UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産)

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人物紹介5
(な〜の)



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な に ぬ ね の
●Naokiman Show
( ? 〜 );

Naokiman Show都市伝説 & ミステリー系YouTuber。
世界のミステリー事件, 陰謀論, スピリチュアルなど, 解き明かされていない謎をテーマに動画を配信中。
2017年7月に動画配信を始め, 2019年7月時点でチャンネル登録数は80万人以上。
【参考文献】
『ナオキマンのヤバい世界の秘密』,著:Naokiman Show


参考外部⇒YouTube (Naokiman Show インタビュー)

【サイト内の主な著書】
『ナオキマンのヤバい世界の秘密』
, 2019年
『ナオキマンのヤバい日本の秘密』, 2020年
『ナオキマンのヤバい人類支配の秘密』, 2021年
●ナカイサヤカ
(1959〜);

ナカイサヤカ翻訳家。
ASIOS
の運営委員(翻訳担当)でもある。

【参考文献】
『超常現象を科学にした男』 著者:ステイシー・ホーン, 訳:ナカイサヤカ, 監修:石川幹人

参考外部=>Wikipedia(ASIOS)
参考外部=>twitter.com(ナカイサヤカ)
参考外部=>Indigo −藍− (fc2.com)
参考外部=>street- academy. com(ナカイサヤカ)
参考外部=>huffington post. jp(ナカイサヤカ)
参考外部=>note.com(ナカイサヤカ)

【サイト内の主な著書】
『超常現象を科学にした男』, 著:ステイシー・ホーン, 訳:
ナカイサヤカ, 監修:石川幹人, 2011年
●中江克己(なかえかつみ)
(1935〜);

中江克己日本の文筆家。函館市生まれ。北海道函館西高等学校卒。
編集者を経て歴史作家。初期の別筆名・亜坂卓巳, 黒木達也。
実用書, 日常のうんちく, 歴史雑学, 大河ドラマ関連本などを数多く執筆している。
染織に造詣が深い。
【参考サイト】
「Wikipedia(中江克己)」


参考外部⇒版元ドットコムhanmoto.com(江戸っ子が好んだ日々の和食)

【サイト内の主な著書】
『日本史怖くて不思議な出来事』, 1998年
『江戸の怪』, 2000年
●中岡俊哉(なかおかとしや)
(1926〜2001);
memory
中岡俊哉超常現象研究家。
馬賊を志して中国に渡る。終戦後は, 北京放送局に勤務。超常現象や心霊の研究を続け, 多方面で活躍した。
中岡氏は, 地方紙での民話連載とラジオ心霊写真鑑定を開始したのを皮切りに, 楳図かずお氏の初期オカルト作品の原作, オカルト番組の構成, 監修, 脚本, 企画, 出演などで活躍した。
民放各局, 地方局までほぼ総ナメにし, フジテレビでは 『万国ビックリショー』, 日本テレビでは 『ザ・ショック!!』 『木曜スペシャル』 『11PM』 などで高視聴率を稼ぎ, 昭和オカルト界の怪人などといわれる。

【参考文献】
『守護霊の秘密』著者:中岡俊哉
『別冊裏歴史 昭和の不思議101(2016年夏の号)』 ,2016年

・Wikipedia(中岡俊哉)


参考外部=>YouTube (中岡俊哉先生の念写実験)
参考外部=>bookbang. jp(心霊手術で消えた親父のウオノメ 『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』)

【サイト内の主な著書】
『守護霊の秘密』, 1980年
●中沢新一(なかざわしんいち)
(1950〜);

中沢新一人類学者, 思想家, 宗教学者。
明治大学特任教授 / 野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。
1977年東京大学大学院修士課程修了(宗教学専攻)。
1978年以来, インド・ネパールに渡り, チベット仏教やニンマ派のラマ僧たちのもとで, ゾクチェンの修行を積んだ。
1993年 「森のバロック」 で, 読売文学賞を受賞。
【参考文献】
『三万年の死の教え』, 著者:中沢新一

・Wikipedia(中沢新一)


参考外部=>中沢新一アーカイヴ (nakazawa shinichi. blogspot. com)
参考外部=>kokoro. kyoto-u.ac. jp(中沢 新一 Shinichi Nakazawa)
参考外部=>cufture. cinra.net (中沢新一が語る新しい都市生活 人 と 自然 の適切な距離感)

【サイト内の主な著書】
『三万年の死の教え』,1993年
●中沢健(なかざわたけし)
(1981〜);

中沢健作家・脚本家・UMA研究家。
2009年に, 恋愛小説 「初恋芸人」(小学館)で作家デビュー。
脚本家として, 円谷プロの特撮番組 「ウルトラゾーン」 などの作品を手掛けている。
UMA研究家として, CSファミリー劇場 「緊急検証 !」 シリーズに準レギュラーとして出演中。その他, 多くのテレビ, ラジオ番組に出演している。

【参考文献】
『茨城の妖怪図鑑』, 2019年


・Wikipedia(中沢健)


参考外部=>twitter.com(中沢健 (作家・UMA研究家))
参考外部=>pt-br. facebook. com(中沢健と中沢たけし軍団)
参考外部=>arc- magazine. info(中沢健とは)
参考外部=>YouTube (中沢健のUMA・オカルトチャンネル)
参考外部=>YouTube(#中沢健)

【サイト内の主な著書】
『茨城の妖怪図鑑』, 著:
中沢健, 監修:山口敏太郎, 2019年
●中野京子(なかのきょうこ)
(?〜);

中野京子作家・ドイツ文学者。
2017年 「怖い絵展」, 2021年 「怖いクラシックコンサート」, 2022年舞台 「怖い絵」, 2023年プラネタリウム 「星と怖い神話」 をそれぞれ監修。
著書に 「怖い絵」 シリーズ(角川文庫), 「名画で読み解く王家12の物語」 シリーズ(光文社新書)などがある。

【参考文献】
『中野京子の西洋奇譚【新版】』, 2023年

・Wikipedia(中野京子)


参考外部=>「怖い絵」中野京子氏が語る「絵をよむ面白さ」:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)
参考外部=>ドイツ文学者、中野京子さんが語る『怖い絵』展 - 産経ニュース (sankei.com)

【サイト内の主な著書】
『中野京子の西洋奇譚【新版】』, 2023年
●中丸薫(なかまるかおる)
(1937〜);

中丸薫国際政治評論家。世界のトップリーダーをインタビューするジャーナリストとして活躍する。
また, 「太陽の会」 と 「国際問題研究会」 を主宰し, 講演会や 「中丸薫のワールドレポート」 を発行して, 国際政治の大衆化を目指した活動を続けている。

【参考文献】
『闇の権力とUFOと日本経済』, 2014年

・Wikipedia(中丸薫)


参考外部=>国際ジャーナリスト 中丸 薫オフィシャル (nakamaru kaoru.com)
参考外部=>YouTube(イザヤからの手紙 応援し隊 第2回 ゲスト 中丸薫さん インタビュー〜)
参考外部=>php.co.jp(人名事典;中丸 薫)
参考外部=>webcatplus.nii.ac.jp(中丸 薫)

【サイト内の主な著書】
『UFOと地底人』, 2009年
『闇の権力とUFOと日本経済』, 著者:
中丸薫 / 矢追純一2014年
●中村恵一(なかむらけいいち)
(1938〜);

中村恵一一橋大学社会学部助教授(社会心理学)を努める。
1982年に 『ノストラダムス予言の構造』 を著した。 これは, 四位相社会変動論(時代を4つの位相で考える)という理論をもとに, ノストラダムス(Michel de Nostredame) の予言詩を解析したものである。
【参考文献】
『ノストラダムス予言の構造』;著者:中村恵一, 1982年
『UFOと宇宙(NO.85)』(一橋大学・中村恵一助教授インタビュー,ノストラダムス予言の構造),1982年


参考外部=>twitter.com(ジュンヤマン ;中村恵一 (元一橋大学教授) について)
参考外部=>honto.jp(“中村 恵一”の紙の本一覧)

【サイト内の主な著書】
『ノストラダムス予言の構造』,1982年
●中村省三(なかむらしょうぞう)
(1946〜);

中村省三「UFOと宇宙」(ユニバース出版社)誌 の編集に携わり, 海外のUFO・ミステリー情報の紹介に努めた。
また, 氏の翻訳された著書も多数ある。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』, 編・著者:中村省三, 1989年


参考外部=>jp.mercari.com(UFO異星人vs.米スパイ機関 「大謀略」中村省三 1990年)
参考外部=>YouTube(【UFO本176】宇宙人大図鑑/中村省三/1997年/グリーンアロー出版)
参考外部=>webcatplus.nii.ac.jp(中村 省三)

【サイト内の主な著書】
『宇宙人の死体写真集』,1989年
『宇宙人の死体写真集2』,1991年
●中村浩美(なかむらひろみ)
(1946〜);
中村浩美航空・宇宙ジャーナリスト。
航空ジャーナル編集長を経て,
1984年から, 宇宙・航空分野のジャーナリストとして独立。
宇宙開発委員会専門委員, 原子力委員会専門委員などを歴任する。
航空, 宇宙開発, 国際関係論など扱う分野は広い。

【参考サイト・文献】
「Wikipedia(中村浩美)」
『ミステリー・ゾーンへの飛行』,1982年;【「バード, 北極飛行の謎」,文:中村浩美】


参考外部=>s40otoko.com(科学ジャーナリスト・中村浩美が語る。昭和61年「ハレー彗星フィーバー!」)
参考外部=>php.co.jp(人名事典;中村 浩美)
●中矢伸一(なかやしんいち)
(1961〜);

中矢伸一米国留学生活を通じ, 日本と日本民族の特異性を自覚し, 帰国後, 神道系の歴史, 宗教, 思想などについて独自に研究を重ね, 1991年, 『日月神示』(徳間書店)を刊行した
「日本弥栄(いやさか)の会」 を主宰する。

【参考サイト・文献】
「nihon iyasaka. com(About中矢伸一について)」
『不思議大陸アトランティア(浮上編)』2009年;【中矢伸一インタビュー,聞き手: 山口敏太郎


参考外部=>Wikipedia(日月神示

・Wikipedia(中矢伸一)


参考外部=>中矢伸一オフィシャルサイト (nihon iyasaka.com)
参考外部=>YouTube(日月神示をさらに知る!☆ゲスト:中矢伸一さん☆)
参考外部=>YouTube(日月神示って何?予言されている未来とは?新著書「五六七の仕組」)
参考外部=>YouTube(50人の救世主?日本が世界をまとめる鍵になる?日本が果たすべき役割とは…!)

【サイト内の主な著書】
『ノストラダムス戦争黙示』, 1991年;著者:川尻徹 + インタビュー:
中矢伸一
『ノストラダムス複合解釈』, 1991年;著者:川尻徹 + インタビュー:
中矢伸一
『日月神示ミロクの世の到来』, 2007年
『日月神示と古事記の神々の預言』, 2009年
●長尾郁子(ながおいくこ)
(1871〜1911);
memory
長尾郁子明治43(1910)年, 熊本の 御船千鶴子 の透視が新聞などで有名になり, 全国各地に 「千里眼」 能力者があらわれた。
「新たなる千里眼婦人」 として報道されたのが, 四国・丸亀に住む長尾郁子(当時39歳)で, 福来友吉 博士が予備実験のあと, 研究対象とした女性である。
当時, 長尾郁子の家には, 透視を依頼する客が毎日訪れてきて, 家出人の行方, 家族の病気治癒の見込み, 運勢, 失くし物のありかなどを訊ねた。
郁子を透視に導くきっかけとなったものは,
明治41(1908)年, 宇都宮に住んでいたときに起きた大火であった。 長尾家も全焼してしまったが, この大火を予知していたことからだという。
郁子の透視実験は最初, 福来博士と 今村新吉 博士(京都帝国大学医科大学教授)が行ったが, 日本の物理学研究の先駆者とされる 山川健次郎 物理学博士, 京都帝国大学文科大学心理学科の松本亦太郎教授も, この研究に乗り出してきた。
透視実験の中で, 今村・福来両博士は写真乾板を用いたが, 実験後の乾板の現像に, カブリ(部分的に画面がボヤけること)が生じていたことから, 福来博士は 「念写」 を発見する。
明治44(1911)年2月, 郁子は, 風邪からの急性肺炎で心臓麻痺を起こして死去した。享年39歳であった。
【参考サイト・文献】
「Wikipedia(長尾郁子)」
『透視も念写も事実である』,2007年;

 
(★1910(明治43)年暮れから翌正月にかけて行われた実験で, 長尾郁子があらわした念写写真)
『透視も念写も事実である』から

参考外部=>Wikipedia(千里眼事件)
参考外部=>長尾郁子 - 霊能力入門 (xn--230ao56b.com)
参考外部=>kyoto-np.co.jp(謎の日本心霊学会 解かれた封印 #4 「千里眼」顛末)
参考外部=>ndl.go.jp本の万華鏡(第13回 千里眼事件とその時代)
●並木伸一郎(なみきしんいちろう)
(1947〜);

並木伸一郎早稲田大学卒・電電公社(現NTT)勤務ののち, 奇現象, 特にUFO・UMA問題の調査・研究に専念。
海外の研究家とも交流が深く, 雑誌・テレビなど, 幅広く活動している。
米国 MUFON 日本代表, 国際フォーティアン協会日本通信員, 日本宇宙現象研究会(JSPS) 会長などを兼任している。

【参考文献】
『決定版 超古代文明の遺産 オーパーツ図鑑』,著:並木伸一郎, 2019年

・Wikipedia(並木伸一郎)


参考外部=>並木伸一郎 オフィシャル(@shin_ichirou216)さん / Twitter
参考外部=>並木 伸一郎(著者詳細情報) | 絵本ナビ | 作品一覧 (ehonnavi.net)

【サイト内の主な著書】
『謎の宇宙人クリル悪魔の密約』, 1990年
『最新版日本全国で発生している!!驚愕の怪事件』, 2007年
『決定版 超古代文明の遺産 オーパーツ図鑑』, 2019年
●ナンドー・フォドー
( Nandor Fodor )
(1895〜1964);
memory
ナンドー・フォドーハンガリー出身のアメリカおよびイギリスで活躍したジャーナリスト, および心霊現象の科学的研究者(parapsychologist), 精神分析学者(psychoanalyst), 作家。
【参考サイト】
「En.Wikipedia(Nandor Fodor)」


ハンガリー・ブタペストの精神分析学者で, ハンガリー・メタフィジカル協会(Hungarian Metaphysical Society), および SPR の名誉会員となった。
1933〜35年には, 「ライト(Light)」 誌の副編集長をつとめた。
『心霊科学百科事典(Encyclopedia of Psychic Science)』
(1934年)などの著者がある。
【参考文献】(下記を引用)
『スピリチュアル用語辞典』【フォドール博士,ナンドール】, 著者:春川栖仙, 2009年


1917年に法学博士号を取得し, 1921年まで法律事務所に勤める。その間に哲学博士号も取得。翌22年に結婚, 一女をもうけた。
1921年から28年までをジャーナリストとして過ごした。 1921年にニューヨークのハンガリー新聞 「在米ハンガリー人民の声」 のレポーターとして働くため渡米した。
ニューヨークに赴任して間もなく, 当時幅広く活躍していた心霊研究家兼ジャーナリストの ヘレワード・キャリントン(Hereward Carrington) の本に出会う。これをきっかけに彼の興味は, スピリチュアリズム に向かう。
1926年に, 当時の精神分析学の重鎮の一人で, フロイト(Sigmund Freud) の知友でもあった サンドル・フェレンツィ(Sándor Ferenczi) へのインタビューも行なっている。元来精神分析学は, オカルト的なものとは相容れないものであるが, フェレンツィ, それにフロイトさえも, 密かにある種の 心霊現象 に共感を覚えていた。フェレンツィとの出合いは, フォドーの生涯に第二の決定的影響を及ぼすことになり, やがて彼は, 精神分析学を心霊学と結びつける説を打ち出すことになる。
1927年にニューヨー市の霊言霊媒 ウィリアム・カルトゥサー(William Cartheuser) による交霊会において, フォドーは実の父親の霊から感動的にして且つ証拠性の高いメッセージを受け取った。 後年, フォドーはこのカルトゥサーの霊能の信憑性を疑うようになるが, その時の感動的体験は生涯忘れることができないほどのものであった。
1929年に米国を訪問中の当時のイギリスの新聞王の ハロルド・ハームズワース(Harold Sidney Harmsworth)【ロザーミア卿(Load Rothermere)】 にインタビューしたことが縁で, フォドーは卿の直属のスタッフの一人になることができた。フォドーにとって幸運だったのは, 当時の卿が, 第一次世界大戦後のハンガリーの復興に深い関心を寄せていたことである。 フォドーは, ハンガリー平和条約の改正問題等, 祖国ハンガリーに関わる問題を担当する秘書として, ロンドンに赴くことになった。
ロンドンでのフォドーは, 大した仕事がないため暇を持て余すことになった。仕事の合い間をみて, 『エンサイクロペディア(心霊科学百科事典 - An Encyclopedia of Psychic Science)』 の編纂に取りかかった。一人の人間のすることとしては途方もない大事業であったが,
1934年に出版されたその大著の 「序文」 を書いた オリバー・ロッジ(Oliver Lodge) は, その冒頭で 「心霊科学の百科事典! - 私はそんなものの編纂が可能だとは思ってもみなかった」 とまず驚嘆の情を正直に吐露し, 「これは莫大なエネルギーと, ハンガリー人であるナンドー・フォドー博士ほどの厖大(ぼうだい)な博識との結合なくしては成就されなかったであろう」 と, その功績を称えている。
この本を出版したことで, 一夜にして彼は心霊問題の権威者となってしまう。これにより, フォドーは否応なしに心霊の世界へ没入せざる得なくなった。
1934年2月には, 英国最初の心霊雑誌 『Light』 の編集者の一人となった。多くの霊媒による実験会に出席する機会にも恵まれるようになり, それまでの書物による研究から, 実地の観察調査による研究へと変わっていった。そして, 最初は目のあたりにした驚異的現象に強烈な衝撃を受けたが, そのうちに次第に懐疑的になっていく。
【参考文献】(下記より抜粋)
『心霊の次元』【解説 近藤千雄


【サイト内の主な著書】
『心霊の次元』, 著:
ナンドー・フォドー, 訳:植松靖夫 / 手塚裕子 / 栩木伸明, 編・監修:南山宏, 解説:近藤千雄, 1985年
 
●新倉イワオ(にいくらいわお)
(1924〜2012);
memory
新倉イワオ日本の放送作家。日本放送作家協会会員。
心霊研究家としても知られ, 日本心霊科学協会 理事を務めた。
日本テレビ制作スタッフとして, 長寿バラエティー番組 「笑点」 の企画に立ち会った。以降, 多くのドラマ, ドキュメント, 音楽番組, バラエティショーなどを手がけた。
1968年, 自らの心霊体験から, 日本テレビ界初の心霊番組を企画制作し, 日本テレビお昼のワイドショー 「あなたの知らない世界」 では解説を務め,
宜保愛子を世に出したことでも知られる。
日本心霊科学協会理事を務める傍ら, 心霊パイオニアとして40年近くにわたるテレビ出演と50冊を超える著書を出版した。
【参考サイト】
「Wikipedia(新倉イワオ)」

参考外部=>Wikipedia(宜保愛子)

参考外部=>てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「新倉イワオ」篇 | メディア応援マガジンSynapse(シナプス) (synapse-magazine.jp)
参考外部=>「あなたの知らない世界」 放送作家の新倉イワオ氏死去― スポニチ Sponichi Annex 芸能
参考外部=>新倉 イワオの書籍一覧 - honto
●ニクソン大統領
リチャード・ニクソン の項を参照 
●ニコライ・レーリッヒ
( N. Roerich )
(1874〜1947);
memory
ニコライ・レーリッヒ現在, 彼の名前は神秘主義の歴史の中でよく知られているが, 哲学についても造詣が深く, 占い師, 予言者として際立った才能を持ち, 画家としても一流だった。
その著作の多くは, 活字となって残り, 絵は世界中のギャラリーで展示され, 彼の思想は, 欧米の人々に大きな影響を与えてきた。
レーリッヒは,
10世紀の北方バイキングの血をひくロシアの名家に生まれた。美術アカデミーを卒業後, パリに留学し, 帰国して美学の講師, 評論家になった。
1906年, ロシア美術奨励アカデミーの理事に任命された。
ロシア革命の始まる
1917年までは, 彼の人生は順調そのものだったが, 母国が, もはや自分を温かく迎え入れてくれないだろうと悟り, ちょうどアメリカに招かれていたレーリッヒは, アメリカに亡命した。
1923年, 以前から仏教とアジアの神秘世界に興味をつのらせていた彼は, インド, モンゴル, チベットへと探検に出かける計画を立てる。
レーリッヒと8人のヨーロッパ人, それに現地人のガイドによって構成された探検隊の一行は,
1924年, ヒトラーがライズベルクの刑務所で地下都市の秘密にめざめた頃, ブータン地方に達すると, そこからカシミール, ホータンに向かい, クンルン山脈, テンシャン山脈, アルタイ山脈の地下回廊を訪ね, さらにオイラート地方, モンゴル高原, ゴビ砂漠, ツァイダム盆地の地下都市を捜しながら, チベットを目指した。
そして, この探検隊は, 「めったに訪れる者のないアジアの秘境を5年間」 渡り歩き, いろいろな 「失敗や危険」 を冒しながらも, 持ち前の勇気と聡明さで難関を乗り切り, この地域の景色や人物をスケッチし, 貴重な探検日記を書き続けたのである。この記録は, のちに 『アルタイ・ヒマラヤ旅日記』 としてまとめられた。
レーリッヒは,
1920年代の後半にインドへ移住し, 1947年に, その地で永眠した。
【参考文献】(下記より抜粋)
『謎の地底王国アガルタ』1983年, 著者:アレック・マクレラン, 監訳:高橋良典

・Wikipedia(ニコライ・リョーリフ)
・Wikipedia(英語版;Nicholas Roerich)


参考外部=>ニコライ・レーリッヒの孤高の境涯 | 無精庵徒然草 (ameblo.jp)
参考外部=>シャンバラ!チベットに眠るとされる伝説の王国アガルタの首都! (takashi1016.com)
参考外部=>伝説の地シャンバラをめざした画家 - ロシア・ビヨンド (rbth.com)
参考外部=>
Nicholas Roerich Museum New York
参考外部=>Nicholas Roerich - 1843 artworks - painting (wikiart.org)
参考外部=>Nicholas Roerich (irmtkullu.com)

【サイト内の主な著書】
『アジアの心』, 著:ニコラス・レーリッヒ, 日本アグニヨガ協会, 1981年
●ニコラ・テスラ
( Nikola Tesla )
(1856〜1943);
memory
ニコラ・テスラ 現在のユーゴスラビのクロアチア地方, スミリヤンに生まれ, プラハ大学に学ぶ。
1882年
, 多相型交流発電機を着想し, 実現させるため, 1884年にアメリカに渡る。
はじめエジソンの下で働いていたが, 直流採用論者のエジソンと意見が合わず,
1887年に独立する。
二相交流方式の特許をウェスティングハウス社に, 20万ドルで売り渡した。ウェスティングハウス社は,
1891年にナイアガラ発電所を建設。1896年に, この施設は運転を開始し, 5,000馬力もの電力を, バッファロー市に供給した。
その後テスラは, テスラ・コイルをはじめ, 多くの電気工学の発明をした。
無線通信の基礎となるチューナー回線の発明も, マルコニーではなく, テスラが最初であることが, 彼の没年に, ようやくアメリカ最高裁で確認された。
最初に陰極線, X線, 紫外線を観察したのもテスラである。
このテスラの名が, なぜ歴史に残っていないのか。 それは、ノーベル賞の辞退で反感をかったというのも理由のひとつだが, 最大の理由は, 簡単なアンテナを立てることによって, 発電するシステムを作ろうとしたからだ。
このため彼の資金援助者であった, 電気事業の独占資本の反感をかい, あらゆる妨害を受けたのである。
事実, コロラドスプリングスの装置で, 40キロ離れたところにある, 白熱球200個を点灯するところまで成功していたのだ。
1930年にテスラは, 2つの究極兵器を発表した。殺人光線と完全防御のテスラ・シールドである。 が, これらの兵器の秘密は不明のまま, 彼は世を去った。
(出典;『ムー』1984年3月号(No.40),「悪魔のスーパー・ウェポン テスラ兵器」【構成:梁瀬光世、文:ニール・パウエル、訳:平子ゆり】から)

発明家。磁束密度の単位 「テスラ」 にその名を残す。
交流電流, ラジオやラジコン(無線トランスミッター), 蛍光灯, 空中放電実験で有名な, テスラコイルなどの多数の発明と無線送電システム(世界システム)を提唱した。
また, 地球全体の磁場を利用し, 電気振動と共鳴させることで, 空間からエネルギーを無限に得られる仕組み(フリーエネルギー)を構想していた。
8カ国語に堪能で, 詩作, 音楽, 哲学にも精通, 生涯独身を貫いた。

(出典;『ニコラ・テスラ秘密の告白』, 2013年

・Wikipedia(ニコラ・テスラ)
・Wikipedia(英語版;Nikola Tesla)


参考外部=>エジソンより100万テラワット分偉い発明家、ニコラ・テスラ - Hana.bi Japan + YOU
参考外部=>ニコラ・テスラは神秘家だったか? - バラ十字会日本本部AMORC
参考外部=>Nikola Tesla's TERRIFYING Invention Has Just Been Revealed In Old Documents - YouTube
参考外部=>Nikola Tesla's TERRIFYING Prediction Has Just Been Revealed In Old Documents - YouTube

【サイト内の主な著書】
『ニコラ・テスラ秘密の告白』, 著:ニコラ・テスラ, 訳:宮本寿代, 2013年
●西丸震哉(にしまるしんや)
(1923〜2012);
memory
西丸震哉関東大震災の起きた日に生まれた, 奇遇の持ち主である。
農水省時代に, 人間と食べ物との原初的な関係をテーマとし, アラスカ, 南極, 奥アマゾン, ニューギニアなどの秘境を踏査。その体験から, 食を通じての人間の行動様式を研究する, 食生態学を確立した。
また, 西丸氏は, UFOを自分で呼び出し目撃したり, 幽霊に出会い話しかけたりした, 特異な体験をしたことでも有名である。

【参考文献】
『超能力者・霊能力者に学ぶ不思議な世界の歩き方』,著者:布施泰和, 2005年
『地球が冷える異常気象』,1974年

・Wikipedia(西丸震哉)


参考外部=>西丸震哉記念館 (nishimarukan.com)
参考外部=>「41歳寿命説」の縄文人・西丸震哉 - 旅コム (tabi.com)
参考外部=>j-n.co.jp(私の選んだ道 作家 西丸震哉さん)
参考外部=>西丸震哉記念館 | 大町市観光協会 (kanko-omachi.gr.jp)

【サイト内の主な著書】
『地球が冷える異常気象』,編集:小松左京根本順吉 / 竹内均 /
西丸震哉 / 立川昭二 / 飯田隼人, 1974年
『実説大予言』, 1974年, 著:五島勉
西丸震哉
●韮澤潤一郎(にらさわじゅんいちろう)
(1945〜);

韮澤潤一郎法政大学文学部卒。現在, たま出版社長。
小学生時代にUFOを目撃して以来, 内外フィールド・ワークを伴った研究をもとに, 雑誌やテレビで活躍している。

・Wikipedia(韮澤潤一郎)

参考外部=>ニラサワ研究室 (seesaa.net)
 (おすすめ
参考外部=>【予言/狂い出した地球の未来】UFO公聴会とフェイクニュースに騙されず分析-秘密を握る韮澤潤一郎が解説- 後編 - YouTube
参考外部=>【ヨハネの黙示録/予言】罪人宇宙人達の流刑の地 地球が迎える最終局面-秘密を握る韮澤潤一郎が解説- 前編 - YouTube
参考外部=>【ひろゆきvs超常現象】UFOはいる?伝説のバトル【ガチで真理に迫る】|Re:Hack - YouTube

【サイト内の主な著書】
『宇宙人はなぜ地球に来たのか』, 2011年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』, 2015年
  
△ 
  
●ネイサン・トワイニング
( Nathan Farragut Twining )
(1897〜1982);
memory
ネイサン・トワイニング1953年から1957年まで, アメリカ空軍参謀総長を務め, その後, 1957年から1960年まで, 初の空軍出身統合参謀本部議長を務めた。
【参考サイト】
「Wikipedia(ネーサン・ファラガット・トワイニング)」

ロズウェル事件 が起きた, 1947年7月初旬に, トワイニング将軍は, 前から受けていたワシントン州シアトルにあるボーイング社への招待を急にキャンセルして, 7月7日にライト飛行場を発って, ニューメキシコ州のアラマゴードに飛び, 7月11日にオハイオ州に戻っていたことが, トワイニングの日記から確認された。
また, トワイニング将軍は, MJ-12委員会 のメンバーの一人であるとも云われる。 マジェスティック文書 のひとつである 「カトラー=トワイニングメモ」 の宛先人になっている。

【参考文献】
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年

・Wikipedia(英語版;Nathan Farragut Twining)

参考外部=>USAF General Nathan Farragut Twining seated at desk speaks during 2nd Anniversary...HD Stock Footage - YouTube
参考外部=>The Twining Memo Still Speaks to UAP Report Authors | Trail of the Saucers (medium.com)
●ネティー・コルバーン・メイナド
( Nettie Colburn Maynard )
(1841〜1892);
memory
ネティー・コルバーン・メイナドネティー・コルバーンは, リンカーン大統領 夫人メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln)の降霊会を行った若い霊媒でした。
リンカーン大統領も, 生前に彼女の降霊会に, 少なくとも1回は出席したとされている。
ネティーは, 彼女自身が老齢のバンフォード博士(Dr. Bamford)」 という名前の霊に支配(controlled)されていたと主張した。
(ドクター・バンフォードが, 彼女の スピリット・ガイド であった)
ネティーは, 『エイブラハム・リンカーンは スピリチュアリスト だったか(Was Abraham Lincoln a spiritualist? )』 という回顧録を1891年に刊行した。
【参考サイト】
「mrlincolns whitehouse. org(Mary' s Charlatans: Nettie Colburn (1841-1892))」

参考外部=>amazon.co.jp(洋書)
参考外部=>encyclopedia. com(Maynard, Henrietta Sturdevant (1841-1892))
参考外部=>encyclopedia2. the free dictionary. com(Colburn, Nettie)
参考外部=>gotsc.org (Abraham Lincoln consulted mediums and attended séances to help formulate his policies while President of the United States)
参考外部=>emerging civilwar. com(Things That Go BUMP in the Parlor: Spiritualism, Lincoln, and a Happy Hallowe' en)
参考外部=>lincolncollection.tumblr.com(Lincoln Collection)
●根本順吉(ねもとじゅんきち)
(1919〜2009);
memory
根本順吉気象技術官養成所卒業し, 気象庁の予報官として, 長期予報を担当した。
気象庁図書資料管理室補佐官, 埼玉大学講師などを歴任した。
専攻は, 長期予報・気象学史。
地球寒冷化を予測し, 関係著書を多数執筆した。

【参考文献】
『地球が冷える異常気象』, 1974年

・Wikipedia(根本順吉)


参考外部=>根本順吉とは - コトバンク (kotobank.jp)
参考外部=>根本 順吉 - Webcat Plus (nii.ac.jp)

【サイト内の主な著書】
『地球が冷える異常気象』,編集:小松左京根本順吉 / 竹内均 / 西丸震哉 / 立川昭二 / 飯田隼人, 1974年
『氷河期が来る』, 1976年
   
●野木恵一(のぎけいいち)
江藤巌【浜田一穂・野木恵一】 の項を参照
●ノストラダムス
ミシェル・ド・ノートルダム の項を参照 

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