UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産)

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怪奇・不可思議事件集4
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た ち つ て と
た
●タイタニック号の乗船予約を取り消した実業家(1912年)
1912年にイギリスの巨船タイタニック号は大西洋上で氷山に衝突し沈没した。この船の沈没を, 事前に夢で見た実業家がいた。

1912年4月15日未明
, 不沈を誇った総トン数4万6300余トンの当時世界最大の巨船タイタニック号が, その処女航海において, 大西洋上で氷山に衝突し, 海底のもくずと化したのは, あまりにも有名である。

イギリスの実業家ジョン・オコンナーは,
1912年3月23日に, ニューヨーク行きのタイタニック号の処女航海の乗船キップを一枚予約した。同船には, 英米の著名な実業家・富豪およびその家族が, 多数乗船することになっていた。
ところが, オコンナーは出航の
10日ほど前, とてもいやな夢を見た。巨船タイタニック号がひっくりかえり, 多数の船客や船員たちが救いを求めて, そのまわりを泳いでいるものだった。
彼は, 夢の話を妻や友人たちに話そうかと思ったが, みんなを驚かすまいと思い, とりやめた。ところが, あくる日も同じ夢を見た。いくらか薄気味わるくなってきたが, それでも口外はしなかった。
彼のアメリカ行きは, 商売上のたいせつな仕事だった。それでも, 先方へ電報で問い合わせた結果, あわてて出発するほどのことでもないことが分かったので, オコンナーは, タイタニック号による出発を一応とりやめ, つぎの便にゆずることにした。それは, タイタニック号が出航する
一週間ほど前のことだった。
事情を知らぬ家人や友人たちは, 彼の行為をいぶかった。当時, 世界最大, 不沈を誇る浮かぶ宮殿タイタニック号の処女航海に乗船できるのは, 多くの希望者のなかから, とくに選ばれた者として大きな名誉であり, 誇りですらあったからだ。
「実は, これこれこういうわけで・・・」 とオコンナーは, このときになってはじめて, 夢の話を妻や友人たちに打ち明けた。
「夢ぐらいの事で, 取り止めるなんて・・・・」 友人のなかには, そんなことを言う人もあったが, すでに予約を取り消したあとなので, もうどうすることもできない。

4月10日(水曜日)の正午少しすぎ, タイタニック号は, 盛大な見送りを受けて, サウザンプトン港を出航した。5日後の4月15日の未明のこと, ニューファウンドランド島沖で, タイタニック号は霧のため方向を見失い, 氷山に衝突して, 1513名の尊い人命とともに, 大西洋の海底深く沈んでいった。このとき救助された者は, 死亡者の半数にも満たぬ, 706名にすぎなかった。

実業家オコンナーの夢が, 「正夢」 となって現れたのだ。この夢のために, 彼は命拾いをしたことになったのだ。
彼の夢については, 友人の3人までが, その話は本人から前もって聞いたと証言しており, オコンナー夫人もこれを認めている。また, 彼の手もとには, いまも予約を取り消したときの電報や, 無効になった乗船キップが残っているという。
巨船タイタニック号の処女航海に乗船した人は, 2219名もいる。【その中には, 細野正文(ミュージシャンの細野晴臣は孫)という, たった一人の日本人もおり, 九死に一生を得て助かっている。】
このような多数の乗船者のうちで, タイタニック号の沈没の夢をみたのは, ジョン・オコンナー一人だけなのか?。なぜ, 彼は, そんな夢を見たのだろうか。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『世界の奇跡』【第3章/夢にまつわる奇跡】, 著者:庄司浅水, 1964年


参考外部=>Wikipedia(細野正文
参考外部=>Wikipedia(細野晴臣

 

タイタニック号の沈没時のイメージ画
■サイト:「Wikipedia(タイタニック号沈没事故)」から

【参考外部】
Wikipedia(タイタニック (客船))
Wikipedia(タイタニック号沈没事故)
newstyle.link(タイタニック号の沈没を多数の人々が夢予知していた)
●太陽周辺の怪異(2012年)
2012年, 巨大な真っ黒の球体がチューブのようなものを太陽の中に突っこんでいた。この事件のあと, 太陽のコロナの中に, 二等辺三角形の巨大な暗黒空間が現われた。

2012年3月11日
, 太陽で不思議な物体が観測された。
「UFOの給油」 とも, 「吸血UFO」 とも呼ばれた物体を, インターネットで見ることができた。また, ロシアの国営ラジオ 「ロシアの声」 もこれを報道している(
2012年3月15日 )。
インターネットの映像では, 太陽プラズマを補給しているかのような, 丸い形をした真っ黒な球体が, チューブのようなものを伸ばして, それを太陽の中に突っ込んでいる。物体の大きさは, 地球の10倍, 木星と同じぐらいという巨大なものであった。物体は, 給油を終えたかのようにチューブを引っ込め, 去っていく様子が映っていた。
学者達はこの物体を, "巨大な磁気嵐" と説明し, NASAは 「通常のコロナ放出で温度差によって黒く見えるごくまれな現象」 と述べた。
この物体が現われたあと, 太陽にさらなる異変が起きた。コロナの中に, 二等辺三角形の巨大な暗黒空間が現われたのだ!! この後, 再び黒っぽい丸い物体が2度現われて(計3回), 太陽を離れていった。
【参考文献】
『「矢追純一」に集まる未報道UFO事件の真相まとめ』【第1章/続々と明らかになるUFO情報】2016年, 著者:矢追純一


 

太陽で不思議な物体が目撃された
■サイト:「metabunk.org」から

【参考外部】
超常現象・UFO・常断研究所(★太陽の異常:巨大竜巻?フレアCMEとUFO母船?)
YouTube(Huge Sphere in Sun's Corona!)
metabunk.org (Explained: Giant Black Sphere Hovering Near the Sun [Coronal Prominence Cavity])
science. nasa.gov (Near Miss: The Solar Superstorm of July 2012 )
●高さが2メートルものユリの花を出現させたデスペランス夫人(1890年)
1890年, イギリスの著名な女性霊媒のデスペランス夫人が, この日の降霊会で, 高さが2メートルもある美しいユリの花を出現させた。

1890年6月28日
の降霊会で デスペランス夫人(エリザベス・ホープ) は, 出席者の面前で, 強い芳香を放つ, 高さ約7フィート(2.1m)のゴールデン・リリー(ユリの花の一種)を アポーツ させた。鉢(はち)ごと出現したユリの花には, 花が11輪ついており, そのうち5輪は満開だった。
このときデスペランス夫人にのり移った スピリット・ガイド(支配霊) のヨランダ(Yolanda)は, 出席者たちに, 次のように言った。
「私(ヨランダのこと)が花を非物質化して, もとの世界に返すことができないことを知ると, ユリはひどく狼狽して, 花の姿をしていることができなくなるので, 次の降霊会まで暗い部屋に保管しておいて欲しい。」
7月5日に開かれた夫人の次の降霊会で, 部屋の中央に置かれたユリは, 9時23分までは姿が確認されていたが, 9時30分には, 忽然と消えてしまったという。
ユリが存在していたことを証明するものは, 写真と残された2輪の花だけとなった。
【参考文献】
『X-ZONE(NO.19)』【無から有を生むアポーツ】, 1997年
『スピリチュアル用語辞典』【デスペランス夫人,エリザベート】, 著:春川栖仙, 2009年
『心霊の世界』【第3章/ついに科学者が乗り出す】, 著:ロイ・ステマン, 訳:楠田順, 1977年


 

デスペランス夫人と現われ出たゴールデン・リリー
(★デスペランス夫人と降霊会で突然現われ出たゴールデン・リリー)
■サイト:「haunted ohiobooks. com」から

【参考外部】
haunted ohiobooks.com(Materializing Mediums and Flower Apports)
psychictruth.info (Medium Elizabeth d Esperance)
encyclopedia.com(Apports)
encyclopedia2. thefreedictionary. com (Apports)
●大暗黒日(1780年)
1780年5月19日, アメリカのニューイングランド地方(アメリカ北東部の6州)を中心に, 真昼の明るさから急に暗黒になるという特異な現象が起こった。

アメリカのニューイングランド地方を襲った暗黒
■サイト:「newengland historical society.com」から

人びとは世の終わりがきたのではないかと, 大さわぎになった。世に 「大暗黒日(The Dark Day)」 といわれる天の異変である。
1869年版の 『ウィブスター大辞典』 は, 「暗黒日」 の項で, この日を次のように述べている。
「暗黒は
午前10時ごろからはじまり, その日の夜半までつづいた。そのために人びとは, 数時間も戸外で新聞などを読むことができず, 鳥は姿をかくし, ニワトリは鳥屋(とや)に入り, 家畜は小屋をさがした。学校は正午前に終わりとなり, 農夫たちは仕事にならず, 家路を急いだ。もちろん, この日は日食などではなく, この著しい現象はなにによるのか, さっぱり原因が分からなかった。また, この夜の月は全面血のように赤かった・・・」
【参考文献】
『世界の奇跡』【世にもふしぎな物語;天の異変】1964年,著者:庄司浅水


 

【参考外部】
Wikipedia(ニューイングランド)
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
Hatena: Diary(93不思議な「暗黒日」)
大摩邇(おおまに)(西暦 1780年の早朝、なぜアメリカの空は「真っ暗」になったのか?)
In Deep (旧)(西暦 1780年の早朝、なぜアメリカの空は「真っ暗」になったのか?)
In Deep (「2016年11月に地球が15日間、完全な暗闇に包まれる」と NASA が声明を出した・・・)


【関連サイト検索キー: great dark day in new england in the 1780's
Wikipedia(ニューイングランドの暗黒日)
En.Wikipedia(New England's Dark Day)
bbc.com(What caused the mystery of the Dark Day?)
newengland historical society.com (The New England Dark Day, May 19, 1780)
masshist.org(“Covered with Egyptian Darkness”: New England’s Dark Day of 1780)
wired.com(May 19, 1780: Darkness at Noon Enshrouds New England)
●大停電とUFO(1965年)
1965年11月9日の夕方, アメリカの北東部で3千万人もの人たちが停電により底なしの暗黒に叩き込まれた。

サイト内;関連用語「アメリカ北東部の大停電」参照


アメリカ合衆国で大停電事故が続発した記録的な年は, 同時にUFO活動にとっても未曾有の年だった。
すなわち1965年である。
まず,
9月23日夜, メキシコのクエルナバカ(Cuernavaca)で, 輝く円盤型UFOが市の上空低く滞空するのをたくさんの人々が見守った。UFOが目撃されると同時に, 町中が停電し全電力が消滅した。だが, UFOが姿を消すと, 停電は自動的に回復した。
11月9日夕方にアメリカ北東部を大停電がみまった。ニューヨーク州からメーン州まで, 大部分の地域が文字通り, 無力化したのである。
電力会社は, 通常何千万ドルもかけて, 停電の原因となる障害を阻止するための複雑な装置を取り付けている。そのため, 電力会社の関係者が新聞記者たちに対して, 全くわけがわからないとぼやき続けたのは, こうした認識があったからだ。事故など起こるはずもない。しかし, 大停電は実際に起きてしまったのだ!
数ヵ所の発電所を備えた巨大な電力グリッド(敷設網)に何が起きたのか? 一地域で故障が起きた場合, 負荷を自動的に転移するよう設計された装置はどうしたのか? これらがちゃんと働けば, 機能不全は回避され, 電力はすぐ回復されたはずなのだが・・・
事件後, <インディアナポリス・スター> 紙は, 政府は停電の原因を究明するだけでなく・・・UFOが関与した可能性を見過ごすべきではない, と示唆する社説をただちに掲載した。
インディアナポリス交響楽団の副指揮者であるレナード・パチーニとその妻は, レナードの兄弟である電子工学者のハンバートと建築技師のラモンの二人を訪問するために, インディアナポリス(Indianapolis)からニューヨーク州シラキュース(Syracuse)へ降り立った。兄弟とその細君たちは空港で二人を出迎え, 一行6人は, 自動車で目的地のロチェスター(Rochester)へ向かっていた。
高速道路に入った
午後5時22分には, 西の空はまだかなり明るかった。 レナートは,空にひときわ明るい光があることに気づいた。夕焼けの空にもかかわらず, それははっきりと目についた。そして, 一行の車がハイウェーを走っているとき, 光は急速に降下して, シラキュースの方へ向かった。
数分間眺めていると, やがて光は高度を下げ, 丘陵や家並みの中に見えなくなった。5時30分であった。ちょうどその時, カー・ラジオから, 大停電が起きたとのニュースが流れた。
そのちょうど
1時間ほど前の4時30分のことである。民間機パイロットのジェリー・ホイテーカーとジョージ・クロニンジャーは, ホイテーカーの飛行機に乗って, ペンシルヴァニア州タイディウート(Tidioute)上空にさしかかった。この時, 2機のジェット機に追跡されている二つの輝く円盤物体を目撃した。物体は, 一気に速度を上げジェット機から逃れたという。
シラキュース(Syracuse)市の航空長官代理ロバート・C・ウォルシュは,
停電が起きた時, 同市の繁華街上空1500フィート(約460m)を飛行中だった。ウォルシュは, 非常用電力で動いていた空港管制塔に連絡したが, 何が起きたか, こっちにもわからないと返事が返ってきた。彼はなじみの目印である, WFBLのラジオ放送塔に機首を向けて, 難なく着陸した。
数分後, ウォルシュは滑走路に立って, 友人たちと停電について話し合っていた。 その時, 彼と仲間たちは, 赤々と輝く巨大な光球が回転しながら上空へ舞い上がるのを見た。それは, 空中約100フィート(約30m)の位置で, 直径は約50フィート(約15m)だった。光球は急速に上昇し, そしてだしぬけに消えたのだった。
この光球は, 上空からも観察されていた。訓練飛行中のベテラン飛行技術指導員ウェルドン・ロスと生徒のジェームズ・ブルッキングが, 停電した市街の上空を旋回している時, 赤熱した球のような輝くボール状の物体が, ナイアガラ瀑布(Niagara River and Falls)の発電所に通じる送電線の上にいるのを目撃している。
<シラキュース・ヘラルド・ジャーナル> 紙は, シラキュース(Syracuse)市内及び郊外にいた奇妙な発光物体の報告を, 全部で100件以上も受け取ったという。
NICAPは, シラキュース=ロチェスター地域に住むメンバーの数人が, 新聞が ”火の玉” と呼ぶUFOの報告を調査する任務にあたった。それにより, 先の報告を裏書きすることができたが, UFOと停電自体の結びつきを確証する明確な証拠は一つも見つけることができなかった。
公式的には, 停電はナイアガラ瀑布の4マイル北にあるサー・アダム・ベック第二(Sir Adam Bec #2)発電所のリレー(継電器)の断線によるものとされた。この断線が, アメリカ側の電線を過負荷状態にさせたと言われている。それで過負荷探知器とトリッパー(回避装置)が適切に機能し損なったということなのだ。なぜリレー(継電器)は故障したのか, なぜ過負荷回避装置が作動しなかったのか, という点は説明されぬままになっている。
<セントポール・パイオニア・プレス> 紙や同地区の他の新聞によると,
11月26日の夜, 局地的な停電がミネソタ州セントポール(Saint Paul)市内および周辺で発生した。しかも, 停電が起きた時, 一個かそれ以上のUFOが, 同地域を動き回っていた。二人の目撃者, ニック・デヴァラとマーク・ウィルコックスの頭上をUFOが通り過ぎると, 照明のついたガソリンスタンドが突然真っ暗になった。再び明かりがついたのは, UFOが通過して数秒後のことであった。
12月2日には, テキサス, ニューメキシコの両州とメキシコ(Mexican)にいた約70万の人々が, エルパソ(El Paso)に端を発した停電に見舞われた。原因は, 電圧調整器が故障し, 過負荷が回路に放出され, 過負荷装置がそれを処理するのに失敗したというのだ。全くこんなことが起こりうるのであろうか。
3日後の夜, 12月5日に, またまた大規模な停電がテキサス州東部で発生した。そこでは, 4万世帯が突然,暗闇に放り込まれた。原因は, また例のいまいましい過負荷部品と役立たずの回避装置だった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第11章/闇の中】1988年,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎




<この画像は, ここの怪奇事件とは関係ありません>
<この画像は, ここの怪奇事件とは関係ありません>
■サイト:「syracuse newtimes. com」から

【関連サイト検索キー: northeast blackout of 1965 ufo

Wikipedia(1965年北アメリカ大停電)
En.Wikipedia(Northeast blackout of 1965)
syracusenewtimes. com(Nov. 9, 1965 - Did UFOs Turn the Lights Off?)
UFOs at close sight (The Great Northeast Blackout:)
phantomsandmonsters. com(The Great Northeast Blackout of 1965: Were UFOs Responsible?)
NICAP (On November 9th, ・・・)
ufoinsight.com(The East Coast Power Blackout Of 1965 - Were UFOs To Blame?)

midimagic.sgc- hosting.com(SOLVING THE 1965 NORTHEAST BLACKOUT)
●大流星雨(1833年)
1833年11月13日の朝, 北アメリカ全土に, ものすごい流星雨が発生した。

1833年の流星雨を描いた木版画
(★1833年の流星雨を描いた木版画。Image courtesy of Elsevier/M. Littmann)
■サイト;「natgeo.nikkeibp.co.jp」から

エール大学のオルムステッド教授は, 『エンサイクロペジア・アメリカーナ』 の 「流星」 の項で次のように述べている。
「この朝の流星は, 世界の創始以来, すくなくとも有史以来, もっともすばらしいものであり, これを見た人びとは, その数を吹雪の雪片, または夕方の雨粒に比較したほどである」
また, チャールズ・ヤング教授は 『天文学入門』 のなかで,
「およそ流星雨のうちで,
1833年11月12日夜から翌朝にかけて起こった, しし座流星雨のようにものすごいものは, ほかにその例を見ることはできないであろう。 ある地域では, 1時間に20万個にものぼる流星が見られ, それが5〜6時間もつづいた」 と記している。
【参考文献】
『世界の奇跡』【世にもふしぎな物語;天の異変】1964年,著者:庄司浅水


 

【参考外部】
NATIONAL GEO GRAPHIC (市民科学の始まり, 1833年の流星雨)
コトバンク (流星雨)
流星電波観測国際プロジェクト (しし座流星群(Leonids))
NEWS (「しし座流星群」の流星出現について)
●脱出したジェット戦闘機が消えた?(1953年)
1953年6月23日, オーティス空軍基地からUFO迎撃に向かったF-94Cジェット戦闘機が電気系統故障のためパイロットは脱出したが, 戦闘機と機内のレーダー士官が消滅して行方不明になった

この日の夕方
, UFO迎撃のためオーティス空軍基地(Otis Air Force Base)から発進したF-94Cジェット戦闘機があった。
乗員は, パイロットのキャプテン・サッグス(Captain Suggs)とレーダー士官のバーコフ中尉(Lt. Barkoff)である。しかし, すぐさま戦闘機のすべての電気系統に故障が生じた。同機が搭載している機密電子装置には, "起こり得るはずのない" 故障であった。そして, 二人が皿型のUFOを目撃したとたん, 機は機首を地表に向けて突っ込みはじめたのである。
パイロットのサッグスは, ぎりぎりの瞬間に非常脱出装置を作動させ, 空中に飛び出した。戦闘機はそのままいけば, 人工稠密なボストン市のケープコッド(Cape Cod)地区に墜落するはずだった。
パイロットは, いまにも爆発音が聞こえてくるものと身をかたくしていた。しかし, F-94Cも機上のバーコフ中尉も跡形もなく消え去ってしまったのだ。
問題の地区全域を入念に捜索したにもかかわらず, 何ひとつ発見できなかった。サッグスは, レーダー士官のバーコフ中尉も非常脱出装置を試みたものと思い込んでいた。ところが, 彼はどこにも落下傘で降下していないのだ。
UFOが強力な索引光線で, このジェット機をバーコフ中尉ごとつかまえてしまったのだろうか。
【参考文献・サイト】
『UFOと宇宙(No.72)』【アメリカのUFO研究は分岐点に到達した;文:ダイアン・テスマン, 訳:扇平秋雄】, 1981年
●「NICAP(UFO Report;レイ・ファウラー)」




【参考サイト】
En.Wikipedia(Otis Air National Guard Base)
Wikipedia(F-94 (戦闘機))


【関連サイト】

NICAP(F-94C Disappears During UFO Intercept Mission ? No!)
NICAP(UFO Report)
ち
●地球軌道上にある難破宇宙船(1955年)
1955年12月18月に, 地球軌道上で爆発したと思われる難破宇宙船がある。

1979年5月
, ソビエトの著名な天文学者であり物理学者でもある, セルゲイ・ペトローヴイッチ・ボージック教授が, ソ連通として知られる米国ジャーナリストのヘンリー・グリス(Henry Gris)氏に, 次のように語った。
難破宇宙船の回収を提案するボージック教授
(★難破宇宙船の回収作戦を提案するボージック教授)

この地球のまわりを, 難破した異星からの宇宙船が軌道に乗って回っており, そこには死んだ異星の乗組員がいることだろう。われわれは, その宇宙船を探し出して, 調査すべきである。
1955年12月18日に, 地球を探査中の異星の宇宙船が故障をおこし, 宇宙船としての機能を失って, ついに爆発をしてしまった。宇宙船は, それぞれの直径が30メートルもある2つに裂け, その際, 8個の部分が本体からとび出し, 全部で10個となり, その高度で軌道に乗り, 遠地点がおよそ1,000キロメートルの円軌道をえがいて, 地球のまわりを回りつずけている。
この爆発の現象は, ソビエトと西欧で観察され記録された。しかし天文学者たちは, これを自然現象の一つとみて深く追求することはなかった。
1960年代の後半には, 地球の空は人工衛星で混み合いはじめ, ソビエトが打ち上げた衛星だけでも600個を超えていた。このような状況のなかで, 衛星追跡ステーションは, 爆発した宇宙船の破片を確認しており, 場所もつきとめていた。
天文学者たちは, その2つの大きな部分と8つの小部分が, 地球を回る軌道に共通の性質があることを発見し, その軌道をたどりもどして, それらは
1955年12月18日に一点に収斂されることがわかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.52)』【「米ソ共同の宇宙サルベージ大作戦」, 文:ヘンリー・グリス, 訳:蒔田圭介】, 1979年


 

【参考外部】
Open Minds (Russian Cosmonauts’ UFO sightings and statements)
●地球の時間(タイム・サイクル)について質問したUFO乗員
1966年11月, UFOの乗員が, 目撃していた女性にのり移つり, 地球の時間(タイム・サイクル)について質問をした。

1966年11月
, ミネソタ州オワトナ(Owatonna)郊外で, ミセス・ラルフ・バトラー(Mrs. Ralph Butler)とその友人の二人の女性が, ほとんど毎晩のごとく空中を舞って点滅するいくつもの光(二人が小さなフラッシャー(little flashers)と呼んでいた)を眺めていた。
突然, 物体の一つが急降下し, 二人が立っている畑のずっと向こうの端で, 地上2,3フィート(約1m)のところを前後に揺れながら宙を舞った。物体の縁の周りで色のついた光が明滅していた。
突然, 友人の女性が, トランス状態 に入ったようにぼうっとしてくずれおち, 膝をついた。バトラーが手を差しのべたが, 彼女は身動きもせず, 頭をうなだれていた。すると, 妙な, かた苦しい金属的な声が, 彼女の唇から間欠的に出てきた。
「あなた方の・・・タイム・・・サイクルは・・・どう・・・なって・・・いますか?」
ミセス・バトラーは, 驚きから立ち直って, 懸命に分, 時間, 日のかぞえ方を説明した。
「一日は・・・何時間・・・ですか, ・・・夜は・・・何時間・・・ですか?」 その声はつづけた。
「一日はだいたい24時間, ・・・夜は12時間」 バトラーが答えた。さらに, 2,3の何ということもない質問があってから, 友人の女性はトランス状態から脱した。
「まあ, すんでよかったわ」 彼女は, ただそれしか言わなかった。
物体は, 急速に上昇していった。自分たちは, ある信じられないテレパシーの手段によって, 空飛ぶ円盤とコミニュケートしたのだと信じ, 二人とも, 当然ながら興奮した。
しかし, あとで彼女たちは, その出来事を他人に話そうとすると, 突然, 目がくらむような頭痛をおぼえることに気づいた。
【参考文献】(下記より引用)
『UFO超地球人説』【第10章/ 「あなた方のタイム・サイクルは?」】, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平, 1976年


 

【サイト検索キー: Owatonna Minnesota, November 1966 UFO
mnlegendhunters. wordpress. com(“How I Wonder What You Are” or “Pass the Jello, Please”)
albertlea. com(Men In Black and Owatonna)
thinkaboutit docs.com(1966: November UFO & Alien Sightings)
intcat.blogspot. com(INTCAT 1966 JUL/DEC)
genderi.org(Albert Rosales humanoid sighting reports 1000-2007)
●中世〜近世イタリアのUFO情報(1608年)
1608年8月, 地中海(ジェノヴァ共和国の港町(現イタリア・ジェノヴァ))の沖に異様な生物が現われ, 軍隊が招集された。

この年の8月初旬, 現イタリアの港町ジェノヴァ(Genoa)の沖に, 「人間の姿をしているが, 腕は鱗(うろこ)で覆われ, 手には腕に巻きつく恐ろしい空飛ぶ蛇(へび)を握った」 生き物が現われた。
それは, 1匹ではなく, 女のような顔をしたものもいれば, 竜のような頭を持つものもいた。彼らは, 凄まじい叫び声を上げながら, 海を出たり入ったりしていたという。
あまりの恐ろしさに, 軍隊が緊急招集され, 大砲を800発も放ったが, まったく効果はなかった。
同じ月の15日, 謎の生き物は, 今度は 「6匹の燃え上がる竜に似た姿のもの」 に牽(ひ)かれた3台の馬車を伴って, 再び現れた。彼らは前回と同じように, 散々わめき散らしたあげく, 最後は海の中へと消えていった。
事件の直後, この地方一帯から現フランスのプロヴァンスにいたるまで, 血の雨が降った・・・・・・。
これらの衝撃的な話は, 南仏ニース(Nice)の公文書館所蔵の歴史年代記に書かれている史実と報告されているのだ。
【参考文献】
『週刊 世界百不思議(No.1)』【UFOvs.地球軍。中世ジェノバで大戦争】2009年


ジェノヴァの沖合に, 三隻の不思議な船が忽然と現われた。目撃した人たちの話によると, 完全な円形の浮揚する馬車のようなもので, 「竜の歯に似た」 長い焔の線を背光のように背負っていた。
人々は, 大いに驚き怖れたらしく, ショックのため数名の死者まで出る始末であった。
翌8月16日, ジェノヴァの大聖堂では, 司教が厳かに 「テ・デウム」 を唱えて, 厄払いをしなければならなかった。
【参考文献】
『西洋歴史奇譚』【昔の空飛ぶ円盤,文:ルイ・ポオーウェル,訳:有田忠郎】1982年


 

地中海の沖に現われた異様な生物のイメージ画
■サイト:「thelivingmoon.com(Pegasus Research Consortium The UFO Files)から

【サイト検索キー: UFO Battle, Genoa, 1608
earth- chronicles. com (Alien invasion 1608)
Pegasus Research Consortium The UFO Files (France - UFOs in History August 1608)
ATS (UFO Battle South France, from Marseilles to Genoa, 1608)
Think About It - REAL (1600 - 1649 UFO & Alien Sightings)
Think About It - REAL (1608: Genoa, Italy's USO Battle)
The Project Avalon Forum (1608 UFO Battle?)
●中世〜近世スイスのUFO情報(1578年)
1578年12月21日, スイス・ジュネーブ上空に大きな星のような謎の物体が現われた。

この日の真昼だった。ジュネーヴ(Geneva)上空に月ほどの大きさの 「星」 が一つ姿を現わし, 猛スピードで動いていった。それは, 後ろに 「多量の火」 の跡を曳いていた。
1579年, パリの書店ジャン・ピナール(Jean Pinart)から刊行された書物にのっている目撃者談によれば, この 「星」 は煙のような3本の大きな弧をあとに残し, ジュネーヴ郊外の畑がかなり焼き払われたということである。
【参考文献】
『西洋歴史奇譚』【昔の空飛ぶ円盤,文:ルイ・ポオーウェル,訳:有田忠郎】1982年


 

【参考外部】
Splatter (UFOs in History)
Think About It - REAL(1570 - 1599 UFO & Alien Sightings)
●中世〜近世ドイツのUFO情報(1561年)
1561年4月14日の明け方, ドイツ・ニュルンベルクの上空に, 多数の謎の物体が現れた。

この日の明け方, ニュルンベルク(Nuremberg)の上空に, 数え切れないほどの球形や円盤状, 巨大な鎌や槍のような形の物体が現われ, 激しく飛び交ったという。
1時間ほどして, 物体はどこかに落ちていくように消えていったらしく, UFO同士の戦いだったとも評されている。
16世紀の版画家ハンス・グラーザー(Hans Glaser)が, 当時の様子を木版画に残しているが, 画面の右下の丘の上からは噴煙が上がっており, 物体がここに墜落した可能性もある。
ただ, 物体の出現は, 何らかの光の反射によるもので, 巨大な槍とは明け方の流れ星を指すとも指摘されている。
一方で, こうした自然現象が同時に起きることは珍しいとの見方もある。
【参考文献】
『ヒトラーとUFO』【第2章/UFOを追え】2018年,著者:篠田航一


 

1561年のニュルンベルク上空の怪奇な天文現象
サイト:「Wikipedia(1561年のニュルンベルク上空の天文現象)」から

【参考外部】
UFO事件簿 (1561年ニュルンベルクのUFO現象!?)
Wikipedia (1561年のニュルンベルク上空の天文現象)
En. Wikipedia (1561 celestial phenomenon over Nuremberg)
YouTube (THE AMAZING UFO BATTLE OVER NUREMBERG GERMANY 1561 HD)
You Tube (14th April 1561:The Nuremberg Celestial Phenomenon)
ATS (UFO Battle South France, from Marseilles to Genoa, 1608)
montreal paranormal. com (Basel UFO Battle site, Basel, Switzerland)
THE LOCAL ('Fakes' and woodcuts- Germany's top UFOs)
●中世〜近世ドイツのUFO情報(1665年)
1665年4月8日, ドイツのバルト海沿いの港町シュトラールズント(Stralsund)で, 多くの漁師たちが謎の物体を目撃した。

この日の午後2時ごろ, 鳥の大群が北の方角から海にやって来たかと思うと, それは戦艦だった。
中空に浮かぶ戦艦に漁師たちは度肝を抜かれたが, この船団は
何時間も空中で闘っていたという。
男性がかぶる帽子のような巨大な円盤も飛来し, 聖ニコライ協会(Church of St. Nicolai)の真上に,
夕方まで浮かんでいた。
この円盤は明け方の月のようなオレンジ色だったという。漁師たちは震えが止まらず, 体調不良を訴える者も続出したらしい。
【参考文献】
『ヒトラーとUFO』【第2章/ UFOを追え】2018年, 著者:篠田航一

 

港町シュトラールズントに現われた異様な物体のイメージ画
■サイト:「Jason Colavito」から

【参考外部】

Ancient Origins (In 1665,Many Said They Saw a UFO Battle and Fell Sick Afterward)
THE EPOCH TIMES (In 1665, Many Said They Saw a UFO Battle and Fell Sick)
Jason Colavito (Did UFOs Buzz Stralsund on April 8, 1665?)
●中世〜近世フランスのUFO情報(1579年)
1579年1月23日, セーヌ河沿いのエソースという町の上空に, 円形の巨大な竜が現われた。

この日の夕方の6時か7時頃, セーヌ河(Seine River)沿いのエソーヌ(Essone)という町の上空に, 円形の巨大な竜が現われて, 盛んに火を吐いた。それは, 河伝いに走り, まるで稲妻を投げているように見えた。
そして, 河水がにわかに溢れたので, 食糧運搬の舟が何艘も沈没した。むろん, 嵐も地震もなかったのである。
そのあと, 竜は急旋回して姿を消し, 見えなくなった・・・・・。』
これは, ジャン・ピナール(Jean Pinart)出版の 『異象と奇蹟をめぐる驚異譚』 によるものである。

【参考文献】
『西洋歴史奇譚』【昔の空飛ぶ円盤, 文:ルイ・ポオーウェル, 訳:有田忠郎】1982年


 

【参考外部】
Splatter (UFOs in History)
●中世〜近世フランスのUFO情報(1609年)
1609年1月, フランス・アンジェの町の上空で, たくさんの光の矢が空を走り, 町中の人を驚かせた。

アンジェ(Angers)の町の上空で, 「燃えさかる薊(あざみ)のような」 たくさんの光の矢が空を走り, 町中の人々が道に飛び出してそれを見上げた。
物体は, 青と赤の巨大な輝きに包まれていたという。
数分間, ゆっくりと動いたあと, 光はサン・モーリス(Saint Maurice)教会とサン・ピエール(Saint Pierre)教会の上空に集まった。
住民たちは驚き怖れ, これらの物体に町が急襲されても教会なら安全だろうと考えて, 教会内に殺到した。

【参考文献】
『西洋歴史奇譚』【昔の空飛ぶ円盤, 文:ルイ・ポオーウェル, 訳:有田忠郎】1982年


 

【参考外部】
reddit. com (UFOs of Antiquity - The Wave of France 1600s & UFOs in Coins (Art))
Splatter (UFOs in History)
●中世〜近世フランスのUFO情報(1621年)
1621年10月12日, フランス・リヨンの町の住人たちは, 上空に奇妙な物体を目撃した。

この日の夜の8時頃, 下弦の月がかかっている空の東の方が明るくなりはじめた。およそ1時間半ほど, まるでよく晴れた夏の朝のように空が澄み渡った。リヨン(Lyon)の町の住民たちは大いに驚き, 空を見上げていると, 空中に何か妙な物体が現われたことに気がついた。それは, どう見ても鳥や何かではなかった。
ベルクール(Bellecour)広場の真上に, 巨大な山のようなものが姿を見せた。その上部には, 円形の城館の形をしたものがあり, そこから閃光がぱっぱっと空中に放たれた。この物体は, ポートデュローヌ(Port du Rhone)地区全体とサン・ミシェル(Saint-Michel)とソーヌ河(Saone River)の区域全体を覆っているように見えた。
また
同じ日, テロー(Terreaux)広場の方では, 400人以上の人々が, 煌々と輝くまるい星が閃光に包まれながら走って行くのを目撃した。
同じ頃, ニーム(Nimes)の町でも, とりわけ翌13日の夜10時頃だったが, 古代円形劇場の遺跡の真上に, 光り輝く太陽のような物体が現われた。それは, 光の焔に囲まれながら, マーニュ(Magne)塔と呼ばれるローマ時代の塔のほうへ, まっすぐ動いて行くかに見えた。町の住民は, みな仰天した。
モンペリエ(Montpellier)の町では,
夜の10時から午前3時にかけて, 盛んに輝く星のようなものが家々の上を移動し, 火の矢を放った。人々はみな外に飛び出し, 口をあんぐりあけて見上げた。
【参考文献】
『西洋歴史奇譚』【昔の空飛ぶ円盤, 文:ルイ・ポオーウェル, 訳:有田忠郎】1982年


 

【参考外部】
Splatter (UFOs in History)
reddit. com (UFOs of Antiquity - The Wave of France 1600s & UFOs in Coins (Art))
Think About It - REAL (1600 - 1649 UFO & Alien Sightings)
つ
●墜落した円盤に出くわしたアンダーソン一家
1947年7月に, ジェラルド・アンダーソン(当時5歳)とその一家は, UFOが墜落している現場(ニューメキシコ州サン・オーガスティン平原近くのホース・スプリングスというところ)に出くわした。

「もう一つのロズウェル事件」 をご存じだろうか。それは, ロズウェル事件(1947年7月発生) とほぼ同じタイミングで発生した, UFO墜落事件である。

【詳細は】
■(サイト内)=>UFO事件集(もう一つのロズウェル事件)


墜落した場所は, サン・オーガスティン平原にあるホース・スプリングスという地域で, それはマグダレナから西に88キロ, コロナ(ロズウェル事件でUFOが墜落したといわれる場所)からは235キロも西にあたるところである。
その墜落現場に, 偶然にも最初に出くわした人物が ジェラルド・アンダーソン(当時5歳)とその一家である。それは, ジェラルドを含む5人(父のグレン・アンダーソン・シニアと兄のグレン・アンダーソン・ジュニアと叔父(おじ)のテッドとその息子のビクター)であった。
彼らは, 以前, 叔父が狩りにいって見つけたというプランズ・オブ・サンオーガスタの廃鉱に向かっていた。兄が地質学に非常に興味をもっていたからだ。
それは, 1947年7月3日か5日のどちらかの日であったという。
ジェラルド・アンダーソンの驚異のUFO体験

以下は, ジェラルドとアンダーソン一家の驚異の体験が, 矢追純一氏 の著書 『生きた宇宙人がつかまった』 の中に, 非常にリアルに書かれているので, 抜粋引用してみよう。なお, これは事件から
44年後のジェラルド・アンダーソンに, 矢追氏がインタビューした内容から構成されている。

朝の10時45分か11時ころだった。あぜ道のようなところをすすんで車を止めて, 5分くらい歩いてゆくと, 飛行機事故の現場のようなものが見えた。
父が丘の上から, こっちに登ってくるなとどなった。何とそこには大きな銀の円盤が, 丘の横に突き刺さっていた。それは, オリンピック競技で使う円盤をそのまま大きくしたような形で, 銀色をしていた。円盤は, 一度地面に着地して弾んだ後, 丘に突き刺さったような痕跡がはっきりと残っていた。折れた木が近辺に横たわっていて, 円盤はすべりこんできた感じで, 大きな丸石があった。地面には焼けただれた跡があり, 円盤の中からは模型に使う接着剤のセメダインのような臭いがただよっていた。
墜落している円盤の表面はなめらかで, 継ぎ目がなかった。さわってみると, 氷のように冷たかった。表面の一部は黒く焼けていて, 亀裂があり, なにか硬い物質が衝突したために壊れたように, 周囲がギザギザに避けた大きな穴がぽっかり開いていた。
従兄弟(いとこ)のビクターが, その裂け目から中に入ろうとしたが, 大人たちに止められた。当時5歳だった幼いアンダーソン少年は, UFOの内部をかいま見ることができた。緑, 黄, 赤, 青, 白など, いくつかの色がサイクルしながら光っていて, 箱のような真黒な装置が規則正しく並んでいた。それぞれコードでつながっていたが, コードが切れていて, その先端にひも状のものが出て, 火花が散っているものもあった。(それは, 後にジェラルドがコンピュータや電話回線の研究所で働いていたときに見たファイバーケーブルの光と同じで, 火花が散っていたのではなく, ファイバーケーブルの先が光っていたのだろうという)
しかし, 円盤の中をのぞく余裕ができたのは, 墜落現場に到着してしばらくたってからで, 現場に駆けつけたジェラルドの目を引きつけたものは, 見たこともない奇妙な生物の姿だった。円盤の突き刺さった丘の下に, 三体の体が横になっていて, そばにひとりが座っていた。最初, みんなが走りよると, それは一瞬, 身がまえたようだった。
その生物は, 最初プラスチック人形のように見えたが, そうではなかった。座っていた1体は動いていて, 父と叔父を交互に見つめていた。
生物の皮膚の色は表現しにくいものだが, 灰色がかった青色で, 横たわっていたほうが青味がましていた。
体毛はなく頭髪もない。頭部はティアドロップ(しずく)型で大きく, すこし釣りあがった信じられないほどまっ黒い目がある。口はほとんどなく, 小さく開いた穴程度で, 鼻はないにひとしい。耳もなく, まん中に穴のあるふくらみがわずかにあった。体は子供のように小さく, やせている。手の指は3本で, とくに真ん中の指がとても細長かった。
ジェラルドは, こわごわ地面に横たわっているひとつに触れてみた。それは, 人形などではなく, たしかに死んでいる生物だった。瞬間, ジェラルドは, 身体中の毛が逆立った。怖くなりあわてて父のうしろに隠れたことをはっきり覚えているという。
父と叔父は近づいて, 彼とコミュニケートしようと試みた。スペイン人を妻にもつ叔父が, 最初スペイン語で話しかけたが, つうじなかった。もちろん, 父の英語もだめで, その生物は, ひじょうに困惑している様子だった。
そして不思議なことが起こった。ジェラルド少年は, その奇妙な生物の "困惑" を自分の胸の中に直接受けとったのだ。
「父と叔父のあいだからそれを見ていたら, 突然, それが私のほうを向いた。そのとたんだった。私の頭の中に, 彼が入りこんできたような感覚に襲われたんだ。見知らぬ土地に不時着したことへの, とてつもない孤独感と恐怖, そして, 突然の墜落による挫折感が, 私の頭の中をウズ巻いた。それは, これまで感じたことがないくらい強いもので, 自己コントロールを失ってしまう感じさえあった。そのときはわからなかったが, あとで催眠術などでふり返ると, どうやら, 墜落の光景を円盤の中から見ていたようだ。なぜ2体が死に, 1体が傷を負っているか, 理由もわかったんだ。いま, 考えると, 先入観のない無邪気な子供だった私を選んで, 彼は何かを伝えようとしていたのではないだろうか。子供だったから, メッセージの意味ははっきり理解できなかったが, 彼は自分の身の上になにが起こったのかを, 私に知らせたかったのだと思う」
が, やがてアンダーソン一家は, 到着した軍によって追いはらわれてしまったという。
1台のピックアップトラックから, 赤毛の大尉と黒人の軍曹が, 「そこから離れろ, なにもさわるな」 と叫びながら降りてきた。ついで, 無線機を積んだ車, 兵士を大勢乗せたトラックがやってきて, あたりはたちまち兵隊だらけになった。彼らは5歳のジェラルドにも銃をつきつけ, 「これは秘密の飛行機だからどいてろ」 とどなった。
アンダーソン一家を囲んで, 銃でおどす兵士たちに腹を立てた叔父は, ひとりの兵士をなぐってしまった。そのとたん, 兵士たちは父と叔父をとり囲んで 「もし, 自分の子供を失いたくないなら, なにもいうな。いえば, 刑務所から一生出られなくなるぞ」 とおどした後, 軍のジープに5人を強制的に乗せて, 一家が車を止めていた場所まで連行していった。舗装されていないハイウェイまで彼らはついてきて, 「このままずっといくんだ。ふり返るな。今日のことを誰かにしゃべると, 二度と陽の目を見られなくしてやる」 ともう一度, 脅迫した。
【参考文献】
『生きた宇宙人がつかまった』【第2章/ ロズウェルにはUFOがもう一機墜落していた】, 著者:矢追純一, 1991年


 

●ツングース謎の大爆発(1908年)
1908年6月30日に帝政ロシア時代のシベリア, ツングース地方のツングースカ流域の空中で謎の大爆発が起こった。広島・長崎に落とされた原爆エネルギーの1,000倍以上に匹敵するとされている。

隕石の落下跡を探すクーリック博士のイメージ画
(★隕石の落下跡を探すクーリック博士;イラスト:池田雅行
『UFOと宇宙』(No.12) から

この大爆発に関する最大の謎は, 爆発直前に住民たちが目撃した輝く物体が, 直線状に飛行したのではなくて, コースを変えたという点にある
巨大な発光体は, まず南から北へ飛んだ。これは飛行中に記録された地震や電気的な変化などから計算して, アトポビッチ(Astapovich)教授が出したもので, この他にも住民の証言などもとり入れた。また, 多数の木クギを使用してミニチュアの爆発実験を行ったゾトキン(Zotkin)とチスクリン(Tsikulin)の説も, 物体が南から侵入して東へコースを変えたことを認めている。
物体は大気圏内に突入してから, ケシュマまでを北上し, プレアスブラジェンカ付近で急に東へ方向を変えた。
これと同じ発光体と思われる物は,
6月30日にポーランドのタトランカス天文台の一天文学者により目撃されているが, これもポーランドの上空で, 突然コースを変えたという。
これは, 何を意味するか。おそらく知的生物により操縦されていたか, または遠隔操縦されていた大気圏外の物体ではなかったか!

【参考文献】
『7つの謎と奇跡』【シベリア謎の大爆発】1981年,著者:久保田八郎


1908年6月30日の午前7時17分, 正体不明の飛行物体の爆発のために, 1,200平方マイル(1,200マイル=約1,900km)の森林がめちゃめちゃにされ, 数知れない人々が死亡し, 数百頭のトナカイも死んだのだが, その爆発の跡はどこにも発見されていないのである。そのときの衝撃波は, 地球を完全に2周しているということである。
最初は, 隕石が地球にぶつかったのだろうと考えられていたが, いくら調査してもクレーターも隕石のかけらも発見できなかったのである。
後に目撃者の証言から, フェリックス・ジーゲル博士(ソビエト天文学者;当時47歳) が想像したところによれば, 物体は中央シベリア地区上空を飛行し, イルクーツク(Irkutsk)の175マイル東方で地球の大気圏に突入,そしてケツマの500マイル北方までまっすぐ飛行し, さらに200マイル, プレオブラヘンカまで東に飛行し, 次に西に引き返して消えてしまっている。そして, 爆発する前に, さらに約200マイル飛行している。
爆発のあと, その地区の住民と家畜の多くが, 不思議なヤケドをしているが, 放射能による病気のことなど何も知らない,その地区の医師は, 何とも不思議な症状を目の前にしたのである。爆発の起きたツングースカ河畔の人々は, 特にひどかった。
患者の多くは, 爆発が 「火のようなつむじ風」 のようなもので, 「大量の熱」 を浴びたことを証言している。
「隕石や, その他の飛行物体は, その飛行方向を変化させないことが知られている。しかし, ツングースカでは, 3,000mphものスピードで飛行した物体は, 確かに操縦されているように, 荒々しく飛行方向を変えている・・・」 と, ジーゲル博士は指摘している。
また, 正体不明の爆発は, 10メガトンの原子爆弾に匹敵するようなエネルギーを出していると考え, ぐるぐると渦巻く風が, 中央に吹き込み, これは第二次世界大戦のとき, 日本の広島で原子爆弾が爆発したときのつむじ風に似たものであるという。
原子爆発によるエネルギーは, その地区のすべての生物の細胞に異常を起こさせており, ツングースカ河の爆発地区で, その地区の木や野菜の生育が
1908年以来, 異常にはやいことが発見されているという。
【参考文献】
『不思議な出来事』【「宇宙船」爆発の謎】1978年, 著:エミール・シューマッヒャー, 訳:中隅佑子


 

【参考外部】
Wikipedia (ツングースカ大爆発
YouTube (隕石衝突,その破壊力)
WIRED (「ツングースカ大爆発」の原因、解明される)
BUSHOO! JAPAN (武将ジャパン) (100年以上謎だったロシアのツングースカ大爆発! やっぱり原因は隕石でした)
GigaZiNE (「ツングースカ大爆発」の原因となった隕石についての新研究)
Ameba (宇宙人は、ツングースカ大爆発の時に滅亡の危機から人類を救った!? (1))

【関連サイト検索キー: tunguska explosion of 1908
En. Wikipedia (Tunguska event)
EarthSky (Today in science: Tunguska explosion)
ThoughtCo.(The Tunguska Event)
PSI (1908 SIBERIA EXPLOSION)
て
●テリー・サヴァラスの不気味な体験(1957年)
性格俳優であるテリー・サヴァラスが, 若い頃体験した黒いキャディラックにまつわる無気味な話。

俳優のテリー・サヴァラス
(★テリー・サヴァラス)
■サイト:「foundagrave.com」から

日本では, TVドラマ 『刑事コジャック』 役で有名なアメリカの俳優, テリー・サヴァラス(Telly Savalas)が, ハリウッド記者のディック・クレーナーに, 黒いキャディラックにまつわる不気味な話をしたことがある。
それは, サヴァラスがまだ若くて, 素寒貧(すかんぴん;一文無しの事)だったころのことで, ロング・アイランドの田舎道を自動車で走っていいると, ガソリンが切れてしまった。
午前3時ごろのことである。仕方なく歩きはじめると, どこからともなく一台の黒いキャディラックがあらわれ, 運転している男が, サヴァラスを乗せてやるといった。
その男は, 白一色の服を身に着けて, なにかさわやかな気分を匂わせたが, 口をほとんどきいてくれなかった。車の中で男は, これでガソリンを買えと1ドル渡してくれた。サヴァラスは, 後で返却しに行くのに必要だから名前と住所を書いてもらった。まもなく, ガソリンスタンドを見つけサヴァラスがガソリンを一缶買うと, 彼を乗せてガソリンの切れた車まで戻ってくれた。
途中男は, サヴァラスに 「ハリー・アグニスを知っているよ」 と突然言った。「ハリー・アグニスとは誰のことか」 とサヴァラスが聞くと, 男は 「ボストン・レッド・ソックスの内野手さ」 と答えて, 以後黙ってしまった。
サヴァラスがガソリンを入れるあいだ待っていた男は, いきなりサヴァラスをトンと突いて驚かし, 素早く車(キャディラック)に乗り込んで行ってしまった。
翌朝, サヴァラスは新聞を見て仰天した。なんと, ハリー・アグニスの急死が, デカデカと報じられていたのだ。
サヴァラスは,
昨日, 白服の男が書いてくれた番号に電話をかけた。マサチューセッツの番号で, 女の声が答えた。ビル(男が書いた名前)に話したい旨を述べると, 一瞬沈黙が流れて別の女が電話口に出た。
昨夜, ビルって方にお目にかかりまして, ・・・お耳に入れたいこともありまして, それで−」 とサヴァラスが話しはじめると, 「ビルに昨夜会ったんですって?」 と話を遮ると同時に, 彼女はワッと泣き出した。そして, 彼女が話すことには, ビルは彼女の夫だが3年前に死んでしまったというのだ。
サヴァラスは後日, 彼女にニューヨークで会うことにした。会っての話では, 彼女の夫は白服姿で埋葬されたという。彼女が受け取った最後の手紙を見せられたサヴァラスは愕然とした。なんとその手紙の筆跡は, キャディラックを運転していた男が紙片に書き残した筆跡と, まぎれもなく同一のものだった。
【参考文献】
『失われた惑星文明』【第2部/疑似人類の暗躍】, 1975年, 著:ジョン・A・キール, 訳:北村十四彦


 

【参考外部】
Wikipedia (テリー・サバラス)
Active Personal Development (Ghosts-Telly's Mystery Alt: Ghosts-Telly Savalas Mystery)
YouTube (Telly Savalas' Ghost Story)
Magician David Fox and the Super natural (Telly Savalas's Ghostly Encounter ・・・)
と
●トンプソン・ギフォード心霊事件(1906年)
亡くなったニューイングランドの風景画家ロバート・スウェイン・ギフォードのスタイルで、ニューヨーク市の金細工職人であったフレデリック・L・トンプソンが、絵を描くようになった事件。

1907年1月, ニューヨーク市の金細工職人のフレデリック・L・トンプソン(Frederick L. Thompson)は, コロンビア大学の倫理と論理の元教授で現在は心理学と心霊研究に専念している ジェームズ・ヒスロップ(James Hervey Hyslop) に, 自分の異常な心理状態について助けを求めた。
トンプソンは, 「
約18か月前に, 突然, 不可解にも, スケッチをして絵を描きたいという衝動に駆られた」 と説明を始めた。
*
ニューイングランドの有名な風景画家ロバート・スウェイン・ギフォード(Robert Swain Gifford)とトンプソンの関係は, トンプソンがある夏, マサチューセッツ州ニューベッドフォード(New Bedford)の沼地で狩りをしているときに, スケッチをしているギフォードに出会ったことと, 1898年にティファニーグラスカンパニー(Tiffany Glass Company)への仕事上での推薦を依頼するためにギフォードに連絡を取ったことだけで, 2人には, ほとんど個人的な関係はなく, 友人などでもなかった。
トンプソンは, 1900年にニューヨークに移り, 金細工職人として暮らした。彼は, ギフォードが 1905年1月15日に亡くなったことなど知ることもなかった。
*
その年(1905年)の夏の終わりから秋にかけて, トンプソンは急に絵を描きたいという衝動に駆られた。
その衝動には, 有名な風景画家であるギフォードが関連付けた木々や風景の 「幻覚またはビジョン」 が伴った。トンプソンは, 自分の心が一瞬, ギフォードに乗っ取られたのではないかと感じるほどのものであった。
*
1906年1月, トンプソンは, ニューヨーク市のアメリカンアートギャラリー(American Art Galleries)でのギフォードの絵画の展示会の宣伝を見て, それを見に行った。この時, 彼はギフォードが亡くなっていたことを初めて知ったのである。
展示会でギフォードの絵に魅了されたトンプソンの耳元に不思議な声がささやいた。「私の仕事を引き継いで, 終わらせることはできませんか? 」 トンプソンは, これをどう解釈したらよいか, わからなかったが, 絵を描きたいという衝動は激しさを増していった。
*
彼は油絵を描いた経験が無かったが, 筆を取ると, ギフォードの霊が憑依あるいは感応したかのように, 筆が動き, ギフォード流の絵を描いた。これにより, トンプソンは, 自分の本来の金細工職人としての仕事ができなくなるほであった。
彼は, ギフォードの家のあたりの風景をありありと見るようなことがあり, また絵を描いている時には, 自分がギフォードであるかのような錯覚に陥ることもあったという。
*
翌年(1907年), トンプソンは, 妻以外にはギフォードとのつながりを隠したまま, 芸術的メリットの十分ある絵画を数多く制作し, それらを販売することができたのだった。
トンプソンがその絵の1つを美術愛好家に見せたとき, ギフォードの影響については言わなかったが, その美術愛好家は, その絵がギフォードの作品に似ていると言ったのである。
【参考サイト・文献】
「occult-world.com(Thompson-Gifford Case)」
「psi-encyclopedia.spr.ac.uk(Thompson Gifford Case)」
『スピリチュアル用語辞典』【トンプソンの事例】, 著:春川栖仙, 2009年


参考外部=>En.Wikipedia( Robert Swain Gifford

 

ギフォードの絵画
(★ギフォードの絵画「Trees and Meadow」(1885年頃);ブルックリン美術館)
■サイト:「En.Wikipedia(Robert Swain Gifford)」から

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