UFO事件レガシー (UFO・ミステリー事件遺産) 4

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怪奇・不可思議事件集7
(ま〜も)

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ま み む め も
ま
●魔女にされたジャンヌ・ダルク
「100年戦争」の最中, 美少女ジャンヌ・ダルクは救世主として現われ, イギリスの大軍をオルレアンから撤退させた。しかし, 1430年にイギリス軍に捕われた彼女は, キリスト教の異端裁判にかけられ, 魔女として処刑された。

ジャンヌ・ダルクは, フランスの救世主だった。
1429年, 18歳のジャンヌは, 神のお告げを受けたという。大天使ミカエルや聖カタリーナ, 聖マルガレーテが彼女の前にあらわれ, 「いまこそ祖国の危機を救え!!」 と叱咤したという。
イギリス軍の圧倒的な攻撃のなかで, ロアール河中流の都市オレルアンは, 没落寸前であった。しかし, 甲冑で身をかためたジャンヌが人々の先頭に立つと, その勇敢な姿に人々は感動し, 総反撃に転じたのだった。
そして, 奇跡が起こった。少数の軍勢で, イギリスの大軍を撤退させてしまったのである。そこからフランスは勝利へと戦況を転じていった。しかし,
1430年, パリに近いコンピェーニュの戦いで, この地がイギリス軍の手におち, ジャンヌも捕われの身となった。
ジャンヌは牢獄に運ばれず, ルーエンの城へ閉じこめられた。そこには, 宗教裁判官の数々の尋問がまちうけていた。ジャンヌに対する異端者質問が行われたのである。なぜなら, このオルレアンの少女を, フランスの救世主としてはならず, 誰もがにくみ, きらう異端者たる魔女として抹殺したかったからだ。
1431年5月30日。ジャンヌは教会から追放の処分をうけ, イギリス軍の手で火あぶりにされた。火あぶりは, ゆっくりと実行される, もっとも残忍な処刑方である。,
「わたしは予言する。フランスの土地で死んだイギリス人をのぞいて, いずれ, すべてのイギリス人が, フランスの土地からのぞかれるでしょう。その日のくることが, わたしにはわかっております」
これは, 裁判記録に残されたジャンヌ・ダルクの最後の遺言だったが, この予言は, それから
22年後に現実のものとなった。1453年, フランスはカレーをのぞいた国土のすべてを回復。1世紀を越えた 「百年戦争」 に終止符がうたれた。
【参考文献】(下記を抜粋・引用)
『魔女の秘法』【処刑された魔女の裁判記録;文:面谷哲郎】, 1984年


 

処刑されたジャンヌ・ダルク
■サイト:「natgeo.nikkeibp.co.jp(魔女狩りの恐ろしい歴史,不当な嫌疑で殺された女性たち)」から

【参考サイト】
魔女狩りの恐ろしい歴史、不当な嫌疑で殺された女性たち | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)
ジャンヌはなぜ「魔女」のように非難されたのか?聖女の定義、魔女の定義 | SYNCHRONOUS シンクロナス
ジャンヌ・ダルク処刑裁判 - Wikipedia
魔女裁判/魔女狩り (y-history.net)
ジャンヌ・ダルク|日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典|ジャパンナレッジ (japanknowledge.com)
●マリナー4号火星撮影の怪
マリナー4号の火星撮影に関して, 不思議なことが2つ起こっている。

一つは,
1965年7月にオーストラリアのティドビンビラ(Tidbinbilla)の追跡ステーションが, マリナー4号からの火星写真の信号を受信している最中, 突然電波が妨害を受けたことである。 そのとき, キャンベラ(Canberra)から約40キロ真北の1.5キロ上空に, 1台のUFOが浮かんでいた。
そのUFOは, 「明るく輝いていて動く気配がなかったが, オーストラリア空軍の飛行機が調査のために現場に到着する直前, 突然消えた」 (
1965年7月19日付けのニュージーランドAP通信による)という。
このUFOが消えたあと, 写真の信号がふたたび追跡ステーションにとどくようになった。
もう一つの謎は, 第一の謎とも関係しているのであるが, マリナー4号が地球へ送ってきた写真の2枚目に写っている火星の噴火口が, 月面第三象限のクラビウス・クレーターと同一のように見えることである。
これは, アントニオ・リベラとホセ・M・オリベールの二人のスペイン人研究員が発見したものである。 この二人の研究員は, 火星と月のクラビウス・クレーターの地図を描いて二つを重ねてみたが, 二つの噴火口には類似点が36ヵ所あったという。 宇宙の離れた場所に, 同じ形の噴火口が自然にできることはありえない。
1965年夏, ティドビンビラにある追跡ステーションの受信電波は, 近くにUFOがいるあいだ, なぜ妨害されたのか?
UFOは, 火星の地勢を写した写真に細工を加え, 月のクラビウス噴火口の写真を一部挿入したのではあるまいか?
宇宙人は, 何かを隠そうとしたのではないだろうか?
【参考文献】
『謎の白鳥座61番星』1975年,著:ロビン・コリンズ,訳:青木榮一


 

火星の科学観測を目的としたマリーナ4号
(★火星の科学観測を目的としたマリーナ4号)
■サイト:「Wikipedia(マリナー4号)」から

【参考サイト】
En.Wikipedia(Tidbinbilla Nature Reserve)
En.Wikipedia(Tidbinbilla River)
En.Wikipedia(Canberra Deep Space Communication Complex)
wikipedia(マリナー4号)
スペースサイト!(火星探査機が遭遇したダスト流の正体)
み
●南アフリカに出現した謎の飛行物体(1914年)
ヨーロッパのUFO学者, エドー・シーヴァースは, 1914年にケープタウンからプレトリアまでのあいだで生じた大量のUFO目撃について広範な調査をしてきた。

それによると, 葉巻型の物体の強力な ”ヘッドライト” が, その年の夏にほとんど毎晩, 南アフリカの平原を照らしたことになっている。
一人の農民が, ナタルのグレイタウンに近い草原で, 着陸している航空機を偶然見つけたとの報告があった。 乗員二人が小川から, バケツで水を汲んでいたという。
シーヴァースは, 古い記録を調べ, 当時, 南アフリカにはどんな種類の飛行機もなかったことを確かめた。 アフリカ大陸全体で, 3ないし4機のきゃしゃな飛行距離の短い複葉機があっただけだった。
【参考文献】
『UFO超地球人説』1976年、著:ジョン・A・キール,訳:巻正平


 

【参考サイト】
en. Wikipedia (UFO sightings in South Africa)
む
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め
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も
●モルモンの書とジョゼフ・スミス
モルモン教の設立者である, ジョゼフ・スミス は, 聖典となったモルモンの書を不思議な方法で手に入れた。

1823年9月23日の金曜日に, ニューヨーク州パルマイラの自宅の寝室で目をさました彼は, ベッドにかぶさるように立っている不思議な光る生き物を見た。 この生き物は, 白い服を着ていて, まぶしく輝く顔をもっていたという。それは, ジョゼフの名を呼び, 近くに埋めてある金の延べ板の見つかる場所を教えた。 そして, 上方に浮き上がり消えていった。
しばらくして, 彼が原野を横切っていると, 急に力が抜け, がっくりと地面に倒れ意識をなくしてしまった。 気がついたときは, 以前現れた者と同じ 「使い」 が, 彼のそばに立っていた。 そして, 金の板についてさらに指示を与えた。彼は, それを
4年後に掘り出さなければならなかった。
1827年9月22日の土曜日に, 彼は命じられた場所に行って堀り始め, ふしぎな文字が彫りつけられた金の延べ板が何枚かはいっている一個の石の箱を発見した。それは, その後11人の友人や隣人たちが吟味し, 彼らは, それを見たということの宣誓供述書に署名した。
何年もかかってこれらの板に書いてある文字を解読,翻訳し, それを完了したとき, 彼は,明らかに大昔(インディアンより前)の北米の歴史と思われる好奇心そそられる歴史的記録を手にしていた。
彼は, モルモン教を設立し, この記録がモルモン教聖典となったが, この板はのちに壊されるかして紛失した。
彼は
1844年に, イリノエで敵意を持った群衆に残酷にも殺された。
今日, モルモン教には250万人以上の信者がいる。
【参考文献】(下記より抜粋引用)
『UFO超地球人説』1976年, 著:ジョン・A・キール, 訳:巻正平


 

【参考サイト】
Wikipedia(末日聖徒イエス・キリスト教会)
Wikipedia(ジョセフ・スミス・ジュニア)
ユタ州とモルモン教について|JTBのアメリカ国立公園特集 (looktour.net)
morefaith.jp(ジョセフ・スミス:初期の時代と殉教)

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