●UFO研究家・作家・コンタクティなど(名前の頭文字;あ〜お)を紹介するページです。
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人物紹介1
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●アイヴァン・サンダーソン ( Ivan Terence Sanderson ) (1911〜1973);memory アメリカの動物学者, 作家, 超常現象研究家, UFO研究家。 スコットランド出身で, 後にアメリカに帰化した。ケンブリッジ大学卒業。 17歳のときに体験した世界一周旅行で, 超常現象に興味を抱き, 20代の頃には, その興味をさらに深いものとする。 1932年にはアフリカで, 原住民がオリティアウと呼ぶ怪鳥を目撃したといい, これはアフリカに伝わる未確認動物(UMA)のコンガマトーのことと見られている。 テレビやラジオでの活躍のほか, 1965年には超常現象関連の団体としてSITU(Society for the Investigation of the Unexplained - 未解明調査協会または奇現象調査協会)を設立し, 様々な現象の収集, 調査, 紹介に努めた。 超常現象研究家の チャールズ・フォート(Charles Hoy Fort) の早くからの追随者でもあり, オーパーツ, ファフロッキーズ, グロブスター といった超常現象・UMA関連の用語の考案者である。 1969年には, コロンビアの古代遺跡で発掘された黄金細工, 通称 「黄金スペースシャトル」 に対し, これがジェット戦闘機である説を航空工学専門家のアーサー・ポイスリーとともに提唱し, この細工がオーパーツとして注目を集めるきっかけとなった。 このほかにオーパーツ関連として, パナマ南部で発見された, 黄金細工をマヤ文明のブルドーザーだと指摘。 未確認飛行物体(UFO)関連として, UFOの正体を宇宙生物とする説を唱え, 地球外生命体がすでに地球の海底に基地を建造している可能性を示唆。 UMA関連としては, アメリカのミネソタ州で発見された氷漬けの死体 「ミネソタ・アイスマン」 を, フランスの動物学者ベルナール・ユーベルマンとともに研究した末, 本物の獣人と結論づけている。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アイヴァン・サンダーソン)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Ivan T. Sanderson) ■事件詳細(サイト内) =>怪奇事件集(アイヴァン・サンダーソンの不思議な体験) 参考外部=>ASIOS(超常現象の研究者紹介―アイヴァン・サンダーソン) 参考外部=>ufo.se(Sanderson, Ivan Terence (1911-1973)) 参考外部=>FANDOM(Ivan Sanderson) 参考外部=>From an Oblique Angle(Ivan Terence Sanderson as a Fortean) 参考外部=>GA Site(世界12の "魔の墓場” 第3話 アイバン・サンダーソン) 参考外部=>Kz. UFO現象調査会(動物学者・超常現象研究家 IvanT. Sanderson(アイヴァンT・サンダーソン)) 参考外部=>超常現象の謎解き(古代に存在した飛行機「コロンビアの黄金ジェット」) 参考外部=>ameqlist 翻訳作品集成(アイヴァン・T・サンダーソン) 参考外部=>Geni (Ivan T Sanderson) 【サイト内の主な著書】 ・『UFO海底基地説』 1976年, 著者:アイヴァン・T・サンダーソン, 訳者:久保智洋 |
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●アイゼンハワー大統領 ドワイト・D・アイゼンハワー の項を参照 |
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●アイリーン・ギャレット ( Eileen Jeanette Vancho Lyttle Garrett ) (1893〜1970);memory アイルランド人女性の 霊媒者。 イギリスの非営利団体British College of Psychic Science(カレッジ・オブ・サイキック・スタディーズの前身)の創設者であるジェームス・ヒューワット・マッケンジーのもとで透視能力を開発し, 霊媒となったとされる。 1920年代中頃には, 予知能力者として 心霊主義者(スピリチュアリスト) たちの間で著名な存在となった。 1931年には, 米国の 心霊現象研究協会(SPR -Society for Psychical Research) の招待を受けてアメリカにわたり, ニューヨークなど全米各地の大学で心霊パフォーマンスを行なったほか, 警察の行方不明者捜索にも協力した。 超常現象関連の書籍や各メディアには, ギャレットの霊媒としての実績について, 以下のような記録がある。 ●1928年の 交霊会 で, 第一次世界大戦のイギリス撃墜王 ウォルター・ヒンチリフ(Walter Hinchliffe) の霊から, 2年後の1930年に起きるイギリスの飛行船 R101 の墜落事故について聞かされた。 ●R101の事故の2日後の交霊会で, R101の船長の霊と会話し, 事故の内容について知った。その内容は, 後の公式調査機関による調査報告内容と一致していた。 ●封をした封筒の中身を言い当て, その中身を入れた人物の容貌を正確に描写した。 心理学者のローレンス・ルシャンは, 自ら主催した実験でギャレットの披露した透視の結果に感嘆した。 彼女のパフォーマンスに感銘を受けた者の中には, 心霊主義者のみならず懐疑主義者もおり, 頑固者といわれた映画監督のセシル・B・デミルも, 亡き母の霊が自分のそばにいるとのギャレットの語りに感涙した。 また, ギャレット自身は初等教育しか受けていなかったが, その才能, 知性, 人柄により アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle), バーナード・ショー, カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung) と言った多くの著名人たちが彼女に惹きつけられた。特にドイルは, 前述のR101の事故をギャレットが予知した際, R101の航行を中止するようイギリス航空省へ訴えたという。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アイリーン・ギャレット)」 高潔このうえなく, 著名な女性霊媒者である, アイリーン・ギャレット夫人は, ハリー・プライス(Harry Price) が計画する綿密な交霊実験に熱心に協力しており, それによって, 自分の不思議な能力の信憑性をよりいっそう高めてきたのだった。 ギャレット夫人がトランス状態に入ると, いつもと同様に自分の声とまったく違った, ウヴァニ(Uvani) という名前の スピリット・ガイド(支配霊) の声でしゃべりだした。ウヴァニは数年ほど前に初めて出現し, 「自分は, 死後の世界が存在することを証明しようとしている死者の霊と, ギャレット夫人との橋渡しをするために遣わされた, 古代インドの武人である」 と名乗っている。 彼は, ゆったりと深い調子をたたえた自分の声で霊言を仲介したり, いわば自分が身を引く形で, 霊に直接語らせたりと, 時と場合によって, スタイルを変えることがあった。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『X-ZONE(NO.6)』【交霊会で明らかになった大惨事の真相】, 1997年 アイリーン・ギャレット夫人は, 1970年にこの世を去った。最後の日まで彼女は, 彼女が認めざる得なかった 心霊現象 と自然現象とを融合させるために全力を尽くした。 彼女が生前に折に触れてもらした, いくつかの言葉を記しておこう。 ●"宇宙の窮極的な性質においては, 時間と空間のあいだに区別はないのです" ●"霊界との交信は不可解で複雑ですが, これを単なるミステリーとしておいてはなりません。これを研究し, 解明して, 二つの状態で実在する存在の間で行われる交信の方法を発見する必要があります" ●"私はウヴァニ(降霊時の彼女の支配霊(spirit-guide))のような仲介者がコントロールしていると思われる, 霊との交信のプロセスの真相を知りたい。長年の間, 私を支えてきたのは, ただこの真摯な欲求だけでした" - しかし, 彼女はついに生前には, このゴールに到達はできなかったが。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『ミステリー・ゾーンへの飛行』【第2部/ 霊界への飛行(ジョン・G・フラーの 「死を拒否した空の男」 を横森氏が再構成), 文:横森周信】, 1982年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Eileen J. Garrett) 参考外部=>mikiomiyamoto. bake-neko.net( 20世紀最大の女性霊能力者アイリーン・ギャレットの真実) 参考外部=>occultic.net(アイリーン・ギャレット) 参考外部=>The Spirit and Science Of Psychometry (paranormal dailynews. com) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk(Eileen J Garrett) 参考外部=>occult-world. com(Garrett, Eileen J.) 参考外部=>spiritual pathspiritualist church.org(EILEEN J. GARRETT: Skeptical Medium) 参考外部=>parapsychology. org(About the Eileen J. Garrett Scholarship) |
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●青木栄一(あおきえいいち) 【青木榮一】 (1930〜); 東京教育大学文学部英文科を卒業, 北海道新聞のワシントン特派員, 論説委員を経て, 著述業(翻訳家)となる。 【参考文献】 ・『謎の白鳥座61番星』1975年, 著:ロビン・コリンズ, 訳:青木榮一 ⇒ ・Wikipedia(青木栄一 (1930年生の翻訳家)) 参考外部=>紀伊國屋書店(日経ビジネス人文庫) |
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●青木日出夫(あおきひでお) (1936〜2006);memory 早稲田大学大学院英米文学研究家卒, アメリカ文学研究家。 多数の訳書あり。 【参考文献】 ・『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』1989年 ⇒ ・Wikipedia(青木日出夫) 【サイト内の主な著書】 ・『UFOに関する極秘ファイルを入手した。』, 著者:リチャード・ホール, 訳者:青木日出夫 |
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●青木謙知(あおきよしとも) (1954〜); 1984年, 月刊 『航空ジャーナル』 編集長。 1988年6月, フリーの航空・軍事ジャーナリストとなる。 航空専門誌などへの寄稿だけでなく新聞, 週刊誌, 通信社などにも航空・軍事問題に関するコメントを寄せている。 【参考文献】 ・『F-2の科学』, 2014年 ⇒ ・Wikipedia(青木謙知) 参考外部=> 現代ビジネス(『飛行機事故はなぜなくならないのか』) 【サイト内の主な著書】 ・『F-2の科学』, 著者:青木謙知, 写真:赤塚聡 |
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●青山透子(あおやまとうこ) (?〜); ノンフィクション作家。 東京大学大学院博士課程終了, 博士号取得。 日本航空国際線客室乗務員として国内線時代に事故機(日航123便)のクルーと同じグループで乗務。 その後, 官公庁, 各種企業, 大学等で人材教育に携わる。 著書に 『日航123便墜落 疑惑のはじまり - 天空の星たちへ』 などがある。 【参考文献】 ・『日航123便墜落 遺物は真相を語る』, 2018年 参考外部=> HatenaBlog(「日航123便墜落―遺物は真相を語る・天空の星たちへ」公式ブログ) 参考外部=> HatenaBlog(読書日記-青山透子「日航123便墜落の新事実目撃証言から真相に迫る」) 【サイト内の主な著書】 ・『日航123便墜落疑惑のはじまり』, 2018年 ・『日航123便墜落の新事実』, 2017年 ・『日航123便墜落遺物は真相を語る』, 2018年 |
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●赤間剛(あかまごう) (1945〜); フリーライター。 軍事・宗教関係を中心に雑誌にルポ・評論を寄稿。 【参考文献】 ・『フリーメーソンの秘密』 ⇒ ・Wikipedia(赤間剛) 【サイト内の主な著書】 ・『フリーメーソンの秘密』, 1983年 |
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●秋山眞人(あきやままこと) 【秋山真人】 (1960〜); 国際気能法研究所所長。 大正大学大学院文学研究科宗教学博士課程前期終了。 13歳のころから超能力少年としてマスコミに取り上げられる。 ソニーや富士通, 日産, ホンダなどで, 能力開発や未来予測のプロジェクトに関わる。 画家としても活動し, S・スピルバーグの財団主催で画展も行っている。 コンサルタント, 映画評論も手がける。 著者は多数, 100冊を超える。 【参考文献】 ・『UFOと交信すればすべてが覚醒する』, 2023年 ⇒ ・Wikipedia(秋山眞人) 参考外部=>2021年に起きることを予測! パンデミックの予想を的中させた秋山眞人が登場! (excite.co.jp) 参考外部=>「Lシフト」著者:秋山 眞人、布施 泰和 - ミケハのブログ (muragon.com) 【サイト内の主な著書】 ・『UFOと交信すればすべてが覚醒する』, 著:秋山眞人, 協力:布施泰和, 2023年 |
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●アグネス・ニコル【サミュエル・ガピ夫人 / アグネス・ガピ・フォルクマン】 サミュエル・ガピ夫人【アグネス・ニコル / アグネス・ガピ・フォルクマン】 の項を参照 |
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●浅川嘉富(あさかわよしとみ) (1941〜); 地球・先史文明研究家。 大手損害保険会社の重役職を投げうって, 勇躍, 世界のミステリースポットに向け, 探究の旅に出る。 結果を何冊かの本にして刊行している。 【参考文献】 ・『クラリオンからの伝言超次元スターピープルの叡智』 ⇒ ・Wikipedia(浅川嘉富) 公式サイト⇒浅川嘉富の世界へようこそ 【サイト内の主な著書】 ・『クラリオン星人にさらわれた私/ 超次元の扉』, 著者:マオリッツォ・カヴァーロ, 訳者:やよしけいこ, 監修:浅川嘉富, 2009年 ・『クラリオンからの伝言/ 超次元スターピープルの叡智』, 著者:マオリッツォ・カヴァーロ / 浅川嘉富, 2009年 |
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●浅川義治(あさかわよしはる) (1968〜); 日本の政治家。日本維新の会所属の衆議院議員。元横浜市会議員。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(浅川義治)」 元銀行員の浅川氏は, 横浜市議などを経て2021年に初当選すると, UAP 問題を日米同盟上も決して見過ごせない問題と位置づけ, 国会でUAP関連の質問を重ねてきた。 2023年9月12日に開かれたメキシコ議会における初のUAP公聴会に, 日本の政治家で唯一招待され, 陳述者の一人として, UAPを安全保障と航空安全, 情報公開, 科学, 人権問題として訴えた。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『週刊ポスト(2023年10月20日号)』【UFOと宇宙人,ついに現わる! 】, 2023年10月 公式サイト⇒衆議院議員 浅川義治 参考外部=>【維新deGO!】人生深掘り企画!浅川義治編〜独占取材?UFO問題に斬りこむ!〜 - YouTube |
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●浅野和三郎(あさのわさぶろう) (1874〜1937);memory わが国の心霊研究の草分けであると同時に, 最も重要な研究者の一人である。 日本神霊主義(日本スピリチュアリズム)を提唱し, その体系化に努力した。 これはいわゆる スピリチュアリズム を基本として, 日本人に相応しい人生の指導原理を示したもので, 精神統一の実践と守護霊説が盛り込まれていることに特徴がある。 彼は茨城県の出身で, 旧制一高を経て東京帝国大学英文科を卒業し, その後, 東京高等商業学校,海軍機関学校(横須賀)の教官となり, 英文学者として目覚ましい活躍をしたが, 横須賀時代に, ある霊能者の霊視(透視)現象に接して, はじめて超常的現象に興味をもち, その研究のためには修業と 審神者(さにわ) の果たす役割を解明することが重要であることに気づいた。 大正5年(1916年), 京都府・綾部に移り, 大本教の 出口王仁三郎 に接近し, そこで, 宗教より心霊現象の研究, ことに鎮魂帰神の実験と, その際に現われる心霊現象を徹底的に調査研究することになった。 【参考文献】 ・『スピリチュアル用語辞典』【浅野和三郎(あさのわさぶろう)】, 著者:春川栖仙, 2009年 ⇒ ・Wikipedia(浅野和三郎) 参考外部=>日本心霊科学協会shinrei.or.jp(浅野和三郎と鎮魂帰神法、そして吉田正一の理論・思想) |
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●飛鳥昭雄(あすかあきお) 【あすかあきお】 (1950〜); 子供の頃から古代古墳に囲まれた環境で育ち, UFOを目撃し超常現象の世界に興味を持った。 超能力・古代文明・UFO・神秘・UMA・怪奇・心霊などの世界を研究し, サイエンス・エンターティナーとして活躍中。 【参考文献】 ・『最終UFO兵器「プラズナー」の真相』 ⇒ ・Wikipedia(飛鳥昭雄) 公式サイト⇒ASKA AKIO WORLD 【サイト内の主な著書】 ・『恐竜絶滅の大真実』, 1992年 ・『UFO2の大真実』, 1992年 ・『最終UFO兵器「プラズナー」の真相』, 1993年 ・『恐竜には毛があった!!』, 1994年 ・『「竹内文書」と月の先住宇宙人』, 2004年 ・『超都市伝説スペシャル』, 2007年 ・『超都市伝説スペシャル2』, 2007年 |
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●アニー・ジェイコブセン ( Annie Jacobsen ) (1967〜); 調査報道ジャーナリスト。 ロサンゼルス・タイムズ・マガジンの編集に携わるほか, 多くの雑誌に寄稿する。 秘密基地の全貌を初めて明らかにして, 世界的なベストセラーとなった 『エリア51』 をはじめ, 『ナチ科学者を獲得せよ! 』, 『ペンタゴンの頭脳』 と軍事開発の闇を追う話題作を精力的に発表する。 【参考文献】 ・『アメリカ超能力研究の真実』, 2018年 参考外部=>第二級活字中毒者の遊読記(「エリア51」アニー・ジェイコブセン) 参考外部=>21世紀, SF評論(アニー・ジェイコブセン『エリア51―世界で最も有名な秘密基地の真実』(太田出版)磯部剛喜) 参考外部=>HONZ(『エリア51』アメリカで賛否両論の話題作) 【サイト内の主な著書】 ・『エリア51』著:アニー・ジェイコブセン, 訳:田口俊樹, 2012年 ・『アメリカ超能力研究の真実』著:アニー・ジェイコブセン, 訳:加藤万里子 |
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●天宮清(あまみやきよし) (1944〜); UFO研究家。 1960年, 16歳の時, 松村雄亮 氏率いる 宇宙友好協会(CBA) に入会。 CBAの様々な観測会・講演会に参加し, 何度もUFOを目撃。 CBAの会誌 『空飛ぶ円盤ダイジェスト』 の編集長としてUFO情報に対する啓蒙活動に携わった。 1976年, 奈良県天理市に移住。関西地方でUFO観測などの活動を再開。 個人誌 『UFO RESEARCHER』 を創刊し, 米国, 中国, 台湾のUFO研究組織とも交流している。 【参考文献】 ・『UFOと核兵器』, 2011年 参考外部=>gendaigaku.com(天宮清) 参考外部=>UFO研究と体験撮影報告(天空人きよりんのUFO探索の在り方) 【サイト内の主な著書】 ・『UFOと核兵器』, 著:ロバート・ヘイスティングス, 監訳:天宮清 ・『日本UFO研究史』, 2019年 |
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●アメリア・イアハート ( Amelia Mary Earhart ) (1897〜?);? アメリカの女性飛行家。 1927年5月のチャールズ・リンドバーグの大西洋単独横断飛行に続き, 1932年5月に女性として初めての大西洋単独横断飛行をしたことから, ミス・リンディの愛称でもてはやされた。 アメリアは, さらにハワイ - カルフォルニア間の単独飛行, メキシコシティー - ニュージャジー間の単独無着陸飛行など, 航空史上に残る壮挙をつぎつぎとなしとげた。 1937年7月の赤道上世界一周飛行の途中, 南太平洋において行方不明となった。 【参考文献・参考サイト】 ・『ミステリー・ゾーンへの飛行』, 1982年;【「イヤハート消失の謎」, 文:横森周信】 ・『世界謎の10大事件』, 1984年;【「女流パイロット消滅事件」, 文:醍醐寺源一郎】 ・「Wikipedia(アメリア・イアハート)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Amelia Earhart) 参考外部⇒thisday in aviation. com(Amelia Mary Earhart (24 July 1897- )) 参考外部⇒enigma- calender. blogspot.com(伝説の女性飛行士アメリア・イアハートは何処へ消えたのか?) |
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●荒井欣一(あらいきんいち) (1923〜2002);memory 日本のUFO研究の草分け的存在者であり, 1955年に, 日本初のUFO研究団体 「日本空飛ぶ円盤研究会」(JFSA)を創設し, 1979年には, 「UFOライブラリー」 を開設, 主宰した。 太平洋戦争では, 陸軍航空隊でレーダー装備を担当し, 戦後は大蔵省印刷局に勤務していた。 ⇒ ・Wikipedia(荒井欣一) 参考外部=>UFOの里ブログ(U−タンが勝手に決めた荒井欣一氏UFOライブラリー寄贈資料ベスト5) 参考外部=>UFO研究所について 【サイト内の主な著書】 ・『アポロと空飛ぶ円盤』著者:荒井欣一 / 平野威馬雄,1973年 |
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●荒俣宏(あらまたひろし) (1947〜); 作家, 博物学者。 文芸評論家, 英米文学研究家, 神秘学研究家, 魚類研究家と百科全書派的好奇心ですべての分野をクロスオーバーさせるネオ・コスモポリタン。 【参考文献】 ・『神秘学オデッセイ』, 1982年 ⇒ ・Wikipedia(荒俣宏) 参考外部⇒松岡正剛の千夜千冊 (荒俣宏・世界大博物図鑑) 参考外部⇒shiruporuto.jp(自分を磨く たくましく生きる) 【サイト内の主な著書】 ・『神秘学オデッセイ』, 著:高橋巌+荒俣宏 |
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●アラン・カルデック( Allan Kardec ) 【イポリット・レオン・ドニザール・リベール】 (1804〜1869);memory アラン・カルデックは、フランスの教育学者・哲学者。スピリチュアリズム の創始者でもある。 生まれたときは, イポリット・レオン・ドニザール・リベール(Hippolyte-Léon-Denizard Rivail)と名づけられたのだが, 前生の名と信じてアラン・カルデックをペンネームとした。彼のテキストは, 現在でも読まれている。 【参考サイト・文献】 ・「Wikipedia(アラン・カルデック)」 ・『心霊の世界』, 1977年 アラン・カルデックは, 1857年に 『霊の書(Le Livre des Esprits(英:The Spirits Book))』 を著した。彼は, 霊魂は輪廻転生によって進展することを信じていた。そして, この考えを広めるために, 1858年, 「心理研究会(the Parisian Society of Spiritist Studies)」 をパリに創設した。 【参考文献】(下記より引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 心霊術者の教会(Spiritualist church)は世界中にあるが, イギリス, アメリカを除くと, 他の国ではあまり発展をみせていない。 ただブラジルだけは例外で, 約500万人の信奉者がいる。ブラジルでの 「心霊説(スピリティズム;Spiritism)」 の信仰は, アラン・カルデックによって系統化された。 彼の本名はイポリット・レオン・ドニザール・リベールといい, 子どものころから心霊の勉強を始めていたという。彼は, どんな質問にも答えられるように, 降霊能力を持つ10人の助手を使っている。 カルデックはこうして得た回答を厳選し, 編集し, 『霊の書』 として出版した。この本の1018の質問と答えは, 創作から倫理に至るまで, 実に広範囲にわたっている。本の主な章は, 霊のさまざまな領域や心霊的発展や転生信仰といったものまで扱っている。 カルデックによれば, 霊魂は転生するばかりでなく, より進歩した人が住む天体で生まれ変わり, さらに進歩するのだという。 【参考文献】(下記より引用) ・『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Allan Kardec) 参考外部=>En.Wikipedia(Spiritualist church) 参考外部=>Wikipedia(スピリティズム) 参考外部=>En.Wikipedia(The Spirits Book) 参考外部=>fer.org.br(ALLAN KARDEC) 参考外部=>projetokardec. ufjf.br(Allan Kardec) 参考外部=>spiritistps.org(Short Biography of Allan Kardec) 参考外部=>kinokuniya.co.jp(アラン・カルデックの「霊との対話」) |
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●アルバート・ベンダー ( Albert K. Bender ) (1921〜2016);memory 1950年代と60年代に, 最も影響をおよぼしたUFO研究家。 彼はペンシルバニア州で生まれ, 1944年頃にカナダに移住した。 1952年にIFSB(International Flying Saucer Bureau - 全米空飛ぶ円盤局)という, 世界で最初の民間UFOクラブを発足させた。 彼は超常現象の研究者にありがちな, 狂気じみたところが少しもなく, 熱狂的なUFO教徒たちとは, およそ対極にいるような紳士であった。 重箱の隅をつつくようなUFO研究ではなく, 現象全体の背後にあるものを理解しようとする目を持っていた。その鋭い直感は, 理論や証明を飛び越して, まず先に真実をつかみだしていた。 ベンダーの人柄を反映してか, IFSBは着実に成長を始め, 短期間のうちに世界に拡がる組織へと成長していった。 各地から寄せられるUFO情報は, ベンダーの際だった洞察力と分析によってまとめられ, 会誌の 『スペース・レビュー』 に掲載された。 これが大きな反響を呼び, 会員たちに知的興奮を引き起こしたのである。しかし, 1953年, 何の予告もなく 『スペース・レビュー』 の発行が打ち切られた。 会員たちは, ベンダーの突然の "沈黙" に大きなショックを受けた。 その中の一人に, グレイ・バーカー(Gray Barker) がいた。 やがてバーカーは, ベンダーが沈黙する直前に, 正体不明の "三人の黒服の男たち(MIB)" の訪問を受けていたことを知って驚愕した。 【参考文献】下記より抜粋 ・『UFO最後の真実 異次元に広がる超文明世界の謎』【第7章/ 際限のない死の連鎖 現れた三人の黒服の男】, 著:浜田政彦, 2009年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Albert K. Bender) 参考外部=>hatch. kookscience. com(Albert K. Bender) 参考外部=>WIKIMEDIA COMMONS (File: Albert k. bender. jpg) 参考外部=>bportlibrary. org(Bridgeport' s UFO Legacy: Men in Black and the Albert K. Bender Story) 参考外部=>Twilight Language(The Man Who First Saw "The Men in Black" Dies) |
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●アルフレッド・ナホン ( Alfred Nahon ) (?〜?);memory 心理学・哲学博士。ジュネーブ在住。フランス政界のアドバイザーをしていおり, マンデス=フランス首相の政策上のアドバイスをしていた。 インドシナ和平を目的としたジュネーブ会議( 1954年4月〜7月 )に集まる, フランス, アメリカ, イギリス, ソ連などの外交官や軍関係者を通じて, それらの国々が得ていた宇宙人たちの意図や要求に関する情報を検証し, どう対処すべきかを関係各国と調整をした。 1954年10月28日, 「世界惑星協会」 という組織を立ち上げ, 当時, 世界的に急増するUFO事件に伴う政府筋からの情報収集を進め, 世界各国の政治家, 学者, 作家, ジャーナリストなどとの連絡網に, この組織から発行する 「惑星協会通信」 で, 重要な案件や論説を伝えた。 【参考文献】 ・『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』, 2015年 参考外部=>世界史の窓(ジュネーブ会議) 参考外部=>artivision.fr(Flash back, sur une missive peu diffusée,・・・) 参考外部=>ニラサワ研究室(UFOと原発事故) 参考外部=>ニラサワ研究室(<その2>補足ナホン教授とは) 参考外部=>みお&ゆきのツキアップ日記 参考外部⇒宇宙と地球上の出来事 |
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●アルフレッド・アドラー ( Alfred Adler ) (1870〜1937);memory アルフレッド・アドラーは, オーストリア出身の精神科医, 心理学者, 社会理論家。 ジークムント・フロイト(Sigmund Freud) および カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung) と並んで, 現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。 初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが, アドラーはフロイトの共同研究者であり, 1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し, 個人心理学(アドラー心理学)を創始した。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アルフレッド・アドラー)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Alfred Adler) 参考外部=>Wikipedia(アドラー心理学) 参考外部=>diamond.jp(アドラーが示した「しあわせになるためのたった一つの道」とは?) 参考外部=>ビジネス心理学biz- shinri.com(アルフレッド・アドラーとは?彼の心理学と本、名言のすべて) 参考外部=>gettyimages. co.jp (alfred adler) 参考外部=>simplypsychology. org (Alfred Adler's Theories of Individual Psychology and Adlerian Therapy) 参考外部=>parataxic. org(Alfred Adler(1870-1937)) |
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●アルフレッド・ラッセル・ウォーレス ( Alfred Russel Wallace ) (1823〜1913);memory アルフレッド・ラッセル・ウォレスは, イギリスの博物学者, 生物学者, 探検家, 人類学者, 地理学者。 「ウォレス」は, 「ウォーレス」とも表記する。 アマゾン川とマレー諸島を広範囲に実地探査して, インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線, ウォレス線を特定した。そのため時に生物地理学の父と呼ばれることもある。チャールズ・ダーウィンとは別に自身の自然選択を発見し, ダーウィンの理論の公表を促した。 また自然選択説の共同発見者であると同時に, 進化理論の発展のためにいくつか貢献をした19世紀の主要な進化理論家の一人である。 その中には自然選択が種分化をどのように促すかというウォレス効果と, 警告色の概念が含まれる。 心霊主義 の唱道と人間の精神の非物質的な起源への関心は当時の科学界, 特に他の進化論の支持者との関係を緊迫させたが, ピルトダウン人ねつ造事件の際は, それを捏造を見抜く根拠ともなった。 イギリスの社会経済の不平等に目を向け, 人間活動の環境に対する影響を考えた初期の学者の一人でもあり, 講演や著作を通じて幅広く活動した。 インドネシアとマレーシアにおける探検と発見の記録は 『マレー諸島』 として出版され, 19世紀の科学探検書としてもっとも影響力と人気がある一冊だった。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アルフレッド・ラッセル・ウォレス)」 アルフレッド・ラッセル・ウォーレス(ワラス)博士は, ダーウィンとともに進化論を発展させた科学者であり, 科学者として 心霊術 に関する調査, 研究を始めた最初の人であった。 ウォーレス博士は, まだイングランドの工業地帯の中心地で無名の一教師であったころから, 催眠術 に興味を抱いていたという。催眠術は, この当時はメスメリズムと呼ばれ, オカルトの一種と考えられていた。 ウォーレス博士は, 12年間に及ぶ熱帯地方への旅, 探検, 研究の間に, 国からの便りで心霊術ブームを知っていた。国に帰り, 心霊現象 と思われる ノックする音(ラップ音) や, 物が動く現象などのもととなる力の研究, 調査を始めた。 ウォーレス博士の実験は, 1865年の夏から始まった。10回を越える 降霊会 に出て, 彼は "未知の力" と表現した力の存在に確信を持つに至った。この年, ウォーレス博士は, イングランドにおいて最初のプロの 霊媒者 であった メアリー・マーシャル夫人(Mrs. Mary Marshall) が催す降霊会に出席し, マーシャル夫人が起こす心霊によるさまざまな現象を, 白日のもとで観察したといわれている。 【参考文献】 ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Alfred Russel Wallace) 参考外部=>nhm.ac.uk(Who was Alfred Russel Wallace?) 参考外部=>britannica.com (Alfred Russel Wallace) 参考外部=>wallacefund. myspecies. info(The Alfred Russel Wallace Website) 参考外部=>gendai. ismedia.jp(進化論の元祖ダーウィンとウォレス、どちらが偉い?) 参考外部=>人文地理jstage.jst.go.jp (分布・境界と進化―アルフレッド・ラッセル・ウォレスの生物地理学方法論―) |
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●アルベルト・フォン・シュレンク = ノッチング ( Albert Freiherr von Schrenck-Notzing ) (1862〜1929);memory アルベルト・フライヘル・フォン・シュレンク = ノッチング男爵は, ドイツの神経科医, 性心理学者, 催眠術研究家, 心霊研究家。 20世紀初頭における超心理学研究の開拓者の1人といえる人物である。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アルベルト・フォン・シュレンク=ノッチング)」 シュレンク=ノッツィング男爵は, ドイツのミュンヘン出身の神経科医。 心霊研究のパイオニアとして多くの仕事をした。 特に彼は エクトプラズム の実体に興味を持った。エバ・C(Eva Carrière) という若い 霊媒 が起こす霊現象を調べるために, 数年間, 彼女にかかりきった。 * ノッツィング男爵は, 1929年に死去するまで, 主だった霊媒をことごとく試験し, それを指導した人である。 彼はウィリー(Willi Schneider)と ルディ(Rudi Schneider) というシュナイダー兄弟の驚くべき超能力を見つけ出してもいる。ウィリーを実験対象とする男爵のやり方を見て, 以前には懐疑的で, しばしば敵意すら抱いていた科学者たちも, 隔動(テレキネーシス) や エクトプラズム が現実にあることを確信するという声明に, 100人も署名するようになっていった。 だが男爵は, 次のような見解を持っていた。「これらの出来事についての詳細な説明は, 霊魂という仮説によってはできないばかりでなく, その仮説はあらゆる面で真剣な科学的実験を邪魔し, 揺るがしてしまうというのが, 私の意見である。」 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『心霊の世界』【第3章・第4章】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Albert von Schrenck-Notzing) 参考外部=>ja.unionpedia. org(アルベルト・フォン・シュレンク=ノッチング) 参考外部=>alchetron. com(Albert von Schrenck Notzing) 参考外部=>zurich-snows. tumblr.com (Albert Freiherr von Schrenck-Notzing ) |
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●アレクサンドル・カザンツェフ ( Alexander Petrovitch Kazantsev ) (1906〜2002);memory 1908年6月 の ツングース(シベリア)大爆発 は, 「宇宙から来た原子力宇宙船がタイガ上空で爆発した結果(核爆発が原因)」 だという仮説を, 1946年に空想科学小説(短編SF 『爆発』 )として発表したことで有名。 シベリアのアクモリンスクに生まれ, トムスク工科大学を卒業し, 科学研究所(ナチスとドイツとの戦争が始まると技術者として参戦し, 爆弾を搭載した無人の小型戦車を開発した)などに勤務した。 1936年に空想科学映画のシナリオ・コンテストに入賞し, 戦後プロの作家に転向した。 また, 博士は日本の 遮光器土偶 に注目し, 1962年に科学雑誌 「アガニョーク」 に, "土偶宇宙人説" を発表した。 【参考文献】 ・『謎のツングース隕石はブラックホールかUFOか』;1977年 ・『最新版日本全国で発生している!驚愕の怪事件』;2011年 ・『天空のミステリー(ツングース事件の謎;文:越野剛)』;2012年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Alexander Kazantsev) 【サイト内の主な著書】 ・『宇宙人と古代人の謎』著:カザンツェフ他, 訳:金子不二夫, 1978年 |
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●アレン・ダレス ( Allen Welsh Dulles ) (1893〜1969);memory アメリカ合衆国の政治家, 外交官, 弁護士で1953年から1961年まで, CIA(アメリカ中央情報局) 長官を務めた。 ⇒ ・Wikipedia(アレン・ウェルシュ・ダレス) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Allen Dulles) 参考外部⇒blog.goo.ne.jp(CIAの基礎を作った男 アレン・ダレス) 参考外部=> ヘブライの館 (シュローダー男爵とダレス兄弟の暗躍) 参考外部=>kobayakawa shunichi(JFK暗殺事件50周年によせて) |
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●アレン・ハイネック ( J. Allen Hynek ) (1910〜1986);memory プロジェクト・ブルーブック など, アメリカにおける多数のUFO調査研究に関与してきた, 世界的UFO学者。 最初はUFO否定論者であったが, 数多くの目撃報告からUFO肯定論に転向し, UFO研究センターを開設した。 また, 第1〜3種接近遭遇 の用語を提唱したことでも有名である。 映画 「未知との遭遇」(1977年公開)の原題は, 博士の提唱した 「Close Encounters of the Third Kind(第3種接近遭遇)」 である。 米空軍 の顧問は, 1948年 (プロジェクト・サイン) から1969年(ブルーブック閉鎖直前)まで続いた。 ⇒ 1935年, シカゴ大学で天体物理学の博士号を取得後, オハイオ州立大学に移り教鞭につく。 米空軍 から顧問として招かれた1948年には, 同大学のパーキンス観測所で天文学者として働いていた。 その後, 米空軍顧問の任務のかたわら, ハーバード大学客員教授, スミソニアン天体物理学観測所副所長を兼任。 1960年から教職を退く75年まで, ノースウェスタン大学天文学長ならびに同大学ディアボーン観測所長として活躍。 1972年, プロジェクト・ブルーブック での経験と空軍の情報ファイルをもとに, 『Unidentified Flying Object Experience(UFOとの遭遇)』 を出版。 翌年に 「UFO研究センター(CUFOS)」 を設立し, 所長となる。 (出典;『ムー』1983年11月号(No.36);UFO研究の最高権威 / ハイネック博士に聞く) ハイネックは, これらの想像を絶する飛行物体の存在と同じくらい, 革命的なものを受け入れることができないという点で, 私たちの精神は, 単にすべてを締め出しているのではないかと仮定した。 彼は, 不都合な現実が, 「人間の精神科回路を加熱させ, 精神の保護メカニズムのヒューズを飛ばします。集団が限界点に達すると, 精神は, 感覚によって得た証拠を公然と無視しはじめます。もはや, そのような証拠は通常の範囲内に納まらなくなる」 と述べた。 そして, そのような出来事がまったく奇妙で衝撃的で, さらにトラウマ的であるため, 誰もが, まるで電池切れでエネルギーのない状態のように行動していると結論づけた。 こうした力学は, 集団全体に影響を与える可能性があり, 当事者もそこから逃れられなかった。「彼らは無関心になり, 考えられないことについて考える必要性を回避するために, 最もばかげた説明でさえも受け入れるようになります」 とハイネックは書いている。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『UFOs世界の軍・政府関係者たちの証言録』【第16章/何もしないという強い願望】, 著:レスリー・キーン, 訳:原澤亮, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;J. Allen Hynek) 参考外部⇒astronomyufo. com(UFOLOGY's Desire for Scientific Recognition) 参考外部⇒UFO科学大学院(ジョセフ・アレン・ハイネック) 参考外部⇒UFOの科学的研究―学術研究出版センター(全米UFO論争史) |
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●アントニオ猪木(あんとにおいのき) (1943〜2022);memory プロレスラーとして活躍し, 現在( 2015年 )は参議院議員の2期目。 沢山の国民が政治に関心を持つよう, 政治活動を行っている。 また, 2015年4月1日の参院予算委員会で, 猪木氏は, 「何か(UFO)が, 領空侵犯をしている。スクランブルをかけたことはあるか」 という質問をしている。 この質問に対し, 中谷防衛相が 「領空侵犯の恐れがある正体不明の航跡を探知した場合は必要に応じて戦闘機を緊急発進して目視確認するが, 地球外から飛来したと思われるUFOを発見した事例は承知していない」 と答弁した。 ⇒ ・Wikipedia(アントニオ猪木) 参考外部⇒YouTube(アントニオ猪木「最後の闘魂」) 参考外部⇒asahi.com(アントニオ猪木さん) 参考外部⇒www2.nhk.or.jp(きょうの料理 男の料理 アントニオ猪木のジャンバラヤ(1986)) |
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●アントニオ・ビラス・ボアス ( Antonio Villas Boas ) (1934〜1991);memory 1957年に, 地球外生命体にアブダクトされたと主張する, ブラジルの農民。 後に弁護士になる。 【参考サイト】 ・「Es.Wikipedia(Antonio Villas Boas)」 ■事件詳細(サイト内) =>UFO事件集(アントニオ・ボアス宇宙人誘拐事件) 参考外部=>YouTube (ANTONIO VILLAS BOAS - um dos maiores casos de abducao da ufologia) 参考外部=>海外の妖しいBlog記事から(1957年10月16日、ブラジル:UFO に誘拐され異星人と性交渉した農夫(途中:その1)) |
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●アントニオ・リベラ ( Antonio Ribera ) (1920〜2001);memory 有名なスペインの作家, ユーフォロジスト, 翻訳者, スキューバダイバー。 彼はスペインのユーフォロジーの 「父」 と見なされ, UFOに関する多くの本を出版した。 また, バルセロナのIEC(惑星間研究センター)の共同創設者である。 【参考サイト】 ・「Es.Wikipedia(Antonio Ribera)」 1967年に, リベラは ウンモ星人からのレポート を見ることにより, ウンモ(UMMO)という得体の知れない存在の研究に, のめりこんでいった。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.52)』【ウンモ星人ミステリーとはなにか】, 1979年 参考外部=>INKA WARRIOR (ANTONIO RIVERA PADRE DE LA UFOLOGIA EN ESPANIA Y CONTACTADO ANDROMEDA) 参考外部=>YouTube (ANTONIO RIBERA, UN PIONERO DE LA UFOLOGIA) |
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●アントン・メスマー 「フランツ・アントン・メスマー」 の項を参照 |
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●アンドリヤ・プハリッチ ( Andrija Puharich ) (1918〜1995);memory (★ユリ・ゲラーとプハリッチ博士) シカゴに生まれる。ノースウェスタン大学在学中からESPなどの超能力に関心をいだき, ブラジルの心霊治療医の ホセ・アリゴー をはじめ, 多くの超能力者を研究する。 医学博士で, 心霊学研究の世界的権威。 ユリ・ゲラー(Uri Geller) とは, 1971年に出会い, ユリの超能力を調べるため多くの実験を試みた。 【参考文献】 ・『超能力者ユリ・ゲラー』, 1974年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Andrija Puharich) 参考外部=>FC2(時の旅路にて) 【サイト内の主な著書】 ・『超能力者ユリ・ゲラー』著者:アンドリア・H・プハーリック, 訳:井上篤夫, 1974年 |
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●アンドリュー・ジャクソン・デービス ( Andrew Jackson Davis ) (1826〜1910);memory アメリカの霊覚者。 思想的に スピリチュアリズム(心霊主義) を先取りした哲学書を出版して, 後のスピリチュアリズムに多大な影響を与え, 「スピリチュアリズムのヨハネ」 と言われた。 奴隷制度廃止運動家, 女性解放運動家, 禁酒運動家でもあり, スピリチュアリズムの思想によって社会に影響を与えた最初の人と言える。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス)」 エマヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg) とこのアンドリュー・ジャクソン・デービスは, 心霊術 の先駆者と言われる。 17歳のとき, 催眠状態で病人の診断ができることに気づく。彼は, 幻視 の中で, スウェーデンボルグや2世紀のギリシャの医者であった, クラウディウス・ガレノスの霊に会った。 デービスは知的教育を受けたことがないのに, 不可解な経験をしてからは, 人体の異常能力について述べたり書いたりするようになっていった。この能力のことを彼は "人間磁気" とか "人間電気" という呼び方をしている。 1845年, デービスは催眠状態での口述で, 『自然の法則とその啓示, 人間への呼びかけ』 と題する本を書き始めた。約15か月かかって仕上げたその本の中で, 彼は次のように予言している。 「霊魂は一方は体の中にあり, 分かち合うもう一方は異次元の世界にあって, 互いに交わり合い, 語り合っているのだ。こうした交流を意識することがないために, その現象を信じないとしても, それは確かなことなのである。この事実はそう遠くない将来, おそらく実証されることになろう。そして世界は, 歓喜のうちに新しい時代の幕開けを, 迎えることになるに違いない。人間の心の奥底にあるものが開かれ, 霊的交わりが確かなものとして行なわれる時代が・・・。」 1848年3月31日付けの彼のノートには, 次のような言葉が書き残されている。 「明け方のことであったが, なま暖かい風が顔をよぎっていった。そのとき, 柔らかいけれども力のこもった声が, ささやくのを聞いた。『仲間よ, やりがいのある仕事が始まった - 見たまえ, 証(あか)されるから』 というのを。このメッセージはいったい何を意味し, 何を意図しているのだろうか。私はあれこれ思い惑ってしまった。」 このメッセージが何であったかは, 間もなく明らかになる。この日こそ, フォックス一家 が初めて, 霊界と交信することに成功した日だったのだ。 デービスへの啓示と ハイデスビルの怪しい音, この見事なまでの暗合によって, 彼の心霊術における予言者としての名声が, 一段と高まっていった。 【参考文献】(下記よりそのまま抜粋) ・『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Andrew Jackson Davis) 参考外部=>thelema-s.com(スピリチュアリズム講座の資料、ちょっとだけご紹介) 参考外部=>goodreads.com(The Principles of Nature ) |
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●安納令奈(あんのうれいな) (?〜); 英日翻訳者。 大学卒業後, アメリカン・エキスプレス日本支社や国際NGOなどで, 広報・ブランディング・マーケティングに携わる。 訳書に, ソルター 『世界で読み継がれる子どもの本100』(金原瑞人と共訳), シュワブ他 『グレート・リセット ダボス会議で語られるアフターコロナの世界』(共訳), ロビンソン 『ビジュアルストーリー世界の陰謀論』, ケリガン 『いつかは訪れたい美しき世界の寺院・神殿』 などがある。 【参考サイト】 ・「booklog.jp(安納令奈のおすすめランキング)」 【サイト内の主な著書】 ・『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』, 2015年, 著者:ラリー・ホルコム, 訳者:安納令奈 |
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●アーサー・コナン・ドイル 【コナン・ドイル】 ( Arthur Conan Doyle ) (1859〜1930); memory サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルは, イギリスの作家, 医師, 政治活動家。 推理小説・歴史小説・SF小説などを多数著した。 とりわけ 『シャーロック・ホームズ』 シリーズの著者として知られ, 現代のミステリ作品の基礎を築いた。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(アーサー・コナン・ドイル)」 ドイルは南アフリカの戦争に軍医として従軍し, ナイトの称号を授かっている。 ドイルは60歳になると, 降霊術(心霊術)に熱意を注ぎ, 神々の世界に関心を示した。そのなかには妖精も含まれていた。 【参考文献】 ・『コティングリー妖精事件』, 1999年 コナン・ドイルが晩年は, 《スピリチュアリズムのパウロ》 と呼ばれるほど, スピリチュアリズム の伝道師として世界中を回っていた, ということを知る人は少ない。 彼のそのような変化は, 第一次世界大戦で, 息子をはじめとする親族を次々と失ったことにあったようだが, 晩年の14年間はイギリスだけでなく, オーストラリア, ニュージーランド, アメリカ, カナダ, アフリカ, ヨーロッパと, 5万マイルを旅して回り, 時には 「シャーロック・ホームズの話をしろ!」 という罵声を浴びながらも, 30万人に対して講演をして回った。 また 『新しき啓示』(1917年)をはじめとして7冊の心霊学の本を著し, そのための出版社や書店を作るなどして, それに費やしたお金は, 25万ポンドに及ぶと言われている。今なら数億円に相当する金額だろう。 【参考文献】下記より抜粋 ・『コナン・ドイルは語る - リセットのシナリオ - 』【はじめに】, 著者:三上直子 + 山川蓮, 2016年 新しい科学の一分野たることを目指していた スピリチュアリズム にとって, 目に見える世界を機械的に記録する写真術は, 霊魂の存在を科学的に証明する有効な手段となりえるものだった。 ドイルもまた, スピリチュアリズムの分野でのこの技術の利用を試みた一人であり, 心霊研究協会(SPR) に対向して1918年に設立された超常写真研究会(SSSP:Society for the Study of Supernormal Pictures)では副会長も務めていた。 【参考文献】下記より引用 ・『写真のボーダーランド』【第3章/ 見えなくても写る;3. 霊視者の目とカメラ・アイ】, 著者:浜野志保, 2015年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Arthur Conan Doyle) 参考外部=>ピクシブ百科事典 (コナン・ドイル) 参考外部=>スチームパンク大百科 (心霊研究家コナン・ドイルが巻き込まれたコティングリー妖精事件とは?) |
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●アーサー・ゴッドフリー ( Arthur Godfrey ) (1903〜1983); memory 米国ニューヨーク市生まれの英国系米国人。 ニックネーム 「The Old Redhead」 でラジオキャスター・TVホスト, 歌手, ウクレレ奏者, 俳優として活動。 米国では1930年代以降のラジオ, 及び初期TVショーを代表する, エンターテイナーとして知られている。 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Arthur Godfrey) アーサー・ゴッドフリーは, 1965年6月に自分の操縦する飛行機でUFOに遭遇した。 ■事件詳細(サイト内) =>UFO事件集(アーサー・ゴッドフリーUFO遭遇事件) 参考外部=>Movie Walker (アーサー・ゴッドフリーの映画作品) 参考外部=>Open Minds (Witness shares UFO encounter with broadcast legend Arthur Godfrey) |
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●アーサー・シャトルウッド ( Arthur Shuttlewood ) (1920〜1996);memory ウィルトシャー州ウォーミンスター(Warminster, Wiltshire)周辺で起きたUFO事件の有名な調査員。UFOに関するいくつかの本の著者。 【参考サイト】 ・「topfoto.co.uk(Arthur Shuttlewood)」 「ウォーミンスター・ジャーナル」 の編集者アーサー・シャットルウッドが, ウォーミンスターが1964年12月初めに壮観な空飛ぶ円盤フラップを経験したときに, UFO研究に関係するようになった。 【参考文献】(以下より抜粋) ・『UFO超地球人説』【第12章/ 壮大なぺてん師たち】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年 参考外部=>Arthur Shuttlewood (Author of The Flying Saucerers) (goodreads.com) 参考外部=>Arthur Shuttlewood | (drdavidclarke.co.uk) |
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●アーサー・フォード ( Arthur Ford ) (1896〜1971);memory アーサー・フォードは, アメリカの超能力・透視(clairaudient)能力のある 霊媒者。 1955年にスピリチュアル・フロンティア・フェローシップ(Spiritual Frontiers Fellowship)を設立した。 1967年に, ネットワークTVでジェームズ・パイク司教(Bishop James Pike)の死んだ息子との 交霊会 が放映されて, 彼は全国的な注目を集めた。 1928年にフォードは, ハリー・フーディーニ(Harry Houdini) の故人の母親の霊と交霊したと主張し, 1929年にはハリー・フーディーニ自身の霊と接触したと述べた。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Arthur Ford (psychic))」 ハリー・フーディーニ(Harry Houdini) は生前, もし自分の死後, 霊界からのメッセージがあったら, 霊は死後も生きている証拠になると言った。そのために妻との間に暗号文を作ったのだ。霊媒のアーサー・フォードは, フーディーニから, その暗号文の通信を受けとったといわれる人物である。 このためアーサー・フォードは, アメリカにおける最も有名な精神霊媒となった。精神霊媒とは, 霊を霊姿化(物質化)するのではなく, 精神だけを通じて霊たちと交信する霊媒ということである。 その彼が, 最も晴れがましい舞台に立ったのは, 1967年のことである。前カルフォルニア主教のジェームズ・パイク司教との降霊会が, テレビ放映されたのである。アレン・スプラゲット(Allen Spraggett)がプロデュースし, トロント・テレビのために企画されたこの番組はアメリカ全土, さらにはイギリスでも放映された。そしてこれは, 大センセーションを巻き起こした。この降霊会で, 司教の亡くなった息子のジェームズ・ジュニア(James A. Pike, Jr.)が, フォードを通して父親と交信し合ったのである。 しかし後になって, この降霊会には, からくりがあったことが明らかにされている。プロデユーサーのスプラゲットとフォードの腹心の友であったウィリアム・ラウシャー(William Rauscher)聖堂参事会議員が, 『アーサー・フォードという死者と話した男(Arthur Ford, The Man Who Talked with the Dead)』 という伝記を書いているが, その中で, 1971年1月のフォード死後の秘蔵書類から, 動かぬ証拠が見つかったと述べているのだ。 パイク司教は, テレビでの降霊会は, ごまかしがないと信じていたものの, 一方では, メッセージの多くが大した内容ではなかったことも認めていた。ただ, 先輩である前カルフォルニア第4主教カール・モーガン・ブロック(Carl Block)や, 聖公会の教区牧師であったルイス・ピット(Louis Pitt)らのメッセージだといわれるものもあって, そこには未知の細かな来歴なども含まれていたので, 司教は関心をひかれた。 ところがこれらの詳細な事柄も, 実はアーサー・フォードの秘蔵書類の中に保管されていて, それは新聞の死亡記事の切り抜きだったのである。フォード伝の筆者たちは, フォードが記憶力抜群の人であったから, 死亡記事の詳細を暗記したのだろうと言っている。 スプラゲットは, フォードの一生を概観して, こう結論づけている。「いろいろな証拠物件から, アーサー・フォードは確かに本当の霊媒能力を持つ 心霊術者 だった。が, 彼はさまざまな理由から, 必要なときにはからくりを使ったようである」 と。 他の霊媒と同じように, 彼もまた, いかさまな 心霊現象 を起こしていたらしい。彼は, いろいろな情報を記憶し, それによって霊界からのメッセージだと思わせた。 【参考文献】(以下より抜粋) ・『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 アーサー・フォード師は, 米国で最も有名な 霊媒 の一人である。彼は生涯のほとんどを, 自らがフレッチャー(Fletcher)と名のるある霊(スピリット・ガイド )の道具として奉仕してきた。 1928年に, フレッチャーは, ハリー・フーディーニ(1926年に死んでいた)が目の前にいて, 彼の未亡人 ベアトリス(Beatrice "Bess" Houdini) に伝えたいメッセージを持っていると告げた。そのメッセージは, かつてフ ーディーニ夫妻が読心術の実演に用いていた暗号で述べられた。この暗号はその夫婦だけが知っていたもので, 一度も発表されたり, だれかに明かしたりしたことのないものだった。フレッチャーは, フォードを通して, この秘密の暗号について正確な細目を口にすることができ, ミセス・フーディーニはのちに, そのメッセージは自分の夫から寄せられたにちがいないことを認めた。 フォード師は, 広い範囲を旅しているが, 一度も彼の特殊な才能によって物質的な利益を得たことはない。彼は, 全国いたるところでの降霊会で, 無料で自分の時間を ――そしてフレッチャーのあの世からのアドバイスを―― 提供している。 有名な著述家でワシントンの記者 ミセス・ルース・モンゴメリ(Ruth Montgomery) は, フォード師がワシントンに彼女を訪ねた時のことを語っている。その日フォードは, 彼女がフレッチャーにフォード自身のためのアドバイスを要求できるようにと, トランス状態にはいった。フォード師はそのころ心が動揺していて, ある問題について自分はどうすべきかを知りたがっていたのだった。ミセス・モンゴメリによると, フレッチャーはフォードの悩みには全く興味がないらしく, 彼女が, フォードは診察を受けに病院に行くべきかどうかたずねたとき, フレッチャーはこうどなった。「何とかしたほうがよかろう。そうしないと, こちらが彼を通しての仕事がそう長くはできなくなるだろうからな」 フォード師が, ほとんど半世紀にもわたって, 進んでフレッチャーに利用されることに甘んじてきたのに, その霊は明らかに, 師の問題や幸福には全く無関心だったのである。 じつは, これがむしろ典型なのである。最も協力的な霊でさえ, 彼らがコミュニケートしている相手(あるいはその媒体)とのいかなる深いかかわり合いよりも, コミュニケーションの仕事のほうにずっと熱がはいるらしい。心霊現象の奇妙な歴史はフレッチャーたちで一杯である。 ミセス・フーディーニは, フォード師の彼女の夫からのメッセージによって本心からびっくりさせられ, 感動させられ, そのことについてかぞえきれないほどの声明を発表しただけでなく , いろいろな宣誓供述書にサインもした。ところが, そののち, 1930年代に, 彼女はしばらくそのすべてを否定していた。そして, 死ぬ少し前になって, 彼女は否定したことを取り消した。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『UFO超地球人説』【第12章/ 壮大なぺてん師たち】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年 参考外部=>encyclopedia. com (Ford, Arthur A(ugustus) (1896-1971)) 参考外部=>nytimes.com(Rev. Arthur A. Ford Dead at 75; Medium Who Aided Bishop Pike) 参考外部=>alchetron. com (Arthur Ford (psychic)) |
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●アーサー・ブライアント ( Arthur E. Bryant ) (?〜1967); memory アーサー・ブライアントは, 「ヤムスキー」 と名乗る宇宙人と遭遇 (スコリトン事件) したことで有名である。 南西イングランドのダートムーア(Dartmoor)刑務所の刑務官を, 5年間務めた後, 老人ホームの管理人をしていた当時の1965年4月24日(当時51歳)に, ブライアントはデボン州のスコリトン(Scoriton)草原で, 空飛ぶ円盤に遭遇し, 中から降りてきた3人の金星からきたという搭乗員に出会う。 そのうちの一人は, 「ヤムスキー(Yamski)」 と名乗り, 前日に亡くなった ジョージ・アダムスキー(George Adamski) の転生後の姿ではないかと, 後に思われた。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.46)』【スコリトン・ミステリー, 文:日高実男】, 1979年 参考外部=>All the Planets are Inhabited (Arthur Bryant) |
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●アーディ・S・クラーク ( Ardy Sixkiller Clarke ) (?〜); 彼女は, 人生を先住民たちへの協力に捧げており, 大学を名誉退職後も, インディアンや世界中の先住民族たちのコンサルタントとして貢献し続けている。 また, 過去十数年間に渡って北米, 中南米, 太平洋諸国の先住民族に取材を続け, 膨大な数のUFO証言を得てきている。 ビッグスカイモンタナ州のロッキー山脈の真ん中に住んでいます。 【参考文献】 ・『「YOUは」宇宙人に遭っています』, 2013年 公式サイト⇒Ardy Sixkiller Clarke 参考外部=>YouTube(Dr Ardy Sixkiller Clarke Interview, Podcast UFO 01-17-14) 参考外部=> OpenMinds 【サイト内の主な著書】 ・『「YOUは」 宇宙人に遭っています』著者:アーディ・S・クラーク, 訳:益子祐司, 2013年 ・『SKY PEOPLE』著者:アーディ・S・クラーク, 訳:元村まゆ, 2015年 ・『スターピープルはあなたのそばにいる(上・下)』著者:アーディ・S・クラーク, 訳:益子祐司, 2017年 |
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●イアン・スティーヴンソン ( IIan Stevenson ) (1918〜2007); memory カナダ生まれの米国の精神科医。 「生まれ変わり(Reincarnation)現象」 の研究者である。 彼はバージニア大学医学部で, 1957年から1967年まで精神医学科の議長, 1967年から2001年まで精神医学科教授, 2002年から精神医学研究教授を務めた。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(英語版;Ian Stevenson)」 ・「Wikipedia(イアン・スティーヴンソン)」 母斑 と先天性欠損は, 生まれ変わりの証拠として非常に重要であるが, 研究者が母斑に注意を向けることはあったが, その重要性に気づき, 詳しい調査研究を行ったのは, イアン・スティーヴンソンだった。 【参考文献】 ・『人間は本当に生まれかわるのか?』, 2018年, 著:ロイ・ステマン, 訳:力丸祥子 参考外部=>University of Virginia(Division of Perceptual Studies) 参考外部=>reluctant- messenger. com (Scientific Proof of Reincarnation Dr. Ian Stevenson's Life Work) 参考外部=>Spiritual Wiki(Reinkarnation) |
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●飯塚弘明(いいづかひろあき) (1968〜); 出口王仁三郎 の『霊界物語』 全83冊の電子版を制作 (2006年) して, 無償で配布している。 2010年から, 「王仁魂復活プロジェクト」 事務局長を務める。 【参考文献】 ・『超訳 霊界物語』 公式サイト⇒ 王仁魂復活プロジェクト 【サイト内の主な著書】 ・『超訳 霊界物語』, 2013年 ・『超訳 霊界物語2』, 2014年 |
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●池田整治(いけだせいじ) (1955〜); 元自衛隊陸将補で, 退任後 『マインドコントロール』『この国を操り奪う者たち 私が自衛隊で見て知った本当の敵』 など多くの著書を上梓。 オウム真理教のサティアンに対する強制捜査にも自衛官として同行支援した。 一方, UFO現象の知識も豊富である。 【参考文献】 ・『ムー(No.490)』【高野誠鮮の地球維新』, 2021年 ⇒ ・Wikipedia(池田整治) 公式サイト⇒池田整治公式ホームページ 参考外部⇒イシキカイカク大学.com(池田整治) |
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●池田隆雄(いけだたかお) (1952〜2002);memory 1972年に東京電子専門学校電気工学科卒。日本宇宙現象研究会副代表を務める。 APRO, MUFON の西日本地区担当連絡調査員。日本流星研究会会員。 著書に 『日本のUFO』(1994年)がある。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.41)』1978年【UFOスペシャル’78】 1971年に現在の JSPS(日本宇宙現象研究会) の前身である研究グループ(そちらの名前もJSPSだった)を立ち上げ, 機関誌 『アルゴ』 を発行。 その第3号で, 「地震に伴う発光現象とUFO現象」 を特集した。 【参考文献】 ・『日本UFO研究史』【第3章/ 日本のUFO研究はどのように発展したか; 池田隆雄による「地震と謎の光体」の研究」】, 著:天宮清, 2019年 参考外部⇒ 学術研究出版センター(日本のUFO) |
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●池田雅行(いけだまさゆき) (1949〜); イラストレーターとして活躍。 特に円盤の絵を雑誌( 「UFOと宇宙」 など)に発表した。 また, 多くのUFOを目撃した(小学5年生の時にフットボール型のUFOを目撃したのが最初)ことでも有名で, 目撃体験を 『UFOと宇宙』(No.14, 1975年【円盤をよく見る人】) で発表している。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙』(No.14) :1975年, 【円盤をよく見る人】 |
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●池田遼太(いけだりょうた) (1998〜); 専修大学文学部歴史学科日本近現代史専攻卒。 日本陸海軍の研究。特に情報戦・暗号戦を専門とし, 戦争体験者やその遺族への聞き取り取材も行なう。 携わった主な作品に 『ドキュメント 真珠湾攻撃』(ダイアプレス), 『ざんねんな兵器図鑑・極』(KADOKAWA)など。 【参考文献】 ・『山本五十六、最期の15日間』, 2023年 参考外部=>池田遼太「山本五十六 最後の15日間」読む 読書 映画 旅行 家族史 (ameblo.jp) 参考外部=>山本五十六、最期の15日間 池田遼太 | 光文社新書 | 光文社 (kobunsha.com) 参考外部=>専修大学文学部歴史学科のホームページへ ようこそ!---大谷ゼミ--- (senshu-u.ac.jp) 【サイト内の主な著書】 ・『山本五十六、最期の15日間』, 著者:池田遼太 |
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●石川幹人(いしかわまさと) (1959〜); 工学博士。 専門は認知情報学および科学基礎論。 ASIOS 発起人メンバーでもある。 2002年にデューク大学の ライン センターに滞在した経歴を持つ。 【参考文献】 ・『超常現象を科学にした男』2011年 ⇒ ・Wikipedia(石川幹人) 主宰サイト⇒メタ超心理学研究室 参考外部⇒at homeこだわりアカデミー(「超能力」を科学する) 【サイト内の主な著書】 ・『超常現象を科学にした男』, 著者:ステイシー・ホーン, 訳者:ナカイサヤカ, 監修:石川幹人 ・『図解 超常現象の真相』2014年, 監修:石川幹人 |
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●石橋春海(いしばしはるみ) ( 195? 〜); 1975年に, 神田美学校・映画技作工房に入学する。美学校講師の鈴木清順, 大和屋竺に多大なる影響を受ける。 その後, 筆名・伊庭晋太郎でマンガ原作を手がける。 1998年からTOKYO MXで映像記者に。ライターとしては宝島社, 日本文芸社などの雑誌に寄稿。 著者には, 『封印歌謡大全』(三才ブックス), 『60年代甦る昭和特撮ヒーロー』(コスミック出版)などがある。 「おふくろさん騒動」 に深く関わったことで, 川内康範研究家を名乗る。 また, 石橋氏は小学生のとき, 家の近くの中学校の校庭で, 燃える物体が空から落ちて来る瞬間に遭遇した。校庭には石橋氏と見知らぬオジサンだけがいて, 二人が見つめているまに, 物体は地面に着く前に, 燃え尽き消えたという。氏はこれらの不思議な体験から, ミステリアスな話題に興味を持つようになった。 【参考文献】 ・『昭和平成 オカルト クロニクル』2019年 参考外部=>toonippo. co.jp(深い取材、脈打つ愛情) 参考外部=>HatenaBlog (UFOアガルタのシャンバラ 日本は津波による大きな被害をうけるだろう) 参考外部=>blog. livedoor. jp(まことの一日) 【サイト内の主な著書】 ・『昭和平成 オカルト クロニクル』 |
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●泉保也(いずみやすや) 【共同ペンネーム】; 雑誌『ムー』 の創刊号から執筆・編集に携わってきた, 渡辺威弘, 滝沢四郎, 佐敷二郎, 竹中泰弘, 東上志郎, 両子山洋, 難波江笙, 敷島涼, 藤島啓章の共同ペンネーム。 【参考文献】 ・『世界不思議大全T 』:2012年 |
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●井筒智彦(いづつともひこ) (1985〜); 東京大学理学系研究科地球惑星科学専攻, 博士課程終了。 NASA人工衛星のデータ解析により, 宇宙プラズマの乱流輸送現象を世界で初めて実証。 2013年から少子高齢過疎化が進む北広島町芸北地域に移住。 2015年7月, 人間力大賞・総務大臣奨励賞を受賞。 2021年1月には, YouTubeチャンネル 『東大宇宙博士 井筒智彦』 が累計130万回, チャンネル登録者数1万人を突破。 「宇宙博士」 として, テレビ・ラジオ・新聞・Webで宇宙の魅力を楽しく伝えながら, 宇宙町おこしに取り組んでいる。 【参考文献】 ・『米国防総省がついに動画公開! 世界のUFOレポート大全』, 監修:井筒智彦, 2021年 参考外部=>公式HP(東大宇宙博士 井筒智彦) 参考外部=>YouTube(東大宇宙博士 井筒智彦) 参考外部=>Wikipedia(おひるーな) 参考外部=>radio.rcc.jp(井筒智彦) 参考外部=>j-wave.co.jp(広島の限界集落に宇宙博士あり!!井筒智彦さんの挑戦) 参考外部=>mikazukiya.site(宇宙に関する面白い・すごい人を紹介【井筒智彦さん】) |
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●糸川英夫(いとかわひでお) (1912〜1999); memory 工学者。専門は航空工学, 宇宙工学。 ペンシルロケットの開発者であり, 「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」 と呼ばれる。 戦時中, 中島飛行機で戦闘機の設計に携わっていた糸川博士は, 戦後東大教授に就任。GHQによってなされた航空機の製造禁止の通達の中には, ロケット開発の禁止という条項は含まれていなかったことから, 1954年に東京大学生産技術研究所に航空工学, 空気力学, 飛行力学, 電子工学などの研究者を集め, 本格的にロケット研究を始めた。 糸川博士が開発したペンシルロケットは, 日本独自のロケット開発の礎となった。 ペンシルロケットは固形燃料製であり, ペンシルロケットの技術を進化させてきた日本の宇宙開発技術は, 現在でも世界トップレベルの水準を誇っている。 【参考文献】 ・『終戦直後の日本』, 2015年 ⇒ ・Wikipedia(糸川英夫) 参考外部=>specificasia. blog.jp(1950年代、韓国はロケット先進国だったニダ!) 参考外部=> 糸川英夫生誕100年記念サイト |
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●井上篤夫(いのうえあつお) (1947〜); 作家・翻訳家。 アメリカ, 英国を中心に, 時の人物を深く掘り下げた評伝を数多く執筆。 翻訳の分野でも活躍している。 ⇒ ・Wikipedia(井上篤夫) 【サイト内の主な著書】 ・『超能力者ユリ・ゲラー』, 著者:アンドリア・H・プハーリック, 訳:井上篤夫, 1974年 |
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●井上赳夫(いのうえたけお) (1914〜2003); memory 航空工学者, 評論家。 1939年に旅順工科大学機械工学科卒業後, 1941年に中央航空研究所勤務, 1956年から科学技術庁科学調査官, 1966年から科学技術庁審議官を歴任した。 航空宇宙工学の分野での研究歴30年以上を有する。 また, 日本では数少ない未来予測学者として活躍した。同時に科学技術評論家としても活躍した。 【参考文献】 ・『魔の特異日』 ⇒ ・Wikipedia(井上 赳夫) 参考外部=> 週刊アカシックレコード Web版 (井上統計仮説はなぜ有効か) 【サイト内の主な著書】 ・『魔の特異日』, 1976年 |
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●猪股修二(いのまたしゅうじ) (1933〜); 工学博士。通産省工業技術院電子技術総合研究所の主任研究官を努めた。 遠隔視やスプーン曲げを自ら体験し, 超常現象の理論的解明という分野に乗り込み, これを成功させた。 【参考文献】 ・『超常現象には "法則" があった! 』 参考外部=>FC2 (永久機関は実在する) 参考外部=> 阿修羅 (超心理の世界と猪股修二) 【サイト内の主な著書】 ・『超常現象には"法則"があった!』, 1984年 |
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●今泉久雄(いまいずみひさお) (1914〜1985); memory 東京大学法学部卒業。 1951年東京電力へ移籍。火力発電技術協会専務理事などを努める。 氏は, 「易」 の基本構造と細胞の奥深くにしまわれた遺伝子DNAのメカニズムに, 不思議な符合が見出されることを発見した。 【参考文献】 ・『易経の謎』 参考外部=> Beach (遺伝子システムはパターン言語である) 参考外部=>あの日から5Elements (DNAと易の話) 【サイト内の主な著書】 ・『易経の謎』, 1988年 |
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●イマヌエル・ヴェリコフスキー ( Immanuel Velikovsky ) (1895〜1979); memory ロシアで生まれ, イギリスで自然科学を, ロシアで法律・経済・歴史, 医学をドイツで生物学を学んだ。 その後, パレスティナで医者を開業し, チューリッヒとウィーンで精神分析学を研究した。 1938年にアメリカに渡り 『衝突する宇宙』 『混沌時代』 などを発表し, 古代史に関する未解決の問題に取り組んだ。 【参考文献】 ・『衝突する宇宙』 ⇒ ・Wikipedia(イマヌエル・ヴェリコフスキー) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Immanuel Velikovsky) 参考外部=> Electronic Journal (独自理論/ ハンコックとヴェリコフスキー) 【サイト内の主な著書】 ・『衝突する宇宙』, 著:I・ヴェリコフスキー, 訳:鈴木敬信,1974年 ・『激変の地球』, 著:I・ヴェリコフスキー, 訳:山田忠,1984年 |
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●今村光一(いまむらこういち) (1935〜2003); memory 死後の世界や生まれ変わりを信じる立場からの文筆活動と, 健康・ガンに関する民間療法の著作, 翻訳を行った。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(今村光一)」 参考外部=>うまいもの倶楽部 【サイト内の主な著書】 ・『私は霊界を見て来た』1975年, 原著:エマニュエル・スウェデンボルグ, 抄訳・編:今村光一 ・『スウェデンボルグの霊界からの遺言』1986年, 原著:エマニュエル・スウェデンボルグ, 抄訳・編:今村光一 |
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●今村新吉(いまむらしんきち) (1874〜1946); memory 精神医学者。石川県金沢市出身。 明治30(1897)年に帝国大学医科大学を卒業し, 助手として同大学院に籍をおいている。 その後, 文部省留学生として3年間, ドイツ, オーストリアに滞在し精神病学を学んだ。 明治36(1903)年暮れに帰国し, 京都帝国大学医科大学教授となり, 精神病学の講座を担当したが, 後年には日本神経学会会長に就任している。 1904年医学博士。 渡辺久吉の日本心霊学会にかかわり, 人文書院と改称した時の命名者である。 妄想性精神病, 神経症など精神病理学の研究で知られた。 また, 明治43(1910)年から, 御船千鶴子, 長尾郁子 の透視実験を 福来友吉博士 と共同でおこなっている。 【参考サイト・文献】 ・「Wikipedia(今村新吉)」 ・『透視も念写も事実である』, 2004年 参考外部=>kenkyukai blog. jugem.jp(京都帝国大学医科大学精神病学教室:『京都における精神医学的散歩 2』 その5) 参考外部=>本の万華鏡 (千里眼事件とその時代) |
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●井村君江(いむらきみえ) (1932〜); 日本における妖精学の第一人者。 東京大学文学博士課程終了。明星大学教授。 イギリス・フォークロア学会終身会員。 主な訳書にW・B・イェイツ 『ケルト妖精物語』 などがある。 【参考文献】 ・『コティングリー妖精事件』, 1999年 => ・Wikipedia(井村君江) 参考外部=>うつのみや妖精ミュージアム 参考外部=>jun-jun1965. hatenablog. com(井村君江年譜) 【サイト内の主な著書】 ・『コティングリー妖精事件』, 著者:ジョー・クーパー,訳:井村君江, 1999年 |
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●インゴ・スワン ( Ingo Swann ) (1933〜2013); memory 欧米で, 最も有名な超能力者として知られる。 コロラド州で生まれたスワンは, 3歳のころに麻酔を打たれた際に幽体離脱を経験したことから, 体外離脱により遠方を視る 「リモート・ビューイング」 ができるようになった。 1970年代初頭, スワンは自らスタンフォード研究所の門を叩き, 以降, 数十年に渡り実験に協力する。彼のリモート・ビューイングは成功率が非常に高く, 懐疑的な研究者たちの間でも話題になるようになる。 【参考文献】 ・『実話ナックルズGOLDミステリー』【未知なる力を持つサイキックたち超能力者列伝】, 2021年 生まれながらの超能力者スワンは, "遠隔透視(RV)の父" といわれ, アメリカの遠隔透視(リモート・ビューイング)プロジェクトの基礎をつくった人物だ。 ただし, いままでスワンが表舞台に出てくることは, めったになかったといってもよい。あまりにも姿を見せないため, 死亡説が流れたほどで, 数少ない彼の講演は, "スワン・ソング" と呼ばれたりもする。瀕死の白鳥が, 美しい声で鳴くという伝説に, 彼の名前, そして人前に現われないことをひっかけたものだ。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『FBI超能力捜査官マクモニーグルと「遠隔透視」部隊の真実』【第1章/ ラスベガスへ, 文:宇佐和通】, 著者:並木伸一郎 + 宇佐和通, 2007年 ⇒ ・Wikipedia(インゴ・スワン) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Ingo Swann) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk (Ingo Swann) 参考外部=>westga. edu (Ingo Swann Research Fellowship) |
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●ウィニフレッド・クーム・テナント夫人 ( Mrs Winifred Margaret Coombe Tennant ) (1874〜1956);memory ウィニフレッド・マーガレット・クーム・テナント夫人は, イギリスの婦人参政権論者(suffragist), 自由党の政治家(Liberal politician), 慈善家(philanthropist), 芸術の支援者(patron of the arts ), そして スピリチュアリスト(spiritualist) でした。 彼女と彼女の夫はサウス・ウェールズのスォンジー(Swansea in South Wales)の近くに住んでいて, そこで彼女はウェールズの文化的伝統の熱狂的な支持者になりました。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Winifred Coombe Tennant)」 ウィニフレッド・クーム・テナント夫人は, 精力的で現実派であり, 高度に知的な人物だった。彼女は, 1920年に治安判事に任ぜられ, 初の女性治安判事として, ウェールズのグラモーガン(Glamorgan, Wales)の州裁判所法廷に座った人である。 1922年には, 当選こそしなかったが, 自由党のイギリス議会への立候補者ともなった。その後は, イギリス政府から派遣されて, 女性では初めての国際連盟の代表となっている。 こうした経歴を持つ彼女は, その心霊能力を秘密にしていた。ウィレット夫人(Mrs Willett)という別名の 霊媒 でもあった。彼女は, トランス状態ではない正常な状態で自動書記を行なった。 ウィレット夫人とテナント夫人とが同一人であるということは, 彼女が亡くなった後, ジェラルディン・カミンズ(Geraldine Dorothy Cummins) への霊信によって, 初めて知られるに至ったのである。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『心霊の世界』【第5章/ 霊媒と霊信】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年 参考外部=>biography. wales (COOMBE TENNANT, WINIFRED MARGARET) 参考外部=>encyclopedia. com(Coombe- Tennant, Winifred Margaret Serocold ("Mrs. Willett") (1874-1956)) 参考外部=>mypoeticside. com(Winifred Coombe Tennant) 参考外部=>100 welshwomen. wales(Winifred Coombe Tennant(Formerly Pierce-Serocold)) |
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●ウィリアム・ウォーカー ( William Walker ) (?〜?);memory 英国の心霊写真家で, ウィリアム・T・ステッド(William T. Stead) の クルー団(Crewe Circle) に属していた。 カラー写真によるエキストラ(霊魂の顔や肖像のこと)の撮影にはじめて成功した人として知られている。 彼はまた, タイタニック号で遭難した22日後の1912年5月6日に, 船と運命を共にして亡くなったウィリアム・T・ステッドのエキストラ写真と彼の筆跡(秘書が本物と同じと鑑定した)による通信をクルー団で受け取っている。 【参考文献】(下記より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【ウォーカー、ウイリアム】, 著者:春川栖仙, 2009年 参考外部=>William Walker | Encyclopedia.com 参考外部=>(CREWE CIRCLE WILLIAM HOPE WILLIAM WALKER) A pair of spiri (swanngalleries.com) |
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●ウィリアム・エグリントン ( William Eglinton ) (1857〜1933);memory ウィリアム・エグリントンは, イギリスの スピリチュアリスト で, 霊媒者 であった。 彼は, いかさまを暴露された霊媒者でもある。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(William Eglinton)」 ウィリアム・エグリントンの 降霊会 の記録は, 数ある心霊科学の記述の中でも, 最もドラマチックなもので, その中には白昼, 戸外で太陽のもとに霊姿(れいし)を現出してみせたというものまで含まれている。 彼のからくりを暴露したのは, 南アフリカのナタル州の大執事で, イギリスのストックトン教区牧師である トーマス・コリー(Thomas Colley) であった。熱心な 心霊術 研究者でもあったコリーは, エグリントンの降霊によって現われ出た霊姿の白い衣服の端とひげを切り取ったのである。そして, それを調査したところ, 切り取ったものと同じつけひげとモスリン布が, 霊媒者エグリントンのスーツケースの中から見つかったのだ。1876年のことである。 とはいっても, エグリントンのすっぱ抜きによって, 大執事のコリーがことごとく霊媒への信用を失わせてしまったわけではなかった。彼は, たとえば フランシス・ワード・モンク(Francis Ward Monck) の正しさを信じる心棒者で, 反心霊術者の ジョン・ネヴィル・マスケリン(John Nevil Maskelyne) と対立していたからである。 有名なマジシャンだったマスケリンは, モンクの霊姿化(霊の物質化)現象はトリックによって再現できると豪語したのである。それがやれるかどうか, コリー大執事は,多額の金を賭けた。マスケリンは霊姿化させることに失敗した。 【参考文献】(以下より抜粋) ・『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著者:ロイ・ステマン, 訳者:楠田順, 1977年 参考外部=>Wikipedia(ウィリアム・エグリントン) 参考外部=>hk7.tokyo(スピリチュアリズム世界史年表) 参考外部=>theosophy.wiki(William Eglinton) 参考外部=>encyclopedia.com(Eglinton, William (1858-1933)) 参考外部=>En.Wikipedia(William Eglinton) 参考外部=>geniimagazine. com(William Eglinton) 参考外部=>simplesmentee spiritismo. blogspot.com (WILLIAM EGLINTON ) |
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●ウィリアム・カルトゥサー ( William Cartheuser ) (1890〜1966);memory ウィリアム・カルトゥサーは, アメリカの スピリチュアリスト で, 霊媒者 であった。 カルトゥサーはもともと整備士(mechanic)として働いてた。彼は自分の 交霊会 で トランペット を利用した, 直接声の霊媒者(direct-voice medium)になった。 彼の心霊能力は, ASPR(米国心霊現象研究協会;American Society for Psychical Research) の会員によって調査された。 1927年に, ニューヨークで ナンドー・フォドー(Nandor Fodor) と交霊会を開いた。 心理学の研究者たちは, カルトゥサーの信憑性を疑っていた。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(William Cartheuser.)」 参考外部=>encyclopedia.com(Cartheuser, William (ca. 1930)) 参考外部=>exhibits.library.brocku.ca(Spirituality) 参考外部=>peoplepill.com(William Cartheuser) 参考外部=>damasusurros. com(Medium: William Cartheuser) |
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●ウィリアム・クルックス ( William Crookes ) (1832〜1919);memory イギリスの化学者, 物理学者である。 タリウムの発見, 陰極線の研究に業績を残している。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ウィリアム・クルックス.)」 物理学者(X線の発達を可能にしたクルックス管の発明者)の彼は, 1870年 , 心霊現象 の徹底研究をすることを公にした。 この新分野に足を踏み入れた最初の科学者である。 【参考文献】 ・『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 降霊会 では, しばしば大変強い宗教的要素が見られるという点, 及び, あらゆる 霊媒 の中で最も偉大な霊媒であった ダニエル・ダングラス・ホーム(Daniel Dunglas Home) が大変強い宗教的傾向を示していたという点を付け加えたい。 19世紀において第一級の科学者であったウィリアム・クルックス卿は, ホームが充分な明るさの中で空中に浮かび上がるのを何回も目撃したので, クルックスはその離れ技が本物であることに何ら疑いを持たなかった。事実, 徹底的に調査した後で, クルックスは躊躇することなく次のように述べた。 「この件に関して記録された証言を否定することは, 全人類の証言をそれが何であれすべて否定してしまうことに等しい。というのは, 宗教, 或いは世俗の歴史の中で, これよりも強力な一連の証拠によって支えられている事実は一つも無いからである」 【参考文献】(下記よりそのまま抜粋) ・『心霊の次元』【第10章/ 空中浮揚現象】, 著:ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 1985年 フローレンス・クック(Florence Cook) は, 異常なまでの才能を持つ少女であった。 彼女はガス燈のもとで霊の全身像を呼び出してみせた, イングランドで最初の霊媒であった。 クックは, ほかの霊媒のだれもがそうするように, カーテンの奥の暗い隅(キャビネット という)に, 光りを避けて座る(降霊のときには明かりが邪魔になるという)。 やがて, キャビネットから霊の姿が現われ出るというものである。その霊は ケイティー・キング(Katie King) と名乗り, クックの 支配霊(spirit-guide) でもあった。(■事件詳細(サイト内)=>怪奇事件集(ケイティー・キングの不可思議)) 心霊術を信じる者は, 科学者を信用しようとしない。クルックスは, そのことをよく知っていた。だから彼は, 家族の者と一緒にフローレンス・クックと親しくなり, 彼女の信用を得ていったのだ。 クックはやがてクルックス家の常客となり, よく泊っていくようにさえなっていった。あるときなどは, 1週間もいたことがある。こうした二人の間の信頼のおかげで, クルックスは44枚にも及ぶケイティーの写真撮影に成功した。 その写真は, 科学年報に掲載され, 関心をかき立てることとなった。写真の中には, クルックスの実験室を歩き回るケイティーから, クルックスと腕を組んでいるものまである。 撮影にはステレオスコープ2台を含め, 5台のカメラが使われた。 この5台のカメラは, 霊姿(れいし;霊の 物質化 したもの)をいろいろな角度から写せるように, 同時に作動するようになっていた。 【参考文献】(下記より引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;William Crookes) 参考外部=>gendai.ismedia.jp(6月17日 イギリスの化学者W・クルックス誕生(1832年)) 参考外部=>encyclopedia. com(Crookes, Sir William (1832-1919)) 参考外部=>elfindog.sakura. ne.jp (Crookes, Sir William) 参考外部=>britannica. com(Sir William Crookes) 参考外部=>national maglab. org (William Crookes) |
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●ウィリアム・ジェームズ ( William James ) (1842〜1910);memory ウィリアム・ジェームズは, アメリカの哲学者, 歴史家, 心理学者(psychologist)であり, 米国で心理学コースを提供した最初の教育者でした。 ジェームズは, 19世紀後半の有力な思想家であり, 米国で最も影響力のある哲学者の1人であり, 「アメリカの心理学の父」 であると考えられています。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(William James)」 ・「Wikipedia(ウィリアム・ジェームズ.)」 SPR(心霊現象研究協会) の第三代会長ウィリアム・ジェームズは, 「プラグマティズム(実用主義)」 を提唱した哲学者で, ハーバード大学で教授を務めた。 超常現象にも関心を示し, 「信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるが, 疑う人にまで信じるに足る証拠はない。本質的に超常現象の解明とは, このような限界を持っている」 と述べた。これは 「ウィリアム・ジェームズの法則」 と呼ばれている。 【参考文献】(下記より引用) ・『ヨーロッパの都市伝説』【第2章/ 怪奇現象】, 著:片野優 / 須貝典子, 2021年 リチャード・ホシソン(Richard Hodgson)博士 は, SPR(心霊現象研究協会) における初期の主軸をなした人物の一人であった。1887年, 彼はSPRによってアメリカに派遣され, ボストンにある ASPR(アメリカ心霊現象研究協会) の事務局長として活躍, その後, 死去するまでその任にあたった。 彼は, アメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズ教授と親交があり, ホジソンに レオノーラ・パイパー(Leonora Evelina Piper)夫人 を引き合わせたのが, このジェームズ教授であった。 ジェームズ教授は, 自分の親類の女性を数人, パイパー夫人の 降霊会 に出席するようすすめたことから, 彼女たちはパイパー夫人にひかれたのだった。ジェームズ教授は, この 霊媒 であるパイパー夫人のめざましい離れ業を, 論理的に説明し得るに違いないと考えていたが, 彼女に超能力があることを知り, 教授はパイパー夫人を綿密に研究することに着手した。 しかし, ジェームズ教授は, ほかの仕事が忙しくなり, パイパー夫人の研究が一区切りついたところで, これをホジソン博士に引き継いでもらったのだった。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『心霊の世界』【第5章/ 霊媒と霊信】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>earth- words.org (ウィリアム・ジェームズの名言) 参考外部=>meigen- ijin.com (William James ウィリアム・ジェームズ) 参考外部=>encyclopedia. com (James, William (1842-1910)) 参考外部=>britannica. com (William James) 参考外部=>plato. stanford. edu (William James) |
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●ウィリアム・ジャクソン・クロフォード ( William Jackson Crawford ) (1881〜1920);memory クロフォード, ウィリアム・ジャクソンは, アイルランドのベルファスト(Belfast)にあるクイーンズ大学(Queens University)の工学教授で, 心霊現象 の研究者でもあった。 彼は, ニュージーランドで生まれ, スコットランドのグラスゴー大学(University of Glasgow)で博士号を取得した。 1914年頃にアイルランドのベルファストに移住し, その後 キャスリーン・ゴリガー(Kathleen Goligher) と彼女の周りのグループであるゴリガー・サークル(Goligher Circle;ゴリガー家の父親, 4人の娘, 息子, および義理の息子からなる スピリチュアリスト のグル−プ)の起こす 物質化現象 を調査し始めた。この調査は, 1920年に彼が死ぬまで続けられた。 【参考サイト】 ・「encyclopedia. com (Crawford, William Jackson (1881-1920))」 1917年から1920年にかけて, ベルファストのクイーンズ大学で機械工学を教えていたウィリアム・J・クロフォード博士は, 霊媒者 の体から生じる エクトプラズム の正体を解き明かそうと, ゴリガー一家の 降霊会 に出かけ, 実験上の指導に当たった。 そして彼は, 霊媒 の キャスリーン・ゴリガー(Kathleen Goligher) はじめ参加者全員の体重が, 降霊会のときに減ることに気づいた。そこで, キャスリーンを体重計に載せ, 彼女の体からエクトプラズムが放出されることによる, 体重の変化を計ることにした。 すると体重は通常の半分になり, 23.5キログラムも減っていた。しかし, テーブルが浮揚しているときは, 体重が増加した。 厳密を要する実験であるため, 彼女はテーブルに触れてはならないことになっていたから, 体重の増加が物を持ち上げたからだと説明づけるわけにはいかない。クロフォード博士は推論を発展させ, それは建築などで見かけるカンチレバー(cantilever; 片持ち梁)の要領で, 霊媒がエクトプラズムを放出することでささえているのではないかと考えた。 確かに博士はキャスリーン・ゴリガーの体から放出していると思われる, 長い棒状のエクトプラズムと見える写真撮影に成功している。このエクトプラズムのいくつかは, テーブルにまで達していたのだ。 クロフォード博士は, 1920年7月30日に亡くなっているが, 最終的な結論は出せずじまいで終わっている。 【参考文献】(下記より引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>encyclopedia.com(Goligher Circle) 参考外部=>Wikipedia(カンチレバー) 参考外部=>ajwestauthor. com (William Jackson Crawford) 参考外部=>YouTube (Spirit Engineer William Jackson Crawford worked here investigating Spiritualist Kathleen Goligher) 参考外部=>YouTube (A.J.West reunites the descendants of William Jackson Crawford and spiritualist Kathleen Goligher) 参考外部=>occult-world. com (Crawford, William Jackson) 参考外部=>philpapers.org (Essay Review: William Jackson Crawford on the Goligher Circle) 参考外部=>En.Wikipedia (Kathleen Goligher) 参考外部=>psychictruth. info (Medium Kathleen Goligher. Northern Ireland.) 参考外部=>books.google. co.jp (THOUGHT- FORMS AND HALLUCINATIONS) |
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●ウィリアム・ステイントン・モーゼス ( William Stainton Moses ) (1839〜1892);memory ウィリアム・ステイントン・モーゼスは, イングランド国教会の牧師。 霊魂の死後存続を信じる 心霊主義(スピリチュアリズム) の 霊媒 でもあり, 霊と交信し, そのメッセージを 「霊訓」 として出版した。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ウィリアム・ステイントン・モーゼス)」 ウィリアム・ステイントン・モーゼスは, スピリチュアリズム 史上に偉大な足跡を残した一人で, 英国国教会牧師, オックスフォード大学文学士, 著述家で, 「ライト(Light)」 誌編集者をつとめた。 はじめ, スピリチュアリズムに不信感を抱いていたが, ロバート・デール・オーエン(Robert Dale Owen)の著書 『議論の余地ある世界(The Debatable Land Between this World and the Next)』(1870年)によって徐々に関心を持つようになった。そして, ロッティ・ファウラー(Lottie Fowler), つづいてチャールズ・ウィリアムズ(Charles Williams)の 交霊会 に出席(1872年)し, また, 自分自身が霊能を発揮しはじめたことによって, スピリチュアリズムを受け入れざるを得なくなった。 彼の心霊能力は驚くべきもので, 叩音(ラップ音), 浮揚, テレキネーシス, 直接談話, 直接書記, 自動書記, アポーツ, 心霊光, 音楽, 芳香等の多彩な諸現象を生起することができた。 しかし, このモーゼスといえども, 強力な霊能の発揮は10年間位のものであった。彼は生計の手段として, この霊能を使用したことはなく, 平素の交霊会も小規模であった。 彼の 支配霊(スピリット・ガイド) たちの身元は後まで明らかにされなかったが, 有力な49名の霊魂たちによって霊団を構成し, リーダーにはインペレーター(Imperator)を戴き, 人類の精神の高揚という至高の使命をもって働いていた。 一方, 彼は SPR(心霊研究協会) の設立に尽力した(1882年)が, 4年後に関係を断った。そして, 1884年から他界するまでの間, ロンドン・スピリチュアリスト連合の会長をつとめ, 晩年の数年間を 「ライト(Light)」 誌の編集に関与した。 彼は, スピリチュアリズムの聖書といわれる 『霊訓(Sprit Teachings)』(1883年)を自動書記によって著した。 【参考文献】(下記より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【モーゼス師、ウィリアム・ステイントン】, 著者:春川栖仙, 2009年 ⇒・Wikipedia(英語版;William Stainton Moses) 参考外部=>En.Wikipedia(Robert Dale Owen) 参考外部=>encyclopedia.com(Fowler, Lottie (1836-1899)) 参考外部=>encyclopedia.com(Williams, Charles) 参考外部=>weblio.jp(ウィリアム・ステイントン・モーゼス) 参考外部=>furigana.info(ウィリアム・ステイントン・モーゼス) 参考外部=>encyclopedia.com(Moses, William Stainton (1839-1892)) 参考外部=>theosophy.wiki(William Stainton Moses) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk (William Stainton Moses) 参考外部=>foster hill roadcemetery. co.uk (Reverend William Stainton Moses) 参考外部=>occult-world. com(Moses ( Rev ), William Stainton) |
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●ウィリアム・スポールディング ( William H. Spaulding ) (?〜);? (★スポールディング氏と 冨川正弘 氏; 『UFOと宇宙(NO.23)』 から) コンピュータを使用してUFO写真の鑑定をした, UFO研究団体, GSW の代表者を務めた。 本職は, フェニックス市にある航空宇宙工学関係の会社の品質管理の技術者であった。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(NO.23)』:1977年 ・『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』:1990年 参考外部⇒Billy Meier UFO Research 参考外部=>Kz. UFO現象調査会 (マクミンビル空飛ぶ円盤事件(1950年5月11日米国オレゴン州)その9.GSWの分析) |
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●ウィリアム・デントン ( William Denton ) (1823〜1883);memory ウィリアム・デントン゙は, 独学の地質学者, 説教師(preacher)であり, サイコメトリー(psychometry) などのオカルト実践の推進者であった。 彼は, 無生物にも魂や記憶があり, 妻のエリザベス(Elizabeth M Foote Denton;1826-1916), 妻以外の人でも敏感な人は, 「読む(read)」 ことができると主張した。 彼は幅広いテーマについて講演を行い, オーストラリアツアーから帰国中にパプアニューギニアで熱病で亡くなった。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(William Denton (geologist))」 デントン教授は, 米国・ボストンの地質学者で, ジョゼフ・ローデス・ブキャナン(Joseph Rodes Buchanan)教授 の サイコメトリー に関する研究の照合・追試(1853〜83年)を行なった。 彼の専門にかかわる地理学・考古学の分野を中心に, 主として彼の妻と一連の実験を試みている。 ある時, ナイアガラ瀑布の岩の標本を紙にくるんで手渡したところ, デントン夫人は一度も訪れたこともないナイアガラの情景を詳細に言い当てた。 また, 同様な方法で火山の様子やマストドンなど絶滅している動物などについて詳述している。 【参考文献】(下記より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【デントン教授、ウイリアム】, 著者:春川栖仙, 2009年 参考外部=>Wikipedia(マストドン) デントンは純粋な科学以上の興味を持っていました。1850年代から1883年に亡くなるまで, デントンは科学, 宗教, スピリチュアリズム(spiritualism), サイコメトリー(psychometry) について幅広く著し出版しました。彼にとって, これらすべての分野はつながっていました。 【参考サイト】 ・「wellesley historical society.org(Wellesley's Spiritualist Past: One Family's Travel Through Space and Time)」 また, デントンは1866年にほかの惑星の生きものたちとテレパシーでコンタクトしたと主張した。 ■事件の詳細(サイト内) =>怪奇・不可思議事件集(近代で最初のUFOコンタクティ - ウィリアム・デントン) 参考外部=>Denton, William (1823-1883) | Encyclopedia.com 参考外部=>"Psychometric researches and discoveries" by William and Elizabeth Denton - YouTube 参考外部=>Wellesley's Spiritualist Past: One Family's Travel Through Space and Time-Wellesley Historical Society 参考外部=>The soul of things : or, psychometric researches and discoveries (iapsop.com) 参考外部=>All About Heaven - Explorer or adventurer |
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●ウィリアム・トーマス・ステッド ( William Thomas Stead ) (1849〜1912);memory ウィリアム・トーマス・ステッドは, イギリスのジャーナリスト(Journalist), 霊媒者。 海軍の改革や児童・社会福祉などの法整備を大衆に訴え, 英国の現代ジャーナリズムの基礎を作ったといわれる。 また, 彼は自動書記能力を持っていたとされている。 1912年, タイタニック(Titanic)号沈没の際, 犠牲になった。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ウィリアム・トーマス・ステッド)」 参考外部=>Wikipedia(ジャーナリスト) 参考外部=>Wikipedia(タイタニック (客船)) ウィリアム・ステッドは, 編集者, 著述家, オートマティスト(自動霊媒)として知られ, スピリチュアリスト の大きな擁護者であった。 1890年, 『評論の評論(Review of Reviews)』 を創刊している。 彼は, 故人となった米国の友人で編集者のジュリア・エイムス嬢(Miss Julia Ames)からの通信を受信したが, 彼女が生前の性格や記憶などをそのまま持ち続けていたことなど, 幾つもの確証となる手掛かりを得たため, 死後個性の存続を確信するに至った。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【ステッド、ウイリアム】, 著者:春川栖仙, 2009年 ウィリアム・ステッドは, イギリスのジャーナリストであり, 熱心な 心霊術信奉者(スピリチュアリスト)。 彼の 自動書記 は, 同僚の死のメッセージを受けたことから始まったが, やがて 生きている者の心の動きも書きつづることができるようになった。 定期船が沈没するイメージが, ひんぱんに現われたことから, 彼は, 大西洋で氷山と衝突する定期船のことを記事に書いた。 その彼が, 1912年, 不運にもタイタニック号の処女航海に出て, その犠牲者の一人となったのである。 【参考文献】(下記より引用) ・『心霊の世界』【第8章/ ふるい分けられた証拠】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒・Wikipedia(英語版;W. T. Stead) 参考外部=>jikanryoko.com(ステッド氏の執心) 参考外部=>encyclopedia.com(Stead, William Thomas (1849-912)) 参考外部=>britannica.com(William Thomas Stead) 参考外部=>encyclopedia- titanica.org(William Thomas Stead) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk(William T Stead) 参考外部=>YouTube(Government by Journalism, by William Thomas Stead) |
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●ウィリアム・ハーマン ( William J. Hermann ) (1951〜); UFOのアブダクティ。 1977年11月に, サウスカロライナ州チャールストン上空でUFOの一連の目撃を行ったと主張した後, さらにハーマンは, 1978年1月22日, 物体の写真を9枚撮る。 2ヵ月後の1978年3月, 以前に見たUFOが再び現れて, 彼に向かって光線を放った。 彼は意識を失いアブダクトされ, 3時間後に15マイル(約24km)離れたところで目覚めた。 当時(26歳)のハーマンは, 南部バプテスト会議教会の執事であり, 教会業務の管理を支援していた。 【参考サイト】 ・「encyclopedia.com(Hermann, William J.)」 ・「OpenMinds(Extraterrestrial Interactions by Wendelle Stevens)」 ■事件詳細(サイト内) =>UFO事件集(ウィリアム・ハーマンUFO誘拐事件) 参考外部=>Open Minds(Extraterrestrial Interactions by Wendelle Stevens) |
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●ウィリアム・バレット卿 ( Sir William Fletcher Barrett ) (1844〜1925);memory サー・ウィリアム・フレッチャー・バレットはイギリスの物理学者。 ウィリアム・クルックス(William Crookes) や オリバー・ロッジ(Oliver Joseph Lodge) ほど物理学の分野で華々しく活躍したわけではないが, 堅実な研究で評価された。 英国と米国の SPR 創立に貢献。またテレパシーやダウジングについての研究報告が多い。 なお父は聖職者で, バレットも生涯敬虔なクリスチャンだった。 催眠状態で引き起こされる現象に興味を持ち, 最初は幻覚説, 次にテレパシー説を展開した。 40年近く研究した後, 暗示や無意識, テレパシーだけでは説明できない 超常現象 があるという結論に達し, 1918年には霊魂説を採った。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ウィリアム・フレッチャー・バレット)」 ウィリアム・クルックス卿 が ケイティー・キング の写真を撮ろうとしていたころ, もう一人の優れた科学者が 心霊現象 の研究に取りかかり始めていた。ウィリアム・バレット卿である。 彼は, ダブリンにあるロイヤル・カレッジの医学の教授であった。彼は催眠療法の研究者だったが, その後, 心霊術 による 霊姿化【物質化】現象 に関心を持ち始め, 研究するようになった。 その過程で彼は, 日中の光りの中で, からくりの入り込めない状態で, コツコツという音が出せるようになった。バレットは, この音が霊魂によるものではないかと考えるようになった。しかし, 彼は最初のころは, まだ空中浮揚など幻覚でしかないと問題にしなかったものである。 それが, 知人の中に霊媒能力を持ち, 空中浮揚する者もいたことから, 考え方を変えた。その知人たちは疑うわけにいかない人物であり, バレットはそうした人の協力を得て, 白日のもとでテストすることにし, その結果, 霊媒能力が疑う余地のないものであることを確認したのである。 1882年1月, バレットは 「イギリス心霊術者市民協会」 の事務所で会議を招集した。この会議から生れたのが 心霊研究協会(SPR) である。バレットは, 他の科学者や心霊術者とともに同協会の最初の会員の一人であった。 この3年後, バレットはアメリカを訪れた。その訪問が アメリカ心霊研究協会(ASPR) の創立に刺激を与えたといわれる。 かつてウィリアム・クルックス卿は, 「驚くべき出来事といっても, 科学の厳密さには, ひとたまりもないだろうと調査を始め, 1,2か月の暇つぶしという気持だった」 のが, 「実験の対象は最初の予測よりもはるかに難しく, はるかに広範にわたっていること」 がわかり, 数か月が数年になってしまった, と書いている。それは, バレット卿にとっても同じだったに違いない。 彼は心霊術とそれに関係する研究に半世紀余り没入してしまったのである。1924年, SPRの 『議事録』 に収録された 「心霊研究50年のさまざまな回想」 という題の論文で, バレットは自分の結論をまとめあげている。それによると彼は, 霊界が存在すること, 死後も魂が生き続けること, 死者からの交信にはそれなりの根拠があること, を述べている。 【参考文献】(下記から引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;William F. Barrett) 参考外部=>encyclopedia. com (Barrett, Sir William Fletcher (1844-1925)) 参考外部=>occult- world.com (Barrett, Sir William Fletcher) 参考外部=>nature.com (Sir William Fletcher Barrett, F.R.S) |
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●ウィリアム・ホープ ( William Hope ) (1863〜1933);memory クルー(crewe;イギリス)の大工で, 心霊写真家霊媒として有名になった。 詐術論争と告訴の渦中にあって, 彼の能力が真正なものであることを多くの指導的研究者に確信させた。しかし, 彼はその才能を決して職業として利用せず, 大工の手間賃と同程度の報酬, 1ダースのプリントに対して4シリング6ペンスを受け取るだけであった。 トーマス・コリー師(Thomas Colley Archdeacon), ウィリアム・バレット卿(Sir William Fletcher Barrett), ウィリアム・クルックス卿(Sir William Crookes) 等から支持されたが, ハリー・プライス(Harry Price), オリバー・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge) からは嫌疑をかけられた。 また, 心霊写真家集団 クルー・サークル(Crewe Circle) を率いた。 【参考文献】(下記より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【ホープ、ウイリアム】, 著者:春川栖仙, 2009年 ⇒・Wikipedia(英語版;William Hope (paranormal investigator)) 参考外部=>William Hope: Spirit Photographer (the-line-up.com) 参考外部=>The Spirit Photographs of William Hope - The Public Domain Review 参考外部=>The spirit photographs of William Hope | Flickr |
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●ウィリアム・マック・ブレイゼル ( William "Mac" Brazel ) (1899〜1963);memory ロズウェル事件 で墜落したと思われるUFOの残骸を発見した, フォスター牧場の現場主任(当時48歳)。 発見場所であるフォスター牧場は, ニューメキシコ州コロナにほど近いところ。そこは, また, ロズウェルの北約70マイル(約110キロ)にある。 【参考文献】 ・『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』:2015年 参考外部=>Wikipedia (ロズウェル事件) 参考外部=>Wikipedia (ロズウェル事件の目撃談) 参考外部=>geolog. mydns.jp(ロズウェル事件に関係する人物) 参考外部=>science photo.com(Mac Brazel, discoverer of Roswell UFO wreckage) 参考外部=>roswellfiles.com(Interview with W.W. "Mac" Brazel ) 参考外部=>luforu.org(William W “Mac” Brazel) 参考外部=>UFONUT (Cowboys & Aliens: The real story ) |
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●ウィリアム・マムラー ( William H. Mumler ) (1832〜1884);memory ウィリアム・H・マムラーは, ニューヨーク・シティおよびボストンで活動したアメリカの心霊写真家。 彼の最初の 心霊写真 は, 現像されたとき, 亡きいとこの 「霊(spirit)」 が写っていた, と信じた偶然の自画像写真であった。 マムラーはそれから, 彫刻家としての仕事をやめ, 南北戦争で親戚を失った大勢の人々を利用して, 心霊写真術をフルタイムで続行した。 【参考サイト】 ・.「Wikipedia(ウィリアム・マムラー)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;William H. Mumler) ■詳細(サイト内) =>UFO関連用語集(最初の心霊写真とウィリアム・マムラー) 参考外部=>artsandculture. google.com (ウィリアム・マムラー) 参考外部=>karapaia.com(元祖心霊写真家、偽心霊写真の父と呼ばれる、ウィリアム・マムラーの物語(アメリカ)) 参考外部=>photography museum.com (The Mumler Mystery) 参考外部=>encyclopedia. com (Mumler, William H. (d. 1884)) 参考外部=>psychictruth. info (Medium William H Mumler USA.) 参考外部=>YouTube(William H. Mumler The Man Who Photographed Ghosts) |
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●ウィリアム・ムーア ( William L. Moore ) (1943〜); アメリカのUFO研究家。 ロズウェル事件 を, スタントン・フリードマン(Stanton Terry Friedman) らとともに調査・普及に努めた。 【参考文献】 ・『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』:1990年 ・『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』:2015年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Bill Moore (ufologist)) 参考外部=>geolog. mydns.jp(ロズウェル事件に関係する人物) 【サイト内の主な著書】 ・『謎のフィラデルフィア実験』, 著者:チャールズ・バーリッツ + ウィリアム・ムーア, 訳者:南山宏, 1979年 |
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●ウィリアム・ロイ ( William Roy ) (1911〜1977);memory ウィリアム・ロイは, 英国の スピリチュアリズム の歴史の中で悪名高い詐欺師的な 霊媒者。 本名は, ウ ィリアム・ジョージ・ホルロイド・プロウライト(William George Holroyd Plowright)。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(William Roy (medium))」 現代における最も恥知らずな 心霊術 詐欺師, と非難されているウィリアム・ロイ は, 1955年にそのからくりが暴かれるまでは, 彼はイギリスで最も有名な霊媒だった。 彼のやり方がどんなふうであったかを, 心霊研究家のシメオン・エドマンド(Simeon Edmunds)著の 『心霊術, ある批判的概観(Spiritualism: A Critical Survey)』 から引用すると, 次のようである。 「うたぐり深い目で見る 降霊会 の観客を, 見事なまでにだませたのは, 考え抜かれた彼のマイクロホン中継技術によるものであった。この技術によって, 彼は, "霊の肉声" を一晩中, 出すことができ, 商売がたきの霊媒たちには, どうしてもやることのできない "離れ業(はなれわざ)" だった。 彼の手口は, マイクとアンプからの電気の導線を, じゅうたんの下から通し, 頭の突き出た2本の真鍮(しんちゅう)の鋲(びょう)につなぐ。 この鋲は一見, じゅうたんを床にとめておくためのように思わせる。そして補聴器を改造して小型のラウンド・スピーカーにし, それをカフスに取りつける。 そこから, 電気の導線が袖, 上着の内側, ズボン, 靴へとつながれ, そして両方の靴底の金属板につながれていく。 彼が鋲の上に立つと電気の回路が通じて, 仲間の声がカフスにあるラウンド・スピーカーから聞こえてくるというわけである。」 肉声は, ロイの手首の辺りから聞こえるのだが, 客からは遠いので, それがわからず, 疑いもかけられなかったわけである。 * 1958年, 彼はイギリスの新聞 『サンデー・ピクトリアル(the Sunday Pictorial newspaper)』 紙に, 5回連載の告白記事を書き, かなりの稿料をもらっている。また, その巧妙きわまるからくりと一緒に, その写真も撮らせている。このからくりの仕掛けは, 後にスコットランド・ヤードのメトロポリタンの警察探偵訓練学校(Metropolitan Police Detective Training School)の博物館に収められた。 彼が成功した秘訣の一つに, ペテンにかかった者たちの徹底的研究, 調査があったことをあげることができる。彼は選挙人名簿を調べ, 登記所を訪ねては, 誕生日, 結婚日, 死亡日などの記録を綿密に集め, 遺言から多くの情報を拾ったのだった。 まやかし 心霊現象 は, 軽いボール紙製の蛍光塗料を吹きつけた トランペット で展開されてゆく。ロイは, 伸縮自在の闇では見えない管(くだ)を使って声を出した。ロイは, あたかも恍惚(トランス)状態になったかのように見せかけて, 支配霊(スピリット・ガイド) であるアメリカ・インディアンのティンカから伝えられたたように, 参列者に伝達したのである。 【参考文献】(下記から抜粋引用) ・『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>En.Wikipedia(Simeon Edmunds) 参考外部=>psychictruth. info (Medium William George Holroyd Plowright) 参考外部=>encyclopedia. com (Roy, William (1911-1977)) |
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●ウィル・ゴールドストン ( Will Goldston ) (1878〜1948);memory ウィル・ゴールドストンは, 20世紀前半のイギリスのステージ・マジシャン(stage magician)。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Will Goldston)」 ヨーロッパの偉大な本物の魔術師(マジシャン)の一人である, ウィル・ゴールドストンは, オーストリアの霊媒 ルディ・シュナイダー(Rudi Schneider) の 心霊現象 を見てから, こう語った。 「降霊会 で私が見たものは, トリックでなかったと確信している。あのような条件のもとでは, 我々の仲間のだれも, あんな現象を起こすことができないであろう」 ゴールドストンは, 自分が 心霊派(スピリチュアリスト) に転向した次第を, 1933年の彼の著書 『有名な奇術師の秘密(Exclusive Magical Secrets)』 の中で, 以上のように述べたのである。 【参考文献】(下記から抜粋引用) ・『心霊の世界』【第4章/ ペテンといかさま捜し】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>tokyomagic.jp(3冊の錠前付きマジック本) 参考外部=>geniimagazine.com(Will Goldston) 参考外部=>lybrary.com(Will Goldston) 参考外部=>m.facebook.com(WILL GOLDSTON 1946 British Magician (1878-948) ) 参考外部=>martinsmagic. com (Goldston Reader by Will Goldston) |
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●ウィルバート・B・スミス ( Wilbert B Smith ) (1910〜1962);memory カナダのUFO調査機関, プロジェクト・マグネット(Project Magnet)(1950年発足)の研究責任者となった人物。 当時, 彼はオタワ州運輸省電波調整工学部長であった。 【参考文献】 ・『UFO超地球人説』,著者:ジョン・A・キール,1976年 理学士, 理学修士, エネルギー工学専攻, カナダ政府の無線制御技術局長官である。 本来, このカナダの計画は, もし可能なら, ある種の電気的力場によって動く円盤を開発して, UFOの飛行特性を再現するために設けられたものだった。 これが1953年に, この分野における現段階のわれわれの技術では, 実現不可能であるとして放棄され, 計画の総力はUFOの研究に絞られた。 こうした行動がとられたのが, 何十という未確認飛行物体が, ワシントンD.C.の上を群れをなして飛んだ事件 (ワシントン事件 -1952年) から, ほんの数ヵ月後だったというのは, 単なる偶然ではないだろう。 カナダと合衆国の両国は, ともに, UFOに対する危機感を抱いていたのだ。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『空飛ぶ円盤の真実』【第4章/破片を集めろ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ⇒ ・Wikipedia(スェーデン版;Wilbert B. Smith) 参考外部=>en. wikipedia (Project Magnet(UFO)) 参考外部=>theufo chronicles. com(Wilbert Smith and Project Magnet) 参考外部=>biblio.uottawa. ca(Smith, Wilbert B.) 参考外部=>utias. utoronto. ca(1960s: Dr. Gordon Patterson establishes The UTIAS UFO Project) 参考外部=>uapdisc losure. wordpress.com (Wilbert B. Smith..) 参考外部=>YouTube (Wilbert B Smith Secrets Of UFOs) 参考外部=>YouTube (Wilbert B Smith discusses Project Magnet) |
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●ウィルフリード・ド・ブロウワー ( Wilfried De Brouwer ) (?〜); ベルギー空軍の戦闘機パイロットとして20年間勤務した。 1983年にNATOの戦略計画部門の大佐に任命された。その後,ベルギー空軍輸送航空団の司令官となり, 1989年には航空幕僚の作戦部門の主任を務めた。 1991年に少将に昇進したド・ブロウワーは, ベルギー空軍の副参謀長を務めた。 空軍を退役した1995年から10年以上, 国連の顧問として, 緊急時における物流の迅速な対応能力を向上さえた。 【参考文献】 ・『UFOs世界の軍・政府関係者たちの証言録』【寄稿者略歴(2011年現在)】, 著:レスリー・キーン, 訳:原澤亮, 2022年 参考外部=>YouTube(Wilfried De Brouwer part I) 参考外部=>YouTube(Fmr. Major General, Belgian Air Force, Ret. - Wilfried De Brouwer) 参考外部=>YouTube(1990-03-30: Belgian UFO Peak per Wilfried de Brouwer) 参考外部=>imdb.com(Wilfried de Brouwer) 参考外部=>skepsis.nl(Bekende UFO-foto vervalst) 参考外部=>facebook.com(Wilfried De Brouwer) |
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●ウィルヘルム・ライヒ ( Wilhelm Reich ) (1897〜1957); memory オーストリア系米国人の精神科医, 精神分析家。 人間のセクシュアリティと神経症との間に関連があると信じて研究を始め, 論議の嵐を呼んだ。 1940年, 免疫システムの改善など, 身体の特定部位の治療に特化した オルゴン・アキュムレーターという装置を開発した。 また, オルゴンの対極にある 「死のオルゴン(DOR)」 というものを発見したと主張。 地球の砂漠化の多くに, このDORが関与しているとし, 「クラウドバスター」 として知られる装置を開発。 このクラウドバスターの実験中, メイン州とアリゾナ州の空に, 無数のUFOを見たといわれている。 人々に完全な健康やフリーエネルギー, 大地の改善までをも提供する男が現われたとあって, 当局はその業績を潰しにかかった。 1954年, メイン州の法定代理人は, FDA(食品医薬品局)の命を受け, オルゴン療法機器や関連書籍の販売を禁止しようとした。 1956年, ライヒの状況は悪くなる一方だった。 FDAの職員がライヒの地所に押し込み, すべてのオルゴン・アキュムレーター, および関連品を破壊した。 1957年, ライヒはダンベリー連邦刑務所に移送され, 精神鑑定を受けた。 結果は, 「誇大妄想, 被害妄想, オルゴンのアイデアによって出現したパラノアイ(偏執症)」 というものだった。 8か月後の11月3日, ペンシルバニア州ルイスバーグの連邦刑務所で, 心臓麻痺のため息を引き取った。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『秘密の話』【フリーエネルギー・代替エネルギーの存在は秘密にされている?】, 著:ジム・マース, 訳:渡辺亜矢, 2013年 ・『UFOと宇宙(NO.31)』(ウィルヘルム・ライヒ博士のUFO撃墜装置),1978年 その同じ年(1954年), ウィルヘルム・ライヒというもう一人の博士が, メイン州レインジリーで, 自宅の上空を動き回っているきらめく星のような物体を見ていた。 その "宇宙人たち" も, 彼に小さな贈り物をくれた。オルゴン と呼ばれる宇宙エネルギーに関するふしぎな理論がそれだった。 ライヒ博士はウィーンで, フロイト(Sigmund Freud) のもとで学び, 研究したのちに, いくつかの重要な教育機関に職を得た。彼は聡明な, 高い学識を持った人物だった。ところが, どうにかして, 彼は, オルゴンはひじょうに重要な宇宙の生命力であり, それは1954年に世界の空にはんらんしていたUFOをも支配しているのだと, と信じ込むようになった。 彼の同僚たちや食品・医薬品局は, 彼の理論をいくらか当惑しながら見ていた。彼は医師の資格を剥奪され, 法廷に引っぱり出され, 裁判され, そして獄に入れられた。彼は八ヶ月後に刑務所で死んだが, 敗残者はなおも, 自分は重要な宇宙の秘密を解明したのだと信じていた。 【参考文献】(以下より引用) ・『UFO超地球人説』【第14章/ 敵陣突破!;世界は昨夜終わった…】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年 => ・Wikipedia(ヴィルヘルム・ライヒ) => ・Wikipedia(英語版;Wilhelm Reich) 参考外部=>エンタープライズ (天候さえも操るヴィルヘルム・ライヒの「クラウドバスター」) 参考外部=>esdiscovery.jp (ウィルヘルム・ライヒの生涯の概略) 参考外部=>theguardian.com(Wilhelm Reich: the strange, prescient sexologist who sought to set us free) 参考外部=>britannica.com(Wilhelm Reich) |
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●ウヴァニ(ウヴァーニ)【スピリット・ガイド】 ( Uvani ) 霊媒 の アイリーン・ギャレット(Eileen Garrett ) の 降霊 時に現われるギャレットの スピリット・ガイド(spirit-guide;支配霊)。 スピリット・ガイド(支配霊)は, その霊媒が降霊(交霊)をする際に, まずその霊媒にのり移りる。そして, 実際に交霊したい霊を仲介してくれる。 ナンドー・フォドー(Nandor Fodor) がアイリーン・ギャレットに会った時のフォドーの第一印象は複雑なものであった。彼女はとても疲れたような顔をして, 動くのもやっとだった。彼女は礼儀上, 無関心を装っているばかりでなく, 死者を呼び出すという仕事に飽き飽きしているようにも思われた。 私たちは, とりとめのないことを少し話し合った。これでは, 何も期待できないと私(フォドー)は思った。 彼女(ギャレット)があくびをし始めた時, 彼女はもう私にうんざりしたのだろうと思った。ところが, その時, 私はある異変に気がついた。 彼女は目をこすりながら呻き始めた。みるみるうちに彼女の苦痛は激しくなり, まるで彼女に陣痛でも起こったかのようだった。しかし, 実際は彼女は トランス状態 に入ったのであった。たちまち彼女は落ち着きを取り戻し, 安楽椅子にきちんと座り直し, 腕を組んで厳(おごそ)かにお辞儀をした。「ウヴァーニ」 がのり移ったのである。 - トランス状態の中に現われた人物は, アラビア人であると名のった。彼はまさしく東洋風に私に挨拶した。「貴方と貴方の家族と貴方の愛する人すべての上に平安が与えられますように」 と。 【参考文献】(以下より引用) ・『心霊の次元』【第12章/ 大西洋横断飛行家からの通信】, 著:ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 編・監修:南山宏, 解説:近藤千雄, 1985年 |
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●ウェーブニー・ガーバン ( Waveney Girvan ) (1908〜1964); memory 国際的UFO誌である, 『フライング・ソーサー・レビュー』 の創始者兼編集者。 『空飛ぶ円盤は着陸した(Flying Saucers Have Landed)』(邦訳-「空飛ぶ円盤実見記」)の発行者で, 『空飛ぶ円盤と常識』 の著者である。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.35)』1978年, 【(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ, 訳:遠山峻征】から 参考外部=>fsr.org.uk(How it all began. Founding the Flying Saucer Review.) 参考外部=>fsr (FLYING SAUCER REVIEW) |
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●植松靖夫(うえまつやすお) (1953〜); 英文学者・辞書編纂者・翻訳家。 学生時代より翻訳を手がけ, 1980年代に国書刊行会初のベストセラーとなる翻訳書 『法の書』 など, 次々にオカルト関係の翻訳を出版した。 【参考サイト・文献】 ・「Wikipedia(植松靖夫)」 ・『モスマンの黙示』 参考外部=>colorful-shingaku.net(大学生とディスカッション) 参考外部=>東北学院大学 (植松靖夫教授) 【サイト内の主な著書】 ・『モスマンの黙示』, 著者:ジョン・A・キール, 訳:植松靖夫, 1984年 |
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●ウェルナー・フォン・ブラウン ( Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun ) (1912〜1977); memory ベルリン大学卒業後, ドイツ兵器局の技師となり, ヒトラー政権下で, ロケット兵器, V2号の開発に当たった。 敗戦後の1945年, 多くの技術者を引き連れてアメリカに亡命し, ロケット兵器の開発を担当して大陸間弾道弾を開発。米国初の人工衛星を軌道に乗せたりした。 米航空宇宙局(NASA)のマーシャル宇宙飛行センター所長として, アポロ計画 の推進者となり, 大型のサターン5型ロケットを開発し, 1969年, アポロ11号で初の有人月面着陸を成功させた。 アメリカ宇宙船開発の父といわれる。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙』NO.25(科学ニュース),1977年 ・『今も地球を癒し続けるプレアデス科学の謎』,1996年 ⇒ ・Wikipedia(ヴェルナー・フォン・ブラウン) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Wernher von Braun) 参考外部=>commons. wikimedia.org (Wernher von Braun) |
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●ウェンデル・スティーブンス ( Wendelle C. Stevens ) (1923〜2010); memory ミネソタ州に生まれ, 高校卒業後, 米国空軍 に入り, テストパイロットの資格をとり, 空軍情報局の次席作戦将校として, 1947年, 北極圏探査の天候調査プロジェクトに参加。 この時UFOを目撃し, 関心を持ち始めUFO研究を始める。 1963年に退役後も研究を続け, スイスの ビリー・マイヤー 氏のコンタクトなど, 多くのUFO事件の調査を手掛けた。 【参考文献】 ・『宇宙人との遭遇』 参考外部=>YouTube(ALIEN CHRONICLES (S1E12) - WENDELLE STEVENS - ALIEN AND UFO ENCOUNTERS) 参考外部=>Open Minds(Extraterrestrial Interactions by Wendelle Stevens) 【サイト内の主な著書】 ・『宇宙人との遭遇』, 1980年, 著者:ウェンデル・スティーブンス, 訳:芝田康彦 |
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●ウォルター・ジョン・キルナー ( Walter John Kilner ) (1847〜1920); memory ウォルター・ジョン・キルナーは, ロンドンの主要病院で電気療法の責任者を務めていました。 彼は多くのトピックに関する記事を書いていますが, 人間の オーラ の研究で今日最もよく覚えられています。 1883年に, 彼は王立医科大学の会員になっています。 【参考サイト】 ・「macrolibrarsi.it(Walter John Kilner)」 キルナー博士は, ロンドンの聖トーマス病院の医師で, 人間のオーラに関する実験的研究で知られている。 彼は, ディサイアニン・スクリーン(dicyanin Screens)を用い, 客観的にオーラが存在することを初めて示した。すなわち, そのスクリーンを通して見ることによって, オーラに対する感受性を高めることができ, とくに薄暗いぼんやりとした光の中で, 黒い布などを背景に人間の裸体を凝視すると, 3層の異なった帯が見えてくる。 このオーラは, たとえば, 病気の影響を受けるとその大きさや色彩に変化をきたし, あるいは, 死期が近づくと縮み, ついに消失してしまう。 キルナー博士の実験は, シカゴ慈善病院のオドンネル博士(Dr. O'Donnell), 西アフリカのアンダーソン博士(Dr. Drysdale Anderson)によって追認されている。 【参考文献】(下記を引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【キルナー博士、ウォルター・J】, 著:春川栖仙, 2009年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Walter John Kilner) 参考外部=>el-aura.com(100年前に発見されていたオーラを見る方法とは?) 参考外部=>anima- mystica.net(オーラと科学) 参考外部=>ja.nomuwiki. com(ウォルタージョンキルナー) 参考外部=>encyclopedia. com(Kilner, Walter J(ohn) (1847-1920)) 参考外部=>encyclopedia2. the freedictionary. com (Kilner, Walter John) 参考外部=>everything. explained.today(Walter John Kilner Explained) |
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●ウォルター・ハウト ( Walter G. Haut ) (1922〜2005); memory ロズウィル事件 において, 事件の公式プレリリースを発表した人物。当時の階級は中尉。 後に 「Roswell International UFO Museum & Research Center」 館長となる。 【参考サイト】 ・「geolog. mydns.jp(ロズウェル事件に関係する人物)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Walter Haut) 参考外部⇒ 「浅川嘉富の世界」 にようこそ!! (ロズウェル事件の真相) 参考外部=>sciencephoto. com (Walter Haut, press officer at Roswell UFO incident) |
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●ウォルター・ヒンクリフ ( Walter George Raymond Hinchliffe ) (1894〜1928); memory ヒンクリフは, イギリス海軍航空隊, イギリス空軍のパイロットで, 第一次世界大戦の撃墜王である。 戦後は民間パイロットとして活躍したが, 1928年に女性飛行士の エルシー・マッケイ(Elsie Mackay) とともに大西洋横断飛行に挑んで, 行方不明となった。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ウォルター・ヒンチリフ)」 三人のうち, ひときわ目立つのは左の目に黒いパッチをあてた偉丈夫ウォルター・G・レイモンド・ヒンクリフ大尉だ。 第一次大戦で, ドイツ機7撃墜のスコアを持つエースで, 空中戦の敵弾で左眼を失いながら, なお戦後もパイロットとして飛び続け, KLM航空およびインペリアル航空の操縦士として計9,000飛行時間を記録して, 当時(1928年)のイギリス航空界における最も経験豊かな "空の男" として, 尊敬と信頼を集めている人物である。 【参考文献】(下記より引用) ・『ミステリー・ゾーンへの飛行』【第2部/ 霊界への飛行(ジョン・G・フラーの 「死を拒否した空の男」 を横森氏が再構成), 文:横森周信】, 1982年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Walter G. R. Hinchliffe) 参考外部=>shutterstock. com (Captain Walter Hinchcliffe ) 参考外部=>granthammatters. co.uk (Raymond Hinchliffe 1894-1928) 参考外部=>granthammatters. co.uk (Elsie Mackay 1893-1928) |
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●ウォルター・N・ウェッブ ( Walter N. Webb ) (1934〜); 天文学者。 UFO研究家でもあり, 永年 MUFON(相互UFOネットワーク) と CUFOS(UFO研究センター) の天文学顧問を務めた。 【参考文献】 ・『UFOと核兵器』2011年, 著:ロバート・ヘイスティングス 彼は, ヒル夫妻UFO誘拐事件 の最初の捜査官でもある。 【参考サイト】 ・「NICAP(Walter N.Webb)」 参考外部=>NOUFORS (Walter N. Webb) 参考外部=>NICAP(A DRAMATIC UFO ENCOUNTER IN THE Walter N. Webb) |
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●宇佐和通(うさわつう) (1962〜); 東京都生まれ。 東京国際大学卒。オレゴン州サザン・オレゴン・ステートカレッジにてビジネスコース修了。 商社, 通信社勤務を経て, 翻訳家・ノンフィクション作家として活動。2006年に渡米。 著書に 『猫にまつわる不思議な話』 など多数ある。 【参考文献・サイト】 ・『FBI超能力捜査官マクモニーグルと「遠隔透視」部隊の真実』, 2007年 ・「Wikipedia(宇佐和通)」 参考外部=>webcatplus.nii.ac.jp(宇佐和通) 参考外部=>wikiwand.com(宇佐和通) 【サイト内の主な著書】 ・『FBI超能力捜査官マクモニーグルと「遠隔透視」部隊の真実』, 著:並木伸一郎 / 宇佐和通 |
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●内田秀男(うちだひでお) (1921〜1995); memory 電子技術者。工学博士。 昭和16年, 「NHK技術研究所」 に勤め, 放送局型受信機の試験研究を振りだしに, 昭和31年まで受信機の研究,新型真空管の開発に従事した。また, 昭和20年代より 『無線と実験』 誌などに寄稿。 昭和32年, 退職と同時に 「内田ラジオ研究所」 を創設し, 昭和34年にアマチュア・ショールームを渋谷に開設, のちに秋葉原ラジオセンタービル内に移設した(2014年5月に閉店)。 【参考文献】 ・『神秘の四次元世界』著者:内田秀男 ⇒ ・Wikipedia(内田秀男) 参考外部=>Hatena: Diary(秋葉原の伝説を書いてみた) 【サイト内の主な著書】 ・『神秘の四次元世界』, 1973年 |
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●内野恒隆(うちのつねたか) (1949〜); 1975年より, 「UFOと宇宙」(ユニバース出版社) の編集に携わり, 『にっぽん宇宙人白書』 の本を著す。 【参考文献】 ・『にっぽん宇宙人白書』, 1978年 参考外部=>■『にっぽん宇宙人白書』を買ったのでちょっとした感想文 : 又人にかけ抜かれけり秋の暮 (blog.jp) 参考外部=>地球に来ている宇宙人の種類は100種類、ヒューマノイド型が8割だそうです。(4) | 日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ (amebaownd.com) 【サイト内の主な著書】 ・『にっぽん宇宙人白書』, 1978年 |
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●梅原伸太郎(うめはらしんたろう) (1939〜2009); memory 慶応義塾大学大学院博士課程(科学哲学専攻), 國學院大學大学院修士課程(神道学専攻)終了, 南カリフォルニア大学大学院(SCI)にて, Ph.D.を取得, 哲学博士。 日本心霊科学協会 『心霊研究』 編集長, 国際精神世界フォーラム事務局長, 本山人間科学大学院講師などを努めた。 【参考文献】 ・『ジャック・ウェバーの霊現象』(新装版),2015年 参考外部=> 叡智と成長 (【採録】梅原伸太郎「脱魂と他界」) 参考外部=> 心霊学研究所 (類魂とは何か----生まれ変わりの謎を解く) 参考外部⇒ Wikipedia(類魂) 【サイト内の主な著書】 ・『ジャック・ウェバーの霊現象』, 著:ハリー・エドワーズ, 監修:梅原伸太郎, 訳:近藤千雄 |
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●ウラジミール・G・アザザ ( Vladimir G. Azhazha ) (?〜); ソビエト連邦科学アカデミー海洋研究センターの研究員。 長期にわたって, ソ連におけるUFO現象(主に 「海洋におけるUFO現象」 )の調査研究に携わった。 1977年1月, 博士はソ連のUFO現象に関して, ノーボスチ通信の記者団に対し講演を行った。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.44)』【ソ連のUFO研究と未公開情報】, 1979年 参考外部=>Open Minds (Russian Cosmonauts’ UFO sightings and statements) 参考外部=>rt.com (Russian Navy UFO records say aliens love oceans) 参考外部=>noufors. com (Dr. Vladimir G. Azhazha) |
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●上部一馬(うわべかずま) (1954〜); 明治学院大学を卒業, 学習研究社代理店勤務の後, 褐注N産業流通新聞社に入社。 多くの健康食品をヒットさせた。 2000年からフリーに, 03年健康情報新聞編集長兼任, ドキュメントを執筆プロデユース。 代替療法, 精神世界, 農業, 超常現象, 超古代史に精通。 【参考文献】 ・『日本上空をハーモニー宇宙艦隊が防衛していた!』, 2016年 参考外部=>hmv.co.jp(上部一馬 プロフィール) 参考外部=>ありがと菜 (上部一馬さんのソマチッドの本を読んでの感想) 【サイト内の主な著書】 ・『日本上空をハーモニー宇宙艦隊が防衛していた!』, 2016年 ・『闇の政府をハーモニー宇宙艦隊が追い詰めた!』, 2016年 |
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●ヴァレリー・ウヴァロフ ( Valery Uvarov ) (?〜); ロシア国家安全保障アカデミー(NSAR)のUFO研究・古代科学・古代技術局の局長を努める。 超古代地球防衛装置作動説 を発表( 2003年 )し, ツングース(シベリア)大爆発 は, これが作動した結果であることを述べた。 【参考文献】 ・『古代核戦争の謎』, 2009年, 著者:南山宏 (ツングース大爆発の真相と地底文明) ヴァレリー・ウヴァロフは, 現代ロシアを代表する若手のUFOおよび奇現象研究家である。 ウヴァロフは, 研究・調査においても数々の業績を残しているが, 各国の研究者たちが, もっとも注目しているのは, 彼が 「信用できる情報源」 であるという点だ。 ウヴァロフは, サンクト・ペテルブルクにおいて 「UFO & 奇現象研究会」 を組織し, ロシア政界や軍部との豊富なコメクションを利用して, 多目的かつ多角的な研究・調査を行っている。 彼の研究・調査の成果は, すべて論文の形で発表されているが, その多くは翻訳され, 各国の研究者の間でも高く評価されている。 なかでも, UFOに関するロシア空軍高官のコメントと証言を集めたレポート, ヤクート地区古代文明に関するレポート, ウラル地区古代文明に関するレポート, 古代エジプトの神々のテクノロジーに関する研究論文などは, 非常に貴重な資料といえよう。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『世界奇現象ファイル』【世界の奇現象ハンター】, 著者:並木伸一郎, 1999年 参考外部=>YouTube(Valery Uvarov:'Bosnian Pyramids are the Oldest Structures on the Planet') |
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●ヴァネヴァー・ブッシュ ( Vannevar Bush ) (1890〜1974); memory アメリカの技術者, および科学分野における管理統括者。 アナログコンピュータの研究者でもある。原子爆弾計画の推進者として知られる。 ブッシュ博士は世界的に有名な科学者であり, 現在でも政府の安全保障の屋台骨となっている, 機密資料の細分化を考案した功労者だとされている。 また, 博士は マジェスティック12 のメンバーの一人だとも云われる。 【参考文献】 ・『教科書が教えてくれない日本大空襲の真実』,2015年 ・『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年 1922年, ヴァネヴァー・ブッシュは, ある会社を共同設立した。 その会社は, 最初に軍と, のちに原子力委員会と契約を交わす。 レイセオン - 神々からの光 - と名づけられたこの会社は, いつの時代においてもネヴァダ核実験場, ネリス試験訓練場, そして エリア51 で絶大な影響力を維持してきた。 現在は, 世界第5位の防衛関連請負い企業にして, 世界最大手の誘導ミサイル・メーカーに成長している。加えて, アメリカの早期警戒防衛システムのレーダー技術開発の先導的存在でもある。 【参考文献】(以下からそのまま抜粋) ・『エリア51』, 2012年 ⇒ ・Wikipedia(ヴァネヴァー・ブッシュ) ⇒・En.wikiquote(Vannevar Bush) 参考外部=>INTEC JAPAN/BLOG ( ブッシュ、ウィナー、ノイマンの関係(EJ第1666号)) |
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●ヴィクター・ゴダード卿 (Sir Robert Victor Goddard ) (1897〜1987); memory 空軍元帥サー・ロバート・ヴィクター・ゴダード, KCB, CBE, DLは, 第二次世界大戦中のイギリス空軍の上級司令官である。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Victor Goddard)」 英国空軍元帥でKCB(バス勲章の騎士司令官), CBE(大英帝国勲章の司令官), DL(副統監)の称号を持つヴィクター・ゴダード卿は, 閣僚の地位にあり, 英国空軍の1950〜55年のUFO研究での積極分子だった。 1969年5月3日に, 彼はロンドンのカクストン・ホールで公開講演を行ない, その中で, 次のように述べた。 「UFO操縦者のうちのあるものは, 地球以外の惑星の疑似物質的な住人だとするのが常識的なのかもしれませんが, 論理的には必ずしもそうでなければならないわけではありません。といいますのは, もしもUFOの実体が疑似物質的なもの(そしてその結果として, ふつうは目に見えないもの)だとすれば, UFOは太陽系内のどこかほかの物質的惑星の疑似物質的領域における産物よりも, 物質的なわが地球と同じ空間を占める, 目に見えない世界における産物だとするほうが, もっともらしいはずだからであります。・・・かりに, UFOの実体が疑似物質的なもので, 幽霊のように光を反射できるとします。またさらに(多くの観察者たちのいうとおり), それらがある場所から別の場所へ超スピードで位置を変えるときは, 見え続けるそれらのものは, そのような迅速な転移のためには非物質化せず, したがってそれらのかたまりは, 透明な(かなり拡散的な)性格のものにちがいないし, その実体はどちらかといえば, エーテル様のものだということになるのであります。・・・・・・この観測が正しいとしますと, 疑似物質説が立証されることになり, UFOの他の惑星の産物である可能性よりも, 地球の産物である可能性を強めることになるのであります。・・・【以下省略】」 大量の, よく実証されたオカルトや宗教の文献に詳しくない人には, 彼のことばは理解できないかもしれない。要するに, 彼は, UFO現象はほんとうはびっくりするほど壮大なぺてん, いつも人類を脅かし, 混乱させ, 誤らせることで満足している, 目に見えない存在によって行なわれるジョークなのだ, と言っているのである。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『UFO超地球人説』【第2章/ 答えなんかどうでもいい! 問題は何か?】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年 参考外部=>jikanryoko.com(ツキに恵まれた夜) 参考外部=>jikanryoko.com(未来への飛行) 参考外部=>Wikipedia(ザ・ナイト・マイ・ナンバー・ケイム・アップ) 参考外部=>wikijp.org(ビクターゴダード) 参考外部=>macht.blog.jp(■「UFO超地球人説」読書メモ01) 参考外部=>dailyrecord.co.uk(Fascinating story of time-travel in Scotland reveals pilot's eerie encounter on airfield) 参考外部=>livesof the firstworldwar. iwm.org.uk (We remember Robert Victor Goddard, K.) |
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●ヴィクトリア女王 ( Queen Victoria ) (1819〜1901); memory イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日), 初代インド皇帝(女帝)(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日)。 ハノーヴァー朝第3代国王ジョージ3世の孫。エドワード7世, ドイツ皇后ヴィクトリア, ヘッセン大公妃アリスの母。 2021年現在のイギリス女王であるエリザベス2世の高祖母にあたる。 世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ, その治世は 「ヴィクトリア朝」 と呼ばれる。 在位は63年7か月にも及び, 歴代イギリス国王の中ではエリザベス2世に次いで2番目の長さである。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(ヴィクトリア (イギリス女王))」 アルバート殿下が逝去したばかりの1861年, 霊媒の ロバート・ジェームズ・リーズ(Robert James Lees) にのり移ったアルバート殿下の霊が, ヴィクトリア女王あての手紙をつづった。しかも, その手紙には女王と殿下の間でしか使われていない, 秘密の名前でサインまでしていた。感動した女王は, 亡夫と話をするために, リーズを宮廷に迎えた。そして, いつまでも宮廷にいるように説いたのだったが, 殿下の霊は, リーズではなく, 別の 霊媒者 にしたいと望んだという。 そして, 代わりを務めることになったのが, スコットランドにある女王の領地バルモラルの下僕, ジョン・ブラウン(John Brown) だったのである。 ヴィクトリア女王と, 粗暴で身分の卑しい下僕との, 長期の -ある者に言わせれば親密な- 交友関係は, かくして1世紀以上にもわたって憶測と論議を生むことになったわけである。 ところで, 女王に対するブラウンの影響力は, 彼が霊媒者であったからである。無教養で遠慮知らずな性格の彼を受け入れたのは, 彼によって愛する亡き夫と話ができたからだ, と 心霊術者(スピリチュアリスト) は主張している。 【参考文献】(以下より抜粋) ・『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Queen Victoria) 参考外部=>kotobank.jp(ビクトリア(女王)) 参考外部=>niwaka.com(花飾りに純潔の愛を込めた英国女王ヴィクトリア「理想の夫婦」への軌跡) 参考外部=>gailcarriger.fandom.com(Victoria, Queen) 参考外部=>victoria.fandom.com(Queen Alexandrina Victoria) 参考外部=>britannica.com(Victoria) |
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●エイヴリル・ヘインズ ( Avril Danica Haines ) (1969〜); アメリカの弁護士。現在はバイデン政権の DNI(the Director of National Intelligence - 国家情報長官) を務める政府高官で, 最初の女性DNIである。 ヘインズは以前, オバマ政権で国家安全保障担当副補佐官およびCIA(中央情報局)の副長官を務めていた。 CIAに任命される前は, ホワイトハウス顧問室で国家安全保障問題担当大統領の副顧問を務めていた。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Avril Haines)」 アメリカ情報機関の大ボスとも言うべきDNIの地位は, 2004年12月に創設され, 現在のエイヴリル・ヘインズは7代目で, 最初の女性DNIである。 CIA長官には現役の軍人が任命されることもあるが, いままでDNIになった現役軍人はいないようだ(退役軍人なら複数いた)。 ヘインズはシカゴ大学で理論物理学, ジョージタウン大学で法律を学び, オバマ政権で安全保障担当副補佐官, CIA副長官を務める。 トランプ政権の時代にはコロンビア大学で雌伏していたが, バイデン政権でDNIに任命され, 2021年1月21日にDNIに就任する。 【参考文献】 ・『軍事研究(666号』【アメリカが発表した「未確認飛行物体」, 文:野木恵一】, 2021年 参考外部=>vdata.nikkei.com(よくわかるバイデン政権の顔ぶれ) 参考外部=>bloomberg.co.jp(バイデン氏、国家情報長官に初の女性起用へ−国土安保長官は中南米系) |
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●エイブラハム・リンカーン(アブラハム・リンカン) ( Abraham Lincoln ) (1809〜1865);memory エイブラハム・リンカーンは, アメリカ合衆国の政治家, 弁護士。 アブラハム, 姓はリンカンと表記されることもある。 弁護士, イリノイ州議員, 下院議員を経て, 1860年に第16代アメリカ合衆国大統領に就任した。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エイブラハム・リンカーン)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Abraham Lincoln) 参考外部=>Wikipedia(リンカーンの幽霊) 参考外部=>Wikipedia(リンカーン大統領暗殺事件) 参考外部=>american centerjapan. com(ゲティスバーグ演説 (1863年)) 参考外部=>american centerjapan. com(「奴隷解放宣言」(1863年)) 参考外部=>世界史の窓y-history.net(リンカン) 参考外部=>encyclopedia2. the freedictionary. com (Abraham Lincoln) 参考外部=>whitehouse.gov (Abraham Lincoln) 参考外部=>britannica.com (Abraham Lincoln) 参考外部=>history.com(Abraham Lincoln) 参考外部=>millercenter.org(Abraham Lincoln) |
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●エウサピア・パラディーノ ( Eusapia Palladino ) (1854〜1918);memory エウサピア・パラディーノは、イタリアの女性の 霊媒者。 彼女は, テーブルを浮揚させたり, 支配霊(Spirit guide) の ジョン・キング(John King) を通じて死者と交信したり, その他の超自然現象を生み出す能力を発揮した。 彼女は多くの人に, その心霊的能力を納得させたが, ハリー・フーディーニ(Harry Houdini) を含むマジシャンと懐疑論者は, 彼女の現象はどれも本物ではなく, 彼女は巧妙なトリックスターであると結論づけた。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Eusapia Palladino)」 チェーザレ・ロンブローソ(Cesare Lombroso) は著書 『死後 - 何が起こるか?』 の中で, 心霊能力というものが, まぎれもない事実である, と確信するに至った 降霊会 のことに触れ, こう記している。 「テーブルの一方の端に座っていた 霊媒 が, 突然, いすごと宙に浮いた。彼女はうめき, 悲鳴をあげながらも宙に浮いたままであった。 しかも, 彼女の手を握っていた両隣の出席者も, それにつられて動いたのである。」 このときの霊媒者は, エウサピア・パラディーノである。彼女はナポリで生まれで, 無学の少女だったが, およそ20年間にわたって, イギリス, アメリカ, あるいはヨーロッパ各国の主だった心霊研究者の対象にされた。彼女はときどき, ペテン行為をやって, それを見つけられはしたが, それでもさまざまな 心霊現象 を演じてみせたことは事実である。 オリバー・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge) も, 彼女の降霊会に出席した一人である。ほかには, パリ大学の医学部の生理学教授 シャルル・リシェ(Charles Robert Richet), トリノ大学の病理解剖学教授P・フォアなど, 他にも多くのイタリアの科学者が, この霊媒者をテストし, その結果を報告している。 パラディーノも, 降霊会ではカーテンで仕切った キャビネット という舞台装置を用いたが, そのとき彼女は, キャビネットの中に座るのではなく, 外に座るのが常であった。そして心霊現象は, キャビネットの内側で起きたのである。手だとか顔が, キュビネット内から現われるのだった。 【参考文献】(以下より引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 古今東西を通じて, エウサピア・パラディーノほど, 徹底的に研究された 霊媒 はいない。 パラディーノは, 何度かインチキを見破られたこともあったが, 彼女の 交霊会 に参加した結果, その霊能力は本物だと信じるようになった人は多い。 パラディーノの交霊会では, ありとあらゆる 心霊現象 を期待することができた。重い家具が, あたかも自分の意思を持つかのように激しく動き出すのは, ごく当たり前のことだった。 現実の世界に出現した霊の手が, 参加者の手を握ったり, つかんだり, さすったりしたこともあった。ホルンが吹き鳴らされたり, だしぬけに明かりがついたり, 消えたりもした。 パラディーノは, 何回かトリックを見破られたこともあったが, 厳しい条件のもとで心霊現象を起こすことができたといわれ, 他のどの霊媒よりも, 彼女の交霊会での 物質化現象 は本物だと, 心霊研究者たちに信じさせた。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『X-ZONE(No.17)』【驚異の霊媒パラディーノ】, 1997年 参考外部=>reigakugairon. wordpress. com(08-物理的心霊現象) 参考外部=>ja.astrolog yonline. net(ユーサピア・パラディーノとの交わり) 参考外部=>ameblo.jp(2月伊泉龍一先生スピリチュアリズム講座【女性ミディアム、エウサピア・パラディーノを巡る論争】) 参考外部=>mahlerfoundation. org (Eusapia Palladino (1854-1918)) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk (Eusapia Palladino) 参考外部=>museolombroso. unito.it (Photographs at liberty: Eusapia Palladino) 参考外部=>encyclopedia. com (Palladino, Eusapia (1854-1918)) |
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●エヴァ・カリエール ( Eva Carrière ) (1886〜1943);memory フランスで生まれた, エヴァ・カリエールは, エヴァ・C(Eva C. Born Marthe Béraud)としても知られ、20世紀初頭に活躍した霊姿化(materialization)のできる女性の 霊媒者。 彼女の 降霊会 でのパフォーマンスは, アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle) により調査された。彼は, これを本物であり, いかなるトリックもないものと信じていた。 しかし, 当時の有名なマジシャンであった ハリー・フーディーニ(Harry Houdini) は, 彼女の降霊会の1つを観察し, それらがいかさまであると主張した。 彼女の能力に興味を持ったもう一人の研究者は, アルベルト・フォン・シュレンク = ノッチング(Albert von Schrenck-Notzing) で, 彼は1909年から1913年の間に彼が考案した一連のテスト方法をエヴァ・Cに対して行なった。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Eva Carrière)」 エヴァ・Cの本名は, マルテ・ペラウト(Marthe Béraud)といい, エリー・ノエル(Elie Noël)将軍夫妻がアルジェリアにいたころに見いだされた。将軍夫妻の息子モーリス(Maurice)がコンゴで熱帯病で死ぬ前まで, その婚約者であったからである。 エヴァ・Cの能力は研究者に過酷な条件のもとでテストされたが, その結果には不審な点があったという。彼女による 霊姿化【霊の物質化】現象(Phenomena of Materialisation) で現われ出たものは, 明らかに平面的であり, 二次元の広がりしか持っていない。疑いを持っている人は, これはボール紙で作られたものだと言った。 数年後には, 彼女の霊能力はまったく消え失せてしまう。 【参考文献】(以下より抜粋引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>publicdomainreview. org (Photographs from a séance with Eva Carrière (1913)) 参考外部=>thevintagenews. com (Eva Carrière the lying spiritualist - ectoplasm was said to come from every orifice of her body) |
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●エッタ・リエット夫人 ( Mrs. Etta Wriedt ) (1859〜1942);memory リエッタ夫人は, ミシガン州デトロイト(Detroit)で生まれた スピリチュアル 界で著名な 霊媒者。 彼女の 交霊会 では, 霊が音や声を出すために使用すると主張した トランペット(trumpet) を使用した。 また, プロの霊媒者として, 交霊会の出席者から料金を取った。 彼女の スピリット・ガイド(支配霊) の1人は, 18世紀にスコットランドのグラスゴー(Glasgow, Scotland)で生まれたという 「ジョン・シャープ(John Sharp)」 だった。 彼女は英国を5回訪れ, ウィリアム・トーマス・ステッド(William Thomas Stead) との交霊会を開催した。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Etta Wriedt)」 彼女はアメリカのデトロイトの 直接談話 霊媒。キャビネット を使用しないで, また, 入神(トランス)状態に入らないで霊能現象(心霊現象)を生起した。 その現象を生起している間, 彼女は一般の会話に加わっているようなことすらあった。夫人自身は, 英語しか話せなかったが, 直接談話現象では, オランダ語, フランス語, スペイン語, ノルウェー語, アラビア語等, 多くの言語を話すことができた(異種言語発話現象)。 また, テレキネーシス, 物質化, アポーツ, 発光現象等の他に, 交霊室において, 地震のような震動現象なども生起することができた(1912年8月3日)。 【参考文献】 ・『スピリチュアル用語辞典』【リート夫人、エッタ】, 著者:春川栖仙, 2009年 エッタ・リエット夫人は, 昼間でもしばしば 降霊会 を開いたが, トランペット を宙に浮かせるのではなく, 出席者の耳に直接に当て, そうすることで霊の声を聞くというものだった。 またリエット夫人は, キャビネット の中に入ることなく, トランス状態に陥ることなく, 出席者と一緒に, 声で霊との交信をしたのである。 あるときなどは, トランペットを通さずに, 左右の耳に霊が話しかけてきた。 (★(左)エッタ・リエット夫人。彼女は英語しか話せなかったが, 霊声になると西ヨーロッパ語から東ヨーロッパ語, さらにはアラブ語まで話した。そのときの彼女は, 話した意味がまるでわからず, 内容には, あまり関心がなかったといわれる。(右)降霊会で使用されたトランペット。) 【参考文献】(以下より引用・上記画像も) ・『心霊の世界』【第6章/ 霊媒と機械】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>yamanami- zaidan.jp(近代スピリチュアリズム百年史) 参考外部=>encyclopedia. com (Wriedt, Etta (ca. 1859-1942)) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk(Etta Wriedt) 参考外部=>vitaumana. it(Etta Wriedt's mediumship and Admiral Moore's reports) 参考外部=>spiritualpath spiritualist church. org(ETTA WRIEDT, PHYSICAL MEDIUM) |
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●江藤巌(えとういわお) 【浜田一穂・野木恵一】 (1950〜); 作家。日本で唯一宇宙開発評論家を名乗っている。宇宙作家クラブ, と学会 会員。 本名浜田一穂名義で 「航空評論家」 としても活動。 野木恵一名義では 「軍事評論家」 として活動。 ネット上でのハンドルは「ROCKY(ロッキー)」。 デビューは青木日出雄が主宰していた 『航空ジャーナル』 誌。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(江藤巌)」 参考外部=>Wikipedia(青木日出雄) 参考外部=>blog.livedoor. jp;航空母艦。の散歩道(江藤巌) |
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●エドガー・ケイシー ( Edgar Cayce ) (1877〜1945);memory 眠れる予言者と言われた, 20世紀最大の霊覚者の一人である。 ケイシーの予言は, リーディングという催眠状態で行うもので, 第三者がする質問に口述で解答するもので, 病気の治療法などから未来の予言まで多岐にわたる。 情報は アカシック・レコード から引き出すものとされている。 リーディングの記録は14,000件にもおよび, 米国の ARE(Association for Research and Enlightenment) で利用可能な状態で保管されている。 日本では, NPO団体 「日本エドガー・ケイシーセンター」(http://edgarcayce.jp/) のサイトで見ることができる。 ケイシーが最初の透視リーディングを行ったのは, 1901年で, 24歳のときである。 【参考文献】 ・『超人ケイシーの秘密(上・下巻)』;1972年 ・『精神革命ガイドブック』;1983年 ・『エドガー・ケイシーの人類を救う治療法』;1993年 ・『世界の超人・怪人・奇人』;2015年 ・『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』 :2015年 ⇒ ・Wikipedia(エドガー・ケイシー) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edgar Cayce) 参考外部=>ECCJ (日本エドガー・ケイシーセンター) 参考外部=>ブログ (大摩邇-おおまに) |
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●エドガー・ミッチェル ( Edgar Dean Mitchell, D.Sc. ) (1930〜2016);memory アメリカ合衆国のパイロット, 工学者, 宇宙飛行士。 アポロ14号のアポロ月着陸船のパイロットとして, 9時間を月で過ごし, 月面を歩いた6番目の人間になった。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エドガー・ミッチェル)」 エドガー・ミッチェル博士は, マサチューセッツ工科大学で航空学の博士号も取得し, 1971年にアポロ14号の宇宙飛行士として人類6人目の月面歩行をした。 博士は, 2008年に英国のラジオ番組に出演した際, 「異星人はすでに地球を訪れている」 と発言した。米政府はその事実を60年も隠し続けているが, 情報は徐々に漏れつつあるという。そして, ミッチェル博士ら数人だけは, すでにこの事実について説明を受けていると明かした。 これを受けて, さすがにNASAもすぐに反応し, 「NASAはUFOを探していない。NASAはエイリアンに関する地球内外のいかなる隠蔽にも関与していない。ミッチェル博士は偉大な米国人だが, 我々とは見解を異にする」 とのコメントを発表した。 【参考文献】 ・『ヒトラーとUFO』【第2章 / UFOを追え】, 著者:篠田航一, 2018年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edgar Mitchell) 参考外部=>月探査情報ステーション (アポロ14号で月面に到達したエドガー・ミッチェル宇宙飛行士が亡くなる) 参考外部=>TOCANA (【衝撃】エイリアンの存在を公言した元NASA宇宙飛行士4人! 「宇宙人は遠い昔から地球を訪れている」「米政府は“彼ら”の存在を隠蔽している」) 参考外部=>In Deep (「宇宙での戦争にルールは存在しない」 :6番目に月面を歩いた人類とされる元アポロ宇宙飛行士がヒラリー・クリントン候補側近へ出した警告 - ウィキリークスが発表したその内容の全文) 参考外部=>RUTION (宇宙飛行士 エドガー・ミッチェルの証言 (DISCLOSURE PROJECT) 参考外部=>astronautix.com(Mitchell, Edgar Dean 'Ed') |
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●エドマンド・ガーニー ( Edmund Gurney ) (1847〜1888);memory エドマンド・ガーニーは, イギリスの心理学者, 著述家。初期 SPR(心霊研究協会) を支えた研究者のひとり。 古典, 音楽, 医学, 法律など様々な領域を学ぶ。 1883年からは心霊研究に没頭し, 特に催眠やテレパシーを研究。思考伝達は, ガーニーによって最初に報告された。 「彼は, あらゆる十分な技能をもって, 催眠の心理学的側面を研究した最初の英国人である」(フレデリック・マイヤース(Frederick Myers)) 鋭い知性とユーモアと暖かい人柄で友人が多く, ウィリアム・ジェームズ(William James), サミュエル・バトラー(Samuel Butler), ジョージ・エリオット(George Eliot)などと親交があった。 聖職者の家庭に生まれ, 少年時代に両親と死別, さらに姉妹の3人がボートの事故で死去。ガーニー自身も, 躁鬱病と顔面の慢性神経痛を抱えていた。 ヴィクトリア朝の楽観的な雰囲気の中, ガーニーの著述には醒めた悲観的なものが多く, 異彩を放っている。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エドマンド・ガーニー)」 エドマンド・ガーニーは, 著名な英国の心霊研究家で, SPR(心霊研究協会) の初代名誉幹事をつとめた。 古典学者, 音楽家であり, 医学研究者でもあった。はじめ思考(思念, 思想)伝達(テレパシー)や記憶の問題に関心をもち, 催眠現象についても種々の観点から研究をおこなった。 『生者の幻像(Phantasms of the Living)』(1886)は, フレデリック・マイヤーズ(Frederic W. H. Myers), フランク・ポドモア(Frank Podmore)との共著であるが, 彼が事実上の執筆者であった。その本の中に, 幻覚統計調査(幽霊調査)に関するものがあり, 5705名のケースを無造作に集め, 約700例が幽霊を見たものと確認している。 ガーニーの亡くなった後の1889年に, SPRの委員会が同様の調査をおこない, 17000例のうち, 1684例がそれと確認されている。 【参考文献】(以下より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【ガーニー、エドマンド】, 著:春川栖仙, 2009年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edmund Gurney) 参考外部=>En.Wikipedia(Samuel Butler (novelist)) 参考外部=>Wikipedia(ジョージ・エリオット) 参考外部=>nature.com(Phantasms of the Living) 参考外部=>Wikipedia(フランク・ポドモア) 参考外部=>ncbi.nlm. nih.gov (Professional Heresy:Edmund Gurney (1847-88) and the Study of Hallucinations and Hypnotism) 参考外部=>utilitarianism. com (Edmund Gurney ) 参考外部=>people. elmbridge hundred. org.uk (Edmund Gurney) |
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●エドワード・コンドン ( Edward Uhler Condon ) (1902〜1974); memory 1966年に, 米空軍 から依頼されたUFO調査委員会(コロラド大学UFO科学調査委員会【コンドン委員会】)の 委員長となった物理学者。 博士は, 第2次世界大戦の初期に, 米政府の依頼により原子爆弾の開発研究を始めた科学者グループの一人でもある。 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edward Condon) |
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●エドワード・スノーデン ( Edward Joseph Snowden ) (1983〜); NSA(米国家安全保障局) および CIA(米中央情報局) の元局員である。 NSAで請負仕事をしていたアメリカ合衆国のコンサルタント会社 「ブーズ・アレン・ハミルトン」 のシステム分析官として, アメリカ合衆国連邦政府による情報収集活動に関わった。 2013年6月に, 香港で複数の新聞社(ガーディアン, ワシントン・ポストおよびサウスチャイナ・モーニング・ポスト)の取材やインタビューを受け, これらのメディアを通じて, NSAによる国際的監視網を告発したことで知られる。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エドワード・スノーデン)」 今も次から次へと暴露話は世に現れる。近年はCIAやNSAの元職員だったエドワード・スノーデンが, 「1954年に当時の アイゼンハワー大統領 がエイリアンと会談した」 という 「機密事項」 を暴露したことが伝えられている。 【参考文献】 ・『ヒトラーとUFO』【第2章 / UFOを追え】, 著者:篠田航一, 2018年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edward Snowden) 参考外部=>TED (インターネットを取り戻すために) 参考外部=>YouTube (デジタル監視と人権〜 エドワード・スノーデン氏インタビュー) 参考外部=>YouTube (エドワード・スノーデンの暴露!!) 参考外部=>現代ビジネス (スノーデンの警告) 参考外部=>huffington post (スノーデンの警告) |
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●エドワード・ブルワー・リットン ( Edward George Earle Lytton Bulwer-Lytton, 1st Baron Lytton ) (1803〜1873);memory イギリスの小説家, 劇作家, 政治家。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エドワード・ブルワー=リットン)」 彼は, 1871年に 『来るべき民族』 という本を出版した。 この本は後に, ヒトラーの世界観に重大な影響を与え, ナチの超人思想と超科学, そして第三帝国の誕生をもたらすきっかけとなった。 エドワード・ジョージ・アール・ブルワー・リットンは, イギリスの富裕な貴族階級の家庭に, 1803年に生まれた。 彼は内気な少年で, 十代に入るまえからすでに, 神秘主義にひかれていた。 大学時代に催眠術に没頭し, 1825年には, ヨーロッパ諸国へオカルト研究の旅にでかけた。 母親の反対を押し切って結婚に走った彼は, リットン家からの財政援助を打ち切られてしまう。 このため, 食いぶちを稼ぐため, 歴史小説 『ポンペイ最後の日』 を描き始めた。しかし, 1836年に結婚生活は破局を迎えた。 彼がふたたび神秘主義の研究に戻れるようになったのは, 1838年, 母親が死亡して勘当を解かれ, 貴族の称号と遺産を継いでからのことである。 当時, あらゆる種類の魔術, 予言, 占いなどの研究にのめり込んでいた彼は, その頃イギリスの上流社会に広がっていたフリーメーソンの秘密結社, バラ十字会の会員になった。 この秘密結社は, ドイツ人の魔術師クリスチャン・ローゼンクロイツが, 17世紀 に再建したもので, その教義は 「地下にある秘密の図書館」 から得たものと言われていた。 バラ十字会のメンバー, ブルワー・リットンは, 占星術とテレキネシス(念動術)に長じていて, これを駆使して, 正確な予言, 遠くにある物体を念力で動かしたりして, 見守る大勢の人々を度々驚かせた。 しかし, 晩年に向かうにつれ, リットンはだんだん偏執的になった。 1873年に彼が死亡したとき, 厳格なビクトリア期時代の人々は, それこそ道楽半分にオカルトに手を出し, わけのわからない本などを書いた結末だと噂した。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『謎の地底王国アガルタ』1983年, 著者:アレック・マクレラン, 監訳:高橋良典 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edward Bulwer-Lytton) 参考外部⇒moviewalker.jp (エドワード・ブルワー・リットンの映画作品) |
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●エドワード・ルッペルト ( Edward J. Ruppelt ) (1923〜1960);memory 米空軍の公式UFO調査機関 「プロジェクト・ブルーブック」 の初代責任者(1951年〜1953年)。 ブルーブックは, ルッペルトが陣頭指揮を取って発足した。 ルッペルトは退役後, 1956年に個人の著作として 『未確認飛行物体に関する報告(THE REPORT ON UNIDENTIFIED FLYING OBJECTS)』 を公刊した。 細心の注意を払って書かれたこの本は, 客観的で資料的価値の高いドキュメントであるのみならず, UFO地球外文明仮説についての実証的な調査研究結果として, 多くの懐疑派を心変わりさせた。 現在でも, その説得力は, いささかも衰えていない。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(NO.60)』(知的エリートの栄光と挫折,文:渡辺威夫),1980年 ・『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年 ルッペルト大尉は退役後の著書, 『未確認飛行物体に関する報告』 の中で, 次のように述べている。 「UFOは, 合衆国防衛の生命線である地域周辺でより頻繁に目撃されている。すなわち, ロスアラモス(Los Alamos)とアルバカーキ(Albuquerque)地域, オークリッジ(Oak Ridge), そしてホワイトサンズ実験場(White Sands Missile Range)である」 これらの地域は, 直接・間接的にアメリカの核兵器プログラムに関与している。 ロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)は, 爆弾の理論的研究および設計を行う。アルバカーキ(Albuquerque)やサンディア国立研究所(Sandia National Laboratories)は, これらの兵器類の設計工作を行い, しばしばマンザノ基地(Manzano Base)近くの地下貯蔵施設に移送されている。 マンザノ(Manzano)の真西に位置する, カートランド空軍基地(Kirtland Air Force Base)では, 核兵器を戦略爆撃機や輸送機に搭載し, それをネバダや太平洋のマーシャル諸島の実験場へ移動させていた。それらは同様にアメリカ大陸やアラスカ全土の各軍事基地へも転送された。 テネシー州のオークリッジ国立研究所(Oak Ridge National Laboratory)では, 核兵器に使用するウラニウムとプルトニウムを製造していた(同研究所はヒロシマ原爆投下のためのウラニウムを準備し, マンハッタン計画 では不可欠の役割を演じた)。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『UFOと核兵器』【第1章/ロスアラモス施設周辺の”緑の火球”】2011年, 著者:ロバート・ヘイスティングス 彼は, 1951年にオハイオ州デイトン(Dayton)のライト・パターソン空軍基地(Wright-Patterson AFB)内の航空技術センター(ATIC)に配属された。そこで米空軍UFO調査機関 「プロジェクト・グラッジ」(後に 「ブルーブック」 と改名)の機関長を, 1953年に除隊するまで務めた。 彼は,1956年に出版した著書, 『The Rerport on Unidentified Flying Object(空飛ぶ円盤に関するレポート)』 の中で, 「UFO」 の名称を彼自身が考案したものだと記した。 それまで, 「フライング・ソーサー」 という俗語で呼ばれていた未知なる物体に対して, ルッペルト大尉は米空軍としての軍事用語 「Unidentified Flying Object(未確認飛行物体)」 の名を与えたのであった。彼の著書は, 米国における初期のUFO事件と, 空軍による調査の推移を知る上で欠かせない資料となっている。 元B-29の爆撃手であり, レーダー操作員であったルッペルトが, この新しい空中現象にどう立ち向かったかが, 明晰な筆致で記されている。 その中でも, 1951年8月, テキサス州ラボックにおいて発生した 「ラボック光体群」 の調査では, 学者を含む目撃報告書を読み, 彼自身も現地に赴いたのである。 【参考文献】(下記より抜粋) ・『日本UFO研究史』【第2部/ 海外のUFO研究史】2019年, 著者:天宮清 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edward J. Ruppelt) 参考外部=>UFOの科学的研究―学術研究出版センター(未確認飛行物体に関する報告) 参考外部=>ナチスの狂気(「ナチス製円盤」の謎) 参考外部=>YouTube (The Report on UFO 〔Audiobook part 1〕 by Edward J.Ruppelt) 参考外部=>YouTube (The Report on UFO 〔Audiobook part 2〕 by Edward J.Ruppelt) 参考外部=>NICAP (Contents) 参考外部=>UFOLOGY SOCIETY INTERNATIONAL (Ruppelt, Edward James (1922-1960)) 参考外部=>NOUFORS (Captain Edward J.Ruppelt) (★ルッペルトが著した 『THE REPORT ON UNIDENTIFIED FLYING OBJECTS』 ) ■サイト:「NICAP」から |
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●エドワード・L・ガードナー ( Edward Lewis Gardner ) (1869〜1969);memory 神智学協会 「ブラヴァッキー・ロッジ」 ロンドン支部の支部長で, 建設員派遣会社を共同経営していた。また, 超自然現象の講師として各地で講演を行っていた。 ガードナーは, 人生のちょうどなかばで, コティングリー妖精事件 に遭遇した。このことが, 彼のその後の成功のきっかけとなった。 神智学協会においても頭角を現し, イギリス国内はもとより, 1927年のアメリカにおける講演でも, 評判を高めた。 ガードナーは, 75歳になって初めて, コティングリーの妖精事件に関する本を, 単独で出版した( 『本物の妖精 - コティングリー妖精写真とその成行き』 )。 【参考文献】 ・『コティングリー妖精事件』, 1999年, 著者:ジョー・クーパー, 訳者:井村君江 参考外部=>theosophy. wiki(Edward L. Gardner) 参考外部=>theosophy. world(Gardner, Edward Lewis) 参考外部=>theosophy forward.com (Gardner, Edward Lewis (1896-1969).) 参考外部=>cwlead beater. wordpress.com(E.L. Gardner on Leadbeater) 参考外部=>YouTube(Edward Lewis Gardner Historical Photographic Collection) 参考外部=>ギャラリー (コティングリー妖精写真と神智学者ガードナー) 参考外部=>twitter.com(人・文化・自然が奏でるハーモニー) |
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●エドワード・W・モーンダー ( Edward Walter Maunder ) (1851〜1928);memory 英国の天文学者。元・英国天文協会会長。 グリニジ天文台の試験を受け, 1873年写真・分光担当の助手となる。以来W.H.M.クリスティーのもとで, 太陽・黒点の写真観測を40年間にわたって定期的に行った。 黒点の緯度と出現周期との関係, 地磁気との関係, 太陽の自転軸などに関する業績がある。 1875年王立天文学会会員となるが, その後アマチュアを含めた英国天文協会を, 兄弟のトーマスと創立し, 同協会会長就任した。また, 編集長も務めた。 【参考サイト】 ・「コトバンク(E.W. モーンダー)」 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Edward Walter Maunder) モーンダーは, 1882年11月17日に, グリニッジにある王室天文台から魚雷型UFOを目撃した。 ■事件詳細(サイト内) =>UFO事件集(エドワード・モーンダーUFO目撃事件) 参考外部=>astro.umontreal.ca(Edward Walter Maunder (1851-1928)) 参考外部=>Scihi.Blog (Edward Walter Maunder and the Sunspots) 参考外部=>コトバンク (マウンダー極小期) 参考外部=>天文学辞典 (シュペーラーの法則) 参考外部=>京都大学学術情報リポジトリ紅 (大英天文協會に招かれて) |
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●エナ・トウィッグ ( Ena Twigg ) (1914〜1984);memory エナ・トウィッグは, イギリスの超能力 霊媒者。 ケントのギリンガム(Gillingham in Kent)で生まれたエナは, 幼い頃から超能力があることを主張していた。 彼女はイギリス海軍の兵士ハリー・トウィッグ(Harry Twigg)と結婚し, その後, スピリチュアリスト協会(Spiritualist Church)の聖職者(minister)になる。 (※)他の聖職者のように結婚式や葬式も行なった。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia(Ena Twigg)」 参考外部=>En.Wikipedia(Spiritualist church) イギリスの女性作家ロザモンド・レーマン(Rosamond Nina Lehmann(1901-1990))は, 最愛の娘のサラ(Sarah)が亡くなった(1958年)後に, 公の立場から身をひき, スピリチュアリスト に転向した。 彼女が1967年に刊行した小説、『夜の白鳥(The Swan in the Evening)』 は、彼女の 「遺言」 と表現した自伝である。その小説の中に, 娘の魂が死後も生き続けていることがわかるものならと, 彼女が友人と降霊実験会に参加したことが書いてある。 降霊実験会は, ロンドンの心霊学界が主催したものであったが, 彼女の両親が スピリチュアリズム に強い反感を持っていたので, 彼女は会に参加することに罪の意識さえ抱いていたという。 降霊会 に対する二人の期待は, 初めて出席するときに, だれもが抱く気持ちと変わらなかった。それでも会の間じゅうは, 常軌をいっするほどのことはなく, 二人を安心させた。しかもレーマンは, 幸運にもメッセージを受ける数少ない一人となることができたのだった。それについて, 彼女は次のように書いている。 「進行係の人が, たいそう繊細な声でエナー・トウィッグ夫人の名前を呼ぶのを私は聞いた。彼女は, 魅惑的な容姿の女性で, 私はその美しさに驚きながらも頼もしく感じながらながめていた。・・・一言で言えば, 私の心は, なごみ始めていた。だが, 次に起こった出来事には, 腰を抜かすほど驚かされてしまった。一度も会ったこともないトウィッグ夫人が, なんと私を指名して, 実験を始めたからである。 彼女は, まず娘サリー(サラ)の様子から話し始めた。あたかも, その場にサリーがいて, 私の後ろに立ってでもいるかのように。・・・」 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『心霊の世界』【第7章/ 現代における心霊術】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 参考外部=>En.Wikipedia(Rosamond Lehmann) (★ロザモンド・レーマン(Rosamond Lehmann)) ■サイト:「theparisreview.org(Rosamond Lehmann, The Art of Fiction No. 88)」から 参考外部=>geocities.co.jp(第9章 エナ・トゥイッグ) 参考外部=>cosmicfox7.seesaa.net(イギリス心霊治療家列伝【目次】) 参考外部=>snu.org.uk(Ena Twigg - Medium) 参考外部=>encyclopedia.com(Twigg, Ena (1914-Ca. 1984)) 参考外部=>prints-online.com(Photographic Print of Ena Twigg, Medium. Ena Twigg spirit medium) 参考外部=>archive.org(Ena Twigg: medium) |
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●エマニュエル・スウェデンボルグ ( Emanuel Swedenborg ) (1688〜1772);memory 生きながら霊界を見て来たと言う, 霊的体験に基づく大量の著述で知られる。その多くは, ロンドンの大英博物館などに, 今でも大切に保存されている。 彼の霊界著述の比類のない特色は, 「全て自身で霊界に入って見聞し, あるいは霊たちと交わって知ってきた知識をもとにしている」 と公言していることである。 また, 彼は物理, 天文, 生理, 経済, 哲学などの学問分野で, 18世紀最大の学者でもある。 【参考文献】 ・『私は霊界を見て来た』 心霊術の先駆者。青年期から霊力の素地があったが, 霊界についてのより深い知識の蓄積は, 中年のときからに始まる。そして霊界をさまようようになった。 彼は1688年に生れており, 哲学者であり, 科学者であった。このスウェーデン人は博識多才で冶金(やきん)術の権威であり, さらには天文学者, 動物学者, 解剖学者, 物理学者, 財政学者, 加えて聖書学にも造詣(ぞうけい)の深かった人である。そして, ついには 心霊術 にも中年になってから興味を持ち始め, 霊力の中の幻視を研究するようになったのである。 スウェーデンボルイは, 1744年から霊の世界について執筆(しっぴつ)を始めた。眠っているときは夢の中で, さめているときは幻視の中で, 彼は来世をさまよったという。そこで彼は王侯や法王, 聖者, さらには聖書に登場するさまざまな人物から, 教えを受けたと述べている。 彼の書は, 死後についての問題提起で大きな関心を呼び, 来世の世界について, 新しい概念を生み出すことになった。キリスト教によって確立されていたそれまでの信仰では, 人間が死んだ場合, その霊魂は天国か地獄のいずれかに行きつく - カトリックの場合は浄罪(じょうざい)界に行く - と信じられていた。ところがスウェーデンボルイが描いた世界は, 対照的に現在と非常によく似ているのである。しかも彼の話を信じている者にとっては, 二つの異なった世界で, 交流が可能であることを示唆していたのだった。 【参考文献】(下記よりそのまま抜粋) ・『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(エマヌエル・スヴェーデンボリ) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Emanuel Swedenborg) 参考外部=>note.com(スゥエーデンボルグが記した『霊界日記』) 参考外部=>nawa-fumihito.com(エマニュエル・スウェデンボルグの霊界 - U) 参考外部=>bookclubkai.jp(エマニュエル・スウェデンボルグ) 参考外部=>britannica.com(Emanuel Swedenborg) 【サイト内の主な著書】 ・『私は霊界を見て来た』, 1975年, 原著:スウェデンボルグ, 抄訳・編:今村光一 |
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●エマ・ハーディング・ブリテン ( Emma Hardinge Britten ) (1823〜1899);memory イギリスの 霊媒 兼作家, 編集者, 音楽家。 精力的な講演活動や出版で スピリチュアリズム の普及に大きく貢献した。 また, 幼い頃から音楽の才能があり, 劇場にも出演し, 11歳で人に教えるほどだった。 宗教的にはオルベウス教の結社などに親しんで育ち, スピリチュアリスト として活動するようになってからも古代のシンボルや秘儀に関する発言がみられる。 また, 子供の頃に夢遊病でメスメリズム(催眠)による 「磁気治療」 を受けたことがあり, これは後のスピリチュアリズム信奉の基礎になったという。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(エマ・ハーディング・ブリテン)」 やがて, イギリス人の霊媒による心霊術(スピリチュアリズム)も行なわれるようになった。その先駆者となったのが, 優れた音楽家でもあったエマ・ハーディング・ブリテンある。 彼女は1850年代に霊覚し, 霊媒となったが, きっかけとなったのは, 次のような心霊的事件があったためである。 エマは, 1855年に, 音楽関係の仕事のためにニューヨークに引っ越した。母親といっしょに蒸気船パシフィック号でアメリカに渡ったのだが, そのとき二人は, 船員の何人かと親しくなった。 1856年2月に, パシフィック号はまたニューヨークに入港することになっていた。エマは, 彼女宛ての小包を, ある船員が持ってきてくれることになっていたため, 港に出かけたのだが, 定刻になっても船は入ってこなかった。 その夜, エマは突然, 冷気を感じ, 霊魂がそばにいることに気づいたという。 心霊術に興味を持っていた母親は, 娘に霊と交信してみるようにすすめた。 テーブルの上にアルファベットを書き並べた紙を広げて, 手をのせると, まるで目に見えない力で操られているかのように, 指先が言葉をつづり出した。 それは沈没したパシフィック号の死亡した乗組員のフィリップ・スミスからのものであった。悲しい知らせは, 現実のものとなった。パシフィック号と乗員の消息は, その後, ようとして知ることはできなかった。 やがてエマ・ハーディング・ブリテンは, 霊媒者として, アメリカ全土, さらにはカナダ, オーストラリア, ニュージーランド, 及びイギリスを多年にわたって回り, 心霊術をやってみせた。彼女は話術にも優れた, 疲れを知らぬ心霊術界のオルガナイザーであった。 彼女は, 現在でも残っている心霊術に関する 『二つの世界』 を創刊し, 5年にわたって編集にもたずさわったほどである。 【参考文献】 ・『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Emma Hardinge Britten) 参考外部=>日本スピリチュアリズム協会(スピリチュアリズムについて) 参考外部=>kotoba.ne.jp(エマ・ハーディング・ブリテン) 参考外部=>geriwalton.com (Emma Hardinge Britten: Spiritualist Medium of the 1800s) 参考外部=>snu.org.uk(Emma Hardinge Britten & the Seven Principles) 参考外部=>encyclopedia. com(Britten, Emma Hardinge (1823-1899)) |
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●エメ・ミシェル ( Aimé Michel ) (1919〜1992);memory フランスを代表する, 民間UFO研究家の1人。 世界的に有名なUFO研究家であるだけでなく, 科学技術者であり, 科学ライターであり, フランスきっての超常現象研究家としても知られている。 1954年に発表した, 『空飛ぶ円盤の真相』(邦訳題:「空飛ぶ円盤は実在する」) は, 1956年に英訳が刊行され, たちまち, 彼の名を全世界に知らしめることとなった。 また, 1958年に発表し, 英訳も同年に刊行され, 日本でも翻訳刊行の運びとなった, 『UFOとその行動』 によって主張された 「直線則(オーソテニー)」 は, それを決定的なものとした。 1958年以来, 彼は現地調査研究者としても活躍をはじめ, また彼が顧問に名を連ねていたイギリスの名門研究誌 『フライング・ソーサー・レビュー』 などにも, 多くの記事を発表するようになった。なかでも スカンジナビア半島のゴースト・ロケット の研究は, よく知られている。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.71)』【エメ・ミシェルのこと, 文:志水一夫】, 1981年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Aimé Michel) 参考外部=>EuroUFO (100 Years Ago: Aimé Michel Was Born) 参考外部=>aime-michel.fr (Global Orthoteny - Aimé Michel's latest discovery) 参考外部=>Open Minds (Interview with UFO researcher and author Jacques Vallee) |
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●エリザベス・クラーラー ( Elizabeth Klarer ) (1910〜1994);memory 英ケンブリッジにて気象学者として訓練を積み, のちにトリニティー・カレッジで音楽を学ぶ。 南アフリカ空軍UFO課でUFOを観察する訓練を受け, 第二次世界大戦中は, ドイツ軍の暗号文解読に従事した。 1983年, 英国上院で演説を行い, その内容は国連で読み上げられた。 1985年, テレビ出演のためにスイスを訪問した。 1986年, VIP待遇でアメリカの NASA を訪問し, トップ科学者らと面会した。 自叙伝である 『光速の壁を超えて』 は, 約4.3光年離れたプロキシマ・ケンタウリの惑星メトンからやって来た, 天体物理学者エイコンとの交流を描いたものである。 【参考文献】 ・『光速の壁を超えて』, 2016年 ⇒ ・Wikipedia(エリザベス・クラーラー) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Elizabeth Klarer) 参考外部⇒ みお&ゆきのツキアップ日記 (★エリザベス・クラーラー 『光速の壁を超えて』 今、地球人に最も伝えたい〔銀河の重大な事実〕★) 参考外部=>YouTube (Beyond the Light Barrier | Elizabeth Klarer (Documentary)) 参考外部=>YouTube (Uzayli Varlik ile Yasanan Ask ; Elizabeth Klarer Olayi) 参考外部=>unbelievable. fandom.com(Elizabeth Klarer) 参考外部=>lastpod castonthe left.com (EPISODE 477 - ELIZABETH KLARER) 【サイト内の主な著書】 ・『光速の壁を超えて』, 著者:エリザベス・クラーラー, 訳:ケイ・ミズモリ |
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●エリザベス・ホープ【デスペランス夫人】 ( Elizabeth Hope ; Madame d'Esperance ) (1855〜1919);memory イギリス出身の非プロ 霊媒者。 彼女は, 霊視(透視), 物質化, 病気診断, 治療, 発光, アポーツ現象 など, あらゆる 心霊現象 を生起したといえるほどの有能な霊媒者であった。 子どもの頃から透視能力に優れ, よく家で幽霊を見たという。厳封した手紙を透視して読んだり, 七重に封をした紙片に, 彼女の知らない言語で書かれている文字も, 正確に綴ることができた。 しかし, 19歳になるまでは, スピリチュアリズム について何の知識もなかった。詐術であるかどうかを判定するために, 数多くの実験が彼女を対象にして行なわれた。それによって彼女自身の健康をそこねるほどであったが, 結果はいずれも詐術を否定するものであった。 通常の彼女は, 立会人が自分の姿と物質化した像とを同時に観察できるように, キャビネット の外側に自分の席をとった。この 物質化現象 に際しては, アラブ人少女のヨランダ(Yolanda)が スピリット・ガイド(支配霊) として完全な霊姿で出現した。 【参考文献】 ・『スピリチュアル用語辞典』【デスペランス夫人,エリザベート】, 著:春川栖仙,, 2009年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Mme. d'Esperance) 参考外部=>半聖半俗raifuku.jugem.jp(近代スピリチュアリズム百年史1(星)) 参考外部=>encyclopedia. com(D'Esperance, Elizabeth (1855-1919)) 参考外部=>encyclopedia2. thefreedictionary.com(d'Esperance, Madame) 参考外部=>psychictruth. info(Medium Elizabeth d Esperance:Medium Elizabeth Hope) 参考外部=>thevintagenews. com(Madame d’Esperance: one of the most popular spiritualist frauds in 19th century) 参考外部=>autores espiritas classicos.com(Elisabeth D'Esperérance) |
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●エリザベス・J・コンプトン【コンプトン夫人】 ( Elizabeth J. Compton ) (1830〜?);memory エリザベス・コンプトンはアメリカのニューヨークに住んでいて, 洗濯婦として働いていた。マーカー氏(Mr. Marker)と結婚し、9人の子供をもうけた。 彼女は1875年, 45歳のとき, 突然強力な 霊媒者 であることがわかった。 彼女は, その霊能力を, ヘレナ・ブラバァッキー(Helena Petrovna Blavatsky)夫人 とともに 神智学協会 を設立した ヘンリー・スティール・オルコット(Henry Steel Olcott)大佐 により調査研究された。 エリザベスはピアスをしていたので, オルコットはそれをその調査に利用した。彼女を キャビネット 内に座らせ, イヤリングを外し, 耳たぶの穴に糸を通した。その糸を彼女が座っていた椅子の背もたれに結び込み, 彼の印を押した封蝋(蝋で作ったシール)で椅子に固定した。彼はまた, 糸とワックスで椅子を床に固定した。交霊中に霊媒(エリザベスのこと)の体が椅子から離れないことを確認しようとしたのだ。もし, 不用意に動くと糸が切れてしまうはずだ。 調査のための交霊会が始まると, 彼女の 支配霊(スピリットガイド) であるケイティ・ブリンク(Katie Brink)の霊が 物質化 されてキャビネットの外に姿を現わした。ブリンクの霊に, キャビネット横に置いた計量台の上に乗ってもらうと, その体重は77ポンド(約35kg)だった。(コンプトンの実際の体重は121ポンド(約54kg)ある) エリザベスはオルコットに椅子に触れないことを約束させ, キャビネット内に入る許可を与えた。オルコットが中に入ると, 椅子が空であることに驚いた。オルコットがキャビネットを出ると, 今度はネィティブ・アメリカンの霊が物質化されて姿を現わした。オルコットは, 今度は小さなランタンを持って, キャビネットに入った。彼の著書 『異世界から来た人々(People From the Other World)』 の中で, 彼は次のように書いている。 「彼女は壁に頭をもたれかけ, そこに座っていた。大理石のように青白い顔で, 彼女の眼球はまぶたの下を向いており, 額は湿気で覆われ, 肺からは息がなく, 手首の脈拍もありませんでした。 交霊会前に仕掛けた糸や封印は, すべてそのままであることを参加した全員が確認した後, 私はハサミで糸を切り, 硬直している彼女を椅子ごと屋外に運び出しました。彼女の呼吸と脈拍, そして皮膚や体温が正常に戻るまで, 18分間を要した。その間, 彼女は死んだように横たわっていた。」 * ジョン・B・ニューブロー(John Ballou Newbrough)博士 もコンプトンの霊現象を調査研究をした一人であるが, 同様の経験をした。 彼は靴屋のワックスを使って彼女を椅子に固定し, ドレスを床に釘で打ち付けたが, それでも彼女は交霊中に姿を消し, 霊が去ったときに再び姿を現わした。 【参考サイト】 ・「Compton, Elizabeth J. | Article about Compton, Elizabeth J. by The Free Dictionary」 ・「Compton, Elizabeth J. (1829- ?) | Encyclopedia.com」 参考外部=>survivalafterdeath.blogspot.com(Elizabeth J. Compton) |
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●エルシーとフランシス ★エルシー・ライト (1901〜1988);memory (12歳のころのエルシー) ★フランシス・グリフィス (1907〜1986);memory (9歳のころのフランシス) エルシーとフランシスは, 「コティングリー妖精事件」 において, 妖精の写真を撮ったことで有名。 フランシス・グリフィスは, 1917年4月, 9歳のときに, 母親のアニーと共にケープタウンからコテングリーにやってきた。(父親は砲術の専門家としてヨーロッパの戦場にいた) 近くに住んでいたエルシー・ライトは15歳で, フランシスの従姉(エルシーの母親ポニー・ライトとフランシスの母親アニー・グリフィスは姉妹)で, 二人ともひじょうに感受性の強い芸術家肌の子であった。 メイン通り31番地の細長い庭の端を流れる小川を初めて見たときから, フランシスはこの小川にすっかり魅了されてしまったらしい。 この小川は, 斜面が15メートルも下っており, 妙に包囲された格好になって, 1マイルほど離れたエアリー川に静かに流れ込んでいた。 フランシスがコティングリーにやってきた最初の年は, エルシーといっしょに何時間ものあいだ, この小川で過ごしたのだった。そこは, 二人の少女にとって, とても魅力ある秘密の遊び場だった。 1917年の夏の初めのころ, フランシスはこの小川に行くことに夢中になっていた。ときおりつるつるした飛び石の上で足をすべらせ, 服や靴を濡らしてしまい, 母親にたたかれたりしたが, こりずに小川に行っては濡れて帰ってきた。 ある時, 母親たちがなぜ小川に行くのか, フランシスにしつこく問いただした。大人たちに追いつめられたフランシスは, 泣きながら言ってしまった。 「妖精を見に行くのよ! そうよ, 妖精を見るために行くのよ! 」と・・・ エルシーも, 従妹の味方に加わって, 自分も妖精を見たことがあると加勢した。だが, 母親たちはまったくとりあわなかった。 ふさぎこんでいるフランシスの気持ちを軽くしようと, エルシーは, 「私たちの見た妖精を・・・写真に撮ってみない?」 と言ってみた。フランシスは, その言葉を心に留めた。明るい顔になって, こう言った。 「そうだわ, やってみましょうよ。写真に撮ってみましょうよ」 【参考文献】(下記本より抜粋) ・『コティングリー妖精事件』1999年, 著:ジョー・クーパー, 訳:井村君江 【続き】 ■事件詳細(サイト内) =>怪奇事件集(コティングリーの妖精) 参考外部=>Wikipedia(コティングリー妖精事件) 参考外部=>なんでも保管庫2(コティングリー妖精写真の謎を追う!) 参考外部=>enigma- calender.blogspot.com (最後の一枚は本物だったのか?) |
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●エルシー・マッケイ ( Elsie Mackay ) (1893〜1928);memory 英国の女優, インテリアデコレーター, 女性飛行士の先駆者。 単一エンジンの飛行機スティンソン・デトロイター(The Stinson Detroiter)で, ウォルター・G・レイモンド・ヒンクリフ と大西洋横断飛行に挑んで, 行方不明となった。 女優としての名前は, ボビー・ウィンダム。 【参考サイト】 ・「En.Wikipedia (Elsie Mackay)」 二人(ウォルター・ヒンクリフとゴードン・シンクレア)にはさまれた, 目もさめるような華やかな美女は, 海運界の大立者ロード・ジェイムズ・L・マッケイ氏の令嬢であり, 女相続人であるエルシー・マッケイ女史, というより舞台に映画に, 人気最高のスター, 乗馬, モーターボート, 飛行機と何でも乗りこなすスーパーレディ, そして社交界のベストドレッサーとしても自他共にゆるすミス・エルシー・マッケイ。 今年(1928年), 34歳だが, まだその色香は衰えを見せない。 【参考文献】(下記より抜粋引用) ・『ミステリー・ゾーンへの飛行』【第2部/ 霊界への飛行(ジョン・G・フラーの 「死を拒否した空の男」 を横森氏が再構成), 文:横森周信】, 1982年 参考外部=>dangerous women project.org(Elsie Mackay) 参考外部=>YouTube (Elsie Mackay by Cranwell Aviation Heritage Museum) 参考外部=>granthammatters. co.uk(Elsie Mackay 1893-1928) 参考外部=>granthammatters. co.uk(Raymond Hinchliffe 1894-1928) |
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●エレーヌ・スミス ( Hélène Smith ) (1861〜1929);memory エレーヌ・スミス(本名:キャサリン-エリー・ゼミュラー(Catherine-Elise Müller))は, 19世紀末のジュネーブで名を馳せた女性 霊媒者。 スミスが著書の中で描いた火星人と火星の光景は, 後にアウトサイダー・アートとして評価を受けた。 ハンガリー商人の娘として生まれたスミスは, 商館で従業員として働いていた際に, スピリチュアリズム に出会い, スピリチュアリスト の開発サークルに参加し, 1892年頃から 霊媒 の能力に目覚めた。このとき, ヴィクトル・ユーゴーやカリオストロと交信したと主張した。 【参考サイト・文献】 ・「En.Wikipedia(Hélène Smith)」 ・『実話ナックルズ GOLDミステリー(Vol.6)』【火星の住人に取り憑かれた女性霊媒師エレーヌ・スミス】 参考外部=>Wikipedia(アウトサイダー・アート) スイス・ジュネーブの霊媒で, テーブル傾斜, テレキネーシス, アポーツ, 遺失物の発見, 予言, 霊視, 霊聴等の能力を具えていた。 火星の生物とその環境について, 完全な言語(火星語)とともに情報を受けたと主張したため, テオドール・フルルノワ(Theodore Flournoy)教授 は, 厳密に彼女を調査することになった。 彼は, この霊媒を精神分析の手法によって, 「超常的現象」 という主張の反証を示し, さらに, 歴史的に有名な人物が地上に帰還したという証言についても反駁(はんばく)した。しかし, 当時の彼女に顕著に現われた テレキネーシス については, 否定のための説明がつかなかったという。 のちに, 彼女は主として宗教画の 自動絵画現象 に才能を発揮したが, スイスの歴史家・考古学者であった デオンナ(Waldemar Deonna)教授は, それが非常に優れた作品であるとは認めたが, 超常的能力によるものであるとは考えなかった。 【参考文献】(下記より引用) ・『スピリチュアル用語辞典』【スミート嬢、エレーヌ】, 著:春川栖仙, 2009年 参考外部=>Fr.Wikipedia(Waldemar Deonna) 参考外部=>ameblo.jp(霊媒師エレーヌ・スミス #1) 参考外部=>ameblo.jp(霊媒師エレーヌ・スミス #2) 参考外部=>takayuki nishihara.cocolog- nifty.com(東郷雄二(2005).「夜の女王エレーヌ・スミスの火星語」を読む(『すばる』)) 参考外部=>isidora.sakura.ne.jp(『不思議な物語』番外編) 参考外部=>digitalword. seesaa.net(フルールノアとエレーヌ・スミスのヒステリー研究1) 参考外部=>digitalword. seesaa.net(フルールノアとエレーヌ・スミスのヒステリー研究2) 参考外部=>note.com(エレーヌ・スミスの火星の風景と火星人の言語(アウトサイダーアート)) 参考外部=>psi- encyclopedia. spr.ac.uk(Hélène Smith) 参考外部=>encyclopedia. com (Smith, Hélène (1861-1929)) 参考外部=>alchetron. com (Hélène Smith) 参考外部=>cabinet magazine. org (SPEAKING MARTIAN) 参考外部=>manifesta13. org (Hélène Smith) 参考外部=>burialsand beyond. com (Hélène Smith :The Medium Who Spoke to Martians) 参考外部=>artlark.org (Psychic Hélène Smith and Surrealist Automatism) |
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●エンリケ・バリオス ( Enrique Barrios ) (1945〜); チリ生まれの作家。若い頃より道を求め, 世界中を渡り歩く。 39歳のとき, 自らの使命をさとり, 著述の道に入る。 『アミ小さな宇宙人』 は, 作者の友人の名もない小さな印刷所から, 1986年に出版され, チリでたちまちベストセラーの座をしめるに至る。 その後, 11ヵ国語に翻訳され, 世界中で静かなアミブームを巻き起こしている。 【参考文献】 ・『アミ 小さな宇宙人』,2005年 ⇒ ・Wikipedia(エンリケ・バリオス) 参考外部=> 地球の名言 (エンリケ・バリオスの名言) 参考外部=> アミプロジェクト (作家エンリケ・バリオスさんのご紹介) 【サイト内の主な著書】 ・『アミ 小さな宇宙人』, 著者:エンリケ・バリオス, 訳:石原彰二 |
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●エーリッヒ・フォン・デニケン ( Erich Anton Paul von Daiken ) (1935〜); スイス生まれ。古代宇宙飛行士説 を唱え, 彼の著書は, 1970年代に世界的ベストセラーとなり, 一大 "宇宙考古学ブーム" を引き起こした。 話題を呼んだ, 『未来の記憶』 は, 1968年に出版された。 ⇒ ・Wikipedia(エーリッヒ・フォン・デニケン) ⇒ ・Wikipedia(英語版;Erich von Daniken) 参考外部⇒ Wikipedia (古代宇宙飛行士説) 【サイト内の主な著書】 ・『太古の宇宙人』, 1976年, 著者:デニケン, 訳者:松谷健二 |
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●おおえまさのり(おおえまさのり) (1942〜); 作家, 翻訳者, 映像作家。 徳島県鳴門市に, 人形製作者大江巳之助の長男として生まれる。 京都学芸大学(現・京都教育大学)特修美術学科卒業。 1965年より1969年まで, ニューヨークで映画を制作する。 1971年, インドを旅しチベット仏教を知り, 「チベットの死者の書」 を翻訳し出版する。 以後, 精神世界やニューエイジに関わる様々な企画・出版・学塾に従事する。 【参考サイト・文献】 ・「Wikipedia(おおえまさのり)」 ・『ミラレパ』, 1980年, 訳・編:おおえまさのり 参考外部=> You Tube (マハムドラーの詩おおえまさのり朗読) 参考外部=>有機村入荷速報!! (おおえまさのり『未来への舟』) 【サイト内の主な著書】(いずれも訳編) ・『チベットの死者の書』, 1974年 ・『ミラレパ-チベットの偉大なヨギ-』, 1980年 |
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●太田東孝(おおたはるたか) (1963〜); 雑誌編集者を経て, フリージャーナリストとなる。 時事問題としてUFOを取り扱う。 【参考文献】 ・『日本政府はUFOを知っていた』, 1992年, 著者:太田東孝 【サイト内の主な著書】 ・『日本政府はUFOを知っていた』, 1992年 |
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●太田龍(おおたりゅう) 【太田竜】 (1930〜2009);memory 革命思想家。 樺太豊原町に生まれる。敗戦直後から日本共産党の活動に参加するが, 1952年4月よりスターリニスト官僚打倒の戦いをはじめ, 1967年, マルクス主義と訣別し, ヨーロッパ文明総体への批判を深める。 【参考文献】 ・『ユダヤ=バチカンの世界支配戦略』, 1993年, 著者:太田龍 ⇒ ・Wikipedia(太田竜) 参考外部⇒週間日本新聞 【サイト内の主な著書】 ・『ユダヤ=バチカンの世界支配戦略』, 1993年 ・『地球の支配者は爬虫類人的異星人である』, 2007年 |
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●大槻義彦(おおつきよしひこ) (1936〜); 日本の物理学者(放射線物性, 核物性, 大気電気学)。 火の玉 の物理学的研究の第一人者。 1990年に, 電磁波で火の玉を作ることに世界で初めて成功した。 ⇒ ・Wikipedia(大槻義彦) 参考外部⇒at home こだわりアカデミー (火の玉・UFO・ミステリーサークル) 【サイト内の主な著書】 ・『「火の玉(ひとだま)」の謎』, 1986年 |
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●大羽弘道(おおばひろみち) (1916〜1975);memory 聖書古代史学に深く造詣した。 非凡かつ大胆な構想力と推理力を駆使して, 古代史の謎の部分に新しい解釈を加えた。 1974年に刊行された 『銅鐸の謎』 で, 銅鐸の絵の大胆な解読を試み話題を呼んだ。 【参考文献】 ・『邪馬台国は沈んだ』, 1975年, 著者:大羽弘道 ・『飛鳥王朝の謎』, 1977年, 著者:大羽弘道 【サイト内の主な著書】 ・『銅鐸の謎』, 1974年 ・『邪馬台国は沈んだ』, 1975年 ・『飛鳥王朝の謎』, 1977年 |
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●大谷淳一(おおたにじゅんいち) (1957〜); 超常現象研究家。 「UFOと宇宙」(ユニバース出版社)のUFOレポーターとして活躍した。 |
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●大友克洋(おおともかつひろ) (1954〜); 漫画家, 映画監督。 1973年に漫画家デビュー。 代表作に 『童夢』 『AKIRA』 がある。 ⇒ ・Wikipedia(大友克洋) 【サイト内の主な著書】 ・『童夢』, 1983年 |
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●岡田英男(おかだひでお) (1947〜); 早稲田大学文学部卒業後, 放送関係の出版社を経て, 本格的に超心理学, 古代史, 終末思想の研究に没頭。 ノストラダムス, エドガー・ケイシーなど, 常人を超える人物を広く紹介し, 同時にアトランティス大陸やムー大陸の研究も続けている。 超古代研究会会員。 【参考文献】 ・『なぜ 「世界遺産」 は宇宙人のためにつくられたのか? 』, 2015年, 著者:岡田英男 参考外部=>HMV & BOOKS (岡田英男 プロフィール) 【サイト内の主な著書】 ・『なぜ 「世界遺産」 は宇宙人のためにつくられたのか? 』, 2015年 |
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●岡本譲治(おかもとじょうじ) (1957〜); 川崎市生まれ。日本大学文理学部史学科在籍中。 日大UFO研究会副会長。全日本大学超常現象研究会連合代表。 高校時代によくUFOを目撃, 大学入学後, 本格的にUFO研究を始める。 (なお, これらの記述内容は, 1978年当時のものです)。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(No.41)』【UFOスペシャル’78】, 1978年 |
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●小川謙治(おがわけんじ) (1954〜); 1988年, テレビ朝日の 『プレ・ステージ』 を担当し, 1990年からスペシャル番組などで, 世界各国のUFO事件を中心とした超常現象を取材した。 1995年, 「宇宙人解剖フィルム」 の放送権を手にいれ, フジテレビで放送した。 現在はフリーディレクター, プロデューサー。 【参考文献】 ・『ケネディ暗殺の真犯人とUFOアポロ疑惑』, 2013年, 著者:小川謙治 【主な著書】 ・『ケネディ暗殺の真犯人とUFOアポロ疑惑』, 2013年 |
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●オズワルド リー・ハーヴェイ・オズワルド の項を参照。 |
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●小田秀人(おだひでと) (1896〜92歳);memory 心霊現象研究家。 参考外部=>心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング 【サイト内の主な著書】 ・『超心霊学』, 著者:小田秀人, 1983年 |
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●落合信彦(おちあいのぶひこ) (1942〜); 混迷をきわめる世界の動きに熱い眼を向け, つねに現地に飛ぶことを信条とする国際政治ジャーナリスト, 作家。 【参考文献】 ・『ケネディからの伝言』, 1996年, 著者:落合信彦 ⇒ ・Wikipedia(落合信彦) 【サイト内の主な著書】 ・『2039年の真実』, 1979年 ・『ケネディからの伝言』, 1996年 |
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●落合陽一(おちあいよういち) (1987〜); 東京大学大学院学際情報学府博士課程終了(学際情報学府初の早期終了), 博士(学際情報学府)。 ピクシーダストテクノロジーズ代表取締役, 筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長, 准教授・JST CRESTxDiversity プロジェクト研究代表。 専門はHCIおよび知能化技術を用いた応用領域の研究。2009年にIPA未踏ユース事業に採択, IPA認定スーパークリエーター。一般社団法人未踏理事。 【参考文献】 ・『予言された世界』, 2022年, ⇒ ・Wikipedia(落合陽一) 参考外部=>【落合陽一】「最低3年、もしかしたら10年続く…」 - YouTube 参考外部=>落合陽一公式ページ / Yoichi Ochiai Official Portfolio 【サイト内の主な著書】 ・『予言された世界』, 著:落合信彦 落合陽一, 2022年 |
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●オッセンドウスキー フェルディナンド・オッセンドウスキー の項を参照。 |
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●オッペンハイマー ロバート・オッペンハイマー の項を参照。 |
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●鬼塚五十一(おにづかいそいち) (1947〜); 著述家。 「ファティマ第三の預言」 をめぐって起きたハイジャック事件を取材したことから, 予言・陰謀論・フリーメーソンをはじめとした秘密結社について, 多くの著述を行うようになった。 特にリトル・ペブルの活動を早くから日本に紹介した一人であり, 彼について多くの著作を著している。 【参考サイト】 ・「Wikipedia(鬼塚五十一)」 (リトル・ペブルについて)参考外部=>Wikipedia(リトル・ペブル) |
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●小畠郁生(おばたいくお) (1929〜2015);memory 理学博士。 白亜紀動物化石, とくにアンモナイトの研究を行う。 恐竜に関する図書を多数著し, 恐竜博士とも呼ばれる。 【参考文献】 ・『恐竜博物館』, 1973年, 著者:小畠郁生 ⇒ ・Wikipedia(小畠郁生) 【サイト内の主な著書】 ・『恐竜博物館』, 1973年 ・『幻の古代生物99の謎』, 1976年 |
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●オムネク・オネク ( Omnec Onec;本名:Shiela Schultz ) (?〜); 金星の アストラル界 から, 物理的世界の地球に1950年代初めにやってきて, アメリカ人の幼女シーラと入れ替わった。 その後成人して, 現在は欧州を中心に講演活動を行い, 子供や孫たちと穏やかな毎日を過ごしている。 【参考文献】 ・『私はアセンションした惑星から来た』, 2008年 ・『金星人オムネクとの対話』, 2013年 ⇒ ・Wikipedia(オムネク・オネク) 【サイト内の主な著書】 ・『私はアセンションした惑星から来た』, 2008年, 著:オムネク・オネク, 訳:益子祐司 ・『金星人オムネクとの対話』, 2013年, 著:オムネク・オネク, 訳:益子祐司 |
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●オリバー・ロッジ ( Oliver Joseph Lodge ) (1851〜1940);memory サー・オリバー・ロッジ(Sir Oliver Joseph Lodge)は, イギリスの物理学者, 著述家。 初期の無線電信の検波器に用いられたコヒーラの発明者である。また, 点火プラグの発明者である。エーテルの研究でも知られる。 また 心霊現象研究協会(SPR) のメンバーで, 心霊現象 を肯定する立場での活動, 著述もおこなった 【参考サイト】 ・「Wikipedia(オリバー・ロッジ)」 SPR(心霊現象研究協会) の創設者たちが, 霊魂の世界の組織的な研究に着手し始めたと同じ時期に, 世界的に有名な物理学者オリバー・ロッジ卿も, 独自にテレパシーの実験を始めていた。 リバプール大学で教鞭(きょうべん)をとっていた彼が地元の商人に, 売り娘(こ)の二人がやってみせるテレパシーをテストするので, 観察して欲しいと頼まれたのである。それがきっかけであった。そのときのテストは, SPRの規準にそって行なわれ, そのテストによって思い出された事実を, ロッジは同協会に報告した。そして, その後すぐ, 彼は同協会のメンバーとなった。 心霊研究への興味をかき立てられたロッジは, その後の56年間, この研究を続けた。そして彼は, 思念感応というものがあることを確信したのである。さらには, アメリカのマサチューセッツ州のボストンに住む 霊媒者 である レオノーラ・パイパー(Leonora Evelina Piper)夫人 のSPRのテスト 降霊会 を通じて, 死者の人格が継続して生き続けるという, 確固たる証拠に出くわした。ロッジは, パイパー夫人とその娘をイギリスに招待し, 自宅に泊ってもらった。 その折の降霊会で, パイパー夫人は昏睡(トランス)状態になって, ロッジの遠い親戚について話し始めた。その中には, ロッジの家族との会話や手紙などからさえ知り得ない, こまごましたことまで含まれていた。彼は, この件で 「単に魂の生存ばかりでなく, 条件次第では, 彼岸の世界に去って行った人々とも交信できることに確信を持った」 のである。 【参考文献】(下記から引用) ・『心霊の世界』【第3章/ ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 録音される霊声が, ラジオ電波にまぎれこむ可能性は, 1936年に SPR(心霊現象研究協会) の会長であったオリバー・ロッジ卿によっても予言されている。 ロッジ卿の無線通信に関する仕事は, グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi) のラジオの発明の基礎を作ったと言われているが, 彼は霊界と現世を結ぶ方法が発見されてしかるべきだ, と信じていたのだった。 【参考文献】(下記から引用) ・『心霊の世界』【第6章/ 霊媒と機械】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Oliver Lodge) 参考外部=>Wikipedia(コヒーラ検波器) 参考外部=>Wikipedia(エーテル (物理)) 参考外部=>spiritualfriends.work(亡き息子を想う物理学者オリバー ロッジと英国最高の霊能者グラディス レナードの物語 ) 参考外部=>plaza. rakuten.co.jp (オリヴァー・ロッジ著『レイモンド』を読む ) 参考外部=>odamitsuo. hatenablog. com(古本夜話953 ジョゼフ・コットとオリバー・ロッジ『心霊生活』) 参考外部=>encyclopedia. com (Lodge, Sir Oliver (Joseph) (1851-1940)) 参考外部=>britannica. com (Sir Oliver Joseph Lodge) 参考外部=>the potteries. org (Sir Oliver Lodge) |
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●オーソン・ウェルズ ( George Orson Welles ) (1915〜1985);memory アメリカの映画監督, 脚本家, 俳優。 1938年10月30日に, オーソン・ウェルズにより放送されたラジオ劇の 『宇宙戦争』 (原作:H・G・ウェルズの空想科学小説)が, まるでニュースのように流されたため, 途中からスイッチを入れた多くのアメリカ人は, 本物のニュースを聞いていると思いこみ, 大パニックを引き起こした。 この当時, 彼は無名で, 自作のラジオ・ドラマにみずから出演した。 【参考サイト・文献】 ・「Wikipedia(オーソン・ウェルズ)」 ・『宇宙よりの来訪者』, 1977年 ⇒ ・Wikipedia(英語版;Orson Welles) 参考外部=>花の絵 (オーソン・ウェルズ−真の天才演出家−) |
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