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●ナスカの地上絵

長さ46メートルのクモの地上絵
ペルー南部の太平洋岸とアンデス山脈の間に広がるナスカ地方の乾燥した盆地状の高原の地表面に描かれた巨大な鳥や動物, 幾何学図形のこと。
1927年,ペルーの航空測量班の報告により地上絵の存在が明らかになった。
地上絵の最初の調査が行われたのは
1939年で,アメリカの調査隊によるものであった。
その後の研究者は,アメリカのロングアイランド大学のポール・コソック博士で,
1941年,空から調査をし,"世界最大の天体図"であると主張した。
コソック博士の仕事はドイツの数学者マリア・ライヘに引き継がれ,彼女は終生この地に住みつき,彼女を中心に地上絵の解明作業と,保護が行われるようになった。
その後(
1980年代),山形大学の人文学部坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループが研究(ペルーの研究者との国際的共同研究)を始め,新たな地上絵を発見し,2012年10月30日にナスカ市にナスカ研究所を開所した。
また,
2015年7月7日,現地の家畜リャマなどの動物をかたどった地上絵24点を新たに発見したと発表した。
【参考文献・参考サイト】
『世界最後の謎』(ナスカの謎のメッセージ),1978年
『X-ZONE(No.22)』(高原の芸術ナスカの地上絵)
Wikipedia(ナスカの地上絵)
参考外部⇒Wikipedia(ナスカの地上絵)

参考外部⇒山形大学(人文学部・大学院社会文化研究科)
●謎の飛行船

目撃者フートンによるスケッチ
『UFOと宇宙』NO.14から
1880年にニューメキシコ州,1896年にカルフォルニア州,1897年には全米に, 1909年にウェールズとニュージーランドに,1914年には南アフリカに姿を現した謎の飛行船がある。
特に
1897年には多くの人が目撃し,目撃者の中には着陸中の乗員と英語で話した者もいる。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.14,1975年【1897年の謎の飛行船】から
参考外部⇒カラパイア(古き良き時代に巨大飛行船が飛び交う、スチームパンクのレトロフューチャーイラスト)
●日航123便墜落事故 1985年8月12日,日航123便が群馬県御巣鷹山中に墜落し,520名の犠牲者を出した。

【関連本】
『日航ジャンボ機墜落/朝日新聞の24時』,1990年
『疑惑/JAL123便墜落事故』,1993年
『隠された証言/日航123便墜落事故』,2006年
『爆発JAL123便』,2006年
『御巣鷹山の謎を追う』,2011年
『日航123便墜落の新事実』,2017年
『日航123便墜落疑惑のはじまり』,2018年5月
『日航123便墜遺物は真相を語る』,2018年7月

参考外部⇒Wikipedia(日本航空123便墜落事故)

参考外部⇒Hatena Blog(読書日記-青山透子「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る

参考外部⇒goennet(日航機墜落事故 東京-大阪123便/新聞見出しに見る25年間の記録)

参考外部⇒ニコニコ大百科(日本航空JAL123便墜落事故)

参考外部⇒gooブログ(【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた)

参考外部⇒Amebaブログ(【重要追加説明】 JAL123便墜落事故の出回っている話はウソばかり)

参考外部⇒fc2(JAL123便 日航機墜落事故の真相)

参考外部⇒YouTube(日航機墜落事故 JAL123便 1985年)
●日本宇宙現象研究会
(JSPS)
1973年,荒井欣一氏を顧問にUFOの本格的研究団体をめざして発足し, 現地調査などに活発な調査活動を展開した。
並木伸一郎氏が代表を務める。
公式サイト⇒JSPS

参考外部⇒UFO探究
●日本サイ科学会 1976年に結成された日本最大の超常現象(サイ現象)専門学会。
電気通信大学で開催されていた月例研究会「超心理懇談会」が発展したもので,創立当初は"日本PS学会"という名称であった。
初代会長(後に名誉会長)は電気通信大学名誉教授の関英男博士で,機関誌『サイ科学』や『サイの広場』などを発行した。
【参考サイト】
Wikipedia(日本サイ科学会)
公式サイト⇒日本サイ科学会
●日本心霊科学協会 1946年設立された公益財団法人。
学術的心霊研究団体。
参考外部⇒Wikipedia(日本心霊科学協会)

公式サイト⇒公益財団法人日本心霊科学協会 
●日本空飛ぶ円盤研究会
(JFSA-Japan Flying Sauser Research Association
1955年,荒井欣一氏が立ち上げた日本初のUFO研究団体。
機関紙として「宇宙機」を発行した。

★1958年/調査打ち合わせのため集合した会の面々
『UFOと宇宙(NO.41)』から】
参考外部⇒Wikipedia(日本空飛ぶ円盤研究会)

参考外部⇒KzUFO現象調査会(宇宙機)
●日本GAP 昭和28年アダムスキー氏と文通を始めた久保田八郎氏が,アダムスキー氏の要請により,昭和36年(1961年)に創設した。
1999年12月に解散。
参考外部⇒GAsite
●日本UFO科学協会 高梨純一氏が会長を努めた。 創設は 昭和31年(1956年)
旧称は「近代宇宙旅行協会(MSFA)」。
 
●ニューネッシー 1977年4月25日,ニュージーランド沖で操業中の日本のトロール船の網が,全長10メートル近い謎の巨大生物の死骸を曳きあげた。
この巨大生物はネッシーに似ているところから,ニューネッシーと呼ばれた。


●もっと詳しく見る(サイト内)
=>怪奇事件集(日本漁船が曳きあげたニューネッシー)
参考外部⇒Wikipedia(ニューネッシー)

参考外部⇒未確認生物大陸(ニューネッシー)
●ニューヨーク大停電 「アメリカ北東部の大停電」の項を参照。
  
●ネッシー ネス湖の“ネッシー”は,20世紀最大級のミステリーとして語り継がれる伝説のUMA(未確認動物)である。
1934年に外科医のロバート・ケネス・ウィルソン氏がネス湖で撮影に成功したというネッシーの写真は,瞬く間に全世界に広まり, 多くの人がその存在を知ることになった。
しかし,その後,写真はエイプリルフールのいたずらとしてねつ造されたものであることが発覚し,近年,ネッシーの存在も忘れられつつあった。
だが一方では,20世紀にネッシーの目撃証言が相次いだことも確かだ。
実際に
1900年代後半には,世界中から多くの調査隊がネス湖を訪れている。
1955年に発表されたピーター・A・マクナブ氏の写真は,ネッシーと一緒に城が写り込んでいることから,その大きさは15メートル以上あると推察された。
また
1960年5月には,博物学者ピーター・オコンナー氏が,ネッシーを至近距離から撮影することに成功。 過去に発表されたネッシーの写真はいずれも,遠方に写るものばかりだったことから,これは大きな話題となった。
20世紀に報告された多数のネッシー目撃情報は,いまとなっては不確かなものも多く,なかには明らかにフェイクと思われるものも存在している。
だが,21世紀になったいま,最新の科学研究のもとでニュージーランド・オタゴ大学のニール・ジェメル教授は,湖に生息する巨大生物のDNAの発見を目指している。試料採取用の5リットル容器を湖に投げ入れ,もし,ネス湖に巨大生物が存在していれば,ウロコや皮膚,尿などの有機物が水中に残るため,そこからDNAを調べることで未確認生物の存在が明らかになるという。
教授は,ジュラ紀の爬虫類がネス湖に生息していた可能性を示唆している。世紀の大発見が発表される日も近いかもしれない。

【参考サイト】
=>;「@niftiyニュース(巨大生物ネッシー「有機物DNA鑑定」ついに謎が解明!?)」,(2018年06月23日15時32分)
●念写
Thoughtography, Projected thermography
明治43(1910)年,福来友吉博士が,御船千鶴子長尾郁子を対象とする透視実験のレベルを高めようと考えたものが, 文字や図を撮影した写真乾板を未現像のままで透視させるものであった。
今村新吉博士も暗室で乾板の膜面に墨汁で字を書いた実験物を用いていた。
この乾板を用いた透視実験のあと,写真乾板を現像すると,いずれにも「カブリ」現象が生じていた。 「カブリ」とは,光線漏れや不適当な現像処理などのため,現像した画像が部分的にボヤけることである。
福来博士は,
明治43(1910)年12月26日長尾郁子の自宅での実験をおこない,郁子に「心」の文字を乾板に念じこませた。 乾板を現像すると,文字の形にはなっていないが局所感光の形跡が認められた。
この現象をのちに福来博士が「念写」(今村博士の見解では,「念射」の字を当てている)と名づけた。

【参考文献】
『透視も念写も事実である』,2004年
参考外部サイト⇒ Wikipedia(念写)

参考外部サイト⇒ 超常現象の謎解き(月の裏側を念写した男「三田光一」)

参考外部サイト⇒ 不思議なチカラ(五感を超える驚異の超能力!「念写」とはどんなもの?)
●ノーフォーク連隊集団失踪事件 1915年8月28,イギリス軍の一個連隊(ノーフォーク連隊)数百人が,奇妙な青白い雲のかかった場所を過ぎようとしたが, その雲を抜けて出てきた隊員は一人もいなかった。

●もっと詳しく見る(サイト内)
=>怪奇事件集(雲に消えたイギリス兵)
 
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