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UFO関連用語(や〜よ) 


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ら〜ろ わ〜ん A〜Z 0〜9 「UFO関連用語」索引欄
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●幽子情報系理論 

幽子情報系の概念モデル。
『ムー』NO.11から
関英男博士が提唱したもの。 幽子という仮想の情報微子を考え,この幽子は"かすかなもの"という意味で,どんな物質をも通りぬけるほど小さいものと考える。 この幽子は1種類ではなく何種類かあるものとする。 これらの幽子群が互いに結合して情報系をつくり1度構成されると,ほぼ永久的に存続する。 そして,人間とは,この幽子情報系と生物的な肉体とが結びついた存在と考えるというようなものである。
【参考文献】
『ムー』NO.11,1981年【転生の謎,文:島大蔵】
●幽霊ロケット
【ゴーストロケット】

サイト【UFOの科学的研究―学術研究出版センター】から
1946年 にスウェーデン上空で目撃された謎の物体群のこと。 スウェーデンの新聞が事件を取り上げたので,物体群は”幽霊ロケット”としてしられるようになる。
物体群は通常夜間に見られ,尾部からオレンジ色の炎を放射している葉巻型物体。
7月9日から30日まで の短い期間だけで,スウェーデン陸軍は600件以上もの報告を受け取った。 そのほとんどは,夜空を急速に動く色光体だという。
【参考文献】
『宇宙よりの来訪者』,1977年


●もっと詳しく見る(サイト内)
=>怪奇事件集(スカンジナヴィアに出現した幽霊ロケット)
参考外部=> UFOの科学的研究―学術研究出版センター

参考外部=> Gigazine(国による調査でも何も判明しなかったUFO墜落事故「ゴーストロケット」とは?)

参考外部=> ぶちねこのUFO文庫(幽霊ロケット)
●雪男
【イエティ】

雪男の頭皮
★ネパール・ラマ寺院に保管されている雪男の頭皮(写真提供:毎日新聞社)
『山の不可思議事件簿』から
雪男という名前の名付け親は,イギリス人で,インドのダージリング在住の作家ヘンリー・ニューが1926年に現地語を訳していて,”Abominable Snowman”(いまわしい雪男)と使ったのがはじまりといわれている。
一方,ヒマラヤ山麓で生活しているシェルパ族のひとたちのあいだに, 「イエティ」の伝説があって,「ミティ」と呼ぶ大きいほうの身長は2メートル以上あり凶暴で大きな動物を襲って食べる。 また,「チュチ」と呼ぶ小さいほうは人間くらいの大きさでおとなしい。イエティは全身赤褐色の毛で覆われ,顔に毛はなく,頭部は尖っている。
この伝説上のイエティと雪男は,同じ動物だとされている。 また,イエティは日本のカッパや天狗などの怪物と異なり,
50万年前に絶滅したとされるギガントピテクスの生き残りの可能性が高いとする説もある。
正体不明の雪男の足跡は
19世紀からときどきヒマラヤ山中で発見されてきたものの,あまり注目されることはなかった。 イギリスのエリック・シプトンが1951年,アメリカの『Life』誌になどに発表した雪男の足跡写真が,雪男ブームのキッカケをつくった。 シプトンは,当時エベレスト登山者の第一人者で,チベットが鎖国し,代わってネパールが鎖国を解いたことから, ネパール側からのエベレスト頭頂ルートを偵察していて雪男の足跡を発見したのだった。
【参考文献】
『山の不可思議事件簿』,2015年,著者:上村信太郎
参考外部サイト=>サンチャイ☆ブログ(『雪男は向こうからやって来た』 〔読書日記〕)

参考外部サイト=>ひなた日和(錚々たる目撃者。『雪男は向こうからやって来た』(5))
●ユリ・ゲラーのUFO写真

『UFOと宇宙』NO.10から
ユリ・ゲラーが撮ったUFO写真。
1972年11月4日 ,ユル・ゲラーの乗ったボーイング747機が,ロンドンからドイツのミュヘンに向かう機中で, ユリの足元においてあったニコンF・カメラが腰のあたりまで浮き上がってきたという。 UFOの写真を撮れという合図だと感じたユリは,窓のそとを見たが何も見えなかった。 それでも,カメラを窓の外に向け写真を撮った。3週間ほどして現像すると,3つのUFOが写っていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.10,1975年(「銀色の服を着た宇宙人」, 文:高梨純一
『超能力者ユリ・ゲラー』,1974年;著:アンドリヤ・H・プハーリック
●ユーフォロジスト
●ユーフォロジー 
UFO研究者。
UFO学。UFO研究。
  ●ヨーロッパのUFO大ウェーブ


  
ヨーロッパでのUFOフラップ(UFO目撃,UFO着陸,宇宙人遭遇)は, 1954年 にピークとなり,イギリス〜スペインのヨーロッパ全域に及んだ。
8月から11月 にかけ,目撃者の数は100万人以上といわれる。 その中でも 10月1日〜11日 のフランス内での目撃が最大ピークとされ,目撃数を減少させながら,イタリー,南米に拡がっていった。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』, 著者:平野威馬雄,1974年
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎,1988年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』,著者:韮澤潤一郎,2015年

1954年フランス国内での目撃地点と人口密集地帯の対比図
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』ジャック・バレーの分析)から】
 
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