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UFO事件集(1971年〜1980年) 
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      1801年 〜 1900年 1901年 〜 1940年 1941年 〜 1950年 1951年 〜 1960年 1961年 〜 1970年 1971年 〜 1980年 1981年 〜 1990年 1991年 〜 2000年  
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1971年〜1980年
1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年
1977年 1978年 1979年 1980年
1971年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ドラギニャンUFO目撃(フランス)

『UFOと宇宙』NO.4から
 
1971年3月29日の夜9時ごろ,フランス南部のドラギニャンで,夜間2人の若者が車中から50メートルの距離で滞空するUFOを目撃した。

フランス南部のドラギニャン(Draguignan)に住むアンドレ・ブショー(23歳)とピエール・カラファー(25歳)は, 乗っている車の前方上空に滞空するまばゆい光る物体に気づいた。
車のヘッドライトが暗くなりはじめた。物体は最初に垂直に上昇し,次に斜めに降下した。 これを3度繰り返し,最後に150メートル離れたブドウ畑まで斜めに降下し,地上10メートルくらいの高さに停止した。
2人は車で50メートルまで近づき観察した。2人と物体のあいだには大きな木が立っていた。 物体はレンズ形で直径は約12,3メートルで高さが約2メートルで色は暗い赤色であった。
音はまったく聞こえなかった。物体は,ブドウ畑の上空に約2分間とどまり,その後,横揺れをはじめた。 そしてフラッシュのように瞬間的に飛び去ったという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.4,1975年-【ドラギニャンに出た円盤,文:ジャン・シャセーヌ/フランソワ・モル,訳:林陽】
●ローズデール宇宙人目撃事件(カナダ)

★画家のブライアン・ジョーンズが,目撃者のクラッピソンにインタビューして描いたもの
『宇宙人の死体写真集』から
1971年6月9日 の満月の晩に,カナダのアルバータ州にあるローズデールで,エスター・クラッピソンが自宅の近くで不思議なヒューマノイドを目撃した。

彼女は,この夜自宅の窓から光が差し込むのに気づき,正面のポーチに出てみた。 すると,二本の道路が交差しているあたりに,不思議な長方形の物体があるのに気づいた。
彼女はよく調べるつもりで犬をつれて外にでた。その物体は60メートルほど先にあり,一面が四角く,窓のように透明になっていた。 物体の内部には二人の小柄な人間らしいものがいた。そして,もう一人は物体の外にいて,土でも拾っているのか腰をかがめていた。
クラッピソンが,彼らを見つけたとたん,物体の中の相手も彼女の存在に気づいたのか,外の仲間に注意をうながす動作をした。 同時にもう一人は内部の計器パネルを自分の体で隠すような姿勢をとった。 彼女はもっと近づいてみようとしたが,一緒の犬が必死に家に逃げ帰ろうと彼女を引っ張るので前に進めなかった。 それで弟を呼んでこようと考え,家の中に入ってから振り返ると,そこにはUFOも小柄な宇宙人も姿を消していた。
翌日,UFOが着陸していた場所にいってみると,6メートル以上の長さにわたり,地面が焦げていたという。
彼女の証言によると,物体(UFO)の幅は1.5メートル,高さは2.4メートルで機体の一面が透明になっていたという。 目撃したヒューマノイドは,身長が1.5メートル以下で,頭から枕カバーをすっぽりかぶったような感じに見え,目はまるでカギ穴そっくりだった。 筋肉とはおよそ縁のなさそうな体つきをしていて,オリーブグリーン色のスーツを身につけていた。 そして,彼らは腕やひざの関節を曲げることをしなかったという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三(カナダに奇妙なスーツを着た宇宙人が出現)
参考外部サイト⇒超魔界帝国の逆襲(ローズデール事件)

参考外部サイト⇒ゼロファイル(ローズデール事件)





★画家のブライアン・ジョーンズが,目撃者のクラッピソンにインタビューして描いたもの
『宇宙人の死体写真集』から
●ネス湖フォイヤーズ事件(イギリス)



『コズモ(UFOと宇宙)』NO.8から
 
1971年8月16日 ,ネス湖のファイヤーズ湾を見下ろす森林内で,異形なUFOとそれに乗り込む複数の怪人物が目撃された。

ジャン=オーヴ・サンドバーグが,
8時30分ごろ 発電所建設現場に向かう近道として,この森林を通り抜けようとしていたところ,異様な物体を目撃した。 物体は10メートルもあり,片方から曲がった部分が突き出ていた。まるで取っ手のついた巨大なアイロンのような形であった。 近くの茂みの中から身長が1.7メートルほどの3人の人物が出てきた。 3人は灰色の潜水服のようなもので頭からつま先までをおおっており,話でもしているようだった。 やがて,3人は動き出し,物体の曲がった先の部分から中に入り姿を消した。物体は,音もなく垂直に上昇し,やがて水平に高速で飛び姿を消した。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO8,1974年,【「ネス湖おける悪魔ばらいの儀式とUFOの着陸」文:F・W・ホリディ,訳:増野一郎】
 



『コズモ(UFOと宇宙)』NO.8から
 
●ロテガロンヌ事件(フランス)
フランスのロテガロンヌ県マルマンド郡セーシュの北東12キロのところにある田園地帯のラシュブルで, 1971年11月14日の午前2時ごろ ,農夫のアンジェロ・セリョはトラクターで 夜中 の農作業中,畑の中で頭上から近づいてきた怪しい物体から,強烈な黄色の光で照らされた。
物体には一列に並んだ5つの強力な黄色い光りとその右横4,5メートルのところに赤色の光があった。 恐怖を感じたセリョは,トラクターから飛び降り逃げ出したが,トラクターから約30メートルのところで,物体は上昇し,もと来たコースを引き返していった。 物体は無音であったという。

【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO.1(創刊号),1973年,【「多条光線を放つ円盤」,文:ゴードン・クレイトン
1972年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●メサ(米アリゾナ州)の怪浮遊物体(アメリカ)
『UFOと宇宙(NO.27)』から
1972年11月11日の午前2時ごろ ,アリゾナ州メサの上空に浮かぶ謎の物体を何千人もの人が目撃した。

物体は,アイスクリーム・コーンの長いほうを上にしたような形で,澄み渡った青空の仰角40度ほどのところにあり,南から北へ非常にゆっくりと移動していた。 物体は
1時間 ほど見ることができたが, 1分前 には確かにあったのに,次の瞬間には姿を消して2度と見えなかったいう。
また,メサで
2週間前 に熱気球のコンテストが行われていたため,気球ではないかと思われたが熱気球のコンテスト最終日は 11月4日 であり,この物体には支持索もゴンドラもなく,色も形も違っている。
メサの気球クラブは,この地域のすべての気球を把握しており,
11月11日 に気球を飛ばしたことはないし,気球の飛行許可を申請した者もないとのことであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.27)』,1977年【「米アリゾナ州メサの怪物体」,文:ウェンデル・C・ステーブンス, 訳:久保田八郎中村省三
●ロボス島宇宙人目撃事件(ウルグアイ)




★目撃されたUFOと3人の乗員

(IIIust/CIOVI)
『宇宙人の死体写真集2』から
1972年10月28日,ウルグアイのロボス島の灯台のある建物の屋上にUFOが着陸して降りてきた3人の乗員を, 灯台の点検をしようとしていたファン・フェンテス伍長が目撃した。

このロボス島には高さ66メートルの灯台があり,灯台の保守点検のため,ウルグアイ海軍の守備隊(4,5名)をこの島に駐屯させていた。
この日の午後10時10分,ファン・フェンテス伍長は守備隊の本部から45メートルほどの距離がある灯台のある建物に,発電機の点検に出かけた。
灯台は高さが6メートルほどの建物の上に立っていた。その建物の屋上は平らなテラスになっている。 フェンテスは,不思議なことに誰もいないはずの建物の屋上に明かりが見えることに気づいた。不審に思ったフェンテスは本部に引き返すと,ピストルを携帯してふたたび灯台へと向かった。
フェンテスが近づくと建物の屋上には,ボウルを逆さまにしたような形の直径が4〜5メートルほどの奇妙な物体が着陸していた。
物体には上部にドームがあり,そこからコルクスクリューのような形のアンテナが突き出て回転していた。物体の色はマホガニーのように赤みがかっていた。着陸脚は望遠鏡のように伸縮式だったという。
そして,物体からは白や黄色,そして紫色の光が放射されており,その光で,物体のそばにいる人物が見えた。一人は立っていて,もう一人は物体の側面にあるドアから降りる途中だった。 そして3人目の一番背の高い人物が物体から降りようとしたとき,先の二人がフェンテスに見られていることに気がついた。 彼らは互いに連絡し合ったように見えた。そして3人ともフェンテスのほうに顔を向けた。
フェンテスは,建物まで約27メートルの距離にまで接近していた。携帯してきたピストルを3人にめがけて構えた。 すると,その瞬間フェンテスは不思議なバイブレーションを感じ,体がマヒし銃撃することができなくなってしまったという。
3人が物体の中に入るとドアが閉まり,物体はブーンという音をたてながら45メートルぐらいの高さまで垂直に一気に上昇した。 そして機体を傾斜させると,底部から目もくらむような火の玉を放出して,ものすごいスピードで南東の方角へと飛び去っていった。
フェンテスは,彼らの背後にあった機体の明かりで彼らを観察したので,体つきや動作はよくわかったが,顔の細部などはよくわからなかったという。彼らの外見で,最も際立っていた特徴は,後頭部が少し上に突き出て長細かったことである。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年, 著者:中村省三 (ウルグアイのロボス島に上陸したブラックスーツの宇宙人)


★UFOが着陸していた灯台下の建物

(IIIust/CIOVI)
『宇宙人の死体写真集2』から
1973年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●F・E・ウォーレンAFBミサイル目標照準記録テープ消去事件(アメリカ) 1973年秋,ワイオミング州F・E・ウォーレン空軍基地(F.E. Warren AFB)に侵入したUFOにより,3個の核ミサイル(ミニットマンV)の弾頭の目標テープが消去された事件。

F・E・ウォーレン空軍基地(F.E. Warren AFB)にある20のLCC(発射管制カプセル)は,各々10発の核ミサイルを管理していた。標準任務規定に従い,各LCCはSAT(保安警戒班)をもち,SAT保安員はカプセルとミサイルを警護している。

ウォルター・F・ビリングズ(Walter F. Billings)は,
1970年代初頭,ワイオミング州シャイアン(Cheyenne)近くにあるF・E・ウォーレン空軍基地第90戦略ミサイル団(90th Missile Wing)所属の副指揮官(当時,中尉)だった。

事件は1973年の秋のある日の夜遅い時間帯に起きた。ビリングズは,地下のゴルフLCC内で配置についていた。
その時,彼と指揮官は,カプセル無線の緊急通報を聞いた。(UHF無線のスイッチは,常にオンになっているため,SATや他のLCCと通話した場合,20ヵ所すべてのLCCが,その会話を聞くことができる。)
インディアLCCの発射要員が,担当のSAT保安員に,インディアの10ヵ所のミサイル発射施設のうちの一つのセキュリティーゾーンの境界で起きた警報を調べるよう指示を出した。このアラームは,何かがそのサイトの防護フィンス内部に侵入したことを意味していた。
SAT保安員が,問題のサイロに急行した時,ビリングズは,インディアLCC発射要員が興奮して,そのセキュリティーゾーン内部でも警報が発せられたと報告するのを聞いた。これは,ミサイルランチャーそのものに何者かが侵入したことを示していた。
サイロに到着したSAT保安員らの報告によると,驚くことに巨大な,光り輝くUFOが上空に滞空しているという。LCCからSAT保安員に,前進するのをやめて,観察するだけにするよう忠告がされた。
SAT保安員は,UFOはオレンジ色に輝く大きな光で,その周囲に回転する色のついたライトがあり,加速した時,オレンジ色が青白い色に変化したと話していたという。UFOは1分ほどして,ゆっくり数千フィート(1,000フィートは約305m)上昇し,その後高速で飛び去った。

ビリングズは,問題のミサイルは徹底的に調査され,3発のミサイル弾頭の目標テープの情報が消去されていたと述べた。
この時,ビリングズが使った「目標テープ」という用語はミニットマンTまでで,ミニットマンVの誘導システムからは,「プラグインシステム」という用語にに置き換えられていた。(
1973年秋当時,LCCの半分以上がミニットマンTからVに変換されていた。)
しかし,以前からいた軍人は新しい用語に慣れるまで,新しいシステムを,「テープ」と呼ぶことがあったと,フィリップ・ムーア退役空軍中佐は語った。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代核関連UFO事件】,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年




サイト:「UFOs & Nukes」から
参考外部=>海外の妖しいBlog記事から(1973年核ミサイル基地にUFOが出現,攻撃目標情報を消去)

参考外部=>The UFO Chronicles(Yet Another Nuclear Missile Launch Officer Talks about UFOs at F.E.Warren AFB:)

参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman chronology)

参考外部=>Wikipedia(第90ミサイル航空団 (アメリカ軍))

参考外部=>En.Wikipedia(Francis E.Warren Air Force Base)

参考外部=>En.Wikipedia(D-37C)


【関連サイト検索キー: F.E. Warren AFB, 1973, UFO 】
参考外部=>UFOs & Nukes(Yet Another Nuclear Missile Launch Officer Talks about UFOs at F.E.Warren AFB)

参考外部=>RRO(F.E. Warren AFB,Wyoming (1973-74))

参考外部=>UFOs & Nukes(The Documentary Film)
●パスカグーラUFO誘拐事件(アメリカ)

『UFOと宇宙』NO.5から


(★宇宙船内での目玉のような身体検査装置)
『世界UFO大百科(ムー別冊)』から
1973年10月11日,ミシシッピー州の漁港パスカグーラに3人の宇宙人が現われ,チャールズ・E・ヒクスン(Charles E. Hickson-45歳)とカルビン・R・パーカー・ジュニア(Calvin R. Parker Jr.-18歳)の二人が円盤内に連れ込まれ,観察後,釈放された事件。
※)パスカグーラ(Pascagoula)はメキシコ湾に面した人口3万たらず(当時)の漁港。

造船所工員の二人が,パスカグーラ河畔の桟橋から夜釣りをしていると,
午後9時ごろ夜空から平べったい飛行物体が青いモヤを噴出しながら近づいてきて,すぐ近くの岸の地上,約60センチのところに静止した。
物体にはドアのようなものは見あたらないのに,人間の形をした3つの生物がいつの間にか現われ,二人のほうに足を使わずスーッと近づいてきた。二人は声を出すこともできず,体を動かすこともできなかった。その3体の生物は皮膚が灰色っぽく,しわがたくさんあった。手の先はカニのはさみのようであり,耳はとがっていた。
生物の一人がパーカーにさわったため,パーカーは,恐怖のあまり気絶をしてしまった。二人は,その3体の生物に持ち上げられて,物体の中に連れ込まれた。滑空するみたいに感覚も重さも感じなかったという。
物体の中は,照明などなくても非常に明るかった。ヒクスンは宙に浮いたような状態のまま,目だけは動かすことができたが,身動きができなかった。
すると,大きな目玉のようなものが現われて,ヒクソンの体から25センチほどのところをあちこちに動き,体中を撮影しているようだったという。
パーカーは,ヒクソンとは別な部屋に連れ込まれたが,気を失ったままだった。やがて
20分ほどが経過しただろうか。気がつくと二人は,釣りをしていた,もといた場所にいた。
ヒクソンは立ち上ろうとしたが,膝に力が入らず倒れてしまった。見ると宇宙船は,あっという間に,夜の闇の中に姿を消してしまったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.5)』,1974年【円盤の中に連れこまれた男(2),文:南山宏
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【誘拐され,身体検査された2人の造船工,文:吉住元】



サイト:「gulflive」から
参考外部⇒UFO事件簿(パスカグーラル事件)

参考外部⇒YAHOO!ブログ(昭和な宇宙人御三家最後の一人「パスカグーラの宇宙人」)

参考外部=>En.Wikipedia(Pascagoula Abduction)

参考外部⇒Bizarre and Grotesque(The 1973 Pascagoula Alien Abduction)

参考外部⇒ OpenMinds(Remembering Charlie Hickson, a rare Pascagoula UFO abduction transcript)

参考外部=>YouTube(Pascagoula UFO Abduction 1973 News Story)

参考外部=>YouTube(WLOX Memories Pascagoula UFO Incident)

参考外部=>gulflive(Charles Hickson,famous for claimed Pascagoula UFO abduction,dies at 80)

 
事件現場のパスカグーラ河畔
『UFOと宇宙』NO.5から
●アセンズ着陸UFO発砲事件(アメリカ)
1973年10月17日の深夜,ジョージア州アセンズに住む車販売業者のポール・ブラウンが, 深夜国道を走行中に強烈な光とともに着陸した円盤から降りてきた2人の乗員に,恐怖からピストルで発砲した事件。

この夜,ポール・ブラウンは,アセンズ付近のマディソン郡国道29号をカーラジオでワールドシリーズを聞きながらドライブしていた。
突然,放送が消えて,空一面が強烈に輝いた。見上げると,上空約60mの位置に奇妙な飛行物体が見えた。 ブラウンはそれを飛行機が故障したのだろうと思ったが,その物体はものすごいスピードで降下し,車の前方30m以内に近づいた。 それは飛行機ではなく,目もくらむほどの光をはなつ幅4.5m,高さ1.8mほどの円盤型物体であった。
突然,2人の"人間"が物体から降りて現れた。光のためどうやって降りたかは不明である。2人とも身長は約1.2mで,銀色のユニフォームを着ているようだ。足首のところは締まっていて靴をはいていた。 銀色の手袋をはめて,髪はまっ白だった。光のため,顔付までは不明であったが赤味を帯びていたようだ。
恐怖を感じたブラウンは,車中にあったピストルを取り出し,ドアを開け外に出て狙いを定めると,2人の怪人はあわてて物体の方へ逃げ帰った。 物体の光が消えたので,ブラウンは物体めがけて2発を撃った。弾丸は当たらなかったようで,物体(UFO)は上昇し夜空に消えていった。
この事件が,ほとんど広まらなかったのは,この月(
1973年10月)には,各種の新聞が米国中からの多くのUFO情報で埋まっていたからである。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.24(1977年),【カーター大統領はUFOを見た!,文:ハリー・ヘルムス,訳:久保田八郎
●フォークビル事件(アメリカ)
【銀色の服を着た宇宙人撮影事件】


★グリーンハウが撮った4枚の中の1枚。
『UFOと宇宙』NO.10から
1973年10月17日の夜 ,アラバマ州フォークビルで若い警察署長のジェフ・グリーンハウが,道路上にいた全身銀色の服を着た宇宙人に遭遇し,それを撮影した事件。

フォークビルの警察官グリーンハウの家に,
午後10時ごろ 同町の西半マイル(約0.8キロ)のところに住む婦人から電話がかかってきた。点滅するいくつかの光を放つ宇宙船が同家の裏の方の原っぱに着陸したとのことであった。その夜,同地サウス・モーガン群一帯でも空飛ぶ円盤らしきものを目撃したとの電話がいくつもかかってきていたので,グリーンハウは買ったばかりのポロライド・カメラをひっつかんでパトカーで飛び出していった。
砂利の多い道路を一刻も早く現場に行こうと懸命になって車を運転していると,坂をくだったところで,バッタリと道の真ん中に立っている異様な「人間」に出くわしてしまった。
その異様な「人間」は,身長6フィート(約1.8メートル)くらいで人間と同じような体つきをしているが,全身をスズ箔のような銀色のもので覆われていた。頭には,短いアンテナのようなものも見えた。グリーンハウは,何かのいたずらだと思い50フィート(約15メートル)のところまで近づき車を降り,声をかけると相手は答えず横にゆらゆら揺れるようにしてこちらに歩いてきた。持ってきたポロライド・カメラでグリーンハウは,1枚目の写真を撮った。6メートルの距離でもう1枚の写真を撮った。相手は,すぐ近く(約3メートル)まできて,両者は向かい合う形になった。ここで,グリーンハウはさらに2枚を撮った。
相手はロボットのようにぎごちない動きかたをしたが,音は発しなかった。 グリーンハウは,恐怖から体が硬直したが,思いついてパトカー上の赤色の回転灯をパッとつけてみた。すると,相手は急に向きを変えて,南へと道路を走り去っていった。パトカーに飛び乗り,追跡を開始したグリーンハウは,この時点で,生物がUFOの乗員ではないかと思い当たったという。なにしろ,追いつけないのだ。その相手は,これまで見たことのある誰よりも,走るのが速かったという。 そのうち、パトカーは砂利で失速し,目をはなした隙に相手は闇のなかに消えてしまった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.10,1975年,【銀色の服を着た宇宙人,文:高梨純一

『宇宙人の死体写真集』,1989年,著:中村省三
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(フォークビル事件)



消防服(空港の消防士が用いる特性のもの)を着こみ,顔と足先にアルミ箔をまといつけて撮影したもの
『UFOと宇宙』NO.10から
●軍用ヘリコプター葉巻型UFO遭遇事件(アメリカ)
【コイン陸軍少佐吊り上げ事件】


★コイン少佐によるUFOのスケッチ
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
1973年10月18日,陸軍予備ヘリコプター部隊316医療支援(野戦病院)の指揮官だったローレンス・コイン少佐以下4名の軍関係者が, オハイオ州コロンバスの航空基地からクリーブランドのホプキンス基地に向かって飛行していた。

23時10分ごろ高度800メートルで,ヘリに高速で近づく赤く輝く飛行物体を4人が目撃し確認した。衝突をさけるため,コイン少佐は,ヘリを高度500メートルまで急降下させた。すると,飛行物体はヘリに張り付くかのように,真上で停止した。物体は,長さが15~18メートルほどの葉巻型をしていた。数秒後,飛行物体はヘリから離れ,北方へ飛び去った。
安堵したコイン少佐だったが,軍用ヘリの高度計が1100メートルを指していることに気づく。ヘリが
数秒間で600メートルも吊り上げられたのである。
目撃報告から,UFOの先端は赤く輝き,中央上部はドーム状で後部からは緑色の光を発していた。窓や吸引口,翼,尾翼,識別マークなどいっさいついていなかったという。他の乗務員ともども,信頼性の高い人物が事件の当事者であったため, 国防省は「まぎれもないUFOの目撃例として, 我々の記録にとどめるだろう」という声明を発表した。 珍しくUFO出現を否定しないコメントを出した事件となっている。
また,事件から
3年後,この事件を地上から目撃していたという家族が発見された。
【参考文献】
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』,監修:南山宏,2010年
参考外部サイト=> 怖話(【1973年】コイン陸軍少佐吊り上げ事件)




事件当時のコイン陸軍少佐。
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
●ドラギニャンの怪事件(フランス)



『UFOと宇宙』NO.15から
 
1973年10月19日の夜,フランス南部のドラギニャンで,山頂に光球を目撃した若者の仲間が,2台の車で山頂に向かったところ不思議な怪物に遭遇した。

場所は,フランス南部のドラギニャン(Draguignan)の北にある標高500メートルほどのマルモン(Malmont)山でおこった。

1973年10月19日の夜
,マルモン山頂からの風景を楽しもうとドラギニャンに住む青年がガールフレンドを後ろに乗せバイクで頂上近くの見晴し台に向かって走っていると, 500メートルほど左側の空中に明るいオレンジ色の光球が出現し,バイクと同じ方向に飛び始めた。
バイクをおり,観察していると光球は山頂まで飛び消えたが,山頂には赤い輝きが残った。 こわくなった二人はドラギニャンに戻りUFOに興味のある友人にこの話をした。
友人の仲間4人が2台の車で山頂近くの見晴し台に向かった。 到着すると,いつでも下山できるように車の向きを変えてからライトを消し車をおりると,そこから80メートルはなれた山頂にボーッとひろがる白い光に気づいた。
その輝きから不思議な音(ラジオのピーという雑音に近い)が聞こえてきた。 そのとき,4人は突然熱くなって,一種の熱波を感じた。続いて山頂に赤い光が現われ見晴し台に至る山道をおりてきた。 非常に重い人間が歩き小石をザクザクと鳴らすような音がはっきり聞き取れた。
4人は物陰に隠れ赤い光を見ていると,高さ3メートルもある黒い人影が赤い光と一緒に動いているのを目撃した。 車まで25メートルほどまで近づいた怪物は何かを拾い上げるように立ち止まり,やがて動きをとめ,赤い光も不思議な音も消した。
暗闇の中で小枝の折れる音や車の1台が何度かゆさぶられる音がした。4人はたまらなくなり,逃げろという合図とともに車に駆け込みエンジンをかけた。
結局のところ,4人は無事逃げおおせたのであるが,その間にも不思議な体験をした。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.15)』,1975年【ドラギニャンの怪事件,文:J・シャセーニュ,訳:増野一郎】
●グリーンズバーグUFO怪物目撃事件(アメリカ) 1973年10月25日,ペンシルバニア州グリーンズバーグでスチーブン・プラスキーと少年2人が, 着陸している円盤と,近くにいた毛むくじゃらの2匹の怪物を目撃した事件。

アメリカのペンシルバニア州グリーズバーグで,
この日の夜9時ごろ 畑の上空に赤く輝く球体が近所の住人により目撃された。 目撃者の一人スチーブン・プラスキー(22歳)は,近所の少年2人を連れ現場に行ってみることにした。
球体は畑へゆっくり下降していた。近くの丘についた3人はほとんど着陸しているように見えるその物体を見つけた。 それは直径が30mぐらいのドーム型で大きな泡のように見えた。物体からは,白い光が出てあたりを明るく照らし出している。そして,芝刈り機のような音をたてていた。
突然,少年の1人が,右手の柵のそばをのそのそと歩く2つの影を見つけ,叫び声をあげた。 スチーブンにはよく見えなかったが,熊ではないかと考えた。かついできたライフルには曳光弾を1発こめていたので,2つの影の頭上めがけて発射した。 すると,曳光弾の光の中に,奇妙な生物が浮かび上がった。それは黒っぽい長い毛で全身がおおわれている2匹の怪物であった。
身長は1匹が2m,もう1匹は2.5mほである。目は黄緑色で,両腕は地面につきそうなほど前にだらんと垂らしていた。 小さい怪物は,大きい怪物に遅れないように大またで歩いているように見えた。 2匹とも赤ん坊のような哀れっぽい声を出して,ゴムの焼けるような異臭があたりにただよっていた。
2匹の怪物たちは,3人のほうに向かってゆっくり進んでくる。スチーブンは怪物の頭上めがけて,ライフルを発射した。 それから覚悟を決めると,大きいほうの怪物に3発の銃弾を発射した。その間,少年たちは彼のそばで震えていたが,1人は家に向かって逃げていった。
銃弾を受けた怪物は,哀れっぽい声を出すと右手を上げ,もう1匹に触れるような動作をした。 それから,怪物たちはゆっくり向きを変え,森の方へ去っていった。
気がつくと,白い光を出して輝いていたUFOは,いつの間にか消えてしまい,芝刈り機のような音もやんでいたという。 この事件の後,牛や馬はその場所に近づこうとしなくなった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.33)』,1978年,【総力特集/私は宇宙人を見た!(毛むくじゃらの怪物とUFO)】
参考外部サイト⇒怖話(グリーンズバーグ事件)
●ゴフスタウン宇宙人遭遇事件(アメリカ) 1973年11月2日と3日 ,ニューハンプシャー州ゴフスタウンで,2日連続して起きた宇宙人遭遇事件。

11月2日の午前2時45分 ,リンダ・モレル夫人(20歳)は,ニューハンプシャー州マンチェスターの勤務先を退出し,自宅のあるゴフスタウンに向かけて車を運転していた。
モレル夫人は,西の方角の夜空に黄色い光体を見つけたが,その光体はビルや街路樹にさえぎられて見えなくなった。 しかし,彼女が商業地区を通り抜け,ノース・マスト通りにきたとき,その光体はモレル夫人の真っ正面に姿を現わした。 そして,光体は大きさを増しながら接近してきた。モレル夫人は,ピーッというかん高い音が聞こえ,体中がピリピリするような感覚に襲われた。
光体はさらに近づいてきたので,その形状がはっきりわかるようになった。それは,オレンジ色の球体で,表面に蜂の巣のような六角形の模様があった。 そして全面の中央より少し上の部分に楕円形の透明な窓があり, その窓のなかに一人の乗員が黒い装置を前にしてこちらを向いて立っているのをモレル夫人は見ることができた。乗員の顔は丸顔で,皮膚は象のように皺だらけであった。目玉は卵形で大きく,その目はまるで彼女に語りかけてくるようだったという。
モレル夫人の車は,急にコントロールがきかなくなったが,なんとか近くのボードロン家の正面の芝生に停車することができた。
モレル夫人が助けを求めて,ボードロン家の玄関を目指して走る間にも,UFOからのビーッというかん高い音が聞こえ, 体がその音のほうに引寄せられるような感じがしたという。
ボードロン夫妻は,家の裏口から聞こえるモレル夫人の叫び声を聞いてドアを開けると,彼女を家の中に入れ,急いでドアに鍵をかけた。
ボードロン夫妻が,彼女の話を理解するまでには,しばらく時間がかかったが,警察に連絡した。
警官がすぐに駆けつけてきたが,すでにUFOはどこかに飛び去っていたという。

★リンダ・モレル夫人が目撃したUFOと宇宙人
(IIIust/”ENCOUNTERS WITH UFO OCCUPANTS”)
『宇宙人の死体写真集2』から

翌11月3日 にも,またしてもゴフスタウンでUFOが目撃された。
午後7時30分ごろ ,レックス・スノーと妻のテレサは,天体望遠鏡で火星の観察をしていると,ラジオ局の送信塔の上に浮かんでいる, 明るく輝く円盤型の物体を目撃した。 その円盤の周囲には赤く輝く窓が少なくとも4つ並んでいたという。
そして,
その日の真夜中過ぎ のことである。スノー家の人びとは不思議な気配を感じ目を覚ました。 愛犬のジャーマン・シェパードが哀れっぽい鳴き声をたてて騒いでいた。テレサはレックスに,犬をちょっとの間,外にだすよう頼んだ。
レックスが寝室のドアに近づくと,まぶしい光がドアの下から差し込んでいた。 ドアを開けると,台所につながっている廊下全体が柔らかい光に包まれていた。 台所にいくと,その光はブラインドやカーテンの向こう側から流れ込んできているようだった。 レックスは,家の外が火事なのではないかと思い,急いで台所にある裏口の窓のところにいき,カーテンをかき分けて外の様子を観察した。
すると,驚いたことに外には銀色の服を顔まですっぽりかぶり,まるでKKKの団員のような格好をした小柄な二人の生物がいた。 彼らの体は白く発光していて,その柔らかい光が家の中に入ってきていたのだ。
彼らの耳は尖っていて,目の部分は卵形に黒く,鼻と思われるところは大きく盛り上がっていた。 彼らの服は,ブーツ以外,すべて一つながりになった縫目のないものでできていた。
二人のヒューマノイドが立っている場所は,レックスから18メートルぐらい離れていた。 レックスは寝室に駆け込み,拳銃に弾をこめ,急いで台所のところに駆け戻った。愛犬のジャーマン・シェパードが興奮して跳びはね,しきりに吠えたてていた。
レックスは「侵入者たちにとびかかれ」と犬に命じて,裏口のドアを開けた。 犬は勢いよく怪物たちのいる場所へ走っていった。犬が9メートルぐらいまで近づくと,彼らは作業を中断して,襲いかかろうとする犬を睨みつけた。 とたんに犬はぴたっとその場に停止してしまった。犬はまた前進したが,彼らに睨まれると,すぐに動きを止めた。 何回かこれを繰り返して,犬はすごすごと裏口に戻ってきた。そして,台所の床に腹ばいになると,背中の毛を逆立てて哀れっぽく泣き続けた。
レックスは,ものすごく怖くなり,手が震えて拳銃をまともに握っていられないほどだった。 彼は妻を大声で呼んでみたが,テレサは恐れおののいて寝室から離れようとしなかった。
一方,二人のヒューマノイドたちは,中断していた作業を再開した。木立のそばの地面から何かを拾っては,大きな銀色の袋に入れる。 そして,一人が大きな懐中電灯のようなもので地面を照らし,ときどき動きを止めて, その場所を照らし続け,もう一人がゆっくり屈んで,何かを拾いあげて袋に入れる。それらの動作はまるでスローモーション映画を見ているようだったという。
しばらくすると,ヒューマノイドたちは,唐突に作業を止め,木立の中を歩み遠ざかって消えていった。

★レックス・スノー氏が目撃した宇宙人
(IIIust/”OFFICIAL UFO” Aug.1975)
『宇宙人の死体写真集2』から

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者: 中村省三 (ゴフスタウンで二日連続して起きた宇宙人遭遇事件)
 
●ココヨクUFO着陸事件(メキシコ)


『UFOと宇宙(No.25)』から
1973年11月3日 ,メキシコのモレーロス州ココヨクにて奇妙な形のUFOが目撃撮影され,そのUFOが着陸した事件。

メキシコ人のヒメネス夫妻(仮名)は,子供と子守りのローサを連れて行楽地ココヨクに出かけたが,この日が日曜日のため, 渋滞をさけるため早めに自宅のあるメキシコ市に引き返すことにした。
午後4時45分ごろ,モレーロス州のココヨクとオアフテベク間の国道を走っていたとき,夫人が空中に奇妙な物体を目撃した。
よく見ようとして,ヒメネス氏は車をとめて外に出た。それは、実に奇妙な形の物体で,彼らを観察しているかのように非常にゆっくりと降下していた。
まるでナシをさかさまにしたような形で,周囲に"触手"のような物が数本突き出ていた。 この触手のようなものは,空中を泳ぐかのように移動する手段に用いられているように見え,進行方向とは逆方向にたなびいていた。
この奇妙な物体はやがて,"触手"を下に向けて着陸した。このとき付近にいた地元の子供2人が,それを目撃していて着陸した物体の方に走って行った。 物体は,ヒメネス氏の車から250〜300メートルの位置の樹木のそばに停止していた。
恐怖を感じた夫人とローサに,早く現場から逃げようと急かされたため,ヒメネス氏は車を運転して急いで現場から走り去ったという。
目撃中にヒメネス氏は6枚の写真を連続撮影していた。物体は高さが約12メートル,直径が8メートルあったと思われる。目撃時間は
約8分間である。 このとき全く同じ形の物体がもう1個前方に見えたというが,それは撮影されていない。





【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.25)』,1977年【メキシコ,ココヨクに奇妙なUFOが着陸!】
参考外部サイト⇒きよりんのUFO報告(現代UFO全史-28)
●パスカグーラUSO遭遇事件(アメリカ) 1973年11月6日,ミシシッピー州のパスカグーラでボラ漁中のライアン一家とライス一家の人々が,水中に不思議な発光体(USO)を目撃した。

この日の晩,パスカグーラ(Pascagoula)の南西方面の軟泥とカキだらけの平坦な河床地帯で,ライアン一家(Ryan family)とライス一家(Rice family)がスキッフ(軽ボート)4隻でボラ漁に従事していた。
空は快晴で月は細く,ときおり北から微風が吹く程度で,なめらかな凪ぎ状態であった。
20時ごろ,レイム・ライアン(Rayme Ryan)は錨泊中のスキッフ近くの水中に不思議な発光体を見つけた。ライアンはこれを櫂(かい)で突こうとした。すると物体からのライトは暗くなり,放置すると再び明るくなった。付近の水深はほぼ1.2〜1.8メートルであった。
彼は弟を呼び,その後ライス一家も現場に呼び寄せた。物体は櫂で妨害されるとライトは暗くなり,移動し,また明るくなった。
約30分後,レイムが”破壊”の意図をもって,櫂で水中の物体を殴打した。すると物体はライトを消し姿を消した。物体が見当たらなくなったので,全員は漁を再開した。
それから,
約30〜40分後,レイムは最初の目撃地点から南西約0.8キロに投入した網を回収しようとブイに戻ってくると,またもやその近くの水中で光を発して静止している物体を見つけた。
彼は,再び仲間を呼んだ。そして,今度は物体に何もしないで沿岸警備隊を呼んだ。
21時40分ごろに,オフィサー・ネーション(Officer Nations)とオフィサー・クルー(Officer Crews)が到着した。彼らも同じように櫂で水中の物体を突くと,物体は4〜5ノットの速さで移動しライトを消し,その後二度と見つけることはできなかった。
通常は,一晩で一隻あたり1トンの漁獲量があるが,その晩は4隻合わせて400ポンドと少なかった。
物体はいろいろな方向へ移動し,速度は4〜6ノットだった。妨害されたり,上をボートが通過すると動きを止めた。
物体からのライトは水面に向けられていて,水面とライトの交差面は,円形ないし楕円形で,その大きさは直径3〜3.6メートルぐらいであった。ライトは側面から見ると,水中のパラシュートのように見えた。
懐中電灯のライトを浴びせると,物体はライトを消した。懐中電灯のライトをどけると
一分ほどで,物体のライトは再び以前の強度まで明るくなった。
軽ボートとモーターの吃水は最大で1メートル,水深は最小で1.2〜1.5メートルでボートが水中の物体(USO)の上を通過してもぶつからなかった。
なお,このパスカグーラでは,
1ヵ月ほど前の10月11日パスカグーラUFO誘拐事件が起きている。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第5章/過去からのこだま】1987年,共著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏


サイト:「Blog Misteri Tesla」から
【関連サイト検索キー: Pascagoula, 6 november 1973, uso 】

参考外部=>NICAP(The 1973 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Two Boat Crews Encounter Submerged Object)

参考外部=>NICAP(Strange Object's Maneuvers Near Nuclear Shipbuilding Disturb Navy)

参考外部=>And speaking of which(The Pascagoula USO)

参考外部=>Sciforums(Submerged Object The Pascagoula,Mississippi USO)

参考外部=>Blog Misteri Tesla(Misteri USO (Unidentified Submerged Object))
●仁川(インチョン)事件(韓国)
【魚雷艇UFO遭遇事件】


イラスト:『UFOと宇宙(NO.20)』から
1973年11月11日,改装魚雷艇が仁川付近の悪天候の海上でUFOに遭遇した事件。

大韓民国海軍所属の30メートルばかりの改装魚雷艇は,仁川付近の暗い嵐の海上を,日課の補給任務についていた。
6人の乗る魚雷艇は,大波が寄せるたびに艇首を空に突き上げ,次には波の谷間に突っ込んでいた。
嵐にもまれる魚雷艇の上で,突然,乗組員は明るい飛行物体を目撃した。物体は,嵐や雨やみぞれをものともせず,水面すれすれの高度を直線飛行していた。 こんな天候に飛行機が飛べるわけもなく,近づいてくる飛行物体が人工の航空機でないことは,乗組員のだれもが確信した。 その飛行物体は長さが12メートルぐらいで水面30メートル以下の高度で高速で近寄ってきた。
舵手のパク・ミュンファ(当時25歳)は,艇長のキム・ピョンハク中尉に「早く逃げましょう!」と大声をあげ,27キロメートル東の仁川に艇を向けるよううながした。
一度,空中に停止した飛行物体は,再び動きはじめ超音速のスピードで近づいてきて魚雷艇の頭上を通過した。 物体は,白熱した金属のようで桜色に明るく輝き,中心が隆起していて円盤形をしていた。典型的な空飛ぶ円盤であった。腹部の中心からは排気を吹き出していた。
魚雷艇は母港を目指して全速力で走り出した。円盤は後方に浮かんでいるように見え,高度は30メートル以上には上昇せず,位置を右,左とたびたび変えた。
20分 は魚雷艇の周囲をうろついていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.20)』,1976年 【韓国上空のUFO嵐,文:ロナルド・ドラッカー,訳:増野一郎】


目撃した円盤のスケッチを示すパク・ミュンファ海軍隊員
『UFOと宇宙(NO.20)』から



参考外部サイト⇒阿修羅(韓国上空のUFO嵐(『UFOS & SPACE』76年10月号))
●ブラデントンUFO目撃事件(アメリカ)

★スラッシュ少年が撮ったUFO
『UFOと宇宙』NO.10から
 
1973年12月13日の夜 ,フロリダ州ブラデントンでパトリック・スラッシュ少年が,夜間ブラーデン河上空に滞空し,水面に光線を発しているUFOを目撃し, それを撮影した事件。

パトリック・スラッシュ(16歳)は,この夜,女友達の家に行こうとして車を走らせていると,
9時15分ごろ 飛行機か何かが落ちるようなものを目撃した。 それが何か確かめようと,女友達の家よりずっと先まで走っていった。何も見あたらないので,あきらめて戻ってくると,ある丘の近くまで来た。 そのとき,車のライトがブラーデン河上空6〜7メートルのところに滞空している謎の飛行物体を照らし出した。 その飛行物体は下のほうから光線を発し,光線は水面までのびていた。飛行物体の大きさは幅が6〜7.5メートル,高さは約3メートルくらいであった。 彼は車を降りそれを眺めていたが,車内に置いてあるカメラを思い出し,急いで取り出し,その物体を撮影した。
5分間ぐらい 眺めていると,物体は突然,光線をひっこめ,何か連続的な音を立てながら,彼の方に近づいてきた。 彼はあわてて逃げた。 物体は彼の車の上,約2〜3メートルのところを通過して遠ざかっていったが,その際,物体は小さな物をいくつか落としていった。 水中に落下した音や,彼の車の上に落ちる音を聞いたのだ。 彼は車に戻り,車のヘッドライトで落ちた小物体を探したところ,直径2センチぐらいの物を3つ見つけることができた。 それは,黄鉄鉱のように見えるものだったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.10)』,1975年,【銀色の服を着た宇宙人,文:高梨純一
 
●クロード・ボリロン宇宙人コンタクト事件(フランス)





★いずれもボリロンによるUFOのスケッチ
『UFOと宇宙(NO.25)』から
1973年12月13日 ,クロード・ボリロンがクレモン・フェランにある火山にドライブ中,ピュイ・ド・ラ・ヴァシェのクレーター付近で, 霧の中から降下してきたUFOとUFO内から降りてきた宇宙人と遭遇し, そのコンタクトは連続 6日間 におよんだ。

UFOから降りてきた宇宙人は,身長が1m20cm足らずで,目がかなり細く,髪は黒くて長く,短いあごひげを生やしていた。 体をすっぽりおおう緑色の服を着ていた。顔と頭は大気にさらされているようだが,そのまわりの空気がわずかに輝き震いていた。 皮膚は白く,やや緑がかっていた。
相手は,フランス語で答えた。ボリロンはUFO内に招き入れられ,なぜ選ばれたのかを話してくれた。
次の日は,聖書に基づいた講義をうけたが,彼らはこの地球に生命を創り出した。我々,人間も彼らが想像したものだという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.25,1977年,【聖書と宇宙人】
【関連図書】
『聖書と宇宙人』,1980年
『地球人は実験室で創られた』,1982年
『真実のメッセージ』,1987年
参考外部サイト⇒ Wikipedia(ラエリアン・ムーブメン)


コンタクト現場に立つボリロン。


イラスト:足立三愛
『聖書と宇宙人』から)
1974年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ワルヌトン怪人目撃事件(ベルギー)

『UFOと宇宙』NO.15から 

1974年1月7日の夜 ,フランスとベルギーの国境近くのワルヌトンで,国道を車で走っていたベルギー人男性が,UFOと奇怪なロボットのような怪人に遭遇した。

夜8時40分ごろ ,そのベルギー人の男性は,ワルヌトンに向けて車を走らせていた。雨上がりで路面は濡れていたが,夜空には月が姿を見せていた。
時速60〜70キロで車を走らせていたが,突然車のヘッドライトが消え,エンジンが停止してしまった。 ギアをニュートラルにいれると,ゆるい下り坂を,車は惰性で100メートルほど進んだ。
整備工である彼は,車をみようと座席から体を浮かせたとき,フロントガラスごしに不思議なものが目に入った。 それは,約150メートル離れた道路わきの畑の中に3本脚で立っている7〜10メートルほどのオレンジ色の光りをおびたヘルメット形の物体であった。
同時に前方約30メートルのところに親子のような二人の人影を発見したが,それらは,こちらに向かってゆっくり近づいてきた。 15メートルほどまで近づいたところで,二人の姿がはっきりと見て取れた。
小さいほうは,丸いヘルメットをかぶり,ミシュラン・タイヤの広告のような姿をして,右手に銃のような三角定規に似たものを持っていた。 大きいほうは背が少し高く,1.3メートルぐらいあり,箱のようなヘルメットをかぶっていた。肩幅も広く,がっしりした体つきをしていたが腰が細かった。 中央に光りを放つ黒いベルトをしめ,左肩からベルトまでつり革のようなものを着けていた。二人とも手が異常に長く膝の下まであった。 ヘルメットの前面が,二人とも透明でまったく同じ不気味な顔をしていた。
二人は,車から4メートルの地点まで接近してきた。箱のようなヘルメットをかぶったほうが,話しかけるかのように口を開いた。 声は聞こえてこなかったが,その直後に,目撃者の男性は後頭部にショックを感じたという。 つづいて低い人工的な音が聞こえてきた。音は,頭の中で直接響いているようで,だんだん大きくなった。
突然, 二人は急に踵を返し,UFOの方に,ぎごちない足どりで歩き始め,ごつごつした地面を滑るように進んでいった。
すぐにUFOは三本脚を引っ込めてからは浮き上がり,ちょっと停止した後,急速に上昇して視界から消えていった。
二人の怪人物が踵を返したのは,後方から近づいてきた別の車のライトのせいかもしれなかったという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.15,1975年【「ワルヌトンの奇怪なロボット」,文:ゴードン・クレイトン,訳:久保田八郎
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者: 中村省三【ベルギー国境に姿を見せた二体のロボット】


『UFOと宇宙』NO.15から



参考外部=>NICAP(The 1974 UFO Chronology)
●ベリンゲリ夫妻UFO目撃事件(イタリア)

ベリンゲリ夫妻が見たUFO

ベリンゲリ夫妻が見たUFOの乗員
★ベリンゲリ夫妻が見たUFOと乗員
『宇宙人の死体写真集』から
1974年4月15日の夜中 ,北イタリアのカサーレ(ミラノとトリノの間にある)近郊の村で,ベリンゲリ夫妻が自宅の上空に静止したUFOと中の乗員を目撃した。

この夜(16日なっていた) ,村祭りの見物をして車で帰ってきた,ベリンゲリ夫妻は,自宅から400メートルほど手前まできたとき, 車の左手の上空に奇妙な動きをしている光体を発見した。すると,その光体が,ほとんど垂直に急降下したかと思うと,夫妻の家の上空でぴたりと静止した。
夫のマウロは,車を自宅の門の中に乗り入れると,車の外に出て光体を観察した。妻のカルラも車の右手に降りて観察した。 その光体は,上部が透明なドーム状になっている円盤で,地上12〜13メートルのところに浮かんでいた。 ドーム下の底部は,リングのようなものが取り巻いていて,時計まわりに回転して,赤,黄,緑のストロボ光を放っていた。
ベリンゲリ夫妻は,自宅の隣に,けばけばしい夜間照明で飾りたビルがあるので,円盤はこの証明に誘われて出現したのではないかと思ったという。
上部の透明なドーム内は,明るくコクピットになっているようで,内部には人間によく似た乗員3人の上半身が,同じ方向を向いているのが見えた。 三人は黒い艶消し色の材質でできた大きなまるいヘルメットをかぶっていた。ヘルメットからは潜水夫が使用するようなノズル付きバルブが出ているのが認められたという。
いちばん手前の乗員が,急に夫妻のほうを向いたが,すぐに元どおりの姿勢に戻った。 それから,3人の乗員がいっせいに右をむいた。まるで,コクピット全体がぐるっと回転したようだった。その瞬間,円盤の底部から3,4本のジェット噴射が下方に噴き出した。ウィーンという奇妙な音がして,円盤の下部のリングの回転速度が増した。 妻のカルラはパニック状態になり家の中に駆け込んだ。
円盤は,コクピット部分を逆時計まわりに回転させながら,北東の方向に水平飛行して,そのままポー川の川岸に沿って低空飛行をし,ロンバルジア平原のかなたに消えていった。
いつもはジェット機の騒音に敏感に反応する愛犬が,なぜかUFOの出現中は,騒ぐそぶりをみせなかったという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三(北イタリアに現われたUFOと二人の乗員)
参考外部=>NICAP(The 1974 UFO Chronology)
●フィッシュバッハ兵器廠UFO侵入事件(ドイツ) 1974年5月,ドイツのフィッシュバッハ陸軍兵器廠(Fischbach Army Weapons Depot)にUFOが出現し,施設の電気系統に障害を生じさせた。

1970年代初期に,ドイツに駐留していた米陸軍部隊は,数百発の核ミサイルを配備していた。それは,ミニットマンICBM等の大型戦略核とは異なり,大部分は戦術核(戦場で戦闘車両や対人攻撃に使用)で,ソ連が西ヨーロッパへ侵攻した時に使用することになっていた。
しかし,地対地ミサイルのパーシングIa(Pershing-Ia)は,400キロトンの核弾頭を搭載可能で,当時の戦略核に匹敵する威力があった。
これらの強力なミサイルが保管されていた場所の一つが,ドイツのフィッシュバッハ兵器廠(Fischbach Weapons Depot)で,第197兵器大隊が管理していた。

1974年当時,R・ジャック・フィリップス(R. Jack Phillips)上等兵は,ドイツのダーン(Dahn)に駐留する第193憲兵大隊に所属していた。この部隊の任務は,フィッシュバッハ陸軍兵器廠付近を警備し,侵入者による妨害工作を阻止することだった。
5月のある夜,フィリップスは,兵器廠のエリア3で警備任務に就き,7つある監視塔のタワー3にいた。午前3時か3時半のこと,北の方にとても明るい星が見えた。東方ではないので金星ではなかった。フィリップスは15秒ほどそれを見つめていた。静止していたようだったが,突然,それは信じられないような速度でフィリップスに向かって近づいてきた。そして,それは急停止し,フェンスラインの少し向こうの何もないエリアで静止滞空した。フィリップスのいる監視塔から100ヤード(約91m)ほどの距離であった。
その物体は,2枚のティーカップの皿を重ねたような形で,真横からは葉巻のような形に見えた。直径は60フィート(約18m)ぐらいで,全長の3分の1ほどの長さのドームが付いていた。底部は,指で押し込んだような円形のくぼみがあり,全体は燐光のような緑がかった光で覆われていた。
5秒ほど経過して,約1秒間明るさを増し,またもとの明るさに戻った。明るくなった時,施設の安全灯が消え,電気がまったく使えなくなる状況になった。
フィリップスは状況を報告するために,野外電話(各監視塔から警備隊員の待機所につながっている)を使用したが,つながらなかった。停電をした場合,
10秒で発電機が作動するはずであったが,作動はしなかった。
それから
30秒ほどして物体は,あっという間上昇し西の方向に飛び去ってしまった。
すると,ライトは復旧したが,同時にバンカーの全アラームが鳴り始めた。アラームのベルとクラクションは,ポールに設置されていた。
各警備隊員待機所には,アラームの電磁スイッチをリセットするマスターボードがあったが,操作してもアラームは鳴りやまなかった。このため,警備隊員たちは,各バンカーに出向いて,ドアを物理的に開閉してリセットしなければならなかったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代核関連UFO事件】,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>Wikipedia(MGM-31(ミサイル))

参考外部=>Wikimapia(Fischbach Weapons Depot)

参考外部=>En.Wikipedia(List of United States Army installations in Germany)

参考外部=>UFOs & Nukes(UFOs and Nuclear Weapons)



【関連サイト検索キー: Fischbach bei Dahn, 1974, ufo 】
参考外部=>Das UFO-Phaenomen(UFOs and Nukes:Zwei Faelle aus Deutschland)

参考外部=>The UFO Chronicles("UFOs and Nukes" by Noted American Researcher Robert Hastings Released By Kopp Verlag)

参考外部=>ExtremNews("UFOs und Atomwaffen" vom renommierten amerikanischen UFO-Phaenomen-Forscher Robert Hastings)

参考外部=>Wissenschaft Mysterien Legenden Geschichte(UFOs und Atomwaffen)
●セントシリル宇宙人遭遇事件(カナダ)

★目撃された宇宙人
『宇宙人の死体写真集』から
1974年6月25日,カナダのケベック州セントシリル(St. Cyrille)に住む若い夫妻が,ロボットのような宇宙人に遭遇した。

トレーラーハウスに住んでいた夫妻が,テレビの深夜番組を見終えたとき,外のほうでバン,バン,バンという奇妙な音がした。居間のカーテンを開けてのぞくと,北東の野原の上に,赤っぽいオレンジ色をした球体が浮かんでいた。それから発する光はまぶしすぎて直視できなかった。
夫が妻を起こしに寝室にいくと,ビービーという音が聞こえてきた。すると,寝室の窓の向こう4.5メートルあたりのところにUFOの乗員らしきものが見えた。その宇宙人は身長が1.8メートルぐらいで,全身が金属ででもできているかのようにこわばり,胸のあたりにはネオン菅のように赤く光る棒状のものが何本も水平に並んでいた。
その宇宙人の頭がどうなっていたかは,まったく記憶がないという。宇宙人はトレーラーハウスのそばにある,プレハブ倉庫の中を調べているようだった。
夫妻は居間のほうにいって外を見ると,3人の宇宙人が目に入った。ぎくしゃくした動きは,生物というよりロボットを思わせ,トレーラーハウスのシャフトやホイールを点検しているようだった。
夫妻は
3時間近く見ていたが,その間,前部で15体ぐらいのロボットが,小川のそばに一列に並び,リモートコントロールされているかのように突然,動きだすようなことも観察した。
後日,UFO研究家が調査に乗り出し,現場からUFOの着陸痕と思われるものを発見した。着陸痕は3つあり,いずれも円形で直径が5メートルほどで,痕跡の外周60センチほどは草がおしつぶされていたが,その内側はなんともなかったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三(ネオン菅のように赤く輝く顔なしロボット)




サイト:「Think AboutIt-REAL」から
【関連サイト検索キー: St. Cyrille, Quebec, 1974, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1974 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(June 24,1974;St.Cyrille,Quebec CE III

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1974:June UFO & Alien Sightings)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1974:Robots In Quebec,Canada)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1974)

参考外部=>UFOdna(25 Jun 1974 St Cyrille De Wendover,Quebec,Canada)
●グランドフォークスAFB爆撃機待機エリアUFO出現事件(アメリカ) 1974年10月14日,ノースダコタ州グランドフォークス空軍基地の爆撃機警戒待機エリアの北西上空に,黒い楕円形の2個の物体が出現した。

グランドフォークス空軍基地(Grand Forks Air Force Base)の爆撃機警戒待機エリア(Bomber warning stand by area)には,複数のB-52機が待機していて,その爆撃機全部に核が搭載されており,有事の際にはいつでも緊急発進ができるようになっていた。
この爆撃機警戒待機エリアの東1.5マイル(約2.4km)には,WSA(Weapon storage area-兵器貯蔵エリア)があり,第319爆撃航空団所属のB-52に搭載する核爆弾だけでなく,ミニットマンUミサイルに搭載する核弾頭(再突入弾頭「RV」)も管理されていた。

この日の午後9時9分,この爆撃機警戒待機エリアに配置されていた警備隊員は,2個の大きくて暗い楕円形の物体が,北西の空の低い位置に滞空しているのを目撃した。2個の物体の表面には,5個の小さなライトが並んでいた。
物体は,警戒待機エリアの4分の1マイル(約400m)以内に接近するまで,発見できなかった。
3分以内に,14名の保安警察隊員,2名の空軍パイロット,1名のB-52の整備責任者が,各々所属する部署から,この2個の物体を報告した。
物体は
2分ほど滞空した後,縦に並んで低空で南の方に移動し,かすかにブーンという音を発しつつ,視界から消えた。
目撃を報告した士官は,その物体を「円盤のよう」で,その表面は光を反射せず,「輝きのない黒い固体」だと述べた。物体の直径は,50〜75フィート(約15〜23m),高度は約1500フィート(約460m)と推測した。
また,報告には保安警察隊の無線通信網に,雷と同程度の干渉があったと書かれている。
最後に,この士官は次のように書いている。
「3頭の軍用犬,ジャーマンシェパードがWSA(兵器貯蔵エリア)内にいた。
その夜,軍用犬の調教員たちは,犬たちが突然興奮し出し,非常に脅えていた,と報告している。よく訓練された犬には,極めて異例のことだ。」
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代核関連UFO事件】,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>Wikipedia(核兵器一覧)

参考外部=>En.Wikipedia(Grand Forks Air Force Base)
●ビボールUFO目撃事件(デンマーク)


『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』から
1974月11月17日,デンマークのユトランド半島ビボールで地元住民のラウエルセン氏が,雲に包まれたUFOを目撃し写真に撮った事件。

この日の
午前9時ごろ,デンマークのユトランド半島中部のビボール(viborg)で,地元住民のラウエルセン(H. Lauersen)氏が愛犬を連れて散歩をしていると,上空に雲に包まれた怪しい物体が浮いているのを目撃した。
ラウエルセン氏は,これを写真にとったが,物体は下部から雲を吸いながら上昇すると,あっという間に姿を消してしまったという。
【参考文献】
『最新版 UFO・エイリアン極秘事件ファイル』2014年,監修:矢追純一

『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』1990年,著:ティモシー・G・ベクリー,訳:南山宏
参考外部サイト=> 【国家機密とUFO】



【関連サイト検索キー: viborg denmark, 1974, UFO】
参考外部=>UFOdb(Best UFO picture showing UFO in Cloud disguise;Viborg, Denmark 1974)
1975年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ノース・ハドソン・パークUFO着陸事件(アメリカ)


★目撃されたUFOのスケッチ
『UFOと宇宙』(No.23)から
1975年1月半ば,深夜3時ごろ ,ニューヨーク近郊のノース・ハドソン公園を車で通りかかったジョージ・オバースキー(72歳)が,公園内に着陸するUFOを目撃し, 中からおりてきた10人ほどの人間が,土壌サンプルの採取らしきことを行うのを目撃した。

1月にしては,暖かいこの,オバースキー氏は,酒屋の深夜の仕事を終えて,いつもの帰宅コースであるノース・ハドソン公園内に車で入ってくると, カーラジオがひどい雑音を発し始めた。調整中にラジオは完全に鳴らなくなった。 するとブーンという音が聞こえてきて,彼の左肩上空(西側)から明るく光る飛行物体が出現し, 数秒後 に,左側の歩道にそって生えている木の向こう側,地上約3メートルの高さに静かに停止滞空した。
その物体は底部が平たく,上部はドーム形をしており,直径は約9メートル,高さは2.5メートルほどあった。 側面には縦長の窓が規則的に並んでいた。物体からハシゴのようなものが降りてきて, ヘルメットのようなものをかぶり,ユニフォームのようなものを着た,身長が1メートルほどの人間が10人ほど降りてきた。 彼らはオバースキー氏には注意をはらわず,スプーン状の道具と袋のようなものを持って,せわしなく地面一帯を動きまわり, 手にもった袋に何かをつめていた。そして,数分後に彼らは物体にもどると,物体はすぐに上昇し北に向けて飛び去っていったという。 これらの出来事は
4分 とかからなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年12月号(No.21),【UFO情報(海外)】
『UFOと宇宙』1977年2月号(No.22),『UFOと宇宙』1977年4月号(No.23),【「大ニューヨークの郊外に円盤着陸」, 文:テッド・ブローチャー,訳:久保田八郎


UFOの目撃経過図
『UFOと宇宙』(No.23)から




参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)


参考外部=>Think Aboutlt-REAL(Category:1975 Sightings)
●ビリー・マイヤーの宇宙人コンタクト事件(スイス)

1975年1月28日午後2時15分に撮影されたもの
『UFOと宇宙』(No.23)から
1975年1月28日の午後1時ごろ ,スイスのチューリッヒ郊のヒンウィル村で生活するビリー・エドアルド・マイヤー(当時38歳)は,あるテレパシーによって,自分のカメラ(日本製小型カメラ・オリンパスCR35)を持ち,バイクに乗った。 テレパシーの指示に従い, 1時間ぐらい 走っていると,うなり音が聞こえてきた。見上げると,空の雲の中から美しい円盤型の物体が姿を現した。 その円盤は静かに降下し草地に停止した。マイヤーは,円盤が着地する前から何枚かの写真をとり,着地した円盤に近づいていくと, あるところで何かの力で進むことができなくなった。すると,円盤の背後から人間と同じ姿の者が現れ,マイヤーに近づいてきた。 それは,宇宙飛行士と同じような灰色のオーバーオールを着て,ブ゙ロンドの長い髪,目鼻立ちの整った女性だった。 肌は青くきらめいていた。ただ,耳たぶが頬までつながっていた。 その女性は,名前はセムヤーゼでプレアデスのエラという惑星から来たことを話した。
その後,マイヤーは何度もセムヤーゼとコンタクトを重ねた。場所はヒンウィルかエッテンハウゼンの付近の草地であった。 そして1千ページ以上のノート,観察メモ,メッセージを記録した。

【参考文献】
『UFOと宇宙』1977年2月号(No.22),【「金髪の女性宇宙人としばしば接触」,文:ウェンデル・スティーブンス,訳:アン・ディカス】


1975年2月2日に撮影されたもの
『UFOと宇宙』(No.23)から
●甲府UFO宇宙人遭遇事件(日本)
 
1975年2月23日の夕方 ,甲府市の小学生ふたりがぶどう畑に着陸したUFOと宇宙人に遭遇した事件。

◎詳細はこちら⇒
 日本のUFO遭遇事件No.1975001No.1975002










参考外部サイト⇒Wikipedia(甲府事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(甲府事件)
●ムーディ軍曹UFO誘拐事件(アメリカ)


 


『UFOと宇宙』(No.19)から
1975年8月13日の深夜 ,ニューメキシコ州アラモゴード近くの砂漠で,ホロマン基地勤務のチャールズ・ムーディ軍曹が流星雨を見ようとしていたときに,UFOにアブダクトされた事件。

流星雨を見ることができるというので,アラモゴードのホロマン空軍基地に勤務している,チャールズ・ムーディ軍曹は,一人で車で砂漠に出かけた。 流星雨を見ることはできなかったため,帰ろうとしていた
1時20分ごろ に,前方100メートルほどのところに,閃光のようなものが落ちてきて,地上10メールほどのところに揺れながら停止した。 それが,ムーディ軍曹の方に向かってどんどん近づいてきた。その物体は,円盤型をし直径が12〜15メートル,高さは6メートルぐらいで,金属的な灰色をしていた。 下部に3個の球体が見えた。軍曹は車のイグニッション・キーを回したが,エンジンは始動しなかった。 飛行物体は,軍曹の15メートルぐらいまで近づき停止した。カン高い声が聞こえ,物体に窓が現われ,そこに人影が見えた。 すると,車の周囲を奇妙な光が包み,全身がしびれるようになった。 しばらくすると,しびれは消え,気がつくと軍曹は車内に座り,飛び去っていく物体を見ていた。 車のイグニッション・キーは回りエンジンはすぐにかかった。自宅に戻ると 1時間20分 という時間の記憶が失われていた。
次の日 に,軍曹の頭のなかに失われていた記憶が戻ってきた。 停止した物体から"人間"が2人が滑るように近づいて(歩いていなかった)きた。 軍曹は戦う覚悟をして,車のドアを開けようとした一人にドアを勢いよく押し開け相手をひっくり返した。 もう一人には顔のど真ん中にパンチを食らわせた。その顔はグニャッという感じで相手はひっくり返った。 戻った記憶には,そのあと,軍曹は固いテーブルのようなところに横たえさせられていて,一人の"人間"に体を調べられていた。 その頭部は大きく,まゆも頭髪もなく額はでており,その下に25セント硬貨ぐらいの大きな黒い眼が鋭い眼光を放っていた。 耳,鼻,口は小さく唇は薄かった。身長は5フィート(1.5メートル)ぐらいで,ひ弱に見えた。 顔と手以外はすっぽりピッタリした白い服におおわれていた。その怪物は,その後ムーディ軍曹を自由にして円盤の中を案内してくれたという。 怪物は完全な英語で話していた。ただし唇は動かなかったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年8月号(No.19),【「チャールズ・ムーディ軍曹砂漠で円盤に誘拐される!」,文:中津要二】



(ムーディ軍曹が描いた宇宙人)
『UFOと宇宙』(No.19)から





参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)
●サンディー・ラーソンUFO誘拐事件(アメリカ)
【ファーゴ事件】



サイト;『UFO事件簿』から
1975年8月26日 ,ノースダコダ州のファーゴで,サンディー・ラーソン夫人ら3人が,UFOに誘拐された事件。

サンディー・ラーソン夫人は,娘のジャッキー(当時15歳)と彼女のボーイフレンドのテリー・オライリーとともにテリーの運転する車で, 隣り町のビスマルクに向かって
夜中の3時15分に自宅を出発した。 なぜ,この時間に出発したかというと,夫人が受ける不動産管理士の試験が320キロ離れたビスマルクで午前8時30分に始まるからであった。
運転席(左)にテリー,隣りにジャッキー(中),右の窓ぎわに母親のサンディーという配置で3人は,前部シートに座った。
国道94号線を西に,ファーゴの町から64キロほど来た時,突然,雷鳴のようなものすごい大音響がとどろきわたった。 同時に,左前方の上空に,オレンジ色に輝く巨大な円盤が現われ,その巨大な円盤から,たて続けに10個ほどの小型の円盤がとび出し, 南から東へ30度くらいの角度で斜めに一直線に並んだ。
そして,下の方の3個ほどが,車から50メートルほど離れた地上6メートルほどのところまで降りてきて,パッと消えたのを見た。
3人は,そこまでを覚えていて,そのあとの記憶がまったくないのであった。
次に覚えているのは,彼らの車の前方を1台のキャンピングカーが走っているのが見えたことである。不思議なことに,この時,前部シートの真ん中に座っていたはずのジャッキーが,いつの間にか後部シートに一人で座っていたという。
テリーは,前方の車に追いつき,先ほどの光景を目撃したかどうかを尋ねてみた。 しかし,そのキャンピングカーのドライバーは,さっさと逃げだすにかぎるといって,そのまま走り去ってしまった。
3人は,そこから一番近いハイウェイのインターチェンジをおり,タワーシティという町のガソリンスタンドに立ち寄った。 何の気なしに,壁にかけてある時計を見ると何と
5時23分を指していた。
どうしても
1時間以上の時間が,どこかにいってしまっていた。 この出来事があってからというもの体調を崩してしまったサンディー夫人は,1時間の記憶の空白も気がかりなので, APROの科学顧問の一人である,ワイオミング大学のレオ・スプリンクル博士の催眠治療を受けることにした。
その結果,驚くべき事実が次々と明らかになったという。
オレンジ色の光のカーテンに包まれて,いつのまにかUFO内部に連れ込まれた彼女は,裸にされてテーブルのようなものの上に寝かされて, ミイラのように顔を包帯で巻いた気味の悪い宇宙人に検査を受けたということだった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年8月号(No.37),【ミイラ宇宙人に誘拐された未亡人の恐怖,文:矢追純一
『宇宙人の死体写真集』1979年,著者:中村省三【ミイラに似た宇宙人に身体検査された未亡人】
参考外部サイト⇒新釈エイリアン図鑑(サンディ・ラーソン事件のエイリアン(スペース・マミー))

参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)
●ジョン・ストラブルUFO遭遇事件(アメリカ) 1975年10月18日,モンタナ州コロンビア・フォールズ(Columbia Falls)のジョン・ストラブルがトラックを運転中に,フレッシャー峠でUFOに遭遇した。

この日の午前12時半ごろ,ジョン・ストラブル(John Struble)は,ヘレナ(Helena)の北西約45キロのフレッシャー峠付近をトラックを走らせていた。
すると,彼はトラックの後方から直径が15メートルほどの大きな物体が8,9メートルの低空で飛んでくるのに気づいた。物体は,トラックの頭上を越して,前方100メートルのあたりでぴたりと静止した。
と同時に,物体はまばゆい光をトラックに浴びせかけ,ヘッドライトとエンジンを停止させた。物体は
5分ほど,そこに静止したあと飛び去った。
ストラブルによれば,物体はジェット機みたいな轟音を出すなり,ロケットのように空中を垂直に上昇し,信じられないようなスピードで東の方角に飛んでいったという。
UFOの姿が消えると,トラックのヘッドライトとエンジンは再び正常に作動した。
ストラブルのしていた電気仕掛けでない腕時計が,UFOが現われていた時間と同じ
5分間だけ止まっていたことに気がついた。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第2章/ローリング基地への不法侵入者】1987年,共著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏
参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)

参考外部=>Think Aboutlt-REAL(Category:1975 Sightings)

参考外部=>Think Aboutlt-REAL(1975:October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>intcat(INTCAT 1975 JUL-DEC)
●プリースト・ビュートUFO目撃事件(アメリカ) 1975年10月20日,モンタナ州プリースト・ビュート(Priest Butte)付近の牧場に住む夫婦が,自宅付近に現れた卵形UFOを目撃した。

この日の午後4時半ごろ,この夫婦は自宅から800メートルほど先に不思議な物体があるのを目撃した。
双眼鏡で見ると,それは卵形で,一方の太い末端を地面につけていた。黄色がかった金色のライトがあり,はじめはぼんやり光っていたが,やがて輝きだした。
物体の両側からは,腕のような二本の付属物が突きだされていて,それは平泳ぎに似た恰好の運動を絶えず続けていた。
物体は,
5分間じっと静止していたが,やがて腕のような付属物を引っ込めると,垂直上昇して二人の視界から消え去った。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第2章/ローリング基地への不法侵入者】1987年,共著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏
参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)

参考外部=>Think Aboutlt-REAL(Category:1975 Sightings)

参考外部=>Think Aboutlt-REAL(1975:October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>intcat(INTCAT 1975 JUL-DEC)
●デービッド・スチーブンスUFO誘拐事件(アメリカ)
【オックスフォード事件】



サイト;『UFO事件簿』から
1975年10月27日,メイン州オックスフォード(Oxford)で,デービッド・スティーブンス(David Stephens-21歳)が友人とドライブ中に円筒型のUFOに遭遇しアブダクトされた事件。

この日の早朝,スティーブンスと友人のグレン・グレイ(Glen Gray-18歳)が,メイン州ノーウェイ(Norway)のトレーラーのなかで,レコードを聴いていた。突然,ドカンという大きな音がしたので,なにごとかと外へ出てみたが,不審なことは何もなかった。
二人はそのあと暇つぶしに,愛車の1968年型プリマスでドライブに出かけることにした。
彼らはルート26号線を南下して,メイン州オックスフォードのトンプソン湖(Lake Thompson)に向かった。400メートルほど走ったところで,車のハンドルを”未知の力”にもぎ取られてしまったという。車のコントロールがきかなくなり,車はひとりでに曲がったりした。車のスピードは時速160キロ以上に達し,メイン州ポーランド(Poland)の野原までの18キロを一気に突っ走った。そのとき,野原に二個の明るい光を見つけた。その光は上昇を始め,最初ヘリコプターのような印象をあたえた
それは,木立の上まで昇ると,車の前方へ音もなくまわりこんできた。物体は葉巻型で,側面に赤,緑,青のライトをつけ,フットボール場ぐらいの大きさがあった。
二人は肝をつぶすと,車を飛ばして逃げた。400メートルほど走ったとき,物体の明るい二個の光が消えて,別の怪光線が車を射た。
二人は気を失い,
5分ほどして目が覚ますが,実際には何時間も経過していたことが,あとになってわかったという。
彼らは車を走らせはじめたが,またもやコントロールがきかなくなり,車はトリップ・ポンド(Tripp Pond)まで走ってしまう。すると,そこにまた例の巨大なUFOが待ち受けていた。池の上空を乱舞する二個のドームのある円盤も目撃したという。円盤は木の葉落としで池めがけて下降し,水面すれすれに降りてくるや,灰色の煙を噴き出し,煙は車を包みこんだ。
巨大なUFOはその煙ごしに,空中高く見えていたが,突然,物体群も煙もそっくり消滅してしまったという。すぐに夜明けが訪れた。
午前7時にやっとのことでスティーブンスの家にたどりついたが,二人は身体のあちこちに異常を感じていた。 頭がふらふらするし,眼やのどが痛んだ。眼のまわりが黄色くなっていた。呼吸困難,さむけ,歯痛など,さらに様々な幻覚まで起きるようになっていた。
家族の依頼でスティーブンスは,メイン州オールド・オーチャド・ビーチ(Old Orchard Beach)のハーバート・ホプキンズ博士(Dr. Herbert Hopkins)の治療を受けた。逆行催眠を施したところ,スティーブンスはUFO内に連れ込まれ5人の宇宙人に身体検査をされた奇怪な体験が明らかになった。
それによると,宇宙人たちは身長が約1.35メートルでキノコのような頭をしていた。大きな白い眼はつり上がり,まばたきはせず,鼻は小さくて丸い。口と耳,それに頭髪は見あたらなかった。脚も腕も2本づつだが,指は4本で水かきがついていた。黒くて長いガウンを身につけていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年4月号(No.33) ,【総力特集;私は宇宙人を見た!(青年を誘拐し検査したUFO)】
『人類は地球外生物に狙われている』【第2章/ローリング基地への不法侵入者】1987年,著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏
参考外部サイト⇒怖話(オックスフォード事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(未整理写真集その2)




【サイト検索キー: David Stephens, Oxford, nov.1975, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)

参考外部=>WaterUFO(5 WEIRD-LOOKING ALIENS ABDUCT YOUNG MAN)

参考外部=>UFO SCOOP(Human Related Physical Effects of UFOs in Close Proximity)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1975: Abducted by 5 Aliens)


参考外部=>intcat(INTCAT 1975 JUL-DEC)
●ローリング空軍基地UFO侵入事件(アメリカ) 1975年10月27日,メイン州ローリング空軍基地(Loring Air Force Base)の制限空域内に,正体不明の飛行物体が侵入した事件。

この日の午後7時45分,基地内の第42保安警察隊ダニー・K・ルイス(Danny K. Lewis)は,正体不明の飛行物体が基地の制限空域内に侵入するのを目撃し,すぐに第42爆撃航空団司令部に報告した。基地は警戒態勢に入った。
物体は高度約300フィート(約91m)から旋回して,WSA(核兵器貯蔵エリア-Weapons storage area)の約300ヤード(約270m)以内を飛行した。その時の推定高度は150フィート(約45m),その後北に飛び去り,レーダーもそれを追跡した。
物体が去った後,航空団の司令部要員と保安警察隊は,WSAに集まり,そのエリアを調べたが,侵入または被害の形跡は見つからなかった。
翌10月28日の夜,ほぼ正確に同じ時刻,識別不能の飛行物体が,ローリング基地の空域に侵入した。それは,再びWSAの方に向かった。間違いなく意図して侵入をはかっている行動だが,それは明らかにヘリコプターではなかった
B-52の地上要員スティーブン・アイクナー(Steven Eickner)軍曹は,駐機区画(フライトライン)で班員と目撃した。それは,WSAから数百ヤード離れた駐機区画上空で静止滞空していたようで,細長いフットボールのような形で車4台分ぐらいの長さで,強いオレンジ色であったと述べている。そして,それは突然消えて,すぐにWSA近くの滑走路北端に再度出現し,不規則な静止と移動を繰り返した。
アイクナーのクルーは,トラックでUFOに向かった。WSAへ向かう道を曲がった時,UFOは前方300フィート(約91m),地上から5フィート(約1.5m)ほどのところに静止滞空していた。物体は砂漠で陽炎が立ち上がっているかのように,正面の空気がゆらいでいて,物体の色は混じって見えたという。音は聞こえなかった。
しばらくしてUFOの光が消え,飛び去った。そして再び基地のレーダーで捕捉された。
この時も保安警察隊は,WSA,保安境界線の内側と外側を捜索したが,何も異常は見つからなかった。

【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代の核関連UFO事件】2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清



10月27日午後7時45分,駐機区画の北端に位置するWSA(軍需品貯蔵エリア-核兵器が貯蔵されており,地上も空中も高度の制限区域となっている)で警備についていたメイン州ローリング空軍基地(Loring Air Force Base),第42憲兵隊のダニー・K・ルイス(Danny K. Lewis)3等軍曹は,同基地の北側境界の低空に航空機らしいものを見つけた。
不明航空機は高度約90メートルで境界内に侵入してきた。赤い航行灯と白いストロボ灯が確認された。
同じころ,管制塔で当直中の第2192通信大隊のジュームズ・P・サンプリー( James P. Sampley)3等軍曹も,塔のレーダー・スクリーン上に,その不明機を目撃した。
位置は基地の東北東16〜20キロぐらいだった。軍用から民間用までのあらゆる通信周波数帯域を使い,無線で基地の制限空域内に入りこんでいることを知らせようとしたが,なんの応答もなかった。
一度などは,不明機は高度45メートルで核貯蔵エリアから300メートル以内にまで近づいた。
WSAにいたルイスは,第42爆撃航空団指揮所に通報し,基地は総待機状態に入った。指揮所は,管制塔に不明機のレーダー追跡を命じた。
午後8時45分,命令を受けた当直時の第2192通信大隊のグローバー・K・エグルストン(Grover K. Eggleston)軍曹は,不明機の監視を始めた。6分後,レーダー・スクリーン上の不明機は基地の東北東約16キロで旋回していることに気づいた。この行動が40分ほど続いたあと,だしぬけにスクリーンから消滅した。着陸したか,レーダー範囲の下まで降下したかのどちらかだった。
その後,不明機はカナダのニューブランズウィック(New Brunswick)州グランド・フォールズ(Grand Falls)の方角へ飛行し,レーダー追跡は方位65度,ローリング基地から20キロのグランド・フォールズ(Grand Falls)付近でとぎれた。カナダ当局には通報されなかった。
第42憲兵隊は兵器貯蔵エリアをシラミつぶしに捜索した。不明機が飛んだ下の一帯も捜索したが,すべてが徒労に帰した。
不明機の飛行パターンはヘリコプターと思われた。しょっちゅう滞空したり,レーダーの掃空範囲の下まで垂直降下したり,サイズもヘリコプターぐらいだったからだ。
だが,つづく数夜にわたって,ローリングばかりかその近辺に数珠つなぎになった北部各基地周辺のSAC(戦略空軍司令部)施設でこのような事件が続発する。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第2章/ローリング基地への不法侵入者】1987年,著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏




サイト:「Markosun's Blog」から
参考外部=>怖話(【1975年】米軍核施設侵入事件)

参考外部=>SSPC(核施設はUFOを引きつけるのか?)

参考外部=>SSPC(核実験とUFO)

参考外部=>矢追純一オフィシャルブログ(UFOはいまさら存在するとかしないのレベルじゃない 10)

参考外部=>En.Wikipedia(Loring Air Force Base)



【サイト検索キー: Loring Air Force Base , nov.1975, ufo 】
参考外部=>YouTube(My Loring UFO story 1975)

参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)

参考外部=>The WashingtonPost(What Were Those Mysterious Craft?)

参考外部=>ATS(The SAC Base UFO Flyovers-Oct/Nov, 1975.)

参考外部=>UFO CASEBOOK(UFOs Intrude into SAC Base Weapons Areas: 1975)

参考外部=>THE UFO BRIEFING DOCUMENT CASE HISTORIES(1975: STRATEGIC AIR COMMAND BASES UFO ALERT)

参考外部サイト=>unexplained-mysteries.com(The SAC Base UFO Flyovers-Oct/Nov,1975.)

参考外部=>Markosun's Blog(A very strange UFO incident at the U.S. Air Forces largest nuclear bomber base)
●ワートスミス空軍基地UFO侵入事件(アメリカ) 1975年10月30日,ミシガン州オスコダ(Oscoda)のワートスミス空軍基地に,正体不明の飛行物体が侵入した。

当時,ワートスミスAFB(Wurtsmith Air Force Base;1923〜1993年まで運営)は第379爆撃航空団(the 379th Bombardment Wing)の本拠地だった。

この日の午後10時を少し過ぎた時,基地の西側周辺を低高度で不規則に飛行する,航空灯らしきものをもつ識別不能「ヘリコプター」の目撃報告が,保安警察隊に次々と入ってきた。
数分後,今度はWSA(兵器貯蔵エリア-Weapons storage area)の上空に静止滞空する無灯火の物体が報告された。これを目撃した3名の警備隊員の一人は,短時間だがヘリコプターの音を聞いたという。しかし彼らに,その航空機のタイプは識別することはできなかった。
それから
5分後,無灯火の飛行体はWSAから離れて,北の方角に飛行し,航空灯らしきものを点灯した。
この時,基地のレーダーは2個の物体を捉えており,それらは低空を南東に移動した。
基地司令官のボードマン大佐(Colonel Boardman)は,基地に接近中だったKC-135空中給油機のパイロットに,謎の飛行物体に接近し,それを識別するよう命令を出した。
KC-135機乗員の一人である,マイロン・ティラー大尉(Captain Myron Taylor)の
後日の公式説明によると,最終的にはライトを点滅する2個の飛行物体が目視できたという。
ヒューロン湖(Lake Huron),サギナウ湾(Saginaw Bay)上空で物体が機の前方にきた時,機上レーダーは断続的に目標を捕捉していた。KC-135機が2個の物体に1マイル(約1,600m))ほどに接近すると,物体は必ず加速し距離は縮まらなかった。
数分後に,物体は高速で飛び去ったという。
物体は,明らかにヘリコプターではなかった。2個は同種のもので,最初は1個がWSA上空で静止滞空していたが,その後は2個一緒に飛行していたと見られている。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代の核関連UFO事件】2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清


ワートスミス(Wurtsmith)はミシガン州オスコーダ(Oscoda)の北西4.8キロに位置するSAC(戦略空軍)基地で,第40航空師団(the 40th Air Division)と第379爆撃航空団(the 379th Bombardment Wing)の根拠地の役割を果たしている。
午後10時10分ごろ,ワートスミスの南東部にある家族住宅地帯の近辺にいた兵員が,ヘリコプターとおぼしき物体の航行灯みたいなものが見えたと通報してきた。物体は滞空して,でたらめなパターンで上がったり下りたりした。
午後10時14分と10時25分,ワートスミスのバックゲート(back gate)の憲兵隊も,無灯火の未確認ヘリコプターがバックゲートを飛びこえて侵入,WSA(兵器貯蔵エリア-Weapons storage area)上に低高度で滞空した,と指揮所に報告してきた。
WSA内の憲兵隊の隊員たちも,それを目撃したが,ヘリの機種は識別できなかった。ヘリは北側境界に向かって進みだし,そこに達するとふたたび点灯した。
WSAの憲兵隊は,第379爆撃航空団の副司令官ジョン・J・ドラン大佐(Colonel John J. Doran)に,バックゲート勤務の衛兵が頭上をヘリコプターらしきものが通過したことを報告してきたことを知らせた。指揮所は,航空団司令官のボードマン大佐(Colonel Boardman)にも通報し,彼らは駐機区画(フライト・ライン)に向かった。
その時,RAPCON(レーダー進入管制)が,レーダー・スコープ上に低空飛行物体を捕捉したことを報告してきた。
RAPCONのレーダーは,その怪物体をワートスミスから南東方向に56キロ追跡した。たまたまその時,一機のKC-135空中給油機が任務を終えて帰投するところだった。ボードマン大佐は,KC-135に怪物体の確認を命じた。
このKC-135の搭乗員は6人だった。KC-135とUFOとの遭遇に関する内容は,後に第379爆撃航空団の戦史記録係ポール・J・カーヒル三等軍曹(Sergeant Paul J. Cahill)に,搭乗員の航法教官マイロン・テイラー大尉(Captain Myron Taylor)から語られ記録された。
それによると,これは
10月30日の夜10時半から11時にかけての事で,その時テイラーたちは,不規則な閃光を発するストロボ光みたいな光が見えたという。その光を追いかけて,ヒューロン湖(Lake Huron)の上空に出たあと南に旋回し,ミシガンのサギノー湾(Saginaw Bay)付近に向かった。不規則な閃光のため物体は2個いることを決めかねていたが,よく観察すると本当に物体は2個いることが判断された。2個の物体から発する不規則な閃光は,同じ位置を保とうとして一方から他方へ送られる信号みたいなものらしかった。
テイラーたちはその間,ほとんど視認することができたが,機のレーダー・スコープは
10秒間ぐらいしか物体をキャッチできなかったという。高度は約600メートル,速度は時速370キロほどであった。ときおり,RAPCONからUFOを捕捉しては,位置の方向を指示して助けてくれた。
機はほとんどいつも,UFOのおよそ1,2キロの距離にいたが,いざ接近しようとすると,UFOはすばやく遠ざかったという。
サギノー湾まで追いかけたが,UFOは一面の漁船の灯にまぎれこんでしまい見失ってしまう。しばらく捜索したが見つからなかったので機首をワートスミス基地に向けた。帰る道すがらにテイラーたちは,8時の方角にUFOを見つけたので機を反転させると,UFOはパッと湾の方面に逃げもどってしまった。その速度は時速1,850キロぐらいは出ていたという。
RAPCONからUFOが沿岸上空6,7キロ先を西進中との連絡が入ったが,機の燃料が少なくなり,テイラーたちはやむなくワートスミスに引き返した。
機が基地への最終進入のさい,WSAの付近にまたもや不審な発光体が見えたのを,テイラーは覚えているという。

【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第4章/それは「明確な意思」を示した】1987年,著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏
参考外部=>En.Wikipedia(Wurtsmith Air Force Base)

参考外部=>En.Wikipedia(379th Air Expeditionary Wing)

参考外部=>怖話(【1975年】米軍核施設侵入事件)

参考外部=>SSPC(核施設はUFOを引きつけるのか?)



【関連サイト検索キー: Wurtsmith AFB, 1975, UFO 】
参考外部=>NICAP(UFO Chased By KC-135 anker,Wurtsmith AFB,Michigan October 30,1975)

参考外部=>NICAP("Wurtsmith and Others"-1975)

参考外部=>NICAP(UFO Chased By KC-135 Tanker)

参考外部=>NICAP(Wurtsmith Air Force Base Sighting)

参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Shiny Disc Hovers Over Restricted Area(Cat 2,9,10,11))

参考外部=>UFO CASEBOOK(UFOs Intrude into SAC Base Weapons Areas: 1975)

参考外部=>YouTube(UFO'S BUZZ WURTSMITH AIR FORCE BASE:OCTOBER 1975)

参考外部=>jimharold.com(The Mysterious UFO-Helicopter Wave of 1975-Nick Redfern)

参考外部=>mysteriousuniverse(Helicopters?UFOs?Both?)
●トラビス・ウォルトンUFO誘拐事件(アメリカ)

『UFOと宇宙』NO.20から
 
1975年11月5日の午後6時過ぎごろ ,アリゾナ州の国有林の中で,伐採作業をして車で帰る途中の伐採工の一人,トラビス・ウォルトンがUFOにアブダクトされ, その後,無事帰還した事件。

この日 ,伐採の仕事を終えた7人(マイケル・ロジャース(28),トラビス・ウォルトン(22),ケン・ピータースン(25),デュエン・スミス(19),アレン・ダリス(21),ジョン・グーレット(21),スティーブ・ピアース(17)の労働者たちは, ロジャースが運転するトラックで帰宅しようとして,200ヤード(約180m)ばかり走ったとき, 後ろの座席に座っていたダリスが北西の方角に沈みかけた太陽とは違う黄色い光を発見した。
トラックが少しいった見渡しのよいところにでると, トラックの前方右手20〜30mのところの切り枝などを積み上げたところの上空4〜6mのところに,ナベを2つ合わせたような直径4.5m,高さは2.5mぐらいで, 明るく輝く物体が滞空していた。
この光景を見た前座席に座っていたウォルトンが,完全に停止しないトラックから飛び降り, 物体の滞空している方向に近づいていった。
物体からは,不気味な不可思議な音が出ていたのをトラックの6人は聞いている。
切り枝が積まれたところで数秒間,物体を見上げていたウォルトンが,右足をふみ出そうとしたところ,物体から強烈な光線が投射され,ウォルトンの上半身の部分をつらぬいた。
次の瞬間,ウォルトンの体は両手をひろげ,頭をのけぞらせ宙に30cmばかりとび上がったという。
それを見ていたトラック内の6人は,恐怖のあまり現場から全速力で逃げ出した。 400mほど逃げたところで,落着ついた6人は,その出来事がおこった
15分ぐらい後に現場に戻ったがウォルトンの姿はすでになかった。
午後9時ごろに保安官をつれ現場に戻ったが,ウォルトンはやはり見つからなかった。
翌6日の早朝
から大がかりな捜索が開始され,午後にいったん捜索は打ち切られたが,週末の11月8日(土)と9日(日)にはヘリコプターを用いての捜索も行ったがウォルトンは発見されなかった。
11月11日の早朝,ヘーバーの町のガソリンスタンドの公衆電話からウォルトンの妹夫婦の家に,ウォルトンからの連絡がはいった。
ウォルトンは公衆電話のなかでぐったり倒れこんでいるところを発見された。そこは,ウォルトンが消息を絶った場所から,12マイル(約20km)ほど離れた場所であった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年6月号(No.18),【「トラビス・ウォルトンのUFO同乗事件」,文:高梨純一
『UFOと宇宙』1976年10月号(No.20),【「トラビス・ウォルトン事件の真相」,文:冨川正弘


(ウォルトンが描いた宇宙人。ムーディ事件の宇宙人と非常に似ている)
『UFOと宇宙』(No.19)から



(現場の見取り図)
『UFOと宇宙』(No.20)から



参考外部=>NICAP(The 1975 UFO Chronology)
●マルムストロムAFBミサイルサイトK-7事件(アメリカ) 1975年11月7日,モンタナ州マルムストロム空軍基地のミサイルサイトK-7上空に巨大UFOが現われ,ミサイル弾頭内にある目標テープの内容が変更されていた。

モンタナ州のマルムストロム空軍基地(Malmstrom Air Force Base)には,地下にミニットマン・ミサイルを収容するLCF(発射管制施設)が20ヵ所ある。このミニットマン・ミサイルサイトは,例えば,「L-1」「K-1」「E-1」といったように,アルファベット順にコード化されて,広い地域に散らばっている。
事件の起きたのは,モンタナ州リュイストン(Lewiston)の真南,ジュディス・ギャップ(Judith Gap)地区に位置するK-7のミサイルサイトである。

1975年11月7日,遠隔電子センサーが,何者かの不法侵入を知らせる警報を発した。地下の発射管理エリアにいた二人の士官が,その信号に気づいたが,地上にはテレビ監視網を備えていない。
SAT(保安警戒班)の保安員が,ハイウェイを走って,K-7サイトに通じる土道に入った。すると,1.6キロほど先のサイト上空に,オレンジ色の明るい物体が見えた。800メートル以内まで近づくと,それはとてつもなく巨大な物体であることが分かった。フットボール場大のまぶしく輝くオレンジ色の円盤が,ミサイル・サイトを照らし出していた。
LCF(発射管制施設)に無線連絡すると,K-7サイトに突っこむよう命令された。しかし,彼らは物体の偉容に恐れをなし,それ以上前進することを拒んだ。
物体は上昇を開始し,300メートルほどの高さで,NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のレーダーに捕捉された。
モンタナ州グレート・フォールド(Great Falls)からF-106ジェット戦闘機が2機迎撃に向かった。UFOは上昇をつづけ,60,000メートル付近でNORADのレーダーから消えた。迎撃に向かったF-106は,UFOを視認することなく終わった。
SATの保安員全員は,基地内病院で心理テストを受け,全員が不快きわまる体験をしたことは明白と診断された。
これとは別に,目標選定班(ターゲットチーム)が,コンピュータ専門家とともにこのミサイル・サイトに派遣され,とくにミサイルを目標に向けるミサイル弾頭内のコンピュータの点検にあたった。すると驚いたことに,コンピュータ内のテープが不可解にも目標番号を変えていることを発見した。この大気圏突入部分は,その後サイロから取り出されて,基地に運ばれた。結局,ミサイル全体が取り替えられたという。

【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第3章/「消失する巨人」の謎】1987年,共著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏


1975年11月初め,モンタナ州マルムストロム空軍基地ICBMサイトでのUFO事件が多数集中して発生した。
これらの事件は,
1967年3月ミサイル機能停止事件(マルムストロム基地ミサイルシャットダウン事件)以来,マルムストロムのICBMサイトで起きた最も激しいUFO活動であった。UFOは幾つかの発射施設の上空に滞空し,レーダーで何度も捕捉され,迎撃機が発進してUFOを追跡した。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第10章/70年代の核関連UFO事件】2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清




サイト:「UFOs & Nukes」から
参考外部=>海外の妖しいBlog記事から(1973年核ミサイル基地にUFOが出現,攻撃目標情報を消去)

参考外部⇒きよりんのUFO報告(核ミサイル基地の誤動作事件)

参考外部=>En.Wikipedia(Malmstrom Air Force Base)

参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>BigSkyWords(A History of UFOs in Montana)

参考外部=>YouTube(UFO over Malmstrom AFB)

参考外部=>SpiralGalaxy.org(MyEvidence)

参考外部=>NICAP(MADAR)


【関連サイト検索キー: Malmstrom AFB, 1975, ufo 】
参考外部=>NICAP("Faded Giant"?-Intrusions at Malmstrom-1975)

参考外部=>UFOs&Nukes(U.S.Air Force Fighters Chased UFOs at Malmstrom AFB in the 1960s and '70s)

参考外部=>The Washington Post(What Were Those Mysterious Craft?)
1976年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●スタンフォード3婦人UFO誘拐事件(アメリカ)
【ケンタッキー事件】



★ルイーズ・スミスさんが目撃した円盤のスケッチ
『UFOと宇宙』(No.22)から
1976年1月6日の午後11時ごろ,ケンタッキー州スタンフォードの車道を車で走っていた3人の女性が,赤く輝くUFOに遭遇し,80分の記憶を失った。

3人は,イレーヌ・トーマスさん(当時48歳),ルイーズ・スミスさん(当時44歳),モナ・スタッフォードさん(当時35歳)で, 午後11時ごろ,スタンフォード市で夕食をし,3人の自宅のあるリバティ市(29マイル〔約47キロ〕離れている)に帰る途中であった。 スタンフォードの西約1マイル(1.6キロ)の地点で,運転者のルイーズさんが,円盤を発見した。 円盤は,フットボール場もある大きなもので,金属的な灰色をしており,白く光るドームがあった。赤色の光が1列になって並んでいた。 その下に黄色の光が3,4カ所に見えたという。
円盤は,3人の乗る車の前にいったん停止し,それから車の後ろに回ったかと思うと,車は急にスピードをあげた。 ルイーズさんの足はアクセルに触れていなかったが,車の速度計は時速85マイル(約130キロ)を示していた。
それから,車は恐ろしいほどの力で後方に引っぱられた。 この時点で3人の記憶は消失した。記憶が戻ったのは,円盤の目撃地点から8マイル(約13キロ)離れたヒューストンビルの街灯であった。 恐怖にふるえながらも,リバティ市にあるルイーズさんの自宅に着いたのは,
1月7日の午前1時25分 だった。 約1時間20分 の記憶が3人とも消えていた。
3人の首には同じような長さが3センチほどの傷がついていた。その傷は2日後には消えたが,記憶は戻らなかった。
3人は,その後,催眠療法で,失われた
1時間20分間 の出来事を,催眠状態で思い出すことができた。
その内容は3人とも,奇妙な宇宙人に観察され,手荒に扱われたことであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1977年2月号(No.22),【女性3人を身体検査した巨大UFO】



『UFOと宇宙』(No.22)から



★恐怖の体験をした3女性
『完全版・世界のUFO現象FILE』から



参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●ジャン・ドレッキ畸形UFO目撃事件(フランス)


『宇宙人の死体写真集』から
1976年1月9日 ,フランスのロワイアンでジャン・ドレッキが自宅に帰る途中,県道わきに降りた,くびれたドラム缶を縦にしたような形のUFOを目撃した。

セントラル・ヒーティング設備の施工業務を営んでいるジャン・ドレッキは,サン・ジャン・アン・ロワイアンの県道を自宅に向かいピックアップ・トラックを運転していた。
午後7時すぎ だった。自宅のあるエシェビス村から,そう遠くない地点まできていた。
突然,上空に輝く球体が出現し,ぐんぐん降下してくるのが見えた。ドレッキはトラックのスピードを落とし,その物体を注視した。 物体は,銀紙で包んだ球体のように見えた。彼はブレーキを踏み車を停め,ライトをつけたままにして外にでた。
すると,100メートルほど離れた道路の右手の野原に輝く物体があった。その物体は,いくつかあるライトでその表面と周囲を明るく照らし出していた。 物体の直径は12〜14メートルほどの円筒形をしていて,真ん中よりやや下あたりでくびれていた。 上半分が下半分より大きいような形で,物体は地面から浮いているようであった。
物体の上のほうの両側面からラセン形をしたアンテナのようなものが突き出ていてそれが振動していた。 物体の上部も振動していた。すると,UFOの上半分のほうにある高さが2メートルほどのドアが開き,3体のロボットのようなものが姿を現わした。 全員がアルミ製の潜水服のようなスーツを身につけていた。すばやく地面に降り立つと,機械仕掛けのオモチャのように,歩き,跳ねていた。 彼らの身長は,ドアと同じ2メートルほどであるが,胴体に比べて脚が小さく,頭は四角かったという。 そして,釣竿のように伸び縮みする棒そっくりの腕を上下に振り動かしていた。
やがて10分ほどすると,彼らはUFO内に引き上げていった。
UFOが飛び去ったので,ドレッキは急いでトラックに戻り,必死に家に逃げ帰ったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三(フランスに潜水服姿の巨大ロボットが出現)
参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●レイス夫妻UFO誘拐事件(ブラジル)


★レイス夫妻がクルマごと吸いこまれたUFOのスケッチ
『UFOと宇宙(No.31)』から
1976年1月12日,ベロオリゾンテ市に向かう途中のレイス夫妻は,車ごとUFOにさらわれ,宇宙人とコンタクトの後,元のハイウェイに戻された。

エルミニオ・レイス(42歳)とビアンカ・レイス(30歳)の夫妻は,
この日の夜,リオ・デ・ジャネイロからベロオリゾンテ(Belo Horizonte) 市に向かうリオ=バイア・ハイウェイを愛車のカルマン・ギアで走行していた。
11時半ごろ,夜空にチカチカまたたきながら動いている光るものをエルミニオが発見した。その光は見る見る二人に向かって近づいてきた。
その物体は,翼もプロペラらしいものも見えず,球を半分に切ったような形をして,下のほうには帽子のつばのようなものが張り出していた。
光体は,途中から急にスピードをあげ,ものすごい速度で車をめがけて近づいてきた。急ブレーキをかけた車は,横すべりしながらハイウェイの脇に停車した。物体は上昇をしたのか見えなくなっていた。
あたりは妙に静かで,それが不気味だった。その時,上空から柔らかい光が静かにおりてきて,夫妻の乗る車のまわりをゆっくりと包みはじめたという。車の周囲が白熱し異様な明るさに輝きはじめた。と同時に,車がひとりでに浮きあがり,上に向かってぐんぐんと吸い上げられていくのを感じた。夫妻は,いつの間にか気を失っていたという。
次に気づいた時は,二人は車ごと格納庫のようなところに入れられていた。そこは,ギラギラとまぶしく照らし出された広い室で,カーブした巨大な壁に沿って,半球形で帽子のような同じ形をしたUFOが,3本の脚のようなものを出して何機も整然と並んでいた。
突然,車のドアが開けられ,背の高い美しい顔だちの男が現われた。男は身長が2.1メートルほどで,全身を銀色の服で包んでいた。髪の毛は黒く,彫りの深い顔をして,瞳が緑色をしていた。
男が車から出てくるよう手招きをしたので,二人は車の外に出ると,そこは想像以上に広く,チリひとつない清潔さで,天井もゆかもキラキラと光り輝いていた。
二人が,その男のあとについていくと,おびただしい数のスイッチや計算盤のついた機械があちこちに配置されている部屋に着いた。
二人が,すすめられたソファに座ると,男は,多数の電線がつながれている銀色のヘルメットを二人にかぶせた。すると,二人の脳に直接響くように男の声がきこえてきた。そのヘルメットは,言語の翻訳するものらしかった。
宇宙人の名前はカランで,クレルマーという星からきたことを告げた。クレルマーは,我々地球が属する銀河系ではない遠い銀河系内の巨大太陽をまわる惑星であるという。クレルマー星人は,外見的には地球人と変わるところがなく,ただ,血液の循環系と骨の数がちがっていて,心臓が2つあるという。
そして,すでに何人かのクレルマー星人が,地球人の生態や地球の資源を研究するために移住してきて,世界のあちこちに分かれて住んでいるという。
カランは,地球人の生理的,肉体的構造を研究するための調査だということで,二人に協力を求めた。二人は調査に協力した。身体検査が終わると眼を覚ました二人は,記憶を消してしまう飲み物をすすめられたが,ビアンカは断った。すると,その変わりにと,小さなイヤホンのようなものを耳の中に押し込まれた。すると,金属音が響きわたり,意識を失ってしまう。
気づいた時には,元のハイウェイ上の車の中にいたという。二人とも記憶は残っていたという。次のガソリンスタンドで時間を聞いたところ,
まる2日もたっていたのに驚いてしまった。
その後,夫妻は彼らとコンタクトを行い,コルビという名前のクレルマー星人にも会い,すすめられた土地を購入したという。その土地は,クレルマー星人が地球にやってきて生活する予定になっている場所で,そこに,指定した植物を植えて育てて欲しいことを頼まれたからだという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.41)』1978年,【ブラジルの牧師が宇宙人の指示で農夫に!,文:矢追純一
参考外部サイト⇒円盤工房(UFO資料データベース)

参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●エレーヌ・ジュリアナUFO誘拐事件(フランス) 1976年6月10日の深夜 ,ドゥローム県のオスタンに住むエレーヌ・ジュリアナ(20歳)が,映画を観たあと,車で帰宅中にUFOに遭遇し,2時間以上の記憶を失くした事件。

この夜,友達と映画を観たのち,車で家路を急いでいた。家から16km離れたロマンスを過ぎ,マルチネ橋にさしかかったとき,急に車のスピードが落ちた。
停車して調べてみても原因が分からなかった。しかたなく,また走りだすと今度はヘッドライトが消え,エンジンが止まってしまった。
11日の午前1時半になっていた。
ジュリアナがふと前方を見ると,25mほど離れたところにオレンジ色に輝く物体が立ちふさがっていた。 急いで車のドアをロックした彼女は,恐怖のため両手で顔を覆ってしまった。
しばらくして顔をあげてみると物体は姿を消し,車も正常に戻っていた。
彼女は,急いで家に向かったが,帰宅したときには
午前4時で,2時間以上も余計に時間がかかっていることに気づいた。
この事件を両親や勤め先の町役場の町長にも話すと,この話は地元一帯にあっという間に広まった。
その後,彼女は
7月22日と8月18日に2度,催眠実験を受けた。 8月18日には,リヨンのテレビ局の職員など多数が立ち会った公開的なものだった(8月24日にフランスのTV局,FR3から放映された)が, 彼女は,同じことを一語たがわず矛盾することなく繰り返した。
それによると,2人の小人が近づいてきて車の左ドアを開け,彼女を物体の中に連れ込んだという。 物体は高くて円形ですべて鉄でできているようだった。彼女はその円盤内に連れ込まれるとき,ふり返ると彼女の自動車は消えていたという。
円盤の中は,白,赤,黄色の光がうずまいていた。
小人たちは上下続きの黒っぽい服を着て,顔つきは醜く,大目玉だった。 彼らは彼女をテーブルのようなものの上に横たえて,両手と両足を手錠のようなもので固定した。 小人の一人が箱のようなもので彼女の服の上を丸くなぞった。その箱は懐中電灯のようなものだったという。
気がつくと彼女は円盤の外にいた。円盤からは3メートルほどの脚が3本出ていて,円盤の下側は光がきらめいていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,【UFO情報;海外(フランスでもUFOが若い女性誘拐)】



★遭遇現場を指さすジュリアナ


★催眠実験中のジュリアナ
『UFOと宇宙(No.24)』から



参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●グランカナリア球体UFO目撃事件(カナリア諸島)


★遭遇した球体UFO
『UFOと宇宙(NO.33)』から
1976年6月22日の夜 ,グランカナリア島のギアに住むパドロン・レオン医師が,透明な球体UFOを目撃した。UFO内には,二人の巨人搭乗者がいた。

1976年6月22日の夜 ,カナリア諸島に出現したUFOは,フェルテベンツラ島南部,グランカナリア島北部,およびテネリフェ,ラパルマ,ゴメラ,イエロの諸島で目撃された。

★6月22日夜,カナリア諸島に出現した光り輝く巨大なUFO。グランカナリア島南部に住む一市民が撮影したもの。 海岸近くのかなり低空に数分間静止しているところを撮影したという。
『UFOと宇宙(No.35)』【カナリア諸島を横切った巨大な発光球体】から)


1976年6月22日の午後9時30分ごろ ,グランカナリア島(スペイン領カナリア諸島)のギアに住むパドロン・レオン医師は,往診のため依頼してきたピノ青年とともに,タクシーで患者の家に向かっていた。
ラス・ローザスという場所にさしかかり,カーブを曲がると,前方に突然巨大な球体が出現した。 その球体は2階建ての家ぐらいの大きさで,60メートルほど前方の地上数メートルのところに浮かんでいた。
球体は,まるでコンパスで描いた球のようでシャボン玉のように透明で,背景の星々がくっきり見えていた。 球体の周囲は美しい青の光に包まれている。レオン医師たちは,信じられない面持ちで,暗闇に浮かぶそのUFOを
20分近く 見つめていた。
球体の内部には,銀色のプラットホームのような台があり,その上に計器盤のようなものが3つ,やや外側に傾いて立っていた。 さらに身長が2.8〜3mほどある2人の怪人が,互いに向きあって手を動かしレバーを操作していた。 彼らは,黒い「潜水用ヘルメット」をかぶり,真っ赤なスーツを着ていた。手には円錐形の黒い筒らしいものをはめていた。 また,彼らは体に比べて,頭が不釣り合いなほどに大きかったという。運転手が,ヘッドライトでUFOを照らすと,球体は上昇をはじめ,周りの家の屋根の高さまで上昇した。
すると,球体の内部にあるチューブから青いガスが噴出され,内部を循環しはじめた。そのとたん,球体は大きさを増していき,ついには20階建てのビルぐらいにまでふくれあがった。 しかし,内部の怪人たちや計器盤は元のままの大きさを保っていたという。
レオン医師たちは,恐ろしくなって車を家並に向け,近くの一軒の家の中に逃げ込んだ。 そこの家族と一緒に窓からUFOを眺めた。いまやUFOは,巨大な大きさにふくれあがっている。
やがて,噴き出していたガスの動きが止まったかと思うと,UFOはあっという間にテネリフェ島の方角に飛び去っていった。 その際に,UFOの形状は紡錘形に変わり,周囲を鮮やかな白い光が取り巻いていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.33)』,1978年,(私は宇宙人を見た!:透明のUFOと巨人搭乗者)
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三(カナリア諸島の透明UFOと巨大な宇宙人)


『宇宙人の死体写真集』から



参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●ストックポート宇宙人目撃事件(イギリス)


★遭遇した宇宙人らしき人物
『宇宙人の死体写真集』から
1976年8月下旬のある日,イングランドのマンチェスターの南東10キロにあるストックポートで,3人の子供たちが,宇宙人らしき人物とUFOを目撃した。

この日のお昼ごろ,ストックポートのノースレディッシュ地区,ロングフォード西通り北側にあるゴミ捨て場で,双子のスーザンとジョン,友達のポール(いずれも仮名)の3人の子供たちが遊んでいた。
スーザンが喉がかわいたので小屋にジュースを飲みにいった。 残りの2人は,近くのヤブのほうで物が割れるような音がしたのを聞いた。すると,音のしたほうから奇妙な人物が姿を現した。 その人物は,さほど人間と違いはないのだが,なんと地面から15センチほど浮いていたのだ。 その男は,灰色のあごヒゲと長い金髪をして,銀色のスーツを着ていた。だが,数秒で2人の目の前から消えてしまった。
しかし,小屋の中にいたスーザンからは,その男が2人の背後のほうに立っているのが見えたという。 男は,腰のベルトから小さなシャベルを抜き出して地面を掘りはじめて,掘った土を透明な袋に入れていた。 スーザンが,こわくなって大声をだすと,その男は一瞬の間に姿を消してしまった。
子供たちは男を探して,小学校の塀のほうにいってみると,その男は塀のそばにしゃがんでいた。 土のサンプルを採取しているようだった。子供たちに気づくと,すぐにかき消すように消えてしまった。
突然,UFOが小学校の校庭のほうから浮かびあがってきた。UFOは銀色で,上のほうには窓と思われる黒い部分が4つ,横一列に並んでいた。 底面の中ほどにも,黒い部分が二つあった。子供たちが言うには,UFOは大きくも小さくもない物体で,全体的に曲線で構成されていたという。 ただし,底部は平らだった。
UFOは,ゆっくりと上昇してから,低空飛行をして南南東の方向へと去っていった。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三(イギリスの子供たちが見た浮遊する宇宙人)


『宇宙人の死体写真集』から



参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●レオニシオ夫妻宇宙人遭遇事件(ペルー) 1976年9月6日の夜,ペルー南部で,レオニシオ夫妻がUFOに遭遇し,降りてきた2人の乗員と遭遇した事件。

レオニシオ・ハラ・トレス(55歳)と妻のエレナは,ペルー南部のオラシェアとアジャビィリを結ぶ道路の,アッコパンパ付近を車(トラック)で走っていた。
午後8時ごろ,明るく光る物体が彼らをめがけて降下してくることに気づいた。すると,彼らの乗る車のエンジンが止まってしまった。
レオニシオは,惰性で走る車を路肩に寄せた。そのとき,車から30メートルほど離れた野原に,直径が9メートルもある丸屋根のついた円盤型のUFOが着陸した。
物体から,光る服を着た2人の人間が降りてきた。2人は人間そっくりであるが,目のところが空っぽだったという。 彼らは,あぶなっかしい足どりでチョコチョコと歩き,懐中電灯のようなものを持っていて,それを上空に向けて照らしていた。
車が止まってからは,レオニシオ夫妻は2人とも,体がしびれたようになって動くことができなくなっていた。 その原因が,その懐中電灯のようなもののせいではないかと夫妻は今でも信じているという。
2人の乗員は,ヨチヨチ歩きをしながら,レオニシオたちに近づいてきた。そして,二手に分かれ運転台の両側の開いた窓から手を伸ばし,レオニシオとエレナの背中にふれた。
それでクルリと向きを変えた奇妙な2人組は,また円盤にもどっていき中に姿を消してしまった。円盤は,すぐに離陸していったという。
夫妻の体のしびれはいつのまにか消えていた。車のエンジンも始動し動きはじめた。
恐怖におののく彼らは,ハイウェイ・パトロールの事務所に車を止め,怪物たちの手で背中をふれられたために背中をやけどしたと訴えた。 彼らの手は赤熱しているようにひどく熱かったという。しかし,背中にやけどの跡はなかった。
警官たちは夫妻を事件現場につれもどした。夫妻の言葉どおり,着陸地点には土に凹みがあり,焼け焦げたあともあった。
保健所では,夫妻に対しておきまりの調査をしたが,
数日後になっても2人には後遺症は現れなかった。 その反対に,怪物たちにさわられる前は2人ともリューマチに悩まされていたのが,数日間は全然痛みを感じなくなったという。 残念ながら数日後にリューマチも戻って来たが,痛みは以前よりもずっと軽くなっていたという。エレナはふたたび縫い物ができるようになり,あの乗員たちに感謝しているという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.28)』,1977年,(宇宙人からテレパシー・メッセージを受ける科学者たち,文:グレイ・バーカー,訳:増野一郎)
参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●イラン戦闘機UFO交戦事件(イラン)






サイト:『海外の妖しい Blog 記事から』から
1976年9月18日の夜,テヘラン上空にUFOが出現し,イラン王立空軍の2機のF-4ジェット戦闘機が迎撃に向かったが,UFOに接近すると計器や通信機器が誤動作した事件。

最初にUFOを発見したのは,メーラパッド空港管制塔の職員で,物体はテヘラン市の南部の上空を高度約1800メートルで飛行しながら, 赤,青,緑の色光を交互に発していた。
イラン空軍は,F-4ファントムUジェット戦闘機を緊急発進させ調査を命じたが,マッハ1を超える速さでこの物体に接近したが,テヘラン市から約240キロメートル離れたところで見失った。 だが,物体は市内上空に戻っており,見つけ出すよう指令を受けたパイロットは市内に戻り物体に近づいたが40キロメートル以内のところで 無線交信や機械操作が不能になり燃料切れにもなったため基地に戻った。 物体から離れると電子機器は正常に戻った。
2機目のF-4ファントムUが緊急発進し物体に近づいたが, その物体はストロボライトのような強烈な光を発し,物体の輪郭を見分けることができなかった。 約40キロメートルの距離でレーダーをロックオンしたがそのサイズはタンカーほどの巨大なものであった。 物体は一箇所に留まることなく飛び回りマッハ2でも追いつけなかったという。 さらに物体から分離した小型の物体が戦闘機に近づいたとたん,無線通信が不能になり,赤外線誘導式のミサイルをそのターゲットに向け発射しようとしたが, ミサイルシステムも故障していた。 戦闘機は辛くも逃れたが,また別の小型の物体が母船から出て,砂漠地帯に着陸し,あたり一面を昼間のように明るくしたという。
この事件は,2人の操縦士とメーラパッド管制塔の職員数名が確認している。
19日の夜 になってからも附近から目撃者の報告が寄せられた。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,【UFO情報;海外(ファントム戦闘機が幽霊を追跡)】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒FC2・海外の妖しいBlog記事から(1976年9月19日、イラン: 2機の F-4戦闘機が UFO と交戦(途中:その2))


参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●ポルトガル旅客機UFOニアミス事件(ポルトガル) 1976年9月19日の午前2時ごろ ,ポルトガル上空で101人の乗客を乗せたボーイング707型ジェット旅客機がUFOとあやうく衝突しそうになった事件。

TAP航空(ポルトガルの国営航空会社)の241便がアフリカに向けリスボン航空を離陸した直後のことである。 炎と火花のようなものを吐いた物体が,このポルトガル旅客機をかすめ去った。
操縦席にはベテランのウェイガート機長(52歳),アルミンド・ピント副操縦士(34歳),ギルベルト・サルメント機関士(48歳), それにザイールのキンシャサで交代するホセ・ピント副操縦士の4人がいた。
高度4000フィート(約1200メートル)に到達するすこし前,右側2時の方角にその物体は発見され, 1秒のうちに2時から1時の方角に300メートルと離れていないところを移動していた。 ネオン菅よりずっと明るく輝き,燃料を燃やしているように2本の光条を後にひいていた。 衝突をさけるため,機を右に傾けた。操縦席の窓の4分の3をおおいかくしたその物体には,間隔のせまい窓のように5個から7個の明るい光がきらめいていた。
機が旋回すると,物体はオレンジ色の閃光を発しながら左側に飛び去った。
リスボン空港管制塔のレーダーにはこの物体は捕えられなかった。 しかし,カルロス・コスタ先任管制官(59歳)は肉眼でこれを目撃している。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,【UFO情報;海外(ジュット旅客機がUFOとニアミス)】
参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
●ウィンチェスター着陸UFO遭遇事件(イギリス)


  

(上)着陸したUFO
(下)車をのぞきこむ謎の乗務員
いずれも目撃者の証言に基づいて描かれたもの
『UFOと宇宙』(No.24)から
1976年11月14日,ウィンチェスター付近で,着陸したUFOと乗員にドライブ中の男女2人が遭遇した事件。

この日の午後9時ごろ,ガールフレンドの家にいる17歳の息子を迎えに行くため,ウィンチェスター市(イギリス南部ハンプシャーにある海港サウサンプトン市の北にある小都市) に住む母のジョイス・ボウルズ夫人(当時42歳)とエドウィン・プラット氏(当時58歳)は,5kmほど離れたチルコム農場に夫人の車(ミニ・クラブマン)で,夫人が運転して向かっていた。
A272の地点にさしかかった頃,二人は空中にオレンジ色の光体を発見した。二人はチルコム農場に向かうために左折し,せまい道路に入った。
道路の右側には約10m幅の草地があり,そのむこうはヤブがおおっていた。突然,車がバラバラになりそうなくらい激しく揺れ始めた。 車のコントロールができず,車は斜めに疾走し,道路わきの草地のなかに乗り上げて停止した。 が,すぐに車はエンジンが轟音を発し,ひとりでに動き出した。車のライトは通常の4倍ほどの明るさを発していたという。
次に車が停止したとき,前方約5m,地上約30〜40cmのところにオレンジ色に輝く葉巻型(楕円形)の物体が浮かんでいた。
物体の下部からは,蒸気のようなものが噴き出ていた。頂上部左側には"窓"があり,3人の顔が外を見ていた。
物体にドアは見えなかったが,いつの間にか1人の"人間"が外に出てきた。人間は身長が約1.8m,銀色の服を着ていた。 その男は,車の方に歩み寄ってきた。頭には何もかぶらず,長い金髪が肩のところでまき上がっていて,あごひげが長くさがっていた。皮膚は青白くきれいだった。
男はかがみ込んで車の中をのぞき込んだ。目は白ウサギのようにピンク色をしていた。
夫人はその目があまりにも鋭いので,目を離しても太陽を見たかのように焼きついていた。男は
約2分間,車のそばに立っていたが,やがて物体の後部の方へ歩いていった。
車の外へ出ようとするプラット氏を夫人が引き止めた。そして,二人が前方を見たときに,物体は消えていた。
恐怖感から車の外へ出ることができず,車の運転をプラット氏にかわってもらうこともできなかった夫人は,夢中でエンジンをかけ車を発進させようとした。だが,車は目に見えない壁につきあたっているかのようにタイヤが空転し動かなかった。そしてエンジンが止まったため,もう一度エンジンをかけ直すと,今度はうまく車は動き出した。二人は約800m先のチルコム農場に無事到着した。
この事件は,
約7分間のことだったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1977年6月号(No.24),【「ウィンチェスターに出現したUFOと不思議な人間」,文:レスリー・ハリス,訳:久保田八郎


現場付近の地図
 

現場付近
『UFOと宇宙』(No.24)から



参考外部=>NICAP(The 1976 UFO Chronology)
1977年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ピレネー上空の巨大物体目撃事件(フランス) 1977年1月17日 ,フランス・ピレネーの町ロスピタレに住む女性パトリシア・モニンは,車で走行中,巨大な雲のかたちをした奇妙な物体を目撃した。
この日の夕方5時半頃,パトリシアは2台の車でロスピタレ(Lhospitalet)の町に向かってパドカーズの道を走行していた。
車が,国道20号線と20A号線の交差地点に近づき,大きなカーブを曲がり切ったとき,突然,前方の地上100〜150メートルの雲ひとつない空中に, 巨大な物体が静止しているのを発見した。
前を走っていたパトリシアの父が運転する車も,その物体に気づいたとみえて,2台の車は路肩に停止し,車に乗っていた全員が車の外に出た。
全員が最初,奇妙なかたちの雲が浮いているのかと思ったという。 しかし、パトリシアも含めた誰もが,この辺の気象と雲のかたちなどを,日頃見なれており,それが雲でないことはすぐに分かったという。見わたすかぎり,ほかに雲は見えなかった。
その雲に見える物体は,3,4階建ての細長いビルを横にしたほどの大きさで,全体がススのように薄汚れて見えた。 中心部がふくらみ,周囲は平たく,ヘリの部分が鮮やかにオレンジ色に輝いて,そのヘリの部分の輪が物体の周囲をゆっくり回っているように感じたという。 そして,その物体の周辺だけが霧が薄くたちこめているように見えた。
パトリシアは,とっさに3枚の写真を撮影した。あたりが奇妙に静まりかえっていたのが印象的だった。
パトリシアたちは,この物体を数分間観察したが,目的地に向かって出発した。 ロスピタレへの最後の曲がり角で,パトリシアたちはもう一度振り返ってみたが,そのときには物体は姿を消していた。

(★上はパトリシアが撮った写真の3枚のうちの1枚。『UFOと宇宙(NO.46)』から)
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.46)』1979年,【ピレネー山脈上空に巨大な物体出現】
参考外部=>NICAP(The 1977 UFO Chronology)
●ドーバーデーモン目撃事件(アメリカ)

サイト:『ムーPLUS』から
1977年4月21日 ,マサチューセッツ州ドーバーの住宅地で頭が大きく,手足の細長い体毛のない怪物を目撃した事件。
17歳のウィリアム・バートレットは友人を乗せドライブをしていた。
午後10時30分ごろ のことである。6メートルほど先の石塀の上を犬か猫のような動物が歩くのを見た。
ヘッドライトが照らすと,その怪物は長い指で岩をつかんで,車のほうを振り向いた。 胴体よりも大きそうな巨大な頭部にオレンジ色の明るく光る大きな目があった。鼻や口,耳のようなものはなく,手足は細長く,肌は黄色みがかったピンク色をしていた。
1両日中 に,同一と思われる怪物(ドーバーデーモンと呼ばれた)が10代の若者たちにより目撃されている。 しかし,その後目撃されることもなく,いずこかに消えてしまった。
【参考文献】
『(決定版)超怪奇UFO現象FILE』,著:並木伸一郎
参考外部サイト=> Wikipedia(ドーバーデーモン)

参考外部サイト=> UMAファン〜未確認動物

参考外部サイト=> 怖い話(ドーバーデーモン)

参考外部サイト=> 未確認生物大陸(ドーバーデーモン)


参考外部=>NICAP(The 1977 UFO Chronology)
●ケブラディラス宇宙人目撃事件(プエルトリコ)

★目撃者オルモスによるヒューマノイドのスケッチ
『宇宙人の死体写真集』から
1977年7月12日,プエルトリコのケブラディラスという町で奇妙な装置を付けた小柄な宇宙人が目撃された。

目撃者はアドリアン・デ・オルモスで,自宅のバルコニーで夕涼みをしていると,向かいの農場から誰かが有刺鉄線を張った柵をくぐってくるのを目撃した。 小柄なので子供かと思われたその人間は,空気が入ってふくらんだような緑色の奇妙なスーツを着ていて,アンテナの突き出たヘルメットをかぶっていた。 右手にはマッチ箱ぐらいの大きさの光る物体をもっていた。
そして,家の前の街灯をめざして慎重な足どりで進んでいった。 オルモスには,そのヒューマノイド(人間型の生物)が,エネルギーか電気を盗もうとしているように思えたという。
オルモスの娘が,バルコニーの電灯をつけたところ,その光がヒューマノイドのヘルメットの前面のガラスに反射した。 とたんに,そのヒューマノイドは柵のほうへ駆け戻っていった。 そして,立ち止まると腰のベルトに手をやると,背中にしょっていた装置のライトがともりブーンという音がした。 その瞬間,なんとそのヒューマノイドは空中に浮きあがった。
そのころには,近所の人たちが集まってきていた。 みんなが見ているなかを,ヒューマノイドは農場のいちばん手前の木まで130メートルの距離を,まるでスーパーマンのように飛行したのであった。
ヒューマノイドの背中の装置の光が,木から木へ動きまわっているのがよく見えたという。 また,別のヒューマノイドのものと思われる光も出現した。やがて,光は見えなくなった。
目撃者のオルモスは,スケッチが趣味で,観察力にもひいでているので,ヒューマノイドの外見を詳しく描写した。 ヒューマノイドの身長は約1メートルで,手がやや短いことをのぞけば体型は人間と変わりがなく,ヘルメットの両側から尖った耳が突き出ていた。 指は4本しかなく,アヒルのような足をしていたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三(プエルトリコの空飛ぶ小型ヒューマノイド)
参考外部=>NICAP(The 1977 UFO Chronology)
●マルドナド土星型UFO目撃事件(ウルグアイ) 1977年7月26日,南米ウルグアイのマルドナドで建築家のセルジオ・オッタメンディ氏は,土星型UFOを目撃し6枚の写真に収めた。

(★上はセルジオ氏が撮影した5枚目の写真。下は事件現場の略図。『UFOと宇宙(NO.34)』から)

南米ウルグアイのプンタ・デル・エステに住むセルジオ・オッタメンディ氏(32歳)は,
その日の午前10時半ごろ,愛車のオペルK180で,マルドナドからサン・ カルロスに向かって走っていた。マルドナドから北へ4kmほど来たとき,車のエンジンが不調になり,さらに2kmも走ると完全に停止してしまった。
カーラジオもライトもだめになっていた。バッテリーをチェックしてみると,電気が全くなくなっていることがわかり,近くにある1軒の家に,助けを求めに行くことにした。
すると,その時上空にまぶしい閃光を感じた。オッタメンディ氏は,それを6枚の写真に撮影した。
物体は全く音をたてなかったという。
そして,気を取り直した彼は,先ほど見かけた家に向かった。 すると,その家のジロン・オリベラ夫人もそのUFOを目撃していることがわかった。夫人の車のバッテリーもだめになっていることがわかったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.34)』1978年,【ウルグアイの土星型UFO,文:ウェルデル・C・スティーブンス
参考外部=>NICAP(The 1977 UFO Chronology)
●アントニオ・ボガUFO拉致事件(ブラジル)

『UFOと宇宙』(No.33)から
1977年9月15日 ,バス運転手のアントニオ・ボガ・ド・ラ・ルビアが巨大UFOに遭遇し複数の1本足の宇宙人にUFO内に拉致された事件。
パシェンシア村(リオ・デ・ジャネイロから約45キロ)に住むバス運転手のアントニオは,バス会社が運転手たちをピックアップするための回送バスに乗るために自宅から5~600メートル離れたハイウェイまで行くために
午前2時15分 に家をでた。
200メートルほど行ったところの空き地を黒々とした巨大なものが占領していた。 よく見ようと,懐中電灯の光りを向けようとした瞬間,強烈な光がその物体から放射され,あたりを青一色に染めあげた。 光のなかには,信じられないほど大きい帽子型をしたUFOが姿を現わした。UFOは鈍い鉛色で窓などなく,地上50センチくらいのところに浮かんでいた。
アントニオは,まるで透明なガラス容器をかぶせられたような感じで身動きひとつできなかった。
すると,いつの間にか3人のロボットのような異様な宇宙人たちにとり囲まれていた。宇宙人たちはの顔は,フットボールの球を縦にしたような形をしており, 横に一列だけ帯がとり巻いており,眼,鼻,口,耳のようなものは何もなかった。頭のてっぺんにアンテナのようなものが1本あり,その先にはスプーンのようなものが, すごい速さで回転していた。腕の先には指らしいものがなくとがっていた。 そして足のかわりに,上半身の下部から1本の棒のようなものが突き出ており,先にはコーヒーカップの受け皿のような円盤状のものがついていた。 宇宙人たちは,どれも同じ恰好をしており,120センチほどの同じ大きさで宙に少し浮いていた。
アントニオの前に浮いていた宇宙人が,手にしていた注射器のような棒を向けたとたんに,アントニオの体は空中に浮き上がり,UFOに向かって進みはじめた。 するとアントニオの体はUFO内の白く光るチューブのような中を押し流されて,やがてブルー一色の格納庫のような部屋に立っていた。
ふと気づいてあたりを見まわすと,同じ格好の宇宙人たちが12人ずつ2列になって彼を取り囲んでいた。
恐怖のあまり,アントニオは声を出そうとしたが,声は出てこなかった。呼吸も自由にできない状態だった。 宇宙人たちは全員が,10センチほど空間に浮かんで気味が悪いほど静かにアントニオの方を向いていた。
その時,突然アントニオは声を出すことができた。ありったけの声をだして叫ぶと,宇宙人たち全員が床に倒れてしまったという。 すると部屋全体が眼もあけていられないほど強く輝きはじめ,同時に宇宙人たちも元のように同じ位置に立ち上がったという。 その後,UFO内でアントニオは,不思議な映写画像のようなものを見せられたり,血液を指から採取されるようなことをされた。
その後,気がつくと最初の場所から3キロメートルも離れた国道の脇に立っていた。 頭上には,巨大なUFOが底面を見せて滞空していたが,やがて遠ざかり消えていった。UFOにとらわれてから
50分 が経過していたという。アントニオは,身体のあちこちがズキズキと痛み,身体中が火傷を負ったように火照りヒリヒリと痛かったという。
アントニオは,この奇怪な体験をした後,体の回復が良くなく,会社を辞めてしまったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.32,33),【「巨大UFOの怪光線で火傷したバス運転手」,文:矢追純一
参考外部=>NICAP(The 1977 UFO Chronology)
1978年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ウィリアム・ハーマンUFO誘拐事件(アメリカ)


(目撃した宇宙人)
『ムー(NO.12)』から
1978年3月18日 ,サウスカロライナ州チャールストンに住むウィリアム・ジェームズ・ハーマンが宇宙人に拉致誘拐された事件。
1977年11月12日午後5時55分 ,チャールストン市を流れるアシュレー川付近にいたハーマンは上空を飛ぶセスナ機の後方を飛行している円盤型物体を発見,望遠鏡で確認した。 その後 11月27日から翌年2月11日 にかけて,不思議な飛び方をするUFOを大勢の人々と一緒に何回も目撃をし,写真におさめた。
そして,
1978年3月18日,午後9時30分頃 のことである。望遠鏡で見上げていたハーマンに向かってUFOが急接近し,底部から青い光線を発した。 これによりハーマンの体はUFOに吸い上げられ始めた。
意識を失ったハーマンが目をさますと,そこは赤い光に満たされた円盤内部らしく,円型の部屋のベッドに寝かされていた。 そして身長130センチくらいの頭デッカチの3人の生物に見おろされて,奇妙な器械で身体検査をされていた。 その生物たちは大きなまん丸の頭に髪の毛も眉毛もなく,異様に大きな目と小さな鼻,薄い唇をしていた。3人ともそろいの赤いダイバースーツのようなピッタリした制服をつけていた。
次に気がつくと,ハーマンは見たこともない真っ暗な空き地に立っていた。 上空にオレンジ色に輝くUFOが飛び去っていくのが見えた。時計を見ると
午前0時15分 だった。 3時間 ほどが経過していたという。
事件からちょうど
1年たった3月18日深夜 ,ハーマンの頭の中にとつぜんライトがつくように”あの日”のできごとが思い出され, UFO内で宇宙人から伝えられたことが理解できたという。 彼らの宇宙船は地球から32光年離れたレチクル座のゼータTとレチクル座ゼータUという二重の発進地からきているという。
【参考文献】
『ムー(NO.6)』,【彼らはレチクル座から来ているという;文:並木伸一郎】,1980年
『ムー(NO.12)』,【私もブラックメンに脅迫された!;文:矢追純一】,1981年
『UFOと宇宙(NO.44)』,【ウィリアム・ハーマンの体験;文:ウェンデル・スティーブンス】,1979年
『UFOと宇宙(NO.49)』,【新展開みせたウィリアム・ハーマン事件;文:ウェンデル・スティーブンス】,1979年
参考外部サイト=>路(リスはUFO接近を感知するか)



(上:ハーマン氏が撮影したUFO。下:飛び方を示すスケッチ)
『ムー(NO.12)』から


(ハーマン氏にインタビューする矢追純一氏)
『ムー(NO.12)』から



参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)
●ヤン・ボルスキーUFO誘拐事件【エミルシン事件】(東ポーランド)


★遭遇した小人宇宙人のスケッチ
『宇宙人の死体写真集2』から


★ボルスキーが連れ込まれたUFO
『UFOと宇宙(No.96)』から
1978年5月10日,東ポーランドのエミルシンという村にすむ,農夫のヤン・ボルスキー(70歳)が,二人の宇宙人に遭遇し,UFO内に連れ込まれた。

エミルシンというのは,ポーランドの首都ワルシャワから南東に144キロほど離れたところにある小さな村である。
この日の
午前8時ごろ,農夫のヤン・ボルスキー(70歳)という農夫が,荷馬車を走らせていた。 彼が小さな森の近くにさしかかったとき,二人の人間が前方を歩いているのに気づいた。ボルスキーが,馬車の速度を落とすと,彼らは振り返った。
二人は,黒いウェットスーツのようなものを着て,顔と手だけをのぞかせていた。 吊り上がった目で頬骨が飛び出て,唇が異常に薄かった。身長は1.5メートルほどしかなく,肌の色は暗緑色をしていた。 ボルスキーは,二人が黒ずきんをかぶった僧侶のように見えたという。
ボルスキーの荷馬車が,二人を追い越そうとすると,二人はいたずら小僧のように,荷馬車に飛び乗った。 ボルスキーは,彼らに親しみを感じたが,馬たちがまるで重い荷物を運ぶかのように急に足取りが遅くなったので,ちょっと驚いた。
しばらく田舎道を進んだところで,二人は身振りで左手にある藪の中に入るようボルスキーに促した。すると,藪の背後は空き地になっていて,そこに不思議な物体が浮かんでいた。
物体は地上から4~5メートルのところにあり,直径が10メートル,高さが4メートルほどで,青みがかった金属的な色をしていた。 形はずんぐりした円筒形をしていて,屋根はアーチ状になっていた。円筒形の4隅に,筒状の突起物があった。 その筒状のなかにドリルのようなものがはまっていて,上下に動き高速回転をし,かん高いキーンというような音を出していた。
物体の側面に四角い開口部が一つあって,そこから4本のケーブルで一つの箱型のプラットホームが昇降装置として吊り下がっていた。
ボルスキーたちは,そのプラットホームに乗って上昇し,飛行物体の中に入った。
物体の中は,照明器具らしきものはなかったが明るく,四角い部屋があり,平らな天井には四角い形のパイプラインが走っていた。 そして壁際に狭いベンチがあり,そこには近くの森に棲息している20羽ほどの小鳥が見えたが,何か目に見えない力で束縛されているようだった。
部屋の中にはもう二人の,別の異星人がいた。しばらくしてから,異星人はボルスキーのシャツとズボンのボタンを外しはじめ,あっというまに,彼を裸にしてしまった。 すると一人が,スープ皿のようなものを二枚手にして近づいてきて,それで体のいろんな部分を,頭から爪先まで触れた。 まるで,レントゲン写真を撮っているようだった。検査の間,彼らはわけのわからない言葉を早口で絶え間なくしゃべっていたという。
検査が終わってボルスキーが服を着ると,彼らはていねいに食べ物を勧めた。 それは,透明な氷のように見える菓子で,彼らはそれを砕いて口にほうり込み,歯で噛んで食べていた。ボルスキーは,その勧めを断った。
ボルスキーが,昇降装置に乗ると,自動的に地上に降下した。 彼は荷馬車に乗ってから,後ろを振り返って見ると,物体はほとんど水平方向に飛行を始め,時速240キロ程度で,北の方角に飛び去っていった。
後日,現場で宇宙人のものと思われる足跡も発見された。 長さが30センチ,幅が8センチほどあり,地面に4~6センチの深さまでめり込んでいた。このことから,彼らの体重は,350キロ近くあったものと推定された。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者:中村省三 (ポーランドの農夫が遭遇した緑色の小人宇宙人)
『UFOと宇宙(No.96)』 ,1983年,(東ポーランドのUFO誘拐事件;文:コールマン・ヴォン・ケビュッキー,訳:田中元美)
参考外部サイト=>怖話(【1978年】エミルシン事件)

参考外部サイト=>特殊乗り物と近代妖怪(エミルシン事件)




★ボルスキーの出会った宇宙人。ボルスキーは親しみを感じたという。
『UFOと宇宙(NO.96)』から




参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)
●ジョジョ・フィリプッティ宇宙人遭遇事件(イタリア)


★目撃された小柄な宇宙人

(IIIust/UFO NEWSFLASH)
『宇宙人の死体写真集2』から
1978年9月18日,イタリアの鉄道員ジョジョ・フィリプッティ(47歳)が,コルノ川で釣りをしていたとき, 着陸したUFOとそのそばにいた一人の乗員を目撃した。

この日の午後3時30分ごろ,フィリプッティはポルト・ノガロのそばを流れるコルノ川で釣りをしていた。そこはイタリアの北東部にあたり,海岸から2キロほど奥に入ったところである。
突然,ヘリコプターの回転翼のような騒がしい音がして,フィリプッティの背後で空気がざわめき,川面が波打ちはじめた。 騒音を出しているものを突き止めるため,彼は川の上流のほうへ移動していった。
すると,彼から20メートルほど離れた場所に,奇妙な物体が着陸しているのが見えた。 物体全体は黄色で卵形をしていた。直径は5メートルぐらいで上部がドーム状なっていた。底部からは伸縮式の着陸脚が3本突き出ていた。
そして,その物体の近くを歩いている一人の人影が見えた。 身長は130センチぐらいで,アジア人のように見えた。着ている服はダイビング・スーツのようなもので日光が反射してキラキラ光っていた。
フィリプッティに見られていることに気づくと,その小柄な人物はびっくり仰天したようなそぶりを見せた。 それでも,物体の周囲を
3〜5分間ほどフィリプッティのほうを気づかいながら回り続けた。そして,どうやら作業が終わったようで, その人物は最後にもう一度フィリプッティのほうを見てから,物体の背後に回って姿を消した。
数秒後,物体の下のほうから雷のような音がし,続いてピーというかん高い音が響きわたった。物体は下から青い炎が吹き出し,伸縮式の着陸脚を引っ込めながら,ゆっくりと垂直に上昇を始めた。間もなく物体は南西方向に向け,信じがたいスピードで飛び去っていったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年, 著者:中村省三 (イタリアの川岸で釣り人が遭遇した小人宇宙人)
参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)
●バレンティッチUFO遭遇事件(オーストラリア)
【フレデリック・バレンティッチ事件】


(セスナ機の航路)


(フレデリック・バレンティッチ)
1978年10月21日,フレデリック・バレンティッチがセスナ機でキング島に向かってバス海峡(Bass Strait)を飛行中,UFOらしきものと遭遇しセスナ機ごと行方不明になった事件。

この日,フレデリック・ポール・バレンティッチ(当時20歳)は,182L型セスナ機で,ビクトリア州モラビン(Moorabbin)空港を飛行距離
90分のキング島(King Island)に向かい18時19分に飛び立った。キング島で海産物の荷を積み込む予定だった。 同時に事業用ライセンス取得に必要な夜間飛行を消化するつもりだった。
離陸後
47分後(19時6分)に,メルボルン(Melbourne)の管制塔にフレデリックから無線交信を求めてきた。高度4500フィート(約1400m)で飛行中だが未確認飛行物体が追跡してくる。この空域に該当する航空機がないかをたずねてきた。 管制塔は「飛行中の航空機はない」ことを応答した。
「4つ,明るいライトがついている。着陸灯のようだ。その航空機は,頭上1000フィート(約300m)のところを通過していった」
−どんなものか,分かるか?
「飛行機じゃない。これは・・・・・・」しばらく沈黙。
2分後に「メルボルン。そいつは真東の方からこちらに近づいてくる。なにかゲームをやっているみたいだ。速度は推定できない。飛び去った。長い形だ。それ以上は分からない。こちらの方にやってくる」
そして
1分後,「静止しているようだ。こちらは旋回中だが,そいつも僕の上で旋回している。緑色のライトがついていて,外側は一種の金属性の光だ」
数分後,エンジンの調子が悪く,ガタガタしていると伝えてきたのち,
「これは飛行機じゃない」
この言葉を最後に,
カチカチ,ガリガリという金属音が続き交信は切れた。19時12分 のことである。
軍,民間の援助を得て,空と海から大がかりな捜査が行われた。交信が切れたときセスナ機が飛行中だったと思われる,キング島の北25マイル(約40km)の地点を重点的に行われた。だが,なんの手がかりも得られなかった。パイロットはおろかセスナ機の行方もつかめずに終わった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.42)』1979年【「UFOと遭遇!?セスナ機消息を絶つ」,文:中村省三
『UFOと宇宙(NO.85)』1982年【「バレンティッチ事件を追う男ポール・ノーマンに聞く・オーストラリア最新UFO事情」】
参考外部サイト⇒UFO事件簿(バレンティッチ機消失事件)

参考外部サイト⇒YOU TUBE(2023 08 UFO Valentich Disappearing Incidentオーストラリア・バレンティッチ)

参考外部サイト⇒怖話(バレンティッチ行方不明事件)

参考外部サイト⇒ミステリーニュースステーション(誘拐?撃墜?UFOに遭遇して消えたセスナ機「バレンティッチ事件」)



参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)
●アンジェロ・ダンブロス宇宙人遭遇事件(イタリア)




★目撃されたUFOとネズミのような顔の宇宙人

(IIIust/CUN(Ugo Fulran))
『宇宙人の死体写真集2』から
1978年11月24日 ,イタリア北東部のガッリオに住む,アンジェロ・ダンブロス(61歳)が,ネズミのような顔の宇宙人に遭遇した。

この日,ダンブロスは,近くのガスタグという場所にある雑木林に薪を集めに出かけた。作業は昼近くまでかかった。
ふと振り返ったダンブロスは,すぐそばにグロテスクな生物が二匹いることに気がつき,ゾッとした。
二匹は1.2メートルと1.0メートルほどの身長で,黄色いっぽい色の皮膚で非常にやせていた。 頭は洋ナシのような形で大きく,毛は一本もなく,耳は異常に大きく真っすぐ上に伸びて尖っていた。 目は大きく目玉は真っ白で瞼がない。鼻も大きく,ほとんど下唇に届きそうだった。 口からは尖った牙が突き出ていた。首から膝上までのぴったりした黒いオーバーオールを着ているように見えた。 手と足は不格好なほど大きくて,指と爪が異常に長かった。
そして,二匹とも地面から40センチぐらいのところに浮かんでいた。
小さいほうの一匹は,めまぐるしく動き始めた。足を動かさずに,目に見えない表面の上を滑っているかのような移動方法だった。 空気を切るかすかな音と長い耳が低い枝に触れて生じるカサカサという音がした。
大柄なほうの一匹が,ダンブロスの持っている鉈をうばおうとしたので,ダンブロスは空いている左手で薪の1本をつかんで,その生物を叩きのめそうとした。 その様子を見たとたん,二匹の生物はあっという間に逃げていった。
追跡したダンブロスは,二匹を見失ったが,それでも探していると,20〜30メートルほど離れた空き地に, 4本の着陸脚を地面にめり込ませて,幅が4メートルほどの円盤型をした物体が着陸しているのを見つけた。 円盤の上半分は赤,下半分は青で,中が白で色が別れていた。
先ほどの生物たちが大きな手で中央のドームの中で,落とし戸を後方に引いて閉めるところが,ダンブロスにはかろうじて見えた。
数秒後,円盤は斜めに傾きながらふらふらと離陸し,無音のまま,赤い炎を吐きながら,あっという間にモミの木の背後に姿を消した。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者:中村省三 (イタリアの老人を襲ったネズミのような顔の宇宙人)
参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)
●エルスワースAFBミサイルサイト巨大菱形UFO出現事件(アメリカ) 1978年12月下旬,サウスダコタ州エルスワール空軍基地(Ellsworth Air Force Base)のミニットマン・ミサイル発射施設上空に,巨大な菱形UFOが出現した。

新型ミサイルのミニットマンT型とU型の発射管制施設(LCF)は,地下コンクリートと鋼鉄のサイロによって防禦されている。各サイロは,数マイルの距離で隔てられ,ソビエトからの核攻撃の生き残りに備えている。
ミサイルは,10個の小隊(Flights)で組織され,各小隊にはアルファベット順に呼び名が付けられている(例えば,アルファ,ブラボー,チャーリー,デルタ等々)。
複数のLCC(発射管制カプセル)は,各々10発の核ミサイルを管理している。(LCCは地下に設置され,地中ケーブルで連結されている。地下に配置された各ミサイルは,
24時間の警戒態勢下にある2名一組の発射担当士官に掌握される。)
各LCCはSAT(保安警戒班)をもち,SATはカプセルとミサイルを警護している。

ジョン・W・ミルズは当時,サウスダコタ州のエルスワース空軍基地(Ellsworth AFB)近くの第44ミサイル管理中隊(OMMS)に配属されていた。そこは,人里離れたミニットマン・ミサイル発射施設の一つで,ミルズは空軍兵としてミサイル照準班の一員であった。
1978年のクリスマス後の12月暮れのある日,ミルズはデルタ小隊に派遣された。RMADと呼ばれるミサイルの目標照準調整の手順を行うためであった。
ミルズはその日,ある中尉(班長)とペアを組み,デルタ3のミサイルサイト施設でRMAD手順を開始した。
午後6時半になったころ,突然,地上にいる警備隊員がミルズたちのいるはしごを叩き始めた。班長とミルズは不審に思い,RMADをやめて(RMADは振動に敏感であるため),はしごを登って地上に出て,警備隊員に大声で問い詰めた。
その時,二人は低いハミング音に気づいた。それは機械が発するような音ではなく,今まで聞いたことのない音であった。皮膚や歯で感じることもでき,身体の内部でも感じることができた。あらゆるものに浸透するような,加熱されないマイクロ波のような感じの音であった。ハッチの隣に停めてあるトラックも小さく振動していた。それは,トラックを触れることでわかった。
5分前に始まったこの異常に,警備隊員はミサイルサイトのディーゼル発電機が壊れたと思い,手順に従って報告し,さらにRMADを行っているミルズと班長らに報告するため,はしごを叩いたのであった。
突然,警備隊員が叫び上空のあちこちを指し,物体の位置を教えたが,ハミング音のせいで思考が鈍っているせいか,二人には最初それを見つけることができなかったが,遂にそれを見つけることができた。空にまっすぐな境目があり,境目の一方には星が見えて,もう一方は真っ暗だった。
サイトの中ではハミング音のために,お互いの会話を聞き取るのも困難だったが,ゲートを開けサイトの外に出ると,ハミング音は聞こえなくなった。音がサイトの外から発生しているのではないことがわかった。サイト外の二人は,上空にある暗い物体の境界線の真下を端から端まで歩くことにした。それにより,その物体の形が平行四辺形か菱形(ダイヤモンド形)のように,4つの角をもつものであることがわかったが,その高度と大きさは不明だった。
二人は再びサイト内に戻った。頭上に浮かぶ暗くて不気味な存在と,だんだん強くなる耐え難いハミング音に直面したら,普通はパニックにならないまでも,不安に感じるものである。警備隊員は恐怖に脅えていたが,ミルズと班長は比較的落ち着いており,恐怖心は感じなかった。
ミルズが地下ミサイルサイロに通じるハッチまで歩き,はしごを降りようとすると,上と階下のライトが消えた。
トラックも動かなくなった。警備隊員は無線でLCF(発射管制施設)に連絡しようとしたが,無線も作動しなかった。
発電機が作動しない場合は,ミサイル発射装置室下にある第3のバッテリーが機能することなっていたが,それは機能せずサイトのライトは消えたままだった。彼らはあらゆる手段で復旧を試みたができなかった。
二人がサイロから地上に戻った時,ハミング音は止んでいた。しかし,物体はまだ上空にあった。
5分か30分かの時間が過ぎてからライトが復旧し,発電機が動き始めた。その時,彼らはその物体が上空からいなくなっていることに気づいた。上空全面に星が見えた。彼らは,物体が飛び去るところを見てはいない。
ミルズと班長が地下に降りると,サイトはダウンしていた。誘導管制(G&C)が正常に機能しておらず,彼らは管制モニターとケーブルセットの所へ行き,ミサイル開始手順を始め,RMADの作業を終えて地上に戻った。
この夜に,ミサイルが機能不全になったのは,ミルズのいたデルタ小隊の3基だけではなく,エコー小隊の全部が駄目になっていたという。加えて第66戦略ミサイル中隊の中隊指揮所のあったデルタ-1までもが故障したという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第11章/ミサイルサイトを覆う巨大な菱形】,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>En.Wikipedia(Ellsworth Air Force Base)

参考外部=>NICAP(UFO sightings at ICBM sites and nuclear Weapons Storage Areas)

参考外部=>UFOs&Nukes(Former USAF Missile Security Policeman Tells of Apparent UFO Abduction at ICBM Site)
●カイコウラUFO目撃事件(ニュージーランド)


サイト:『ムーPLUS』から
1978年12月31日,ニュージーランドのカイコウラ(Kaikoura)上空で,ニュース記者のクウェンティン・フォーガティがUFOを目撃した事件。

1978年12月21日の夜,ニュージーランド南島の北部,カイクーラ(Kaikoura)地区上空にUFOが現われ,同地域の住民多数によって目撃された。
同時に,飛行中のパイロットもこれを目撃し,それは地上と機の両方のレーダーからも捕捉された。
目撃者のヴァーン・パウエル機長の飛行機は,カイクーラ地区のクラレンス川(Clarence River)上空を高度3,300メートルほどで飛行中だっが,パウエル機長は今まで見たことのないような光球を目撃した。それは,飛行機の灯りや漁船の灯の反射光などではない,得体の知れない巨大な飛行物体で赤味がかった白い光を強烈に発していた。
その物体は,はじめは60キロほど離れてずっとついてきていたが,そのうち
1秒ごとに1.6キロずつ近づくという猛スピードでパウエル機長の機に向かってきたという。
50キロ,40キロ,30キロと接近してきたため,機長は思わず回避コースをとろうとすると,不思議にもUFOは,スッと右に曲がると,ものすごいスピード(時速1,600キロくらい)で飛び去っていった。
このときの管制官,ジョン・コーディは,受持ちのレーダーにもUFOらしき飛行物体がハッキリ映っていたという。それは信じられないほど速く,また,現われたり消えたりを
30分にわたって繰り返したという。
この事件から
10日後の12月31日早朝,ついにテレビ局のカメラにUFOがとらえられた。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.45)』【オーストラリアテレビ局が機上から捕捉,文:矢追純一】,1979年


オーストラリアのテレビ局のニュース記者クウェンティン・フォーガティ(Quentin Fogarty)は,ニュージーランドでUFOに遭遇したという飛行機のルートをそのまま貨物機でたどってみた。
すると,フォーガティもカイコウラ(Kaikoura)上空で,UFOに遭遇してしまった。
UFOは,貨物機より低く,脈動する5つの光を点滅させていた。しばらくすると,機体のすぐわきに巨大で明るい光が出現した。
フォーガティはこれを,「ぼんやりした星のように見えますが,まぶしいほどの白と緑の光を発している」とコメントしている。
その後,フォーガティが乗った貨物機がクライストチャーチ(Christchurch)空港に着くとUFOは姿を消すが,再び空港を飛び立つと
,2分もしないうちにまたUFOは出現した。飛行機につきまとうように飛んだり,急激に方向転換したりと,明確な「意志」を持っているように振る舞ったという。
【参考文献】
『【完全版】世界のUFO現象FILE』2011年,著者:並木伸一郎


1979年元旦早々,オーストラリアのテレビ局がニュージーランド上空で撮影した「世界で初めて信頼できるUFOフィルム」を放映し,世界中に反響を巻き起こした。
このフィルムは,
1978年12月31日の早朝,ニュージーランド南島のカイコウラ上空で飛行機の中から撮影されたものである。
オーストラリアにあるテレビ局,「チャンネルO」の記者クウェンティン・フォーガティ(Quentin Fogarty)は,クリスマス休暇でニュージーランドを訪れていた。フォーガティは,
12月21日に南東のクラレンス川(Clarence River)上流でUFO騒ぎが起こったことを知った。
彼は,さっそく現地でフリーカメラマンをやとい,飛行機をチャーターして取材を行った。
12月30日の深夜から31日の早朝にかけて,新聞輸送用のアーゴシー(Argosy)機で飛んだところ,クラレンス川上流で,見事にUFOをキャッチした。
UFOは,巨大なピンポン玉のような半透明の球体で,大きさは月の数倍あった。中に電球が入っているように光り,脈動を繰り返していたという。
チャーターした飛行機は,ブレンハイム(Blenheim)からクライストチャーチ(Christchurch)まで南下し,給油後またブレンハイムに引き返したが,その途中でもUFOは出現し,250ミリ望遠レンズで合計
20分あまりのフィルムに撮影している。
フォーガティ記者は,「
5時間半の飛行中に見かけたUFOは全部で25個でときどき白く輝き,グリーンに見えることもあった」と述べた。
そして,このUFOは,管制塔のレーダーでもとらえられ,何個かが飛行機のまわりで現われたり消えたりしていたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(No.44)』【コンディション・グリーン;TVカメラで撮影UFOへの最接近】,1979年




サイト:「StrangeSounds」から
参考外部⇒ ムーPLUS(カイコウラ事件/超常UFO宇宙人事件)

参考外部⇒ 怖話(【1978年】カイコウラ事件)


【サイト検索キー: Kaikoura, 1978, ufo 】
参考外部=>YouTube(New Zealand UFO Footage,1978)

参考外部=>YouTube(Kaikoura UFO 1978)

参考外部=>YouTube(カイコウラライト UFOの目撃  ニュージーランド1978)

参考外部=>En.Wikipedia(Kaikoura lights)

参考外部=>About:UFOs/Aliens(The 1978 Kaikoura,New Zealand Photographs)

参考外部=>THE NEW ZEALAND UFO SIGHTINGS OF DECEMBER,1978 THE SIGHTING NORTHEAST OF CHRISTCHURCH)

参考外部=>NICAP(The 1978 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(New Zealand Sightings December 31,1978)
1979年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ブルーストンウォーク妖精宇宙人出現事件(イギリス)


『宇宙人の死体写真集』から


★庭に着陸していたUFO
サイト「UFO事件簿」から
1979年1月4日の早朝 ,イギリスのバーミンガム近くのブルーストンウォークに,光り輝く妖精のような不思議な生物が姿を現わした。
午前7時40分ごろのことであった。出勤する夫を見送ったジーン・ヒングリィ夫人は,自宅の庭にオレンジ色に光り輝く不思議な物体があるのを見つけた。 夫人はしばらくその物体をながめていたが,気味が悪くなったので,家にひっこんでしまった。
すると,ジーッ,ジーッという変な音が聞こえてきた。 振り返ると部屋のなかに,光り輝きながらふわふわと空中を漂っている,この世のものとは思えない美しい3体の生物がいた。
彼らの身長は1メートル10センチぐらいで,体つきは,とてもほっそりしていた。そして,背中には水玉模様の大きな羽根を生やしていた。 透明なヘルメットを肩まですっぽりとかぶり,肌は白く,目は真っ黒で,つやつやとした輝きをたたえていた。耳や鼻らしいものは見あたらず,口は細い線のようだった。
ヒングリィ夫人は,開けっぱなしの戸口からの冬の寒気も気にならず,天国にでもいるような心地よさを感じていたという。
3体の生物は,家のなかをあちこち飛びまわり,いろんなものに手を触れ,興味を示した。 飾ったままにしてあったクリスマスツリーには特に興味を示したようであった。
夫人は,彼らにどこからきたかをたずねると,生物の胸からピーッという音がして,声が聞こえてきた。 「私たちは,天からやってきたのです。・・・」話しているうちに,彼らはすっかりくつろいだ感じになってきたようだった。 だが,夫人がタバコに火をつけたとたん,おおあわてで庭へと逃げだした。
庭には,プラスチック製のようなUFOが,光を発して着陸していた。生物たちが乗り込むと,UFOは2度ほど閃光を放ってから上昇し,またたくまに飛び去ってしまったという。
夫人が部屋に戻ると,生物たちが手を触れた時計やラジオが止まっていた。また,夫人は目に炎症を起こしてしまい,完治するまでに一週間もかかったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』, 1989年,著者:中村省三(水玉模様の羽根をもつ妖精のような宇宙人)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ブルーストンウォーク事件)

参考外部サイト⇒怖話(ブルーストンウォーク事件)

参考外部サイト⇒You Tube(衝撃】恐怖!世界が震えたミステリー 事件 妖精型の宇宙人が自宅に侵入! 「ブルーストンウォーク事件」 【閲覧注意】)

参考外部サイト⇒戯雅blog(UFO事件簿更新/ブルーストンウォーク事件)



参考外部=>NICAP(The 1979 UFO Chronology)
●セルジー・ポントワーズ事件(フランス)

★フランク・フオンテーヌ
1979年11月26日 のこと,パリ郊外の町セルジー・ポントワーズに住む青年3人がノミの市に出店するための荷物を車に 積み込もうとしていた 早朝の3時半ごろ ,上空に現われたUFOを目撃後,車に乗っていたフランク・フォンテーヌが車をつつんだ怪しい光とともに消滅した事件。 フォンテーヌは, 1週間後 に付近のキャベツ畑で無事発見された。
【参考サイト・文献】
サイト=>UFO事件簿(セルジー・ポントワーズ事件 )
『最新版UFO・エイリアン極秘事件ファイル』,2014年
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(セルジー・ポントワーズ事件)

参考外部=>NICAP(The 1979 UFO Chronology)
1980年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ケステンガ球形UFO宇宙人遭遇事件(ソ連)


★遭遇したUFOと宇宙人
『宇宙人の死体写真集』から
1980年1月7日,ロシアの北のはずれにあるケステンガ近郊で,森林警備隊員の二人が,球体UFOと中から降りてきた一人の搭乗員を目撃した。
森林警備隊員のアリ・サルビとマウノ・エルゴーの二人は,この日雪原のスロープを滑降していた。
気づくと上空から,赤い雲のようなものが脈動しながら降下してきた。その脈動する無気味な雲は,地上から6メートルぐらいの高さまで降下した。 すると,赤いもやもやした雲のようなものが消え,中から金属製の光る物体が現れた。その物体は球形をしており,継ぎ目のようなものはまったくなかった。
ブーンという不気味な音が,その物体から聞こえてきた。すると,物体の底部から円筒形をした着陸ギアのようなものが地上に伸びてきた。 そして,その中から搭乗員が姿を現わした。
搭乗員は,いわゆるヒューマノイド・タイプで,身長は約90センチ,手足がほっそりしており,顔が異様に青白かった。 体にぴったりしたダークグリーンのスーツを着て,同じ色のブーツをはき,ひじまである白い手袋をはめていた。
その宇宙人らしき人物は,胸に下げていたチューブ状の器具を手にもつと,二人めがけて怪光線を発射した。そして,すぐに物体の中に引き返した。
数分後,物体はふたたび赤い雲のようなものに包まれたかと思うと,上昇してどこへともなく消えていった。
事件後,二人は怪光線をあびたためと思われる後遺症に悩まされた。吐き気と体中が痛くてたまらなかったという。 遭遇者の一人であるアル・サルビは,高熱にうなされ,幻覚症状まで引き起こしている。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者: 中村省三(森林警備隊員に怪光線を浴びせた小人宇宙人)


★遭遇場所であるケステンガの位置
『宇宙人の死体写真集』から
●マリオ・ルイス宇宙人遭遇事件(イギリス)
【バーンサイド事件】


★遭遇した宇宙人
『宇宙人の死体写真集』から
1980年11月13日の夜 ,イギリスのケンドール地方にあるバーンサイドで,紡績工のマリオ・ルイスが男女の宇宙人に遭遇した事件。
マリオは
この夜,犬を連れて公園の中にある川沿いの土手を散歩していた。すると行く手になにか変なものが見えた。
彼は,それに懐中電灯を向けた。そのとたん,いきなり閃光をあびせられた。 すると,手にしていた懐中電灯があっというまに溶けてしまったという。
マリオが呆然としていると,こんどは見たことのないような乗物が出現した。 直径が約5メートルで,高さが2.5メートルほどで,上部に風防のようなものがついていた。それが,地面すれすれに浮かんでいる。
そして,その乗物のそばに,男女のカップルが立っていた。彼らは,見たこともないほどの美しさだったという。 身長は二人とも1メートル65センチほどで,薄い金髪を肩までたらしていた。体にぴったりしたスーツを着て,女性のほうはマントもはおっていた。
マリオは,逃げだそうとしたが,恐ろしさで体が動かない。すると女性のほうが英語で話しかけてきたという。 「こわがらなくても,大丈夫・・・」
それから,数分間マリオは,彼らと話し合ったという。 奇妙な会見が終わると,二人は乗物の中に姿を消した。乗物はそのまま垂直に上昇し,飛び去っていったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者: 中村省三(男性と女性の美しい宇宙人がイギリスに出現)

『UFOと宇宙(No.69)』,1981年(世界のUFOニュース)
参考外部サイト⇒ 怖話(バーンサイド事件)



★マリオ・ルイスが目撃した乗物
『UFOと宇宙(No.69)』から





参考外部=>NICAP(The 1980 UFO Chronology)
●アラン・ゴドフリーUFO遭遇事件(イギリス)

『最新版UFO・エイリアン極秘事件ファイル』から
 
1980年11月28日の朝 ,イギリス・ヨークシャー州のトッドモーデンで,警察官アラン・ゴドフリーがパトカーで巡回中に,路上に浮かんでいる球状のUFOと遭遇し誘拐された事件。
UFOは大きさが幅6メートル程で,側面に真っ暗な窓が5つ並んでおり,下部は左から右へゆっくりと回転していた。周囲の木立が揺れるほどの風を起こしていたという。
本署に連絡をしようとしたが無線はまったく通じなかった。仕方なく,事故報告用紙に様子を記し,現場を離れようとした瞬間に, アランの乗ったパトカーは100メートル近く移動していたという。UFOの姿もなく,驚いて時計をみると
20分ほど が経過していた。
後の逆行催眠で,UFOの内部に連行され,生体実験を受けたことが証明されている。
公職に就く人間が関連する事件なので,信ぴょう性は高いというが,イギリス政府は,この事件の公表を一切していない。

【参考サイト・文献】
・サイト=>怖話(アラン・ゴドフリー事件)
『最新版UFO・エイリアン極秘事件ファイル』,2014年
参考外部サイト⇒ 怖話(アラン・ゴドフリー事件)




★説明するアラン・ゴドフリー
『最新版UFO・エイリアン極秘事件ファイル』から



参考外部=>NICAP(The 1980 UFO Chronology)
●レンデルシャムの森UFO着陸事件(イギリス)
【ベントウォーターズ事件】



★スティーブ・ロバーツの目撃したUFOとETとの会見スケッチ
『謎のHALT文書』から




★ラリー・ウォーレンが目撃したUFOと着陸現場付近図
『謎のHALT文書』から





★UFOの着陸現場を指し示すUFO研究家のブレンダ・バトラー
『宇宙人の死体写真集』から




★逆行催眠をうけるラリー・ウォーレン
『宇宙人の死体写真』から
1980年12月27日の早朝 ,イギリス東部のサフォーク州にあるウッドブリッジ米空軍基地付近にあるレンデルシャムの森に異常な光体が降下した。 3日後の12月30日 にはUFOが出現し,基地司令官と宇宙人がコンタクトをしたとされる事件。
事件から
3年後(1983年10月2日) にイギリスの新聞『ザ・ニューズ・オブ・ザ・ワールド』が一面トップで取り上げたため,全世界にセンセーションを巻き起こした。


レンデルシャムの森(Rendlesham Forest)は,英国の首都ロンドンから北東へ140キロほど離れた海岸線の近くに位置している。 この地域一帯は東アングリアと呼ばれ,英国の東海岸に面した平坦な農地だが,いったん戦争が起こると,ヨーロッパと向かい合う最前線になる重要戦略地点である。
それだけに,軍事基地が多く,NATO(北大西洋条約機構)に加盟している関係上,米国の空軍基地も,この地域内にいくつか設けられている。 森の西側には,米ウッドブリッジ空軍基地,北側にはそれを管理統括する,より規模の大きい米ベントウォーターズ空軍基地がある。
森の南には,海岸線の河口に位置して,英国空軍のボイジー基地がある。アメリカの両空軍基地は,ともにこの英国空軍ボイジー基地の管理下にある。

1981年1月2日,イギリスのあるUFO研究家(ブレンダ・バトラー【『謎のHALT文書』の著者の一人】)に, 米ウッドブリッジ基地勤務の一人の警備兵スティーブ・ロバーツ(仮名)が,レンデルシャムの森で起きた不思議な事件を打ち明けた。
それによると,
1980年12月27日の早朝(午前3時ごろ),ウッドブリッジ基地の警備兵たちが,東ゲートの目の前にあるレンデルシャムの森へ, 光る物体が落ちるのを目撃した。警備兵3人がジープで森に向かった。しばらく行くと,ジープのエンジンが止まってしまい,ヘッドライトまでもが消えてしまった。 彼らは真っ暗な道を歩きはじめた。すると,不思議な物体が森のなかに,光を出しながら3本の脚のようなものを出して立っていた。
物体の大きさは幅が3メートル,高さが2メートルほどで, 皿を逆さにしたような底部を持ち,その上にそれよりやや小さめの皿を逆さにおいたようなドームがついた円盤だった。 全体が白銀色に輝き,青白い光で脈動していた。 光が脈うつたびに森全体がパアーッと明るくなったり暗くなったりした。UFOのドームと底部の境目には青いライトが一列に並び点滅していた。 てっぺんには赤い光が,同じように明るくなったり暗くなったりを繰り返していた。
そしてUFOの底面から光の円筒が降りてきて,その中をET(地球外惑星の知的生物)たちが,まるで空中を吊り下げられるようにゆっくり降りてきた。 ETの身長は3フィートから3フィート10インチ(91~95cm)で,銀色の服をきていた。梨をさかさにしたような頭で目が非常に大きく,髪の毛はなかった。
UFOは,どこかに故障が生じて不時着したらしく,ETたちは修理をはじめた。いっぽう,基地の上級将校たちも現場に急行した。
そしてETと基地司令官は,身ぶりで会話をしているように見えたという。
警備兵は,これを3~40メートル離れた場所で遠巻きにして警備しながら見ていた。
UFOは
数時間後,修理を終えて飛び去ったという。

1983年,米マサチューセッツ州に住むUFO研究家のバリー・グリーンウッドが,ウッドブリッジやベントウォーターズ空軍基地から米国に送還された将兵で, この事件の証言を得られる者を探していたところ,事件当時ベントウォーターズ空軍基地に所属していた警備兵ラリー・ウォーレンを見つけだすことができた。
そのラリー・ウォーレンの証言による事件の内容は,下記のようなものである。
1980年12月30日の午前1時ごろ,ベントウォーターズ米空軍基地の駐機整備地区で警備任務中のウォーレン(当時19歳)は, 緊急出動に駆り出され,中尉と軍曹がひとりずつのっている大型ジープに乗せられ現場に向かった。
途中,レンデルシャムの森の中から,たくさんの小動物がつぎつぎととび出してくるのを見た。 駐車場についたウォーレンと軍曹は,ライト・アウルズ(ガソリンエンジンで点灯する軍用の照明器具)と呼ばれる巨大なスポットライトをトレーラー車に積み込む手伝いをさせられた。
集まってきた数人の将校たちがウォーレンの乗るジープに乗りこんできた。 ライト・アウルズをのせたトレーラーを引っぱりながら,基地の正門をでると,何台もの大型ジープや軍用トラックが兵士を満載して待機していた。
隊列は,レンデルシャムの森に向かった。途中,無線電話で連絡をとり合っていた中尉の会話のなかには, 基地総司令官のゴードン・ウィリアムズ大佐ほか何人かの将校たちの名前や,OSI(米空軍の特別調査部)の特殊機関の名前も出てきたという。
森のなかの砂利道を進んでいると,ジープのエンジンが突然,咳きこむような音をたてて止まってしまった。 あわててエンジンをかけると,いったんは動きだすが,しばらく走るうちにまた止まってしまう。 車からおりて,徒歩で進んだ。やがて,兵士たちはいくつかの班に分けられ,身につけた武器弾薬のすべてをその場に残して,丸腰で森のなかへ前進した。
頭上には軍用ヘリコプターが音をたて旋回していた。5人ひとかたまりなって前進するうち,ちょっと開けた草原のようなところに着いた。 そこには,照明器具があちこちに備えつけられて,大きなフィルムカメラで軍の撮影班が何かを撮影していた。そこには見たこともない不思議な物体があった。
それは,丸く平たい円盤で,まるで”透明なアスピリンの錠剤”というような感じで,直径は15メートルくらいで,地面から数十センチのところに浮かんで静止していた。 内部は透きとおって見え,なかには黄色いもやのようなものが渦巻いていて,黄色い光が脈動していた。
そのうち,無線の受信器から,「おい,来たぞ!」というヘリコプターのパイロットの叫ぶ声が聞こえてきた。 すると,上空に赤く光る球体がひとつ目撃された。その光は近づくにつれスピードを落とし,例の”アスピリン錠”の物体の真上にきて静止した。
そのとたん,光の爆発が起こった。音はなく,ありとあらゆる色の光が,ものすごい閃光を放って飛び散った。
ウォーレンは,あまりの強烈な光のため,一瞬目がくらみ,なにも見えなくなった。 そして,視力が回復したとき,そこには,いつの間にか巨大な金属製のUFOが出現していた。
出現したUFOは,上のほうがドームになった,直径15メートルほどで,金属製らしい表面には,たくさんの複雑な突起物や器械の一部らしいものがついていた。 両サイドの底部からは,それぞれ小さな翼のようなものが突き出ていた。
周囲に設置された軍の照明器具(ライト・アウルズ)が,UFOを四方八方から照らし出していた。 不思議なことに,UFOの周囲の兵士たちの影が,照明器具の光によって,UFO機体の表面に写し出されていたが, その影が兵士たちの動きより遅れて動いていた。まるで,影自体が別の生き物になって勝手に動きまわっているようだった。 UFOのまわりには,警備兵のほかにも何人かの将校がいて,この不思議な現象を見守っていた。 そのなかには基地総司令官ゴードン・ウィリアムズ大佐の姿も見えたという。
すると,つぎの瞬間,機体表面に写っていたいた何人かの兵士たちの影の頭上あたりに,小さな緑色の光点が現われた。 その光点は,ビデオゲームの画面のようにすばやい動きで,兵士たちの影の頭の上を飛びまわりはじめた。 とてもこの世のものとは思わない幻想的な光景であったが,ウォーレンの記憶はここまでで,気がついたときは,兵舎のなかの自分のベッドに服を着たまま倒れていたという。
時計を見ると
午前5時ちょっと前であったという。午前4時ごろ,誰かが意識を失っているウォーレンをかついできて,ベッドに放り出していったということだった。
3年後,アート・ウォーレンは,記憶を取り戻すために,フレッド・マックスという催眠術の専門家から催眠実験を受けた。ウォーレンの話した内容では,UFO内から3人の宇宙人が降りてきて,ゴードン・ウィリアムズ司令官と無言で会話を交わしたということだった。

アメリカのCAUS(UFO問題の秘密化に反対する市民の会)のあるメンバーが,FOIA(情報自由化法)により請求し,
1983年に手に入れることができた文書がある。 これは,当時ベントウォーターズ米空軍基地の副司令官チャールズ・I・ホルト中佐が書いた,1980年12月27日の”説明不能の光”に関する報告書(1981年1月13日付)である。 いわゆる「HALT文書」であるが,その内容は以下のようなものである。
1980年12月27日未明(現地時間午前3時ごろ)にウッドブリッジ基地の裏門の外に異常ないくつかの光を警備兵が目撃した。 飛行機の墜落もしくは不時着かもしれないと考え,門の外にでる許可を得た。
3人のパトロール兵が徒歩で偵察に向かった。彼らは森で光り輝く奇妙な物体を目撃した。 外観は金属のようで,形は3角形,底辺の直径は2~3メートルで高さは2メートルであった。 森全体が白い光で明るく照らされていた。物体頂部に強さを変える赤い光があり,その下側に青い光が並んでいた。
パトロール兵が近づくと,物体は木々のあいだを巧みにすり抜け,姿を消した。このとき,近所の農場の動物たちが狂ったように騒いだ。
物体は
約1時間後,裏門の近くでごく短時間,目撃された。
つぎの日,地上で物体が目撃された地点に3つのくぼみが発見された。
そのまた
翌日の夜(1980年12月29日),同地域の放射能検査が行なわれた。
その日の夜遅く(12月30日早朝),木々のあいだから太陽のような光が目撃された。 その光は,あちこち動きまわり,明滅を繰り返していた。 あるとき,その光からいくつかの光の小片が飛び出したように見えた。 つぎの瞬間,5つの白い物体に分裂し姿を消した。その直後,空に星のような3つの物体が現われた。 そのうちの2つは北に,1つは南にあり,どれも地平線から10度くらいの角度のところにあった。 それらの物体は鋭角的に移動し,赤と緑と青の光を放っていた。 北のほうの物体は,1時間かそれ以上滞空していた。南のほうの物体は,2,3時間そこに見えていて,ときおり地上に向けて光線を照射した。

また,この事件はロズウェル事件と共に,これまで多くのマスコミで取り上げられてきたが,そのほとんどはレンドルシャムの森に着陸したUFOの報告に焦点が当てられ重要な部分が軽視されてきた。
実は,この事件では,UFOがベントウォーターズWSA(核兵器貯蔵エリア)上空で滞空静止し,レーザー光線のようなビームを照射しているのが目撃されているのだが,このことは殆どマスコミで報じられていないのだ。
【参考文献】
『謎のHALT文書』,1989年
『宇宙人の死体写真集』,1989年
『UFOと核兵器』,2011年
参考外部サイト⇒Wikipedia(レンデルシャムの森事件)

参考外部サイト⇒YouTube(木曜スペ 「米英首脳は宇宙人と会見している 英空軍基地にUFO着陸」 1984)

参考外部サイト⇒TOCANA(「レンデルシャムの森事件」に衝撃の新証言! 軍人たちはUFO極秘捜索の“失われた3時間”に何を見たのか!?

参考外部サイト⇒UFO事件簿(レンドルシャムの森の事件)

参考外部サイト⇒ニコニコニュース(「レンデルシャムの森事件」に衝撃の新証言! 軍人たちはUFO極秘捜索の“失われた3時間”に何を見たのか!?)

参考外部サイト⇒
YouTube(レンデルシャムの森事件とは?UFOは本当に来たのか!? )




参考外部=>NICAP(The 1980 UFO Chronology)
●キャッシュ&ランドラム事件(アメリカ)


サイト:「NICAP」から




サイト:「SENIORENNET」から
1980年12月29日の午後9時過ぎのこと,ヒューストンからテキサス州デイトンの自宅に戻る途中のヴィッキー・ランドラム夫人と孫のコルビー(7歳), ベティ・キャッシュ夫人の3人がパイニーウッズ(Piney Woods)地方の寂しい2車線道路で不思議なダイアモンド型の物体を目撃した。

物体は給水塔ほどもある大きなものであった。ダイアモンド型(菱形)でてっぺんと底は平らであった。 物体は底からオレンジ色の炎を一定間隔で噴出し,空中を上下に動いていた。
車を停めると車の中はたちまち暑くなった。このため,キャッシュとランドラムは車の外にでたが,孫のコルビーは車内のダッシュボードの下に隠れた。物体は中央部の周囲に青い光の輪があって明るく輝いていたが,全体は鈍い銀色をしていた。
炎を弱めた物体は車道に向かって降下してきた。2人は車の中に戻ったがキャッシュはドアハンドルの熱で手をやけどした。
物体が上昇すると同時に大型ヘリで編成された20機以上のヘリコプターが続々と到着し,その物体を包囲した。するとその物体は冷静な判断を取り戻したかのように,ヘリコプターの包囲を抜け出し,デイトンに向けて飛び去った。わずか,
20分間ほどの出来事であった。
この地域にいた多くの人々も,この物体とヘリコプター群を目撃して通報した。
キャッシュとランドラムは,その後放射線被ばく症状に悩まされ,政府を相手取り訴訟を起こしたが,証拠不十分により却下された。
キャッシュは
18年後,71歳で亡くなり,ランドラムは2007年に84歳で亡くなった。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年

この日の夜9時ごろ
,ベティ・キャッシュ(Betty Cash-51歳),ヴィッキー・ランドラム(Vickie Landrum-57歳),コルビー・ランドラム(Colby Landrum-7歳−ヴィッキーの孫)の乗った車が,テキサス州デイトン(Dayton)の自宅へ帰る途中,ヒューストン湖(Lake Houston)の北,ホフマン=クリーヴランド・ロード(Huffman-Cleveland Rd)を走っていた。道の両側には森がつづき,ほかにほとんど走る車もなく静まりかえっていた。
そこを何キロか走ると,木立の上にまばゆい光がちらりと見えたが,すぐに視界から消えた。さらに進むと,突然,前方の路上真上に,巨大なダイヤモンド型物体が滞空しているのを目撃した。
怪物体は目を射るような強烈な光をギラギラ放ち,周辺の光景を照らし出していた。
ベティ・キャッシュは車を道路の真ん中に停めた。そしてはじめは3人とも車を出て物体を眺めたが,コルビーはすぐ怖くなって,祖母のヴィッキーをせきたてると,いっしょに車内に戻った。ベティは運転席側のドアのそばに立っていたが,やがて車の前方に歩み出たが,すぐにヴィッキーが車内に戻るよううながした。ベティは車内に入ろうとしてドアの把手をつかむと,それは痛みを感じるほど熱くなっていた。手をレザーコートでくるんで,なんとかドアを開け,車内に座ってこの異常な光景を3人で見守った。
すると,3人は気温の上昇に気がついた。耐えきれなくなって,冬だというのにエアコンをつけた。
怪物体はときどき,ロケットの噴射そっくりに下部から炎を噴き出し,そのたびにひょいひょいと上下し,ピーピーという快音を発した。物体は南西方向へ上昇していくと,まもなく姿を消した。しかし,物体からやや離れたあたりに,たくさんのヘリコプターが見えたという。
ベティは車をスタートさせてその場を離れたが,
5分ほどしてFM2100路線に入るや,ふたたびUFO(怪物体)とおびただしい数のヘリコプターを目撃した。ヘリコプター群は,やかましい騒音をふりまき,あんなにたくさん(20台以上)飛んでいるのでぶつかりやしないかと,目撃者たちは心配した。
ベティは運転をつづけ,ホフマン=イーストゲート・ロード(Huffman-Eastgate Rd)に曲がったあと,FM1960路線に入った。UFOはまだ見え,薄れるような光となって空へ上昇していった。
ベティは,二人を家まで送ると,
午前9時50分ごろ自宅へ帰りついた。
3人ともすぐ身体の異常に気づきだした。ヴィッキーは頭痛を訴えた。
ベティは頭が痛み,吐き気を感じ,首が腫れあがり,顔面と頭部に赤い斑点が吹き出してきた。
数日もするとベティの容態はさらに悪化し,両目は腫れあがって開かなくなり,嘔吐感と下痢が頻発し,赤い斑点は火ぶくれに変わってしまった。ヴィッキーに病院の救急室まで連れていってもらい,火傷の患者として手当を受けた。12日間入院したが,その間に顔面の皮がボロボロはげ落ち,大量の頭髪が抜けてしまった。ベティはちょっとだけ退院したが,すぐにまた入院し,15日間治療を受けた。
ヴィッキーとコルビーの症状は,ベティよりもやや軽かったが,それでもそうとうの苦痛を味わった。ヴィッキーの目は痛んで腫れあがり,腹痛,下痢,食欲不振,腕のただれ,皮膚の炎症,脱毛,視力減退などの症状に苦しめられた。
コルビーはまた,事件後
何週間か悪夢にうなされ,ヘリコプターや夜空の明るい光におびえるようになった。
テキサス州ジギーンのMUFON運営副部長のジョン・シュースラー(John Schuessler−マクダネル・ダグラス社のスペース・シャトル飛行作戦計画部長でもある)が行ったこの事件の広汎な調査結果を見ると,どんなタイプの放射線エネルギーかは不明だが,目撃者たちはある種の放射能症にかかったらしい。。
ヘリコプターについての調査では,シュースラーは二機種のヘリコプターが目撃されたと判断した。一種はダブル・ローター式のボーイングCH47型チヌック,もう一種はベル・ヒューイと同じものだった。しかし,このおびただしい数のヘリコプターの発進地を空港や空軍基地につきとめる捜索は,実りなく終わった。

【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第7章/ミステリー・ヘリコプター】,1987年,著者:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏
参考外部サイト⇒UFO事件簿(キャッシュ&ランドラム事件)

参考外部サイト⇒世界10大怪奇(キャッシュ&ランドラム事件)

参考外部サイト=>怖話(キャッシュ&ランドラム事件)




【サイト検索キー: Huffman, Texas, 1980, ufo 】
参考外部=>En.Wikipedia(Cash-Landrum incident)

参考外部=>Texas UFO Museum & Research Library(Huffman 1980)

参考外部=>YouTube(Cash-Landrum UFO Case: Slideshow)

参考外部=>YouTube(Cash-Landrum-Fall Von UFO Verstrahlt (29 12 1980 Huffman Texas USA))

参考外部=>NICAP(The Cash/Landrum Inciden Huffman,TX December 29,1980)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1980:The Cash-Landrum Case)

参考外部=>UFO Casebook(The Piney Woods Incident, Cash-Landrum)

参考外部=>NICAP(The 1980 UFO Chronology)

参考外部=>SENIORENNET(The Cash-Landrum UFO)

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