UFOレガシー
UFO・ミステリー事件遺産

UFO事件集(1981年〜1990年) 


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1981年〜1990年
 1981年  1982年   1983年   1984年   1985年   1986年 
 1987年   1988年   1989年   1990年 
1981年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ハドソンヴァレー・ブーメラン形UFO目撃事件(アメリカ)

1981年12月31日のニューヨーク州ハドソンヴァレーでの目撃に始まり,1989年まで続いた巨大なブーメラン形UFOを何千 もの人々が目撃した事件。東海岸の一部(ニューヨーク→ロングアイランド→マサチューセッツとの州境→ペンシルバニアとの州境→ニューヨークを囲むエリア)に出没した。

1981年12月31日の深夜
,ニューヨーク州ケントの自宅裏庭にいた元警察官が赤,緑,白の光のかたまりに気づき,それがだんだん近づき確認すると,それは飛行機などではなく,V字型に光りが並ぶ巨大な物体だった。かなり,接近したときに唸るような音が聞こえた。
1983年3月24日の夜,巨大な飛行物体を目撃した住民からの通報でヨークタウンの警察の電話はパンクしそうになった。上空に浮かぶUFOを見ようと,人びとはタコニック・ステート・パークウェイに車で押し寄せた。同じような飛行物体をニューヨーク州にあるインディアン・ポイント原子力発電所の守衛も目撃していた。その物体の長さは,300メートルもあり,短時間だが原子炉にわずか9メートルまで近づいたときには,空軍に出動要請をしかけたという。また,別の目撃者は同じ物体をクロトンフォールズ湖で目撃したが,赤いレーザー光のようなものを使って,湖面を捜査しているようだったという。

J・アレン・ハイネック博士はこのハドソンヴァレー事件を徹底的に調べ,『夜の包囲戦−ハドソンヴァレーUFO目撃事件』を公刊した。
【参考サイト・文献】
 ・サイト=> 世界の三面記事・オモロイド(UFOと遭遇して・・・)
 
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒世界の三面記事・オモロイド(UFOと遭遇してしまった人々、10のエピソード)
1982年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1983年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1984年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1985年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1986年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●日航機アラスカ上空巨大UFO遭遇事件(アラスカ)



1986年11月17日,日本航空のジャンボ貨物機が,アラスカ上空で巨大UFOに遭遇した事件。
この日の17時ごろ(現地時間)フランスから日本にワインを積んだ貨物専用機,日本航空1628便,ボーイング747型機が3人の乗務員を乗せ,燃料補給のためアンカレッジを目指し,カナダとアラスカの国境に差しかかった。寺内機長が最初,左下方に発見した光体が,貨物機のあとをつけてきていることに気づいた。それは,3つの光体で1つは大きく,あとの2つは大きな光の回りを"跳び回る"小さな光る物体で,考えられないような動き方をしていた。この小さな2つの飛行物体の光が真正面から貨物機のコクピットを射抜いた。コクピット全体が眩しい光で照らされ,寺内機長は顔に熱を感じたと証言している。やがて,この飛行物体の光が弱まると,それは全体が四角い形でDC-8型ジェット機ほどの大きさ(約48m)がある2つの物体であることがわかった。貨物機の150〜300m先,少し高い位置を並んで飛んでいた。無線が通じなくなり,アンカレッジと交信不能となった。2つの飛行物体が離れると,無線が回復した。1628便とアンカレッジとの間で一連の無線通信が続き,アンカレッジにあるエルメンドルフ空軍基地航空交通管制もこれに加わった。地上レーダーは747型機の左舷側約12kmほど離れたところに反射波を拾った。小さな2つの物体は大きな物体と合体したようだった。貨物機がアラスカ中央部のフェアバンクス市上空にさしかかると,市街地の灯りに照らされた,物体の巨大なシルエットがコクピットから目視で確認された。それは航空母艦を重ねあわせたようなクルミ型の大きな物体で,機体の大きさはジャンボ機(約70m)の数十倍はあった。貨物機の乗員たちは,自分たちの機体がちっぽけに見えるほどの大きな奇怪な飛行物体をみて動揺した。機長はこの物体から離れねばならないと思い,貨物機を360度旋回を行う許可を管制に求めた。管制塔からの指示どおり貨物機を360度旋回し,高度も1,200m下げたが,物体は10〜12kmの距離をおいてピタリとついてきた。アンカレッジの航空交通管制センターでは大勢の管制官や監視官が集まり,事態の推移を見守っていた。そのとき,エルメンドルフ空軍基地からは,確認できないターゲットを捕捉したと連絡が入った。まもなく貨物機から物体は見えなくなった。それから25分足らずで貨物機はアンカレッジ空港に着陸した。日本共同通信が1986年12月29日にこの記事を配信,UPI通信も同日アメリカで同じニュースを流し,騒ぎの口火がきられた。
【参考サイト・文献】
 ・サイト=>UFO事件簿(日航機アラスカ事件)
 
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(日航機アラスカ事件)

参考外部サイト⇒NAVERまとめ(日本国内であった有名な宇宙人遭遇事件まとめ)

参考外部サイト⇒路(日航機UFO遭遇事件のその後)
 
1987年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1988年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1989年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ベルギーUFOウェーブ事件(ベルギー)
1989年11月から1991年にかけて,ベルギー上空に頻出した,デルタ形UFOの目撃事件。
1989年11月29日
,ベルギーの田園地帯上空を,三角形で平たい巨大な物体が音もなく横切っていくのを,ベルギーの各地で目撃された。午後5時15分ごろ,2人の警官の目撃によると,その物体はあたかも地上を照らすスポットライトのように点滅する赤い光が三角形の中央に見えていたという。その後,数ケ月にわたり同型のUFOがベルギー各地で目撃され,写真やビデオも多数撮影された。ベルギー当局には,1990年3月までに2,500件以上の目撃情報が寄せられ,そのほとんどはルーバンとリェージュ周辺に集中していた。目撃情報の奇妙な特徴として,この物体を撮影しても鮮明に写らないという点があった。フィルムを現像してみると,どの画像もピンぼけ状態になっていた。ルーバンのカトリック大学の物理学教授アウグステ・ミーゼンが原因は赤外線にあるのではとの仮説を発表し,それを証明した。
1990年3月30日の夜,UFOがベルギーを縦断しているという報告がベルギー陸軍に通報された。第一報を入れた憲兵隊員によれば、UFOは赤と緑と黄色の光をつけた3機だったという。2機のF-16戦闘機が発進した。UFOは高度2,750mを時速280kmで飛んでいたが,F-16のレーダーにロックオンされると,時速1,800kmまで急加速し,高度1,500mに急降下した。どんな航空機にも不可能な飛行をしたUFOを目視確認しようとして1時間ほど追跡を続けたが,行方を見失った。
1991年3月12日にリェージュの南西の狭い地域で通報があった27件の目撃情報のうち2件は,ティアンジュにある原子力発電所近辺に現われたという。
この事件は,ハドソンヴァレー事件と多くの共通点があるが,違う点は,このベルギー事件は,ベルギー政府が徹底した調査を行い軍や一般市民にも広く目撃情報を募ったことである。
【参考サイト】
 =>UFO事件簿(ベルギーのUFOウェーブ)
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
『【完全版】世界のUFO現象FILE』,2011年
参考外部サイト⇒You Tube(76---ベルギーUFO事件( 1989--1991 )--- Ngo未来大学院=NFS=NGO FUTURE SCHOOL )

参考外部サイト⇒ムーPLUS(UFO事件の基礎知識/ベルギーのUFOフラップ事件 )
1990年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ベルギー空軍UFO追撃事件(ベルギー)



公開された機上レーダー画像
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
ベルギー空軍がUFO撃墜に失敗した事件。
1990年3月30日の深夜から翌日未明にかけての追撃劇であった。
地上レーダーが識別不能の物体が次々に確認されたとの第一報が
30日23時に入った。日付が変わるころ2機のF-16戦闘機が緊急出動した。戦闘機のレーダーがUFOを捉え,ミサイルでの撃墜を試みるが,ミサイル自動追尾のためのロックオンに必要な6秒間を標的の補足ができず,UFOは不可能なほどの急降下と急上昇,急加速を行い,姿を消す。その急加速で乗員にかかる重量は推定40Gとみられ,人体が破裂するほどのものであった。
その後,戦闘機レーダーはUFOを再び捉え,2度はミサイルのロックオンに成功したが,妨害電波を受けたり,急加速したりでミサイルの発射が不能であった。
2機の戦闘機は1時すぐに帰還し,
未明までにさらに2度も緊急発進したが,同じように逃げられてしまう。
この事件の空軍の報告書は,民間のUFO研究団体SOBEPS(ベルギー空間現象研究協会)の働きかけが実を結び,共同で作成された。UFOを捉えたレーダーの映像も公開され,世界に衝撃を与えた。
【参考文献】
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』,監修:南山宏,2015年
参考外部サイト⇒You Tube(76---ベルギーUFO事件( 1989--1991 )--- Ngo未来大学院=NFS=NGO FUTURE SCHOOL )

参考外部サイト⇒ムーPLUS(UFO事件の基礎知識/ベルギーのUFOフラップ事件 )


報告をするウィルフリード・ドブルヴェール少佐
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から

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