![]() |
●「ケープジラード墜落円盤目撃事件(アメリカ)」など、1941年〜1950年のUFO事件を集めたページです。
トップページ > UFO事件集 > UFO事件集3(1941年〜1950年)
年別索引 | ||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
●ロサンゼルス砲撃事件(Battle Of Los Angeles)(アメリカ) |
1942年2月25日, ロサンゼルスの西方約190キロ地点の編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体に, 米軍が高射砲攻撃を行った事件。 太平洋戦争が開戦して間もないころの1942年2月25日午前2時15分, ロサンゼルスの西方約190キロの地点に, 編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体をレーダーがとらえた。 米軍は, これを日本軍の航空機の襲撃とみて, 午前3時16分, 第37沿岸砲兵旅団による高射砲攻撃を開始した。 サーチライトで機体をとらえ, 1,430発もの高射砲を浴びせた。 だが, 高射砲をあびせた飛行物体は, 一機も撃墜されることなく, 上空約30kmをゆっくりと飛び去っていった。 この攻撃で, ロサンゼルスの空は, まるで爆発した火山のように真っ赤になった。 驚いた市民が, 交通事故や心臓麻痺などにより, 5人が犠牲になった。 【参考文献】 ●『NASAも隠しきれない異星文明の巨大証拠群』【ロサンゼルス上空のUFO】, 2003年 ●『宇宙人はなぜ地球に来たのか』, 2013年 ●『あなたの知らない都市伝説の真実』【アメリカで起こった「宇宙戦争」】, 2014年 ●『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』, 2015年 Tweet ![]() ![]() (★下は, 『ロサンゼルス・タイムズ』 に載ったもの。かなりレタッチされていたという) 『あなたの知らない都市伝説の真実』から 【参考外部】 ●Wikipedia(ロサンゼルスの戦い) ●UFO事件簿(ロサンゼルス空襲事件) ●超魔界帝国の逆襲(〜未確認飛行物体の黎明期〜) 【関連サイト検索キー: Battle Of Los Angeles, 1942, UFO 】 ●YouTube(World Invasion Battle Los Angeles - 1942 Invasion) ●En.Wikipedia(Battle of Los Angeles) ●history.com(World War II's Bizarre 'Battle of Los Angeles') ●latimes.com(From the Archives: The 1942 Battle of L.A.) ●losangeleno.com(That Time ‘UFOs’ Took Over Los Angeles) ●ufocasebook.com(The Battle of Los Angeles, Part 1) ●Think AboutIt- REAL (1942: Battle Of Los Angeles) |
●ローマン・ソビンスキー(パイロット)UFO遭遇事件(オランダ上空) |
1942年3月25日, ドイツ爆撃を終え, 帰還中のローマン・ソビンスキーの英空軍爆撃機は, オランダ上空でUFOに遭遇した。 この日, ドイツ・エッセン(Essen)の爆撃を終えて帰還中のローマン・ソビンスキー(Roman Sobinski)が指揮する英空軍爆撃機は, 危機を脱したと思った。ドイツ戦闘機と遭遇することもなく, 飛行は無事に終わりそうに思われたからである。 機の下には, 北部オランダ唯一の大きな湖である, アイセル湖(IJsselmeer)の波打つ水面が見えた。 突然, 機の後部にいる狙撃兵が, うしろに正体不明の丸い物体がいることを叫んだ。ソビンスキーは, 危険もかえりみず無線にむかって, それを撃ち落とすよう叫んだ。それは, ドイツの秘密兵器かもしれない。 機関銃が火を噴き, 何十発もの弾丸がその未確認物体に当たった。だが, 何も起こらず, その物体は依然として機のうしろにいた。爆撃機の搭乗員たちは, 恐怖につつまれた。どうしたらいいのか, 誰にも分からなかった。 やがて物体は, 推定時速およそ1,000マイル(約1,600km)という, ものすごいスピードで遠のき見えなくなった。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.47)』【UFO開発途上国の最新事情「UFO着陸地点直線理論」, 文:エドガー・サイモンス, 訳:勝見務】, 1979年 Tweet 【関連サイト検索キー: March 25, 1942; Zuider Zee, Holland, UFO 】 ●UFOs at close sight(Pilot reports Zuiderzee, March 25, 1942:) ●Think AboutIt - REAL(1942: UFO & Alien Sightings ) ●UFOdna(25 Mar 1942 - Zuider Zee, Netherlands) ●NICAP(UFO Sighting Chronology 1939 - 1945) ●ufoinfo.com(On This Day; March 25) |
●B-17爆撃機編隊UFO遭遇事件(ドイツ上空) |
1943年10月14日, ドイツのシュバインフルトの空襲中にアメリカ軍のB-17爆撃機編隊が, フー・ファイターの円盤群に囲まれた。 【詳細について】 ■サイト内=> ![]() Tweet |
●アルヴァ・レイダ大尉UFO遭遇事件(スマトラ) |
1944年8月10日, アルヴァ・M・レイダ大尉を機長としたB-29が, 爆撃任務から帰還中のスマトラ上空で, 機についてくるオレンジ色の球体UFO(フー・ファイター)に遭遇した。 第二次大戦中のこの日(8月10日になった直後)の真夜中に, スマトラ・パレンパン(Palembang, Sumatra)への爆撃任務を終えた, アメリカ空軍第468爆撃群のアルヴァ・M・レイダ大尉(Capt. Alvah M. Reida)が操縦するB-29爆撃機は, 拠点となっているインドのハラガプール(Kharagapur)に帰還するためのコースをとった。 天気はどんよりと曇りがちであった。機の高度は14,000フィート(約4,300m)で, 飛行速度は約210mph(時速338km)であった。 それから20〜30分が経ったとき, 右手の砲手と副操縦士が奇妙な物体が右翼から約500ヤード(約460m)離れたところにあるとの報告が入った。 それは, 赤またはオレンジ色の非常に明るい球形光体で, 直径は5〜6フィート(約1.7m)あり, 後光を発しながら脈動していた。 レイダ大尉は回避行動をとったが, その光体は8分間にわたって機のあらゆる操縦についてきた。光体は常に, 機に対して約500ヤード(約460m), 約2時の位置を保持した。 突然, 光体は90度の回転をし, 上向きに急速に加速して, どんよりとした曇り空に姿を消した。 【参考文献・サイト】 ●『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』【第11章/ 地球の明日が危ない?! 】, 著:リチャード・ホール, 訳:青木日出夫, 1989年 ●「project1947.com(UFO REPORTS - 1944)」 Tweet ![]() ■サイト:「PROJECT 1947」から 【関連サイト検索キー: Alvah M. Reida, 1944, UFO 】 ●luforu.org(Palembang, South Sumatra, Indonesia, Asia) ●UFO.India(Initial data ) ●project1947.com(THE MYSTERIOUS "FOO FIGHTERS" OF WW II ) ●Think AboutIt - REAL(1944: UFO & Alien Sightings ) ●UFOdna(10 Aug 1944 - Sumatra, Indonesia) |
●ウィリアム・リート少佐UFO遭遇事件(オーストリア) |
1944年11月24日, ウィリアム・D・リート少佐が操縦するB-17爆撃機が, オーストリア上空から45分にわたり, 謎の光体(フー・ファイター)に追跡された。 第二次大戦中のこの日, アメリカ第15空軍のウィリアム・D・リート少佐(Maj. William D. Leet)とB-17の乗員は, 「ローン・ウルフ(lone wolf)」 と称する夜の単独爆撃の任務で, オーストリアのクラーゲンフルト(Klagenfurt)上空に向かった。 クラーゲンフルト上空にくると, 機は突然2,3秒間, 目もくらむようなライトに捕えられた。リートは, そのとき熱を感じたという。 爆撃の任務を無事完了し, 拠点であるイタリアの駐留飛行場に帰ろうと機を旋回させた。突然, 丸い琥珀色の物体がB-17の左翼の先に現われた。 その光体は, クラーゲンフルト上空からアドリア海(Adriatic Sea)に至る45分ほどの間, 爆撃機の横についてきて, 突然姿を消した。 任務完了後の報告時に, リートはクラーゲンフルトにはサーチライトはないことを知らされた。 【参考文献・サイト】 ●『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』【第11章/ 地球の明日が危ない?! 】, 著:リチャード・ホール, 訳:青木日出夫, 1989年 ●「project1947.com(THE MYSTERIOUS "FOO FIGHTERS" OF WW II )」 Tweet ![]() ■サイト:「PROJECT 1947」から 【関連サイト検索キー: William D. Leet, 1944, UFO 】 ●luforu. org(Klagenfurt, Carinthia, Austria, Europe) ●wyominghistoryday.org(UFO SIGHTINGS IN 1944.) ●civilian military intelligence group.com(Assorted UFO’s Sighted By The Military In World War II.) ●unmuseum.org(The Foo Fighters of World War II) ●UFOdna(In November 1944 - Klagenfurt, Kaernten, Austria) |
●デラロフ号球体UFO目撃事件(アメリカ・アラスカ州) |
1945年3月, アリーシャン列島(Aleutian Islands)近海で行動していた, 米攻撃用輸送船デラロフ(Delarof)号上の兵が, 黒い球体UFOを目撃した。 この日(日付不明)の夕刻, デラロフ号上の14名の兵が, 黒い球体が海中から飛び出て, デラロフ号の上空を旋回し, 高速で飛び去るのを目撃した。 【参考文献】 ●『UFOと宇宙(No.18)』【(続) 宇宙・引力・空飛ぶ円盤1, 文:レナード・クランプ, 訳:久保田八郎】, 1976年 Tweet ![]() <この画像は, ここのUFO事件とは関係ありません> ■サイト:「tarrdaniel.com(USOs - Unidentified Submerged Objects)」から 【関連サイト検索キー: ship Delarof, Aleutian Islands, 1945, ufo 】 【事件日:3月or夏?】 ●NICAP(Large Object Emerges From Sea Near The Delarof) ●NICAP(UFO Sighting Chronology 1939-1945) ●ufologie.patrickgross.org(The case of USAT Delarof, 1945:) ●intcat(INTCAT 1940 - 1945) ●Think AboutIt - REAL(1945: June UFO & Alien Sightings ) |
●ストリングフィールド(UFO研究家)UFO遭遇事件(硫黄島上空) |
1945年8月28日, 硫黄島に向かって飛んでいた米空軍のC-46輸送機に, 3つの謎の飛行物体が接近した。 連合軍に降伏した日本軍は, 占領軍の到着を待つばかりだった。 この日(8月28日), 米空軍のC-46輸送機1機が家島を飛び立ち, 硫黄島に向かって飛んでいた。機は硫黄島で給油して, 東京近郊の厚木飛行場に着陸する予定である。この機には, 米第5空軍に所属する特殊部隊の12人が乗っていた。 彼らの任務は, 占領軍の到着に先んじて, 日本側の受け入れ態勢を整えることであった。そして, この特殊部隊の中に, レオナード・ストリングフィールド(Leonard H. Stringfield)氏 も加わっていたのである。当時, 彼は軍情報部に勤務していた。 高度1万フィートで, C-46が硫黄島に接近したとき, 突然, ストリングフィールド氏は, 右舷の窓の外に水滴型の3つの物体を発見した。 それは, 燃焼するマグネシウムのように白く光り輝き, 機の進路と平行しながら接近してきた。突然, 機の左エンジンが, フェザリングを起こした。後で知ったことだが, このとき, 航法用の計器も必要以上に大きく振れたという。 C-46は, みるみる高度を落とし, 故障したエンジンからはオイルが噴き出した。操縦士が警報を鳴らし, 全員に不時着の用意を命じた。ストリングフィールド氏は, それからの恐怖に満ちた数分間に何を考え, どんな行動をとったか記憶がないという。 最後に, その3つの物体を見たとき, それらはC-46から20度ほど上空を, ぴたりとくっつくように飛行していた。まもなく物体は, 雲の中に消えたが, それと同時にエンジンが回復し, 機の姿勢も安定した。 そして機は, ふたたび硫黄島に進路をとり, 無事に着陸することができたのである。 後にUFO研究家となったストリングフィールド氏は, このときの体験を 『Situation Red - The UFO Siege』 に生々しく著している。 【参考文献】(下記より引用) ●『UFOと宇宙(No.64)』【レン・ストリングフィールドに迫る;文・デニス・ステーシー, 訳:花積容子】, 1980年 参考外部=>航空軍事用語辞典++(フェザリング) Tweet 【関連サイト】 ●thinkaboutitdocs.com(1945: August UFO & Alien Sightings) ●NICAP(C-46 Encounters Objects / Magnetic Compasses "Went Wild") ●ufoinfo.com/onthisday( August 28) |
●ハワード・メンジャー宇宙人遭遇事件(アメリカ) |
1946年6月, 米ニュージャジー州の ハワード・メンジャー(Howard Menger) が, 着陸した円盤から降りてきた, 二人の男と一人の美しい女に遭遇した。 6月のある日, ハイ・ブリッジ(High Bridge)にある彼の両親の家の近くに, 輝くUFOが着陸し, 二人の男と一人の美しい女が出てきた。 男たちは, ブルー・グレーのスキー服のような制服を着ていて, ブロンドの髪, 白い肌, 中くらいの身長をしていた。 女は, 輝いているようなパステル・カラーの同じような服を着ていた。そして, その女はメンジャーに自分は500歳になると話した。 彼女は, メンジャーに自分の知能を利用することを学び, 将来の重要なときに備えるように忠告した。 そして, このことは1957年までいっさい人に話さないでおくようにとも語った。 彼は約束を守った。そして1957年に, UFOが再びハイ・ブリッジにやってき始めた。それらは, 多くの人々に目撃された。 ハワードが出かけて行って, ”宇宙人たち” と会い, おしゃべりするのを見たと主張する目撃者さえ何人も現われた。 メンジャーの本, 『外宇宙から諸君へ(From Outer Space to You)』 は, ジョージ・アダムスキー の話などより, はるかに不思議な物語を伝えている。 【参考文献】 ●『UFO超地球人説』【第11章/ 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある! 」】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年 Tweet 【参考外部】 ●GAsite(第7章 現代のUFO 第3話宇宙よりの来訪者) ●science. howstuffworks. com(Howard Menger and UFO Contactees) ●santa fe ghost and history tours(ALIEN CONTACTEE OR FRAUD? HOWARD MENGER THE UFO MAN ) ●UFOdna(In June 1946 - High Bridge, New Jersey, USA) |
●ミェーサ湖ゴースト・ロケット事件(ノルウェー) |
1946年7月19日, 2機のロケットが, ノルウェーのオスロ北約100キロにあるミェーサ湖(Lake Mjosa)に飛び込むのを, ある農夫の家族が目撃した。 <この事件は, 「ゴースト(幽霊)・ロケット事件」の一つである> この日のお昼ごろ, ミェーサ湖(Lake Mjosa)近くにいた農夫のシグバット・スカウグ(Sigvat Skaug)と彼の妻と2人の子供は, 突風のような音を立てて飛ぶ2つのロケットを目撃した。 ロケットの機体は, 長さが2メートルほどで, 胴体の中ほどに1メートルほどのずんぐりした翼がついていた。 物体は, 彼らの頭のすぐ上を飛び, 2機同時に湖に飛び込み, 大きな水しぶきを上げた。 軍の調査では, 湖底にクレーターが見られたが, 底をさらっても何も発見されなかったという。 【参考文献・サイト】 ●『X-ZONE(No.26)』【海底のミステリー】, 監修:コリン・ウィルソン, ブライアン・イングリス, A・J・エリソン, 1997年 ●「think about it docs. com (1946: July UFO & Alien Sightings)」から Tweet ![]() ■サイト:「GigaZiNE(国による調査でも何も判明しなかったUFO墜落事故「ゴーストロケット」とは?)」から 【参考外部】 【事件日:7月18日】 ●NICAP ("Ghost Rocket" Crashes Into Lake) ●think about it docs. com (1946: July UFO & Alien Sightings) 【事件日:7月19日】 ●intcat (INTCAT 1946 - 1949) ●PROJECT 1947(Swedish "GHOST ROCKET" Reports - 1946) ●saturday night uforia. com (the ghost rockets of 1946) 【事件日:7月20日】 ●think about it docs. com (1946: July UFO & Alien Sightings) ●UFOdna(20 Jul 1946 - Lake Mjosa, Norway) |
●カティストヤーン湖ゴースト・ロケット事件(スウェーデン) |
1946年7月19日, エーベルカリックス(Overkalix)の北20kmにあるカティストヤーン湖(Lake Kattistjarn)に, 何かが落ち, 大きな水柱が上がったのを,
釣りをしていた少年が目撃した。 <この事件は, 「ゴースト(幽霊)・ロケット事件」の一つである> この日, ストーベッケン(Storbacken)から来たカート・ラーソン少年(Kurt Larsson- 11歳)は, コルムヤルブ(Kolmjarv)から北東23kmにある, 小さなカティストヤーン湖(Lake Kattistjarn)で釣りをしていた。 お昼ごろ(コルムヤルブ湖事件の起る15分前), 奇妙な音がして, 彼から150メートルほど先の水上に何らかの物体がぶつかった。 同時に轟音がして高さ10〜15メートルの水柱(みずばしら)があがった。 轟音は物体が水にぶつかった音で, 爆発はしなかった。カート少年は, 落ちた物体の姿を見ることはできなかった。 2日後に軍隊が来て調査をした。そして, カート少年には, 事件については話さないよう忠告した。 湖の底は5メートル以上の泥で, ダイバーの捜索はできなかった。 【参考サイト】 ●「NICAP(UFO Sighting Chronology 1946)」から Tweet 【参考外部】 ●UFOdna(19 Jul 1946 - Kattistjarn Lake, Sweden) |
●コルムヤルブ湖ゴースト・ロケット事件(スウェーデン) |
1946年7月19日, コルムヤルブ湖(Lake Kolmjarv)にロケットのような灰色をした物体が飛び込むのを, 干し草を作っていた2人が目撃した。 <この事件は, 「ゴースト(幽霊)・ロケット事件」の一つである> コルムヤルブ湖(Lake Kolmjarv)は, スウェーデン(Sweden)の最北端のエーベルカリックス(Overkalix)の西約24kmにある。 この日, クヌート・リンドバック(Knut Lindback- 38歳)とメイドのベダ・パーソン( Beda Persson- 18歳)の2人は, コルムヤルブ湖の急斜面の岸辺で干し草作りをしていた。 午前11時45分, 突然空からハミング音が聞こえた。 飛行機だと思ったクヌートは思わず顔を上げた。 すると, それは飛行機ではなく灰色をしたロケットのような形で, 長さは2メートルほどで, 翼のような小さな突起物があり, 先端がとがっていた。 その物体は湖に急降下して, クヌートから1.5kmほど離れた水中に, 大きな水柱(みずばしら)を出して落下した。 また後に(1984年), もう一人の目撃者が現われた。 それは, 当時14歳のフライドボル・タゲボ(Frideborg Tagebo)で, 湖の北岸で, 物体の落ちた場所から数百メートルの場所にいたというものである。 【参考サイト】 ●「NICAP("Ghost Rocket" Crashes Into Lake)」から Tweet 【参考外部】 ●NICAP(The Kolmjarv Ghost Rocket Crash Revisited) ●NICAP(UFO Sighting Chronology 1946) ●water ufo. net (The Kolmjarv Ghost Rocket Crash Revisited) ●saturday night uforia. com (the ghost rockets of 1946) ●UFOdna(19 Jul 1946 - Kolmjarv Lake, Sweden) |
●モーリー島UFO出現事件(アメリカ) |
1947年6月21日, 米ワシントン州タコタ沖のモーリー島で目撃されたUFOから, 謎の物体が放出された事件。![]() 《UFO傑作画へ》 ![]() (★モーリー島の地図上の位置) 『UFOと宇宙(NO.56)』から この日午後2時ごろ, タコマ(Tacoma)沖プジェット(Puget)海峡のモーリー島(Maury Island)近くの東側海上を, パトロール中の警備艇があった。 警備艇にはH・A・ダール(Harold A. Dahl)艇長と2人の乗員の他, ダールの息子と飼犬も同乗していた。 艇がモーリー島の東岸の湾に入ったときだった。 低くたれこめた雲の中から, 突然現れた6機のドーナツ型飛行物体が艇に近づいてくるのが目撃された。 最初はバルーンのように見えたが, よく見ると全く異なっていた。 6機のうち1機は, 高度が急に500フィート(約150m)くらいまでガクンと下がり, いまにも墜落しそうな動きをみせた。その機は, 故障を起こしているようだった。 他の5機は, 故障機の周囲をグルグル回っていた。物体群は無音で飛行し, 色は銀色で光りを反射させており, 外縁には舷窓をもっていた。 底部の中心部にある穴の直径は, 約25フィート(7.6m)で, その内側は黒く, 縁には窓が連続して並んでいた。 5分ほど見ていると, 故障機の周囲を回っているうちの1機が, 故障機に近づき, 接触するようにそのまま4分間じっとしていた。 そして急に, 鈍いドシンという音が聞こえたと同時に, 故障した1機が, 底部の穴から明るい白い金属片を多量に放出し始めた。 それは, 水面に水しぶきをたてて落下した。つづいて, 溶岩のような黒い物質をばらまいた。 物質は溶解しているらしく, 海上でシューシューと音をたて蒸気をあげた。艇上の息子は破片で腕にケガをし, 犬は破片の当たり所が悪く死んでしまった。 黒い溶岩状の物質は, モーリー島の海岸にも落下していた。危険を感じた警備艇は, モーリー島の海岸の崖下に避難した。 やがて, 故障機も全快したらしく, 6機の飛行物体は高度を上げ, 太平洋に向け西の方角へ飛びさっていったが, 故障していた機は編隊の中央に位置したままだった。 海岸には落下された黒い物質が散乱しており, しばらくの間, 熱くてさわれなかった。 【参考文献】 ●『UFOと宇宙(No.30)』【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤, 文:レナード・クランプ, 訳:遠山峻征】, 1978年 ●『UFOと宇宙(No.56)』【怪奇モーリー島事件とは何か, 文:日高実男】, 1980年 ●『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊, 文:黒田佑太】, 1985年 Tweet ![]() ■サイト:「weirdus.com」から 【参考外部】 ●UFO事件簿(モーリー島事件) ●怖話(【1947年】モーリー島事件) ●リアルライブ(UFOが襲来、謎の物質を撒き散らす!? 「モーリー島事件」) ●ぶちねこのUFO文庫(【1947年】モーリー島事件) ●柳田威生blog(モーリー島事件 誰が誰をだましたの?) ●未解決事件/世界不思議事件/凶悪事件まとめ(モーリー島のUFO故障事件) 【関連サイト検索キー: Maury Island, 1947, ufo 】 ●En. Wikipedia (Maury Island incident) ●mufon. com (Maury Island Incident - 1947) ●Science (The Maury Island UFO Incident) ●weirdus. com (The Maury Island Incident) ●crystalinks. com (Maury Island UFO Incident) ●historylink. org (Dahl and Crissman report a June 21, 1947, explosion of a flying saucer over Maury Island on or after June 26, 1947.) ●YouTube ("The Maury Island Incident" Trailer #1) |
●ケネス・アーノルド事件(アメリカ) |
1947年6月24日, アメリカ・ワシントン州のレーニア山上空で, ケネス・アーノルド(Kenneth Arnold)が, 賞金つきの行方不明機(レーニア山の南西側山腹に墜落したものと思われる海兵隊輸送機)を捜索中に, 北から南へ編隊を組んで高度9,500フィート(約2,900メートル)を飛行中の9つの奇妙な物体を目撃した。![]() ■サイト:「Think AboutIt - REAL」から アーノルドは, 高高度飛行用に設計された単発の自家用機で, チェハリス(Chehalis)からヤマキ(Yakima)に向けて飛行中だったが, 不明機の話しを聞き, レーニア(Rainier)山の南西側付近を飛び回った。 不明機は見つからず, 捜査をあきらめて機首を元のコースに向けると, 機体表面をキラリと強い閃光が反射した。光の方角に顔を向けると, 9機の奇妙な外形をした尾翼のない飛行機が, まるで連結されたように, 一本の対角線状に編隊を組みながら飛んでいた。 後日, アーノルドの手記より 「Flying Saucer(空飛ぶ円盤)」 の名が生まれた。マスコミが報道したことから, 空飛ぶ円盤騒動の発端となった。 また, アーノルドが目撃したこの6月24日は, 「空飛ぶ円盤(UFO)の日」 とされている。 【参考文献】 ●『地球ロマン(復刊2号)』, 1976年【資料・空飛ぶ円盤】 ●『UFOの内幕』, 1985年 ●『UFOと宇宙人(99の謎)』, 1978年【世界のUFO事件簿】 ●『世界UFO大百科(ムー別冊)』, 1985年【ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊】 Tweet ![]() ■サイト:「PROJECT 1947 (Coronet Magazine - November, 1952)」から 【参考外部】 ●Wikipedia(ケネス・アーノルド事件) ●UFO事件簿(ケネス・アーノルド事件) ●超魔界帝国の逆襲(〜未確認飛行物体の黎明期〜) 【関連サイト検索キー: Kenneth Arnold, 1947, ufo 】 ●YouTube (Kenneth Arnold UFO Sighting, 1947) ●En. Wikipedia (Kenneth Arnold UFO sighting) ●history. com (Kenneth Arnold) ●wired. com (June 24, 1947: They Came From ... Outer Space?) ●PROJECT 1947 (UFO REPORTS - 1947) ●PROJECT 1947 (PROJECT 1947) ●PROJECT 1947 (Coronet Magazine - November, 1952) ●Think AboutIt - REAL (1947: Kenneth Arnold Sighting) |
●ランドバリー・キャッスル号飛行船型UFO遭遇事件(ケニア) |
1947年6月30日の夜, 近海蒸気船ランドバリー・キャッスル号が, ケニアの海岸沖で巨大な飛行船型飛行物体に遭遇した。 この夜, ランドバリー・キャッスル(Llandovery Castle)号は, 東アフリカのケニア(Kenya)の海岸沖を南に進んでいた。夜空には星があふれていたが, 月は出ていなかった。 一人の乗客が, 星が何かの陰になって, 夜空に異常な黒い部分があることに気づいた。その黒さが, 船に向かって降りてくるように感じた。 近くにいた船員が上官を呼んできた。そのころには乗客9人を含む総勢12人が, 近づきつつある黒い物体を見守っていた。物体は巨大で, 照明はついていなかった。 そして, 海上約100フィート(30.5m), 船から約0.5マイル(約800m)離れたところで, 海岸と船の間を水平飛行をする態勢に移った。 この時点で, 物体は底部から目もくらむような白光を放った。その光は海上を照らし, その反射で, 物体が巨大な飛行船型飛行物体であることが, はっきり確認できた。 その物体の長さは, ランドバリー・キャッスル号の2倍ほど, およそ1,000フィート(305m)もあったという。 物体は音をたてず, 機体は何らかの光る物質でできているらしく, 海面にあたって反射した光線や星の光さえも映していたところからすると, ぴかぴかに研磨された金属だったかもしれない。 その飛行物体は, 数分間, 船とペースを合わせて進んだのち, まばゆいサーチライトを消して, あっという間に音もなく, それが現われた夜空へと舞上がり消えていった。 【参考文献】 ●『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/ 地球の空を飛ぶもの】, 1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎 Tweet 【関連サイト検索キー: Llandovery Castle, 1947, ufo 】 ●mysteriousuniverse.org(A Tale of a Massive UFO at Sea and the SS Llandovery Castle) ●waterufo. net (THE LARGEST SAUCER EVER OBSERVED) ●project 1947. com (WHO IS INSIDE THE FLYING SAUCERS?) ●the living moon. com (The German Cylindrical UFO) ●intcat (INTCAT 1946 - 1949) |
●ロズウェルUFO墜落事件(アメリカ) |
1947年7月2日, ニューメキシコ州ロズウェル(Roswell)付近に墜落したUFOを, アメリカ軍が回収したとされる事件。 1947年7月2日の深夜, ニューメキシコ州コロナ(Corona)に近いフォスター牧場(ロズウェルの北西70マイル(約110キロ))の管理人(ウィリアム・マック・ブレーゼル-William "Mac" Brazel)が牧場を襲った嵐の最中に 「通常の雷とは違った爆発音」 を耳にした。 翌朝, ブレーゼルは二人の息子たちと一緒に, 牧草地に散乱する金属片やプラスチックの棒のようなものを多数発見した。 保安官に連絡後の7日になると, 現場は陸軍航空隊と憲兵により管理された。 破片を回収したのは, 当時 ロズウィル陸軍飛行場(Roswell Army Air Field) に駐屯していた 第509爆撃航空団 で, 最初に残骸の調査に派遣されたのは, 第509爆撃航空団の首席情報官の ジェシー・マーセル(Jesse Marcel) 少佐である。 残骸は, 現場からロズウェル陸軍飛行場に運ばれた。基地司令官ウィリアム・ブランチャード大佐(colonel William H. Blanchard)が, 基地広報係士官の ウォルター・ハウト(Walter G. Haut) 中尉に許可を与え, 7月8日, ウォルター・ハウト中尉が, 「ロズウェル空軍基地駐屯の第8航空軍第509爆撃大隊情報部が, 円盤の回収に成功した」 という声明を発表した。 しかし, その数時間後, 「円盤回収は誤報で, 正体は気象観測用の熱気球とレーダー反射器だった」 と声明を撤回した。 墜落機の破片は爆撃機に搭載するよう指示され, 第8航空軍の司令部の置かれているフォートワース陸軍飛行場(Fort Worth Army Air Field)に運ばれ, ロジャー・M・レイミー准将(General Roger M. Ramey)が指揮をとった。 レイミー准将の参謀長であるトマス・ジェファーソン・デユボーズ大佐は, 第8航空軍戦略空軍副司令官クレメンツ・マクミュラン中将から "円盤" 話を握りつぶすよう命令された。 回収された破片は, マクミュラン中将のいるワシントンDCのもとに輸送され, マクミュランはこれを受け取り, 分析のため自家用機に乗せ, オハイオ州デイトンにあるライト飛行場(後の ライト・パターソン空軍基地- Wright-Patterson Air Force Base ) に運んだ。 1947年時点での空軍の公式見解は, 回収された破片は気象観測用の熱気球とレーダー反射器であった。 この言い訳が定着して, ロズウェル事件はほとんど忘れられた。 しかし, 1978年に スタントン・フリードマン(Stanton Terry Friedman) が偶然から, 退役したジェシー・マーセルに出会い, マーセルがロズウェル事件でかかわった新事実を語ったことから, この事件がふたたび注目を集めることになった。 1990年代中盤に空軍は, 気象観測用の気球というのは作り話で, 実際に墜落したのは, 当時の最高機密計画 「プロジェクト・モーグル(Project Mogul)」 と名づけられた機材だったことを認めた。 しかし, この装置の部分には, ごくありきたりの気象観測用気球と, バルサ材と金属箔でできたレーダー反射器, 真空管を使った無線装置が使われていた。 空軍でも屈指のトップエリートが集う爆撃航空団(この第509爆撃航空団は, 原子爆弾の輸送運搬を許可された唯一の航空団)の, 当時首席情報官だったジェシー・マーセルが, たとえ残骸でも, これらを見分けられないはずはないという。 【参考文献】 ●『宇宙人の死体写真集2』,1991年 ●『X-ZONE(No.5)』(隠蔽されたUFO墜落事件),1997年 ●『決定版超怪奇UFO現象FILE』,2009年 ●『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年 Tweet ![]() ■サイト:「greyfalcon(The Roswell Incident)」から ![]() ■サイト:「infinityexplorers」から 【参考外部】 ●Wikipedia (ロズウェル事件) ●Wikipedia (ロズウェル事件の目撃談) ●UFO事件簿 (ロズウェル事件 ) ●「浅川嘉富の世界」にようこそ!!(ロズウェル事件の真相) ●En. Wikipedia (Roswell UFO incident) ●En. Wikipedia (Talk: Roswell UFO incident / Archive 1) ●A Different Perspective (The Roswell UFO and Jesse Marcel) ●UFONUT (Cowboys & Aliens: The real story ) ●greyfalcon(The Roswell Incident) 【関連サイト検索キー: Roswell UFO Incident 】 ●YouTube(9 Facts About the Roswell UFO Incident) ●YouTube (The Roswell Incident-a UFO crash?) ●roswell - nm (UFO Story) ●MUFON (Roswell UFO Retrieval - 1947) ●history.com(Behind the rumors of America's most infamous UFO incident) ●infinity explorers (Former deputy sheriff reveals what he saw in the Roswell UFO incident) |
●もう一つのロズウェル事件(アメリカ) |
コロナでの墜落(ロズウェルUFO墜落事件)と同じタイミング(1947年7月)で, もう一つの別の墜落事件があったという。 場所はニューメキシコ州のサン・アーグスティン(San Augustin)平原(ソコロの西方70マイル(約110キロ)で, コロナから140マイル(約220キロ)離れた場所)である。 地質学者 バーニー・バーネット(Barney Barnett) が, 地質学専攻の学生らとともにこのエリアを調査中に, 墜落機の残骸に出くわしたというもの。 彼と学生たちは, 機体の外に乗員と見られる身長が1.2メートルほどの人間に似た生物を何体か見つけ, そのうちの一人はまだ生きているのに気づいたという。 【参考文献】 ●『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年 Tweet ![]() (★ジェラルド・アンダーソンが目撃した宇宙人のスケッチ) 『宇宙人の死体写真集2』から 1990年に, 同じ場所で宇宙人の死体を見たという人物が名乗りをあげた。 それは, 当時5歳であった ジェラルド・アンダーソン(Gerald Anderson) である。 彼は, 1947年7月に, 家族そろってインディアナ州からニューメキシコ州のアルバカーキに移住してきた。 南西部に来て2日目に, 叔父のテッド(Ted)と兄のグレン・ジュニア(Glenn jr), 従兄のビクター(Victor)など5人で車に乗り込み, 砂漠に岩石の採集に出かけた。 そして, コケメノウがあるという場所に向かった。 車は尾根のてっぺんで行き止まりになり, 彼らは車を降りて, 徒歩で涸れ谷を下り, 干し上がった川底を通って平原に出た。 そして, 角を曲がると正面の丘に直径が約15メートルの銀色の円盤が突っ込んでいるのを目にした。そこは地元の人たちが, サン・アーグスティーン平原(Plains of San Agustin)と呼んでいる場所の端にある, 低い丘の中腹のところであった。そのそばには, 4体の生物がいた。2体はすでに死んでおり, 一体は瀕死の重傷, もう一体は無傷のようであった。 その生物の身長は1.2メートル程で, 異常に頭が大きく, アーモンド型の真っ黒な目をして, 円盤の影で体を丸めていた。 目撃者たちが近づいていくと, 4体目の無傷の生物は, 襲撃されると思ったのか, 恐怖でたじろいだ。 大人たちが, その生物に英語とスペイン語で, いろいろ話しかけたが, 返事はなかったという。 数分後に, その現場に大学生5名と教授1名がやってきた。 彼らは, そこから数キロ離れた場所で, 遺跡の発掘に従事していたが, 前の晩に火を吹く隕石が落下したように見えたので, この場所に来たのだという。教授は, バスカーク博士(Dr. Buskirk)という名前だった。 そのころには, 太陽は中天に昇り, 気温は45度以上に達した。アンダーソンは, 円盤の影に避難することにした。 機体の周囲に近づくと冷たくなったのを感じた。機体の金属に触ってみると, 冷蔵庫から出したばかりのように冷たかった。 5歳のアンダーソンは, 横たわったままの生物にも触れてみた。その体も冷たかったが, 子供心にその生物が人形のように見えると思った。 アンダーソンたちは, 全体の状況を観察するために, 近くの小山のてっぺんに走った。 すると, 尾根にピックアップ・トラックが停まっていて, その連中が見物人に加わった。(UFO研究者たちは, これが地質学者の バーニー・バーネット(Barney Barnett) たちだと信じている) アンダーソンは, 勇気を奮い起こして, もう一度円盤に近づいた。そのとき, 立っている生物が急に振り向いて, 彼の顔をのぞきこんだ。 アンダーソンは, その生物が頭の中に入り込んだかのような感じがし, 墜落感とぐるぐる回転するような感覚を覚えた。 その生物の墜落の体験をアンダーソンは, 頭の中で再体験したのだという。 その後, 事態は急速に展開した。武装した軍の分遣隊が現われ, 兵士たちが現場に殺到した。 兵士たちにより, 民間人たちは機体から追いやられた。アンダーソンは, 赤毛の大尉と黒人の軍曹の荒っぽい言葉を特に覚えているという。 アンダーソンたちが, 丘の頂上まで引き返すと, 軍の一大隊が集結しているのが見えた。 道路を封鎖し, トラックや航空機が集まっていた。無線通信装置, 救急車, 武装した兵士などが大勢いたという。 アンダーソンが見た円盤は, まるで衝突したかのように, 側面に裂け目が生じていたという。 このため, もう1機がそこにぶつかり, 爆発してロズウェル近郊にばらばらになって墜落し, ぶつけられた機が, このサン・アーグスティン平原に墜落したものではないかという。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ●『宇宙人の死体写真集2』【43年間の沈黙を破った宇宙人の死体の目撃者】, 著者:中村省三, 1991年 このUFO墜落事件に遭遇した民間人は, アンダーソン一家だけではなかった。 ジェラルド・アンダーソン(Gerald Anderson)氏の記憶によると, 考古学調査の一団と, あるひとりの土木技師もこのとき, 現場に駆けつけたらしい。 「私たちが現場についてしばらくすると, 考古学者の一隊がやってきた。そして, その後, 1台のピックアップ・トラックがやってきた。乗っていたのは民間のエンジニアで, 彼と父たちが5分ほど立ち話していると, 軍がやってきたんだ」 「考古学調査隊はすこし離れたところで, ある洞穴の中を調査していたらしい。彼らの話では, 前の晩, 隕石のような光る物体が落ちていくのをみたので, 一夜あけて, その物体が落ちた地点を探しながら到着したのだといっていた。たしかエイドリアン・バスカーク(Adrian Buskirk)という教授と, 5人の学生だった。教授は何か国語も話せて, 生物と会話を交わそうとしていたが, 無理だった。学生のうち2人は女性で, そのうちのアグニスとよばれていたひとりが, ガラスのような管状の物体を拾って, 教授に 『これでリングができますよ』 と渡そうとしていた。が, 教授は 『もどしなさい。なにかわからない。身に危険をおよぼすものかもしれないから』 といって叱った。だけど, 彼女はみんなの目を盗んで, こっそりポケットに入れたのを私は見ていたんだ。そのことは今でも鮮明に覚えている」 【参考文献】(下記より抜粋引用) ●『生きた宇宙人がつかまった』【第2章/ ロズウェルにはUFOがもう1機墜落していた !】, 著者:矢追純一, 1991年 Tweet ![]() (★アンダーソンの見た光景) ![]() (★アンダーソンに語る異星人) ![]() (★アンダーソンは, UFO内部を見ることができたという) ■サイト:「mystery planet. com」から 【参考外部】 ●Wikipedia (ロズウェル事件の目撃談) ●UFO事件簿 (ロズウェル事件 ) ●BEFORE IT'S NEWS (THE “OTHER” ROSWELL CRASH: The Secret of the Plains) 【関連サイト検索キー: Gerald Anderson, Barney Barnett, Roswell Incident 】 ●roswellfiles. com (Gerald Anderson) ●mufon. com( Roswell UFO Retrieval - 1947) ●astronomy ufo. com (Chapter 12: The amazing Anderson) ●YouTube (Interview of Gerald Anderson, 07 / 24 / 1991) ●ufoc asebook. com (The Roswell UFO Crash (1) ●NICAP (Barney Barnett Story - The Conventional Wisdom) ●ufo explorations .com (THE OTHER ROSWELL CRASH: The Secret of the Plains Revealed) ●Open Minds (Roswell Revelations) ●Crop Circles (Gerald Anderson’s Roswell Testimony: Polygraph Proven!) ●mystery planet. com (Caso Roswell) ●The Roswell Files (Gerald Anderson) |
●マロック(カルフォルニア州)UFO目撃事件(アメリカ) |
1947年7月7日から8日にかけて, モハーヴェ(Mojave)砂漠にあるマロック陸軍飛行場(Muroc Army Air Field- 現在のエドワード空軍基地)で, 一連のUFO目撃事件が起きた。 ●7月7日午前10時10分, リパブリックXP- 84サンダージェットのエンジンのウォーミングアップをしていたテスト・パイロットのジョエル・C・ワイズ(Jowell C. Wise)少佐が, 北の方角に, 白っぽい黄色の球体を発見した。その物体は西から東の方向に移動していた。 ワイズ少佐は, 物体の大きさは直径が5〜10フィート, 速度が時速200〜225マイル, 高度は10,000〜12,000フィートと推定した。 ●7月8日午前9時45分, ジョセフ・C・マクヘンリー(Joseph C. McHenry), ジョセフ・ルブロ(Joseph Ruvolo), ジェラルド・E・ナウマン(Gerald E. Nauman)の3人の将校が10分間にわたり, 円盤状で銀色の飛行物体が3個, 西に向かうのを目撃した。 ●7月8日午前11時50分に, 大佐と少佐をふくむ5名のエンジニアが, P-82二機とA-26一機が高度20,000フィートで, コクピット席の射出実験を行なうのを観測していた。 そのとき彼らは, 飛行機より低い高度にある, 白っぽいアルミニウム色の丸い物体を発見した。最初, それは飛行機から射出された幅約25フィートの座席のパラシュートではないかと思ったが, コクピットから座席が射出されたのはそれから30秒後であった。 謎の白い物体は, ふらふらと回転しながらパラシュートの3倍ほどの速度で降下した。地上まで降下すると, それはふたたび音も出さず上昇していった。目撃時間は全部で8分間であった。 ●午後3時50分に, 高度20,000フィートを飛行中のP-51ムスタングのパイロットが, マロックの南方40マイルの地点で, 翼のない飛行物体を頭上に発見した。 光を反射する平たい形状のその物体は, P-51には高すぎてそれ以上接近することはできなかった。エリア内のすべての空軍基地に連絡をしたが, 該当する飛行機は見つからなかった。 【参考文献・サイト】 ●『政府ファイル UFO全事件』【第1章/ UFO時代のはじまり】, 著:ピーター・ブルックスミス, 訳:大倉順二, 1998年 ●「NICAP(The 1947 UFO Sighting Wave)」 Tweet 【参考外部】 ●Wikipedia(エドワーズ空軍基地) ●En.Wikipedia(Edwards Air Force Base) 【関連サイト検索キー: muroc army air field, 1947, UFO 】 ●project1947.com(HEADQUARTERS FOURTH AIR FORCE) ●NICAP (The 1947 UFO Sighting Wave) ●NICAP (Oscillating Sphere Observed By Test Pilot & Others) ●NICAP (Observers Sight Saucers Over Base) ●NICAP (Object Observed By Four Witnesses In Observation ) ●NICAP (Object Descends To Ground Level, Rises ) ●NICAP (Flat Object With Fin Observed By F-51 Pilot) ●think about it docs. com (1947: July UFO & Alien Sightings) |
●ヒギンズ宇宙人遭遇事件(ブラジル) |
1947年7月23日, ブラジルでジョゼ・C・ヒギンズが巨大な(身長約2.1メートル)宇宙人に出会った事件。![]() ■サイト:「Think AboutIt- REAL」から この日, ブラジルのパラナ州ピタンガ(Pitanga)の北西, カンポ・ムラオ(Campo Mourao)の南西にあたるゴイオ・バングという村で, 測量労務者のジョゼ・C・ヒギンズ(Jose C. Higgins)が, 絹を裂くようなシューツという高音を聞いた。 すると奇妙な円形の物体が開拓地の上空を旋回して, ヒギンズから45メートルほど離れたところにふんわりと着陸した。 一緒にいた他の労務者は逃げ出していたが, ヒギンズだけはそこに残った。 その円盤は, 直径は約24メートル, 高さは4.5メートルぐらいあり, パイプがいろいろな方向に交差していて, シューツという音は, その中の6本から発していた。 地面に接する部分には曲がった脚のようなものがあり, 着陸すると曲がり方がいっそうひどくなった。 機体は銀ではないが, 明灰色の金属でできているようで, 窓が一つあり, 変わった様子の2人の男が, 彼の方を物珍しそうに見ていたという。 そのうちに物体の下側のドアが開くと, 3人の男が現われた。 体を完全に包む透明な作業服のようなものを着ていて, 頭部まですっぽり包んでいた。 背中には金属製らしき箱を背負っていた。 彼らは, 眉毛もまつげもない大きな丸い目をし, 頭には全然毛がなく, 大きくて丸い頭をしていた。 足は地球人より長く, 身長は約2.1メートルほどもあった。 彼らは, お互いが話し合っていて, ヒギンズには言っていることを聞きとることはできたが, 意味は全然分からなかったという。 3人はヒギンズを取り囲み, 一人が手にもった金属チューブをヒギンズに向け, 円盤に誘い込もうとしている様子であった。 ヒギンズは手まねでどこへ連れていくのかとたずねたところ, 彼らは分かったらしく, リーダーらしき一人が地面に太陽をあらわす円を描き, その周囲に7つの輪を描いた。 そして, 7番目の輪と円盤の機体を指さし, それを何度か繰り返した。(注:7番目の惑星は天王星) ヒギンズは恐れをなした。そのとき良い考えが浮かんだ。彼らが妙に日光を避けているらしいので, 自分も日陰に入り, ポケットから奥さんの写真を取り出し, 彼らに見せ, 彼女も連れていきたいという説明を手まねでした。 すると, 彼らは分かったらしく, ヒギンズを別に止めようとしなかったので, うまいこと近くのしげみに逃げこむことができた。そして, 彼らの様子を観察した。 彼らは跳びはねたり石を遠くに投げたりして, 子供のように遊んでいたが, 30分もすると, 円盤に乗りこんだ。 円盤は, 同じシューツという音をたてて上昇し, 北の方角に飛び去っていったという。 ヒギンズは, 彼らの言葉の一部を覚えていて, それによると太陽を示す 「アラモ (Alamo)」 と7番目の輪を示す 「オルケ(Orque)」 であるという。 【参考文献】 ●『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』, 編:平野威馬雄, 1974年 ●『UFOと宇宙(No.28)』【宇宙人からテレパシー・メッセージを受ける科学者たち, 文:グレイ・パーカー, 訳:増野一郎】, 1977年 Tweet 【参考外部】 ●GAsite (第7章 現代のUFO 第3話) ●怖話 (【1947年】ヒギンズ事件) 【関連サイト検索キー: Brazil , Jose C. Higgins, 1947, UFO 】 ●ufo archives. blogspot. com (The Jose Higgins Close Encounter 1947) ●unmuseum. org (Close Encounters of the Third Kind ) ●En. Wikipedia (UFO sightings in Brazil) ●Think AboutIt - REAL (1947: 7 ft Aliens spotted in Brazil) ●Do You Believe? (Brazil) |
●ジャンサン(航空誌編集者)UFO遭遇事件(アメリカ) |
1947年7月23日, 航空専門誌編集者ジャン・ジャンサン(John H. Janssen)が自家用飛行機を操縦中に2機の円盤に遭遇し, ジャンサンの飛行機が空中で一時停止させられた。 この日, ニュージャージー州モリスタウン(Morristown)に住むジャンサンは自分の飛行機を操縦して高度1,800メートルを飛行していると, 何かカメラのフラッシュのような光がきらめいたのに気づいた。 光は機首の上方, 11時の方向からで, ジャンサンは上のほうを飛んでいる飛行機が太陽光線を反射したのだと思っていた。 それ以上べつに気にもしなかったが, 機のエンジンの調子がおかしくなり始めた。 ジャンサンはキャブレターの温度を上げ, スロットルを全開にしたが, エンジンはゼーゼーという音を出しただけで停止してしまった。 当然, 機は機首を下げて滑空を始めると思ったのだが, なんと正常の水平飛行姿勢をとり, スピード・メーターの針はゼロを指していた。機は重力の法則に逆らっていたのだ。 異様な状況におびえてしまったジャンサンは, 左翼の先端越しに奇妙な飛行物体を見た。 それは空飛ぶ円盤のようで, フレンジのように突き出た円形の縁の両側には, 汽船の舷窓のようなものが点々と並んでいた。 円盤は空中に停止していた。さらに, その円盤の向こう側上方, 機から400メートルほど離れたところに, もう1機の円盤が見えた。 2番目の円盤も空中に停止しているようだった。 ジャンサンは, この円盤から観察されているような不気味な感じを受けたという ジャンサンは, 切ってあったエンジンの点火スイッチを入れると, 点火装置はオンになり, プロペラがゆっくり回りだした。 機ははじめ機首を下げて失速状態で滑空していたが, やがて対空速度を得て安定飛行に移った。 ![]() (★クランプによる斥力場の空中効果の解析図) 【参考文献】 ●『UFOと宇宙(No.29)』【「続宇宙・引力・空飛ぶ円盤」, 文:レナード・クランプ, 訳:遠山峻征】,1977年 Tweet ![]() (★ジャンサンは, 1947年7月10日にもUFOを目撃しており, その時に撮影したUFOの写真) ■サイト:「santa fe ghost and history tours.com」から 【関連サイト検索キー: Morristown New Jersey, John H. Janssen, 1947, UFO 】 ●ufo casebook. com (1947, Pilot Spots Six UFOs over Morristown, New Jersey) ●UFOs, et al (UFO EN COUNTER 1947 OVER NEW JERSEY) ●roswell proof. com (The Extraterrestrial Hypothesis (ETH) in 1947) ●santa fe ghost and history tours. com (UFO- SIGHTINGS = PHOTOS & DATA: THEY ARE HERE! WHAT DO THEY WANT?) ●NICAP (07 - 10 - 1947 USA, New Jersey, Morristown) ●intcat (INTCAT 1946 - 1949) |
●サンチナ村小人宇宙人遭遇事件(イタリア) |
1947年8月14日, イタリアのサンチナ村近くの山林で, ヨハネス教授が着陸している円盤と小人の宇宙人に遭遇した事件。![]() 『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』より イタリアのミラノ在住のラプッチ・ルイギ・ヨハネス(R. L. Johannis)教授は, イタリア東北部のフリゥリ(Friuli)のカルニア(Carnia)にあるサンチナ村(Villa Santina)に近いところに, 当時滞在していた。 教授は地質学と人類学に興味をもっていた。この日の朝, キアルショ(Chiarso)と呼ばれる谷川沿いの渓道を, ナップザックと地質調査用のピッケルをもって歩いていた。 モミの木立ちをぬけ出たところで, 約50メートル離れた岩だらけの川岸に, 赤色のレンズ状の物体を発見した。 近づいてみると, 10メートルほどの大きさの円盤で, 中央に低いドームがあり, 頂部に輝く金属製の伸縮式アンテナが突き出ていた。そして, その円盤は, 四分の一ほどが岩肌の割れ目に埋まっていた。 まわりを見わたすと, 50〜60メートルはなれたところに, 二人の少年が立っていた。教授は, 円盤を指さし大声で叫びながら, 少年たちの半分ぐらいまで近づいていくと, それは少年ではなく, 畸形な小人だった。 頭は普通の人間より大きくて, 戯画を見ているような印象を受けた。身長が90センチほどで頭に毛はなく, ダークブラウン色のキャップをかぶって, なんとも形容できないような材質のオーバーオールを身につけていた。 襟のところはカラーになっていて, かなり幅広のベルトを締めていたが, どちらも鮮やかな赤色だった。 顔の色は生気のないグリーンで, 彫刻家の使用する塑型用粘土のような色で, 鼻は真っすぐで, その鼻の下に, への字の形をした細い切り込みがあって, 魚の口のようにパクパクと開いたり閉じたりしていた。目は非常に大きく, 緑黄色に色づいたぶどうの果実そっくりであった。目玉の真ん中には, 縦なりの瞳孔が見えた。 教授は驚いて, その場に立ち尽くしていると, 小人は小刻みな歩幅で両手をぶらさげ, よちよちと教授のほうに歩いてきた。 教授は, 彼らの方向にピッケルを振り上げ, 次に円盤の方向をピッケルで指しながら, 「お前たちは誰だ? どこからやって来たのか?」 などと興奮した声で怒鳴った。 すると, 彼らは驚くほど素早く向きを変えた。教授の出し抜けの行動を脅迫だと受け取ったらしい。 一人が右手をベルトのところまで上げると, ベルトの中心部から薄い煙か光線のようなものが噴き出された。 教授は, そのとたんに, 電気ショックを受けたような感覚を覚え, ふらふらと倒れてしまった。 完全に力が抜けてしまい, 必死に起き上がろうとしたがむだであった。小人たちは近づいてきて, 教授が手放したピッケルを奪って手にとった。彼らの手は指が8本あり, 関節はなく, 指の4本4本が向かい合わせについていた。彼らの胸は波打っていて, 腹の様子はまるで長距離を駆けてきた犬が喘いでいるときのようだった。 教授は死物狂いで立ち上がろうと試みたが, 上半身を上げるのがやっとで両手を地面について, 彼らを観察するだけであった。 そのあいだに, 小人たちはゆっくりと着実に岩の割れ目まで登っていき, 割れ目にほとんど垂直に埋まっている円盤の中に姿を消した。 数分後, 円盤は岩の中から垂直に上昇して, 空中に舞い上がった。土砂が雪崩(なだれ)のように川床に降り注いだ。 円盤は, 巨大なゴングを吊り下げたかのように空中で静止していたが, 教授から4〜5メートル先のところに円盤のフランジがあった。教授は, その切っ先が近づいてきて, 自分の体を真っ二つにしてしまうのではないかと恐怖にかられた。 そのうちに, 円盤は垂直の位置からやや傾いたかと思うと, あんなに大きかったのに見る見る小さく縮んでいって, しまいにはすうっと消えてしまったという。 その直後に, 教授はものすごい強風に打たれて, 地面を何度も転がったという。 川床の石のところで, ようやく転がるのが止まり, そのままの姿勢で横たわっていた。 ようやく体を起こして座ることができたが, 腕時計を見ると時刻は9時14分だった。教授が帰路につけるようになったのは, 昼下がりになってからで, それまでの数時間は, 眠りこけていたらしいという。 【参考文献】 ●『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』, 1974年, 編者:平野威馬雄 ●『宇宙人の死体写真集2』, 1991年, 著者:中村省三 ●『UFOと宇宙(NO.35)』 【空飛ぶ円盤とオカルティズム(4), 文:平野威馬雄】, 1978年 Tweet ![]() ■サイト:「phantoms and monsters. com」から 【関連サイト検索キー: santina italiana, R. L. Johannis, August 1947, UFO 】 ●noufors. com (The Villa Santina Case (two humanoids encountered by Italian artist)) ●Think AboutIt - REAL (1947: Villa Santina Encounter ) ●phantoms and monsters (The Villa Santina Close Encounter) ●UFO EVIDENCE (Cases by Decade: 1940s) ●ufoinfo. com (On This Day; August 14) ●intcat (INTCAT 1946 - 1949) |
●マンテル大尉事件(アメリカ) |
1948年1月7日に, 米ケンタッキー州で空軍のトーマス・マンテル大尉が, 未確認飛行物体をP-51戦闘機で追跡中に墜落死する。![]() (★トーマス・マンテル大尉) ■サイト:「ufocasebook. com」から この日の午後, ケンタッキー州フォートノックス(Fort Knox)にあるゴッドマン空軍基地(Godman Air Force Base)に州警察から 「メイズビル(Mansville)近辺(基地から約140キロ)で, 未確認飛行物体が発見された」 との通報があり, 午後2時ちかくになると, 基地管制官も管制塔から肉眼でそれを確認した。 傘のような外見をしたその飛行物体は, 光を浴びて磨きあげられた銀器のようにキラキラ輝いて, 直径は60〜90メートルほどに見えた。 訓練飛行から帰るため付近を通過中だった トーマス・マンテル大尉(Captain Thomas F. Mantell -25歳) 率いるP-51の4機編隊に, ゴッドマンの管制塔から調査の要請が入る。1機は燃料不足のため基地に向かい, 残り3機が物体を要撃した。 高度約5,000メートルまで上昇したところで, 2機が酸素不足のため追跡を断念した。 大尉は, 単独で物体を追跡した。無線通信で何度か物体の情報を管制塔に伝えてきたが, やがて連絡が途絶えたため, 捜索隊が派遣され, 1時間後に基地から150キロ離れた場所で, 大尉機の残骸と遺体が発見された。 空軍の公式調査の結果は, 金星を追いかけているうちに酸欠になり意識を失ったものだと発表されたが, マンテル大尉は軍で高く評価されていた人物であったため, 高官たちの間で議論が紛糾したという。 この事件は, 政府の姿勢に不安を抱いていた国民を激しく煽りたて, 空軍に大きなプレッシャーをかけたという。 【参考文献】 ●『UFOと宇宙(コズモ)(No.8)』【マンテル大尉の悲劇, 文:荒井欣一】, 1974年 ●『UFOと宇宙人(99の謎)』, 1978年【世界のUFO事件簿, 文:南山宏】 ●『世界UFO大百科(ムー別冊)』, 1985年【悲劇のマンテル大尉, 文:花積ヨーコ】 ●『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年 Tweet ![]() ■サイト:「Think AboutIt - REAL」から 【参考外部】 ●Wikipedia(マンテル大尉事件) ●超魔界帝国の逆襲(〜未確認飛行物体の黎明期〜) ●UFO事件簿(マンテル大尉機墜落事件) ●wearethemighty. com(This is what happened when a P-51 Mustang chased a UFO over Kentucky in 1948) ●UFO CASEBOOK (1948, The Death of Thomas Mantell) ●Think AboutIt- REAL (1948: January UFO & Alien Sightings ) ●Think AboutIt- REAL(1948: The Thomas Mantell Incident (aircraft crashes after chasing UFO)) ●intcat(INTCAT 1946- 1949) ●NICAP (The Mantell Case) ●NICAP(The Mantell Incident) ●NICAP(Part 1 - 1: The Mantell Case - Original Account) ●NICAP(Part 1 - 2: Captain Thomas Francis Mantell, Jr) ●NICAP(Part 1 - 3: The P-51D Mustang) ●NICAP(Part 1 - 4: 2005 - Prior to Re-Investigation) |
●イースタン航空機UFO遭遇事件事件(アメリカ) |
1948年7月24日午前3時ごろ, ジョージア州アトランタ(Atlanta)に向かって飛行していた, イースタン航空(Eastern Air Lines)のダグラスDC-3(Douglas
DC-3)旅客機675便(機長- C・S・チャイルズ(Clarence S. Chiles), 副操縦士- J・B・ホイッテッド(John B.
Whitted))が, アラバマ州モンゴメリー(Montgomery)の南西20マイル(約32キロ)の地点で不思議な飛行物体に遭遇した。 その飛行物体は明るい光を放っており, 葉巻型の航空機で, 翼も尾翼もなく, 後部から大きな光を噴射していた。 機体には2列の窓があり, 内部照明はマグネシウム光を連想させるほどの明るさだった。 その物体は, 675便の方に猛然と突っ込んできたので, 操縦士は, 機を左に急旋回させた。 すると物体も, 反対側に向きを変え, 675便の700フィート(約210メートル)のところですれ違った。このとき物体は, 675便より上空にあった。 物体は急に後部からすさまじい炎を吹き出しながら, 急上昇を始めた。 その吹き出した炎のせいか, 675便はガタガタゆさぶられたという。 物体は急速度で雲の中に姿を消していった。 物体の長さは100フィート(約30メートル)ほどで, 胴体の直径は爆撃機B- 29の2倍ぐらいあった。 機長, 副操縦士以外の何人かの乗客も, 強烈な光を目撃している。 【参考文献】 ●『ムー(No.3)』【UFOと航空機の遭遇事件! , 文:南山宏】, 1980年 ●『UFOの内幕』, 1985年 ●『世界UFO大百科(ムー別冊)』【火を吹く物体イースタン航空機に急接近, 文:秦洋一】, 1985年 ●『謎解き超常現象DX』【「イースタン航空事件」の伝説部分, 文:山本弘】, 2013年 ●『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年 Tweet ![]() ■サイト:「ufocasebook.com」から 【参考外部】 ●UFO事件簿(イースタン航空機事件) ●超魔界帝国の逆襲(〜未確認飛行物体の黎明期〜) 【関連サイト検索キー: Chiles and Whitted UFO Sighting - 1948 】 ●En.Wikipedia(Chiles- Whitted UFO encounter) ●history. com (Two Pilots Saw a UFO. Why Did the Air Force Destroy the Report? ) ●Science(UFOs and the Government) ●project1947. com (Watershed) ●project1947. com (UFO Reports - 1948) ●NICAP(Chiles-Whitted Case) ●NICAP(The Classics) ●ufocasebook. com (The Chiles / Whitted Sighting) |
●ゴーマン少尉UFO追跡事件(アメリカ) |
1948年10月1日, P-51戦闘機で訓練中のゴーマン少尉が, 白い光体の飛行物体と遭遇し, 空中戦(接近と追跡)を約20分繰り返した。![]() ■サイト:「river967.com」から この日の午後9時, ノースダコダ州ファーゴ(Fargo)基地にいつもの哨戒飛行を終えた州空軍所属のジョージ・ゴーマン(George F. Gorman)少尉(当時25歳)のP-51戦闘機が, 管制官から着陸許可を得たとき, 1,000ヤード(約900メートル)の距離に別の機体の尾灯とおぼしきものを認めたため, 進行方向に何かないかを管制塔に確認した。 管制塔は, 彼の機の下方に別なパイパー小型機があることを伝えてきたが, ゴーマン少尉はそのパイパー機をはっきり確認することができるため, 彼が見ている光はそれとは別なものであった。 その光体は, 白色に輝き点滅をくりかえし, 北西に向かい時速約400キロで移動していた。 少尉が接近すると, 光体は点滅をやめ輝きを強め, 左に旋回し急降下した。 少尉は, 光体が管制塔に急降下攻撃するものと思い, 後を追って急降下した。すると, 光体は左に旋回し, 高度を上げていった。 速度を増しながら上昇していく光体に, ついていけないと判断した少尉は, 最大速度を出して右方向から迎撃コースをとった。しかしそのため, 衝突は避けられないコースに入った・・・と思った瞬間, 光体は機の上500フィート(約150メートル)のところをすれちがった。 ゴーマン機は, この光体と追いつ追われつの空中戦を約20分繰り返したが, 光体は途中で向きを変え, 上昇して姿を消した。 少尉も後を追ったが, 高度14,000フィート(約4,300メートル)で, エンジンが失速し追跡をあきらめた。 【参考文献】 ●『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ゴーマン少尉, UFOと空中戦, 文:秦洋一】, 1985年 ●『UFOの内幕』, 1985年 Tweet ![]() (★ジョージ・ゴーマンによるUFOと機の動きの描写) ■サイト:「history.com」から ![]() ■サイト:「AIPT」から 【参考外部】 ●UFO事件簿(ゴーマン少尉機空中戦事件) ●超魔界帝国の逆襲(〜未確認飛行物体の黎明期〜) 【関連サイト検索キー: Fargo, Gorman UFO dogfight , 1948 】 ●En.Wikipedia (Gorman dogfight) ●history.com(When a U.S. Fighter Pilot Got into a Dogfight with a UFO) ●Think AboutIt- REAL(1948: The Gorman Dogfight ) ●NICAP (Gorman (Fargo) Case ) ●NICAP (Fargo, ND / Gorman "Dogfight") ●NICAP (The Gorman / Fargo, ND Incident ) ●NICAP (Gorman Letter) ●cbsnews.com(10 Famous American UFO Reports: Fact or Fiction?) ●AIPT(What's the deal with that UFO dogfight in History Channel's "Project Blue Book"? Here's the real story) ●YouTube(The Gorman UFO Dogfight - Paralopedia) |
●ブラック・ウィドウ(F-61夜間戦闘機)UFO目撃事件(日本・福岡) |
1948年10月15日, 日本本土上空を哨戒飛行中のF- 61夜間戦闘機の乗員が, 福岡上空で弾丸形のUFOを目撃した。 終戦3年後の当時, 日本の本土上空は, まだアメリカ軍の管理下にあった。 この夜午後11時15分, 福岡上空を哨戒飛行中だったプロペラ駆動のF- 61 "ブラック・ウィドウ(Black Widow)" 夜間戦闘機が, 機上搭載レーダーで, 5マイル(約8キロ)先に時速200マイル(約320キロ)で飛行する未確認の飛行物体を捕捉した。 彼らは, それを6度迎撃したが, そのつど物体は機を引き離した。 物体を1度だけ視覚的に見ることができた。それは, 月明かりに照らされた雲に対して明確なシルエットで見えた。弾丸または飛行船のような形をしており, 底は平らで, 後部は切り取られたかかとのような形をしていた。 物体は機の下に回り込み, その後再び現れて, 時速1,500マイル(約2,400キロ)ほどのものすごいスピードで機から離れていった。 【参考文献・サイト】 ●『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』【第9章/ 大いなる秘密をめぐる攻防】, 著:リチャード・ホール, 訳:青木日出夫, 1989年 ●『ムー(No.5)』【「巨大UFOが地球を脅迫している」, 構成:村上昌彦】, 1980年 ●「Think AboutIt - REAL(1948: October UFO & Alien Sightings )」 ●「ufoinfo.com(On This Day; October 15)」 ●「NICAP(F-61 "Black Widow" Radar Case)」 Tweet ![]() (★P-61 "Black Widow" ; ※「P61」は, 1947年に「F61」に改称) ■サイト:「NICAP」から 【参考外部】 ●Think AboutIt - REAL(1948: October UFO & Alien Sightings ) ●ufoinfo.com(On This Day; October 15) ●NICAP(F-61 "Black Widow" Radar Case) ●NICAP(UFOs with Radar?(J. Allen Hynek)) ●NICAP(Fukuoka, Japan(Dr. James E. McDonald)) ●NICAP(NATIONAL AVIATION REPORTING CENTER ON ANOMALOUS PHENOMENA) |
●緑の火球事件(アメリカ) |
ニューメキシコ上空に, 1948年の秋に出現した謎の 緑の火球 は, 年々夜空に出現し1951年には最高潮に達し, 9個の目撃が報告された。しかし, 1952年以降は出現しなくなった。 流星の世界的権威である リンカーン・ラパス 博士も火球を目撃しているが, 博士はそれらが流星ではないと結論付けている。 緑の火球は, 流星のように落下せず, 頭上を直線で進行し, 通常は消滅するか, 破片を落とさずに空中で無音で爆発した。 【参考文献】 ●『UFOと宇宙(No.18)』【「UFOは地球の救済に来るのか! 」, 文:オットー・B・ワインダー, 訳:久保田八郎】, 1976年 ●『宇宙よりの来訪者』, 1977年 Tweet ![]() (★目撃者リンカーン・ラパス夫人による絵画) ■サイト:「PROJECT1947」から 【参考外部】 ●Wikipedia(緑色火球) ●PROJECT1947 (Green Fireball Chronology) 【もっと詳しく】 ■用語集(サイト内)=>(緑の火球) |
●サンディア基地UFO目撃事件(アメリカ) |
1948年暮れから1950年初頭にかけて, 原子兵器作戦本部の置かれたニューメキシコ州サンディア基地で, 多数のUFO目撃が報告された。 サンディア研究所(Sandia Laboratories)【現在はサンディア国立研究所(SNL)】は, ニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque)の南東に位置するカートランド空軍基地(Kirtland Air Force Base)の敷地内(東側)に設けられたもので, 1949年12月に空軍特殊兵器司令部(AFSWC- Air Force Special Weapons Command)が置かれ研究所と基地を兼ねていた。 アルバカーキの北方50マイル(約80km)にロスアラモス(Los Alamos)があり, 南方約150マイル(約240km)にはアラモゴルド(Alamogordo)原爆実験地がある。 これらの区域において, アメリカは原爆の量産と貯蔵へ向かう第一歩を踏み出したのだ。 この動きに連動するように, 1948年暮れから1950年初頭にかけて, サンディア基地 / 研究所とカートランド空軍基地でのUFO目撃情報が相次いだ。 1948年12月6日午後10時55分, 原子力安全管理部幹部のジョセフ・ツルーズ(Joseph Toulouse)がドライブ中に, サンディア基地の原子兵器工廠の上空に, 緑の火球を目撃した。火球は満月の3分の1の大きさに見え, 真っ赤に燃えるような尾を引いていた。 1949年1月6日午後5時30分, カートランド空軍基地の特別調査本部, 特殊要員ジャック・L・ボリングが後に記述したところでは, サンディア基地に隣接するカートランド兵器庫地域で, 1個のUFOを目撃した報告書を物資保全部長のマシュー・J・ドイルが提出した。 また,同地域を警備する憲兵がダイヤモンド型の白色に輝く,ジェット機よりも早い物体を目撃した。 1949年2月17日午前5時52分, カートランド空軍基地の特別調査部幹部メルビン・E・ニーフ大尉は, オレンジ色で "ガス炎状" の青い尾をひく1個の火球を, サンディア基地で5〜7秒間目撃した。 同日午後5時59分から6時6分に, 1個の黄色がかった明るいオレンジ色の葉巻型光体が, サンディアの軍警備兵を含む約100人によって, 7分間観測された。 1949年3月13日午後9時53分, サンディア基地技術地区を警備する2人の憲兵が, 大きさが満月の約半分ほどで, 青白色ないし緑白色で物体の2倍の長さの炎状尾流を見せて無音で飛ぶ, 1個の球体を目撃した。 サンディア基地における火球の目撃は9月27日, 9月30日, 10月10日と続き, 11月27日にはカートランド基地でも目撃された。 目撃者の一人, 民間航空管理局(CAA)のカートランド航空運輸管制塔のW・W・ジョーンズ主任管制官は, 物体は腕を伸ばして手に持つ鉛筆の消しゴムと同じくらいに見えたという。それは青白色に輝くマグネシウムの炎のようだった。 1950年3月21日午後1時から1時半まで, 兵器研究所およびカートランド空軍基地で多数のUFOが目撃された。 約10種以上の空軍特別調査局の緊急情報報告では, 円形で銀色, 無音で飛行する様々なUFOが, 多くの目撃証人によって記述されている。 1950年3月24日午後3時5分, サンディアの3名の憲兵が円形, 銀色で腕を伸ばしたところにあるソフトボール大の物体を目撃した。 それは空中に静止していたが, 急に時速700マイル(時速約1,100km)で離れていった。憲兵の一人は, その尾流が宙返り飛行を見せていたという。 同日の午後3時47分, 他の憲兵は高度約7,000フィート(約2,100m)の高さでサンディア基地の真上を, 4個の円形で銀色の物体が, ジェット機より速く飛ぶのを目撃している。 これらの目撃事例は, この期間アルバカーキで発生した全目撃数の僅か何分の一に過ぎない。つまり, 1940年代後期から1950年代前期までを通して, サンディアおよびカートランド空軍基地におけるUFOと火球は, 少なくとも軍事的観点から見て驚くべき頻度で発生したのである。 【参考文献】 ●『UFOと核兵器』【第1章/ 初期の各施設UFO事例】, 2011年, 著:ロバート・ヘイスティングス, 監訳:天宮清 Tweet ![]() (★サンディア研究所- 1949年撮影) ■サイト:「roswellbooks.com」から 【関連サイト検索キー: Albuquerque, Sandia, Kirtland AFB, 1948, 1949, 1950, ufo 】 ●En. Wikipedia(Sandia National Laboratories) ●YouTube (Our Roots) ●En. Wikipedia(Kirtland Air Force Base) ●En. Wikipedia(Air Force Nuclear Weapons Center) ●En. Wikipedia(Kirtland AFB UFO sighting) ●NICAP (The New Mexico Sightings) ●NICAP (AESS Observed Green Flare Directly Over Sandia Base) ●NICAP (Vertical Climb,Then Leveled Off) ●NICAP(Diamond- Shaped Light) ●ufoinfo.com(On This Day; January 6) ●NICAP(AFOSI Case 23; Truck Driver Reports Luminous Object With Faint Trail of White Smoke) ●NICAP(AFOSI Case 24; Vertical Climb, Then Leveled Off) ●NICAP (March 13, 1949, Sandia Base, NM, OSI Case 40) ●NICAP(Base Personnel Sight Strange Objects) ●NICAP (March 24, 1950, Sandia Base, NM) ●PROJECT1947 (Green Fireball Chronology) ●Think AboutIt- REAL(1980: Kirtland Air Force Base UFO Landing) ●Texas UFO Museum & Research Library(El Indio 1950) |
●キリーン核兵器貯蔵基地UFO目撃事件(アメリカ) |
1949年3月6日, 核兵器貯蔵のためのテキサス州キリーン空軍基地でUFOが目撃された。 第二次世界大戦後に冷戦が始まり, テキサス州にあるキリーン空軍基地【Killeen Air Force Station- 総合監視レーダー基地, 1961年に閉鎖される】は, 空軍の核兵器貯蔵基地の一つであった。 そこに訓練基地として1942年に, キャンプフッド【Camp Hood- 1950年にフォートフッド(Fort Hood)に改名】という陸軍基地が建設された。 その領域には, 各種原子兵器の貯蔵庫が設置され, 原子力委員会の管理下にあって, 米国内における最重要な原子兵器施設の一つにランクされていた。 1949年3月6日夜, キリーン空軍基地(Killeen AFB)の警備兵が北東の空に, 青い異常な閃光を観測した。その数分後, 別の警備兵が西方の水平を横切るオレンジ色の尾流を引く1個の白色光を目撃した。 同様の目撃は, 3月8日にも発生した。 1949年3月17日夕暮に, 基地情報幹部のホレース・マックルー(Horace McCulloch)大尉は不思議な閃光を目撃する。それが単なる炎や流星ではないと判断し, 直ちにキャンプフッドを警戒態勢においた。 閃光は4月16日と4月18日にも見られた。 1949年4月27日, ピンポン玉サイズの小さな1個の発光体が, 治安警備兵など2つのグループにより目撃され, キリーン基地に報告された。その小さな発光体は, 観測者からわずか6フィート(約1.8m)先の空間を音もなく飛行し, 樹木の小枝の間を通りすぎた。 5分後, 他の4人の警備員は, およそ時速60〜70マイル(97〜113km)で彼らに近づく野球ボール大の光体を目撃した。その後尾に小型の金属性コーン(円錐形の付属物)を取り付けているように見えた。光体は突如方向転換をして飛び去った。 その12分後には, ピンポン玉状の球体が第2の警備員グループに接近し, 数秒間ジグザグ運動を見せてから飛び去った。 1949年4月28日夕刻, 警備その他の要員, 全部で12名が, キリーン基地の南東方向で機動する小型発光体を, それぞれ9ヵ所の別地点から目撃した。光体の1つは先の報告にあった円錐形の付属物(コーン)を持つ白色光体で, その他は白, 赤, 緑と色彩を変える発光体であった。 その一つの目撃は4個の光体群であり, 他の目撃では8個から10個の編隊で成り立っていた。 【参考文献】 ●『UFOと核兵器』【第1章/ 初期の各施設UFO事例】, 2011年, 著:ロバート・ヘイスティングス, 監訳:天宮清 Tweet 【参考外部】 ●Wikipedia(フォート・フッド) ●GlobalSecurity. org(Killeen Base (Site Baker) Gray AFB Robert Gray Army Airfield Killeen, Texas 31°03'53"N 97°49'40"W) 【関連サイト検索キー: Killeen Air Force Base, 1949, ufo 】 ●Texas UFO Museum & Research Library(Fort Hood Sightings, 1949) ●The Nuclear Connection Project(The Camp Hood Sightings) ●TexasEscapes. com(Bell County Postwar Secrets Part 2 Attack on Camp Hood) ●Tall White Aliens(Fort Hood, Texas UFO Wave) ●UFO Casebook(1949- Fort Hood, Texas UFO Wave) 【3月6日】 ●UFOdna(6 Mar 1949 - Killeen Base, Texas, USA) 【3月8日】 ●UFOdna(8 Mar 1949 - Killeen Base, Texas, USA) 【3月17日】 ●UFOdna(17 Mar 1949 - Fort Hood, Texas, USA) 【4月27日】 ●UFOdna(27 Apr 1949 - Fort Hood, Texas, USA) 【4月28日】 ●UFOdna(28 Apr 1949 - Fort Hood, Texas, USA) |
●ハンフォード核施設UFO侵入事件(アメリカ) |
1949年5月21日, ワシントン州にあるハンフォード核施設上空の飛行禁止空域にUFOが侵入した。 ワシントン州にあるハンフォード核施設(Hanford nuclear Site)は, 世界最大の兵器用プルトニウム生産工場であり, 第二次世界大戦中, アラモゴルド(Alamogordo)での人類最初の原爆実験, ナガサキ(長崎)を破壊した原爆に使用された核分裂物質がここで製造された。 1949年5月21日, この飛行禁止空域に銀色の円盤状物体が現われ, ハンフォード施設の真上で空中に滞空するのを職員が目撃した。 その物体は, モーゼスレイク空軍基地(Moses Lake Air Force Base)レーダーでも捕捉され, F-82戦闘機が迎撃スクランブルをしたが, この円盤は高速で飛び去った。 1950年7月30日には, ハンフォード原子力委員会(AEC)施設上空で, 円形の物体が目撃された。物体の高度は15,000フィート(約4,500m)で, ジェット機による迎撃は不発に終わった。 1952年7月6日, 不定期航路の4人のパイロットは, ハンフォードに近いリッチモンドの原子力施設近くの空中に滞空する1個の円盤を目撃した。目撃者の4人は全員がベテランの飛行家であった。 1952年12月10日夜, ハンフォード原子力関連施設付近をパトロール中のF-94戦闘機パイロットは, 26,000フィート(約7,900m)を飛ぶ1個の円形の発光物体を目撃し, 乗員は地上管制本部に問い合わせたが, その空域に他の機体はないとの回答を得た。 物体は白色の円形で, 2個の ”窓” からは, 淡い赤色光が出ていた。 それは視界から消えたが, F- 94の機上レーダーでなお追尾を続けた。そして, 再度接近しようとした時, 物体は方向転換し急降下していった。機は衝突しそうになるので, 何度も進路を変更した。 【参考文献】 ●『UFOと核兵器』【第1章/ 初期の各施設UFO事例】, 2011年, 著:ロバート・ヘイスティングス, 監訳:天宮清 Tweet ![]() ■サイト:「PROJECT1947」から 【参考外部】 参考外部=>Wikipedia(ハンフォード・サイト) 【関連サイト検索キー: the Hanford nuclear Site, ufo 】 ●YouTube(Rep. Bartlett- Size of the UFO Over Hanford Nuclear Site) ●YouTube(UFO's over Hanford Nuclear Site) ●PROJECT1947(UFOs Over Hanford: Commander R.W. Hendershot) ●UFOs & Nukes(Reports Confirm UFO Activity at the Hanford Nuclear Weapons Plant During World War II) ●NICAP(UFO Sighting Over Nuclear Reactor Hanford, Washington July 1945) ●UFO HUNTERS(Hanford Nuclear Reservation, WA) ●UFO HUNTERS(Hanford Nuclear facility (near), WA) 【1949年5月21日】 ●UFO dna(21 May 1949 - Hanford, Washington, USA) ●UFO dna(21 May 1949 - Hanford, Washington, USA) 【1950年7月30日】 ●UFO dna(30 Jul 1950- Hanford AEC, Washington, USA) 【1952年7月6日】 ●UFO dna(5 Jul 1952- Hanford, Washington, USA) 【1952年12月10日】 ●UFO dna(10 Dec 1952- Odessa, Washington, USA) |
●クライド・トンボー博士UFO目撃事件(アメリカ) |
1949年8月20日, 冥王星を発見したことで有名な天文学者クライド・トンボー博士が, ニューメキシコ州ラス・クルーセスの自宅から, 葉巻型のUFOを目撃した事件。 この日の夜10時45分ごろ, クライド・トンボー(Clyde William Tombaugh)博士はラス・クルーセス(Las Cruces)の自宅中庭でくつろいでいた。 妻と姑(妻の母親)も同席していた。3人は空を背にして, はっきりしないシルエットになっている葉巻のような形の黒い物体に注意をひかれた。 その物体の中央部あたりに, 先端から尾部に向かって一列に穴があいていて, そこから黄色い光が洩れていることを確認している。それは, もしかして小さな四角形の窓だったかもしれないという。 博士は, 自宅の裏庭で数々の観測(望遠鏡使用, および裸眼状態において)をしてきたが, このような物体は後にも先にも現われたためしがなかったという。 【参考文献】 ●『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/ 地球の空を飛ぶもの】, 1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎 Tweet ![]() ■サイト:「UfoSightingsDaily」から 【関連サイト検索キー: Clyde Tombaugh, Las Cruces, 1949, ufo 】 ●thinkaboutitdocs.com(1949: Astronomer Clyde Tombaugh UFO Sighting) ●reddit.com(R/UFO) ●nso.lt(Astronomas stebi ・・・) ●UFO SCIENCE SCHOOL(Clyde William Tombaugh) ●en. wikipedia (Clyde Tombaugh) ●UfoSightingsDaily (Lets Celebrate Clyde Tombaugh, ・・・) |
●ファーミントンUFOフリート事件(アメリカ) |
1950年の3月中旬, 昼間3日間にわたって無数の空飛ぶ円盤が, ニューメキシコ州の小さな町ファーミントン(Farmington)上空で目撃された。![]() ■サイト:「海外の妖しいBlog記事から」から 17日の午前には, 町の半分(約3,000人)もの人々が白昼UFOを目撃した。数百機も見たという者が何人かいる一方で, 9機以下という者は皆無であった。 その物体は, まるで鬼ごっこをしているように見え, 時には信じられない速さで視界から飛び去った。 ある人物の三角測量によるとその飛行速度は時速1,000マイル(約1,600キロ), 大きさはB-29爆撃機の約2倍と推定された。 新聞社への目撃報告によると, 物体は銀色に輝く円盤型をしていたという。 また, 1機だけ赤色をしていたと証言する人もかなりいた。 また, ある目撃者によると, 物体は編隊を組んで飛行しているように見えたという。 ※)ファーミントンは石油の採れる町で, 人口は5,000人(当時)を超える。ロスアラモス(Los Alamos)にある核施設から北西に110マイル(約180キロ)離れている。 【参考文献】 ●『UFOの内幕』, 1985年 ●『アメリカ大統領は なぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年 Tweet 【参考外部】 ●海外の妖しいBlog記事から(1950年3月17日、ニューメキシコ州:数百機の UFO が出現、大勢が目撃) 【関連サイト検索キー: Farmington, 1950, UFO 】 ●YouTube (UFO Over Farmington, New Mexico March 17, 1950) ●YouTube (Lecture on UFO Mass Sighting) ●think aboutitdocs. com(1950: The Farmington UFO Armada) ●daily-times.com(Farmington reaches 70th anniversary of mass UFO sighting) ●koat.com(Witness recalls 1950 Farmington UFO Armada) ●gaana.com(About The 1950 Farmington UFO Armada Episode) ●abqjournal.com(One UFO easy to refute; hundreds of them, not so much) ●UFO EVIDENCE (The Farmington UFO Armada ) |
●アレヴァーロ(牧場主)着陸UFO遭遇事件(アルゼンチン) |
1950年3月18日, アルゼンチン(Argentina)に住む牧場主のウィルフレド・H・アレヴァーロ(Wilfredo H. Arevalo)が牧場に着陸した円盤に遭遇した。 この日の午後6時半, アレヴァーロは彼から150メートルほど離れた場所に, 円盤が着陸するところを目撃した。また, もう一つ別の円盤がその上空を飛んでいた。 着陸した円盤は, 青緑色の蒸気を機体の下の方から吹き上げていた。ベンジンが燃えているような強い臭いがした。機体はアルミニウムのような燐光を放つ金属でできているように見えた。機体の上部には, ぐるぐる回る扁平な部分があり, ちょうど蓄音機の上のレコードのようだった。 機体のまん中には, 透きとおったガラスの中に部屋があり, そこには4人の背の高い見かけの良い人間が見えた。彼らはいずれもセロファンでできたような服を着て, いろいろな器具を使用して仕事をしているようだった。 アレヴァーロは, 彼らの顔の白さに驚いたという。アレヴァーロがいることに気づいた宇宙人たちは, いきなりサーチライトを彼に向けた。青い光が, 円盤から照射された。すると, ますます蒸気が濃くなってあたりに立ちこめた。赤になったり青になったりする火焔が, 円盤の底から射出された。 円盤は上昇し, 弱々しいハミング音をたて, たちまち2機とも青い尾を残してチリ国境の上空へと消えていったという。 その翌日, 現場周辺をしらべたアレヴァーロとカウボーイたちは, 円盤の着陸していたと思われる場所の草が焼け焦げているのを発見した。 そこでアルゼンチンの空軍と, ブエノスアエレスの 『ラ・ラゾーン』 新聞に事件を報告した。この新聞は, その後同じ時刻にほかに数人の目撃者がいたことと, 目撃者の名前を報道した。 【参考文献】 ●『ヒューマノイド -空飛ぶ円盤搭乗者- 』【第3章/ ヒューマノイド来訪例】, 編:平野威馬雄, 1974年 Tweet ![]() ■サイト:「visionovni. com」から 【関連サイト検索キー: Argentina, Wilfredo H. Arevalo, march 1950, ufo 】 ●Inexplicata - The Journal of Hispanic Ufology (Luis Burgos: UMMO's Agents in Argentina) ●visionovni. com (LAGO ARGENTINO, SANTA CRUZ: LA PEONZA VOLADORA (18 MAR 1950) ) ●ufoinfo. com (On This Day; March 18) ●Think AboutIt - REAL (1950: March UFO & Alien Sightings ) ●zamanda yolculuk. com (Cellophane Alien Encounter In Argentina) ●UFOdna (18 Mar 1950 - Lago Argentino, Argentina) |
●トレント夫妻UFO目撃事件【マクミンビル事件】(アメリカ) |
1950年5月11日, オレゴン州マクミンビル(McMinnville)の農夫ポール・トレントとその妻(Paul and Evelyn Trent's)が自宅からUFOを目撃し,
写真に撮った事件。 19時30分ごろ, トレント夫人が庭でウサギたちに餌をやっていると, 北東の方向にUFOを見つけ, ポールに庭に来るよう呼びかけた。 ポールが庭に出ると, UFOは西方に向かって移動していた。 トレント夫人が家のなかから写真機をもってきて, ポールが最初の撮影をした。 UFOが北西に動いて速度を速めたとき, 2枚目を撮影した。その際, ポールは右方に移動してゆかねばならなかった。 UFOが迅速に西方に消えてゆくとき, UFOはいくらか傾斜しているのを, 夫妻は確認している。 UFOはあたかも浮遊するかのように滑空し, 回転している様子はなかったという。 ![]() ![]() (★ポールが撮った2枚のUFO写真) 【参考文献】 ●『UFOの謎』, 著:エスタ・レーン, 共訳:金森誠也・岡潤, 1975年 Tweet ![]() (★ポール・トレントが撮った1枚目の写真。物体は直径約25フィート(約7.5m), 原野に立つ小屋の上, 電柱の向こうを飛行した) このトレントが撮った円盤の形状は初期タイプに分類される。 下記の写真は, 1954年3月5日, フランスのルーアン(Rouen)付近でフランス軍のパイロットにより撮影されたものだが, 非常によく似ている。 ![]() 【参考文献】 ●『空飛ぶ円盤の真実』, 1988年, 著者:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎 Tweet ★フランスのルーアン付近上空で撮られた上記の写真のUFOと, アメリカのオレゴン州マクミンビルでポール・トレントが撮ったUFOとの類似性については, 下記のサイトで詳しく述べられています。 【フランス・ルーアンのUFOとの類似性について】 ●ufologie. patrickgross. org (The 1954 French flap:) ●NICAP (RAF Flying Review Photo ) ●aenigmatis. com (RECONNOITRE) 【参考外部】 ●En. Wikipedia (Mc Minnville UFO photo graphs) ●UFO事件簿 (トレント夫妻のUFO写真) 【関連サイト検索キー: McMinnville, Paul Trent, 1950, UFO 】 ●oregonlive. com (Past Tense Oregon: UFO photos taken near Mc Minnville in 1950 still raise questions) ●Skeptical Inquirer (The Trent UFO Photos - "Best" of All Time - Finally Busted? ) ●the living moon. com (The Trent UFO Photos McMinnville, Oregon - May 11, 1950) ●YouTube (What Was On A Farm Near McMinnville, Oregon in 1950? A UFO - Dateline) ●YouTube (Where We Live: McMinnville's famous UFO Festival) ●Think AboutIt - REAL (1950: Mc Minnville, Oregon UFO Photographs ) |
●シーモア・ヘス博士UFO目撃事件(アメリカ) |
1950年5月20日, ローウェル天文台の客員研究員であったシーモア・ヘス博士は, 天文台構内においてUFOを目撃した。 フロリダ大学(University of Florida)隕石学科主任シーモア・ヘス(Seymour Lester Hess)博士は, UFOを目撃した1950年5月当時, アリゾナ州フラッグスタッフ(Flagstaff)のローウェル天文台(Lowell Observatory)の客員研究員であった。 ヘス博士は, その日の体験について, NICAP あての署名入り書簡で, 次のように述べている。 「1950年5月20日午後12時15分から12時20分のあいだに, ローウェル天文台の構内において, この物体を目撃した。 それは, 南東から北西に移動中であった。裸眼でも非常に目につきやすい形態で, かなりの大きさであった。 それが, 視界にあった時間の後半においては, 私は4倍の双眼鏡で観察を行なった。 はじめは垂直方向にある角度で傾いたパラシュートのように見えたが, 半面に太陽を浴び半面陰になった球体, あるいは円盤状の物体も同様の形態に見える」 ヘスは博士は, その物体が雲のない部分にあるうちは明るく輝き, 雲の下を通過する際は, 黒っぽく見えたと書いている。これは, 研磨された金属性の物体なら, たしかにそうなっただろう。 ヘス博士は, ただちに天文台からほんの3マイル(約4.8km)南の気象局に電話を入れ, 雲の底は約12,000フィート(約3.6km)の高さだったことを知った。 博士は, 物体が直径3〜5フィート(0.9〜1.5m), 位置は高度6,000〜12,000フィート(1.8〜3.6km), 天頂約45度にあったと算定した。 雲は物体の移動とは逆方向の北西から南東に流れていた。ゆえに, 物体は何らかの動力が備わっていたに違いないという。時速は約100〜200マイル(161〜322km)と推定した。エンジン音は聞こえなかった。 【参考文献】 ●『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/ 地球の空を飛ぶもの】, 1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎 Tweet 【参考外部】 ●en. wikipedia (Seymour Hess) 【関連サイト検索キー: Seymour Hess, Flagstaff Arizona, 1950, ufo 】 ●coast to coastam. com (FATE Flashback: 'Flying Saucers' in the 1950's) ●project 1947. com (UFOs- A CHALLENGE TO OBSERVATION) ●Think AboutIt - REAL (1950: May UFO & Alien Sightings ) ●NICAP (Part IV Appendices) |
●スティープロック・レイクUFO目撃事件(カナダ) |
1950年7月2日, カナダのオンタリオ州スティープロック湖(Steep Rock Lake)で, 鉱山従業員のある夫妻が, 湖上に浮かぶUFOを目撃した事件。 これは, カナダのオンタリオ州にあるスティープロック鉱山業者(Steep Rock Iron Company)で働く会社の従業員が体験談として匿名で, 社内報 《スティープロック・エコー(Steep Rock Echo)》 誌の1950年9月号と10月号に載せた記事の内容である。 この日の午後, 従業員は妻と釣りのため, ソービル湾(Sawbill bay- 今は, Marmion lakeとして知られる)から入った, とある入り江に出かけた。 その入り江は, 入口の幅が約100ヤード(約90m)で, 切り立った岩に囲まれているため, 外側の湾(湖)からは, 入り江の中は見えないようになっていた。 二人はボートを砂浜に引き上げて, サンドイッチなどを食べくつろいでいた。すると, 突然空気が震えるのを感じた。 彼は, それをダイナマイトの爆発の衝撃波に似ていると思った。しかし, 何の音もしなかったし, 一番近くのダイナマイトを使う採掘現場からもかなり離れているため, その考えを打ち消した。 しかし, 彼は不安を押さえきれず, 近くの岩によじ登った。その岩の上には裂け目があり, そこから入り江の外を見ることができた。 すると, 大きな光沢のある物体が湖水上に浮かんでいるのを見つけた。それは二人のいる, 入り江の入り口から4分の1マイル(約400m)と離れていない場所であった。 彼は妻を呼んで, 岩の隙間から, 今度はそれを二人で覗いた。物体は, 二枚の大きな皿を互いに逆向きに重ねたような円盤状の形をしていて, 端から4フィート(1.2m)ほどのところを丸い黒ぶちの舷窓がぐるりと取り巻いていた。 上部にはハッチの蓋らしきものがいくつか開いていて, 10人ほどの奇妙な格好の小さい人影が, 物体の表面を動きまわっていた。 物体の中心の約8フィート(約2.4m)上のところを環状のレーダーのような物がゆっくり回転していた。それが, 二人の方を向くと動きを止めた。人影も同時に動きを止めた。全てが, 覗いている二人の方に集中しているようだった。二人は思わず頭をすくめた。 そして右の肩ごしに目をやると, 岩の反対側の岸に鹿が水を飲みにやって来ていた。レーダーのような物も人影も鹿を向いていたのだった。レーダーのような物は, すぐにまた回り出し, 再び鹿の方を向いても動きを止めることはなかった。 また, レーダーの輪のような物の下にいる人物だけが, 赤い縁のない帽子かヘルメットのようなものをかぶり, その他の者は紺色のかぶり物をつけていた。身長は3フィート半から4フィート(1〜1.2m)ほどで, 全員がほぼ同じ高さであった。格好も同じようだった。 表情は分からなかったが, 彼らの特徴は自動人形のように動くことだった。身体をねじることができず, 顔の向きを変えるたびに, 足の向きも変えていた。 彼らは一つのホースから水を吸いこみ, もう片方のホースからは, 何かを水中に流しているようだった。 すると, あの回転する輪(レーダー)が, また二人のいる岩の方に向いてきたため, 二人は岩の裂け目から頭を引っこめねばならなかった。そして, 再び頭をあげ見た時には, 物体の表面から彼らの姿は消え失せていた。 物体はすぐに湖面から上昇を始めて, 8フィート(約2.4m)ほどの高さのところで静止した。物体が浮かんでいた水面は, 赤味かかった青色で, かすかに金色を帯びていた。 物体の直径は48フィート(約15m)くらいで, 中央の厚さは約15フィート(約4.6m), 端の厚さは12フィート(約3.7m)ほどであった。それが迎角45度で急速に飛び去り, たちまち遠方に見えなくなった。同時にすぐに突風がどっと吹いてきた。 【参考文献】 ●『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/ 操縦者は誰だ】1988年, 著者:フランク・エドワーズ, 訳者:安龍次郎 Tweet ![]() (★岩かげから湖上のUFOを覗く夫婦) ■サイト:「MYSTERIES OF CANADA」から 【参考外部】 ●En. Wikipedia (Steep Rock Lake) 【関連サイト検索キー:Steep rock Lake, 1950, ufo 】 ●Think AboutIt - REAL (1950: Steep Rock Lake, Ontario, Canada Encounter ) ●MYSTERIES OF CANADA (The Little Green Men of Steep Rock Lake) ●URECAT (JULY 2, 1950, STEEP ROCK LAKE, ONTARIO, CANADA, A MAN AND HIS WIFE) ●Canadian Heritage Matters (Extra! Extra! Small Town Man Perpetrates Big Time Hoax) ●ufoinfo. com (On This Day; July 2) ●intcat (INTCAT 1950 - 1951) ●Think AboutIt - REAL (1950: July UFO & Alien Sightings ) ●noufors. com (FLYING SAUCER OCCUPANTS) |
●ダニエル・フライ無人円盤搭乗事件【ホワイトサンズ事件】(アメリカ) |
1950年7月4日の夜, ニューメキシコ州ホワイトサンズでロケット関係の仕事で働いていたダニエル・フライ氏が, 夜中に直径約9メートルの卵型無人UFOに搭乗し, ニューヨークまでを往復した。 ニューメキシコ州ホワイトサンズ(White Sands)実験場でロケット関係の仕事で働いていた ダニエル・フライ(Daniel Fry) 氏が, 涼しさを求めて散歩中に, 直径約9メートルの卵型無人円盤に遭遇し, 円盤から発する声(英語)に対応し, 円盤内に搭乗した。 円盤内では, 声はフライ氏の頭に直接聞こえてきた(テレパシー)という。 円盤は貨物機であったらしく, 遠隔操作されており, 見えない知的生命体はなぜフライ氏とコンタクトしてきたかを述べたという。 円盤はニューヨーク上空まで飛行し, 元の場所まで約30分で往復した。 【参考文献】 ●『コズモ(UFOと宇宙)No.2』, 1973年(私は円盤に乗った! , 文:ダニエル・フライ) Tweet ![]() (★イラスト:河合徳恵)『世界UFO大百科』から 1950年(後に1949年という証言になる)7月4日の独立記念日に, ニューメキシコ州の軍事施設, ホワイト・サンズ(White Sands)性能試験場のエアロジェット・ゼネラル・コーポレーションの技師であるダン・フライ(Daniel Fry)は, ラス・クルーセス(Las Cruces)の花火見物をするつもりが, バスに乗りそこね施設にひとり取り残されてしまった。 午後8時半頃, 外が涼しかったので散歩に出て, 月に照らされたオーガン山のふもとへぶらぶら歩いていった。 空を見あげると, 星のいくつかが消えたように見えた。やがて星を見えなくしている物体が, フライ目指して近づいてきた。そして物体は, フライから40メートルほど離れたところに音もなく滑るように着地した。 フライは好奇心から, その物体に近づいて周りを一周した。それは, 長球形で, てっぺんと底が平らで, 高さは5メートルほどで, 地面から2メートルほどのもっとも大きい部分の長さは9メートルほどであった。 物体の表面は磨かれた金属のようで, 銀色に紫がかった玉虫色の光沢を帯びていた。表面に触れると, 気温より少し温かく, 巨大な真珠のようにすべすべしていた。 すると, 空中からはっきりした声が英語で, 触ってはいけないと警告するのが聞こえた。話し手はスピーカーかオーディオ機器のようなものを通してしゃべっているような感じで, やがて哲学的なことを詳しく語り, フライは適当に選ばれたわけではないことを告げた。 そして, 宇宙船の中に入ってみるよう誘った。それは遠隔操作されている乗物で, 話し手は1,500キロほど離れた母船にいるという。 入り口が開き中に入ると, そこは幅が2.7メートルと2.1メートル, 高さが1.8メートルほどの船室で, 壁の映写機にはフィルムのリールや動いている部品はついていなかった。 言われてフライが座席に座ると, やがてその宇宙船は, ニューヨークまで30分で行って戻ってきたという。フライの計算では, 時速12,800キロのスピードだったという。 その途中, フライは話し手から, 科学的あるいは哲学的な情報と, さらには地球上の過去の文明, アトランティスやムーやレムリアについて教えてもらったという。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ●『検証 UFOはほんとうに存在するのか? 』【第2章/ かれらは接触する】, 2012年, 著:リチャード・ローレンス, 訳:石原まどか Tweet ![]() ■サイト:「galactic.no」から 【参考外部】 ●GAsite (ホワイトサンズUFO搭乗事件) 【関連サイト検索キー: White Sands, Daniel Fry, 1950, UFO incident 】 ●En. Wikipedia (Daniel Fry) ●WE HAVE CONTACT! (DANIEL W. FRY) ●danielfry. com (The White Sands Incident) ●ghosttheory. com (The White Sands Incident) ●Our Elder Brothers Return (The White Sands Incident (1954)) ●TURMALIN (UFO - Erlebnis von White Sands) ●YouTube (Daniel Fry Series: UNDER STANDING / Rare Speech) ●YouTube (Lightside Contact Series - Dr Daniel Fry) ●unariunwisdom (Daniel Fry's "The White Sands Incident" ) ●REVISTA ufo (Aventuras espaciais de Daniel Fry e Truman Bethurum) |
●デル・リオ近郊UFO墜落事件【エル・インディオUFO墜落事件】(メキシコ) |
1950年12月6日, アメリカ・テキサス州デル・リオ近郊のメキシコ領内の砂漠地帯にドーム型円盤が墜落した。
1950年12月6日午前10時30分から1時間, アメリカ北東部の米軍は国家緊急事態.の状態にあった。 2日後, FBIは, 空飛ぶ円盤に関連する情報について, 陸軍の対敵諜報部隊(Counter Intelligence Corps)が即時高警戒態勢(Immediate High Alert)に置かれていたことを知らされた。 【参考サイト】 ●「NICAPnicap.org(Radar-Inspired National Alert)」 上部にドームが付いた凸レンズに似た20 フィート(約6m)の円盤状の飛行物体が, テキサス州デル・リオ(Del Rio)の西約30マイル(約50km)のメキシコ領の人けのない砂漠砂地に, ななめに突っ込んでいた。 この日(12月6日), 米国のレーダーは墜落の前から, この飛行物体を捕捉していた。近くを飛行していたF-94ジェット戦闘機のパイロットが, 物体を目撃した。 米軍は円盤の墜落地点である, メキシコ国境から約10マイル(約16km)の場所(エル・インディオ(El Indio))にチームを派遣した。墜落場所にパラシュート降下させ, 円盤の側面にUSAAFのマークを型板で赤く塗った。 メキシコ兵たちはすぐに現場に到着したが, 物体は実験的な米軍の航空機であると言われ, 円盤を押収することはできなかった。そして, 墜落場所はすぐに米軍によって封鎖された。 円盤の下部に開いている扉のような部分が見つかり, 船内に入ることができた。 2人のエイリアン(典型的なグレータイプで, 4本の爪のある指があり, 外観は爬虫類で, ぴったりとした銀のスーツを着ていた)は, 両方とも死んでいた。 船内には3つのイスがあり, もう一人乗員がいたことをうかがわせた。その3人目の乗員は, 墜落後に円盤の扉を開ける前にヘルメットをかぶることに成功し, 携帯用反重力装置を使用して墜落現場を離れ, 別の仲間の円盤に救助されたことが推測された。なぜなら, 死亡した乗員が明らかに時間内に使用することができなかったと思われる, そのような装置が, 船内から見つかったからである。 円盤の墜落の原因は, 技術的な誤動作と船内での火災とされ(しかし, 本当の原因はおそらく米国のレーダー施設による電磁干渉である), 2人の死因は, 船内での激しい火災による急速な窒息であるとされた。 また, 彼らの故郷は, ゼータ2レチクル座ゼータ星系とされた。 回収および輸送チームがカルフォルニアからすぐに派遣され, 円盤はキャタピラーマシンによって米国に引き入れられた。後に引きづった痕跡が残されたが, 地元住民に植樹させることで痕跡を消した。 円盤は, ミューロック空軍基地(後のエドワード空軍基地) に移され, 60年代にトノパウ・ネバダ(Tonopah Nevada)施設か エリア51(Area 51) に移された。その後, 1970年にS-4の場所に移された。 (Source: Anton Anfalova crash list, Also Wendell Stevens, UFO Contact from) ![]() 【参考サイト】 ●「thinkaboutitdocs.com(1950: Crash Near Del Rio, Mexico)」 -以下は, 矢追純一氏 が1979年に, アメリカのテキサス州で, ウィリングハム元大佐からのインタビューで得た証言からのものである- 1950年12月7日(6日?), ロバート・ウィリングハム(Robert・B・Willingham)大佐とパーキンス大尉は, テキサス州アビリン市の北西5マイル(約8km)地点上空をF94ジェット戦闘機で飛行していると, ラングトリー空軍基地から無線が入る。 UFOが一機が, カナダ方面からアメリカ領に侵入し, ワシントン, コロラド両州を通過して, そちらのほうに向かっているので待機せよというものであった。やがて, ものすごいスピード(時速3500kmを超えていた)で, 見たこともない物体が飛んでくるのが見えた。それは円盤で, まわりに琥珀色のキラキラした光を放ちながら, 彼らの鼻先をかすめると一直線にメキシコ湾のほうへ向かっていった。 彼らが追跡すると, その物体は急にグラッと傾いてスピードを落とし, 右へ直角にターンして, メキシコ国境の向こうへ墜落していった。そのとき, 基地からの帰投命令が入ったので, 二人はやむなく帰投した。基地に戻ると, 基地内では, 今のUFO墜落の噂でもちきりだった。 ウィリングハム大佐は, その日, 空軍の勤務が午前中までだったので, パーキンス大尉をさそって, 自前で民間の小型プロペラ機を借り, 国境を越えて墜落現場へ行ってみることにした。 砂漠地帯になまなましい墜落の傷跡が百メートルにもわたってつけられていて, その先に軍用の大きなカムフラージュ・ネットが張られているのが見えた。そのまわりには, 何台かの軍用トラックやジープが止まっていて, 大勢のメキシコ兵たちが作業をしているようであった。 大佐は思いきって, 乗っていた90馬力の小型プロペラ機を近くの砂漠に強行着陸させた。二人が近づいていくと, カムフラージュ・ネットの下に銀色に光った金属製の円盤が, 斜めに地面に突き刺さっているのが見えた。直径が10メートルほどの円盤の三分の一ほどが地面にめりこんでいた。 円盤の底部は皿を伏せたような形で, 上部には高さが1.8メートルほどのドームがついていた。その一部は, 爆発事故でもあったかのように穴があき, ふちが焦げて黒ずんでいた。全体のフォームは, ひじょうに滑らかなカーブを描いて, 表面は見たこともない白銀色の金属でおおわれていた。 円盤の周囲には, すでにメキシコ兵たちによって厳重に柵が張りめぐらされていて, 2,30メートル以内に近寄ることはできなかった。 大佐が思いきって柵をくぐって円盤に近づこうとすると, どこからともなく, ひとりの男がスッと近寄ってきて, 低い押し殺したような声で, 近寄らないように脅迫的な言葉を吐いた。大佐はその男が, 軍の秘密諜報機関の送りこんだ情報部員のひとりだとずっと思っていたという。だが, 後で考えてみると, その男は黒い背広に黒いソフトをかぶって黒づくめの服装をしていたという。 メキシコ兵の一部は, 円盤を掘り出す作業をしていたが, 残りの兵は柵の外側で警戒にあたっていた。不思議なことに, そのメキシコ兵や将校までが, その黒づくめの男と大佐たちを, まったく気づかないように知らん顔をしていたという。 大佐は 「空軍のパイロットであるから上司に報告しなくてはならない。柵のなかへ入れて調査させてほしい」 というと, 男は, 「出て行け。今すぐこの場を立ち去らないとMP(軍警察)に逮捕され, 軍法会議にかけられることになるぞ!」 と, 険しい表情で脅した。 この物体がひょっとすると軍の秘密兵器かもしれないと思い, 軍法会議にかけられるほどの国家最高機密に属するものなら手を引くほかはない。まもなくMPをはじめとする特殊工作部隊が, ヘリコプターか何かで到着するなと感じた大佐は, めんどうが起きないうちに現場を立ち去ることにした。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ●『MIBの謀略』【第4章/ 証人と証拠を消しさる謎の謀略組織】, 著者:矢追純一, 1989年 Tweet ![]() (★ロバート・ウィリングハム大佐(1926-2015) ■サイト:「auldsfuneralhome.com」から 【関連サイト検索キー: Robert B. Willingham 】 ●海外の妖しいBlog記事からnews21c.blog.fc2.com(Kevin Randle:Robert Willingham の「1955年にテキサス州でUFOが墜落、ET の遺体を目撃した」という証言は捏造) ●auldsfuneralhome.com(Colonel Robert Burton Willingham | 1926 - 2015 | Obituary) ●YouTube(ufo Colonel Robert B. Willingham admitted chasing a UFO) ●commons.wikimedia.org(File:Colonel willingham.jpg) 【関連サイト検索キー: Near Del Rio, Mexico, UFO Crash, 1950 】 ●kevinrandle.blogspot.com(Del Rio UFO Crash and MJ-12) ●texasobserver.org(ALIENS WITHOUT BORDERS: EXPLORING SOUTH TEXAS’ INTERGALACTIC ATTRACTIONS) ●amazon.com(The Other Roswell: Ufo Crash On The Texas-Mexico Border) ●mexicounexplained.com(The 1950 UFO Crash at El Indio) 【関連サイト検索キー: The 1950 UFO Crash at El Indio 】 ●go.gale.com(Crash at El Indio) ●roswellbooks.com(El Indio 1950) ●YouTube (Weird: El Indio UFO Crash) ●in4mateorg.wordpress.com(UFO believed to have crashed near El Indio, TX) ●bibleufo.net(UFO Crashes) |
Copyright (c) 2016-2023. Oomiya |