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怪奇・不可思議事件集6
(は〜ほ)

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●バミューダ海域に消えた6機の海軍機【フライト19事件】
1945年12月5日に, バミューダ海域で訓練中の5機のアメリカ海軍機と救助に向かった飛行艇1機が消息を絶った。

この日の午後2時 ,5機の海軍機(フライト19)が, フロリダのフォート・ローダデール海軍航空基地の滑走路を編隊を組んで飛び立っていった。
目的は, いつもの訓練飛行で, はじめ東へ160マイル(257km), つぎに北へ40マイル(64km), そして南西へ進路を取って基地にもどるということで
2時間の飛行が予定されていたが, この三角形の飛行プランの頂点は, ぴったりバミューダと一致していた。
5機の海軍機は, ネービー・グラマンTBM3型アベンジャー雷撃機で, 搭乗員は士官パイロットが5名, 下士官兵9名の計14名であった。燃料タンク,エンジン, 計器類, 救命用いかだなど, 機体のすべては離陸前にチェックされており, 各機とも, 1,000マイル(1,609km)以上の飛行に耐えるだけの燃料を積んでいた。
気温は華氏65度。雲はまばらで, 穏やかな北東の風が吹ていた。飛行時間
2,500時間以上の指揮官チャールズ・テイラー中尉は, 隊機をビキニ北方のチキン浅瀬に誘導した。そこで標的廃船相手の爆撃訓練を行なう予定であった。
爆撃訓練を終えて, 編隊が東進しているころの
3時15分に, フォート・ローダデールの管制塔は, 編隊長からのただならぬ通信を受け取った。
「緊急事態だ。コースをはずれたらしい。陸地が見えない…くり返す…陸地が見えない」
基地の管制塔は, 位置はどこかと問い返した。
「位置もはっきりしない。どこにいるのか判らないんだ・・・迷ったらしい…」
「どっちが西なのか判らん。何もかもおかしい…奇妙だ…方角がさっぱり判らない…海の様子も,いつもと違う・・・」
ここで, 交信は一時的にとだえてしまった。
3時30分ごろ, フォート・ローダデールの首席飛行教官は, 飛行実習生の一人であるパワーズを呼んでいるだれかの通信を傍受した。彼は羅針盤がどうなっているかをパワーズに聞いていたが, 「どこにいるのか判らない。最後にターンしてから, 方向を見失ったらしい」 とパワーズからの返事が聞こえた。
管制塔側の首席飛行教官がフライト19の教官を呼ぶと, 「羅針盤が二つともいかれた。フォート・ローダデールを探している・・・フロリダ小島帯の中にいるのは確かだが, どのへんなのか判らない…」 という返事があり, 首席飛行教官は, 太陽を左に見ながら北へ飛べば, フォート・ローダデールに出られると指示した。
「たったいま小さな島の上を飛び過ぎた・・・ほかに陸地は見えない…」 という応答があった。これは, フライト19の教官機がフロリダ小島群にいるのではないことを示していた。通常ならば, 小島群に続いて陸地があるはずなのに, それが見えないというからには, 編隊の全機が迷ってしまったということになる。
フライト19からの連絡は, 次第に聞きとりにくくなっていった。向こうでは, 管制塔の声が聞きとれぬらしいが, 管制塔の方では隊機同士の会話をかなり傍受できた。
このころ, フォート・ローダデールでは緊急ベルが鳴らされ, 救助のための飛行機がすぐさま用意された。双発エンジンのマーチン・マリナー飛行艇が, バナナ・リバー海軍航空基地から飛び立った。マーチン・マリナーの搭乗員は全員で13名であり, 救助に必要な装備を完全に備えていた。
午後4時, 管制塔のオペレーターは, フライト19の指揮官(テイラー中尉)が, 理由もはっきりせずに, スティバー大尉に飛行指揮の代行を頼んでいるのを聞いた。
20分後, 新しい指揮官スティバー大尉が管制塔に交信してきた。彼の声は, ヒステリーを絶望的になりながらも押さえようとしている人のように, 荒々しく, 引きつったような調子であった。
「われわれは, どこにいるのかはっきりしない…基地の北東225マイル(362km)の地点のはずだが…もうフロリダを通過して,メキシコ湾に来ていなければおかしいが…」
いっぽう, 遭難地点と予想される海域に向かったマーチン・マリナー機のコーム中尉から, 離陸
数分後に, 「上空6,000フィートは強風状態」 という連絡が管制塔に入った。だが, これが救難機からの最後の連絡であった。
以後, 管制塔とマーチン・マリナー機との交信はとだえてしまい, それ以上つながることはなかったのである。
日が沈む前に, マイアミの沿岸警備隊の船が, 捜索を開始した。頭上では, 12機の海軍の飛行機が, その地域を空から調べていた。しかし, 海は穏やかで,
夕方の空は晴れわたり, 時速40マイル(64km)ほどの風が吹いていただけであった。救命ボートも, 油の帯も, 一片の残骸も発見されなかった。
捜索は,
一晩じゅう続けられた。夜明けとともに, 捜索はいっそう強化された。航空母艦 『ソロモン』 も, 21隻の船をひき連れて参加した。260機のアメリカの飛行機とバハマ諸島の英国空・海軍からの協力を得て, 史上未曾有の大捜索を行った。
兵士や海兵隊員や, 市民の有志からなる15の陸上部隊が, 遺体や手がかりになるような破片などを求めて, 組織的にフロリダ海岸を北上したり南下したりして捜索を続けた。
捜索はしだいに, 大西洋のはるかかなたのメキシコ湾にまで広がり, 100万平方マイルの4分の1の海域に及んだのである。陸上部隊は, ジープに乗ったり, または徒歩で, 湿地や人里離れた森の中も捜索した。
この捜索は, 史上かつてないほど徹底的で, 大規模なものであった。しかし, すべての結果はゼロであった。失われた飛行機のものと思われる, ほんのわずかな破片も, ネジも, ボタンすら発見されることはなかった。
5日後, 捜索は打ち切られ, 海軍調査委員会が設置されて, この不思議な事件の解明にあたることになった。
【参考文献】
『謎・謎・謎』,1975年
『謎のバミューダ海域』,1975年
『大消滅』,1977年


 



(★同型の雷撃機と飛行艇)
『大消滅』『謎・謎・謎』から

【参考外部】
超常現象の謎解き(バミューダ・トライアングル最大の謎「フライト19消失事件」)
NATIONAL GEOGRAPHIC(第4回フライト19編隊)
不思議なチカラ(フライト19事件…バミューダトライアングルの謎はここから始まった!)
excite.ニュース(バミューダトライアングルの謎がついに解き明かされる?時速270kmの空気爆弾がその正体か?(米研究))
KIJIDASU!(大好き都市伝説) 謎のバミューダトライアングルに消えた第19飛行編隊(フライト19) 〈248JKI07〉)

【関連サイト検索キー: Flight 19, 5 December 1945, Bermuda Triangle
En.Wikipedia(Flight 19)
nasflmuseum.com(The Mystery of Flight 19)
history.com(The Mysterious Disappearance of Flight 19)
9news.com.au(Bermuda Triangle mystery: Australian expert tries to solve fate of 'lost flight' after 75 years)
visitflorida.com(Bermuda Triangle Flight 19: The Lost Patrol from Fort Lauderdale)
history.navy.mil(The Loss of Flight 19)
sun-sentinel.com(Flight 19: Has mystery of Lost Patrol been solved?)
khou.com(75 years later, disappearance of Navy Flight 19 remains a mystery)
traveller.com.au(The strange tale of Flight 19 - the mystery that sparked the Bermuda Triangle myth)
ufoinfo.com(on this day;December 05)
●バミューダ海域の水中ピラミッド
1977年初春, 漁船のソナー・グラフが, バミューダ・トライアングルの海底に, 高さが約180メートルの水中ピラミッドをとらえた。

1977年4月3日の 『読売新聞』 に, 「魔の海域に水中ピラミッド」 という見出しで, 同紙のニューヨーク特派員発で次のような記事が掲載された。

「数多くの船や飛行機が姿を消している謎の ”バミューダ・トライアングル” (魔の三角海域) の海底で, 巨大な水中ピラミッドが発見され, ミステリー・ゾーンにまた新たな謎が生じた。これを報じた米誌 『ワシントン・ポスト』 によれば, 水中ピラミッドの見つかった場所は同海域の大西洋とカリブの接点にある深さ約900メートルの海底で, ピラミッドの高さは約180メートル。この水中ピラミッドの発見について, ベストセラー 『バミューダ・トライアングル』(邦訳題『謎のバミューダ海域』訳:南山宏・徳間書店刊) の著者チャールズ・バーリッツは, かつてこの海域に高度に発達した古代文明が栄えていた証拠ではないか−と述べている」

この問題の "水中ピラミッド" を発見したのは, 1977年の初春のことで, この海域に出漁していた漁船のソナー・グラフにキャッチされたもの。偶然にも, お目当ての魚群ではなくピラミッドが, ソナーのスクリーン上に映し出されたのである。
高さは少なくとも470フィート(143m), 底部各辺は520フィート(159m)ほどで, エジプトのギゼーにあるクフ王(ケオプス)の大ピラミッドと傾斜面の角度はほぼ等しい。
長い歳月の間に重みで海底に沈下したか, それとも泥砂が堆積した結果か, "水中ピラミッド" の一底辺が最初の測定では反対側より長いので, 真の基底部からの高さはもっとあると考えられる。

(★魚群探知器がとらえたもの)
【参考文献】
『大隆起』,1977年【プロローグ(解説:南山宏)の部分より】


 

【参考外部】
ATLAS(海底にクリスタルのピラミッド!?「バミューダトライアングル」の真実)
カラパイア(魔の三角海域「バミューダ・トライアングル」に沈む巨大なクリスタルピラミッドの謎)

怪奇動画ファイル(バミューダトライアングル海底に古代遺跡!)
misaのブログ(バミューダの海底ピラミッド詳細)
ひ
●飛行船R101の怪奇
1930年10月5日に, 飛行船R101はフランスのブーベの丘に激突し炎上した。その2日後に, 船長の霊がアイリーン・ギャレットの降霊会に現われた。

1930年10月7日, 心霊研究家の ハリー・プライス(Harry Price) によって設立された イギリス国立心霊研究所 で, 1930年7月7日に逝去した アーサー・コナン・ドイル の遺言に従い, ハリー・プライスは アイリーン・ギャレット 夫人を霊媒として, ドイルとの交信を試みた。シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルは心霊主義者でもあった。
出席者たちが降霊会室に集まったあと間もなく, 霊媒のギャレットが恍惚状態に陥った。すると出席者たちが聞いたのは, かの有名な小説家のそれではなく, カーマイケル・アーウィンと名乗る男の苦悶にゆがんだ声だった。
カーマイケル・アーウィン空軍中尉は,
2日前に事故を起こし, 死亡した R101号 の飛行船長だった。アーウィンは, 飛行船事故の経過をくわしく述べた。
この会に出席していたレポーターは, 心霊の歴史上劇的な瞬間の一部を綴っていることに気づいた。
彼はこの模様を記事にしたが, それを読んだ中にチャールトンがいた。チャールトンはR101の製作に加わっていた一人だった。かれは, ハリー・プライスに降霊会の報告書の一通をもらいたいと頼んだ。
報告書を検討したチャールトンとその同僚たちは, その内容に驚いた。40以上にもわたる高度な技術的事項と内密にされていた事項が含まれていた。
この事実に感銘を受けたチャールトンは, その後, みずから心霊研究に乗り出し, ついには スピリチュアリスト(心霊主義者) となった。
【参考文献】
『心霊の世界』【第5章/ 霊媒と霊信】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年
『ミステリー・ゾーンへの飛行』【第2部/ 霊界への飛行(ジョン・G・フラーの 「死を拒否した空の男」 を横森氏が再構成), 文:横森周信】, 1982年


 

【参考外部】
ww5.tiki.ne.jp(No.15降霊会で事故の原因を語る亡き船長)
ameblo.jp(降霊術とR101号墜落事件)
mikiomiyamoto.bake-neko.net((1)飛行船の惨劇を予知)
Wikipedia(ハリー・プライス)
ふ
●ファティマの奇跡
1917年, ポルトガルの小さな町ファテマで起きた, カトリック会が公認している, 聖母出現の奇跡の一つであるが, このとき出現した聖母は, コンタクトした3人の子供たちにいくつかの予言を与えた。

ファティマの奇跡
(★何万もの人が集まった6度目のコンタクト)
『UFOと宇宙 (NO.35)』から

(☆)1度目のコンタクト
最初のコンタクトがあったのは,
1917年5月13日のことである。場所はポルトガルの首都リスボンから北東約130kmにあるファテマ村のはずれにある, コパ・ダ・イリアという渓谷である。
コンタクトしたのは, ルシア・ドス・サントス(10歳-少女)と, その従姉妹であるフランシスコ・マルト(9歳-少年), ジャシンタ・マルト(7歳-少女)という付近に住む農家の3人の子供たちであった。
彼らは,
この日に30数頭の羊をつれ村から2.5kmはなれたルシア家の所有地である, この渓谷にきていた。3人が, そこに着いたのはお昼ごろだった。持って来た弁当の昼食をすませると, オリーブの木のそばの草の上にひざまずいて, ロザリオ(カトリック教会における聖母マリアへの祈り)を唱えた。
そのあと3人は, 羊たちが丘の上の草原に行ったのを見とどけると, そこらの石ころや木片を集めては, 模型の家を作る遊びに夢中になっていた。突如, 空中に強烈な稲妻がきらめいた。かみなりかと思った3人は, 帰ろうと羊を追って, ヒイラギの木の近くまで来た。すると, またも一閃, もっと強い光が空中で輝いた。
すると, 3人から1mも離れていない高さ1m少々のヒイラギの木の上に, 1人の貴婦人が立っていた。その貴婦人は, たとえようもない高貴な顔にかすかな微笑みを浮かべていた。胸に両手を組み合わせ, 右手に光る輝くロザリオをさげて, 足元まで垂れさがったゆるやかな衣服は雪のように純白だった。首からは金色のネックレスを胸までさげ, 両肩には黄金色のふちのついた, 足まで垂れた真白なマントをかけていた。ハダシのバラ色の両足をヒイラギの梢にかかった雲の上にふんわりと乗せながら, その貴婦人はルシアと語り始めた。
この, コンタクトは
約10分間続いた。その貴婦人は話し終わると, 直立したまま空中を移動して, 太陽の光の中に消えていった。

(☆)2度目のコンタクト
3人の子供たちは貴婦人との約束を果たすために,
6月13日に再び, コパ・ダ・イリアに向かった。しかし, ルシアたちの行動をひそかに注視する60名ばかりの群衆がついてきた。
ルシアたち3人は, ロザリオを唱えた。終わるとルシアが立ち上がって, 「貴婦人さまがおいでになります」 と叫んで, 3人は前と同じヒイラギの木に近づき, ルシアが空中の一点に向かって歓喜に満ちた表情で話しかけた。周囲の群衆には, 何も見えなかった。
この2度目のコンタクトは,
約15分間で終わった。

(☆)3度目のコンタクト
続く3度目の約束である
7月13日が近づいてきた。この頃になると, 事件が近隣一帯に知れ渡り, 7月13日には, コパ・ダ・イリアの地には3人の他に, なんと5〜6千人の群衆がひしめいていた。
正午ごろ, 稲妻に似た閃光がきらめいて聖母の幻影が現われた。ルシアが空中に向かって話しかける。
ルシアが人々から依頼されていた願い事を伝えると, 本人たちがロザリオを忠実に唱えれば, 本年中にかなえられるだろうと答えた。
続いて聖母はルシアに対して, 時機が来るまでは絶対に口外してはならぬと命令した上で, 重要な秘密を口述した。
−この内容は, ルシア自身の手記に秘められたままレイリアの司教のもとに保管されていたが,
25年後の1942年にカトリック当局から公開された。聖母からルシアに伝えられたこの予言の内容が, 最も意味深長なものとされているのだが, 内容の真相は不明である
何かを語り終わった聖母は静かに東方の空に消えた。このとき群衆には聖母の姿は見えなかったが, ひとかたまりの白雲が3人の子供を取り囲んだのを目撃した。また, 太陽が急に暗くなって, 気温が低下したので, 群衆からどよめきの声があがった。

(☆)4度目のコンタクト
約束の
8月13日には, 数万の群衆がコパの盆地に集合して子供たちを待った。だが, 彼らは郡長のアルトゥール・デ・オリベイ・サントスにウレムへ連行されていたため, この地に来ることができなかった。
集まった群衆は, 子供たちが郡長の手で監禁されたという噂を聞いたために, 郡長に対し怒りだした。しかし, ここで不思議な現象が発生する。快晴の空に突如雷鳴がとどろいたあと, 美しいひとかたまりの雲が降下して, ヒイラギの木の上にとどまり,
10分間ほどして上昇したのである。群衆は, 歓声をあげ, 祝福の言葉を叫びあった。
子供たちと聖母の4度目のコンタクトは, ルシアが監禁から解放された
4日後8月19日, 群衆のいない同じ場所で, ルシアの兄ヨハネを含む4人で行われた。ここでも, 聖母はヒイラギの木の上に立って, 微笑みながら話しかけた。
ヨハネには聖母の姿は見えなかったが, ルシアのコンタクト中に太陽の光が変化し, 聖母が去っていくときに, 空中で爆弾が破裂するような音を聞いた。

(☆)5度目のコンタクト
約束の
9月13日の奇跡を待ちわびて, ぞくぞくと人々が終結した。英国や遠いオーストラリアから視察に来た聖職者やジャーナリストもいた。この日のコパは, 約3万人が集まったと推定されている。大群集で埋まり, 3人の子供が歩行するすき間さえないほどであった。
この日までに聖母の出現したヒイラギの木は, 多数の訪問客の手により引き抜かれており, かわりにそこには木造の "出現の門" が建てられていた。
ルシアは, 群衆に向かって 「ロザリオを唱えてください」 と叫び, ロザリオを唱え始めると, そばにいた人々がひざまずき, みるみるうちに3万人の人々も地面にひざまずいた。
正午になると, 明るく輝いていた太陽が, にわかに光を失ったかと思うと, コパ一帯は黄金色になった。ルシアが, 「聖母さまが,いらっしゃいます! あそこです! あそこ!」 と右手を上げて指さす方向に, なんと銀白色に輝くタマゴ型の物体が, ゆるやかに東から西に移動し, "出現の門" の上まで来てから見えなくなった。
聖母と語り始めたルシアの視線は, 眼前の空間の一点にそそがれ, 体は微動だにしない。群集に見えるのは, 見えない何者かと語り続ける10歳のルシアと澄みきった青空だけだった。
15分が経過し, 「貴婦人さまがお帰りです!」 とルシアの声が響いた。とたんに, あの銀白色のタマゴ型の物体が出現して, ゆっくりと上昇していった。人々は驚異の目をみはって, 口々に叫んだ。 「聖母の乗り物だ!」 錯覚ではなく, この光景は3万人の人々に目撃された。
このタマゴ型物体は, 『聖母の輝く空艇』 と呼ばれている。また, この "空艇" の出現と同時に, ひとかたまりの "雲" が降下して, 3人の子供を包んだ。同時に, 空中から降るまっ白な綿状のものが見えたが, それらは地面にとどかぬうちに消滅した。

(☆)6度目のコンタクト
約束された6度目である最期のコンタクトは,
10月13日に行われた。
この日は, 朝から土砂ぶりの大雨であった。この日集まった群集は7万人以上といわれている。渓谷に入りきれない人々は沿道に待機した。群集はずぶぬれになり, 渓谷の草原はぬかるみと化した。
11時40分, 3人の子供は両親につれられ姿を現した。大群集の祈りの声と讃美歌の歌声がしだいに拡がって, 渓谷にこだました。
正午。突然ルシアが叫んだ。「あそこに, 貴婦人さまが!」 群集の目に, 煙のような白い雲が, 3人の子供の周囲にわき出て,5〜6mの高さに上昇したのが映った。
やがて, 聖母は3人の子供たちに語り終えると, 太陽の方へ上昇していった。その時, ルシアが大声で叫んだ。 「太陽をごらんなさい!」
すると, それまでの土砂降りが急にやみ, 雲が割れて青空が展開したかと思うと, そこに見なれぬ "太陽" が出現した。それは, 急速に火の車のように回転し, その周囲に無数の色光を放っている。
7万人の大群集から, 大喚声がわき起こった。
輝く大円盤は, 回転を停止して, 少し水平に移動し, また元の位置にもどって, ふたたび回転を始め, すさまじい色光を放射した。これが3回繰り返されたあと, 今度はジグザグで下降を始め, 群集の頭上に落下するように見えた。
群集の驚異と畏怖の念は頂点に達した。コパ・ダ・イリアは, いまや興奮と熱狂のるつぼと化した。7万人の目は空中に釘づけとなり, 無数の手が上空に向けられている。
約10分間見えた不思議な "太陽" は, いつともなく姿を消したが, だれひとりとせず立ち去ろうとはしなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.34)』1978年,【ファティマの奇跡(1)その時,ファティマで何が起こったのか?,文:久保田八郎
『UFOと宇宙(NO.35)』1978年,【ファティマの奇跡(2)7万人の群集が目撃した物体は何か?!,文:久保田八郎


 

【参考外部】
Wikipedia(ファテマの聖母)
オカルト・クロニクル(ファティマに降りた聖母――7万人の見た奇跡)
カトリック・あい(秋田でマリア像“奇跡の対面” 聖体奉仕会で「ファティマの聖母」公開)
●フー・ファイターに囲まれた爆撃機編隊
1943年10月14日, ドイツのシュヴァインフルトの空襲中にアメリカ軍のB-17爆撃機編隊が, フー・ファイター群に囲まれた。

この日, アメリカ第384爆撃航空群のB-17爆撃機編隊は, ドイツのシュヴァインフルト(Schweinfurt)に大空襲をかけた。
爆撃中に, 持続的に続いていた敵戦闘機の攻撃が, 突然やんだ。すると爆撃機隊は, 銀色の小さな円盤の大編隊に取り囲まれていた。
円盤は, 直径が約3インチ(75cm), 厚さが約1インチ(25cm)ほどの大きさで銀色をしていた。
円盤の一つが, B-17の1機の尾の部分に衝突した。同時にその爆撃機の右主翼も円盤の集団を突っ切ったが, どちらも被害はなかったという。
これは,
1943年10月24日付けの極秘覚書で, E・R・T・ホームズ(E.R.T. Holmes)少佐が述べていることである。この覚書には, 銀色の円盤群と奇妙な黒い破片の固まりが飛んでいたことも報告されている。
【参考文献・サイト】
『政府ファイル UFO全事件』【第1章/ UFO時代のはじまり】, 著:ピーター・ブルックスミス, 訳:大倉順二, 1998年
「project1947.com(Schweinfurt - A Mystery Solved?)」

 

【参考外部】
project 1947. com (Schweinfurt - A Mystery Solved?)
NICAP (Discs Put Up Protective Shield Around B-17 Formation ??? - Andy Roberts)
NICAP (Who Is Out There? - Wally Hoffman)
NICAP (WW II Document Research - Andy Roberts)
think aboutit docs.com(1943: UFO & Alien Sightings)
へ
●ベトナム戦争中のミステリー・ヘリコプター
1968年のベトナム戦争時, アメリカ兵たちは, 国境線上を飛ぶ未確認航空機を, 何十機もレーダーで捕捉して報告した。

当時の南北両ベトナムを隔てる, "非武装地帯" のすぐ南にあるレーダー前哨に配属されていたアメリカ兵たちは,
毎夜のように国境線上をよぎって飛ぶ, 未確認航空機を何十機も捕捉しては報告した。
ニューズウィーク誌の報道記者ロバート・ストークス(Robert Stokes)は, たまたま現場に居合わせた。ストークスは,
ある晩11時ごろ, ウィリアム・ベイツ陸軍大尉がドン・ハー(Dong Ha)の連隊本部で, 無線装置の前に座っていたときの出来事を伝えている。
一人の海兵隊員が電子望遠鏡ごしに, ベン・ハイ川(Ben Hai River)上空の高度150から300メートルを西進していく, "13組の黄色がかった白灯群" を目撃したと無線連絡してきた。ドン・ハーの当局に照会したところ, その空域を飛んでいる既知の航空機はないことが判明した。
次に第一軍団の最北前哨のレーダー部隊アルファ2に問い合わせると, 物体を捕捉中であることがわかった。その追跡員は, レーダースコープ上のブリップ(blips- 輝点)に取り囲まれていると答えた。
午前1時には, 空軍と海兵隊のジェット機が空中に舞い上がっていた。約45分後, 海兵隊ジェット機の一パイロットが, ヘリコプター一機を撃墜したと報告した。空軍の偵察機が, その空域を飛んで, 赤外線探知器で燃える残骸の正確な位置をつきとめようとしたが, 何一つ発見できず, 彼らが報告したのは, 焼け焦げの跡だけだった。
この南北ベトナム非武装地帯のミステリー・ヘリコプター急襲事件は,
1973年10月16日に思いがけぬ形で, 空軍参謀総長ジョージ・S・ブラウン将軍(General George S. Brown)から記者団に向かって確認された。
ブラウン将軍は,次のように答えた。
あれは, UFOと呼ばれず, 敵軍のヘリコプターと呼ばれた。
1968年の初夏のころ, 非武装地帯付近で目撃された。目撃されるのは, いつも夜間だけだった。その結果, ちょっとした戦闘になった。この戦闘の途中で, オーストラリア軍のB66デストロイヤー(戦術全天候軽爆撃機)が命中させたが, どうしても敵は見つからなかった。敵(北ベトナム)軍はまったく無関係だったが, われわれはいつも反応した。必ず暗くなってからだった。同じことは, 1969年に高原地帯のブレイク(Pleiku at the Highlands)でも起こった。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第7章/ ミステリー・ヘリコプター】, 共著:ローレンス・フォーセット / バリー・J・グリーンウッド, 訳者:南山宏, 1987年


 


サイト:「historynet.com(Helicopters of the Vietnam War)」から


【関連サイト検索キー: Vietnam in 1968, enemy helicopters, ufo
Mysterious Universe (Mysterious Other worldly Military Engagements in the Vietnam War)
huffpost. com (UFOs Confront Soldiers During War, Says Ex- Air Force Intelligence Officer)
Open Minds (UFOs during the Vietnam War)
listverse. com (10 UFO Stories From The Vietnam War Era)
ufo insight. com (The Vietnam War - UFOs, Reptilians, And Opium Stuffed Bodies!)
Think AboutIt - REAL (1968: May UFO & Alien Sightings )
NICAP (The 1968 UFO Chronology)
UFOdna (In June 1968 - Dong Ha, Khu Bon Cu, Vietnam)
UFOdna (15 Jun 1968 - Dong Ha, Khu Bon Cu, Vietnam)
UFOdna (9 Sep 1968 - Dong Ha, Khu Bon Cu, Vietnam)
●ベル・アイランドの空中大爆発
1978年4月2日, カナダのベル・アイランドの島民の頭上で, とてつもない謎の大爆発があった。

ベル・アイランド(Bell Island)は, カナダのニューファウンドランド(Newfoundland)州にある沿岸の町, イングリー(Englee)の真東, つい目と鼻の先にあるグレイ(Grey)諸島の一島である。
この日, この島は突如として, とてつもない謎の大爆発に揺さぶられた。
島民のひとりであるジム・ビックフォードは, 次のように証言した。
「いきなりドカンときた。そいつは家の上で爆発した。おれは鉱山で働いていたから, 一度に300本の発破(はっぱ-ダイナマイト)をかけたこともあるが, それでもあんなでかい音にはならなかったよ」
よほど大量の電流が流れたと見えて, ビックフォードの家のテレビはぶっこわれ, 電話機は壁から吹っ飛ばされてしまったという。それでもカミナリが落ちた証拠や焦げ跡は, どこにも残っていなかったのだ。
ほかの島民たちも大小さまざまの被害を報告した。それによると, ニワトリが数羽死に近くの森から煙が立ち昇り, ある主婦はオーブンが 「スパークした」 と語った。
電気のコンセントが壁から吹っ飛んだ家もある。三度の爆発のあと地鳴りがした, という報告も寄せられた。家の外にいた目撃者は, 「複数の火の玉が, ものすごく明るい銀白の光のすじをひきながら, 島の上空におりてくるのを見た」 と証言した。
ある住民は, 三角形状に配置された三個の丸い穴が, 雪のなかに45センチほどの深さで押しこまれているのを見つけた。
このベル・アイランドの大爆発は, 面白いことに合衆国とカナダの東部沿岸沿いに激しい空中音響活動現象がつづいた期間のすぐあとに発生していることだ。
ワシントンのNRL(海軍研究実験所)から機密解禁された 『東部沿岸大音響現象
1977年12月2日−1978年2月15日のNRL調査』 と題する刊行物によると, 西部(マサチューセッツ州)観測所の記録だけでも, 77年11月28日から78年1月16日までのあいだに200件ちかい空中爆発音が起きている。
事件の多くは航空機のソニック・ブーム(超音速衝撃波音)現象とみなせるが, それでも原因のわからぬ事件がたくさんあった。ベル・アイランドの事件は, 原因のわからぬたぐいの中でも, とくに派手な事件のひとつにまちがいない。

だが, 話はこれで終わりではない。ワシントンDCの国防広報センターによれば, この事件はアメリカのヴェラ衛星にもキャッチされたのだ。
ヴェラ衛星システムは, 大気圏内核実験に対する現行の拘束条件が守られているかどうかの監視手段として, 核爆発を探知するよう設計されている。
ベル・アイランドの閃光(フラッシュ)は, この衛星の探知システムが, ”潜在的核実験” と記録するほどの強烈なものだったのである。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第6章/ 海外での陰謀】, 共著:ローレンス・フォーセット / バリー・J・グリーンウッド, 訳者:南山宏, 1987年


 


(★ベル・アイランド)

サイト:「En.Wikipedia」から


【関連サイト検索キー: The Mystery Bell Island Boom April 2, 1978
YouTube (The Mystery Bell Island Boom April 2, 1978)
skeptoid (The Bell Island Boom)
En. Wikipedia (Bell Island (New foundland and Labrador))
red bubble (The Bell Island Explosion 1978 - EMP weapons? [NL History])
canadas history (Bell Island, Canada's X- Files Isle)
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