UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産)

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UFO関連用語集9
(ら〜ろ)

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ら り る れ ろ
●ライティング・ライツ
( Writing Lights )
 

1967年発行のアメリカの雑誌 『トゥルー』 にUFO研究家のロイド・マラン氏が発表したもので, 肉眼には見えないがカメラに写る光線でUFOのひとつとされたもの。
発表された写真は, フィリピンの修理工ホセ・デル・カスティリョ・ホウシアン氏が,
1966年6月27日に, アルバニイ郡のリゴスの町のワシントン街にある自宅の屋根にのぼって, 夜景の写真を撮ったものであるが, どのコマにも全く見なれない光の曲線が縦横無尽に写っていた。
この謎の光跡にマラン氏が, 「Writing Light(ライティング・ライツ)」 と付し 『トゥルー』 に発表した。 ホウシアン氏は, この光跡を宇宙人が地球人へのメッセージとして書いているのだと断定したという。

(★1972年3月に大阪の中学生が撮影したもの)

(★雑誌 『トゥルー』 に発表されたライティング・ライツ)
【参考文献】
『UFOと宇宙 コズモ』NO.5,1974年【複雑怪奇な点滅光跡の謎,文:高梨純一


参考外部=>Ameba (過去のUFO目撃についてそのA<ライティングライツ>)
●ライト・パターソン基地
( Wright-Patterson Air Force Base )




アメリカ合衆国オハイオ州デイトンに位置するアメリカ空軍の基地。

現在の敷地内で飛行活動を行った, ライト兄弟に因んで名付けられた。空軍基地の中でも, テスト飛行の拠点と言われている。
また, アメリカ政府は, 墜落した宇宙船の残骸や宇宙人の死体を, このライト・パターソン空軍基地に運び, 急速冷凍区画に安置したという噂がある。 安置された, その建物は第18格納庫だという。

【参考サイト・文献】
「Wikipedia(ライト・パターソン空軍基地)」
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』, 1990年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年


参考外部=>UFO墜落: ミステリーハンターマイキー (cocolog-nifty.com)
参考外部=>Wikipedia (アメリカ空軍基地の一覧)


(★基地博物館にある紫電改)
■サイト:「a-hiro.cocolog-nifty.com(ライトパターソン空軍基地に行ってきました。)」 から
●ラサ


(★ラサの西, 普陀山にあるポタラ宮)

西蔵(チベット)自治区の首都。
インドのダージリンの北東400キロ, ヤルツアンポ河の支流キチュ川の右岸に位置する。 標高3,630メートル。周囲を高山に囲まれ, 一年中晴天が多いため <太陽の都> と異称される。
1,300年以上の歴史を有している。チベットの政治・宗教・文化・商工業の中心である。

【参考文献】
『チベットの都・ラサ案内』著者:金子英一, 1982年
●ラップ音(ラップ現象)【叩音(こうおん)】
( Spirit Rapping )

ラップ現象(ラップげんしょう)とは, 誰も関与しないまま, 「誰もいない部屋や, 何も存在しない(ように見える)空間からある種の音が発生し, 鳴り響く」 とされる現象で, 超常現象, 心霊現象といわれるものの一つである。
本来の超常現象的あるいは心霊現象的なラップ音以外にも, 原因不明の音声が鳴る現象を, 広義でこう呼ぶ場合もある。

【参考サイト】
「Wikipedia(ラップ現象)」


叩音(こうおん) = ラップ音。物理的心霊現象 によって生起される音響のこと。
細長い エクトプラズム(ectoplasm) の杖で壁, 床, 家具, 人体などを叩くことによって, あるいは, 一種の気泡状のものを空中につくり, 真空にしてそれを破る等の操作によって音を発生させる。
音響の種類や程度もまちまちで, 戸を叩く音, 木をつつく音, 金属性の音, テーブルを叩く音, 手を拍(う)つような音などがよく聞かれるが, 実際には 「カチカチ」 という微妙な音から 「ドシン」 とか, 大槌(おおづち)で激しく打つような音まで知られている。
この叩音は, 昔から世界中で知られており, 記録としても
858年以降, 数多く残されている。しかし, 霊魂から通信を得る手段として採用したのは, 1848年ハイデスビル事件(ハイデスビルの怪しい音) が最初で, 画期的なことであった。
一般に叩音による問答は, 「はい」 が3回, 「いいえ」 が1回, 「わからない」 が2回と取り決めて行なわれることが多く, さらに必要に応じて, アルファベットを綴らせることも可能である。
【参考文献】(下記を引用)
『スピリチュアル用語辞典』【叩音(こうおん)】, 著:春川栖仙, 2009年


参考外部=>aoiro-remote.com(【霊障チェック】ラップ音って何?【ラップ音】)
参考外部=>magazine.aruhi-corp.co.jp(もしや心霊現象!? 木造で聞こえる((ミシッ))((パキッ))という音の正体は?)
参考外部=>神島千尋オフィシャルブログ(ラップ現象と家鳴りの違い)
参考外部=>YouTube(#ラップ音)
●ラディエステジア
( Radiestesia【フィンランド語】 )

(水脈・鉱脈などの特有の放射の)感知能力;(占い棒・振り子の反応による)水脈[鉱脈]探知。
【参考サイト】
「コトバンク(radiestesia)」


=> 「ダウジング」 参照

●ラボック・ライト 【ラボック光体群】

1951年8月に, テキサス州ラボックで目撃された, 謎の光体群のこと。
この光体群は, この年(
1951年 )に, 14回目撃された。

■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(ラボック・ライト目撃事件)
    
●ルッチのUFO写真

ジェームズ・リッチのUFO写真
『UFOの謎』から


ルッチのUFO写真とは, 1965年8月8日の夜, アメリカのペンシルバニア州ビーバー・カウンターのブライトン・タウンショップに住む, 航空州兵隊所属のプロ写真家の息子であるジェームズ・ルッチ(17歳)が撮った, UFO写真のこと。

■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(ジェームズ・ルッチUFO目撃撮影事件)
●『霊界物語』


(★口述する王仁三郎(向こう側)

出口王仁三郎 が, 口述することにより生み出された81巻83冊の物語。大正10年(1921年)〜昭和9年(1934年)の間に書かれた。

物語は, スサノオという神が主人公で, 地球上を我が物顔でのさばるヤマタノオロチを, 「言向け和し(ことむけやわし)」 て世界を統一, 地上天国 「みろくの世」 を成就させる内容。

【参考文献】
『超訳 霊界物語』, 著者:飯塚弘明;2013年
『出口王仁三郎の大降臨』, 著者:武田崇元;1986年


参考外部=>Wikipedia (霊界物語)
参考外部=>出口王仁三郎と霊界物語の総合サイト - オニド:王仁三郎ドット・ジェイピー (onisavulo.jp)
●霊媒、霊媒者
( Medium, Mediumship または Spirit medium )

超自然的存在(霊的存在)と人間とを直接に媒介することが可能な人物のことである。
日本では口寄せという名でも知られている。 また霊媒者(れいばいしゃ), 霊媒師(れいばいし)などとも呼ばれる。

【参考サイト】
「Wikipedia(霊媒)」


1849年11月14日, ロチェスターにあるクリスチャン・ホールで, 初めて 心霊術者(スピリチュアリスト) たちのささやかな集会が開かれ, フォックス姉妹(Fox sisters) の体験が報告された。
その反応はさまざまで, 敵意さえ見せる者も出る始末だった。ある市民グループは, 心霊術者の主張することを調査するために委員会を結成したほどであった。 だが, 調査したものの, ペテン行為であることが立証できず, この結果に不信を抱いた人々が, もう一つの調査グループを結成して検討したが, これもまた, ごまかしであるという証拠を見つけることはできなかった。
しかし, それでも多くの者は, 姉妹の言い分を突拍子もない虚言だとして信じようとしなかった。姉妹は, リンチにされかけたことさえあったという。 だが, フォックス姉妹以外の人でも, 同じように音が出るにつれて, 敵意は薄らいでいった。 心霊術(スピリチュアリズム) に関心を持つアメリカじゅうの人たちが, 自分の家でも要領次第で, コツコツという音が聞こえるようになったからである。
やがて, 心霊術に関心を持つ熱狂的な人々が増えていった。同時にフォックス姉妹は, あちこちに招かれるようになった。姉のリーア(Leah)は, ハイデスビルのフォックス家で音が聞こえた当時は, そこにいなかったのに, 彼女が最初の本格的な
霊媒者となった。
彼女がひそかに行なった最初の降霊会は,
1849年11月28日である。それから半年後, 妹たちも姉にならって, プロとしての霊媒者となった。
そして姉妹は, "伝道の旅" に出るようになった。オールバニ, トロイ, ニューヨークへと。トロイでは生命の危険にさらされかけたが, それでもやめようとはしなかった。
「コノ真実ヲ世界ニ告ゲヨ」 と, あの ハイデスビルの怪しい音 が, 彼女らに求めたからである。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


わたし(ジョン・A・キール)心霊術(スピリチュアリズム) の信者ではないが,
何年か前に2,3回, 降霊会 に, いつも嘲笑者や不信心家の立場で出席したことがある。長いあいだのアマチュア・マジシャンとして, わたしはそのいんちきを見破ることができたものの, 同時に, 自分で目撃したいくつかの現象には全く当惑させられもした。
本質的には,
霊媒は, ある無意識の状態に陥り, この状態のあいだ, 彼または彼女のからだが外部の力に支配されるのである。この力は, 通常, 自称 "あの世" からきた "インド人ガイド" である。多くの霊媒は, 単純で, 教育のない人々だが, 恍惚(トランス)状態 にあるときは, 外国語を流暢に話すことができる。
科学者や聖職者たちは,
何年にもわたって, 無数の霊媒をきびしくテストにかけてきた。1920年代の一連の降霊会で, いろいろな言語に精通している出席者たちが, 古代中国語からスワヒリ語にいたるあらゆる言語で厳しく尋問したが, 支配している霊(スピリット・ガイド) は, それらの言語で談話しただけでなく, 出席者たちの文法を正しもした!
1850年のニューヨークの最高裁判所の判事 ジョン・ワース・エドモンズ(John Worth Edmonds) のむすめローラ(Laura)は, 恍惚(トランス)状態のもとでギリシャ語, スペイン語, ポーランド語, ラテン語, ポルトガル語, ハンガリー語, それにいくつかのインド語を流暢に話すという信じられないことをやってのけた
【参考文献】(下記より引用)
『UFO超地球人説』【第12章/ 壮大なぺてん師たち;霊媒と悪魔つき】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年


参考外部=>Mediumship - Wikipedia
参考外部=>Ghosts in the Machines: The Devices and Daring Mediums That Spoke for the Dead | Collectors Weekly
●霊媒の詐欺行為

現在のイギリスでは, 起訴されることを恐れず, 霊媒 は降霊を行なうことができる。
もっとも, それは 「欺く意志」 をもってやらず, 「からくり」 を使わない, という条件がついていることは言うまでもない。この条項は,
1951年に条文化されており, 「霊媒の詐欺行為に関する条例」 に, ちゃんとうたわれている。
この条例ができるまでは,
1735年の 「魔女法」 によって, 霊媒は起訴されかねない立場にあった。この魔女法によれば, 霊媒はそれ自体不法であって, 警察は確認がなくても, 降霊会 を捜索することができ, ペテンのかどで投獄することができた。
こうした事件は, 心霊術者たちを動転させた。霊媒たちは降霊の最中, 恍惚(トランス)状態に陥ったときに踏みこまれることを恐れていたという。
イギリスにおける心霊術者と法律との衝突は,
1944年の, ヘレン・ダンカン(Helen Duncan ) 夫人の裁判によって激化した。霊姿化(霊の物体化)現象を引き起こす霊媒として知られていた彼女は, 1931年, 心霊研究所で調査され, その2年後に詐欺のかどで有罪とされ, 少額ではあったが罰金をはらわされていた。
彼女は, 物を飲みこんだり吐き出したりする一連のやりくちが疑われたからであった。彼女が引き起こす エクトプラズム(霊気) が, かみ砕かれたトイレットペーパーと見えたらしい。
*
アメリカにおける霊媒の法律上の地位は, 州によってまちまちである。「霊媒の詐欺行為に関する条例」 に相当する条項はないが, 詐欺行為は他の場合と同様に扱われ, 訴訟の対象となる。
ニューヨーク州とカルフォルニア州では, 霊媒に対して法廷はかなり厳しい。そのために, 起訴を防ごうと, 彼らは聖職者の肩書を用意している。
公認の宗派としてのアメリカの心霊術は, さほど大きな組織は持っていない。「心霊術者協会」 は, 200の教会と5000人の会員を抱え, 一方の 「国際総合集会」 では, 80の教会と1200人の会員を持っている。
国としては小さいイギリスのほうが, はるかに数は多い。500以上の心霊術教会があり, そのほとんどが 「心霊術者国民協会」 に属している。この組織は, イギリスにおける初期の霊媒であり, 心霊術布教に活動的であった エマ・ハーディング・ブリテン(Emma Hardinge Britten) によって設立された。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


参考外部=>En.Wikipedia(Fraudulent Mediums Act 1951) 
参考外部=>En.Wikipedia(Mediumship)
参考外部=>windbridge.org(Are all mediums frauds?)
参考外部=>scamwatch.gov.au(Psychic & clairvoyant)
●レインジャー計画
( Ranger program )

レインジャー8号
(★レインジャー8号)
■サイト:「Wikipedia(レインジャー8号)」から

アメリカ航空宇宙局(NASA)の月探査計画。

月探査機により, 月の近接写真を撮影した。
1959年から計画は開始され, 1号から9号までが打ち上げられた。
1号から6号までは失敗したが, 7号から9号までは, 月面衝突前に月面撮影に成功した。

【参考サイト】
「Wikipedia(レインジャー計画)」
●レチクル座ゼータT,ゼータU


(★マージョリー・フィッシュ)

『UFOと宇宙(コズモ)』(No.6)から

ヒル夫妻UFO誘拐事件1961年 )で, ベティが催眠によってとりもどした記憶にもとづいて描いた図から, 1968年マージョリー・フィッシュ(Marjorie Fish) が, その図を星図にはめこんでいって, その問題の星が, 地球から37光年離れたところの "レチクル座のゼータTとゼータU" という星であることをつきとめた。
ベティの描いた星図には,
1969年になって, はじめてカタログ(グリーゼ近隣星カタログ)に収められた, 3つの星の位置が正しく記入されていたことが判明した。
また,
1978年に起きた ウィリアム・ハーマン事件 において, ハーマンを拉致した宇宙人たちも, レチクル座からきているという。
【参考文献】
『ムー(NO.6)』 【”第4種接近遭遇”事件の謎を探る!!/ 彼らはレチクル座から来ているという;文:並木伸一郎】,1980年
『UFOと宇宙(NO.49)』, 【新展開みせたウィリアム・ハーマン事件;文・ウェンデル・スティーブンス】,1979年


参考外部=>路(リスはUFO接近を感知するか)
●レナード・クランプの正射影法図

ジョージ・アダムスキー(George Adamski) が撮影した円盤と, コニストン事件
1954年 ) のスティーヴン・ダービシャーが撮影した円盤とを比較した レナード・クランプ(Leonard G. Clamp) による正射影法図。


『UFOと宇宙』NO.6【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ, 訳:久保田八郎】から

新聞や雑誌に掲載されたアダムスキー円盤の写真は, すべて 『Flying Saucers Have Landed(邦題:空飛ぶ円盤実験記)』 で発表された写真のコピーであって, 当時だれもがそうであったように, スティーブン・ダービシャーにも, これらの写真を目にする機会はあった。スティーブン自身, このことを否定していない。
しかし, アダムスキー円盤の写真には, 舷窓(窓)が4個以上組をなしているものは1組もなかったのに, スティーブン・ダービシャーが, その後, 書いてみせた 物体のスケッチ では4個の舷窓が並んでいたのである。
スティーブンが, あとでそのことをいろいろ尋ねられたときにも, 彼は頑としてこの主張を取り下げようとはしなかった。確かに窓は4つあった。そう信じていたのである。
ところが, 正射影図で示したように, アダムスキーの写真とスティーブン・ダービシャーの写真とのあいだには, 寸法上のあらゆる点で完全な一致がみられる。 違っているのは, 舷窓の数だけなのである。これは懐疑論者の立場からみても, 少しおかしくないだろうか?
だが, ここに, 故 ウェーブニー・ガーバン(Waveney Girvan) が私に語ってくれた未発表の事実がある。それによると, ジョージ・アダムスキーの写真には, 実際には4個の舷窓が写っていたのだが, 本のページのサイズに合わせて, ウェーブニーが偵察円盤の写真をトリミング(部分切り取り)したため, 発表された写真では, 3個の舷窓しか見えないというのである。このことを知るものは他に誰もいなかった。もちろん, スティーブン少年もこれを知っていたはずがない。
それにも関わらず, 少年の確信がいささかもゆるがなかった。 少年は, 確かに4個の舷窓が隣り合って, 1列に並んでいるのを見たのである。
【引用】
『UFOと宇宙』NO.35【(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤(完), 文:レナード・クランプ, 訳:遠山峻征】
●レーダー
( Radar )

レーダー(英語: Radar)とは, 電波を対象物に向けて発射し, その反射波を測定することにより, 対象物までの距離や方向を測る装置である。
【参考サイト】
「Wikipedia(レーダー)」


レーダーは, "物理的対象物の出現" を探査するために, ラジオ波【周波数30〜300MHz(波長100km〜1m)の電磁波】の放射と反射の原理を含む物理的原理を基礎として操作されており, 軍部や民間のレーダー操作監視員によって記録されたデータは, 経験に基づく証拠とされている。それは, 計量・分析が可能である。
空軍ジェット機や民間旅客機の探査レーダー追跡記録は, 定例として, フライトの位置, 速度, 方向についての現実的証拠として認められているし, 高速探知レーダー追跡記録は, その航空機の飛行高度の測定証拠として採用されている。
同様に, レーダー装置・操作は, 物理的な手段として確立され, しばしばUFOの異常で驚嘆すべき諸能力を知るためには, 極めて役に立つ, 最も経験的な手段であることに疑いはない。

【参考文献】(下記から抜粋)
『UFOと核兵器』【序論/ UFOの実在の証拠とは何か?】2011年, 著者:ロバート・ヘイスティングス, 監訳:天宮清


参考外部=>En.Wikipedia (Rader)
参考外部⇒TOCANA (【動画】「飛行機の120倍速いUFO」を航空機レーダーが捉えた!=ニュージーランド)
●ロサンゼルス事件(アメリカ)
( Battle Of Los Angeles )


1942年2月25日, ロサンゼルスの西方約190キロの地点に現われた, 編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体に, 米軍が, 高射砲攻撃を行った事件。

■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(ロサンゼルスUFO砲撃事件)
●ロスアラモス
( Los Alamos )

アメリカ合衆国ニューメキシコ州北部のロスアラモス郡に位置する町(国勢調査指定地域)。
人口は11,909人(
2000年国勢調査)。
マンハッタン計画 で知られる ロスアラモス国立研究所 があることで有名。
町はメサと呼ばれる高台の上にあり, かつてマンハッタン計画の司令部が置かれたフラー・ロッジ(Fuller Lodge)の周辺が, 現在のダウンタウンとなっている。ダウンタウンはオメガ橋(Omega Bridge)を隔ててロスアラモス国立研究所と繋がっている。

【参考サイト】
「Wikipedia(ロスアラモス)」
●ロスアラモス国立研究所
( Los Alamos National Laboratory, LANL)

アメリカ合衆国エネルギー省傘下の国立研究機関である。
第二次世界大戦中の
1943年に, マンハッタン計画の一環として原子爆弾の開発を目的としてニューメキシコ州 ロスアラモス に創設された。
軍事研究と一般の理学・工学研究, 安全保障等の社会科学研究を行っている。
現所長は, チャールズ・マクミラン(Charles McMillan)。
【参考サイト】
「Wikipedia(ロスアラモス国立研究所)」
●ロズウェル事件(アメリカ)

1947年7月4日, ニューメキシコ州ロズウェル付近に墜落したUFOを, アメリカ軍が回収したとされる事件。

■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(ロズウェル事件)


1978年
, スタントン・フリードマン(Stanton Terry Friedman) が偶然なことから ジェシー・マーセル(Jesse Marcel) に出会ったとき, マーセルは退役し, ルイジアナ州ホウマに住んでいた。
マーセルは, フリードマンに, 当時事件現場で見つけた物質は, これまでに見たことのあるどんなものにも似ていなかったことを打ち明けた。 マーセルの亡くなる
8年前のことである。
マーセルが語った新事実を, フリードマンはじめ何人かが本に書いたことをきっかけに, 当時の目撃者, 証言者が次々と現れ, ロズウェル事件は, 再び注目を集めるようになった。

【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたにか』,2015年
 
●ロズウェル陸軍飛行場
( Roswell Army Air Field )

ニューメキシコ州ロズウィルの8マイル南に位置していた, ウォーカー空軍基地(Walker Air Force Base)のこと。

ロズウェル陸軍飛行場(Roswell Army Air Field)としても知られる。この, ウォーカ空軍基地は,
1967年に閉鎖されたが, 運営されていたあいだは, アメリカ合衆国で最大の戦略航空軍団(SAC)基地だった。
【参考サイト】
「Wikipedia(ウォーカー空軍基地)」
●ロニー・ヒル少年が撮った小人宇宙人

1967年7月21日の午後, アメリカのノースカロライナ州のロニー・ヒル少年が, 着陸した飛行物体から現れた, 小人の宇宙人を写真に撮った。


【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.10)』, 1975年(「銀色の服を着た宇宙人」, 文:高梨純一


■事件詳細(サイト内)
=>UFO事件集(ロニー・ヒル少年宇宙人遭遇事件)


参考外部=>UFO事件簿 (ロニー・ヒル事件)
参考外部=>ロニー・ヒルの宇宙人(1967年7月 米国ノースカロライナ州)写真とレアな報告書 (ameblo.jp)
●ロバートソン査問会
( Robertson Panel )

1953年1月に, UFOの危険性を評価するため, CIA が, ロバートソン(Howard Percy (Bob) Robertson)博士 を議長とし, 開催した査問会。

米空軍のUFO秘密政策のきっかけをつくったものとされている。 また, 空軍上層部は国防総省の命令を受け, この査問会の主旨に従っていたという。査問会の主旨とは, 下記のようなものであるという。
★「UFOは既知の物体だと, 意識しやすくなるように大衆を教育すること」
★「民間のUFO研究団体を警戒すること」 などであった。

【参考文献】
『ムー』No.36 (UFO研究の最高権威ハイネック博士に聞く)


1953年初頭に開かれたロバートソン査問会のあと, その結果をまとめたデュランレポートの中で, 空軍はUFOの目撃情報を否定し, 民間のUFO団体を注意深く監視すべきだという勧告がなされていた。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたにか』, 2015年


参考外部=>En.Wikipedia(Robertson Panel)
参考外部=>Wikipedia (UFO研究) 

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