 )を歴任。
クリントン大統領は, フェニックスライトUFO事件
1997年3月13日の夜, シークレットサービスに急かされ, セキュリティの厳重な場所に向かうべくヘリコプターに乗ろうとしたときに, 膝を怪我したという説がある。
【参考サイト・文献】
Wikipedia(ビル・クリントン)
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年

⇒・ Wikipedia(英語版;Bill Clinton)
●フェリックス・ジーゲル
( Felix Yurievich Ziegel )
(1920〜1988);
memory
フェリックス・ジーゲルソビエトの研究者, 科学博士。
モスクワ航空研究所の宇宙論学部で, 天文学と宇宙探査に関する40冊以上の本の著者。
一般的には, ロシアの超音波検査の創始者と見なされている。
また, 最初に公式に承認された, ソビエトのUFO研究グループの共同創設者でもある。
【参考サイト】
Wikipedia(英語版;Felix Ziegel)


モスクワ航空研究所のジーゲル教授は, ペトロザヴォドスクの物体 (「ペトロザヴォドスUFO出現事件」参照) が, UFOであると断定した最初のソ連科学者であった。
後日彼は, UFOの大群が北部ロシアを偵察しているという説を発展させた。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.45)』【「ソ連都市上空を通過した未確認飛行物体」, 文:ヘンリーグリス, 訳:増野一郎】, 1979年

博士は1967年11月, 創設まもない 「NLO(ロシア語でのUFO)調査委員会」 の代表としてテレビを通じ, ソ連国民にUFO情報の提出を呼びかけ, 大変な反響を巻き起こした。
以来彼は, ソ連国内および同盟諸国から続々と寄せられる, 膨大なUFO事件の調査を手がけてきた。

【参考文献】
『ムー別 世界UFO大百科』【「宇宙人集団, モスクワに着陸す」, 文:片岡道代】, 1985年


参考外部=>TOCANA(“クラゲ型UFO”から降り注ぐ細い光線!! 何千人もの住民が目撃した「ペトロザヴォーツク発光体事件」とは!?)
参考外部=>GA Site(シベリア謎の大爆発)
●フェリックス・モンクラ
( Felix Eugene Moncla Jr. )
(1926〜1953);
memory
フェリックス・モンクラアメリカ空軍のパイロットで, 1953年にスペリオル湖上空で, 空中防衛迎撃を実行中に失踪した。
これは, モンクラが失踪したとき, 一時的に仕事でいた, キンロス空軍基地(Kinross Air Force Base)にちなんで, キンロス事件(Kinross Incident)としても知られる。
空軍は, 「モンクラは墜落した。迎撃の対象はカナダ空軍の航空機である」 と報告した。
報告によれば, カナダ機のパイロットは, のちに連絡がつき, そして彼は, 「自分は, 迎撃している飛行機を見なかった。自分が迎撃の対象であると知らなかった」 と述べた。
しかしながら, 数回にわたって, カナダ空軍は, 迎撃のさらなる詳細を求める公衆のメンバーとの文通で,
その日, 自分たちの飛行機が事故に巻き込まれていることを否定した。
【参考サイト】
Wikipedia(フェリックス・モンクラ)

・Wikipedia(英語版;Felix Moncla)


■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(スペリオール湖F- 89消滅事件【キンロス事件】)


参考外部=>ufo casebook. com(What Happened to Felix Moncla? - The Kincross Incident)
●フェルディナンド・オッセンドウスキー
( Ferdynand Antoni Ossendowski )
(1876〜1944);
memory
フェルディナンド・オッセンドウスキーポーランドの作家, 探検家, 大学教授, 反共産党の政治活動家。
レーニンと彼が参加したロシア革命に関する, 彼の著書で最もよく知られている。
彼は,
1876年にペテルスブルク(レニングラード)南方のユダヤ人町, ヴィテブスクに生まれた。
学生時代地理学と地質学で優れた才能を発揮した。
鉱山学の分野に足を踏み入れた彼は, 20代半ばで, シベリアの金鉱に関する専門家として広く知られるようになる。
しかし, 血気盛んな彼は, 帝政ロシアのユダヤ人政策に反発し,
1905年のロシア第一革命当時, シベリアをロシアの他の地域から独立させようと考え行動した。
そして, 極東革命政府の指導者に抜てきされ, 本部をハルピンに置いた。
皇帝の支配に反逆する彼の計画は, 準備不足のため, すぐにつぶされてしまう。 他の37人の同志とともに捕えられ, 裁判にかけられた。反逆罪で死刑を言い渡されたが, 助命嘆願や彼の鉱山知識などから
2年懲役に減刑された。
そして服役し,
1907年9月に釈放, その後, 彼は鉱山の研究に打ち込み, ペテルスブルクとオムスク両大学の地理学教授になる一方, ロシアとポーランドの専門誌に, 金鉱山やプラチナ鉱山の記事などを書き続けた。
第一次大戦が始まると, 奇妙な "特別調査団" の一員としてモンゴルに派遣された。
1920年, ボルシェヴィキ革命の波がロシア全土に広がったとき, かつての同志レーニンやトロッキーから, 彼は反革命の裏切者と非難され, 赤軍のブラックリストの高い位置にランクされてしまう。
彼は, 赤軍が来る直前, シベリアの荒野に脱出し, モンゴルを目指した。
命がけでモンゴルへ向かった彼は, その途中, 不思議なラマ僧の一団に出会う。 彼らもまた, ボルシェヴィキ革命から逃れてきた亡命者だった。
一行の中心人物は, タシェガウン・ラマと呼ばれ, ダライ・ラマやチベットの高僧たちと親しいつきあいがある人物であった。
何か月も旅を続けていくうちに, 二人の間には深い友情が生まれた。
1925年
に 『獣と人間と神』 の題名で出版された, 中央アジアの地底王国に関する最初の書は, このときの二人の運命的な出会いによって, まとめられたものである。この書は, ハウスホーファー やヒトラーに大きな影響を与えることになる。
【参考文献】
『謎の地底王国アガルタ』1983年, 著者:アレック・マクレラン, 監訳:高橋良典

・Wikipedia(英語版;Ferdynand Antoni Ossendowski)

参考外部⇒真実とは・・・(理想郷 -地底王国シャンバラ-)
参考外部⇒始まりに向かって(南米の地底世界は、チベットと並ぶシャンバラへの通路らしい)
参考外部⇒より一層の知識と光を求めて・・・(来たるべき18年戦争(2020−2038)??!!奇書 『獣・人・神』フェルディナンド・オッセンドウスキー(1875−1945)著)
参考外部⇒WebcatPlus(Ossendowski, Ferdinand (1876-1944))
●フェルナンド・セスマ・マンザノ
( Fernando Sesma Manzano )
(1908〜1982);memory

フェルノンド・セスマ・マンザノユミット からの手紙を, 最初に受け取ったとされるスペイン人。
手紙は,
1962年から大量に送られてきたという。
セスマは著名な神秘家で, 他の惑星の代表と頻繁に接触があると公言していた。『Moi, le confident des extra-terrestres(われこそはETの腹心の友なり)』 というタイトルの本まで出版しているほどだった。
ユミットは, この本の中にセスマが知り得るはずのない情報が含まれていることを発見し, これが書かれたのが単なる偶然ではないと判断した。そこで彼らは, セスマと接触して, 彼に情報をもたらした背後の人物について, 手がかりを探すことにした。
それで分かったのは, やはりユミット以外にも他の惑星系から来た別の人種が, この地球に滞在中であり, 社会学の興味深い実験をしているということであった。
これは,何年も後になって届けられたユミットからの手紙に説明されていたことであるという。

【参考サイト・文献】
Fr.Wikipedia(Ummo)
『宇宙人ユミットからの手紙』【第6章/予告された着陸】1993年, 著者:ジャン=ピエール・プチ, 訳中島弘二


参考外部=>Es.Wikipedia(Ummo)
参考外部=>YouTube(ENTREVISTA A FERNANDO SESMA ("Nosotros",TVE,1968))
参考外部=>ummowiki.fr(Fernando Sesma)
参考外部=>tebeosfera.com(Fernando Sesma Manzano)
●フォックス3姉妹
( Fox sisters )

★リーア・フォックス(Leah Fox -長女)
(1813〜1890);memory
★マーガレッタ・フォックス(Margaretta "Maggie" Fox -次女)
(1833〜1893);memory
★キャサリン・フォックス(Catherine "Kate" Fox -三女)
(1837〜1892);memory

フォックス姉妹は, スピリチュアリズム(Spiritualism) の誕生に重要な役割を果たしたニューヨーク出身のリーア(長女), マーガレッタ(マギーとも呼ばれる次女), キャサリン(ケートとも呼ばれる三女)の3姉妹。
1848年3月31日, 2人の妹は, ニューヨーク州ハイデスビル(Hydesville, NY)にある家の中で, 霊の発する音 (ラップ音(spirit rapping)) を介して初めて霊との交信に成功した。
■事件詳細(サイト内)=> 怪奇事件集(ハイデスビルの怪しい音)

その後, 彼女たちは 降霊会 などを行ない 霊媒(medium) として成功を収めた。
【参考サイト】
Wikipedia(フォックス姉妹)
Wikipedia(英語版;Fox sisters)



(★左からケート, リーア, マーガレッタ)
■サイト:「emergingcivilwar.com」から

ハイデスビルの幽霊は, コツコツと怪しい音を響かせるほかに, さまざまなやり方で, 自分の存在を示すようになっていた。たとえば, のどからドクドクと流れ出る血の音, 死に際の断末魔の苦しみのうめき, あるいはまた死体を引きずる音が, 夜ごと聞こえてくるようになったのである。
ついにフォックス家の人たちは耐えきれず, 血縁をたよって引っ越しをした。
三女のケートは, オーバンにある兄のデビッドの家に, 次女のマーガレッタはロチェスターにある姉のリーアの家に移り住んだが, コツコツという音は, 両方の家にも現われたのである。特にリーアの家の場合は激しかった。霊魂にも好ききらいがあってか, "音の精" は, リーアの家に関心を示したのである。
あるときなどは, 轟音が屋根の上に響いたこともある。まるで, 大砲の弾でも撃ち込まれたかのように。
翌日, 人から聞いたところ, 音は1.6キロメートルも遠くまで聞こえたという。
【参考文献】(下記より抜粋)
『心霊の世界』【第1章/ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


参考外部=>dictionary.com(spirit rapping)
参考外部=>emergingcivilwar.com(Things That Go BUMP in the Parlor: Spiritualism, Lincoln, and a Happy Hallowe' en)
参考外部=>smithsonianmag.com(The Fox Sisters and the Rap on Spiritualism)
参考外部=>hauntedhistorytrail.com(The Fox Sisters Property/Hydesville Memorial Park)
参考外部=>findagrave.com(Catherine "Kate" Fox)
●フォン・シュレンク=ノッチング
アルベルト・フォン・シュレンク=ノッチング を参照。
 
●フォン・ノイマン
ジョン・フォン・ノイマン を参照。
●福来友吉(ふくらいともきち)
(1869〜1952);
memory
福来友吉心理学者, 超心理学者。東京帝国大学助教授, 高野山大学教授。文学博士。 念写 の発見者とされる。
福来博士の研究は, 催眠下にある被験者に, どのようなことが起きるかを, さまざまな実験を通じて調べるという, 変態心理学の一分野だった。その研究中に, 被験者が, たまたま机の上にあった本の何ページに何が書いてあるかを言い当てることができたことなどから, 彼を 千里眼 実験へ向かわせた。
最初の千里眼実験は,
明治43(1910)年 御船千鶴子 の登場によって始まり, その後 長尾郁子, 高橋貞子 の能力実験を行い, その透視実験の過程で, 写真乾板を用いたことにより, 「念写」 という現象を発見することができた。
これらの実験結果を整理し, その見解と考察をまとめて,
大正2(1913)年8月7日に, 『透視と念写』 が東京宝文館から出版された。
しかし, これらの実験の途上に起きた予期せぬ事態によって, 千里眼実験は 「千里眼事件」 となり, この千里眼研究は学問の世界から急速に遠ざけられて, 心霊現象の実験は, 社会に迷信を助長するものだとの批判を浴び, 日本の教育の近代化をさまたげるものとして, 排斥されるようになる。
しかし, 東京帝国大学の物理学者を中心とする千里眼批判の大合唱と研究排斥の策動に対しても, 福来博士は 「透視は事実である。念写もまた事実である」 と宣言して, 動じることはなかった。やがて, 福来博士は助教授の地位を罷免される。 【
大正2(1913)年10月に, 文官分限令による大学助教授の休職を命じられ, 休職期間が満了した 大正4年10月 に東京帝国大学を退職】
大正10(1921)年, 真言宗が経営する私立宣真高等女学院の初代校長に就任。 5年後に, ここを退職し, 高野山大学の教授に就任し, 昭和15(1940)年まで勤めた。
この間にも, 福来博士は, 千里眼実験を続ける一方, 密教を研究し, 実験で得られた結果を解釈する, 思想体系を作りあげている。
昭和3(1928)年, 博士はロンドンで催された, 国際 スピリチュアリスト 連盟の第三大会に出席し, 透視や念写について発表をしている。
【参考サイト・文献】
Wikipedia(福来友吉)
『千里眼千鶴子』【福来博士の革命】:1983年
『怪物科学者の時代』【福来友吉】:1998年
『透視も念写も事実である』:2004年


関連サイト=>under zero(福来博士記念館)
関連サイト=>飛騨福来心理学研究所
関連サイト=>財団法人福来心理学研究所
参考外部=>Wikipedia(千里眼事件)
参考外部=>YouTube(中岡俊哉先生の念写実験)
●藤木TDC(ふじきティーディーシー)
(1962〜);

藤木TDCフリーライター。
アダルトビデオ専門誌で雑誌ライターとしてデビュー。
その後, ジャンルの幅を広げて, 一般記事も手がけるフリーライターとなる。
AVや風俗, 昭和芸能史や日本映画, 東京の繁華街に関する執筆を行っている。
【参考サイト】
Wikipedia(藤木TDC)


関係SNS=>twitter.com(藤木TDC)
関連サイト=>YouTube(フリーライター 藤木TDCさん「ムービー」に付いて!)
関連サイト=>kill-the-movie-on-sunday.blog.jp(藤木TDCの2015年映画ベストテン)
●藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお)
(1933〜1996);
memory
藤子・F・不二雄本名は, 藤本弘(ふじもとひろし)。
1951年, 「毎日小学生新聞」 投稿の 『天使の玉ちゃん』 でデビュー。
安孫子素雄(藤子不二雄A)氏と二人で, ”藤子不二雄” 名義で, 数多くの作品を発表。
1987年コンビ解消後, ”藤子・F・不二雄” として児童漫画の新時代を築く。
代表作は 『ドラえもん』 『オバケのQ太郎(共著)』 『パーマン』 『キテレツ大百科』 『エスパー魔美』 など。
【参考文献】
『藤子・F・不二雄の異説クラブ』


関連サイト=>川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム
関連サイト=>高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリー

【主な著書】
『藤子・F・不二雄の異説クラブ』, 2014年
●藤本憲幸(ふじもとけんこう)
(1947〜2016);memory

藤本憲幸ヨガ学の第一人者。
弱冠26歳で, "ヨガ健康法" に関する本を次々と出版し, 全国にヨガブームを巻き起こした。
藤本憲幸氏のヨガに関する著書は, 海外でも多数出版されている。
【参考文献】
『しのびよる有害電磁波の恐怖』, 著者:藤本憲幸

・Wikipedia(藤本憲幸)


公式サイト=>藤本憲幸オフシャルblog

【主な著書】
『しのびよる有害電磁波の恐怖』, 1989年
●布施泰和(ふせやすかず)
(1958〜);

布施泰和ジャーナリスト。
1982年
に共同通信社に入り, 富山支局在勤中の1984年, 「日本のピラミッド」 の存在をスクープし, 巨石ブームの火付け役となる。
その後, 渡米して, 行政学修士号と国際公共政策学修士号をそれぞれ取得。
専門は国際政治・経済とメディア論だが, 世界の巨石遺構探査や, 古代史, 精神世界など幅広い研究・取材活動を続けている。
また, 下記の本の取材中, 不思議な体験をした多数の方にインタビューをしている。
【参考文献】
『超能力者・霊能力者に学ぶ不思議な世界の歩き方』, 著者:布施泰和


関連サイト=>天の王朝

【主な著書】
『超能力者・霊能力者に学ぶ不思議な世界の歩き方』, 2005年
『竹内文書と平安京の謎』, 2015年
●フラネック・クルスキー
( Franek Kluski )
(1873〜1943);
memory
フラネック・クルスキーフラネック・クルスキーはペン・ネームで, 本名はTeofil Modrzejewski
ポーランドの詩人, 作家であったが, ,心霊研究史上とくに 物理霊媒 として知られる。彼は, 心霊の科学的研究のために進んでこれに協力した。
物質化現象 を生起する場合でも, デスペランス夫人(エリザベス・ホープ(Elizabeth Hope)) のように, 正常意識を保持したままで行うことができた。その霊能現象について, ギュスターヴ・ジュレ博士(Dr. Gustav Geley) は, 発光現象などの研究の他に, 考案した詐術防止実験室で, 霊魂の両手・両足のパラフィン鋳型を作製することに成功している。
また, 物質化現象のなかで, 動物の体が出現したことがある。その一例として, ジュレ博士は, 毛に被われた半人半猿を観察しており, 長く強い大きな手を持ち, 鹿や濡れた犬のような体臭をを放ち, その舌は大きく柔らかであったと報告
(1920年)しているが, 同様のものをマッケンジー夫人(Mrs. Mckenzie)も目撃している(1922年)
【参考文献】(下記から引用)
『スピリチュアル用語辞典』【クルスキー、フラネック】, 著:春川栖仙, 2009年

・Wikipedia(英語版:Franek Kluski)


参考外部=>pl.wikipedia.org(Franek Kluski)
参考外部=>psi-encyclopedia.spr.ac.uk(Franek Kluski)
参考外部=>encyclopedia.com(Kluski, Franek (1874-?))
参考外部=>YouTube(Franek Kluski - wielkie medium (audiobook))
参考外部=>metapsychique.org(The Kluski Hands Moulds)
●フランク・エドワーズ
( Frank Allyn Edwards )
(1908〜1967);
memory
フランク・エドワーズ米国のイリノイ州に生まれ, ラジオキャスター, テレビ解説者などを務めたジャーナリスト。
ラジオ番組の中で, UFOの報告をまじめにとりあげた。
科学的UFO研究の先駆者である。


・Wikipedia(英語版;Frank Edwards )


1967年6月24日, 記念すべき 「第1回科学的UFO研究者会議」 が, ニューヨークで開催された。
当日, 会場には2千人近いUFO研究家やジャーナリスト, 熱心なUFOファンたちが集まっていたが, 出席者たちは開会の冒頭に, いきなり血も凍るような恐怖を味わうことになった。
この会議の中心的人物にして, 当日UFOについての重要な講演を行う予定だった, 番組司会者にしてUFOジャーナリストの
フランク・エドワーズが, 昨夜, 突然の心臓発作を引き起こして急死した, という訃報が読み上げられたのである。
エドワーズは, アメリカでもっともよく知られたマスコミ人だった。ケネス・アーノルド(Kenneth A. Arnold) のUFO遭遇事件で, UFO現象に興味を持ったエドワーズは, 人脈を活かして独自の調査を始め, UFO現象の実在を確信したのであった。
有名な政治家や軍人, 科学者たちに水面下で接触を重ねたエドワーズは, これらの識者たちが, 公にはUFO現象を 「バカバカしい」 と否定しながらも, 個人的な意見としては, その存在を確信していることを知って, 事の重大さを認識するようになっていった。
社会的地位のある面々から聞き出したエドワーズのUFO情報は, きわめて質が高く,
1940年代から彼の死んだ60年代までのUFO研究に, 欠かせないものとなっている。
【参考文献】(下記より引用)
『UFO最後の真実 異次元に広がる超文明世界の謎』【第7章/際限のない死の連鎖 現れた三人の黒服の男】, 著者:浜田政彦, 2009年

参考外部=>saturdaynightuforia.com(our speaker tonight...frank edwards)
参考外部=>実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(消えたイヌイット村)
参考外部=>失踪事件を扱った書籍

【主な著書】
『空飛ぶ円盤の真実』(Flying Saucers-Serious Business), 訳:安龍次郎, 1966年
●フランク・スカリー
( Frank Scully )
(1892〜1964);
memory
フランク・スカリーアメリカのジャーナリスト, 初期のUFO研究家。
『Behind The Flying Saucers』(空飛ぶ円盤の背後で)を著し,
1950年に出版された。ハードカバーで6万部, ペーパーバックがその数倍というベストセラーとなった。
2年後に雑誌 『トルー』(
1952年9月号)に, 原著は全くのイカサマであるとする, J・P・カーンの暴露記事が発表され, それをマスコミや評論家がうのみにしたため, 原著とスカリーの信用は失墜する。
【参考文献】
『UFOの内幕』,1985年
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年


1950年
に出版した 『UFOの内幕(Behind The Flying Saucers)』 の中で, スカリーは, 1948年にニューメキシコ州のアズテックに直径30メートルもあるUFOが墜落し, 機内から16人の宇宙人の死体が発見されたと書き, センセーションを巻き起こした。
しかし, 後になってスカリーにその衝撃的な情報を提供した, サイラス・ニュートンとレオ・ゲバウアーの二人は, 手の込んだストーリーをでっちあげて金を巻き上げるペテン師だったと判明する。
それ以来, 少なくともまともなUFO研究家は, 宇宙人の死体が米空軍基地に隠されているといった話はインチキ臭いし, まじめに調査研究する価値はない, と考えるようになった。
その風向きが変わったのは
1977年に, レオナード・ストリングフィールド が, 大手出版社から 『シチュエーション・レッド』 という本を出版したときからであった。
その本の中に, 米空軍による宇宙人の死体回収作戦について, ちょっと触れておいたところ, 読者から墜落UFOと宇宙人の死体に関する情報が, 続々と寄せられてきた。 そのほとんどが, 回収作戦に従事した空軍の元関係者や基地内でたまたま宇宙人の死体を目撃したという人たちだった。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』, 著者:中村省三, 1989年

 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Frank Scully)


参考外部⇒UFO探究(フランク・スカリー 1950年代 円盤問題初期の有名人)
参考外部⇒UFOLORE.ORG(#ufobooks 『UFOの内幕』フランク・スカリー)

【主な著書】
『UFOの内幕』, 1985年, 著者:フランク・スカリー, 共訳:梶野修平+加藤整理弘, 監修:韮澤潤一郎


(★原著 『Behind The Flying Saucers』)
●フランク・ホルステッド
( Frank August Halstead )
(1883〜1967);
memory
フランク・ホルステッド
ミネソタ大学の天文技官。
ミネソタ州ダルースにあるダーリング天文台創立者ダーリング教授の教え子で, ダーリング教授の下で,
10年の研鑚ののち, この天文台の管理を引き継ぎ, 15年間, ミネソタ州立大学の理事を兼務した。
彼は,
四半世紀にわたる経験によって, 引退時には, 天文学の分野における, 名誉と尊敬を勝ち得た人物である。
博士はダーリング天文台で,
1954年6月6日, 助手をしていたレイモンド・マツハラ氏と視察に来ていた16人の客全員が, 月のピッコロミニ・クレーターの底部に, 黒い直線があるのを観測した。
天候がよくなって観測可能になった
数日後には, その直線は見えなくなっていた。同夜, ニューオリンズの著名なアマチュア天文家のフランク・マニングも, この現象を観測していることが報告されている。
またホルステッド氏は,
1955年11月1日に, ラスベガスの西100マイル(約160km)のモハヴェ砂漠(Mojave Desert)で, 列車の中から妻と一緒に, 葉巻型のUFOを目撃している(フランク・ホルステッドUFO目撃事件)。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』1988年,著:フランク・エドワーズ


参考外部=>Find A Grave(Frank August Halstead)
参考外部=>Open Minds(Lunar High Strangeness)
●フランシス・リッジ
( Francis L. Ridge )
【フラン・リッジ(Fran Ridge)】
(1942〜);

フランシス・リッジUFO研究家。インディアナ州ビンセンズ出身。
1960年, インディアナ州 NICAP(空中現象調査委員会- National Investigations Committee on Aerial Phenomena) のインディアナ州第1号に指定された7人の調査チームを率いる。

【参考サイト】
NICAP(bio)


参考外部=>NICAP(bio)
参考外部=>YouTube(Fran Ridge: The MADAR Project & UNICAT (1988))
参考外部=>YouTube(UFO Classified with Erica Lukes | Fran Ridge)
●フランシス・ワード・モンク
( Francis Ward Monck )
(1842〜?);
memory
フランシス・ウォード・モンクフランシス・ワード・モンクは, イギリスの牧師。スピリチュアリスト の霊媒。
【参考サイト】
En.Wikipedia(Francis Ward Monck)


牧師から 霊媒者 になったフランシス・ワード・モンクは, 霊媒としての評判が高かったころ, ある魔術師(マジシャン)が彼に挑戦し, ハダースフィールド(Huddersfield)で行なう, その 降霊会 を調査するよう要求した。1876年11月 のことである。
モンクは部屋に逃げこみ, 内側から錠(じょう)をかけてしまい, そして窓から逃げてしまったという。その後で彼の所持品を調べたところ, 中から物を詰めてふくらませた一組の手袋が見つかった。モンクは捕らえられ, 詐欺行為のかどで取り調べられることとなった。
ところで, アグネス・ニコル(Agnes Nicholl) などの霊媒能力を調査した アルフレッド・ラッセル・ウォーレス(Alfred Russel Wallace)博士 は, モンクを弁護する側の一人であった。博士は, モンクがトリックを使わずに女性の霊姿(れいし)を現出させたのを実際に見ている, と証言したのである。
しかし, モンクはその前に最も悪質なからくりを使ったところを, ウィリアム・バレット卿 に見つかり捕まってしまった。このとき, モンクは針金で骨組みを作り, それに白いモスリンの布をかぶせ, 霊姿と思わせる部分を装わせたのだった。この件で, モンクは有罪となり, 3か月の禁固刑を言い渡されるはめとなった。
【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


参考外部=>encyclopedia.com(Monck, Rev. Francis Ward (ca. 1878-?))
参考外部=>encyclopedia2.thefreedictionary.com(Monck, Rev. Francis Ward)
参考外部=>spiritualpathspiritualistchurch.org(FRANCIS WARD MONCK: Medium Challenged)
●フランツ・アントン・メスマー
( Franz Anton Mesmer )
(1734〜1815);
memory
フランツ・アントン・メスマーオーストリアとフランスで開業した内科医。
動物磁気 (Animal magnetism) と呼ばれるものの提唱者。
メスマーは動物磁気と呼んだが, 他の人たちはそれをメスリズム(mesmerism) と呼んだ。
メスマーの概念と実践の発展が,
1842年のジェイムズ・ブレイド( 1795〜1860 )による, 催眠 術の開発をもたらした。
メスマーの名前は英:mesmerize(催眠術をかける)の由来となった。

【参考サイト・文献】
Wikipedia(フランツ・アントン・メスメル)
『ザ・ストレンジブック』,1980年

・Wikipedia(英語版;Franz Mesmer)


参考外部⇒ オカルトの部屋(メスメルと動物磁気)
●フリードリヒ・ユルゲンソン
( Friedrich Jürgenson )
(1903〜1987);
memory
フリードリヒ・ユルゲンソンフリードリヒ・ユルゲンソンは, スェーデンの画家, ミュージシャン, ドキュメンタリー映画ジャンルの映画プロデューサーであった。
また, 彼は コンスタンティン・ラウディヴ(Konstantin Raudive)博士 とともに, 霊との交信に, EVP(Electronic Voice Phenomena;電子音声現象)や ITC(Instrumental Transcommunication;電子霊界通信)の電子通信をした先駆者として知られている。 彼は, 彼の実験を記録するためにテープレコーダーだけを使用した。
実験の協力者として, ドイツのフライブルク(Friburgo)にある 「超心理学研究所」 の所長である ハンス・ベンダー(Hans Bender)教授 などを参加させた。
【参考サイト】
Es.Wikipedia(Friedrich Jürgenson)

1959年のある日のことであった。スウェーデンに住んでいるフリードリヒ・ユルゲンソンが, 森で録音してきた小鳥の声を聞こうと, テープレコーダーのスイッチを入れた。すると突然, 死んだ母親の声が聞こえ出した。「フリーデル, 私の声が聞こえるかい?」 と, ささやいたのだ。
驚いたユルゲンソンは, 空耳ではないかと, それを確かめるために, もう一度テープを回してみた。やはりそれは, 母の声であった。
ユルゲンソンは, スウェーデンに住んでいるロシア生まれの作家であり, 画家であり, 映画プロデューサーでもある。彼は, この思いもよらぬ不思議な経験を契機にして, 霊の声を録音するという実験と研究を始めた。
その努力は長く続けられて, 彼は不思議な声を, 何百もテープに収めていった。その声は, 一言二言(ひとことふたこと)程度ではあったが・・・。
やがて霊の声をテープに収めようとする者が, ほかにも出始めた。彼らは, それなりに成功したが, 中でも名を知られるようになったのが, 当時スウェーデンに在住していたラトビア生まれの心理学者, コンスタンティン・ラウディヴ(Konstantin Raudive)博士 である。
【参考文献】(下記を抜粋引用)
『心霊の世界』【第6章/ 霊媒と機械】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年

参考外部=>g-rudder.at.webry.info(霊界交信の道を拓いた男)
参考外部=>asahi-net.or.jp(コンスタンティン・ラウディヴ)
参考外部=>Wikipedia(電子音声現象)
参考外部=>el-aura.com(亡くなった人と会話する人たち〜EVP(電子音声現象)の始まり)
参考外部=>el-aura.com(亡くなった人と会話する人たち〜EVP(電子音声現象)を世界に広めたラウディヴ)
参考外部=>会長日記blog.livedoor.jp(霊界について)
参考外部=>cariosutea.exblog.jp(EVP(Electronic Voice Phenomena:電子音声現象))
参考外部=>classicistranieri.com(Friedrich Jürgenson)
参考外部=>sonoloco.com(Friedrich Jürgenson)
参考外部=>YouTube(FRIEDRICH JÜRGENSON: FROM THE STUDIO FOR AUDIOSCOPIC RESEARCH)
参考外部=>cabinetmagazine.org(Carl Michael von Hausswolff, assisted by M. S. C. Harding)
参考外部=>encyclopedia.com(Jürgenson, Friedrich (1903-1987))
●フレッド・ステックリング
( Fred Steckling )
(?〜1991);
memory
フレッド・ステックリングドイツのベルリン生まれ。
18歳のとき, カナダに移住して航空機とUFOに限りない関心を持ち, ジョージ・アダムスキー に師事して, 研鑚を積むうちにスペース・ブラザーズとコンタクトするという体験をもつUFO研究家。
とくにアダムスキーの高弟として最後までつかえ, アダムスキーが死の数日前に, 「生命の科学」 について語った重要な言葉を直接に聞きとめている。
1966年秋に, ヨーロッパへ講演旅行に行ったとき, 故国ドイツの急行列車の窓から, 上空に出現したスペース・ブラザーズの大母船団を8ミリ映画に撮影し, 米国で公開して大センセーションをまき起こした。
著書に 『なぜ空飛ぶ円盤は来るのか』 などがある。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.30)』(フレッド・ステックリンブ氏に聞く),1978年


参考外部サイト⇒Alien Bases on the Moon
参考外部サイト⇒Alien Bases on the Moon II
●フレッド・ベル博士
( Dr. Fred Bell )
(1943〜2011);
memory
フレッド・ベル9歳にしてバイオフィードバックや原子力エネルギーなどの科学実験を始める。
10代中にミシガン大学において, 核物理学の研究と米空軍で, 当時最新のNORADコンピュータを担当した。
その後, ロッキード社, NAA(ノース・アメリカン・アビエーション社;NASAにロケットを納入する会社)を含め, 幅広い職歴を経験した。

1971年に, セムヤーゼ とのコンタクトが始まり, プレアデスの科学を地球環境, ヒーリングの分野に活用した。
また, 音楽家として世界中で講演とコンサートを行った。
※)NAAでは, サターン・ロケット担当のエンジニア, アポロ宇宙船の電気系統担当の電子工学技術者を務めた。博士がNAAに転職したのは19歳のときであり, ウィルナー・フォン・ブラウン博士 と共に, サターン・ロケットの製造に携わった経歴をもち, 正真正銘の天才科学者である。

【参考文献】
『プレアデス科学の謎』, 著者:フレッド・ベル+ブラッド・スタイガー, 訳:ケイ・ミズモリ


参考外部⇒宇宙の兄弟たちへ@スピリチュアルブログ
参考外部⇒PYRADYNE

【主な著書】
『プレアデス科学の謎』, 1996年
●フレデリック・ハドソン
( Frederick Augustus Hudson )
(1812〜1870);
memory
フレデリック・ハドソンフレデリック・アウグストゥス・ハドソンは, 1870年代に活躍したイギリスの 心霊写真 家。
ハドソンは, ロンドンに彼自身のスタジオを設立し, 女性 霊媒ジョージアナ・ホートン(Georgiana Houghton) を協力者とした。
彼は英国で最初の心霊写真家であるといわれているが, 司祭を務めたことのある作家の
ジョゼフ・マケイブ(Joseph McCabe(1867-1955))によれば, ハドソンの写真は, 1872年に仲間の スピリチュアリスト であるウィリアム・ヘンリー・ハリソン(William Henry Harrison(1841-97))によって心霊写真の不正を公表されているという。
1874年, 学者の アルフレッド・ラッセル・ウォーレス(Alfred Russel Wallace) がハドソンのスタジオを訪れ, 亡くなった母親と一緒に写る彼の写真を撮ることができた。ウォーレスは, その写真を本物であると宣言し, 「母の人生のさまざまなことを知っている心霊の存在が, 視認できるような形で写真乾板に焼付けたという結論から逃れることはできない」 と宣言した。
【参考サイト】
En.Wikipedia(Frederick Hudson (photographer))

参考外部=>En.Wikipedia(Joseph McCabe)
参考外部=>ore.exeter.ac.uk(HARRISON, William Henry (1841-97) )
参考外部=>amazon.com(spiritualist. William Henry Harrison)

参考外部=>note.com(幽霊とのツーショット:女性画家ジョージアナ・ホートン(アウトサイダーアート前史))
参考外部=>artsandculture.google.com(フレデリック・ハドソン)
参考外部=>psychictruth.info(Frederick. A. Hudson;England)
参考外部=>photographymuseum.com(Frederick A. Hudson (England))
参考外部=>metmuseum.org(Album of Spirit Photographs 1872)
参考外部=>commons.wikimedia.org(Category:Frederick Hudson (photographer))
参考外部=>encyclopedia.com(Hudson, Frederick A. (ca. 1877))
●フレデリック・マイヤース
( Frederick William Henry Myers )
(1843〜1901);
memory
フレデリック・マイヤースフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースは, 古典文学者, 詩人, 心霊研究の開拓者として知られる。
また初期の深層心理学研究における重要な研究者であり, ウィリアム・ジェームズ(William James), ピエール・ジャネ(Pierre Janet), テオドール・フルルノワ(Théodore Flournoy), カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung) らに影響を与えたと言われている。
【参考サイト】
Wikipedia(フレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース)

心霊研究の草分けの一人で, SPR(英国心霊研究協会) の設立(1882年)に尽力した。
哲学者, 心理学者, 詩人でもあった。30年間, ケンブルッジ大学の視学官をつとめた。
国際心理学会議(International Congress of Psychology)の組織化に努力し, ロンドン大会(1892年)の幹事, さらに会長(1900年)をつとめた。
主著には, 『人間個性と肉体死後の存続(Human Personality and its Survival of Bodily Dearth)』(1903年)があり, 人間の精神と能力を徹底的に研究した。
【参考文献】(下記から引用)
『スピリチュアル用語辞典』【マイヤース、フレデリック・ウィリアム・ヘンリー】, 著:春川栖仙, 2009年

フレデリック・マイヤーズは, 才能あふれる精神分析学者であり, 心霊研究協会(SPR) を創設するのを助けた。
霊媒 の多くは, 彼の助言を求めたり, 判断を求めたりするほどで, 熱心な心霊伝達者の一人であった。
死後の魂についての彼の言葉は, 自動筆記 の霊媒 ジュラルディン・カミンズ(Geraldine Cummins) の協力によって書かれた。

【参考文献】(下記から引用)
『心霊の世界』【第8章/ ふるい分けられた証拠】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


・Wikipedia(英語版:Frederic W. H. Myers)


参考外部=>Wikipedia(ピエール・ジャネ)
参考外部=>En.Wikipedia(Théodore Flournoy)
参考外部=>En.Wikipedia(International Union of Psychological Science)
参考外部=>國學院大學(英国心霊主義とマイヤース)
参考外部=>researchmap.jp(フレデリック・ヘンリー・マイヤーズの研究 -南方熊楠と関連させて- )
参考外部=>encyclopedia.com(Myers, Frederic William Henry (1843-1901))
参考外部=>ajp.psychiatryonline.org(Frederic William Henry Myers, 1843-1901)
参考外部=>psychology.fandom.com(Frederick William Henry Myers)
参考外部=>worldcat.org(Myers, F. W. H. (Frederic William Henry) 1843-1901)
●フロイト
ジークムント・フロイト を参照。
 
●フローレンス・クック
( Florence Cook )
(1856〜1904);
memory
フローレンス・クックフローレンス・クックは, イギリスの著名な 霊媒 師。
英国最初の完全物質化霊媒として有名。ウィリアム・クルックス(William Crookes) による調査を受けた。
1回だけ非常に原始的な 「トリック」 を暴かれたことがあり, また同じく 物質化現象 を起こすことがあった霊媒 ダニエル・ダングラス・ヒューム(Daniel Dunglas Home) が, 「あれは本物ではない」 と述べたという説もある。
一方で大量の証言, 綿密な調査報告, 写真があり, むしろあのトリックは何だったのか謎だという意見もある。未だに真偽が取り沙汰されている霊媒のひとり。
【参考サイト】
Wikipedia(フローレンス・クック)


・Wikipedia(英語版;Florence Cook (medium))


フローレンス・クック
(★若いころのフローレンス・クック)
ケイティー・キング
(★霊媒フローレンス・クックによって現われ出たケイティー・キング。)
■サイト:「michaelgallagherwrites.com」 から

フローレンス・クックは, 異常なまでの才能を持つ少女であった。彼女はガス燈のもとで霊の全身像を呼び出してみせた, イングランドで最初の霊媒であった。
クックは, ほかの霊媒のだれもがそうするように, カーテンの奥の暗い隅(キャビネットという)に, 光りを避けて座る(降霊のときには明かりが邪魔になるという)。やがて, キャビネットから霊の姿が現われ出るというものである。その霊は ケイティー・キング(Katie King) という名でクックの スピリット・ガイド(spirit-guide;支配霊) であった。
二人は写真で見るとよく似ているが, ウィリアム・クルックス(William Crookes) は両者の違いを指摘している。クックの耳にはイヤリングの穴があるが, ケイティーにはなく, またケイティーの方が背が高かった。
【参考文献】(下記を抜粋引用)
『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年

参考外部=>オカルト・クロニクルokakuro.org(ケイティ・キング 美人霊媒の呼び出す美人幽霊)
参考外部=>スピリチュアリズム世界史年表hk7.tokyo(フローレンス・クック)
参考外部=>whytodayisbrilliant.wordpress.com(Tag: john king
参考外部=>michaelgallagherwrites.com(Florence Cook: Materializing Medium or Mendacious Fraud?)
参考外部=>encyclopedia.com(Cook, Florence Eliza (1856-1904))
参考外部=>americanhauntingsink.com(THE HAUNTED MUSEUM:THE MEDIUM AND THE SCIENTIST)
●ブライアント・リーブ
( Bryant Reeve )
(?〜?);
memory
ブライアント・リーブ(★リーブ夫妻)
エール大学とマサチューセッツ工科大学を卒業したエンジニアが,
1953年に空飛ぶ円盤に興味を持つにいたった。
1954年に退職すると, 彼とその妻ヘレンは, UFO目撃者たちや, 必然的に, 接触者と自称する人たちにインタビューしながら国内を旅した(これを元に著した本が, 『空飛ぶ円盤の長い旅(Flying Saucer Pilgrimage)』 である)。彼の名はブライアント・リーブである。
わたしたちほかのものと同様, 彼も初めは, 地球外仮説を実証する証拠が見つかるものとのぞみ, 期待した。彼は, すべてのエンジニアや科学者と同じように, 物理学的に考えた。
だが, この複雑な問題を深く掘り下げれば掘り下げるほど, 彼は, ちょうど ウィルバート・スミス(Wilbert B Smith) がそうだったように, 哲学と形而上学(けいじじょうがく)へと踏み込んだ。
ついに
1965年に, 彼は 『宇宙的視点の到来(The advent of the cosmic viepoint)』 と題する本を出版した。長い, 慎重な研究ののちに, 彼は, UFO目撃そのものは事実上は相互に無関係なものであり, より大きな 疑似物質現象 の一部にすぎないと結論づけたのである。
【参考文献】(下記より引用)
『UFO超地球人説』【第2章/答えなんかどうでもいい! 問題は何か?】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年

参考外部=>Kz.UFO現象調査会ameblo.jp(Flying Saucer Pilgrimage Bryant & Helen Reeve)
参考外部=>lulu.com(FLYING SAUCERS PILGRIMAGE)
●ブラッド・スタイガー
( Brad Steiger )
(1936〜);

ブラッド・スタイガーアメリカのフリージャーナリスト, 著述家。
執筆分野は多岐にわたり, 映画スターの伝記から探偵小説にまでおよぶ。
また, UFOを含む, 超常現象の世界的権威でもある。
特にコンタクティーやチャネラーの徹底した調査においては定評がある。

【参考文献】
『大隆起』, 1977年
『UFOと宇宙(NO.85)』(「UFOの対地球戦略・総合分析」17,ブラックメンの示威行動),1982年

UFOジャーナリスト, フランク・エドワーズ(Frank Allyn Edwards) 怪死の知らせに, グレイ・バーカー(Gray Barker) と同じく, UFO会議(
1967年6月24日にニューヨークで開かれた 「第一回科学的UFO研究者会議」)の会場の片隅で戦慄していた男がいた。
やはりUFOが, 異次元起源説であると確信していた, UFO研究家
ブラッド・スタイガーである。UFO以外の様々な超常現象に詳しかったスタイガーは, 不可解な人間消滅事件(いわゆる説明のつかない神隠し)や, 異次元世界と思われる世界に時空を超えて迷い込んだ人々の体験などにも, 特別な関心を持っていた。
長年の調査や研究を通して, UFOが異次元世界(パラレル・ワールド)からの侵入者であると確信していたスタイガーは, 自分と同じ考えを持つ研究家たちが, 異次元世界の手先と思われる "全身黒ずくめの男たち" に, つき纏われていることを知っていたので, 調査活動には常に細心の注意をはらっていた。
【参考文献】(下記より引用)
『宇宙人最後の真実 人類を操る異次元の暗黒宇宙人』【第1章/「秘密」に近づいたUFO研究家を襲う"黒い影"】, 著者:浜田政彦, 2009年

・Wikipedia(英語版;Brad Steiger)

【主な著書】
『大隆起』, 1977年, 著:
ブラッド・スタイガー, 訳:南山宏
『プレアデス科学の謎』, 1996年, 著者:フレッド・ベル
ブラッド・スタイガー, 訳:ケイ・ミズモリ
●ブラバァツキー夫人
フレナ・P・ブラバァツキーを参照。
●ブランチ・クーパー夫人
( Mrs. Blanche Cooper )
(?〜?);
memory
ブランチ・クーパー夫人生年不詳。イギリスの直接談話霊媒で, ESP研究家として有名な サミュエル・ソール博士(Dr. Samuel Soal) によって, 一連の実験が行なわれた。
その一つに, 生者が彼女と交霊した事例
(ゴードン・デイビス事件)がある。
また, クーパー夫人は,
1923〜25年に書物試験を何回も行ない成功している。
彼女には, 「アフィッド(Afid)」 と 「ナダ(Nada)」 という スピリット・ガイド がいた。
【参考文献】(下記より引用)
『スピリチュアル用語辞典』【クーパー夫人、ブランチ】, 著:春川栖仙, 2009年


ブランチ・クーパー夫人は, 直話(じきわ)霊媒で, 降霊会 時に出席者と話すときは, ふつうの声なのに, 霊の声になると, 体全体から声が放射されるように聞こえ, 話す感じではなくなるのだった。
そして, あまり長くは話さず, 2分程度しゃべると, 15分は黙ってしまうのだった。
ロンドン大学の数学者 サミュエル・ソール博士(Dr. Samuel Soal) が, クーパー夫人と組んで心霊による交信の調査を, 1921〜22年にかけて行なっていた, ある降霊会のとき, ソール博士は, 幼友達のゴードン・デイビス(Gordon Davis)の声を聞く。(ゴードン・デイビス事件)
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『心霊の世界』【第8章/ ふるい分けられた証拠】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年

■事件詳細(サイト内)
=>怪奇事件集(霊媒が生者を降霊した「ゴードン・デイビス事件」)


参考外部=>psychictruth.info(Medium Blanche Cooper, England. UK.)
参考外部=>survivalafterdeath.info(Blanche Cooper)
参考外部=>psi-encyclopedia.spr.ac.uk(Mediumship and Multiple Personality)
●ブルワー・リットン
エドワード・ブルワー・リットンを参照。
●ヘクター・クインタニラ
( Hector Quintanilla )
(1923〜1998);
memory
ヘクター・クインタニラ1963年より, プロジェクト・ブルーブック の責任者となる。
この間, クインタニラは自説に都合のいい解答を引き出そうとして, 目撃者に質問し, あらゆるUFO問題を片づけようとしたため, ひどく非難された。

【参考文献】
『宇宙よりの来訪者』,1977年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年

・Wikipedia(英語版;Hector Quintanilla)


参考外部⇒ abovetopsecret(The UFO Debunkery of Major Hector Quintanilla.)
●ヘレナ・P・ブラバァツキー
( Helena Petrovna Blavatsky )
(1831〜1891);
memory
ヘレナ・P・ブラバァツキー近代 神智学 を創唱した人物で, 神智学協会 の設立者のひとりである。
彼女の生涯は多くの謎があり, 特に
1874年に, アメリカで活動を始めるまでの前半生は, まったくヴェールにつつまれ, 多くの神話に彩られている。
ブラバァツキー自身が残したメモや日記, 周囲の人びとに語ったことがら, 親族など近しい人びとの証言などが再構成され, 一般にも流布しているが, 相互に矛盾が多く, 一見荒唐無稽とも思われる事件の連続であり, 真偽については議論を呼んできた。
【参考サイト】
Wikipedia(ヘレナ・P・ブラヴァツキー)


・Wikipedia(英語版;Helena Blavatsky)


参考外部⇒exciteブログ (古代知恵と「賢者の石」の秘儀!)
●ヘレワード・キャリントン
( Hereward Carrington )
(1880〜1958);
memory
ヘレワード・キャリントン イギリス生まれ。アメリカの心霊現象研究家(investigator of psychic phenomena), 作家。
彼は超常現象(paranormal)と心霊的研究(psychical research), 手品と舞台の魔法, 代替医療に関する100冊以上の本を書いた。
【参考サイト】
en.wikipedia.org(Hereward Carrington)


ナンドー・フォドー は, 1921年にニューヨークのハンガリー語新聞 『在米ハンガリー人民の声』 のレポーターとして, ニューヨークに赴任して間もなく, 当時もっとも幅広く活躍していた心霊研究家のヘレワード・キャリントンの著書 『Modern Psychic Phenomena』 を買い求めて読んだ。これを契機にフォドーの興味は スピリチュアリズム へ向けて急旋回しはじめる。
フォドーは新聞記者として, キャリントンにインタビューを求めた。するとキャリントンは, かの名探偵シャーロック・ホームズの生みの親である コナン・ドイル に引き合わせてくれた。 当時ドイルは, すでにスピリチュアリズムの普及に八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をしていた。 フォドーは, ドイルとのインタビューも出来たが, 縁としてはキャリントンとの縁の方が強く, その後, 顔を見合わせることはなかったが, 折にふれて文通を交わし, 仕事の上で協力し合った。
フォドーが, このキャリントンの心霊研究家兼ジャーナリストとしての生き方を見倣ったことは明らかである。
【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の次元』【解説 近藤千雄 】, 著:ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 編・監修:南山宏, 解説:近藤千雄, 1985年


参考外部=>goodreads.com(Hereward Carrington)
参考外部=>commons.wikimedia.org(Category:Hereward Carrington)
参考外部=>joshuablubuhs.com(Hereward Carrington as a Fortean)
●ヘレン・ダンカン
( Victoria Helen McCrae Duncan )
(1897〜1956);
memory
ヘレン・ダンカンヴィクトリア・ヘレン・ダンカンは、スコットランドの 物理的霊媒 である。
彼女は幼い頃から霊能力があったとされる。 ダンディー(Dundee)に住んでいたヘンリー・ダンカン(Henry Duncan)と20歳で結婚した。
1930年代から1940年代にかけて 霊媒 として人気になり, スピリチュアリスト の間で支持を得ていた。彼女は 降霊会エクトプラズム を生み出すことができ, 霊姿化された人物が現われたり, 彼女から何フィートも離れた物体が動かされたりした。
1931年にダンカンは, ロンドン・スピリチュアル・アライアンス(London Spiritual Alliance)の研究部門であるロンドン心霊研究所(London Psychic Laboratory)による検査を受けることを許可した。
この降霊実験会で, ダンカンは, 特殊な袋のスーツを着せられ, 厳しい監視の元に行なわれたが, 見事な心霊能力を発揮した。結果は、
1931年5月16日発行の 『ライト(Light)』 誌に掲載された。しかし, 結論は出せずに, 彼女の好意的な印象のみを伝えた。
イギリス国立心霊研究所(National Laboratory of Psychical Research)もダンカンを調べたが,
1931年7月14日の 『モーニング・ポスト』 には, ダンカンのトリックが暴露されたことを主張する記事が掲載された。心霊現象研究家の ハリー・プライス(Harry Price) は, 彼女を 「スピリチュアリズム の歴史の中で最も巧妙なペテンの1つ」 と呼んだ。
7月17日, 『ライト(Ligit)』 誌は, 夫からの告白を掲載し, ダンカンの詐欺行為を追跡した。しかし, その後の誌は, ダンカンが本物であると認めた多くの人からの証言が掲載された。有名な魔術師である ウィル・ゴールドストン(Will Goldston) は, 彼が知っているどんなトリックでも説明できない現象を目撃したと述べた。
【参考サイト】
encyclopedia2.thefreedictionary.com(Duncan, Helen Victoria)


ヘレン・ヴィクトリア・ダンカンは, 英国・ダンディーの 物質化霊媒 であったが, 彼女の起こす現象には, 多くの問題点が指摘されている。
『ライト(Light)』 誌は, 彼女の霊能現象を詐術であると断定(1931年)しているが, 彼女の夫がそれを告白していたという。1932年にもエディンバラで詐術が暴露されている。
彼女の霊能現象が真正なものであると支持している人達の見方でも, 真正な現象が生起されない場合に, 詐術でごまかしてしまうという彼女の性癖までを否定していない。しかし, 1990年代以降, 大英スピリチュアリスト協会を中心に, 名誉回復の運動が展開されている。
【参考文献】(以下より引用)
『スピリチュアル用語辞典』【ダンカン、ヘレン・ヴィクトリア】, 著:春川栖仙, 2009年


1944年の初め, ヘレン・ダンカンは, イギリスのポーツマスで一連の降霊会を行なった。そのある会に, 一人の若い海軍将校が出席, 死んだおばと姉のメッセージを受けた。ところが, 実際は彼には, おばはいず, 姉は生きてさえいたのである。
そのために, その海軍将校は, 私服警官を連れて会場に臨み, 霊姿化(霊の物質化)現象が起こっている最中に, 彼らはフラッシュ・ライトをつけ, 白いベールをかぶった 霊媒 を捕らえることとなった。この捕物騒動の混乱に乗じて, 重要証拠である白いベールが何者かによってひったくられ, 隠されたのだったが, それでも彼女は逮捕から免れなかった。
心霊術基金の援助を受けていたにもかかわらず, ダンカン夫人は詐欺師として有罪となり,
9か月の禁固刑を宣告された。しかし, 彼女の経歴は, これで断たれたわけではない。釈放後も彼女は活動を続けた。だが, 彼女の霊姿降霊会は, また捜索を受ける。
そして病に倒れ, エジンバラの病院に入院し, 捜索を受けた日から
5週間後に, 59歳の生涯を閉じたのだった。診断書によれば, 死因は糖尿病と心臓疾患のためとなっている。 彼女は, 100キログラムを越す体重があり, 心臓に悪いと言われていたが, 警察の捜索によるショックが, 死を早めたのかもしれない。
心霊術者(スピリチュアリスト)たちは, 恍惚(トランス)状態に陥った霊媒が, 急に エクトプラズム を体内に引っ込めねばならなかったために死んだのだと主張, そして抗議した。
【参考文献】(下記から引用)
『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年

・Wikipedia(ヘレン・ダンカン)
・En.Wikipedia(Helen Duncan)


(★実験のため特殊スーツを着て物質化現象に挑むヘレン・ダンカン。手と足は椅子に縛られている。口周辺からエクトプラズムが放出されている)
■サイト:「ja.wikipedia.org(ヘレン・ダンカン)」から

参考外部=>npn.co.jp(トリックか、本物の霊媒師だったのか!? 霊を呼び出し予言した女性「ヘレン・ダンカン」)
参考外部=>vice.com(有罪判決を受けた魔女)
参考外部=>dictionary.sensagent.com(ヘレン・ダンカン)
参考外部=>yfujitamystery.blog.fc2.com(最後の魔女ヘレン・ダンカン)
参考外部=>encyclopedia.com(Duncan, Helen Victoria (1898-1956))
参考外部=>paranormalfact.fandom.com(Helen Duncan)
参考外部=>historic-uk.com(Helen Duncan, Scotland’s Last Witch)
参考外部=>historyextra.com(Conjuring up the dead: Helen Duncan and her ectoplasm spirits)
●ヘンリー・グリス
( Henry Gris )
(?〜1996; 92歳);
memory
ヘンリー・グリス米国のジャーナリスト。
ラトビア生まれ。ラトビアの新聞 『Sivodnya』 で, 唯一の外国特派員を務め,
1932年にロサンゼルスを訪れて, オリンピックを取り上げた。
後に, コロンビア大学を卒業後, 第二次世界大戦の勃発時に, ロンドンで 「ユナイテッド・プレス・インターナショナル(United Press Intl)」 に入社。
戦争後には, 国連のサンフランシスコでの開設を補助し, その後ロサンゼルスに定住。そこで彼は, 海外の雑誌や新聞のためにハリウッドを世界的にカバーするUPIの 「ハリウッド外国部」 を設立した。
1969年にUPIを退職した後, 彼は 「Transworld Feature Syndicate」, 「National Enquirer」, オランダの 「Prive Magazine」 で働いた。
【参考サイト】
variety.com(Henry Gris)


彼は, 元UPI通信記者で, ソ連圏のUFO事情に最も詳しい人物として知られている。
1979年11月, 知人のソ連人科学者から, ソ連圏内でのUFO着陸事件が頻発しているという情報をつかみ, モスクワに飛んだ。
そして2ケ月をかけ,
1930年代から79年12月までに, 鉄のカーテンの向こう側で目撃された, UFO事件をまとめあげた貴重な資料を得ることができた。
この資料ファイルをまとめあげたのは, モスクワ航空研究所の フェリックス・ジーゲル 博士とその協力者たちであった。
【参考文献】
『ムー別 世界UFO大百科』【宇宙人集団, モスクワに着陸す, 文:片岡道代】, 1985年


参考外部=>Open Minds(Russian Cosmonauts’ UFO sightings and statements)
●ヘンリー・シジウィック
( Henry Sidgwick )
(1838〜1900);
memory
ヘンリー・シジウィックヘンリー・シジウィックは, 英国の哲学者および経済学者。
彼は,
1883年から死ぬまでケンブリッジ大学の道徳哲学のナイトブリッジ教授(Knightbridge Professor;哲学の上級教授)であった。
また彼は, SPR(Society for Psychical Research;心霊現象研究協会) の創設者で初代会長であった。

【参考サイト】
En.Wikipedia(Henry Sidgwick)


ケンブルッジ大学道徳哲学科教授で, SPR の初代会長となり, 18年間, 心霊研究のために貢献した。
彼は, フランク・ハーン(Frank Herne), ヘンリー・スレイド(Henry Slade), エウサピア・パラディーノ(Eusapia Palladino), レオノーラ・パイパー夫人 など, 多くの著名な 霊媒 達を対象とした実験に指導的役割を果たした。
【参考文献】(以下を引用)
『スピリチュアル用語辞典』【シジウィック教授、ヘンリー 】, 著:春川栖仙,, 2009年


・Wikipedia(ヘンリー・シジウィック)


参考外部=>keisoshobo.co.jp(シジウィックと現代功利主義)
参考外部=>plato.stanford.edu(Henry Sidgwick)
参考外部=>britannica.com(Henry Sidgwick)
参考外部=>cruel.org(Henry Sidgwick, 1838-1900)
参考外部=>oxforddnb.com(Sidgwick, Henry)
●ヘンリー・スレイド
( Henry Slade )
(1835〜1905);
memory
ヘンリー・スレイドヘンリー・スレイドは, アメリカ人の霊媒者。彼は, 北米とヨーロッパの両方で霊媒として活動した。
【参考サイト】
Es.Wikipedia(Henry Slade (médium))


黒板(石板)に心霊筆記することで有名なアメリカ人の 霊媒, ヘンリー・スレイド博士がイギリスを訪れたのは, フランシス・ウォード・モンク(Francis Ward Monck) の事件があった年(1876年)のことである。
ところが, そこには, スレイドのごまかしを見破ってやろうとばかりに, レイ・ランカスター(Ray Lankester)教授が, 他の研究者たちを伴って待ち構えていたのである。そして彼らは, スレイドの 降霊会 を訪ね, そのテクニックを観察することになった。
三度目に訪ねたときであった。心霊筆記がまだ始まらないうちに, 突然, ランカスターは小さな黒板をつかみ取ってしまったのである。見ると, その黒板にはすでにメッセージが書きつづられてあった。
1876年9月16日付の 『タイムズ』 で, この事実をすっぱ抜いたランカスターは, スレイドを虚偽の手段で金もうけをする, かたり屋だとして告訴した。10月1日にその審理が行なわれ, この件もまたモンクの事件のときのように, アルフレッド・ラッセル・ウォーレス(Alfred Russel Wallace)博士 が, 弁護側の証人として立った。
しかし, この優れた弁護人の助けを借りても, 罪から逃れることはできなかった。スレイドは, 有罪となり, 3か月の懲役を科せられることになったのだが, 控訴の過程でこの判決は手続上の理由から破棄されることになり, ランカスターが再喚問を取りつける前に, スレイドはそそくさとイギリスを離れ, ヨーロッパ大陸に渡ってしまった。
2年後, スレイドは再びロンドンに現われた。だが, そのときの彼の名はウイルソン博士と名前を変えていた。そして, 降霊会を開いていたのである。
【参考文献】(以下より抜粋)
『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


(★スレイドが心霊筆記に用いた黒板タブレット)
■サイト:「psychictruth.info」から

参考外部=>es.wikipedia.org(Henry Slade (médium))
参考外部=>psychictruth.info(Henry Slade Medium)
参考外部=>geniimagazine.com(Henry Slade)
参考外部=>psi-encyclopedia.spr.ac.uk(Henry Slade)
●ペトル・ホボット
( Petr Chobot )
(1967〜);

ペトル・ホボット1967年7月に, 旧チェコスロバキアに生まれる。
幼少のころから, オーラやエネルギーフィールドの知覚や体外離脱が可能で, 多次元の生命体とコミュニケーションを図ることができた。
その特殊能力を見込まれて,
1984年に, ロシアのサンクトペテルブルク大学に推薦入学。同時期にチェコの大学でも学びながら, 旧ソ連の諜報機関であったKGBの研究機関下で, 高次神経活動と脳生命科学研究に参加。
多くの物理学者たちと親交を持つこととなる。
1990年代の初めごろからの活動拠点となったのは, ウラル山脈に近いゴルキイという, 一般人は出入りできない町で, 超感覚的知覚・テレパシー・遠隔催眠・テレキネシス(念動)などの研究を秘密裏に行った。
1990年代の半ばごろに, アマゾン川流域やアンデス山中に住む, 先住民のもとを訪れる。その後, 16年間にわたってシャーマニズムの高度なテクノロジーを伝授され, それは現在も続いている。
【参考文献】
『 [UFO宇宙人アセンション] 真実への完全ガイド』, 著者:浅川嘉富 / ペトル・ホボット


参考外部=>浅川嘉富の世界へようこそ(待たれるペトル・ホボット氏の来日)
参考外部=>ミンタカ急報(ペトル・ホボット(PETR CHOBOT)氏の母国語HPらしきものを発見)
参考外部=>YouTube(Petr Chobot - Aguaje 2)

【主な著書】
『 [UFO宇宙人アセンション] 真実への完全ガイド』
, 2018年
●ペマ・ギャルポ
( Pema Gyalpo )
(1953〜);

ペマ・ギャルポチベット・カム地方の, ニャロンに生まれる。
1959年, 中国軍の侵略によりインドに脱出。
1965年に, 日本に移住する。
1976年, 亜細亜大学法学部卒業。
1980年, ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表に。
2005年に帰化。現在, 拓殖大学客員教授, チベット文化研究所所長, アジア自由民主連帯協議会会長。
【参考文献】
『侵略に気づいていない日本人』, 2018年

・Wikipedia(ペマ・ギャルポ)


参考外部=>講演依頼.com(ペマギャルポ)
参考外部=>YouTube(ペマ・ギャルポ氏講演『中国に祖国を奪われたチベット人が語る 侵略に気づいていない日本人』)
参考外部=>アジア自由民主連帯協議会(ペマ・ギャルポ)

【主な著書】
『侵略に気づいていない日本人』,2018年
●ペーシェンス・ワース(スピリット・ガイド)
( Patience Worth )
霊媒ジョン・カラン夫人(パール・レノア・ポラード(Mrs. John Curran ; Pearl Lenore Pollard))降霊 時に現われる スピリット・ガイド(spirit-guide;支配霊)
スピリット・ガイド(支配霊)は, その霊媒が降霊(交霊)をする際に, まずその霊媒にのり移りる。そして, 実際に交霊したい霊を仲介してくれる。

彼女(ペーシェンス・ワース) は, 17世紀ごろ 英国のドーセットシャーで生活したことがあり, のちに米国において原住民に殺されたという。
このように彼女は現世生活をしたという供述を行なっており, そのいくつかについては, 裏付けをとることに成功している。
【参考文献】
『スピリチュアル用語辞典』【ペイシェンス・ワース】, 著:春川栖仙, 2009年


参考外部=>En.Wikipedia(Patience Worth)
●ベアテ・シロタ・ゴードン
( Beate Sirota Gordon )
(1923〜2012);
memory
ベアテ・シロタ・ゴードン5歳から15歳を日本で過ごし, 語学力を見込まれ, 終戦後22歳の時, 連合国軍総司令部(GHQ)職員として日本国憲法の草案作成に参加。
条文に, 「男女平等」 を盛り込むのに尽力した。
草案を執筆した事実が,
1990年代になって知られ, 著名となった。
【参考文献】
・『讀賣新聞』2015年5月26日, 「時代の証言者」 から

・Wikipedia(ベアテ・シロタ・ゴードン)
・Wikipedia(英語版;Beate Sirota Gordon)


参考外部サイト⇒ロシアNOW 

【主な著書】
『1945年のクリスマス』, 著:
ベアテ・シロタ・ゴードン, 構成・文:平岡麿紀子, 2016年
●ベアトリス・フーディーニ【ベス・フーディーニ】
( Wilhelmina Beatrice "Bess" Houdini )
(1876〜1943);
memory
ベアトリス・フーディーニウィルヘルミナ・ベアトリス "ベス" フーディーニは, アメリカ人の舞台助手(Stage Assistant)で, マジシャンの ハリー・フーディーニ(Harry Houdini) の妻。
【参考サイト】
En.Wikipedia(Bess Houdini)


非凡な魔術師(マジシャン, イリージョニスト)で, サイキック・ハンターとしても知られるハリー・フーディーニは, 1926年に死ぬ際に, 妻のベアトリス・フーディーニに暗号を示し, もし誰かが私からのメッセージを受けたなどと言った 霊媒 がいたら, それが本当に私自信のものかどうかを, この暗号で確かめよ, と遺言した。
ベアトリス(当時51,2歳)は, フーディーニが亡くなった
2年後(1928年)に, 霊媒の アーサー・フォード(Arthur Ford;当時31,2歳) を通じて, 亡夫(フーディーニ)からのメッセージを受け取ったということを宣誓供述書として新聞に公表した。
「反対意見もありましょう。でも, アーサー・フォードが受けたメッセージは, その全体からいっても順序から考えても, 生前, フーディーニと私との間で決めたメッセージとそっくりであったことを, 私は申し上げます。」
証人は, 夫人の生涯の友であったミニー・チェスター夫人と 『ユナイテッド・プレス』 のH・R・ジアンダー, 『サイエンティフィック・アメリカン』 誌の副編集長のJ・W・スタフォードとなっていた。
ところが, これに対して返ってきたのは, 彼女をかたり屋(うそつき)呼ばわりするフーディーニの昔の仲間の非難と嘲笑だった。
反響は, いたく彼女の気持ちを動転させてしまった。それで彼女は, 新聞のコラムニストであり, ラジオのレポーターでもあるウォルター・ウィンチェル(Walter Winchell)に, 長い手紙を書き送った。そして, ウィンチェルは, この手紙を公表してしまったのである。
「この手紙は決して宣伝を意図したものでありません。・・・〜省略〜・・・ 私は
2年間というもの, 夫からのメッセージを待ち続けてまいりました。その間, 毎日のように世界のあちこちから, そのメッセージを受けたという人からの便りをいただいておりました。そして今日, 私は待ちこがれていた最愛の人からのメッセージを受けることができたのです。心霊術 の助けなくして, どうしてこんなことができたでしょう。」,
その後
年月を経て, 供述書の真相とウィンチェルへの手紙の真実性が, 疑問視されることになった。イギリスのBBC放送が, 1969年にフーディーニの生涯をテレビ化したとき, 放映では彼の心霊術に対する興味については触れながらも, 未亡人がした宣誓証言には, いっさいふれなかったからである。
『ガーディアン』 紙のある記者が, この点の省略について番組のプロデューサーに問い正したところ, プロデューサーは, こう答えたのである。
「私たちはアメリカで起こったことを調査するために,
何か月もの時間をかけました。ところが, フーディーニ夫人の姪のマリー(Marie Hinson Blood)さんが, こう我々に言ったのです。フーディーニ未亡人の告白による, あの供述書は完全な作りごとで, 未亡人が署名しているのは, 当時, 彼女の異性の友人として親しかったアーサー・フォードに口説かれてやったもので, 彼の売名に利用されたのだ」 と。
この話が出たときには, ベアトリス・フーディーニはすでに他界しており, ことの真相を明らかにすることはできなかった。
彼女がもし宣誓供述に嘘をついていたとするならば, 彼女の夫(フーディーニ)が生前, 聖戦的とさえいえる意気ごみで心霊術者のいんちき狩りをやった, その犠牲者にもまして, 彼女は罪深いことをしたということになる。
【参考文献】
『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


参考外部=>超常現象の謎解きnazotoki.com(霊界からのメッセージ「フーディーニの暗号」)
参考外部=>ja.nomuwiki.com(ベス・フーディーニ)
参考外部=>Wikipedia(ハリー・フーディーニ)
参考外部=>wildabouthoudini.com(Beatrice Houdini)
参考外部=>americaslibrary.gov(Harry Houdini Gets Married)
参考外部=>alamy.com(harry and beatrice houdini)
●ベンジャミン・クレーム
( Benjamin Creme )
(1922〜2016);
memory
ベンジャミン・クレームイギリス生まれの画家、著作家。
7か国語に翻訳され, 世界中に読者を持つ国際月刊誌, 『シェア・インターナショナル』 の編集長でもある。
現代世界の様々な問題(政治, 経済, 社会, 環境, 霊的, 精神的危機)を, 卓越した洞察力で総括し, 世界の未来図を提供している。

・Wikipedia(英語版;Benjamin Creme)

関連参考=>YOUTube(ベンジャミン・クレーム東京講演会)
 
●ホイットリー・ストリーバー
( Whitley Strieber)
(1945〜);

ホイットリー・ストリーバーアメリカ・テキサス州サン・アントニオ出身の怪奇・SF作家。 UFO研究家でもある。映画 「ハンガー」 や 「ウルフェン」 の原作者としても知られる。
彼は,
1985年12月26日の夜, 小人宇宙人に誘拐されてUFOの内部で身体検査をされたという。その体験をまとめた本は, ベストセラーとなった。
この夜, 彼がニューヨーク州北部の別荘で寝ていたところ, 3人の宇宙人が侵入してきた。
彼らは身長が1メートルたらずで, 胎児のような顔つきをしていた。その宇宙人たちは, 彼を近くの森の中へ連れていき, 上空に浮かんでいるUFOに引きずり込んだ。
そして, 彼は手術室のような灰色の部屋のテーブルの上に寝かせられ, 皮膚のサンプル採取, 頭部手術など徹底的な身体検査をされたという。
この体験後, 彼は精神に異常をきたしたのかと思い, 専門家に相談したが, おかしいところはまったくなかった。
彼は, UFO誘拐の研究家として有名な バド・ホプキンス にアドバイスを受けて, 自分の恐怖体験を本にして公表した。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』, 著者:中村省三, 1989年

・Wikipedia(ホイットリー・ストリーバー)
・Wikipedia(英語版;Whitley Strieber)


参考外部⇒PARANOIA(Whitley Strieber: Proceed With Caution)
●ホイト・ヴァンデンバーグ
( Hoyt Sanford Vandenberg )
(1899〜1954);
memory
ホイト・ヴァンデンバーグアメリカ陸軍, 及びアメリカ空軍の軍人, かつCIA長官。
第2代アメリカ空軍参謀総長。カルフォルニア州セントラル・コーストのヴァンデンバーグ空軍基地は, ヴァンデンバーグ将軍にちなんで命名された。

【参考サイト】
・Wikipedia(ホイト・ヴァンデンバーグ)

アメリカ空軍参謀長であった1948年当時, 彼は プロジェクト・サイン から, ある秘密情報を受け取ったといわれる。
それは, UFOが大気圏外から来る宇宙船だと結論づけていることだった。 しかし, ヴァンデンバーグは, 証拠がないことだということで受け入れなかった。
うわさによれば, その情報は破棄されたらしい。
【参考文献】
『宇宙よりの来訪者』, 1977年

=> ・Wikipedia(英語版;Hoyt Vandenberg)


参考外部=> getty images
●鮑黎明(ほうれいめい)
(1954〜2010);
memory
鮑黎明星相学家。
台湾国立師範大学在学中に多くの星相学家と交流し, 実占研究に没頭した。
専門は紫微斗数, 子平推命, 卜筮, 観相, 姓名易断, 玄空学と幅広い。
中華星相学会を主宰した。

【参考文献】
『推背図大予言』, 1984年


参考外部⇒gooWikipedia記事検索(鮑黎明)
参考外部⇒(故・鮑黎明先生・故・志水一夫氏対談)
参考外部⇒(故・鮑黎明先生・インタビュー)
参考外部⇒大久保占い研究室(鮑黎明先生の四柱推命)

【主な著書】
『紫微斗数推命術』,1980年
『推背図大予言』,1984年
●保阪正康(ほさかまさやす)
(1939〜);

保阪正康ノンフィクション作家, 評論家。
「昭和史を語り継ぐ会」 を主宰している。
日本近現代史(とくに昭和史)の事象, 事件, 人物に題材を求め, 延べ4,000人余の聞き書きを行い, ノンフィクション, 評論, 評伝などを発表している。

【参考文献】
『日本史再検証GHQとは何か』, 2016年

・Wikipedia(保阪正康)


主宰サイト⇒昭和史を語り継ぐ会
参考外部⇒BOOKasahi.com
参考外部⇒TV-RANKING

【主な著書】
『日本史再検証GHQとは何か』, 監修:
保阪正康
『昭和の怪物 七つの謎』,2018年
●星野之宣(ほしのゆきのぶ)
(1954〜);

星野之宣1975年, 『鋼鉄のクイーン』 でSF漫画家としてデビュー。
代表作に 『ブルーシティー』 『巨人たちの伝説』 『妖女伝説』 『2001夜物語』 『宗像教授伝奇考』 などがある。


・Wikipedia(星野之宣)

参考外部=>読む本.com(【おすすめ】星野之宣の全作品を一覧であらすじを紹介します)
参考外部=>シミルボン(日本漫画界の至宝 星野之宣最新作 「海帝」は大傑作である。)
参考外部=>Wikipedia(宗像教授シリーズ)

【主な著書】
『妖女伝説』, 1981年
『2001夜物語』, 1985年
●ホセ・アリゴー【ジョゼ・アリゴ】
Zé Arigó ; 本名:José Pedro de Freitas )
(1921〜1971);
memory
ホセ・アリゴー
ブラジルの心霊手術師, および心霊治療者と呼ばれた人物。
手術するときはトランス状態に入り, ドイツ語で話をした。

1918年
に死んだドイツ人医師フリッツの霊が, アリゴーを通じて 心霊手術 をしていたと云われている。

・Wikipedia(ホセ・アリゴー)

・Wikipedia(英語版;Ze Arigo)

ブラジルに加えてもう一つの心霊術のメッカ, フィリピンからの最近のレポートによると, 医学的無経験者が, ありあわせの器具を使ったり, あるいは素手で手術を行なっているという。
これは奇跡というほかはない。こうした手術で最も有名なのは, ブラジルの通称 「さびたメスの外科医」
ジョゼ・アリゴだろう。彼は, 1971年に亡くなるまで, 台所用包丁やはさみで, 消毒もしないまま, 数千人も手術したという。
そのほとんどは全治, あるいは軽くなった。こうした肝を冷やすような手術を考えると, 単に幸運だけとは思われなくなってくる。
アリゴは, 死んだドイツ人外科医 「フリッツ博士」 の スピリット・ガイド に導かれていたと言われている。アリゴの知識の泉がそれにあったとしても, 彼自身の手腕には驚かざるを得ない。
アリゴを研究する医師団が, 1000人の患者を回してやり, 彼に病気の診断ができるかどうかを確かめた。ところがアリゴは, 患者に触れるでもなく,
平均1分ほどで診断を下していった。彼はそれぞれの患者に特有な診断を下し, 適切な治療を指示した。
霊のフリッツ博士からの情報を, 彼は自動筆記によって書き残している。医師たちは, このフリッツ博士の診断から550例を確認している。残りの450例は, 確認できなかっただけで, 誤診, および誤った治療の例は一つもなかった。
【参考文献】(下記より引用)
『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年


参考外部=>ラウンジピュアww5.tiki.ne.jp(No.93 包丁で治療を行う心霊手術師・ホセ・アリゴ)
参考外部=>日本スピリチュアル・ヒーラーグループ【心霊手術(スピリチュアル・サージャリー)】
参考外部=>ミステリー怪人物ファイルblog.livedoor.jp(ホセ・アリゴー(Jose Arigo))
参考外部=>occultic.net(アリゴー)
参考外部=>ameblo.jp(心霊治療ージョゼ・アリゴ)
参考外部=>YouTube(Programa Linha Direta:Zé Arigó)
●堀江貴文(ほりえたかふみ)
(1972〜);

堀江貴文実業家。SNS media&consulting 株式会社ファウンダー。
現在は, 宇宙ロケット開発やスマホアプリのプロデュースを手がけるなど, 幅広く活動を展開中。
2014年にスタートしたコミュニケーションサロン, 「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」 からは, 常時新たなプロジェクトが生まれている。
2015年には, 予防医療を普及する活動を開始し, 2016年3月に 「予防医療普及協会」 の発起人となる。
著書多数。

【参考文献】
『糖尿病が怖いので, 最新情報を取材してみた』, 2021年


・Wikipedia(堀江貴文)


参考外部=>Wikipedia(ホリエモン新党)
参考外部=>twitter.com(堀江貴文(Takafumi Horie))

【主な著書】
『糖尿病が怖いので, 最新情報を取材してみた』
 
●堀源一郎(ほりげんいちろう)
(1930〜);

堀源一郎天文学者。
1953年, 東京大学理学部物理学科(天文学)を卒業。
1958年, 理学博士, 1961年東京大学助教授を務める。
数次にわたってアメリカ・エール大学, テキサス大学に客員教授教授として招かれる。
専攻は天体力学。

【参考文献】
『宇宙と星99の謎』, 著:堀源一郎

・Wikipedia(堀源一郎)


参考外部⇒ ACC(No.44  堀 源一郎(ほり げんいちろう))

【主な著書】
『宇宙と星99の謎』, 1975年
●堀越豊裕(ほりこしとよひろ)
(1969〜);

堀越豊裕早稲田大学商学部卒業後, 共同通信社入社。
神戸支局や琉球新報社出向, 大阪社会部, ニューヨーク支局, ワシントン支局などを経て,
2017年から本社外信部次長。
ニューヨーク支局勤務時の
2014年から, 日航ジャンボ機墜落事故の取材を始める。
【参考文献】
『日航機123便墜落 最後の証言』, 2018年


参考外部=>平凡社(堀越豊裕)
参考外部=>book. asahi. com(好書好日)

【主な著書】
『日航機123便墜落 最後の証言』
●本城達也(ほんじょうたつや)
(1979〜);


ウェブサイト 「超常現象の謎解き」 の運営者。
2005年より, 超常現象の各ジャンルの個別事例を取り上げ, その謎解きを行っていくサイトを運営。
2007年
からは ASIOS の発起人として, その代表を務める。
【参考文献】
『「新」怪奇現象41の真相』, ASIOS, 2016年

・Wikipedia(本城達也)


運営サイト=>超常現象の謎解き
参考外部=>Twitter(本城達也)
参考外部=>Ascll.jp×デジタル(疑う。でもロマンは捨てない - 「超常現象の謎解き」管理人が語る、真実への情熱)
●誉田光一(ほんだこういち)
(1943〜);


千葉大学卒業後, 1966年カナダに移住。
カナダのブリティシュ・コロンビア大学で, 理学博士と図書館情報学修士号を取得後,
1973年より, 国立農業図書館に勤務。
2010年4月, ドロレス・キャノン の研修指導を受け, QHHT プラクティショナーの資格取得。
【参考文献】
『人類の保護者』, 2016年


参考外部⇒誉田光一のブログ
参考外部⇒誉田光一のプロフィール|Ameba (アメーバ)

【主な著者】
『人類の保護者』, 著:ドロレス・キャノン, 訳:
誉田光一
●ポール・ノーマン
( Paul・B・Norman )
(1916〜2012);
memory
ポール・ノーマンアメリカ出身のオーストラリアのベテランUFO研究家。
1953年, アメリカ・テネシー州の水力発電所の監督官をしていたとき, 発電所の上空にUFOを目撃したことから, UFO研究を始める。
1968年, ドナルド・キーホー が会長を務める NICAP に加入した。
1963年
にオーストラリアに移住し, ビクトリア州のUFO研究会VUFORSに加入し, 目撃調査官として活躍した。
MUFON のビクトリア州支局長なども務め, オーストラリアで起きた, 多数のUFO事件に関わった。
1978年10月に起きた バレンティッチ事件 についても徹底的な研究を行った。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.85)』(バレンティッチ事件を追う男ポール・ノーマンに聞く・オーストラリア最新UFO事情), 1982年


参考外部⇒ theozfiles (Paul Norman (1916- 2012) veteran UFO researcher left a significant legacy)


(★2002年のオーストラリア国立UFOカンファレンスでのポール・ノーマン)

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