UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産)

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怪奇・不可思議事件集8
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●幽霊戦闘機キャメルを見た
1942年7月, スコットランドのモントローズ空軍基地で管制業務についていたジョン・デヴリン少尉は, 存在しないはずの第一次世界大戦で活躍した複葉機キャメルが飛んでくるのを目撃した。

キャメルとは, ソッピース・キャメル(Sopwith Camel)のことで, 英国の複葉戦闘機で第一次大戦中に活躍した。
ソッピース・キャメル
(★ロンドンの帝国戦争博物館に展示されているキャメル)
■サイト:「ja.wikipedia.org(ソッピース キャメル)」から

第二次大戦中の
1942年7月のことである。
スコットランドのモントローズ英空軍基地で管制業務についていたジョン・デヴリン少尉は, 北海方面から未確認機が一機, 当地に向かって接近中という, レーダー基地からの警報電話を受けて, 部下と共に東の空を見つめていた。
突然, 南東の方角の雷雲の中から, 一機の複葉機が姿を現わした。ずんぐりと太く短い機首には, 空冷星型発動機が, オートバイのような爆音をたてていた。複葉機の上下翼には, 強いスタッガー(Stagger:上下の翼の相対的な水平前後位置)がついていた。上面は暗い色に, 下面は白っぽい明るい色に塗られていた。プロペラハブが赤くキラリと光った。怪飛行機は, 高度300メートルでまっすぐ基地上空を横断し, 西空の雲中に消えた。
もちろん彼は交代の時に, このことを報告したが, 誰も本気でとりあげなかった。だから,
数日後に, また同じ機体が同じコースを飛んで, 同じように消えて行くのを目撃した時には, 誰にも話さなかった。そのかわり, 非番の時に基地近くの民間人の従業員に, 基地の昔について訊ねた。
「ここは, 第一次大戦中は訓練基地でした」 と, サンディという名の老人は語った。
SE-5, パップ, キャメルなんてたくさんいました。いえ, まだいますよ。ほんの数か月前, 羊飼いのジャックの犬が, あの西側の岩かげで, キャメルらしい残骸と乗員の頭蓋骨を見つけましたよ。だんなも, あの機影を見たんですね?
,
【参考文献】(下記を引用)
『ミステリーゾーンへの飛行』【ミステリー・アトランダム 「幽霊機キャメル」, 文:入江俊哉】, 1982年


参考外部=>Wikipedia(スタガー (航空))
参考外部=>okmodel.co.jp(SE−5
参考外部=>.Wikipedia(ソッピース パップ
参考外部=>国立国会図書館サーチ(著者・編者:入江俊哉

 

【参考サイト】
skyandsea.a.la9.jp(RODEN 1/72 ソッピース F.1 キャメル)
●雪男を間近に目撃した日本人
1971年春, ネパール・ヒマラヤのダウラギリW峰に遠征した登山家の芳野さんが, 雪男らしき生物を15メートルの至近距離で目撃した。

アルプスのマッターホルン北壁を日本人で初めて登攀(とうはん)した芳野満彦さんは,
1971年の春にネパール・ヒマラヤのダウラギリW峰(標高7661m)に隊長として遠征した。
5月7日午後2時ごろ, 第2キャンプ(標高5200m)にひとりでいるとき, テントから出て小便をしながら, ふとコーナボン谷を見下ろすと, 小雪のなかを誰かが稜線に向かって這って登ってくるのを見た。 第2キャンプは稜線にあるので, はじめはシェルパだと思い, 「テンジン, 何してる!」 と声をかけたが返事はなく, 荷物も担いでいない。
そして, 稜線まで登りきった ”男” は, 二本足で立ち上がり, 芳野さんの方を見た。
芳野さんは, ぎょっとした。その ”男” は, クマでもサルでも人間でもなく, 全身茶褐色の毛で覆われ, 額が出っ張り, 鼻が大きく, 顔に毛はなく, 頭髪は肩まで垂らした, 身長は約1.3mほどの怪物であった。
芳野さんとの距離は15mである。”男” は, しきりに首をかしげて不思議そうに芳野さんを見ていたそうだ。
芳野さんは, ふとこれがもしかすると雪男ではないかと思い, テントに戻ってカメラを持って出た。 すると, ”男” はゆっくりと, 登ってきたのと反対(北側)の斜面を二本足で降りていった。芳野さんは, 急いで3枚シャッターを切った。 (その写真は, 帰国後, 現像してみると露出オーバーですべて写ってはいなかった)
芳野さんはテントに入ったが, 戻ってきて襲われるのではないかと不安になった。 外に出て足跡を調べてみると, 長さは18cm, 幅は10cmくらいだったという。
この芳野さんは, 新田次郎の小説 『栄光の岸壁』 のモデルとして知られている。
【参考文献】
『山の不可思議事件簿』2015年, 著者:上村信太郎


 

【参考サイト】
Wikipedia(芳野満彦

【関連サイト】

サンチャイ☆ブログ(『雪男は向こうからやって来た』 〔読書日記〕)
ひなた日和(錚々たる目撃者。『雪男は向こうからやって来た』(5))
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●リンカーン大統領に奴隷解放を進言した若い女性霊媒
1862年12月の寒い日, ジョージタウンにあるクランストーン・ローリー氏宅で催した降霊会に出席したリンカーン大統領に, 若い女性霊媒のネティー・コルバーンが, トランス状態で1時間にわたり奴隷解放の重要性を説いた。

ローリー降霊会とは, ジョージタウン(Georgetown)に住んでいたクランストーン・ローリー(Cranstoun Laurie)氏と妻のマーガレット(Margaret)が自宅で主催する 降霊会 でした。
夫妻は共に 霊媒者 でしたが, ローリー氏の娘のベル・ミラー夫人(Mrs. Belle Miller)も霊媒者として参加していました。また, ネティー・コルバーン・メイナド(Nettie Colburn Maynard ) もローリー降霊会では, よく知られた若い女性霊媒者でした。
当時(1860年代初頭), 政界を自由に動き回る鉄道利権の黒幕であった陸軍大佐のサイモン・ケーズが語るところによると, この日, 友人のウォトルズ判事に連れられて, このローリー降霊会に出席したという。すると, そこには, 驚いたことに, リンカーン大統領 夫妻が居合わせていた。そして, 大統領夫妻は, トランス状態 になったまだ10代に見える若い女性霊媒者のネティー・コルバーンから, 奴隷解放の重要性についての話を1時間にもわたって聞いていたという。
彼女の論旨(ろんし)は, 南北戦争は奴隷が解放されるまでは終わらない, なぜなら神は人間がすべて自由であると定めているからだ, というものだった。ケーズは, 彼女の言葉はまさに崇高そのもので, しかも堂々としており, 奴隷が廃止されたら, そのときから北軍は敗れることはなくなるだろうと述べたてたという。
そして, トランス状態から覚めたネティーは, その場から急いで立ち去ってしまった。自分が大統領に向かって何か話をしていたらしいことに気づいたからであった。
ケーズは, 二晩後の二度目のローリー宅訪問についても伝えている。このときも, 大統領夫妻は姿を見せていた。そして, その晩もリンカーンは, 例の若い娘(ネティーのこと)に奴隷解放を説得されていたという。
リンカーンの決断が, はたして霊媒がさせたものであるかどうかの確証は得られていない。しかし, スピリチュアリズム が誕生してからまだ
数年というこの時期に, アメリカの大統領までが, この新しい動きに関心を示したという事実は, 驚かずにはいられない。
加えて, アメリカの奴隷解放について, スピリチュアリスト の言い分を信じるとすれば, スピリチュアリズムは, 一国の運命に大きな影響を与えたということになる。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『心霊の世界』【第1章/ ハイデスビルの怪しい音】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


 

リンカーン大統領が参加した降霊会のイメージ画
■サイト:「lincolncollection. tumblr.com」から

【参考サイト】
househistoryman. blogspot. com(The Lincoln Séance at a House in Georgetown)
emergingcivilwar. com(Things That Go BUMP in the Parlor: Spiritualism, Lincoln, and a Happy Hallowe' en)
lincolncollection. tumblr. com(The Lincolns and the Spiritualists)
encyclopedia2. thefreedictionary. com(Abraham Lincoln)
mrlincolnswhitehouse. org(Mary' s Charlatans: Nettie Colburn (1841-1892))
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●霊が望んだ養子縁組み
1916年, 霊媒のジョン・カラン夫人にペーシェンス・ワースという彼女の 支配霊(スピリット・ガイド) が, 赤毛で青い目の赤ん坊を養子に取るように望んだ。

20世紀の初頭
, ミズーリ州セントルイス(St. Louis)で起きたことである。
霊媒ジョン・カラン夫人(パール・レノア・ポラード(Mrs. John Curran ; Pearl Lenore Pollard )) は, ウイヤー占い板(ウィジャボード) で, 古風な英語のメッセージを受けた。霊はペーシェンス・ワース(Patience Worth) といい,
約300年前に死んだ清教徒の少女らしかった。生前, 彼女は本を書きたかったこと, 母親になりたかったこと, なのにそれを果たせずじまいになってしまったこと, などを告げた。
そんなことから, カラン夫人はウイヤー占い板を使って, ワースに導かれながら4冊もの小説を書きあげるはめになった。
ワースはカラン夫人に, 赤毛で青い目の赤ん坊を養子に取らせるようにさせた。そこでカラン夫人は, やっとのことで, 子どもを手放してもいいという, 若い未亡人を見つけだした。この人は, おあつらえ向きの女の子を産み, その果てに死んだ。
子どもは, ペーシェンス・ワース・ウィー・カランと名づけられた。カラン夫人は1937年に亡くなった。霊のペーシェンス・ワースは, それきり他の霊媒を通して話そうとはしなかった。
だが, 不思議なことに子どものウィーは,
5年後に軽い心臓疾患で死んでしまった。ペーシェンス・ワースが, 子どもは自分のものだとして, 呼び寄せてしまったのだろうか?
【参考文献】
『心霊の世界』【第6章/ 霊媒と機械】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


 

1926年頃のカラン夫人
(★1926年頃のカラン夫人)
■サイト:「en.wikipedia.org(Patience Worth)」から
●霊媒が生者を降霊した「ゴードン・デイビス事件」
1921年, 霊媒のブランチ・クーパー夫人が降霊したサミュエル・ソール博士の友人のゴードン・デイビスは, 後に生存していたことが判明した。

ロンドン大学の数学者 サミュエル・ソール博士(Dr. Samuel George Soal) が, 霊媒ブランチ・クーパー夫人(Mrs. Blanche Cooper) と組んで心霊による交信の調査を, 1921〜22年にかけて行なっていた。
そのあるときの降霊実験で, クーパー夫人の 直接談話現象 によって, ソール博士の友人ゴードン・デイビス(Gordon Davis)と交信することができた。
当時博士は, デイビスは戦死したものと思っていた。しかし, 後に彼が生存していることが明らかになった。したがって, このときの交霊は死者との交信ではなく, 生者との交信ということになる
このときの談話現象に現われた霊は, 話し方や声の調子などの癖がデイビスそのものであり, さらに博士のみが記憶している少年時代の出来事などを正確に述べ, デイビス自身は死の状況こそ言及しなかったが, 故人として振る舞っていたという
その際に得られたデイビスの家や内部の様子などの情報は,
3年後に彼が生きていることを博士が知って, 彼の家を訪問してみると, まさにその通りであった。
不思議なことに, その家は, 博士が交霊会で情報を得た
1年後に, 引っ越したということであった。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『スピリチュアル用語辞典】【ゴードン・デイヴィスの事例】, 著者:春川栖仙, 2009年


 

●霊媒パラディーノが世に出た不思議な経緯
1854年生まれのエウサピア・パラディーノは, 後に著名な物理的霊媒となったが, 彼女が世に出るようになったのは, 1872年に起きた不思議な出来事があったからだ。

古今東西を通じて, エウサピア・パラディーノ(Eusapia Palladino) ほど, 徹底的に研究された著名な 物理的霊媒 はいない。
パラディーノは,
1854年1月に, 南イタリアのバーリ近郊の農家に生まれた。母親は, 彼女を生んだときに亡くなり, 父親はエウサピアが12歳のときに殺害されて, 彼女は孤児になった。
パラディーノは10代のころから, 霊媒 としての能力を示した。しかも, 彼女が世に出た経緯も驚くべきものだった。
*
1872年, イタリア人心霊研究家ダミアーニ(Signor Damiani)の妻が, ロンドンで開かれたある 交霊会 に参加したところ, ジョン・キング(John King) と称する霊が 「出現」 したのである。その霊は, 彼の娘である ケイティ・キング(Katie King) の生まれ変わりである, きわめて霊能力の高い霊媒がナポリにいると, ダミアーニの妻に告げたのである。
キングはさらに, その霊媒が暮らしている家の正確な住所も教えた。夫のダミアーニが, そこを訪ねてみると, 驚いたことにそこにエウサピア・パラディーノはが住んでいたのだ。ダミアーニは, まだ少女だったパラディーノの師匠となり, 彼女の霊能力を大きく伸ばしたのである。
エウサピア・パラディーノが世に出た驚くべき経緯
(★エウサピア・パラディーノ)
【参考文献】(以下より抜粋引用)
『X-ZONE(No.17)』【驚異の霊媒パラディーノ】, 1997年


 

【参考サイト】
encyclopedia.com(Palladino, Eusapia (1854-1918))
●レッド・スケルトン(コメディアン)の不思議な体験
1963年の夏のある日, コメディアンの レッド・スケルトン(Red Skelton ) が, カルフォルニアの海浜を歩いているときに, 不思議な体験をした。

レッド・スケルトンが一人で海浜を歩いていると, 彼は
一時間ほどのあいだ, 半ば昏睡状態に陥ってしまったという。
そして, 意識を完全に取り戻したときに, 彼はいつも持ち歩いているノートブックに, 自分の手で書いたおそるべきメッセージを発見した。
彼は, それを書いた記憶もなかったし, そんなことばを考えたことすらなかった。
メッセージは, 次のようなものだった。
「ケネディ大統領は,
11月に殺されるだろう」

この話は, 彼がのちに新聞協会の記者のディック・クライナーに語ったものである。
【参考文献】
『UFO超地球人説』【第11章/ 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある! 」】, 1976年, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平


 

コメディアンのレッド・スケルトン
(★レッド・スケルトン)
■サイト:「大紀元(レッド・スケルトンの笑いあふれる「幸せな結婚生活を続ける秘訣」)」から


【参考サイト】
En. Wikipedia (Red Skelton)
Wikipedia (ケネディ大統領暗殺事件)
●レミングの大移動
レミングは, ある日突然, 集団で大移動を開始する。

ノルウェー(Norway)の山地に棲むレミング(Lemming)と呼ばれるネズミは,
3〜4年に一度大発生する。
山にある食べ物を喰いつくしたレミングは, ある日突然, 集団で大移動を開始する。
幅5キロほどの長い帯になって, 道々の草や木など食べられるものすべてを喰いつくし, 山をくだり, 野を越え, 海に向かって凄まじい勢いで大移動する。
そして, 海岸の絶壁から海に飛びこんだ彼らは, どこ行くあてもなく, 食料を求めて死にもの狂いで泳ぎ続ける。
そこを通りかかった船が, 通りぬけるのに, 何と
15分もかかったというから, その数はもの凄いものだ。
動物は集団でくらしているが, このように大発生して食べものがなくなると, このような異常行動を起こし, 自ら集団で海に飛びこみ, 自殺を図るのであろうか!?
【参考文献】
『ノンフィクション 地球SOS 大異変がやってくる』【動物の大異変!? レミングの死の突進!!】, 1977年, 監修:日下実男, 文:舟木よしひろ


 

レミングのイラスト画
■サイト:「logmi(“死の行進”で知られるレミング、実は自殺するほど馬鹿ではなかった )」から


【参考サイト】
Wikipedia (レミング)
En. Wikipedia (Lemming)
logmi. jp (“死の行進”で知られるレミング、実は自殺するほど馬鹿ではなかった)
gigazine. net (レミングは 「集団で自殺する」 という迷信はなぜ生まれたのか?)
NATIONAL GEOGRAPHIC (レミングを脅かす温暖化、ノルウェー)
britannica. com (Do Lemmings Really Commit Mass Suicide? )
●レーダーに表示された謎の記号【英国の見えない円盤】
1954年9月, 英国ロンドンのレーダー基地で謎のUFO編隊がキャッチされた。その編隊は, アルファベットと二本の平行線を繰り返し, レーダーに表示した。

英国の 「見えない円盤」 とは,
1954年9月末, ロンドン近郊の7つのレーダーサイトで, 謎のUFO編隊がキャッチされた事件である。
キャッチされたUFO編隊が, レーダー上に40個から50個の輝点として表示され, それが最初は 「ヘアピン」 ないしアルファベットの 「U」 を横にした隊形で表示され, 次にその隊形を二本の平行線, 「=」 へと変化させた。そして最後は, 「Z」 の隊形をとった。
レーダーサイトでのこのUFO現象は, ある一定の期間, 連日
正午に発生した。しかし, 上空を探索した戦闘機からは, 何も発見されず, これらのUFOは不可視とされた。
ロンドンの 『サンデー・ディスパッチ』 紙が,
1954年11月17日にこれを報じ, 「空の奇現象に陸軍省困惑」 と見出しをつけた。そのなかで, 「科学の心得のある者によると, Uはウラニウムの原子シンボルと関連し, イコールサインは世界中で知られている。Zは何か? 誰もがZは英語のアルファベットで最後の, もしくは終わりを表わす文字であることを知っている」 と記した。
高梨純一氏は, この報道を踏まえ, 「U=ウラニウム=原子爆弾, Z=アルファベット最後の文字=(地球の)最後」 であるとした。その上で, 「原子爆弾を使って盛んに競争し合っていると, いまに地球の最後がくるぞ」 という, 当時太平洋核実験が行われていた状況で危惧されていた警告的解釈を行った。

レーダー上のUFO編隊の図
(★ UFO編隊はレーダー上でA, B, Cという順に隊形を変えていった)
『UFOと核兵器』から
【参考文献】
『日本UFO研究史』【第3部/ 国内のUFO研究史;「地球の最後が来るぞ」 と警告的解釈を行った高梨純一】, 2019年, 著:天宮清
『UFOと核兵器』ロバート・ヘイステングス著「UFOと核兵器」の前に;核兵器にまつわるUFO史の概略, 文:天宮清


 

【関連サイト】
NICAP (U=Z Radar Case)
NICAP (Oct / Nov. 1957, United Kingdom, U=Z Cases)
NICAP (U=Z Thread Late Oct. to early Nov., 1954)
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