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UFO事件集(1961年〜1970年)
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      1801年 〜 1900年 1901年 〜 1940年 1941年 〜 1950年 1951年 〜 1960年 1961年 〜 1970年 1971年 〜 1980年 1981年 〜 1990年 1991年 〜 2000年  
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1961年〜1970年
1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年
1967年 1968年 1969年 1970年
1961年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●異星人からのパンケーキプレゼント事件(アメリカ)
【イーグル・リバー事件】
【サイモントン事件】


★ジョー・サイモントンとプレゼントされたホットケーキのようなもの
『伝説のコンタクティ30年間の記録 私が出会った宇宙人たち』から
1961年4月18日,ウィスコンシン州イーグルリバーに住むジョー・サイモントンが鳥小屋の前に降りてきたUFOの中の黒い男から,水を要求され,お返しにクッキーまたはパンケーキのような食べ物を4つ渡された事件。

この日の午前11時ごろ
,ウィスコンシン州の片田舎イーグル・リバーに住む農家のジョー・サイモントン(当時60歳)が昼食をとっていると, 空から降りてくる無音の物体をキッチンの窓から発見した。
鳥小屋の前に着陸したその物体は,スープ皿を2つ合わせたような形で銀色をしていた。 扉があき黒っぽい服を着た小柄な人間が出てきて,水筒らしきものを持って水を飲みたいようなジェスチャーをしたので, サイモントンは,その水筒を取って家の地下にある水(庭の湧き水)をつめて渡してやった。
着陸した物体(UFO)の中をのぞくと3つのコントロールパネルと3人の男がおり,一人はパネルを見たままサイモントンの方を向かなかった。 グリルのような調理器で料理をしていた男を指さし「これから食事をするのですか?」というような会話をしたかったサイモントンに,その男は4枚のホットンケーキをくれたという。
サイモントンがUFOから離れると,水筒を渡した男が右手をあげUFOのドアを閉めた。
UFOは7メートルほど垂直上昇し,45度の角度で非常な速度で飛び去っていったという。 UFOの大きさは10メートルくらいで,厚さは4メートルほどであった。
【参考文献】
『伝説のコンタクティ30年間の記録私が出合った宇宙人たち』2008年


サイモントンは,4枚のホットケーキのうちの1枚を彼の誠実さと信頼性を保証した地方判事のカーターに譲った。 2枚目をJ・アレン・ハイネック博士に,3枚目はNICAPの手に渡った。 最後の4枚目はサイモントンの手許にとどめた。彼は,それを少し食べてみたが,「ボール紙のような味」がしたと語った。
そのホットケーキは,ただのコーンミールと塩と油だった。

【参考文献】
『UFO超地球人説』1976年,著:ジョン・A・キール
参考外部⇒オカルト・クロニカル(イーグル・リヴァー接近遭遇〜異星人のパンケーキ事件)

参考外部=>zamandayolculuk(Alien Encounter:Pancakes From Space)
●ヒル夫妻誘拐事件(アメリカ)

★バーニーとベティ・ヒル夫妻


★マージョリー・フィッシュ
『UFOと宇宙(コズモ)』(No.6)から
1961年9月19日の深夜に,バーニーとベティ・ヒル夫妻がアメリカのニューハンプシャー州でUFOに誘拐(アブダクション)された事件。
ヒル夫妻が,カナダからニューハンプシャー州ポーツマスにある自宅に車で帰る途中,
午前11時ごろのこと,場所は,ランカスターの南,インディアンヘッドの路上であった。ベティが自動車の窓から夜空を眺めていると,彼らの方に近づいて来る光体に気づいた。
バーニーはその正体を見きわめようと思い,車を止めると,エンジンをかけたまま,双眼鏡を手に車外に出た。
地上30メートルほどのところに静止した物体は円形で,ジェット機よりも大きく,明かりのついた2列の窓が並んでいた。その窓には黒っぽいユニフォームを着た人影が5,6人立ち並び,奇怪な目でバーニーを見つめていた。
捕えられるという 恐怖からヒル夫妻はフルスピードで逃走した。
そして逃走中,不思議な怪音を浴び気絶し,意識が戻ったとき彼らの車は目撃地より56kmも離れたアシュランド付近を走っていた。
そして,二人の記憶も
2時間ほど が欠落していた。
その後,身体に異常がおき,ノイローゼ状態になった二人は,ボストンの精神分析医サイモン博士を訪ねた。
事件から
2年後の1963年 ,催眠治療(逆行催眠)で思い出したのは,宇宙船内部に拉致されたことと, 異星人らしき生物から二人別々に彼らの体を調べられたことであった。 検査が終わったあと,ベティはしばらく異星人のリーダーと話をし,印象的だったのは宇宙図を見せられたことだった。
サイモン博士の催眠療法下で,彼女はその宇宙図を思い出し,スケッチしてみせた。でたらめな落書きとしか見えない図であったが,
6年後 にオハイオ州オーク・ハーバーに住む女性教師マージョリー・フィッシュが,試行錯誤を繰り返し,立体宇宙図の制作に取りくみ, ベティの描いた宇宙図と瓜二つの場所があることを発見した。
この事件を調査したフリードマンとキャスリーン・マーデン(ベティはマーデンのおば)は, この異星人の拉致者はゼータ・レチクル連星系出身だと考えている。

【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)(No.6)』,1974年【円盤の中に連れこまれた男,文:南山宏
『UFOと宇宙(No.24)』,1977年【戦後UFO30年史;バーニー・ヒル夫妻の不思議な体験】
『UFOと宇宙人(99の謎)』,1978年【世界のUFO事件簿,文:南山宏
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【ヒル夫妻の失われた2時間の記憶,文:西園寺知実】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
   
●左図はベティが見た宇宙図。右図はマージョリー・フィッシュが解読した宇宙図。
『UFOと宇宙(コズモ)』(No.6)から
参考外部サイト⇒Wikipedia(ヒル夫妻誘拐事件)




★上図は夫妻が描いた円盤と生物
『UFOと宇宙(コズモ)』(No.6)から
★下図は二人の説明を聞き画家が描いたもの。
『神秘と怪奇』から
●フランク・エドワーズUFO目撃事件(アメリカ)


★フランク・エドワーズ
『世界の四次元現象U』から
1961年10月12日の夜,インデアナポリス(Indianapolis)のWTTV(テレビ局)を出たフランク・エドワーズが,上空に滞空していた不思議な物体を目撃した。

WTTVの入口を出て,帰途につこうとしたエドワーズが,ふと上空に眼をやると,少し離れた上空に滞空している不思議な物体があった。
その物体は,球体で真中のあたりを一本の光の帯がとりまいていた。物体の上端には,緑色の光が1つジッと輝いており,下端には3つの赤色の光がチラチラと輝いていた。物体全体は,金属性のようで下方の街の光をほのかに反射していた。
エドワーズがびっくりして眺めている間に,その物体は急にらせん状に上昇し始め,いったん停止し,しばらく滞空したあとに,ふたたび動き出し,すさまじいスピードで南の方向に飛び去ったという。
後に,この物体は何百人という人たちに目撃されていることがわかり,エドワーズはインタビューに乗り出した。
その結果,インディアナポリス鉄道の乗務員で火夫のジェリー・カーターと機関士のノーラン・S・ガーマンが,エドワーズよりも近い位置で目撃していたことがわかった。二人は物体を取巻く光の帯を一連の窓として認識したと答えた。
また,インディアナポリスの下町のある罐詰工場の門衛,ウォルター・ジャミソンとバッド・ケッセルも同じ物体を目撃していた。二人はほとんど真下から目撃していて,その物体はやはり円形に見えたという。下部の赤い光は,チラチラさせながら時計の針と同じ方向に回っていたということであった。
【参考文献】
『世界の四次元現象U』,1972年,著者:高梨純一,監修:南山宏
参考外部サイト⇒en.Wikipedia(Frank Edwards(writer and broadcaster))

参考外部サイト⇒en.Wikipedia(WTTV)
1962年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ワイルドマンUFO遭遇事件(イギリス)  1962年2月9日の夜明け前 ,ロナルド・ワイルドマンがアストン・クリントン付近の道路上でUFOに遭遇し,彼の乗っている車のエンジンのパワーが低下し速度が落ちた事件。
ワイルドマンは,ヴォクスホール・ステーション・ワゴンの新車を配送するため
午前3時 に,その新車に乗り,届け先であるスワンシーに向けて自宅を出発した。
ダンステーブルを過ぎて,アストン・クリントンにある人気のないアービンホー道路はずれの十字路に近づいたとき,
午前3時半近く になっていた。その時,ワイルドマンは地上から6~9メートル上に,長さが12メートルほどある楕円形の白い物体を目撃した。 物体の周囲には,丸窓とも空気穴ともつかぬ黒いものが等間隔に並んでいた。
ワイルドマンが,その物体に18メートルぐらいまで近づくと,車のパワーが変化し速度が32キロメートルまで落ちてしまった。 ギアをセコンドに入れ,アクセルをいっぱいに踏み込んだが,速度は上がらなかった。エンジンの回転数は落ちたが,ライトは消えなかった。
その物体は,180メートルほどの間,音もたてずに約6メートルの距離を保ちながら車の前方を進んで,その後下降をはじめた。 それから,物体は,周囲に月のカサのような白いモヤを生じさせ,右手の方角にものすごいスピードで飛び去っていった。 物体が飛び去るとき,近くの梢の霜を払い落としたので,その霜がワイルドマンの車のフロント・ガラスに降りかかった。

クランプによる,斥力場理論に基づく自動車への影響の分析図)

【参考文献】
『UFOと宇宙』1977年6月号(No.24),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ
『UFOと宇宙』1977年12月号(No.29), 〃
●サンカシアーノUFO宇宙人遭遇事件(イタリア)  1962年4月10日,イタリアのプローレンス付近のサンカシアーノ【フィレンツェ(Firenze)付近のサン・カシャーノ・イン・ヴァルディ・ペーザ(San Casciano in Valdipesa)】において,ズッカラ氏が21時15分ごろ,着陸したUFOに遭遇し,降りてきた乗員にUFO内を案内された。
サンカシアーノに住む26才の洋服屋マリオ・ズッカラが
午後9時15分ごろ,車で運河の一つを渡っていたときに,一陣の風に吹きつけられ車ごと,持ち上げられるようなた感じがした。
左側を向くと,地上6ないし7メートルのところに,一つの物体が浮いていた。それは直径8.5メートルほどで,灰色,二つの鉢をはり合わせたような形だった。
その物体は,彼の上を通り越えて,6,7メートル先の地上2.5メートルの高さの所に止まった。するとその下部から直径1.5メートルほどの円筒が伸びてきて,やがて地面にとどいた。その後,円筒が再び上の方に上がり,円筒の内側が露出した。露出した部分のドアが両横にすべって開いた。 開いたドアの内側に,輝く白色の光に照らされた空間が現われた。すると,その中に高さが40センチほどの階段が3段見えた。
そして,その階段から身長が1.5メートルくらいの人間の形をしていて,全身が一種の輝く金属の衣服で覆われている二人のヒューマノイドが降りてきた。 二人のヘルメットには2本のアンテナが出ていた。
二人は,おだやかにズッカラ氏の腕をとって,明るく証明されたからっぽの機内へ招き入れたという。

(ズッカラ氏が目撃した円盤の着陸の光景;『UFOと宇宙(No.19)』から)

【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年8月号(No.19),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道】
【参考サイト】
「GASite」【バレイアに出現した怪人 第2話 ウルヴィオ・B・アレイショ】
●メスキート山脈上空の謎の大閃光(アメリカ)
【ラスベガスUFO爆発事件】
1962年4月18日の夜,19時30分ごろ,ネヴァダ州西部のリノ(Reno)南方約70マイル(約112キロメートル)にあるメスキート(Mesquite)山脈上空で,目もくらむような閃光が走った。このまぶしい光は5つの州で確認された。

あまりの強烈なまぶしさに目撃者たちは,リノの通りがまるで巨大な閃光電球に照らされたようであったと語った。 この地域にいた化学者たちは,ある種の原子爆発だと思う,と新聞記者に語った。原子力委員会は,急拠,この事件にかかわる可能性のある核爆発や実験は行われていない,と報道機関に声明を出した。
閃光を発して爆発したこの物体は,爆発する以前にレーダーで追跡されていて,ジェット迎撃機にも追われていた。
コロラド州コロラドスプリングス(Colorado Springs)にあるNORAD(北米防空指令センター)に,赤い発光物体が西方に向かっているとの報告が入った。それは,ミサイルでも流星でもないことが確認され,未確認飛行物体として,カンザス州グライドリー(Gridley)まで追跡された。それは,北西に向きを変えると降下して,やがてレーダー・スクリーンから消えた。
その数分後,未確認飛行物体がユタ州ユーリカ(Eureka)の電力変圧所付近に着陸したことが確認された。スティード空軍基地(Stead Air Force Base)の空軍スポークスマンは,物体が着陸して変電所付近にいた
42分間,電力変圧所が稼働しなかったことを認めた。
空対空ミサイルで武装したジェット迎撃機が,フェニックス(Phoenix)基地やリノのスティード・フィールド基地(Stead Army Airbase)から呼び出され,物体がメスキート山脈上空で爆発したときに,追跡中だったことは明らかなことであるという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第11章・闇の中】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



(★<ラスベガス・サン>紙に載った「ラスベガス上空の赤い爆発フレア」の記事)
サイト:「ATS」から
参考外部=>阿修羅(アメリカ大停電パニック(『UFOS & SPACE』81年10月号))

【サイト検索キー: Mesquite 1962 ufo 】
参考外部=>UFO CASEBOOK(The Las Vegas UFO Crash, April 18, 1962)

参考外部=>WASSUP!(April 18,1962 UFO Incident Facts & Figures)

参考外部=>ATS(The Las Vegas UFO Crash-April 18,1962)

参考外部=>A Different Perspective(The Nevada Fireball-April 18,1962)

参考外部=>LasVegasNOW.com(UFO Enthusiasts Intrigued by Mysterious Lights Over Las Vegas)
●タイタンミサイル基地UFO目撃事件(アメリカ) 1962年8月7日,アリゾナ州オラクル近郊の未稼働のタイタンミサイル基地でUFOが目撃された。

これは,APRO(空中現象調査機構)ジェームズ&コーラル・ロレンゼン夫妻が,
1969年に出版した『UFOs−あらゆる話題全話』の中で述べられてUFO事件である。
この夜,アリゾナ州オラクル(Oracle)近郊の,まだ未稼働だったタイタンミサイル基地
(Titan missile base)で,夜間勤務の職員が,施設外部で1個の輝く光体を目撃した。
それは次第に大きさを増していくように見えたので,もう一人の同僚に施設から外に出て物体を観察するように伝えた。
物体はさらに大きくなり,怖くなった二人は施設内に戻り,トゥーソン(Tucson)のディビス−マンサン空軍基地(Davis-Monthan Air Force Base)に電話通報をした。
2機の迎撃機が到着し,物体に接近したが,
数秒後,物体は急速にその場を離れて,北方へ消えてしまった。
迎撃機は同エリア上空を旋回していたが,機首を基地方向に向けた。すると
数分後に,物体は再び姿を現し,まだミサイルのない空(から)のサイロめがけて降下し,その後垂直上昇したかと思うと,上空で姿をすーっと小さくしてしまった。
目撃者たちの描写では,物体は満月に似た外観だったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』(第6章/核ミサイルへの接近とは何か?),2011年,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
参考外部=>Wikipedia(タイタンI (ミサイル))

参考外部=>Wikipedia(タイタンII (ミサイル))

参考外部=>Wikipedia(デビスモンサン空軍基地)

参考外部=>アメリカ大自然.com(タイタンミサイル・ミュージアム)

【サイト検索キー: Titan missile base, Oracle Arizona, aug 1962, UFO 】
参考外部=>NICAP(UFO Over Titan Missile Silo;Oracle,Arizona;August 7,1962)

参考外部=>NICAP(The 1962 UFO Chronology)

参考外部=>UFOcasebook(UFO History 1962:UFO over Titan Missile Silo near Tucson)
●ジョーンズ夫人UFO遭遇事件(イギリス)  1962年9月13日の深夜 ,レスターシャーとダービシャーとの州境の田舎道をドライブ中にマイラ・ジョーンズ夫人が乗る車のすぐ上にUFOが出現した事件。
ジョーンズ夫人はレスターシャー州(英国中部)モイラ市のノリスヒルの住人であるが,
この夜,夫の運転する車で田舎道をドライブしていると,車の上空ににある一個の光体に気づいた。 夫人は前にかがんで,フロントガラス越しに見上げると,車の真上の電信柱の高さぐらいのところに,車よりも大きな灰色に輝く物体があった。
底部はわん曲して,頂上部には子供のコマのようにドームがあった。底部の周辺には黒い点が複数あり,全体が少し傾いて回転しているようだった。 夫人は,それが車のボンネット上に降りてくるのではないかと,恐怖を感じたという。 そのうち,その物体は,ロケットみたいなシューツという音をたてて見えなくなってしまった。
物体が,車の真上にあったときも,EM効果は起こらず,車のスピードは落ちなかったという。

(ジョーンズ夫人の目撃例を斥力(R)場理論により分析した図-レナード・クランプにより)

【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年6月号(No.18),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
『UFOと宇宙』1977年11月号(No.28), 〃
●シルヴェスター夫人UFO遭遇事件(オーストラリア) 1962年10月28日,高校教師のE・D・シルヴェスター夫人は,道路わきに着陸した円盤の乗員が何かサンプルのようなものを採取しているのを目撃した。

オーストラリアのアドレード(Adelaide)近郊ノーウッド(Norwood)に住む高校教師のE・D・シルヴェスター夫人(Mrs Sylvester) は,3人の子供たちと一緒に,ソールズベリー(Salisbury)とエリザベス(Elizabeth)間のハイウェーを夫人の運転の車で走っていた。
午後7時30分ごろのことである。走行中の車の前方の道路を横切って滑空する物体を目撃した。それは,ハイウェーわきの畑に着陸したようだった。
着陸地点と思われる場所の近くに行き,親子4人は車を降りて,道ばたを歩いて,その物体を見つけることができた。
その物体は,楕円形もしくは卵形をしていて,長さが約15フィート(約4.6m),高さが5,6フィート(約1.8m)で地上に着陸していた。
物体の近くに,小さな人間に似た生き物がいた。その生き物は,潜水夫が着るような光る服をまとい,半透明のヘルメットをかぶっていた。チューブがヘルメットから背中にしょった呼吸装置とおぼしき物につながっていた。
そして,手に光る箱か容器のようなものを持っていて,周囲の土から何かサンプルを採取しているようだった。
夫人たちは,
約40分ほど,その生き物を見ていたが,その後,生き物は物体の中に姿を消し,物体は,音もなく空に舞い上がっていったという。
夫人はこの件を,ただちに政府当局に報告したが,事件のニュースがようやく大衆の耳に届いたのは,
あくる年の1963年2月5日のことであった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【検索キー:Australia Sylvester ufo 】
参考外部サイト=>ufos-scientificresearch("This is one of the most remarkable cases of a flying saucer..." Adelaide - 1962)

参考外部サイト=>PROJECT 1947(SOUTH AUSTRALIAN UFO REPORTS LISTING - Part One)

参考外部サイト=>Australian UFO Researcher Keith Basterfield (A Catalogue of Australian UFO Entity and Humanoid Related Reports)
●ミラノ小人異星人遭遇事件(イタリア)  1962年12月17日の夜,夜間パトロールマンが絹糸クズ処理工場の構内で,円盤と中から現れた身長が1mぐらいの異星人に遭遇した事件。
ミラノ警察の夜間パトロールマンのフランセスコ・リッチ(37歳)は,
の巡視を終ろうとして,サンタ・アンプロシア広場から数歩離れたサンタ・バレリア通りの絹糸クズ処理工場の構内に入った。2時20分のことである。
工場内の広大な中庭の真ん中あたりで,リッチは右手にシューッという音を聞いた。その音は次第に大きくなり,あたりを見まわすと,信じられない物体が地上約1mの空間に浮かんでいた。
直径は,4〜4.5メートルあり金属製らしく銀色の反射が見えた。頂上部には多くの窓が並んでいて輝いていた。すると,シューッという音がやみ,円盤の底部のドアが開いて,そこから一人の身長が1メートルほどの小人が出てきた。
庭が暗いためよくは見えなかったが,その男の頭は真っ黒のようで,上下続きのキラキラ輝く服を着ていた。 その男は敵意をもたぬようで,1本の指をリッチの片手に向けて,他の手で近くに来いというような合図をした。
だが,リッチは体がマヒして全く動けなかった。まもなく円盤から別な男が降りてきて,先の男に命令するように中へ入るよう合図した。
急に二人の背後のドアがしまり,ふたたびシューッという音が聞こえて,円盤は白い煙状の雲の中に消えていった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』1976年6月号(No.18),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
1963年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ミナスジェラエス宇宙人遭遇事件(ブラジル)
【サグラダファミリア事件】



『ムー』1979年創刊号から
1963年8月28日,ブラジルのミナスジェラエス(Minas Gerais)州のベロオリンテ(Belo Horizonte)のサグラダファミリア(Sagrada Familia)地区に住む3人の少年が,球体UFOの中から降りてきた身長2メートルもある異星人と遭遇した事件。

遭遇したのはフェルナンド(Fernando-12歳),ロナルドとマルコス(Ronaldo,Marcos-どちらも7歳)の3人で,
この夜,家の庭の上空5メートルほどのところに表面が透明で,四角に区切られている直径3メートルほどの球体を発見した。中には4人の人影が見え,いすにすわっているようだった。全員,透明のヘルメットをつけ制服を着ていた。
すると,球体の下から地上に2本の黄色い光線が出た。その光線の間を一人の乗員が降りてきた。それは,身長が2メートルほどで,皮膚は赤みをおびており,目は大きく一つしかなかった。背中には銅色の小箱を着けていた。
その巨人が,少年たちに近づいてきた。恐怖にかられた少年たちであったが,巨人が手を水平に動かし,奇妙な声を発すると,少年たちの恐怖心はうすらいだという。 そして,巨人は庭の井戸にすわり,球体と話をしているようだったという。
フェルナンドがレンガを拾って投げつけようとすると,巨人は胸の長方形の部分から光線を発し,フェルナンドの手に当てた。 フェルナンドは手がしびれレンガを落としてしまったという。
やがて巨人は花壇の植物を左手で採取し,球体の下にもどり合図をすると,降りてきたときと同じように黄色い光線の間を球体に戻っていった。
球体は急上昇して消えていったという。

【参考文献】
『ムー』1979年創刊号,「異星人は敵か,味方か?」


『ムー』1979年創刊号から
(イラスト:金森達)


【サイト検索キー: Sagrada Familia, minas gerais, brazil, august 1963, ufo 】
参考外部=>ATS(Cyclop aliens in Brazil-The Sagrada Familia Case)

参考外部=>YouTube(CASO OVNI SAGRADA FAMILIA BRASIL)

参考外部=>YouTube(Caso OVNI-Sagrada Familia-Minas Gerais)
●ウィドビー島UFO乗員遭遇事件(アメリカ) 1963年10月 ,ワシントン州アイランド郡にあるウィドビー島に住む,ブラウン夫人(仮名)が,昼間,自宅近くに降りてきたUFOとその乗員に遭遇した事件。

このウィドビー島に住むルイス・ブラウン夫人(仮名)は,朝食時,奇妙な飛行物体に気づいた。 UFOは,北から近づき,家の東側のごく近いとろで地上約5フィート(1.5m)の空中に静止した。
長さは約10フィート(3m),色は灰色で,飛行機から翼,尾の部分,垂直安定板,着陸装置を取りはずしたようなかっこうをして推進装置などは見あたらなかった。 前の部分は透明で,なかに少なくても3つの人影のようなものが見えたという。 UFOが空中に静止しているあいだ,その下の草は地面になぎ倒されていた。
いつのまにか,人間と同じような乗員の一人が地上に立っていた。その乗員は機体の側壁から,しみ出すように出てきたらしいという。 その乗員の服装は,石綿布のカバーオールで,足,手,顔のぜんぶ覆われていた。眼がある部分だけは開いていたが,そこに眼らしきものはなかった。
UFOは,地上の乗員に誘導されて,ゆっくりとブラウン夫人の家の周囲をまわりはじめた。 ブラウン夫人は,その地上の男に何をしているのかを,大声で叫ぶと,その男は機内の仲間たちと相談をしているようだったという。 そして,「仲間の一人があなたを知っているのです。ではまた来ます」と言って,男は出てたときと同じような方法で機内に戻っていった。
UFOは,なおも家の周囲をまわりつづけ,ブラウン夫人もそのあとを追って家のまわりをまわっていたが, なんの前ぶれもなしに,UFOは,いきなり目に見えて小さくなり,おまけに傾いたのでうしろの部分が地面にもぐって,穴掘り作業のようなことを始めた。 驚いた夫人は,それが地面から水を汲んでいるのだろうと思ったが,後になって考えてみると,それは何か燃料を探しているようでもあったという。
ブラウン夫人は,その間,乗員たちから,機体にさわったり近づいたりしないようにと,テレパシーで指示を受けて,それがよく理解できたという。 作業が終わると,UFOは膨張して,もとの大きさにもどった。
UFOは,煙と蒸気をもくもく吐いて,閃光をきらめかせ,音をひびかせながら,あっというまに,東の方角に消えていったという。
UFOが,穴掘り作業をしたような場所からは,しばらくたってから,妙なキノコが1本生えてきた。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.31)』1978年【(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤(13),文:レナード・クランプ,訳:遠山峻征】
●トランカス奇怪UFO着陸事件(アルゼンチン)


★最初に目撃された線路上の管で連結された物体

★門の近くで目撃された円盤状の物体
『UFOと宇宙』NO.7から
 
1963年10月21日,アルゼンチンのトゥクマン州にあるトランカス(Trancas)という田舎町から3キロあまり離れたところで農場を営むモレノ一家が奇怪なUFOの着陸を目撃した事件。

この日の夜,停電のためモレノ家は,懐中電灯とローソクを使用しなければならず,一家は早めに就寝した。
午後9時30分ごろ,裏庭が不思議な光に照らされるのを女中のドラ(15歳)が目撃した。起きていたヨリエ夫人と姉のヨランダとドラが中庭にでると,家から150メートル程離れたベルグラーノ鉄道の線路上に約90メートルの長さの管状の輝く 細長い物体で連結された2つの平べったい物体を目撃した。
何人もの人影(約40名)が光る管の中を行ったり来たりしていた。これは,たぶん脱線事故かサポタージュの労働者のたぐいかと思ったという。寒い
のため,充分に着込むため3人は一度部屋に戻った。
起きてきたもう一人の姉のアルヘンティーナが窓の外に何かを発見し,狂乱状態になった。モレノ家の両親も目を覚ました。
護身用の拳銃を持ったドラが先頭にたちヨリエとヨランダの3人が線路に向かい歩いて行った。 すると農場の正門付近に緑色の光がまたたいた。農場のトラックだと思い,ドラは門を開けるため走りよった。
ヨリエがその物体に懐中電灯を向けると,やにわにずらりと6個の小さな窓がうかび出て,らんらんと光り出した。
それはトラックなどではなく,奇怪な円盤型物体で目の前の空中にが浮かび上がっていた。 物体は直径が約8メートルで表面はアルミニウムのような金属製で,いくつもの部分に分かれ,リベットでつなぎ合わされているように見えた。 頂上には金属らしいドームがあるが,黒くてリベットはない。窓は約90センチ×60センチの長方形で強力な白色光を放っていた。
物体の上から下までの高さは約3メートルあり,地上から1メートル半ぐらいの高さにうかんで,ゆっくりゆれ動いていた。 底面から白っぽい霧をもくもくと吹き出しており,窓からしたを包み込んでいた。 モヤが濃くなり硫黄臭が鼻を突いた。
突然,物体のどこかから放射された赤い炎で,3人は地面にたたきつけられた。 3人は,無我夢中で母屋に逃げ込んだ。
その頃,線路上に3個のもっと明るい光体が輝いた。線路上の明るい管上のものは消えて、線路上に物体は5つになった。 増えた3つの物体は,門付近に存在する円盤状の物体と同じ外観をして,線路上に浮かんだり着陸したりしていた。
やがて,その3つの円盤状物体の一つから不思議な2本の凝集光線がモレノ家のトラクター小屋に放射された。 幅約3メートルの光線は線路と小屋の180メートルの距離を伸びていくのに
数分を要した。光線は小屋の手前約2メートルのところで停止した。 光線は完全な円筒形でどこにも影はなかった。ヨリエ夫人は右の腕をその光線の中に突っ込んでみたという。 強烈な熱を感じただけであった。他の円盤からも次々に2本づつの不思議な光線がくり出された。
門近くで目撃された円盤からも,庭先上空からモレノ家の母屋に向け同じような不思議な光線を放射していたという。 こちらはなぜか1本の光線だったが,モレノ家の内部は温度が40度C以上に上昇し,家の中は真昼のように明るく照らされたというが,光源がどこなのかは分からなかった。
やがて,6つの物体は一団となって東の方角へ飛び去った。 最初に目撃されてから
約45分が経過していたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1974年8月号(No.7),「アルゼンチンの奇怪なUFO着陸事件」,文:オスカー・A・ガリンデス
『謎のUFO怪事件』,1992年


★怪物体とモレノ家の図
『UFOと宇宙』(No.7)から






参考外部=>Inexplicata-The Journal of Hispanic Ufology(Argentina: The 1963 Trancas Case Revisited)






●プンタ・メダノス号UFO遭遇事件(アルゼンチン) 1963年11月12日,アルゼンチン海軍の輸送船,プンタ・メダノス(Punta Medanos)号が,正体不明の巨大飛行物体に追跡された。

この夜,プンタ・メダノス号は,1マイル(約1800m)ほど距離を置いて同船を追跡してくる正体不明の巨大飛行物体の存在による磁気的干渉に悩まされた。
この飛行物体は,円形で一定の速度で動き,音もたてず,灯火の類はまったく帯びていなかったという。
物体が最接近した時には,プンタ・メダノス号の磁気羅針盤(コンパス)が激しく回転して,航法用には使えなくなった。この状態は,物体が1マイル(約1800m)も離れているのに起き,物体が去るやいなや,羅針盤は正常に戻ったという。
船団指揮官がただちに詳細を無線で司令長官に報告したところ,長官は綿密な調査を命じた。
その結果,羅針盤に故障は認められず,また異常な妨害の原因が潜水艦か通常の航空機かもしれないという可能性は排除され,問題の障害は未確認飛行物体の接近の結果だと結論を下した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【検索キー: サイト検索キー: Argentina, NAVY, NOV.1963, UFO 】
参考外部=>NICAP(Navy Transport Encounter/E-M Nov.12,1963 Argentina)

参考外部=>openminds(Argentina's X-Files-Pt2)

参考外部=>en.wikipedia(ARA Punta Medanos (B-18))

参考外部=>waterufo.net(ARGENTINE NAVY DISCLOSES IMPORTANT E-M CASE)

参考外部=>ATS(The Bariloche UFO Incident-Argentina,1995)
1964年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ソコロ事件(アメリカ)
【ロニー・ザモラ事件】


★目撃者ロニー・ザモラ


(Astrojan Astronomical Picture Collection)
1964年4月24日,米ニューメキシコ州ソコロ警察署のザモラ警部が着陸している卵型UFOを目撃した事件。

17時45分のことである。ニューメキシコ州のソコロ(Socorro)という町を車でパトロール中の警官ロニー・ザモラ(Lonnie Zamora)が,スピード違反の車を追跡中に, 南西方向に轟音を聞き炎を目撃する。近くにあるダイナマイト小屋の爆発かと思ったザモラは,未舗装のガタガタ道にパトカーを乗り入れダイナマイト小屋の見える丘の頂上に車を走らせた。
すると,800フィート(約240m)離れたところの川床に光る卵型の物体があった。 無線で本部に救援を求めたあと,物体に目を転じると,物体のそばにうごめく白い服を着た2つの小さな人影を発見した。
よく見ようと車をスタートさせ,物体に近づくと,地形のため物体は視界からさえぎられた。再び物体を目撃できたのは150フィート(約45m)たらずのところである。
物体はフットボールに似た形で,アルミニウム色をしており,つき出た4本の足の上に乗っていた。物体の側面には赤色の妙なマークが描かれていた。 そばにいた人影は姿を消していた。
ザモラが車を降り物体に近づいていくと,突然その卵型物体は轟音を立て機体の下部から炎と煙を吹き出しながら上昇した。
物体は20フィート(約6m)の高度で止まり(轟音と炎は消えていた), 今度はかすかな振動音をたてながら付近の低木(ブッシュ)を燃やしながら平行に約2,3マイル(約4000m)移動した。 そばのダイナマイト小屋の上を辛うじて飛び越えた。物体は急に上昇態勢に移り,急速に加速し空の彼方に飛び去ってしまった。
応援に呼ばれたチャベス(Chavez)巡査部長が現場に到着したときには,低木はまだ燃えており,卵型物体の支柱跡のようなものが発見された。
また,建築現場で使うダイナマイトの貯蔵小屋が近くにあったが,運よく無事であった。
また,
1980年10月,ソコロにはVLA(The Very Large Array)プロジェクトによる直径25mのパラボナアンテナを27台集積した直径130mの電波望遠鏡が開設された。
【参考文献,参考サイト】
『世界の四次元現象1』,1971年
『UFOと宇宙』NO.33,1978年【警官が目撃したソコロ事件】
『UFOと宇宙』NO.68,1981年【ソッコロ円盤と巨大電波望遠鏡】
『UFOと宇宙』NO.75,1981年【ソッコロ事件の"古典的"評価を洗い直す】
『空飛ぶ円盤の真実』,1988年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
Wikipedia(電波望遠鏡)


(★ソコロ事件現場で,UFOのために焼けこげたブッシュを空軍技術者がガイガー計測管で調査するのを見ているニューメキシコ州警察のロニー・ザモラ)
(『UFOと宇宙』NO.25 「UFO目撃を妨害するFBI」から)



サイト:「NICAP」から
参考外部サイト⇒Wikipedia(ソコロUFO事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ソコロ事件)

参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(「ソコロ事件」の真相とは!? )

参考外部サイト⇒怖話(【1964年】ソコロ事件)

参考外部⇒オカルトまとめ(UFOに錬金術のマークが?!アメリカを震撼させた“ソコロUFO事件”は本当に第3種接近遭遇例かもしれない!)

参考外部サイト⇒NAVERまとめ(UFO目撃・宇宙人遭遇事件まとめ)


★ザモラ氏によるUFO側面のマークのスケッチ
『UFOと宇宙』NO.75より)



【サイト検索キー: socorro new mexico, Lonnie Zamora, 1964, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1964 UFO Chronology)

参考外部=>YouTube(The Socorro UFO landing mystery,the full story of Lonnie Zamora's sighting TLBE HD)

参考外部=>YouTube(Officer Lonnie Zamora 1964 Sorocco New Mexico UFO Encounter)

参考外部=>YouTube(UFO Case Review - The Lonnie Zamora Incident, 1964)

参考外部=>En.Wikipedia(Lonnie Zamora incident)

参考外部=>UFO Casebook(Socorro, New Mexico Landing (Lonnie Zamora) 1964)

参考外部=>skeptoid(Lonnie Zamora and the Socorro UFO )
●ジョージ・ロジャーズUFO遭遇事件(アメリカ) 1964年6月25日,牧場主ジョージ・W・ロジャーズが車でイーリーへ向かう途中,ハイウェー上で不思議な物体に遭遇した。

ネヴァダ州イーリー(Ely)付近のスプリング・バレー(Spring Valley)に住む牧場主ジョージ・W・ロジャーズは,兄弟のバートと一緒にイーリーに向かって車を走らせていた。
二人は前方のハイウェーに奇妙な機械が見えることに気づいた。最初,それは道路わきにあり,地面から4フィート(約1.2m)ほど離れたその天辺(てっぺん)しか見えなかった。
二人は,それを道からそれたジープだと思った。すると物体は,路上にあがってきて,長さ2フィート(約0.6m)ほどの細い台座のようなものの上にしばらく乗っかっていた。
二人は,この時物体から数フィート(1フィートは約0.3m)と離れていなかった。それはピラミッド型のコマを思わせ,先細りの先端がその長さ2フィート(約0.6m)の台座に向けられていた。コマはかすかにふくらんで,側面がカーブし,全体が高速で回転していた。
ジョージは車から飛び降り物体にさわろうと駆け寄った。その回転している側面はプラスチックみたいな光沢があり,一つの面には赤い記章ないしは紋章があった。物体は近づくと大きな唸り声をたてて,10フィート(約3m)ほどの高さまで空中に飛び上がり,ふたたび40フィート(約12m)ほど遠ざかったハイウェーに降りてきた。
ジョージは,3,4回近づいたが,毎回同じ結果となった。バートに「その物体から離れろ!」と注意され,引き返して車に乗りこんだ。
一瞬後,物体はゆっくりと上昇し,急速に東の方へ移動し始め,ついには山の尾根を越えて遠方に姿を消した。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Rogers, Nevada, 1964, UFO 】
参考外部=>UFO DNA(25 Jun 1964-Spring Valley,Nevada,USA)

参考外部=>UFO DNA(UFO Sightings in 1964)
●ビフォード・パラムUFO遭遇事件(アメリカ) 1964年6月29日,実業家のビフォード・E・パラムがサウスカロライナ州にある自宅に戻る途中のハイウェー59号線上でUFOに遭遇した。

サウスカロライナ州ウェルフォードに住むビフォード・E・パラム(Beauford E. Parham) は,ファミリー・レコード・プラン会社の地区支配人で,仕事でアトランタに出かけていたが,スパータンバーグ郊外の自宅に戻る途中であった。
シボレー・ハードトップの最新型に乗って,ハイウェー59号線を時速約70マイル(時速約110km)で運転していた。時刻は
午前1時ごろで,彼の車の近くには他の車両は見あたらなかった。
いきなりパラムの周囲が明るく輝きだした。そして流星のような輝く物体が彼の車めがけて近づいてきた。
物体はパラムの車の上に
何秒かとどまり,轟音をあげて上昇し見えなくなった。車のエンジンの調子が悪くなったため,彼は車をハイウェーのわきに止めた。
物体はひっくり返ったコマのようで,側面の幅は6フィートぐらいで,下部にいくつもの小さな穴が開いており,黄色い噴射炎で動いていたようだという。それが,車の上に近づいてきた時には,熱で息がつまりそうだった。消毒液みたいな臭いがしたので,車の窓を閉めてドアをロックしたという。
パラムはサウスカロライナ州アンダーソン空軍基地(Anderson Air Force Base)まで車を走らせて,そこにいたFAA(連邦航空局)の係官たちに報告した。パラムの車の屋根やボンネットには,何らかの液体に塗装が台無しにされている個所がいくつか見つかり,ガイガー計数器でその個所を調べてみると,そこは放射能を帯びていた。

なお,このパラムが遭遇したUFOは,4日ほど前にジョージ・ロジャースにより目撃されたUFOと同じものと見られる。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:NICAPから
【サイト検索キー: South Carolina, Parham, 1964, ufo 】
参考外部=>NICAP(Giant Spinning Top Lavonia, Georgia June 29,1964)

参考外部=>UFO DNA(29 Jun 1964-Lavonia, Georgia,USA)

参考外部=>UFO DNA(UFO Sightings in 1964)


参考外部=>ufoinfo.com(On This Day-June29)
●ヴァンデンバーグUFO撮影事件(アメリカ)
【ビッグ・サー事件】



(★BU望遠鏡を搭載した移動式車輛前での撮影クルー)
サイト:「astronomyufo」から
1964年9月15日,カルフォルニア州ヴァンデンバーグ(Vandenberg)空軍基地から発射されたICBM(大陸間弾道ミサイル)アトラスのテスト飛行を撮影したが, その映像中に,飛行中のミサイルの核弾頭に光線を発射したUFOをとらえた事件。ミサイルは高度約96キロメートルを時速17,000〜22,000キロメートルで飛んでいた。

この日の早朝,ヴァンデンバーグ基地から打ち上げられたICBMアトラスDの発射後に起こった。 高空に達したアトラスロケットから模擬核弾頭が分離されたとき,突如として円盤型UFOが接近し,4本の光線を弾頭に放射したというものである。 しかしこれは,撮影現場で目撃されたものではなく,撮影された映像が翌日上映され,その中においての出来事である。
弾頭にアプローチした物体は4つの異なったフラッシュを放ち,フラッシュが激しかったので,周囲に光輪を形成した。物体は来たのと同じ方向にフレームを去り,弾頭は軌道を外れて急落した。
アトラスの発射工程を撮影する撮影クルーは,発射サイトの北西約124マイル(約200km)にあるカルフォルニア州ビッグ・サー(Big Sur)に撮影装置を設置していた。
この撮影に使用された装置は,反射鏡径24インチ(61cm)のグレゴリー式望遠鏡/カメラシステムで,
1950年,政府契約によってボストン大学で製作されたBU望遠鏡と呼ばれ,移動式ミサイル実験望遠記録車輛と表現されている。
【参考文献】
『UFOと核兵器』,2011年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年



(★The SM-65 "Atlas" ICBM)
サイト:「NICAP(UFO Filmed Circling Atlas Rocket)」から
参考外部サイト⇒ニラサワ研究室(宇宙的変革期におけるUFOの介入<その1>)

参考外部=>Wikipedia(アトラス (ミサイル))


【サイト検索キー: Vandenberg, Big Sur, 1964, ufo 】
参考外部=>Vimeo(Big Sur UFO excerpt)

参考外部=>UFOcasebook(The Big Sur UFO Filming:1964)

参考外部=>astronomyufo(The Big Sur 'UFO':An Identified Flying Object)

参考外部=>SUNlite

参考外部=>NICAP(Big Sur UFO Filming)

参考外部=>NICAP(BigSur,Ca.-UFO Filmed Circling Atlas Rocket)
●シスコグローブ宇宙ロボット襲撃事件(アメリカ)


『謎のUFO怪事件』から
1964年9月4日 ,カルフォルニア州のシスコグローブ山中において弓矢による狩猟を楽しんでいたA氏が, 宇宙人らしき2人と2体のロボットに襲撃された事件。

この日の
夕刻 ,シスコグローブ(Cisco Grove)の山中で弓矢による狩猟を楽しんでいたA氏と2人の友人は,狩りが終わった後, 別々の道を通ってキャンプに戻ることにした。 ところが,日も暮れてすっかり暗くなったところで,A氏は道に迷ってしまった。 助けを求めて火をたいていると,1つの光体があらわれ,近くの峰の向こう側に降下するのを目撃した。
やがて,その方角から何かが近づいて来る物音を聞いたA氏は,近くの木によじ登り,様子を窺うことにした。 すると,潜水服のようなものを着て透明なヘルメットを被った2人の人間と,四角い顔にオレンジ色の目が輝き,ふわふわと宙を浮きながら近づいて来る一体の黒いロボットが, 満月の月明かりに照らし出された。
A氏を見つけた宇宙人とおぼしき2人は,盛んにA氏のいる木を揺すった。 彼ら2人は,互いに相手を木の上に押し上げようとしたが,木登りということを知らないようだった。 ロボットは,浮き上がって来たが木の枝が邪魔になってA氏のそばに近づけなかった。
A氏は木の上の方まで登りつめ,体をベルトで木に固定して,もっていたものに火をつけ次々に投げつけた。 宇宙人は木から遠ざかったがロボットは動じなかったため,3本の狩猟用の矢を射かけると,2本が命中した。 青味がかった火花が飛び,後向きに転倒したが,すぐにおきあがり木のそばにやってきた。
やがて,もう一体のロボット現われ,最初からのロボットと向かい合った。すると両者の間から閃光が飛び,蒸気のようなものがもくもくと吹き上がった。 その蒸気を吸い込んだA氏は意識を失った。
気がつくと,すでに
夜は明け 太陽が昇りかけていた。謎の飛行物体も宇宙人もロボットも消え失せていたという。
A氏は捜索にきた友人に助けられた。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.33,1978年【閃光を放った宇宙ロボット】
『謎のUFO怪事件』,1992年,著:南山宏
参考外部サイト=>Kz.UFO現象調査会(Cisco Grove CEV事件(米国カリフォルニア州)その3.事件後の対応と矢尻の分析)

参考外部サイト=> 怖話(【1964年】シスコ・グローブ事件)

参考外部サイト=> 緑道(シスコグローブ事件)

参考外部サイト=> 毒ガス宇宙人、恐怖の襲撃

参考外部サイト=> リアルライブ(まるでB級映画の世界!? 毒ガスを吐く「宇宙人ロボット」が現れた!?)
●ニューベルリンUFO修理目撃事件(アメリカ)

『UFOと宇宙』NO.11から 
1964年11月25日の深夜 ,ニューヨーク州のニューベルリンのファイブ・コーナーズ地帯のすぐ北西,国道80号線の地点の丘の中腹に1機の円盤が着陸し,その乗員によって円盤の修理が行われているのを,近くに住んでいた夫人が明け方まで,約4時間にわたり家の中から双眼鏡で目撃した。

修理は着陸した円盤の真下で行われており,最初5,6人の乗員で行われていたが,近くに着陸したもう1機の乗員も加わり,最後は10人をこえる人数で行われた。
円盤らしき物体は,かなり強い光を発しており,その外見ははっきり見えなかったという。
乗員の身長は1.8〜2.4メートルあり,ダイバーが着るウェット・スーツのようなものを着ていた。 修理した部品を円盤の下部に取り付けることに何度か失敗し,ようやく成功したのが,
朝の5時少し前だった。
修理を終えた2機の円盤は,最初垂直に上昇し,次にはものすごいスピードで水平飛行し姿を消したという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(No.11)』,1975年【ニューヨーク州の着陸事件・文:テッド・ブリーチャー,訳:増野一郎】
 
 
1965年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ワシントンDC(1965年)UFO目撃事件(アメリカ) 1965年1月11日,軍需局ビルにいた陸軍通信技術兵の一団が,連邦議会議事堂上空を飛行する白い卵型のUFOを目撃した。

この日の午後4時20分ごろ,北西部の19番通りとコンスティチューション街(Constition Ave.)の角の軍需局ビルにいた陸軍通信技術兵の一団が,レーダー部門の友人たちが教えてくれたものを窓から眺めることができた。
12〜15個の白い卵型の物体群は連邦議会議事堂の上空を,12,000〜15,000フィート(3,600〜4,600m)の高度をでたらめな飛び方で飛んでいた。
物体群は,2機の三角翼ジェット機に追跡されていたが,陸軍ビルからその光景が見えた
3,4分の間に,あっさり逃げおおせてしまった。
目撃した陸軍技術兵は12人いて,その中にポール・M・ディッキー・ジュニア(Paul M. Dickey,jr)とエド・シャッド(Edward Shad)もいた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: washington, 1965, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1965 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Over A Dozen Ovals Chased By AF Jets)

参考外部=>NICAP(SOURCE: FLYING SAUCERS SERIOUS BUSINESS)
●エヴァグレーズUFO遭遇事件(アメリカ)


サイト:「LATEST UFO SIGHTING」から
1965年4月14日の夜,フロリダ州のエヴァグレーズで,犬の調教師ジェームズ・W・フリンが湿原に降りたUFOに遭遇した。

犬の調教を職業とするフロリダ州フォートマイヤーズ(Fort Myers)のジェームズ・W・フリン(James W. Flynn)は,顧客の犬2匹を連れて,訓練のためにエヴァグレーズ(The Everglades−フロリダ州南部の大湿地帯)に来ていた。

この日,フリンは丘の上にキャンプを張って,そこで夜を過ごす準備をした。 翌午前1時30分ごろ,彼は犬たちに起こされた。犬たちは,形はよくわからないが,明るく光る物体がゆっくりと湿原に降りてゆくのを見て吠えていた。
フリンが,それを見た時には,その物体は地面に着いているか,地面すれすれに浮かんでいるように見えた。
彼は,スワンプバギー(小さく軽い構造で大きなタイヤがついている湿原でも走ることのできる車)で,物体の灯りがはっきり見えるところまで行った。100ヤード(約90m)ぐらい手前の地点まで来ると,車を止めて,そこからは歩いて進んだ。そして,100フィート(約30m)ほどのところまで近づいた。
その物体は,円形で直径75〜100フィート(23〜30m)ほどで,上部分の丸いドームの高さは25フィート(約8m)ぐらいだった。下部分の10フィート(約3m)ほどは4列に並んだ明るい小窓のようなもので占められていた。物体は金属的な光沢があるようで,地面に着陸していた。乗員の姿は見えなかった。
フリンは,その物体が着陸を余儀なくされた実験用の航空機だろうと思った。そして,彼らが乗り物を必要としているかどうかを聞こうとした。必要なら自分の車を提供できるからだった。
ところが,物体に向かって数歩進むと,彼はいきなりあおむけに倒されてしまった。目に見えない何かに,気絶するほど殴りつけられたからだった。
そして,フリンが意識をとり戻した時には,その物体はすでに消えて影も形もなかった。
事件後,彼は自らの報告を立証するために,NICAPの代表を含む町の名士と警察官の一団を連れて,その現場に向かった。 一行は湿地にある低い丘の上に,直径72フィート(約22m)の円形に草が焼かれた場所を発見した。近くの木々も,地点に面した側が焼け焦げているのを発見した。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー:The Everglades 1965 ufo 】
参考外部=>UFOs at Close Sight(UFO in the Everglades,USA 1965)

参考外部=>UFO INSIGHT(The James Flynn Incident-UFO Over The Florida Everglades)

参考外部=>NICAP(Everglades/James Flynn Case)

参考外部=>LATEST UFO SIGHTING(1965 UFO Encounter: James Flynn in Everglades Florida)

参考外部=>UFO FYI(UFO case in the Everglades, USA 1965)
●スコリトン金星人遭遇事件(イギリス) 


★目撃した円盤の模式図

★ヤムスキーのスケッチ
『UFOと宇宙(NO.46)』から
1965年4月24日,アーサー・ブライアントがスコリトン草原でUFOから降りてきた3人の金星人と遭遇し, 1人は「自分はヤムスキーだ」と伝えたという事件。この日ジョージ・アダムスキーが死んだ翌日 のことである。

この日の夕方,南西イングランドのダートムーア刑務所の近くに住む老人ホーム管理人をしているアーサー・ブライアント(51歳)は, スコリトン草原に日課である散歩に出かけた。
草原に着いた
5時半ごろ,上空に巨大な円盤状の物体がこつぜんと出現した。 円盤は,時計の振子のように左右に揺れながら,ブライアントの約25メートル離れた,地上から1メートルの高さのところに停止した。
中央付近のハッチから,3人の人物が現われ,彼に向かって手招きをした。なぜか恐怖心がわかなかったブライアントは,小さな道の鉄柵を越え,近づいていった。そばに行くと,3人はヘルメットをぬいだ。3人のうちの2人は金髪で,額が異常に広かった。瞳は青く全体に気品が漂っていた。しかし,手の指は4本で親指にあたるものがなかった。最初,呼吸が不自然だったが,いつのまにかスムーズになった。3人目の人物は,地球人そっくりの容貌をして,金髪のショートカットで濃い茶色の眼をして14~15歳に見えた。その少年は小柄なため,服がダブついていた。3人とも銀色の潜水服のようなものを着ていた。
少年に見える人物がリーダーらしく,ブライアントにアメリカなまりの英語で話しかけてきた。自分の名前は「ヤムスキー」とかいい,「デス」あるいは「レス」が会いに来てくれれば,すべてを理解するのだがと言っている。 また彼と仲間は金星から来たのだという。その後,ブライアントは円盤内に招き入れられ船内を見学した。
ヤムスキーは,ブライアントにまた会いに来ることを約束した。ブライアントは,円盤から10メートルほど離れたところからサヨナラのあいさつを交わした。あいさつが済むと3人は円盤の中に入りハッチが閉じ,円盤は上昇し上空に消えていった。
英国のUFO学者たちが,接触者ジョージ・アダムスキーが,
1965年4月23日に,ブライアントの接触のわずか数時間前に,ワシントンDCで急死したことを知ったのは,それから何週間もたってからだった。
ヤムスキーは,アダムスキーの生まれ変わりだったのかもしれない。
アーサー・ブライアントその人は,
1967年6月24日ケネス・アーノルドが空飛ぶ円盤を目撃した日の20年後)に脳腫瘍で亡くなった。 また,これと符合するように,2冊の有名なUFOの本の著者で,ながいあいだ研究者でもあったジャーナリストのフランク・エドワーズが,ブライアントより2,3時間前に,インディアナの自宅で亡くなっている。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.46)』,1979年【スコリトン・ミステリー・文:日高実男】
『宇宙よりの来訪者』,1977年,著:ロイ・ステマン
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
参考外部=>TOCANA(死後、地球人は異星人として生まれ変わる? UFO研究家を悩ませ続ける「スコリトン事件」)

参考外部=>GA Site(アダムスキーが帰ってきた?という奇妙な物語)
●ティルスUFO遭遇事件(オーストラリア)
【イートンリッジ事件】
1965年5月24日,オーストラリアのイートンリッジにあるリトリート・ホテルの泊り客3名(J・W・ティルス他)が 真夜中にUFOに遭遇した。

場所はオーストラリアのクイーンズランド州マッケイ(Mackay)から42マイル(約68km),人里離れたイートンリッジ(Eton Ridge)にあるリトリート・ホテル(Epsom Retreat Hotel)。
目撃者の3人の泊り客は,J・W・ティルス(James William Tilse−トランス・オーストラリア航空のベテラン操縦士)とジョン・バージュス(John Burgess−オーストラリア陸軍退役軍人)とエリック・ジューデン(Eric Judin−技師)である。
この日の真夜中を過ぎた頃,3人はホテルのベランダから300ヤード(約270m)離れた森の梢のすぐ上に不思議な光体を見つけた。
それは,見慣れないデザインできらきらと明るい輝く奇妙な飛行体だった。円形の台座の下に照明灯が一列に2,30個並んでいて,全体の直径は,約30フィート(約9m)で金属のように固そうに見えた。
それが3人の方に近づいてきた。恐れをなした3人だが,バージェスが自分のライフル銃をとってきて,その物体に発砲しようとした。しかし,ティルスが物体が撃ち返してくるかもしれないぞと警告したので,バージェスは思いとどまった。
物体は,森の上を飛んで,小さな尾根の方に向かっていた。黄色やオレンジ色の照明は全て下を照らし,着陸場所を探しているようだった。そして尾根の頂上の地面にゆっくり降下した。
30分間,その物体はじっとその場所にとどまっていた。3人は,怖さから近づこうとはしなかったという。
やがて,その物体は上昇し始めた。そして木々の梢を越えてこちらにやって来ると,円盤下面のまぶしい照明の中に,3本のがっしりした脚が見えた。3脚型の着陸装置のようであった。脚にはそれぞれ照明灯がついていたが,300フィート(約90m)の高さに達すると,もう着陸装置もその照明灯も見えなくなっていた。
物体は,それから水平飛行に移り,速度を増し,急激に加速して北西の方角へと飛び去り,夜の闇に消えていった。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Eton Ridge, mackay, may 1965, UFO 】
参考外部=>UFOS(Cold case investigation-Eton Ridge Queensland-24 May 1965)

参考外部=>UFOS(Did the RAAF investigate the 24 May 1965 Eton Ridge case?)

参考外部=>ufoinfo.com(The Magonia Database:Part 8:April 23rd 1965-March 28th 1966)

参考外部=>NICAP(The 1965 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1965)

参考外部=>UFOdna(23 May 1965 - Eton Range, Queensland, Australia)

参考外部=>Aliens(UFO sightings 1964 to 1975)

参考外部=>PROJECT1947(A CATALOGUE OF AUSTRALIAN PHYSICAL TRACE CASES)
●アーサー・ゴッドフリーUFO遭遇事件(アメリカ) 1965年6月,ベテラン操縦士でテレビ・タレントのアーサー・ゴッドフリー(Arthur Godfrey)がワシントンまでの夜間飛行中にUFOに遭遇した。

それは,ゴッドフリーが彼の飛行機でニューヨーク(New York)からワシントン(Washington)までの夜間飛行中のことである。副操縦士にはフランク・マンシェロ(Frank Munciello)が乗っていた。
フィラデルフィア(Philadelphia)の近くで明るく光る物体が,突然彼らの双発コンベア機の右翼の向こうに現れた。操縦していたゴッドフリーは,衝突の危険を避けるために,機を鋭く左にロール(横転)させた。そして,フィラデルフィアの連邦航空局(FAA)管制塔に,彼の近くに他の飛行機がいるのかを問い合わせた。管制塔はいないことを答えた。
その瞬間,物体は方向を転じて,機の周囲を回り,
数秒のうちに左翼後方に接近してきた。UFOを避けるためにゴッドフリーは,また機を急激に傾け方向転換した。すると,物体も一緒に右方へ旋回した。ゴッドフリーがUFOから逃れようと努力するたびに,UFOは彼の真似をしたのだ。
ゴッドフリーもマンシェロも飛行時間
何千時間というベテランパイロットであったが,どうしてもUFOを振り切ることができなかったという。
UFOはぴたりと飛行機についてくるだけだったが,やがて離れだして,そのあとすぐ上方へ向きを変え,夜の闇に消えていった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



(★操縦席のアーサー・ゴッドフリー)
サイト「Robert Barrow」から
【サイト検索キー:arthur godfrey 1965 ufo 】

参考外部=>OpenMinds(Witness shares UFO encounter with broadcast legend Arthur Godfrey)

参考外部=>OldQslCards(Godfrey Report of UFO)

参考外部=>YouTube(UFO Archives: Project Blue Book - Arthur Godfrey )

参考外部=>Robert Barrow(Andy Rooney's Joke and Arthur Godfrey's UFO)
●ディセプション島UFO目撃事件(南極) 1965年7月3日,南極大陸アルゼンチン(Argentine)保有地域のディセプション島(Deception Island)駐留の海軍守備隊が,巨大なレンズ型飛行物体を観測した。

現地時間
19時40分のことである。物体は見たところ個体で,色はおおむね赤と緑,時々黄色や青,白,オレンジ色を帯びるた。物体は,ジグザグに東に向かったが,何度かスピードを変え,音もなく西や北へとコースを転換した。水平線に対し45度の角度で上昇しながら,基地から約10〜15キロメートルのところを通過した。
目撃時の気象条件は,いくらか層積雲があるものの,空は快晴で,月は下弦にあり,視界は申し分なかった。目撃者たちは,その物体の強烈な速度を記録することに成功した。同時に,高度約3マイル(約4800m)で
15分間ほど静止状態で滞空した事実も記録した。
同日午後,同じ物体がサウス・オークニー諸島(South Orkney Islands)のアルゼンチン基地からも目撃された。物体は,約10〜15キロメートル離れた空中を,迎角約30度で北西へと遠ざかっていった。この怪物体が基地上空を通過している時間,完全な状態で作動していた2台の磁力測定装置(バリオメーター)が,突然,猛烈な磁場の乱れを示した。
チリ基地でも同様に,
同日午後,同一の物体を目撃している。
アルゼンチンの公式発表が行われた
7月7日,チリ政府は,ペド・アギレ・セルザ(Pedro Aquirre Cerda)基地から無線で受け取った報告の内容を新聞に発表した。それによると,6月18日の午後,アルゼンチンの科学者たちが述べたものに似た物体が,基地上空に姿を見せた。物体はとてつもないやり方で,色やスピードや方向を変えた。それは巨大なレンズ型の物体で,音は一切しなかったということである。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第13章/1965年−ダム決壊】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「GENERATIONE XORCIST」から
【サイト検索キー:Deception Island 1965 ufo 】

参考外部=>BBC(A tale from Antarctica)

参考外部=>NICAP(UFO Sightings at Scientific Stations in Antarctica, July 1965)

参考外部=>AncientCODE(Leaked Documents State a huge UFO ・・・)

参考外部=>CE(Declassified CIA Document Shows Real UFOs Were Spotted Flying Over Deception Island, Antarctica)

参考外部=>GE(UFO’s in Antarctica: Declassified British UFO Files Reveal Stunning Details of UFO Encounter)

参考外部=>openminds(Argentina's X-Files-Pt2)
●F・E・ウォーレン空軍基地UFO侵入事件(アメリカ) 1965年8月1日,ワイオミング州F・E・ウォーレン空軍基地(F.E. Warren Air Force Base)の核ミサイル(ミニットマン-Minuteman)発射管制施設の周辺で,UFOが目撃された。

新型ミサイルのミニットマンT型とU型の発射施設(LF)は,地下コンクリートと鋼鉄のサイロによって防禦されている。各サイロは,数マイルの距離で隔てられ,ソビエトからの核攻撃の生き残りに備えている。
ミサイルは,10個の小隊(Flights)で組織され,各小隊にはアルファベット順に呼び名が付けられている(例えば,アルファ,ブラボー,チャーリー,デルタ等々)。
発射管制カプセル(LCC)は,地中ケーブルで連結され,地下に配置された小型の各ミサイルは,
24時間の警戒態勢下にある2名一組の発射担当士官に掌握される。
いったん戦争状態になり,命令を受けると,士官たちは2個のキーを回して,彼らの10基のICBMを発射させる手順である。

(★F・E・ウォーレン空軍基地のミニットマンミサイルサイト)

この日の午前1時30分,ワイオミング州F・E・ウォーレン空軍基地のミニットマン発射管制施設の周辺で,数個のUFOが目撃された。
E小隊,G小隊,Q小隊と呼ばれる諸施設と,さらにB-4,E-2,G-1およびH-2等と称される発射施設においてである。
目撃者は基地司令官を含めて各種軍人・軍属たち。彼らはライトパターソン基地にあるプロジェクト・ブルーブックに電話して報告した。
その夜のブルーブック(Blue Book)の当番士官は,アンスポー中尉(Lt. Anspaugh)であった。彼は次々と入る電話報告を注意深く記録日誌に残している。
4年後にブルーブックは閉鎖したが,そのメモの内容は科学顧問だった,J・アレン・ハイネック博士によって出版された。
【参考文献】
『UFOと核兵器』(第6章/核ミサイルへの接近とは何か?),2011年,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>Wikipedia(第20空軍 (アメリカ軍))

参考外部=>En.Wikipedia(Francis E.Warren Air Force Base)


【サイト検索キー: F.E. Warren Air Force Base, aug 1965, ufo 】
参考外部=>UFOs&Nukes(Yet Another Nuclear Missile Launch Officer Talks about UFOs at F.E.Warren AFB)

参考外部=>UFOs&Nukes(Huge UFO Sighted Near Nuclear Missiles During October 2010 Launch System Disruption)

参考外部=>RR0(F.E.Warren AFB,Wyoming (1965))

参考外部=>huffpost(UFO Researcher Claims Air Force Not Revealing Truth About Communication Outage At F.E. Warren Missile Site)
●アラン・スミス少年UFO撮影事件(アメリカ)

1965年8月3日,オクラホマ州タルサの14歳の少年アラン・スミスが,目撃したUFOを写真に撮った事件。

1985年8月2日から3日にかけて,何万というアメリカ市民が,魅惑的な,それでいて気味の悪い夜空のショーに見入っていた。サウスダコダからメキシコ国境,無数の目撃者たちが,明るい色の光の編隊が天空を前後左右に自在に飛び回るのを眺めた。
それは,テキサス州シャーマン(Sherman)付近でも滞空した。
8月2日の午前3時,放送局や警察などに何時間もたてつづけに目撃報告が殺到した。テレビカメラマンのロバート・キャンベル(Robert Campbell) はピーター・マッカラム(Pete McCollom)巡査と外に出て,目撃者たちにインタビューした。そして,自分たちもその物体を目撃し,滞空するUFOのスチール写真を撮影するのに成功した。

(★ロバート・キャンベルが撮ったUFO)
サイト:「Texas UFO Museum & Research」から

その暖かい晴れた夜(8月2日〜3日),オクラホマ州タルサ(Tulsa)の市民たちも,天空に展開する奇妙なショーに見とれていた。この見物客の中に,アメリカン航空のタービン・エンジン専門家,A・L・スミスの息子であるアラン・スミス(14歳)がいた。午前1時30分ごろ(8月3日),アランと父親は,他の3人と共に,低高度で滑空しながら近づいてくる,異常な動きをする物体を見つめていた。
物体がまだ数百ヤード(100ヤードは約90m))向こうにいた時,
短時間動きを止めた。アランはカメラを向け,シャッターを押した。撮影したばかりのフィルムが二重露出しないか心配で,もう1枚撮影する気になれず,カメラをいったん家に置きに行った。走って外に戻ると,物体はちょうど遠くへ飛び去っていくところだった。
アランは全くのヤマ勘でカメラを向けた。6ドル95セントのプラスチック製カメラの小さなファインダーでは,遠方の小さな物体はとらえることができなかったのである。
フィルムは他のフィルムと一緒に,自動カラー現像機で現像された。ネガとプリントが戻ってきたが,UFOが写っているはずの写真は,影も形もなかった。つまり,プリントそのものがなかったのだ。理由は簡単で,そのネガは,フィルムの右下4分の1の空間に,小さな物体が写っているだけだったため,現像機がスナップ失敗だと考え,プリントしなかったのだ。
だが,フィルムのその小さな部分を大幅に拡大すると,二つの不透明な帯ではっきりと三つの部分に分けられたUFOが現われたのだ。UFOは,円盤型で見たところ平底であり,各部分の色は青緑,オレンジがかった黄,クリーム色を帯びた白だった。これは,目撃者たちの証言とぴったり符合した。

(★アラン・スミス少年が撮ったUFO)
サイト:「MidiMagic」から

写真は,<オクラホマ・シティ・ジャーナル>紙によって調査された。同紙はまた,写真専門家にネガを調べさせた。専門家は慎重にネガを検討した結果,本物だと断定し,撮影した少年が証言した通りに撮影されたことを認めた。同紙はオリジナルのネガから作った拡大写真を,
10月5日付けの第1面に載せ,ちょっとした地方的センセーションを巻き起こした
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第13章/1965年−ダム決壊】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
参考外部=>GA Site(UFO 写真集<1>)

参考外部=>カラパイア(これまでに撮影されたUFO専門家をうならせる、最高のUFO写真ベスト21枚)


【サイト検索キー:Sherman 1965 ufo 】
参考外部=>Texas UFO Museum & Research( LibrarySherman 1965)

参考外部=>NICAP(The Sherman,Texas,Photo Case)


【サイト検索キー:Tulsa 1965 ufo 】
参考外部=>MidiMagic(THE TULSA PHOTO)

参考外部=>UFO Casebook(Tulsa,Oklahoma UFO Photograph,08-03-1965)

参考外部=>Think AboutIt REAL(1965:TULSA,OKLAHOMA・・・)

参考外部=>ThoughtCo(UFO Photographs)
●レックス・ヘフリンUFO撮影事件(アメリカ)

(窓ガラスを透した1枚目の写真)


(右ドアの窓からの2枚目の写真)
1965年8月3日正午過ぎごろ,カルフォルニア州オレンジ郡のサンタアナ(Santa Ana)付近で,レックス・ヘフリンがハイウェー・パトロール中,道路の上空にUFOを目撃し,それを撮影した事件。

レックス・ヘフリン(Rex Heflin)はロスアンゼルス郡(Los Angeles County)ハイウェー委員会ハイウェー事故調査官であるため,交通事故現場を撮影するのが,職務の重要な部分を占めていた。このため,日頃,ポロライド・カメラを持ち歩いていた。フィルムの規格はASA3000,電動式露出装置がついているため,カメラを向けてシャッターを押すだけで撮影できるようになっていた。
サンタアナ(Santa Ana)付近のマイフォード・ロード(Myford Road)を公用トラックで走行中,見慣れない物体が近づいてくるのを発見した。 トラックを止め,横においてあったカメラで車内から3枚の写真を撮った。そのうちの2枚の写真には,トラックの外についているバックミラーが写っていた。物体が飛び去ると,彼はトラックから飛び下りて,4枚目の最後の写真を撮影した。
ヘフリンは,無線で事務所と連絡をとろうとしたが,UFOが近くにいる間は,無線が全く通じなかった。UFOがいなくなると,無線は正常に作動したという。
数週間後,ロスアンジェルスのUPI通信社が写真のことを聞きこんで,自分たちに写真を調べさせてくれるようヘフリンを口説いた。UPIは,分析を同社の写真専門家たちに委ねた。時間をかけて写真そのものを調査したり,ヘフリンと同じ場所に立って,彼が使ったのと同じ機器で実験した結果,UPIの写真鑑定家たちは,写真はまさにヘフリンが言ったように撮影されたという結論を下した。
◎ヘフリンの撮った1枚目の写真。物体の真下の土埃が舞い上がっているように見えることに注意。拡大してみると,それは1フィート(約30cm)かそこらの高さに舞いあがった土埃や砂や軽い岩クズらしかった。これらが渦巻いているのは,物体の真下だけだった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第8章/1965年-ダム決壊】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎


目撃時にレックス・ヘフリン(Rex Heflin)は,トラックの運転台にいた。彼は1個の飛行物体に気づいたが,最初は何かのありふれた物だろうと思った。その物体は,前方で左へターンした。そこでこれは異常な物だと思ったという。セミオートマチックのポラロイド101カメラを取り,窓ガラスを通して最初の写真を撮った。
物体は,北東の方向に動いていたので,次に右ドアーの窓から2度目の写真を撮った。写しているときに,そのUFOの底部から回転する光が放射されることに気づいた。物体の高度が50メートルほどになったときに,同じトラックの窓から3番目の写真を撮影した。
UFOは,ゆらゆらよろめくジャイロスコープみたいにゆっくりと移動していたが,高度を上げるにつれて安定してくるように見えた。それから,スピードを増して,UFOの胴体でできたみたいな輪状の黒青色の煙を出した。そのトマト状の煙は,30秒ほど続いたので,4番目の写真の被写体にした。そして,UFOは北東の方角へと飛んで行った。
ヘフリンの推定では,物体の直径は約10メートル,高さは3メートルほどで,彼からの距離は約50メートルだったという。UFOの色は灰色で,頂上部はかすかに輝いており,全体の輪郭はハッキリしていた。よろめき運動中に音は全然出さなかったが,表面のあちこちが太陽の光を反射していたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(No.13)』,1975年【ソ連圏のUFO現象(2)・文:イオン・ホバナ//ジュリアン・ウェヴァーバーグ,訳:久保田八郎
参考外部⇒YAHOO!ブログ(☆レックス・ヘフリン円盤写真の分析)

参考外部⇒UFO事件簿(ヘフリンのUFO写真)

参考外部⇒GA Site(ルーマニアのUFO出現事件)



(同じ右ドアからの3枚目の写真)


(4枚目の写真)



【サイト検索キー: santa ana, california, Rex Heflin 1965 ufo 】
参考外部=>YouTube(Rex Heflin Ufo Photographs)

参考外部=>UFO DNA(3 Aug 1965-Santa Ana,California, USA)

参考外部=>NOUFORSE(Rex Heflin UFO Photographs)

参考外部=>NICAP(Santa Ana / Rex Heflin Photos)

参考外部=>Think Aboutit-REAL(1965: Rex Heflin UFO Photographs)

参考外部=>UFOs at Close Sight(The Rex Heflin photographs case, Santa Ana, Ca., USA, 1965)
●ジェームズ・ルッチUFO目撃撮影事件(アメリカ)

ルッチのUFO写真
『UFOと宇宙(NO.31)』から


ジェームズ・リッチのUFO写真
『UFOの謎』から
1965年8月8日の午後11時30分ごろ,ペンシルバニア州ビーバー郡(Beaver County)のブライトン・タウンショップに住む,航空州兵隊所属のプロ写真家の息子であるジェームズ・ルッチ(James Lucci-17歳)が,自宅のすぐそばで,樹々のあいだに出現したUFOを2枚写真に撮影した事件。

この夜,ジェームズは自宅近くで,タイム露出による月のカメラ撮影を行っていた。このとき,兄のジョン(John-20歳)もいっしょに居あわせた。
11時30分ごろ,ジェームズが新たなひとコマの撮影にとりかかってちょうどシャッターを開いたとき,丸いずんぐりしたかっこうの物体が, 月よりも明るい光を発しながら,左手の木立の上の方角から近づいてきた。
ジェームズはカメラがこの物体を捕えたにちがいないと思い,シャッターを閉じ,急いでフィルムを巻いてまたシャッターを切った。
このときUFOは,約400メートルほど離れたところをゆっくり飛行していた。 だが,3枚目を撮ろうとしたときには,UFOは急上昇して視界から消えてしまっていた。このUFOが急上昇したもようは,ジェームズたちがいたところの道路をへだてた家にいたマイケル・グローブが目撃している。
ルッチ一家は冷笑の的になることを恐れて,はじめのうちは事件の公表を避けていた。しかし,友人たちの熱心な勧めで,「ビバー・カウンティー・タイムズ(Beaver County Times)」紙に,問題の写真を提供することにした。
新聞社の3人の写真専門家は,あらゆる角度からこれを検討し,この写真が本物であるとの判断をくだした。
この話が新聞記事として公表されると,NICAPピッツバーグ支部長ウィリアム・B・ワイゼルは,いちはやくネガを入手してNICAP自身による分析にとりかかった。 新聞社のスタッフの協力を得たワイゼルと支部の委員ロバート・ブラウンは,5日間をついやして目撃者たちと面接し, 写真を航空地図や地形図とつき合わせて検討し,また,撮影時の写真技術的なデータを収集した。
ルッチのUFO写真の撮影データは,次のとおりである。
カメラはヤシカ635,アルティパン120フィルム(ASA100)使用,絞りf3・5,距離は無限大,露出時間6秒。 また現像時間は12分,新しいD76現像液を使用し,華氏70度(摂氏21・1度)で攪拌しながら現像した。 ここに掲載した写真(左欄内)は細部をはっきり出すために特別な方法でプリントしたものである。
UFOは動いていたために,ややボケて見えるが,テレビ塔(掲載したプリントには写っていない)は,はっきりと写っていた。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.31)』1978年【(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤(13)・文:レナード・クランプ,訳:遠山峻征】


ジェームズ・ルッチ(17歳)は, その晩(1965年8月8日23時30分ごろ) ,家のすぐ傍の戸外で,時間撮り写真にとりかかろうとした。 その時,二人(ジェームズと兄のジョン)は,大きな鋭く光る,ひらたい底部をもつ皿のような物体が樹々の間に出現したのを見た。 この物体は,突然空中に静止した。ジェームズは,このとき1枚目の写真を撮った。 この最初の写真では,物体の右側に月があった。 この物体は,その後右方に向かって進み,その場にしばらくとどまった。 その際,2枚目の写真が撮られた。この写真では,月は物体の左側にあった。 カメラはその際に,UFOの下側に巨大な輝きをとらえている。その後,物体は迅速に高空に上昇し,消えていった。
写真家のハリー・フライとバーディー・シャンクはネガからいくつかの写真を現像しはじめた。 それはあるいはあるかもしれない二重の露出あるいは不慮のレンズの反射をたしかめるためであった。 彼らは一枚のネガを他のネガに上に重ねた。 輪郭,生垣のそばの樹木,月の新しい位置に対する円盤の位置の変化などがうまくあうかどうかを見ようというわけである。 これらはぴたりとあった。二重の露出とかレンズの反射などはいっさいなかった。このような背景で,写真を人工的にでっちあげることは不可能である。 ここで使用したカメラは,ヤシカ635である。彼らは写真は本物だと述べている。

【参考文献】
『UFOの謎』1975年,著:エスタ・レーン,訳:金森誠也
参考外部=>SkyPeople(☆ジェームズ・ルッチUFO写真の分析)

参考外部サイト⇒インチキUFO写真展(1960年代)





【サイト検索キー:Beaver County, Pennsylvania, James Lucci 1965 ufo 】
参考外部=>forgetomori(UFO photos: A real saucer)

参考外部=>Think Aboutit-REAL(1965: August UFO & Alien Sightings)

参考外部=>NICAP(Lucci Photos)
●サンクエンティン渓谷UFO遭遇事件(メキシコ) 1965年8月22日,サンクエンティン渓谷で狩り中の4人のハンターが,12機からなるUFOに遭遇した。

この日の深夜12時,メキシコのサンクエンティン渓谷(San Quentin Valley)で4人のハンターが頭上に巨大な輝く円盤を目撃した。
4人は,冷静沈着さを失わず,彼らの自動車から物体に向けて電気スポットライトを照射した。すると,すぐに11機が新たに到着して,最初の円盤に合流し,即座に4人の頭上を旋回し出した。
一人がライトを点滅させた。円盤たちも灯を点けたり消したりした。彼らに対し,応答しているのは明らかだった。
4人の目撃者全員が,このことを認めているという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第12章/断章・ソ連の奥深くで】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: san quintin valley 1965 ufo 】
参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1965)

参考外部=>UFOdna(22 Aug 1965 - San Quentin Valley, Mexico)
●ピース空軍基地UFO出現事件(アメリカ)
1965年9月3日,ニューハンプシャー州ピース空軍基地(Pease AFB)上空に,まぶしい閃光を放つUFOが出現した。UFOが近づくと基地の灯火が,次々と消えていった。

ロバート・マーク氏は
1965年当時,第509空軍憲兵大隊に所属し,軍曹としてニューハンプシャー州ポーツマス(Portsmouth)に近いピース空軍基地(Pease AFB;1991年に閉鎖)に勤務していた。

午前0時ごろ,マーク軍曹と二人の航空兵がピース空軍基地のメーンゲートで立哨中,航空兵の一人が「あれを見ろ! 」と叫んだので振り向くと,一面の星空から物体が落ちてくるところだった。
高度90〜120メートルで光がすごいスピードでみるみる迫ってきた。それは,2個の非常にまぶしいヘッドライトのような光だった。
光を発した物体が,ピース基地の灯のともった地域の上空にさしかかるや,まるで誰かが通りすがりに電球を割っていくように,灯火が次々と消えていった。最初,B52が接近してくるのかと思ったが,まったく音が聞こえず,風圧だけを感じた。それは衛兵詰所の真上を通過した。
航空兵の一人が詰所に走りこみ,CSC(中央警備管制)直通のホットライン電話にとびつき,いま見ている事態を電話にがなり始めた。そしてがっくり膝をつくと,すっかり自制を失った。
その間も,怪物体はピース基地の北端めがけて進んでいた。物体が通過する真下の灯火がどんどん消えていった。消えた灯火は
30〜40秒で,また元どおりになったが,物体の通過直後は全地域が,一時真っ暗になった。
マークの記憶では,物体は細長い恰好をしていたが,目もくらむようなヘッドライトが接近してくるので,細部は見えなかった。
軍曹は,さらに基地のレーダー塔に駆けあがって,ちょうど2機の戦闘機が離陸するところを見た。「追いつけない。やつらは速すぎる! こっちはこれで最高だ」とパイロットの無線の声が聞こえた。その追跡中,戦闘機も一度は物体に近づいたかに見えたが,物体はすぐ遠ざかって,みるみる戦闘機を引き離した。2機が追っていくあいだに見えた物体の後部のことも,彼は記憶していた。「後部にもライトがついているみたいに見えた。ちょうどジェット機の後ろから炎が噴き出ている感じにね」

約2時間後「エクセター事件」で目撃されたUFOが,ピース空軍基地上空に出現したものと思われる。
1960年代の中期,ニューハンプシャー州はUFO活動のメッカだった。付近にUFOが出現するたびに,ピース空軍基地もしょっちゅう色めきたっていたことに,疑問の余地はない。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第5章/過去からのこだま】,著者:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,訳者:南山宏,1987年
参考外部=>En.Wikipedia(Pease Air National Guard Base)

参考外部=>En.Wikipedia(509th Bomb Wing)

参考外部=>NICAP(The 1965 UFO Chronology)
●エクセターUFO遭遇事件(アメリカ)


サイト:「NOUFORS」から
1965年9月3日,ニューハンプシャー州エクセター(Exeter)で,ノーマン・マスカレロ(18歳)が150号線で強烈な光を放つ飛行物体を目撃した。警官と現場に戻った際にも同じ物体に遭遇した。

午前12時30分にハイウエーに不審な止まり方をしている車があるとの連絡を受け,二人の警官が調べに行くと,車内でショック状態にある二人の女性を見つけた。
二人の話によると,二人の車は,まぶしい赤光を放つ巨大な飛行物体に,12マイル(約19km)ほどぴったりと後ろから追いかけられたという。
しかし,そんな物体はあたりには影も形もなかったため,警官は,二人をなだめて,婦人たちに車を発進させた。
午前1時45分,ノーマン・マスカレロ(Norman Muscarello-18歳)が,よろけながらエクセター警察署に,転がりこんできた。恐怖のため,顔は真っ青で,がたがた震えていたという。
マスカレロは落着きを取り戻すと,レジナルド・トーランド(Reginald Toland)とバートランド(Bertrand)の二人の警官に驚くべき話をした。
彼が150号線を通って歩いて帰宅途中,前方の地面がいきなり赤い光で照らし出された。そして,奇妙な飛行物体が木立の上から昇ってきた。それが近づいてくると,その物体の下部にまぶしい赤いライトが前から後ろに4つか5つ並んでいるのが見えた。ライトは,1-2-3-4-5-4-3-2-1という具合に順々に点滅をくり返していた。
マスカレロは,低い石垣の影に駆けこんで,その物体がゆっくりと音もたてずに頭上を通りすぎる間,怯えながらうずくまっていた。物体は,その場所から100フィート(約30m)と離れていない上空を通過していった。
物体は近くにあるクライド・ラッセル家の真上にさしかかったため,物体の大きさがわかった。彼は全長が90フィート(約27m)前後と見積もった。
次の瞬間,物体は元きた方向に引き返して,マスカレロが最初に見た木立の陰に姿を消したという。
マスカレロは,ラッセルの家のドアを,中に入れてくれと叫びながら叩いた。しかしラッセル家の者は,それを通りすがりの酔っ払いの仕業と思い込み無視した。マスカレロは,中に入れてもらえないと分かると,警察署に向かって走り出したのだった。
その夜,物体の二度目の報告を受けたトーランド警官は,バートランド巡査に,現場を見回るよう命じて送り出した。
バートランドは畑のわきの道路にパトカーを止め,二人は車を降りた。マスカレロは,物体を最後に見たとおぼしき場所を指し示したが,何一つ変わったものは見つからなかった。バートランドは強力な懐中電灯を取り出して,畑を照らした。
その時,下部に一列に並んだ明るい赤色のライトを光らせた大きな黒い物体が,木の梢あたりから畑めがけて滑空してきた。物体は,ちょうど明かりをつけたばかりで,くるりと向きを変えると,懐中電灯を持った二人の方へ近づいてきた。高度は70フィート(約21m)もなかった。
バートランドは,思わず軍用拳銃を引き抜いたが,すぐに使うまいと決心した。二人はすぐにパトカーに飛び込んだ。物体は,赤い光が目もくらむほどまぶしかったので,火傷するか,目がつぶれるのではないかと恐れたという。
光は前から後ろへ,次に後ろから前へと順番に点滅した。1-2-3-4-3-2-1という具合に。その強烈な輝きのために,物体の周囲にはハローがかかっているように見えたという。まぶしさのため,物体の正確な大きさと形は見極められなかったが,物体は卵型を呈していて,金属質のように見え,翼や尾翼などに類するものは見つからなかったという。
バートランド巡査は無線で救援を求めた。マスカレロはパトカーの中から外の様子をうかがうと,近くの納屋の中の馬たちがいなないて厩舎を蹴飛ばしていた。また,犬が激しく吠えたてていたという。
デイビッド・ハント(David Hunt)巡査が大急ぎで現場に駆けつけた。彼は間に合い,その物体を
約6分間目撃することができた。物体は,ゆっくりと遠ざかりつつあった。輝く下向きのライトが,独特の奇妙な順序で規則正しく点滅していた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第13章/1965年−ダム決壊】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「nhmagazine.com」から

高名なジャーナリストのジャン・フラー(John G. Fuller)が同名のベストセラーを書いて名をはせた「エクセター事件(Exeter incident)」は,ノーマン・マスカレロ(Norman Muscarello)という青年がルート150線上でヒッチハイクの途中,
午前2時ごろ巨大な赤味がかったUFOの接近に仰天して,エクセター警察(Exeter police station)に駆けこんだことから始まる。
ユージン・バートランド(Eugene Bertrand)警官がマスカレロとともに現場に急行すると,同じUFOが木立の陰から戻ってきた。連続的な閃光灯をつけた巨大な赤いUFOは,しばし滞空ののち,「木の葉落とし」の飛行パターンを見せた。同僚のデイヴィッド・ハント(David Hunt)警官も,そのUFOが飛び去るところを目撃したのである。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第5章/過去からのこだま】,著者:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,訳者:南山宏,1987年
参考外部=>Wikipedia(エクセター事件)



【サイト検索キー: exeter, new hampshire, 1965 ufo 】

参考外部=>En.Wikipedia(Exeter incident)

参考外部=>YouTube(Exeter History Minute -- Exeter UFO)

参考外部=>OpenMinds(The Exeter, New Hampshire UFO incident 50 years later)

参考外部=>NOUFORS(UFO Incident at Exeter, New Hampshire)

参考外部=>ARC(Exeter, A Series Of Sightings)

参考外部=>CBS NEWS(New Hampshire town celebrates notable '65 UFO sighting)

参考外部=>CSI(‘Exeter Incident’ Solved! A Classic UFO Case, Forty-Five Years ‘Cold’)

参考外部=>UFO CASEBOOK(1965, The Exeter, New Hampshire Encounters)

参考外部=>UFO CASEBOOK(N.H. Teen's 1965 Sighting Became Blueprint for UFOs)

参考外部=>nhmagazine.com(UFOs in New Hampshire)
●マッコイとグッドUFO遭遇事件(アメリカ)
【デイモン事件】



サイト:「The Big Study」から
1965年9月3日,テキサス州ブラゾリア郡デイモン(Damon)付近のハイウェーにおいて,保安官代理のB・E・マッコイ(Billy E. McCoy)と保安官助手のロバート・グッド(Robert Goode)が巨大な飛行物体に遭遇した。

二人はアングルトン(Angleton)の保安官事務所に所属していて,共に警察学校の卒業生である。
この日の午前1時ごろ,パトロールカーを運転中,明るい月明かりの中に,全長約200フィート(約60m),中心部の厚さが40〜50フィート(約15m)の飛行物体を目撃した。 その飛行物体は,先端と後端が先細りなっていて,先端にはまぶしい紫色のライトが,後端には点滅する青色のライトが灯っていた。
グッドは,車をデイモン(Damon)の方角に4分の3マイル(約1.2km)ほど引き返し,道路わきにつけ,交替で車の窓から身を乗り出して,双眼鏡でその物体を観察した。 物体は,スピードを変えずに,先端を下に向け,浅い角度でこちらに向かって急降下を始めた。物体が地上から100フィートぐらい(約30m)にきた時,二人は月光を浴びて地面にくっきりと落ちた物体の影が,ライトをつけた彼らの車にまっすぐに向かってくるのを見た。 運転席のグッドは窓から身を乗り出していたが,接近するUFOの正面の,眩しい紫色の光が放つ熱をはっきり感じとったという。
彼が,車のギアを入れた時には,物体は車の後方,50ヤード(約46m)たらずにまで迫っていた。二人はパトロールカーを時速110マイル(約177km)にも達する速度で走らせデイモンに引き返した。
デイモンに着いて
数分後,二人は落着きを取り戻し,奇怪な経験をした現場に戻ってみることにした。あれが何なのかを見きわめたかったという。
目撃現場に戻ってみると,すぐに二人は巨大な飛行物体のライトを認めた。ライトは,さっき物体が二人をめがけて急降下する
数秒前にしたのと同じように,光度を変化させていた。二人は,再び大あわてでデイモンにとって返したという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第13章/1965年−ダム決壊】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



(★マッコイによるスケッチ−NICAP)
サイト:「Texas UFO Museum & Research Library」から
【サイト検索キー:damon, texas, 1965 ufo 】

参考外部=>
Texas UFO Museum & Research Library(Damon 1965)

参考外部=>UFO CASEBOOK(Patrol Car Illuminated by UFO,Damon, Texas,1965)

参考外部=>NICAP(Dark Grey Disc Shadows Police Car)

参考外部=>Detroit free press(Texas UFO encounter lives on, decades later)

参考外部=>SantaFeGhostAndHistoryTours(UFO CONSPIRACY: DATA & PHOTOS)

参考外部=>The Big Study(Damon,Texas comments, by request from Kandinsky)
●プレトリアUFO遭遇事件(南アフリカ) 1965年9月16日,南アフリカのプレトリアとブロンクホルストン間の道路上に着陸しているUFOに,二人の警察官が遭遇した。

この日の真夜中を数分まわった頃,二人のベテラン警察官ジョン・ロッケム(John Lockem)とクース・デ・クラーク(Koos de Klerk)は,プレトリア(Pretoria)とブロンクホルストシュブルイト(Bronkhorstspruit)間のアスファルトを敷いたハイウェーを,いつものようにパトロールしていた。
二人の乗るパトカーが森林地帯に入ったあたりのカーブを曲がると,大きな輝く物体が道路を塞いでいた。ゆっくり近づくと車のライトで物体の全体がはっきり見えてきた。それは,直径約30フィート(約9m)の銅色をした円盤だった。低く丸いドームがかすかに輝いているように見えた。
パトカーが,その円盤に近づいてから
十秒かそこらして,突然その物体は,爆音を発し飛び上がり,一筋の火炎を吐きながら上昇していった。火炎は,円盤下側の短い管から噴き出ていた。
噴射による熱はすさまじく,ハイウェーのアスファルトが破片となって飛び散るのが見えた。UFOが去ったあとも,
しばらくの間,その道路の表面から炎が3フィート(約0.9m)の高さまで燃え上がっていた。
後のハイウェー技師たちの調査によると,現場地点のアスファルトは,非常な大重量のためにへこみ,ひび割れていたことや,直径6フィート(1.8m)強にわたってかなり下まで焼けた場所では,砂利がアスファルトと分離していたことが判明した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「UFOmystik」から
【サイト検索キー: Pretoria, South Africa, 1965, ufo 】
参考外部=>en.Wikipedia(UFO sightings in South Africa)

参考外部=>WikiVisually(UFO sightings in South Africa)

参考外部=>eNCA('UFO' sightings in South Africa since 1965)

参考外部=>UFOmystik(Nutidens ufo beretninger 1900-2015)
●ハーツキ謎の三角翼機目撃事件(カナダ) 1965年10月のある朝 ,アルバータ州カルガリーに住むウィリアム・ハーツキは,牧草地に置いてある不思議な三角翼の飛行機を見つけた。

ミスター・ハーツキが,カルガリーに近いサークル・ジェイ・ランチの牧草地を馬に乗って走っていると,小さな飛行機のようなものが地上に置いてあるのを発見した。
近づいてみると,その物体の周りに,人影はなかった。物体の長さは約16フィート(約4.87m),翼長が約12フィート(約3.66m),胴体の厚みが4〜5フィート(約1.2〜1.5m)だった。色はシルヴァー・グレーで,後退角(三角)翼がついていた。その外面は,「ワッフルのように」不規則で,透明なプラスティック様のドームが操縦室をおおっていた。それを通して,複雑な装置が見えた。14インチ(35cm)の「TVスクリーン」,二つのちいさな透明ガラスの様なものでできたバケット・シートなど。機体には,目に見えるモーター,プロペラ,ジェットなどのような推進装置はなく,また,どんな種類の標識や認識マークも付いていなかった。
どうやら,それはかなり小さいパイロット用につくられたもので,ジェットやプロペラを必要としない何らかの未知の原理で飛ぶもののようだった。
ハーツキは仕事のスケジュールの関係で,もう一度そこに戻って調べることが許されなかったため,その後のことは不明となった。

【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
●ケックスバーグUFO墜落事件(アメリカ)


サイト:「reddit」から
1965年12月9日,巨大隕石のような物体がカナダとアメリカにまたがる北東の空を横切るのを6つの州の住人が目撃した。

ペンシルバニア州ケックスバーグ(Kecksburg)の町の多くの人もこれを目撃し,この火の玉は町から近い渓谷に落ちたことを複数の人が証言した。
いち早く墜落現場に到着した住民や消防士などが目撃したのは,さまざまな色の光線やアーチ型の光線を放っているドングリ型の物体であった。
釣鐘型の機体の底部のふちに象形文字のようなものが書かれていたと証言する者もいた。まもなく,軍が到着し一帯は封鎖され,誰も現場に入れなくなった。
町の人々の証言によると,軍用車隊が防水シートで覆った物体を荷台に乗せた平床トラックを先導し町を通り抜けていったという。

【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年


1965年12月9日の夜,明るく輝く黄色もしくはオレンジがかった赤色の物体が,イリノイ州,ミシガン州南部,北部インディアナ州,オハイオ州を横切って稲妻のように東に飛び,やがてオハイオとペンシルヴァニアの州境付近の上空,高々度で爆発した。
何千という人々がその直後,閃光−あるいは物体−またはその両方を見たと報告した。大衆に提供された公式発表は,問題の物体は爆発した流星だというものだった。
この公式発表に疑惑の目を向けた一人に,著名な科学者で著述家のアイヴァン・サンダーソン(Ivan Sanderson)がいる。彼の出した結論は,北米新聞連盟に宛てた論文という形でまとめられ,つづいて超常現象専門の<フェート>誌の
1966年3月号に転載された。それによると,これまで記録された最も遅い流星の速度は,時速27000マイル(約43000km)である−1965年12月9日に出現した物体の算出速度は時速わずか1050マイル(約1700km)だというものである。
この物体が爆発した直後に,ペンシルヴァニア州ケックスバーグ(Kecksburg)付近の農場に住む婦人が,大きな物体が近くの林に落ちて燃えていると州警察に通報した。
新聞記者と州警察官たちが,その場所に集まると,軍の大部隊がすでに現場に到着していた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
参考外部=> マニア道(ケクスバーグのUFO墜落事件!!二転三転する当局の説明!!)

参考外部=>UFO事件簿(ケックスバーグ事件)

参考外部=>TOCANA(未解決50年】謎すぎるUFO墜落「ケックスバーグ事件」の真相とは!? )

参考外部=>地球なんでも鑑定団(原爆を落とすことが目的で開発されたナチスドイツ製ベル型UFOディグロッケ※ケックスバーグUFO事件)

参考外部=En.Wikipedia(Ivan T. Sanderson)



【サイト検索キー:Kecksburg UFO 】
参考外部=>Wikipedia(英語版:Kecksburg UFO incident)

参考外部=>SPACE.com(Is Case Finally Closed on 1965 Pennsylvania 'UFO Mystery'?)

参考外部=>YouTube(The Nazi Bell Vs. The Kecksburg UFO incident (1965) HD)
1966年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ウォナキュー貯水池上空UFO目撃事件(アメリカ)

★ウォナキュー貯水池上空のUFO
『完全版・世界のUFO現象』から
1966年1月11日の夜,ニュージャージー州のレイモンド・ダムのウォナキュー貯水池上空に浮かぶUFOを, たくさんの住民が目撃した事件。
UFOは,
1月11日と12日に二晩つづけて,ニューヨーク市から50マイル(約80km)と離れていない,凍りついた広い貯水池に姿を現した。

1月11日夜,ニュージャージー州ラマポー(Ramapo)郊外で,純白で明るく光る物体が,数時間,音もたてずに浮かんでいるのを,周囲20マイル(約32km)以内にいた何百という住民が目撃した。その明るく光る物体は,最初オークランド(Oakland)に,それからウォナキュー貯水池(Wanaque Reservoir)上空に出現した。
そこで最も
長時間,姿を見せつづけたのち,レークランド地区高校(Lakeland Regional High School)の上に出現し,最後にはハスケルのフーダイル土砂採取場(Houdaille sandpit in Haskell)の上空に現われた。そこから,UFOは南東方向,ウェインのパインズ湖(Pines Lakes in Wayne)の方へ向かったらしく,姿を消した。

その夜,ウォナキュー(Wanaque)市長のハリー・ウルフ(Harry T. Wolfe)は,ウォナキュー貯水池(Wanaque Reservoir)の水を蓄えるレイモンド・ダム(Raymond Dam)の上をUFOが旋回していると警察から連絡を受けた。市長は14歳になる息子のビリー(Billy)と一緒に,ただちに貯水池に車を走らせた。二人のウォナキュー市会議員,アーサー・バートン(Arthur Barton)とウォーレン・ハグストロム(Warren Hagstrom)も同行した。
ダムの上空にUFOが旋回しているとの情報から,沢山の住民がダムに集まってきていた。議員一行が車から降りると,貯水池の上,かなりの低空を輝く物体がゆっくり飛んでいた。物体の直径は3〜9フィート(約0.9〜2.7m)の間と推定された。物体は,絶えず光りながら,白から赤,緑,そしてまた白という具合に色を変化させていた。また,物体からは貯水池に吸い込まれるように光線が何度も下へほとばしるのが目撃された。
物体は,
2時間ほど貯水池上空にとどまっていたが,やがて上昇して見えなくなった。

物体は,
翌日の午前2時ごろにも,この貯水池上空で目撃された。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第8章/1965年-ダム決壊】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
参考外部サイト⇒excite.ニュース(七色の光を発するUFO!? 宇宙の光線は氷を溶かす!)

参考外部サイト⇒リアルライブ(七色の光を発するUFO!? 宇宙の光線は氷を溶かす!)


参考外部=>NICAP(The 1966 UFO Chronology)



【サイト検索キー: Wanaque, New Jersey, 1966 UFO 】
参考外部=>ACADEMIA(THE WANAQUE RESERVOIR 1966 UFO PICTURES)

参考外部=>WEIRD N.J.(UFOs Over The Wanaque Reservoir:The Roswell of the Ramapos)

参考外部=>YouTube(Wanaque, New Jersey, January 11-12, 1966. Gordon Lore (NICAP) interviews witnesses at the Wanaque, N)

参考外部=>NORTH PASSAIC(50 Years Later, Wanaque Reservoir UFO Photographer Identified)
●キパパ宇宙人遭遇事件(ブラジル)


★(上)大男のかぶっていたヘッドギアのようなもの
(下)目撃したUFO
(IIIust/FSR vol.17, no.2)
『宇宙人の死体写真集2』から
1966年2月25日の夜 ,ブラジル北東部のペルナンブコ州ガランハンスの近くにあるキパパで,3人の女性が小柄な宇宙人3人とロボットに遭遇した。

この日の午後10時10分 ,マリア・マルルース・ダ・シルバ(20歳)と妹のマリア・マルルーシィ・ダ・シルバ(17歳)とオフェリア・ベルソア(21歳)の3人の女性が, 友達を訪ねるために家を出た。
砂糖工場の狭軌鉄道に沿って延びる,明るく照明された道路を歩いていった。 その道路より鉄道線路は1メートルばかり下にあった。突然,100メートルほど前方の道路の真ん中に,いくつかの光が出現した。
彼女たちは,故障したジープでも修理しているのだろうと考えた。 しかし,彼女たちが50メートルほどまで近づくと,それは,車ではなく大きな皿かカップを逆さまにしたような不思議な物体で,その物体なは二つの大きなヘッドライトが付いていた。
物体のそばには8〜9歳の子供ぐらいの背丈の人物が3人立っていた。 3人はそれぞれ大きなヘッドギアをかぶっているようで,身振りなどからお互いが話し合っているように見えたが, 声は聞こえてこなかった。
そして,そのそばには身長が2メートル以上もある大男が身じろぎもせずに立っていたという。その大男の上半身は光っていて,頭には輝くヘッドギアのようなものをかぶっていた。それは,緑から青,赤というように色の変化を繰り返して輝きを増したり減らしたりしていた。
マリアたち3人は,マリアの家に駆け戻り,母親を連れ出して農場の門までたどりついたとき,UFOがマリアたちに向かって飛んで来るのが見えた。
全員がパニック状態になって家のなかに駆け込んだが,姉のマリアだけは家の外にとどまってUFOを見ていたという。
UFOは家の上空を何回か旋回し,やがて高度を上げて消えていった。
姉のマリアの証言によると,3人の小さな生物は,上下つながりのスーツを着ていて,色はグレイのようだった。 胸のところには,両脇まで続くものすごく明るいバンドがあったという。そのバンドの色は,絶えずいろんな色に変化していたという。
UFOの直径は3〜4メートルで,高さは1.5メートルほどだった。 UFOの底部は地面から30センチほど浮いていて,UFOのライトの明るさはジープのヘッドライットと同じくらいだった。 また,大男のヘッドギアの輝きで周囲は明るく照らし出されていたという。
UFOの高さが1.5メートルぐらいしかなかったことから,2メートル以上の大男は,折り畳み可能なロボットでなかったかと, 調査にあたったUFO研究家のルーベンス・ド・コウトゥー・ソアレスは推測している。
なお,UFOの着陸現場の草が押し潰されているのが,近所の人により見つかっている。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』1991年,著者:中村省三(ブラジルで目撃された小人宇宙人と折り畳みロボット)
●ミシガン州UFOフラップ事件(アメリカ)

★1966年3月28日ミシガン州ロイヤルオークに出現した光体
『UFOと宇宙(コズモ)』No.5から
1966年3月中旬 ,ミシガン州南部とオハイオ州にまたがるトリーデからデトロイトまでの地域で,数百人の人々が複数のUFOを目撃した事件。

3月14日明け方 ,奇妙に光る物体が,鋭角に方向を変えたり急降下,ホバリングなどを繰り返した。ワシュテノー郡,リヴィングストン郡,モンロー郡にいた数多くの警官が目撃。
3月17日の午前4時25分 ,ミシガン州のミランで,2人の警官が赤,白,緑に光りながら猛スピードで飛行する3から4機の尖った物体を目撃。
3月20日午前9時半ごろ ,ミシガン州のデクスターで,パトロール警官が赤や緑に輝き車の上でホバリングしている1機の飛行物体を目撃。 その飛行物体は,新たに飛んできたものと一緒に急上昇し消えていった。 この日の夜 ,地元住民のフランク・マンナーは自宅で光の群れを目撃し,家族とそれを追いかけた。 飛行物体の1機は近くの沼地(ミシガン州アンアーバー)に着水したように見え,警官を呼んだ。 マンナーと警官たちほか50人以上が,沼の上空に赤く脈打つ光る飛行物体を目撃した。
3月21日の夜 ,デクスターの西約80kmにあるヒルズデールで,ヒルズデール大学の学部長,自警団団長, 87名の女子学生が大学近くの湿地帯上空をチョウのように乱舞する光体を数時間にわたって目撃した。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
『UFOと宇宙(コズモ)(No.5)』,1974年【ミシガン州光体目撃事件・文:アレン・ユートク】

これらの事件は,新聞で全州にわたって大々的に報道された。 多くの人が目撃しているため,空軍の説明に対する圧力が高まってきた。 このため,当時ブルーブックの責任者ヘクター・クインタニラ少佐は, 空軍のアドバイザーとして,アレン・ハイネック博士に目撃情報を調査し, 人々が大騒ぎする前に,UFOの存在を否定する嘘のプレス声明を考え出すよう命じた。 博士の述べた見解は,「沼からのメタンガスが原因かもしれない」というものであった。 一般市民も科学者もこのコメントを嘲笑った。博士はこの時のマイナスイメージに一生悩まされたという。 博士自身は空軍にうんざりし始めていた。空軍に利用されたと感じており,このとき以来,ハイネック博士と空軍, そしてクインタニラ少佐との関係は急速に悪化した。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒きよりんのUFO報告(UFO論議仕掛け人としてのUFO-1)



 
★寮の窓から光体を見るヒルズデール大学の学生たち
『UFOと宇宙(コズモ)』No.5から
●ウェストール事件(オーストラリア)
1966年4月6日,オーストラリアのメルボルン郊外の街,ウェストールの学校の近くにUFOが着陸した事件。学校の生徒,先生ら200人以上がUFOを目撃した。

学校の近くにある小高い雑木林に3機の金属製の円盤型飛行物体は,静かに着陸した。 生徒の一人は,6mの至近距離で目撃したという。その飛行物体は乗用車よりも大きく,地面から少し浮いた状態で,底の部分のライトが地面を照らし続けていたという。
この3機のUFOはその後すぐに再びゆっくりと浮上し,ある高度に達すると来た時と同じように素早くどこか彼方へ飛び去ったという。
【参考サイト】
トカナ(50年前に起きた重大UFO事件に新展開か? 「ウェストール事件」の目撃者が“黒いスーツの男たち”について語りはじめた=オーストラリア)
参考外部サイト=> YouTube(2240 Chicago UFO Incident シカゴ・オーヘア空港UFO目撃事件+ウェストールUFO着陸事件)

参考外部サイト⇒トカナ(50年前に起きた重大UFO事件に新展開か? 「ウェストール事件」の目撃者が“黒いスーツの男たち”について語りはじめた=オーストラリア)

参考外部サイト⇒YouTube(A Suburban UFO Mystery: Westall '66)
●火の玉UFO目撃事件(フランス)

『コズモ(UFOと宇宙)』NO.1から 
1966年6月15日 ,フランス・アベロン県のピレネー地帯の農家付近に現われた火の玉群と砲弾型UFOを住民が目撃した。

午後9時半ごろ ,ここ(ピレネー中央部の山と畑の田舎地帯)に住むある農家のおばあさんと主人が,家の近くに火の玉を目撃する。 その火の玉は家の周りの地上をうろつき,やがて(全部で6個あった),それらは一列になったり,円陣をくんだりして遠のいていった。 火の玉は,その方角にあった,砲弾型で木のように見える光っている物体にのみ込まれていったという。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)(No.1)』,1973年【フランスの怪奇・火の玉UFO事件,文:F・ラガルト】
参考外部サイト⇒GAsite(フランスの怪奇 火の玉UFO事件 第1話 F・ラガルド)


『コズモ(UFOと宇宙)』NO.1から
●エリー湖上空UFO目撃事件(アメリカ) 1966年8月3日,ペンシルヴァニア州エリーの2人の警官が,エリー湖上空に 2時間 にわたって謎の光体を目撃した。

午前4時45分 ,ウィリアム・ラトレッジとドナルド・ベックの2人の警官がエリー湖上空に明るい光を見つけた。 それは,東に向かって進み,赤色に変わり消滅した。しかし,その後,すぐに再び現れると,今度は青味がかった白い光だった。 彼らはそれを 午前6時55分 まで見ていた。そして,太陽がのぼり,空が朝やけに染まったとき,その物体はただの光ではなく, 金属製と思われる,銀色の物体となった。そして最後には,北のカナダの方に向かって進み消えていった。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
●マイノット空軍基地ミサイルサイトUFO目撃事件(アメリカ) 1966年8月24日,ノースダコタ州マイノット空軍基地(Minot Air Force Base)近郊のミニットマンミサイルサイトの保安警備員たちがUFOを目撃した。

アメリカの一般社会が,初めて核ミサイルサイトにおけるUFO目撃を知ったのは,
1966年12月『サタデーイブニングポスト』紙に掲載されたJ・アレン・ハイネック博士による関連記事であった。
ハイネック博士が取り上げたのが,この事件である。

1966年8月24日にノースダコタ州マイノット空軍基地近郊にあるミニットマンミサイルサイトの保安警備員たちがUFOを目撃した。
その時,地下発射管制施設にいるミサイル将校の無線機通信に静電気障害が発生していた。それと同時に,地上の警備から上空に活動する1個のUFOが報告された。
UFOは一瞬着陸したように見え,そのためミサイルサイト管制は調査のため,”突撃チーム”を現場に向かわせた。
UFOの着陸地点から約10マイルの地点で,同チームの無線機がまた静電気障害を起こした。その直後,UFOは地上から空中に浮揚して,
1秒以内に空高く上昇していった。
ハイネック博士の報告では,マイノット基地のレーダーも物体を捕捉したと述べている。

この記事は読者を驚かせはしたが,追跡記事もなく,国民の関心は薄れていった。
再びICBMとUFOの関わりが浮上したのは,その
7年後の1973年に,UFO研究家レイモンド・E・ファウラーが『クリスチャンサイエンスモニター(12月5日)』紙に発表した記事からである。

彼は
1966年8月,ノースダコタ州のミニットマンサイト地下発射管制施設の一つに勤務していた米空軍将校と面談していた。
それによると,その時,レーダー操作員たちは基地上空100,000フィートで活動する1個のUFOを捕捉した。担当士官の説明によると,LCF(発射管制施設)の高性能な無線装置の発射指示を調整するセンサーからの伝達が,UFOの上空浮遊によって妨害されたのだという。
その士官は「物体出現の前後では無線装置が完全に作動していたことを強調し,あの遥かな高度(100,000フィート)から装置を誤動作させることなど,地球上では考えられない」と語った。

【参考文献】
『UFOと核兵器』(第6章/核ミサイルへの接近とは何か?),2011年,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>Wikipedia(第91ミサイル航空団 (アメリカ軍))

参考外部=>Wikipedia(地球規模攻撃軍団)

参考外部=>En.Wikipedia(Minot Air Force Base)




【サイト検索キー: Minot Air Force Base, aug 1966, ufo 】
参考外部=>YouTube(Minot Air Force Base Incident 1966 August 24)

参考外部=>UFOs&Nukes(UFO Hovered Near Missile Launch Control Center at Minot AFB)

参考外部=>UFOreddit(Minot Air Force Base Incident 1966 August 24)

参考外部=>NICAP(Minuteman Site Jammed By UFO)
●クレーンビーチUFO目撃事件(アメリカ)


サイト:「ufoinfo」から
1966年9月17日,マサチューセッツ州イプスウィッチ湾(ipswich bay)近くのクレーンビーチ(Cranes Beach)沖合上空に葉巻型UFOが出現し,頭部から数個の円盤が現われた。

この日の朝,クレーンビーチ(Cranes Beach)沖合の上空に葉巻型物体が現われ静止した。
その頂部から数個の円盤が現われるのが目撃された。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第6章/核ミサイルへの接近とは何か?】2011年,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清

この日の午前4時45分
,ロナルド・マクギルバル(Ronald MacGilvary)夫妻がマサチューセッツ州のクレーンビーチ(Cranes Beach)で休んでいる時に,ゴールデンホワイト色に明るく輝く葉巻型物体が沖合上空に静止しているのを目撃した。
2つまたは3つの明るい光が,その物体から出入りしており,それらは上下にスキップするように動き回った。
これらは
約1時間観察された。
【参考サイト】
「UFOINFO(On This Day;September 17)」
【サイト検索キー: ipswich bay, Cranes Beach, September 1966, ufo 】

参考外部=>UFOINFO(On This Day;September 17)

参考外部=>NICAP(The 1966 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1966)

参考外部=>UFOdna(17 Sep 1966-Ipswich,Crane'S Beach,Massachusetts,USA)

参考外部=>UFOdna(17 Sep 1966-Cranes Beach,Massachusetts,USA)
●ワナク謎のヘリコプター出現事件(アメリカ) 1966年10月11日,ニュージャージー州のワナク・レザーヴワーで,UFOが目撃されたが,その物体が消えた数分後に謎のヘリコプターの編隊が現われた。

この夜 ,輝く空飛ぶ光がワナク・レザーヴワーの上空に目撃された。 この光は,あまりにまぶしく数分間は自分の車を見つけることさえできなかったことを,目撃者の一人であるワナクの巡査部長ベン・トンプソンが語っている。
すると,その光る物体が消えて
15分 もたたないうちに,今度は7機のヘリコプターが編隊を組んで出現し,その地域の上空を旋回した。 そして,それらのヘリコプターは,10ないし12のジェット機をともなっていた。
目撃された貯水池の周りには,UFOを見ようという熱心な連中の車が列をなして駐車していた。
巡査部長ロバート・ゴードンは,「生まれてからこれまで,この地方で同時に7機のヘリコプターを見たことはない」と当惑して語った。
科学評論家ロイド・マランが,この事件を調査し,その地方のすべての空軍基地,空港,それにペンタゴンまで調べたが, どこもこれらのジェット機やヘリコプターのことは,何も知らないということだった。
最も近い二つの基地,ニュージャージー州のマクガイア空軍基地とニューヨーク州のスチュアート空軍基地には,7機も即座に, そして同時に利用できるヘリコプターはないのであるし,速度の遅いヘリコプターがそれら二つの地点から
15分以内 でやってくることも不可能であった。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
●パーカーズバーグUFO目撃事件(アメリカ) 1966年11月2日の午後7時ごろ ,ウィストバージニア州パーカーズバーグに住むウッドロウ・デレンバーガーがハイウェー上でUFOを目撃し, 降りてきた搭乗員と言葉(テレパシー)を交わした事件。

雨が降り肌寒い日であった。営業を終えて小型バンで自宅に向かっていたウッドロウ・デレンバーガー氏が州街道77号線を通って, パーカーズバーグのすぐ外れにある長い丘を登っているときであった。
車の後ろですさまじい音がとどろいた。車が1台追い越して行った。 もう1台がその後ろからやってくるような気がしたウディ氏は,少しばかり飛ばしていたので,パトカーかと思い少しスピードをゆるめた。
後続の車は暗がりのなか,すぐにそばに近づいてきて,ウディ氏の車の前に入り込みスピードを落とした。 驚いたことに,それは自動車などではなく,"燈油ランプの火屋(ほや)"みたいな形(首の部分まで細くなって, また太くなって真ん中の部分が大きくふくらんでいた)をした,色は灰色で両端から炎がでている異様な物体であった。 その物体が進路をさえぎったので,ウディ氏はブレーキを踏み車は,2,3メートル手前で停止した。
すると,物体の扉がすっとスライドして開き,人間が1人歩いて出てきた。その人間は身長が1メートル75センチほどで, 長くて黒い髪をうしろになでつけて黒いオーバーを着ていた。 肌の色はかなり黒く,ニヤリと笑い腕組みをしたまま,ウディ氏の車に近づいてきた。声は聞こえなかったが,その人間の考えていることがウデイ氏には分かったという。 ウディ氏の名前を聞いたので教えると,自分の名前を「コールド」と名乗り,遠くに見えるパーカーズバーグの街明かりを指し,どいうところなのかを聞いたという。 テレパシーで会話をしている間,火屋形の物体は,地上12~15メートルのところに浮かんでおり,他の車が何台も2人を追い越していった。 会話が終わると,物体は空中から降りてきて,扉がひらいた。 コールドが乗り込むと,物体はたちまち音もなく上昇し夜空に吸いこまれていったという。
11月4日 にウディ氏は,パーカーズバーグのはずれにある7号線を走っていると,額に疼くような痛みを感じた。 コールド氏の考えていることが心の中に広がった。コールドは,わたしは「ガニメデ星雲」にあるラヌロスという惑星から来たのだ,と説明した。 ラヌロスは地球によく似ており,植物や動物も棲息して季節があることや,ラヌロス人の寿命などについて伝えたという。
【参考文献】
『モスマンの黙示』,1984年,著:ジョン・A・キール
●国連ビル上空UFO滞空事件(アメリカ) 1966年11月22日の午後4時20分 ,ニューヨークの国連ビル真上上空にUFOが数分間とどまった事件。

この日,大きな長方形のクッションのような形をした物体が,ニューヨーク市のイースト川上空数百フィートのところに現れた。 スピードを落としながら,その物体は国連ビルに近づき,高い国連ビルの真上に数分間とどまって,波の高い海にいる船のように,上下に動いていた。 そのうち,その未確認の物体は北東方向にすばやく高度をあげ,まもなく消えてしまった。
この不思議なUFOについては,信頼できる目撃者が何百人もいる。 その中には,ANPA(アメリカ新聞発行協会)の従業員8人がおり,彼らは3番街750番地近くの17階の窓から目撃した。 また国連ビルや他のビルの人々はもっと近くから目撃した。国連広場の歩行者たちも目撃している。
【参考文献】
『不思議な出来事』,1973年,著:エミール・シューマッヒャー,訳:中隅佑子
参考外部サイト=> SSPC(マクドナルド博士のUFO研究・第1回 1966年11月22日 ニューヨークシティー UFO事件)
●モスマン【蛾男】目撃事件(アメリカ)

『ムー(NO.41)』から
1966年後半から1967年 にかけて,ウェストバージニア州のポイント・プレザントを中心とするオハイオ渓谷一帯で,UFOと翼をもった赤い目の怪物 (通称=蛾男【モスマン】)が目撃された事件。

1966年11月5日の夜11時半 ,第2次世界大戦中の爆薬工場地帯跡の敷地内をを2組の若夫婦がドライブしていると, 暗闇の中に身長が2メートルくらいの無気味な怪物を目撃する。赤く輝く2つの眼で,色は灰色っぽく,人間のように足で歩いていた。 化け物はコウモリみたいな翼を広げて垂直に飛び上がり,羽ばたきひとつせず,時速160キロで逃げる4人の車の真上にくっついて追いかけてきた。 その化け物は,町境まで追いかけてきたという。
この「鳥人」の話題は,オハイオ川流域地方にあっという間に広がり,ある編集者が,テレビ番組『バットマン』からヒントを得て, 「モスマン」(蛾人間)と命名し, この事件は一躍有名になった。
同年11月17日 ,16歳の少年が爆薬工場跡からそう遠くないところで,車を運転中に,赤い目をした巨大な鳥に2キロほど追いかけられた。
翌18日 には2人の消防士が,工場の跡地で「バカでかい鳥」を目撃している。
また
20日の夜 には,5人の若者の乗った車のヘッドライトが石切場の横に立っている人間ほどの大きな鳥のような生物を照らし出している。
1966年から67年末 までに約1000件もの目撃例がある。 近距離で目撃した人たちの証言は,その怪物は,”灰色をしている”,”体には羽毛がない”, ”人間かそれ以上の大きさ”,”広げた翼の長さは3メートルくらい”と 基本的に一致していた。
【参考文献】
『ムー(NO.41)』,1984年【”モスマン現象”は超地球人のしわざか!?・文:植松靖夫
『モスマンの黙示』,1984年,著:ジョン・A・キール,訳:植松靖夫
参考外部サイト=>Wikipedia(モスマン)

参考外部サイト=>NAVERまとめ(名優リチャードギアが主演。呪いか?UMAか?モスマン事件を題材。 「プロフェシー」)

参考外部サイト=>ムーPLUS(UMAの基礎知識/モスマン)

参考外部サイト=>未確認生物大陸(モスマン)

参考外部サイト=>オカルトNEWS★かすぽ(蛾人間モスマンが目撃される)
1967年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●アンドレアソン一家宇宙人遭遇事件(アメリカ)


★アンドレアソン夫人とドアを通りぬけて現れたクアズガ
『宇宙人の死体写真集』から
1967年1月25日 ,マサチューセッツ州のサウス・アシュバーンハムに住むアンドレアソン一家は,5人の宇宙人の侵入に遭遇した。

夕方の6時30分ごろ,ベティ夫人は台所で夕食の後かたずけをしていた。 突然,電灯がまたたき停電になった。すると,台所の窓からピンク色の光がさしこんできた。その光は,赤,オレンジと変化し脈動を始めた。
不思議に思っているベティ夫人の目の前に,5人の宇宙人がしまっているドアを通りぬけて一列になって侵入してきた。 宇宙人たちは,身長が1メートルほどで,西洋ナシを逆さにしたような頭をしており,鼻と口が小さくて,大きな目はつりあがって怪しく光っていた。 そして,全員がダークブルーのユニフォームを着て,同じ色のブーツをはいていた。
宇宙人たちは,夫人にテレパシーで話しかけてきた。リーダーはクアズガという名前で,心配することはないことを告げたという。 クアズガは,地球人救済のため夫人に一緒に来るよう頼んだ。不思議なことに,家族の者は凍りついたように静止していたという。
信心深いベティ夫人は,彼らを天使だと思い,家の外に着陸していたUFOに乗り込んだ。
夫人は,奇妙なトンネルを通って,赤の世界や緑に世界へと連れていかれた。 緑の世界には海や都市,巨大な鳥もいた。そのあと,夫人は緑の世界から赤の世界,トンネルを逆行してUFOの内部に戻ってきた。
そして,自宅に連れ戻されたときには
10時40分になっていたという。 家族全員がずっと凍りついたままだった。宇宙人は,時間を自在にコントロールできるらしく,光る球を手の甲に乗せると家族の者は動きだした。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三(赤や緑の別世界を訪れたアンドレアソン夫人)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ベティ・アンドレアソン事件 )

参考外部サイト⇒怖話(ベティ・アンドレアソン事件)

参考外部サイト⇒レオナルド・ダ・ヴィンボの幸せ日記(≪ベティ・アンドレアソン事件≫)
●マルムストロム基地ミサイル(ICBM)シャットダウン事件(アメリカ)


(★エコーフライトの配置を示す。中央の黒丸がLFC(発射管制施設)で,エコー1とも呼ばれる)
『UFOと核兵器』から
1967年3月16日,モンタナ州のマルムストロム空軍基地(Malmstrom Air Force Base)のエコーフライト発射管理センターのミサイル(ミニットマンT型)発射台上空に赤く光った複数のUFOがホバリングしているのが目撃され, ミサイルの制御システムが,次々とシャットダウン(機能停止)していった事件。


新型ミサイルのミニットマンT型とU型の発射施設(LF)は,地下コンクリートと鋼鉄のサイロによって防禦されている。各サイロは,数マイルの距離で隔てられ,ソビエトからの核攻撃の生き残りに備えている。
ミサインルは,10個の小隊(Flights)で組織され,各小隊にはアルファベット順に呼び名が付けられている(例えば,アルファ,ブラボー,チャーリー,デルタ等々)。
発射管制カプセル(LCC)は,地中ケーブルで連結され,地下に配置された小型の各ミサイルは,
24時間の警戒態勢下にある2名一組の発射担当士官に掌握される。
いったん戦争状態になり,命令を受けると,士官たちは2個のキーを回して,彼らの10基のICBMを発射させる手順である。

(★広大な敷地に展開するマルムストロム空軍基地のミニットマンミサイルサイト)
『UFOと核兵器』から

この朝,メンテナンス員と警備員たちが2つの発射施設で勤務に就いていたが両方のグループから,上空にUFOを目撃したという報告が入った。
午前8時45分ごろ,ミサイルのどれかが停止したことを知らせる警報が響いた。エコーフライト(エコー小隊;Echo Flight)のLCF(発射管制施設)に入り警戒待機中のエリック・カールソン(Eric Carlson)大尉とワルト・フォーゲル(Walt Figel)中尉が頭を悩ませているうちに,中尉の担当ミサイル10基すべてがシャットダウン(機能停止)し,操作不能となった。
停電などではなくミサイルのすべての誘導・制御システムにエラーが生じていることがわかった。 どのミサイルも他のミサイルとは連動しておらず,すべてが操作不能になることが考えられなかったという。
ミサイル機能停止発生の直後,発射士官たちはUFOが目撃された発射施設に2班の保安警戒班車両を派遣した。しかし,彼らが到着する前にUFOは離脱し,各サイトの整備保安要員は,ミサイル・サイロ上空で空中静止する複数のUFOを見上げた。
このミサイル機能停止事件は1週間後の
3月24日に同じ基地内のオスカーフライト(オスカー小隊;Oscar Flight)のLCF(発射管制施設)でも,6基から8基のミサイル障害が発生した。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
『UFOと核兵器』【第7章/マルムストロム空軍基地ミサイル機能停止事件】,2011年


サイト:「YouTube(What Disabled Missiles at Malmstrom Air Force Base? )」から


この事件に関する公的記録は,UFO研究家のジム・クローツ(James Klotz)によるFOIA(情報自由公開法)に基づく情報請求によって,
1995年に機密解除された。
エコーフライトのミサイル機能停止の調査結果について,ジム・クローツは,
「各サイト間のケーブルシステムに誘引された,ある種の未確認ノイズがミサイルの発射機能停止の原因となり,その影響が多数のLF(発射施設)システムに伝播したものと推測されるが,その原因となった"ノイズ"が,地下深く埋設され堅く防御されたケーブル内に,どのようにして入り込んだのかが,最大の謎である」と述べている。

1967年3月のある夜,マルムストロム空軍基地オスカーフライトLCF(発射管制施設)で警戒態勢にあった,当時空軍中尉だったロバート・サラス(Robert Salas)は,突然サイトの安全管制からの緊急連絡を受けた。
LCF付近の上空で活動する不思議な発光体が,数名の警備員によって目撃されたという。サラスは,LCFの地下60フィートにあるLCC(発射管制カプセル)におり,地上ので様子を見ることはできなかった。
空軍保安警察からの電話は,明らかに恐怖の叫び声で,1個のUFOがフロンゲートの外側に空中静止して赤く輝いていて,仲間が1人負傷したというところで,電話は切れてしまった。
サラスは,上官のフレッド・メイワルド大佐に地上でのことを報告した。報告中に,狭いカプセル内に最初の警報の音が聞こえた。メイワルド大佐がシステムに問い合わせる前に,今度は別の警報が鳴り,
数秒後には次々と6基から8基のミサイルが機能停止状態に陥った。
サラスが地上の警備員に電話をすると,UFOに接近して負傷した隊員は重症ではなく,ヘリコプターで基地に搬送されたという。サラスはカプセルを出て,エレベーターで地上に出て,警備員に直接UFOの件を聞いた。UFOは1個の赤く輝く円盤型だったと語り,それはゲートの外側で音もなく空中静止していたと繰り返した。 そのUFOは高速で飛び去ったという。

サラスによればによれば,ミニットマン・ミサイル1基の誤動作さえ,"極めて稀なこと"なのに,一斉に多数のミサイルが機能停止に陥った異変は,2人の士官を茫然自失にしてしまうほどの信じがたい事件であったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第7章/マルムストロム空軍基地ミサイル機能停止事件】,2011年



(★James Klotz, Walt Figel, Robert Salas; Denver MUFON Conference 2007)
サイト:「SpiralGalaxy.org」から



サイト:「UFO Casebook」から
参考外部=>En.Wikipedia(Malmstrom Air Force Base)

参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部⇒きよりんのUFO報告(核ミサイル基地の誤動作事件)

参考外部=>NICAP(The 1967 UFO Chronology)

参考外部=>BigSkyWords(A History of UFOs in Montana)

参考外部=>YouTube(UFO over Malmstrom AFB)

参考外部=>SpiralGalaxy.org(MyEvidence)



【サイト検索キー: Malmstrom AFB, 1967, ufo 】
参考外部=>UFOs&Nukes(The Echo and Oscar Flight Incidents)

参考外部=>YouTube(Robert Salas(06-16-05)1967 UFO Missile Shutdown at Malstrom Air Force Base)

参考外部=>YouTube(What Disabled Missiles at Malmstrom Air Force Base?)

参考外部=>UFO Casebook(1967-The Malmstrom AFB UFO/Missile Incident)

参考外部=>CUFON(The Malmstrom AFB UFO/Missile Incident)

参考外部=>GreatFallsTribune(Mansch On Montana:UFO sighting still resonates)

参考外部=>CBS News(Ex-Air Force Personnel:UFOs Deactivated Nukes)
●ベルト峡谷UFO着陸事件(アメリカ) 1967年3月24日,マルムストロム空軍基地のオスカーフライトのミサイルが機能停止(マルムストロム基地ミサイルシャットダウン事件)した同日に,モンタナ州ベルト(Belt)の町近郊を走っていたトラックの運転手が,ドーム型UFOを目撃した。

マルムストロム基地近くにあるベルト(Belt)の町近郊の国道87号線を走っていたトラックの運転手のケン・ウィリアムス(Ken Williams)は,ハイウェイに続く深い峡谷に着陸した光るドーム型の物体を見たと報告した。
彼は物体をもっとはっきり見ようと,トラックを降りて歩いて近づいたが,不思議な物体は,彼が近づくと音もなく上昇し,移動してまた着陸したという。

ロバート・ジャミソン(Robert C. Jamison)は,
1967年のマルムストロム基地ミサイル機能停止事件について,公式発表した人物である。
彼は,
1967年3月のある日の夕刻近く,ミサイル整備ハンガーからの緊急連絡を受けた。ミサイル照準士官の彼は,オスカーミサイルの機能停止の連絡を受け,約10分以内にMIMS(ミサイル整備中隊)管制センターに出向き,そこにおいて,ミサイルが誤動作したのはUFOに関連あるらしいとの噂を聞いた。
彼が,ハンガーで隊員たちの無線連絡を聞く中で,基地からさほど遠くない峡谷にUFOが1個着陸したということを聞いた。オスカーフライト(Oscar Flight)のミサイル機能停止は,
その当日,同じ夜に発生したものだという。
ジャミソンによると,オスカーフライトが機能停止した夜に,峡谷へ降下したUFOに対して,それを監視した数人の空軍要員は,現場が急傾斜であったため誰もそこへは降りられず,ヘリコプターを降ろそうとしたが夜明けとともにUFOらしき物体は離陸してしまったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第7章/マルムストロム空軍基地ミサイル機能停止事件】2011年,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清


サイト:「BigSkyWords」から
参考外部=>En.Wikipedia(Malmstrom Air Force Base)

参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>NICAP(The 1967 UFO Chronology)

参考外部=>BigSkyWords(A History of UFOs in Montana)

参考外部=>YouTube(What Disabled Missiles at Malmstrom Air Force Base?)

参考外部=>YouTube(UFO over Malmstrom AFB)



【サイト検索キー: Belt montana, 1967, ufo 】
参考外部=>UFO dna(24 Mar 1967-Belt,Montana,USA)

参考外部=>NICAP(UFO sightings at ICBM sites and nuclear Weapons Storage Areas)

参考外部=>NICAP(Dome-Shaped Object Lands In Ravine)
●スティーブン・ミシャラク無人UFO遭遇事件(カナダ)
【ファルコン・レイク事件】



★ミシャラクによるUFOのスケッチ
『超常UFO宇宙人事件』から
1967年5月30日,銀鉱脈を捜していたスティーブン・ミシャラク(Stephen Michalak)がカナダ・マニトバ州ホワイトシェル森林地帯にあるファルコン湖(Falcon Lake)で, ドーム形UFOに遭遇した事件。着陸した円盤の機体に触れたミシャラクは火傷を負い,放射線被ばくの症状が出た。
当時51歳のミシャラクが昼食をとっていると,上空に真紅の光が出現し,それはやがてふたつの円盤形の光になった。 ひとつは飛び去ったが,もうひとつは近くの岩場に着陸した。円盤は,色をさまざまに変えて灰色になり,最後はステンレスのような質感になった。
直径は約10メートル,上部に円形のドーム,機体の横には通風孔のようなものが付いている。 硫黄臭がして,機体からはシューという音が聞こえた。開いたハッチから中を覗くと,誰もいず,さまざまな色の無数のライトがついたパネルがあり,ライトが不規則に点滅していた。
ミシャラクが機体に触れるとはめていたゴムでコーティングされた手袋が一瞬にして溶けてしまった。 直後に,強烈な熱風が彼を襲った。胸に焼けつくような痛みが走り,上着が燃え上がった。 同時に円盤は,機体の横から熱風を噴出し,あっという間に飛び去った。
彼は,激しい頭痛や吐き気に襲われ,病院に駆け込み治療を受けた。 放射線被ばくの症状がでていた。彼が回復したのは,UFOとの遭遇から
6か月後 のことであった。
【参考文献】
『超常UFO宇宙人事件』2014年,著:並木伸一郎
参考外部サイト⇒ ムーPLUS(スティーブン・ミシャラク事件)

参考外部サイト⇒ 青の世界へようこそ( スティーブン・ミシャラク事件 UFOに触れた男 The man who touched the UFO)

参考外部サイト⇒ NAVERまとめ(【1967年】ミシャラク被爆事件)

参考外部サイト=>おに怖ニュース(着陸していたUFOに接触を試みた事件「ミシャラク事件」)

参考外部=>Howstuffworks(The Falcon Lake Incident)

参考外部=>Wikipedia(英語版:UFO sightings in Canada)



【検索キー:falcon lake ufo
●ロニー・ヒル少年宇宙人遭遇事件(アメリカ)

『UFOと宇宙』NO.10から
1967年7月21日 ,アメリカのノースカロライナ州のロニー・ヒル少年(14歳)が,着陸した飛行物体から現れた小人の宇宙人を写真に撮った事件。
この日の午後 ,自宅の裏庭で作業をしていたロニー少年は,ガスのような変な臭いを感じた。目がチクチクして涙が出てきた。いつのまにかまったく無音だったという。15分くらいたったとき,ブーンという音がして,ガスのような異臭が強まった。そして空中に黒い帽子のような形をした物体が浮かんでいるのに気づいた。それを見ていると,目の端になにか動いているものがある。それは,直径が2.7mほどの白い球体で,それが飛び回っていた。
証拠がないと誰にも信じてもらいないと思い,ロニー少年は走って家の中からカメラを取って戻ってきた。球体は着陸しており,5秒ほど見ていると耳がいたくなるような音を聞いた。するとその球体の背後から,銀色のスーツを着た宇宙人らしき人物が現われた。その人物は身長が1.1~1.2メートルで銀色のスーツをまとい,体に比べて頭が大きかった。そして,右手に黒いジョウゴ形の物をもっていた。ロニー少年が見ていると,宇宙人は右手にもっている黒い物体をいったん地面に置いた。そして,またすばやく拾いあげて尻のあたりにしまうと,体の向きを変えて白い球形物体のうしろへと姿を消した。
宇宙人が球体に姿を消すと,球体の底から青く明るい炎が噴射され,ゆっくり空中に浮かんでいった。 ふたたび,帽子型の黒い大型UFOが出現し,白い球体UFOを収納して,ものすごいスピードで飛び去ったという。

小人宇宙人を目撃していたとき,ロニー少年はブーンというかすかな音を耳にしたというが,それがどこから出ているかはわからなかった。
また,小人宇宙人の動作は,ゆっくりとよろよろした感じで,体の向きを変えるときはこわばった脚を振り回していた。ロニー少年との距離は4.5m程度だったという。撮った写真は1枚だけであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.10)』,1975年【銀色の服を着た宇宙人・文:高梨純一

『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三
『【完全版】世界のUFO現象』2011年,著者:並木伸一郎
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ロニー・ヒル事件)

参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(いたいけな少年が撮影した「小人宇宙人」〜「ロニー・ヒル事件」)
●キュサック村小人宇宙人目撃事件(フランス)

1967年8月29日,フランスのロンタル州のキュサック村で,牧畜の手伝いをしていた2人の子供たちが,球形のUFOと小人の乗員を目撃した事件。
キュサック(Cussac)村は,サン・フルール(Saint-Flour)の町から西南におよそ20kmほどのところにある。
兄のフランソワ(13才)と妹のアンヌ・マリー(10才)は,夏休みなのでこの日,牛の面倒を見ていた。そこは,広々とした牧草地で,そばに細い川が流れさやさやと音を立て平和な世界だった。
午前10時半ごろのことである。兄のフランソワが,牛の群れが落ちつきを失い不安そうな気配をみせていることに気づいた。牛たちは,妙に神経質な感じで隣りの牧草地へと遠ざかっていく。
フランソワは急いで牛の群れを追いかけ,元いた場所の方へと引返させようとした。
このとき,フランソワは近くの木立の辺りから,不思議な光線がさしてくることに気づいた。見ると,まぶしい光を放つ直径が40m位の球形の物体が,息づくように震えていた。 そして,その前方を,人間らしい黒いシルエットが動いていた。普通の人間よりかなり背が低いように感じた。
フランソワは妹の手をひっぱってその変てこな物体の方へと近寄っていった。2人は,その正体を見てやろうと
1分間ほど道ばたに立ちどまった。
そして,そのシルエットの小人を,近くの子どもかもしれないと思ったフランソワは,大声で声をかけてみた。 身長が1mぐらいの小人たちは,しきりと地面をのぞきこみ,何かをさがしているようだったが,フランソワの声を聞くと,びっくりしたように顔をあげた。
このとき,2人はまったく眼をうたがいたくなるような不思議な現象を見た。 小人たちは,音1つ立てず,すーっと空中に舞い上がり,光り輝く球形の物体の中に吸いこまれるように,頭から入っていったのだった。
全部で3人の小人が球体の中に入ると,今度は4人目の小人がひょっこり出てきて地上に降り立つと,何か忘れものでもしたように,地面から何かを拾い集めた。
その間にも球形の物体は,輝きをぐんぐん増してゆき,眼が痛くなるほどにまぶしく輝いた。
球体は地上15mほどのところまで上昇していた。4人目の小人は地面からまだ何かを集めているようで球体に乗り遅れたようであった。
球体は突然,ヒューッと笛のような音を立てた。そして,カンタルの方角へと消えていった。
(UFOに乗り遅れた4人目の小人がどうなったは不明)
急いで家に帰った子供たちは,異常な現象を聞いた父親と,現場を再度訪れた。 しかし,何の痕跡も見つけられなかったが,その辺一帯には今まで嗅いだこともないような変な匂いが充満していた。強いて言えばそれは,硫黄臭に近いものだった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.32)』,1978年【空飛ぶ円盤とオカルティズム・文:平野威馬雄
●ファビオ・ディニーシュUFO乗員遭遇事件(ブラジル)
【バレイア事件】



★着陸していたUFO

★乗員のスケッチ

★乗員が持っていた武器らしい装置
『宇宙人の死体写真集』から
1967年9月14日,ブラジルのミナスジェライス州のバレイア(Baleia)(州都ベロオリゾンテの西方にある)で,学生のファビオ・ディニーシュがフットボール場で着陸しているUFOと武装した乗員に遭遇した事件。
ディニーシュは,この日の昼前,バレイア病院に隣接するフットボール場で,マッシュルームのような形をしたUFOが着陸しているのを目撃した。色は茶色で,直径が約20メートル,円筒形の部分は黒く輝いていて,幅3メートル,高さは2メートル以上あった。
彼が近づくとドーム状のふちの部分から,透明なスクリーンが下りてきて,UFOの底部の円筒形の部分をすっぽりおおってしまった。円筒形のところが開き,二人の乗員が肩を並べるように出てきた。
乗員は人間そっくりで,身長が2メートルぐらいあり,潜水服のような緑色の服で体をすっぽりおおっていた。目は大きく,両目は離れており白目にあたるものがなかった。眉は三角形で太い。顔のした半分は隠されていた。顔の下の部分からチューブが出て右足のかかとに伸びていた。そこから,また上に伸び首のつけねにつながっていた。指は太く4本しかないように見えた。
ディニーシュが思わずあとずさりすると,乗員の一人が,ポルトガル語で話しかけてきた。それは,命令口調で,「逃げるな!戻ってこい!」というようなことを言った。ディニーシュからの距離は,5メートルぐらいだった。続けて「あした,ここにやってこい。さもないと,おまえの家族をさらってしまうぞ」と言った。
もう一人の乗員は,右腕にかかえている武器のようなものでディニーシュに狙いをつけていたが,ディニーシュに話しかけてきた乗員が合図をすると,二人は向きをかえて,UFOに引き上げていった。
そして,スクリーンが上がると,UFOはゆっくりと音もなく上昇していったという。
彼らは,足を地面から高く上げて,大股で歩いた。かかとが鉄かなにか固いものでできているようで,歩いたあとの地面は草がおしつぶされていたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三(ブラジルに武装したヒューマノイドが出現)
参考外部サイト⇒GA Site(バレイアに出現した怪人 第1話 ウルヴィオ・B・アレイショ)
●スパーゴーUFO遭遇事件(オーストラリア) 1967年10月30日(月曜日)の夜9時ごろ ,実業家のA・R・スパーゴーが,西オーストラリア州のボイアップ・ブルック(Boyup Brook) の近くでドライブ中に,UFOから発する光の束に拘束された事件。
ドライブ中の彼の車が突然止まり,車のライトとラジオの音が消えた。まぶしい光の束が彼に集中されているようだった。 それは,木のてっぺんの上空,地上から推定100フィート(約30m)のあたりを舞っている直径30フィート(9m)を超えるマッシュルーム型の飛行体から出ていた。 その物体は,玉虫色の青味がかった光で輝いていた。光の束はその物体から,40度の角度で下に向けられていた。
スパーゴーは,その光の束のなかに拘束されているように感じた。 その光の束は直径が2ないし3フィート(60〜90cm)で,外側が輝いていた。そして,その光束のチューブの内側には輝きがなかった。 彼は,そのチューブを通して何者かに観察されているのだと感じたという。しかし,彼は少しも不安を感じず,特に何か考えていたかどうかはおぼえていないという。
5分ぐらいして,電灯のスイッチを切ったかのように,その光の束は消えた。 飛行体の色が薄くなったように見え,その物体は急に速度を早め,西の方角に消えていった。
つぎに彼が我に返ったのは,自分が道路に沿って車を走らせていることだった。彼は,物体が去ったあとに,車をスタートさせたことを全く思い出せなかった。 あとで,彼は自分の腕時計(高価なオメガのクロノメーター)がわけもなく
5分 遅れていることを発見したという。
彼は,これらのできごとを当局に報告し,自発的に精神医学的テストを受けたという。

【参考文献】
『UFO超地球人説』1976年,著者:ジョン・A・キール
●シャーマー警官誘拐事件(アメリカ)

★シャーマーによる宇宙船船長のスケッチ
『宇宙よりの来訪者』から
1967年12月3日の深夜,パトロールに出たハーバード・シャーマー(Herbert Schirmer-当時22歳)警官は,ネブラスカ州のアシュランド(Ashland)郊外のハイウェエで道路上に円盤型物体に遭遇した。

物体にライトをあてると,物体は下から噴射炎をだし飛び去ったが,署にもどった(
午前3時ごろ)シャーマーは20分の時間がなくなっていたことに気づく。その後頭痛も消えなかった。
この事件は,コンドン委員会の調査対象となった。シャーマーは,
20分の記憶を取り戻すため心理学者と催眠術師からの治療を受けた。催眠術からのシャーマーの証言によると,彼は円盤内に連れこまれ,いろんな質問を受けたらしい。
【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)(No.3)』,1973年【円盤の中に連れこまれた男・文:南山宏
『宇宙よりの来訪者』,1977年,著者:ロイ・ステマン
『ムー(No.6)』,1980年【"第4種接近遭遇"事件の謎を探る!!・構成:南山宏,文:並木伸一郎
参考外部=> 怖話(【1967年】シャーマー事件)


(UFOをスケッチするシャーマー警官)
『宇宙よりの来訪者』から

参考外部=>NebraskAmazing(Nebraska UFOs)
●ミセス・マレーUFO遭遇事件(アメリカ) 1967年12月12日(火曜日)の午後7時ごろ ,ニューヨーク州イサカ(Ithaca)のミセス・リタ・マレーが,ルート34沿いの道でUFOに遭遇し,乗っている車のコントロールをUFOに奪われた事件。 UFOは,どういうわけか,彼女の友人の自動車事故を知らせてくれた。
ミセス・マレーは,5歳になるむすこをバックシートに乗せて,自宅に向かっていた。彼女は,自分の車のあとをつけているように見える赤い光に気がついた。 少しスピードを出しすぎていたと感じた彼女は,州警察のパトカーに車を寄せるように言われているのだと思った。
だが,窓の外に目をやると,その光は,左側の送電線の真上に沿って動いていた。 そして,車がいつの間にか,その光に先導されて,コントロールできないことに気がついた。 不安げにむすこのからだを支えるように叫んだが,彼はじっとしたまま,ある種の恍惚状態にはいっているかのようであった。
車は,ひとりでに路肩に寄り,土手を跳び超えてムラサキウマゴヤシの畑に突っ込んで止まった。
物体はくるくる回る白い光線を照射し,ぶんぶんという音をだしていた。不思議な声がきこえ始めた。 その声は,男のようでも女のようでもなく,不完全でぎごちなく,国連での演説を通訳が繰り返すような感じの声であったという。
そして,その声は彼女の友人の名前を言って,その友人が数マイル先でおそろしい事故に巻き込まれていることを告げた。
車がまた動き出し,畑を出て,何もなかったかのように道路に戻った。すると,車はコントロールできるようになり,彼女はまっしぐらに家に戻ったという。
翌日,彼女は,彼女の友人が前の晩,大変な自動車事故にあったことを知った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
1968年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●エイモス・ミラー事件(ニュージーランド)
【UFO殺人光線事件】
1968年2月2日,ニュージーランドのオークランド市郊外に住む牧場主のエイモス・ミラーが畑の柵を修理中に,突然現れた円盤(上部に円錐形の塔のようなものがついていた)に近づいたところ,その円盤から発せられた光線により射殺された事件。
頭皮が額から後頭部にかけて溶けたように消失していた。

【参考文献】
『超常UFO宇宙人事件』2014年,著者:並木伸一郎
参考外部サイト⇒ 超常メモ(エイモス・ミラー事件)

●ボリビア怪人事件(ボリビア)
1968年の1月〜3月ごろ(日付不明)の夕方6時ごろ ,ボリビヤ南西部のヴュニの近くの小村オトコで,バレンチナ・フローレンスという婦人が,家畜囲いの中にいた不思議な怪人に遭遇した事件。 その怪人により多数の羊が殺された。
フローレンス婦人は,羊とラマの群を家畜囲いへ,つれ帰ろうとして外へ出た。このラマは農場から1キロ離れた場所にいた。 彼女はすでに囲いの中へ羊を入れたので,残りのラマたちをつれて帰途についた。 家畜囲いに着いたとき,その家畜囲いがプラスチックに似た材料の奇妙な網で覆われているのを見て,彼女は,飛び上がらんばかりに驚いた。 しかも囲いの中で身長1メートル10センチ位の不思議な人間が動きまわっていた。この不思議な人間は,端にカギのついた管状の道具で羊を殺していた。 羊泥棒に違いないと思った彼女は,怪人に石を投げつけた。すると怪人はラジオに似た小型器具の方へ歩み寄り,その上部の輪を廻して急速に網全体を引き寄せた。 彼女は,こん棒を手にして囲いに近づき,怪人を打ちのめしてやろうと思い向かっていくと,怪人の方から,あの鋭い道具をもって彼女にたちむかってきた。 相手は彼女をめがけて道具を投げつけたが,そのたびに道具は典型的なブーメラン運動を行ない,彼女の腕を切りつけては急速に相手の手許へ帰っていった。 だが切り傷のどれもひどいものではなかった。やがて怪人は網を吸い寄せた例の機械と,多数の羊の臓器を入れていたプラスチックのような袋を急いで寄せ集めた。 怪人が背負った装置の両側から2本の延長物が飛び出て,地面にとどいた。 同時に,怪人は空中へまっすぐに上昇を始めて,すさまじい音響を発しながら消えて行った。 34頭の羊が殺されていて,そのどれも消化器官のある部分がなくなっているのがわかった。 近所の人は,彼女は正直な人なので,確かに異常な何かを見たのだということになった。 アヤラ大佐の息子が彼女の説明を聞いて,スケッチをし,それが地方新報に載った。

なお、この怪人はモングッチ事件で撮影された宇宙人とかなりの類似点があるという。
【参考サイト】
GA Site(ボリビアの凶暴な怪人)
参考外部サイト⇒GA Site(ボリビアの凶暴な怪人)
●バリローチェ空港謎の飛行機目撃事件(アルゼンチン) 1968年7月22日(月曜日)の午後2時ごろ ,アルゼンチンのバイアブランカ市郊外にあるサン・カルロス・デ・バリローチェ空港上空に,不思議な動きをする謎の飛行機が目撃された。
その謎の飛行機は,快晴の空を高度200フィート(61m)で飛行場をゆっくりと旋回し,着陸に備えているようであった。 空港従業員を含む多数の目撃者たちが,やっていたことを放り出してこの飛行機を見つめた。 その飛行機の胴体は異常に長く,主翼である三角翼の大きさが,その航空機を支えるにはあまりにも短すぎるように,目撃者全部が感じたという。
そして,その飛行機は,翼の大きさにしては,空中をあまりにもゆっくりと動いた。
空港の管制官がその飛行機とコンタクトしようとしたが,何の応答もなかった。 その飛行機に向けて緑色のライトが点滅され,着陸許可の信号が出されたが,巨大な謎の飛行体は,飛行場をゆっくり回りつづけた。
28号滑走路の端に到達したとき,その飛行体は突然,縦軸に沿ってくるりと回転し,おどろくほどの小さいスペースで360度ターンしたのであった。
空港従業員のうち,だれ一人として,この飛行機の型式やデザインを確認することができなかった。 3つの小さい黒い四角と胴体についている大きい四角以外,何のマークも標識もなかった。
数分後 ,この謎の飛行体は,スピードをあげ,南東に向かって弾丸のように飛び去った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』1976年,著:ジョン・A・キール
●レユニオン島UFO宇宙人目撃事件(フランス領)


★目撃したUFOのスケッチ
『【完全版】世界のUFO現象FILE』から



★1975年にレユニオン島に現われたUFOと宇宙人
(IIIust/LDLN no.147)
『宇宙人の死体写真集2』から
1968年7月31日の朝9時ごろ,モーリシャスとマダガスカルの間にあるインド洋上のレユニオン島のカフレ平原で, 農夫のルース・フォンテーヌ(31歳)が,楕円形のUFOとUFO内にいたミシュランマンのような宇宙人を目撃した。
この日,フォンテーヌは,アカシアの森の中にある小さな空き地でウサギの餌になる草を採っていた。突然,彼の前方25メートルほどのところに,ある物体が出現した。それは直径が4~5メートル,高さが2.5メートルほどの楕円形で,地上4~5メートルのところに浮かんでいた。
物体の両端はダークブルーで,中央の部分は色が薄くなっていて自動車のフロントガラスのように透明に近かった。 物体の上下には,ガラスのように見えるものが突き出ていた。そして,キャビンの中には身長が90センチほどの二人の人物が背を向けて立っていた。 左側の人物が振り向き,フォンテーヌと向き合う形になった。 二人は,頭から足の先までタイヤ・メーカーのミシュランの広告に出てくるタイヤをいくつもつなぎ合わせたようなスーツを着ていた。
右側の人物は,単に頭をこちらに向けただけだった。 二人がふたたび彼に背を向けると,強烈な電気アークのような閃光がきらめき,フォンテーヌのまわりは白一色になった。 熱気をともなった突風が彼を襲った。そして
数秒後に,物体は消え失せていたという。
しばらくしてから,フォンテーヌは物体のあった場所に行ってみたが,痕跡は何も残っていなかった。 憲兵隊の調査では,半径5~6メートルの面積で,かなりの放射能が検出され,フォンテーヌの衣服からも放射能が検出されたという。
また,このレユニオン島では,
1975年2月14日にもアントワーヌ・セブランという青年が宇宙人を目撃している。
それはアルニウムのような色をした,まぶしく輝く円盤から,はしごのようなものが降りてきて,小人宇宙人が3人出現したというものである。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』1991年,著:中村省三(インド洋の小島に出現した卵型UFOと小人宇宙人)
『【完全版】世界のUFO現象FILE』2011年,著:並木伸一郎(UFO内にミシュランマン?)
参考外部サイト⇒超魔界帝国の逆襲(【レユニオン島事件】)

参考外部サイト⇒GA Site(レユニオン島のコンタクトによる災難事件)

参考外部サイト⇒ゼロファイル(レユニオン島事件)





★レユニオン島の概略図。中央に目撃場所であるカフレ平原がある。
『宇宙人の死体写真集2』から
●マクマレン一家透明UFO目撃事件(アメリカ) 1968年10月18日(金曜日)の午後7時30分ごろ ,フロリダ州メダラに住むマクマレン一家が,上空に浮かぶ透明なUFOの中に二人の男がいるのを目撃した。
飼い犬がワンワン吠えたてるので,家の外を見ると,地上10フィート(約3m)のあたりを舞っている紫がかった赤色の大きさが約30フィート(約9m)の球体が見えた。 それは,完全に透明で,その中には,二人のふつうの大きさの男たちが見えた。空気中には強烈なアンモニアの臭いがあった。 二人の男たちは水平になった棒を上下に動かしていた。球体の中には,男たちと棒以外に機械的なものはなにもなかったという。
球体はゆっくり上昇して飛び去っていった。
その
数分前 には,二人の別の目撃者たちが,マクマレン家のすぐ北側のメダラ小学校の校庭から上昇していく輝く光を見ていた。
また,
このころ ,この地域ではいくつかの謎の爆発があった。
【参考文献】
『UFO超地球人説』1976年,著:ジョン・A・キール
●マイノット空軍基地B-52UFO目撃事件(アメリカ) 1968年10月24,ノースダコタ州マイノット空軍基地(Minot Air Force Base)で,空中にあるB-52爆撃機とミニットマン・ミサイルサイトで同一のUFOが目撃され,レーダーにも捕捉された事件。


新型ミサイルのミニットマンT型とU型の発射施設(LF)は,地下コンクリートと鋼鉄のサイロによって防禦されている。各サイロは,数マイルの距離で隔てられ,ソビエトからの核攻撃の生き残りに備えている。
ミサインルは,10個の小隊(Flights)で組織され,各小隊にはアルファベット順に呼び名が付けられている(例えば,アルファ,ブラボー,チャーリー,デルタ等々)。
発射管制カプセル(LCC)は,地中ケーブルで連結され,地下に配置された小型の各ミサイルは,
24時間の警戒態勢下にある2名一組の発射担当士官に掌握される。


この日の午前2時15分,ミニットマンLF(発射施設)のO-6に配置されていたミサイル保安野営班から,見晴らしのよい場所から1個のUFOが目撃されたことが報告された。UFOは木々の後ろに飛行し視界から消えた。
午前2時30分,第91ミサイル整備中隊(MIMS)所属の2名のミサイル技術員,ロイド・アイレー(Lloyd Isley)上等兵とロバート・オコーナー(Robert O'Connor)上等兵は,ミニットマンLF(発射施設)N-7に行く途中,東の空に異常な光体を目撃した。それは,O-6で目撃されたUFOと同じもののように見えた。UFOは,その後弱い緑色の光に変化して,ぼんやりとした琥珀色になった。
報告を受けたFSC(航空保安管制官)と2名の保安警備員が,ノベンバーLCF(発射管制施設)からUFOを目撃した。UFOは,非常に明るく,急加速移動でき,さらに静止滞空能力もある,と報告している。
N-7に派遣された,SAT(保安警戒班)2名は,別のUFOが東に現われ,LF(発射施設)付近の最初の物体の方に飛んでいき,2個のUFOはしばらくお互いの周りを回っていたが,1個が突然消失したと報告している。

一方,
10月24日の夜明け前,訓練ミッションを終えて,マイノット基地に帰投してきたB-52のパイロットは,基地のRAPCON(レーダー進入管制)センターからの無線で,異常な"オレンジ色の発光体"を探すよう指示を受けた。
それは,ミニットマンLF(発射施設)のO-6とN-7付近で,ミサイル保安班とミサイル整備班がUFOの目撃を報告したのと同じ時間帯だった。
RAPCONは,基地の気象レーダーが,基地北西約38マイルのノースダコタ州ボウベルズ付近に物体を捕捉したことを,B-52のパイロットたちに伝えた。
突然,UFOはB-52に向かい,追跡をし始めた。B-52の2つのUHF無線が影響を受けた。送信機は一時的な使用不能となったが,受信機の方は影響を受けずRAPCONからの指示を聞き続けることができた。機上レーダーは物体を捕捉したが,その反射からUFOは,KC-135空中給油機と同じかそれより大きかった。UFOは,B-52を約20マイル追跡した後,離脱して飛び去った。物体がB-52のレーダーから消えると,送信機は機能を取り戻した。

B-52がマイノット基地に最終進入し始めた時,機はRAPCONにより旋回を命じられ,UFOの方に誘導された。UFOが地上か地上近くに滞空していた。RAPCONはB-52に対し,UFOの直上を飛行するよう指示を出した。
B-52の操縦教官であった,ジェームズ・パーティン(James Partin)少佐は最初UFOは,地上に小さな太陽があるように見えたという。接近すると,物体の形状がよく見えるようになった。物体はやや楕円形で光を放ち,周囲に窓のようなものがあり,少し地上から浮き上がっていたという。
副操縦士のブラッドフォード・ラニアン(Bradford Runyon)大尉は,UFOのイラストを描いた。物体は楕円形に描かれ,片方の端から筒状の突起物が出ており,筒の端から三日月形の光のスプレーが出ていた。楕円形のオレンジ色の部分は,大きな納屋よりも大きく,片方の端から出ていた筒状の部分は,納屋の横に大きな円筒型の穀物用倉庫があるような感じがしたという。

【参考文献】
『UFOと核兵器』【第9章/核ミサイル発射手順進行中!】,著者:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年



(★UFOを目撃したB-52の乗組員)

(★ブラッドフォード・ラニアンの描いたUFOのスケッチ)

サイト:「minotb52ufo」から
参考外部=>En.Wikipedia(Minot Air Force Base)

参考外部=>Wikipedia(ミニットマン (ミサイル))

参考外部=>En.Wikipedia(LGM-30 Minuteman)

参考外部=>NICAP(The 1968 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Minot Tracks Object,B-52 Sees & Tracks UFO)




【サイト検索キー: minot afb, b-52 sees, 1968, ufo 】
参考外部=>UFOcasebook(1968-Minot Air Force Base,UFO Hovers,Seen by B-52 crew)

参考外部=>PROJECT1947(MINOT AFB B-52 UFO INCIDENT)

参考外部=>minotb52ufo(24 October 1968・MINOT AFB ,NORTH DAKOTA)

参考外部=>minotb52ufo(24 October 1968・MINOT AFB ,NORTH DAKOTA introduction)

参考外部=>YouTube(Minot Air Force Base UFO)

参考外部=>THE UFO CHRONICLES(UFOs & NUKES;A Narrative of UFO Events at the Minuteman Missile(ICBM)Complex Surrounding Minot AFB)
●ビリャレアルUFO目撃事件(スペイン) 1968年11月2日の午前4時35分,フランシスコ・マルティ・クァストロという兵士が4人の友人と一緒にサラゴサへ向けドライブ中,夜明け前にビリャレアルというところで,大きな黄色い円盤を目撃した。
全員が太陽が昇ったのだと思ったが,よく考えてみると,その物体が浮かんでいるのは西の空であった。
物体は,彼らの左側に着陸した。彼らが約500メートルの地点にまで近づくと,車のヘッドライトが消えてエンジンも止まってしまった。物体の外見は金属性のようで,大きさは屋内体育館ほどに見えた。
3分後には,音もなく上昇し,急加速して飛び去っていった。
すると,彼らの車も動きだしたという。空は曇っていたが,近くには高圧線もない場所であった。
この事件はサラゴサの軍当局にも報告された。

【参考文献】
『UFOと宇宙(No.6)』1974年,【イベリア半島のUFO着陸事件,文:ビセンテ・ホァン・バレステル・オルモス,訳:増野一郎】から
●バレイアUFO宇宙人遭遇事件(ブラジル)


★目撃者の女性が描いたUFOと宇宙人のスケッチ。円盤はドーム型でアンテナがあり,底部には階段があったという。
『宇宙人の死体写真集』から
1968年11月21日 ,ブラジルのミナスゼライス州の州都ベロオリゾンテの西方にあるバレイアで,バス旅行をしていた女性が,着陸している円盤と3人の乗員に遭遇した。
バス旅行をしていたある女性(20代前半)の乗るバスが,運転手の休憩のため,バレイア近くで停車した。
すると,彼女は道路の左手に金属製の円盤が着陸しているのを目撃した。そして,円盤の前方に身長が2メートルほどもある人物が3人立っていた。3人はぴったりした黒いスーツと黒いブーツをはいていた。スーツは,頭部もつつんでいて,顔だけがでていた。一人だけは,チューブ状の器具をかかえていた。器具は長さが60センチ,直径7センチほどで,アルミ線のようなものでラセン状に巻かれており,後ろに突起が二つ出ていたという。
そして,その3人と対決するかのように,20人以上の人々が集まっていた。その中には警官も3人いたようで銃をかまえていた。道路わきにはパトロールカーが2台駐車していた。
突然,宇宙人のかかえていたチューブ状の器具から銀色の光が放射された。群集の前にいた警官や人々がマヒしたように動きをとめた。後列にいた人々もダメージを受けたようで,気絶して倒れる人もいた。
3人の宇宙人は,ゆっくりとUFO内に戻っていった。UFOはすぐさま飛び去ったという。
彼女が目撃していた時間は
15分間 ぐらいだった。
この事件で遭遇した宇宙人は,
1年前(1967年9月14日)にバレイアで起こった,「ファビオ・ディニーシュ事件」での宇宙人と恰好や携帯していた武器が非常に似かよっている。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三(ブラジルに武装したヒューマノイドが出現)
参考外部サイト⇒GA Site(バレイアの怪人が再度出現? ニジェル・リメス)
1969年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ポンテホスUFO目撃事件(スペイン) 1969年1月6日21時ごろ,スペインのポンテホスで,中に人影が見える灰色の巨大な物体を4人が目撃した。
スペイン,サンタンデール(Santander)付近のポンテホス(Pontejos)にあるペドロサ療養所に向きあって建っている小さなカフェの台所にいた4人の男性が,この夜,そこから30メートルほど離れた地上5メートルの高さのところに,長方形をした黄色い光が浮かんでいるのを目撃した。
その黄色く光る窓の中に,一人の人影が行ったり来たりしているのがハッキリ見えた。やがてその光の窓の中に,もう何人かの人影が現われて行ったり来たりし始めたが,そのうちにそれらの人影が1ヵ所に集まったかと思うと人影が全て消えてしまった。続いて光も消えてしまったが, その光のまわりにあった,お皿にどんぶりをかぶせたような形の巨大な灰色の物体の輪郭だけは,なお見え続けた。
すると,その物体は軽々と上昇し,草や木を明るく照らしだしてから,どこかに飛び去ったという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(No.6)』1974年,【イベリア半島のUFO着陸事件,文:ビセンテ・ホァン・バレステル・オルモス,訳:増野一郎】から
●ティアゴ・マシャズ宇宙人遭遇事件(ブラジル)
【ピラスヌンガ事件】





★遭遇した宇宙人と円盤のスケッチ
(IIIust/FSR Special Issue no.3)
『宇宙人の死体写真集2』から
1969年2月5日,ブラジルのピラスヌンガ(サンパウロから北西に150キロほど離れたところにある)に住むティアゴ・マシャズ青年(19歳)が, 着陸している円盤を目撃し,そこから降りてきた二人の小柄な乗員と言葉を交わした事件。
この日の朝7時半ごろ,「不思議な物体が飛んでいる」と近所の人々が騒いでいた。ティアゴが家の外に出てみると, パラシュートのような形をした銀色の物体が丘の上に見えたので,双眼鏡を手にして,近くに住む友人二人と一緒に現場に向かった。
現場の丘の斜面に到着した彼らは,丘の下のほうを友人二人が,丘の上のほうをティアゴが一人で探すことにした。すると,丘の上を目指して歩いていたティアゴの10メートルほど前方に,直径が4メートルほどの円盤が着陸していた。円盤にはドームがあり,三本の脚のような装置を下ろしていた。
ティアゴが,よく観察しようとすると,ドームの上のほうにあるドアが開き,二人の小柄な乗員が出てきて,ふわふわ浮かぶように地面に降り立った。 そして,ゆっくりとティアゴのほうに近づいてきた。
その乗員たちは,身長が1.45メートルほどで,体にぴったりした銀色のスーツを着ていた。 ブーツには,足の中指から足首のところまで小さなボタンが並んでいた。頭はスーツと同じものですっぽりおおわれていて,頭の上に手の幅ほどの長さのアンテナが2本突き出ていた。
彼らの皮膚は黄色くて,目は吊り上がり,左目より右目のほうが下にあった。 鼻は細く長く,唇は薄く,歯は黒かった。そして彼らの手は,人間の手の平よりずっと長く,親指は下のほうについていた。
円盤の内部には,乗員があと二人いるのが見えた。降りてきた二人の乗員は,3~4メートル離れたところから,ティアゴにはわからない言葉で話しかけてきた。 声は,彼らの顎からでているチューブのようなものから出ているようであった。
ティアゴは,身振りを交えてどこからやって来たのかを質問した。 彼らも身振りで,空から降りてきたことを伝えてきたという。
途中でティアゴは,タバコを取り出して火をつけ,ふかして煙を吐き出した。その様子を見て,彼らは笑い出した。 ティアゴが,タバコの箱を放り投げると,箱は一人のやや後方に落ちた。 すると,その乗員は,後ろを振り向くことなく(彼らは,ティアゴに一度も背中を見せなかったという),体を傾けてタバコの箱に手を伸ばした。 手が地上20センチぐらいまで伸びたとき,タバコの箱が浮き上がってきて手の中におさまった。 そして,その手を太もものところに持ってきたとき,箱は手の中から消えてしまったという。
ティアゴは,彼らが円盤に乗せてくれるのではないかと期待していたが, 彼らはティアゴを警戒している様子で,ゆっくりとぎごちなく動きはじめた。
そのとき,彼の名を呼ぶ友人の声が聞こえた。 彼らはゆっくりと後ずさって円盤に向かい,ジャンプして円盤の縁に乗ったあと,ドームのドアから中に入った。 中に入るのに苦労している様子だった。
戸口のところに一人の上半身だけが見えていた。そして,その乗員は,モーゼル拳銃のようなものを抜くと,ティアゴに向け発射した。 その銃口からは溶接トーチのような小さな炎が飛び出して,ティアゴの右の太腿に当たった。 とたんに猛烈な痛みを覚えて身動きができなくなった。
円盤は,ほとんど水平に離陸すると飛び去っていったという。
友人たちが,倒れているティアゴを見つけ運んで帰った。ティアゴの太腿には指1本ぐらいの幅に赤く腫れあがっている箇所があって,まるで鞭で打たれたようになっていた。
UFOの着陸現場には,着陸脚の痕跡と思われる3つの穴があり, それぞれ直径12センチ,深さは5センチ程度で,正確に63センチの間隔があった。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者:中村省三(ブラジルの青年を光線でマヒさせた小人宇宙人)
参考外部サイト⇒Wikipedia(チャゴ少年のエンバウーラ事件)

参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(宇宙人の謎のセリフ〜「エンバウーラ事件」)
●憲兵隊員UFO誘拐事件(ブラジル)


★現れた宇宙人


★連れ込まれたUFO
(IIIust/Alberto F. do Carmo)
『宇宙人の死体写真集2』から
1969年5月4日,ミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンテに住む憲兵隊員のジョーゼイ・アントニオ・ダ・シルバ(24歳)が, 宇宙人に誘拐されUFO内に連れ込まれた事件。
彼は,前日からベベドウロ(ベロ・オリゾンテから50キロほど離れたところ)に釣りにきていた。
午後3時ごろのことである。釣りをしていた背後の草むらから怪しい人影が現われ,彼をめがけて光線を発射した。 光線は,彼の両足に命中し,とたんに足がしびれて倒れてしまった。
マスクをつけた二人が姿を現わした。二人は,身長が1.2メートルほどで,明るい色のスーツを着ていて,頭部はグレーのマスクでおおわれていた。 マスクは,頑丈そうで肩のところまであったが,スーツにはつながっていなかった。 目の部分には直径2センチほどの穴があいていて,マスクの下側からはチューブが出ており,背中に取り付けてある金属装置につながっていた。
二人は,ジョーゼイの腕をつかむと,じめじめした地面を引きずっていった。 10メートルばかり引きずったところに3人目の人物がいたが,他の二人よりも体格ががっしりして,人間によく似たプロポーションをしていた。
ジョーゼイがしばらく引きずられていくと,不思議な機体が少し傾いて立っていた。 それは,皿状をした底部に,縦長の円筒形の物体が載っていて,その上に底部より直径の大きな皿状のものが載っていた。 機体全体の高さは2メートルほどで,円筒の直径は約2.5メートルだった。
ジョーゼイは,開口部のある円筒形の部分から,その機体の中に連れ込まれた。 中はまぶしいほどの照明がされていたが,光源は見あたらなかった。 そして,ジョーゼイは,彼らがかぶっているのと同じようなヘルメットをかぶせられた。ヘルメットの小さな穴から周りの様子を観察することができた。
彼らは,わけのわからない言葉で話していた。 正面にいた人物が,左のレバーを操作すると,機体の上部で振動音が聞こえ出し,右のレバーを操作すると機体の下部で振動音がした。 そして,機体は上昇する感じがしたという。ジョーゼイは息が苦しくなり,体がぐったりしてマヒしたような感覚になった。かなりの時間,飛行を続けたあとに機体はどこかに着陸した。
ジョーゼイは,ヘルメットの上から目隠しをされ引きずられて,一辺が10~15メートルほどの四角い部屋に連れてこられた。 目隠しを外されると正面に一人の人物が立っていた。その人物は身長が1.25メートルほどで,ヘルメットも宇宙服も着ていなかった。 他の3人もヘルメットを脱いだ。みんな髪の毛が異常に長かった。髭も濃く長かった。それに太い眉毛をしていた。 口は大きく,どこか魚の口を思わせた。口を開けても歯は見えなかったという。
部屋の壁と床は,グレイで石造りのようだった。 左側の低い棚に,4人の人間が横たわっていたが,素っ裸で硬直しており,どう見ても死体だったという。 そばの壁には,動植物や自然の景色などの絵が並んでいた。
チーフらしき人物が,白い台石にスケッチを描きながら,身振りを交えてジョーゼイに語りかけてきた。 ヘルメットを外され,彼らがもってきた暗緑色の液体を飲むと,気分がよくなり,彼らの話が理解できるようになったという。
どうやらチーフは,彼を地球に戻して,情報を収集させ,その後,彼を自分たちの惑星に連れていって勉強させ, その後,彼を案内役にして地球に進出するということであった。彼はその申し出を拒絶した。
やがて,ジョーゼイは,やってきたときと同じように地球に連れ戻された。 気がつくと川のそばに倒れていて,夜明けになろうとしているところだった。ものすごく,喉が渇いていたので川の水をがぶ飲みした。明るくなり周囲を見ると,まったく知らない場所であった。 通行人に尋ねると,エスピリト・サント州の州都ビトーリアから32キロばかり離れた場所で,この道路はミナス・ジェライス州に通じているという。 日付をたずねると
5月9日の金曜日だった。事件が起きて4日半も経っていた。
ジョーゼイは,その後
1週間ばかり便秘で苦しんだ。目がやけるような感覚を覚え,視力が低下した。 胃痛や頭痛にも悩まされたが,時間がたつにつれ,快方にむかっていったという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者: 中村省三(ブラジルの憲兵隊員を誘拐した赤髭の小人宇宙人)
●雪だるまのような宇宙人遭遇事件(カナダ)
【トロワ・リビエール事件】



★池の上に浮かぶUFO


★雪だるまのような宇宙人
(IIIust/UFO-QUEBEC no.2)
『宇宙人の死体写真集2』から
1969年の7月末か8月の初め ,カナダのトロワ・リビエールの村はずれに住む3人の若者が,複数の雪だるまのような怪物に襲われた。
のよく晴れた日であった。 12歳から16歳の若者6人が,旧い57年型シボレーと小型のフォルクスワーゲンの2台の車で,ある地所内でレースをして楽しんでいた。午後の9時ごろになり,あたりは暗くなりかけてきた。
旧型のシボレーのガソリンがなくなったので,3人がフォルクスワーゲンでガソリンを購入するため村に引き返した。 残された3人は,シボレーのそばにとどまった。
ふと,一人が150メートルほど離れた,小さな池のそばに白い光を発見した。その光は一定の間隔で脈動していた。 そして,彼らは池の4.5~6メートル上空に浮かんでいるドームのある黒い物体に気づいた。
すると,黒い物体の手前にあるモミの木立の左に,発光する物体が出現し,空中にふわふわ浮かびだした。 その物体は,まるで雪だるまのような形をして,白い光をだし光っていた。それが,2体,3体と現れ,こちらに近づいてくるようだった。
3人は,シボレーの車中(前部座席)に逃げ込んだ。雪だるまのような怪物は,7体,8体と数を増やしシボレーのほうにますます近づいてきた。 怪物たちが近づくと,車内が熱を帯びたように感じたという。
たまらず,3人は後部座席に飛び込み,座席の背にあった毛布で頭を隠し,目だけを出して様子をうかがった。 怪物の体は,ボタンも金具もついてなくて,ネオン管の光のように真っ白だった。顔は卵形をしていて見分けることができたが,目も口もなかった。 身長は1.8~2.1メートルあり,地上から30センチほど浮き上がっていた。
怪物たちは,少年たちが中にいる,車のドアを開けようとして,車をゆさぶり,中をのぞき込んでいるようだった。 怪物の一人が車の屋根に上ると,圧力でメリメリいうのが聞こえた。
こうしたことが,
一時間以上にわたり続いたが,他の3人の乗るフォルクスワーゲンのヘッドライトが見えると,怪物たちはUFO(黒い物体)のほうに戻っていったという。やがて,UFOは上昇し,ものすごいスピードで飛び去っていくのが見えたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者: 中村省三(白く発光する雪だるまのような怪物がカナダに出現)
1970年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ヘイノーネン小人宇宙人遭遇事件(フィンランド)


『宇宙人の死体写真集』から
1970年1月7日 ,フィンランド南部のイムイェルヴィ近郊の森の中で, アールノ・ヘイノーネンとエスコ・ヴィーリャの2人が降下してきた円盤から現れた小箱をもった身長約90cmの小人に遭遇した事件。
森林管理人のアールノ・ヘイノーネン(36歳)と農夫のエスコ・ヴィーリャ(38歳)の2人は,スキー訓練の途中, いつもの休憩場所である森の中の空地で一息入れていた。
午後4時45分のことである。突然,彼らは,空を飛んでくる強烈な光を放つ雲に気づいた。 周囲一面には北方から来た発光する霧が漂っていた。雲は別の方角をとり,南から直接2人の方に向かってきた。ブンブン唸る音が大きく聞こえ,雲は静止した後,ゆるやかに森の空地に向かって降下してきた。 雲は赤灰色になり脈動した。
地上から15mくらいのところで,雲の中に円盤形の物体が見えた。その下側は平らで,灰色ないしは金属色に光っており,底の部分の周囲には3つの大きな半球が見え,中央には直径25cmほどの円筒があった。円盤の直径は3mぐらいに見えた。
円盤はさらに降下し,地上3〜4mで停止した。物体をつつんでいた雲がだんだん薄くなってきた。突然,中央の円筒から下に向かって光のビームが発せられ,雪のなかに直径1mほどの光の円を描いた。ヘイノーネンは一歩後方へ下がった。するとその光の柱の中に身長が90cmほどの小人が,黒い小箱を持って立っていた。
小人はやせていて腕も足も細く,顔は蝋(ろう)のように白く,鼻は鉤のような変わった形をしていた。服は明緑色のオーバーオール(大工などの仕事着)で,肘までとどく折り返しつきの手袋をしていた。全身は燐のように光り,金属的に光る尖った帽子をかぶっていた。
小人は,急に向きを変えると,小箱をヘイノーネンの方に向けた。小箱の中の丸い穴から目がくらむほどの明るい脈動する黄色い光が発せられた。
次の瞬間,円盤から濃い赤い霧が吹き出され,それが降下してきて,ビームに照らされていた雪から巨大な火花が立ちのぼった。火花は発光する棒のような形で,赤,緑,紫と色とりどりの大きな弧を描きながら,ゆっくりと落ちてきた。
多くの火花は二人の方向に直接向かってきたが,二人ともなにも感じなかったという。 赤灰色の霧がみるみる濃さを増して小人をつつみこみ,小人の姿は見えなくなった。
二人が宇宙人を見ていたのは,
15〜20秒ぐらいだった。突然,ビームが溶融し,炎のように上昇してUFOの底部に吸い込まれていった。霧のカーテンがひき裂かれたような感じだったという。いつのまにかUFOも宇宙人も消えていた。
その後,ヘイノーネンは神経麻痺,嘔吐感などに悩まされ,ヴィーリャは顔が赤く膨れあがったという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.33)』,1978年【フィンランドの小人宇宙人】
『UFOの謎』,1975年

『宇宙人の死体写真集』,1989年
●ニエメイエル・ハイウェー着水UFO目撃事件(ブラジル)



★着水しているUFOと離水するUFO
『UFOと宇宙』(No.7)から
1970年6月27日の白昼 ,ブラジルのレブロン近くの大西洋岸を走るニエメイエル・ハイウェー近くの家から,海上に着水してる円盤を目撃した事件。 着水した円盤には2人の人間が立っていた。円盤は,しぶきを上げ海上を滑走したあと,空中に飛びあがった。
この日 ,ニエメイエル・ハイウェー脇のマチャド家では,家族一同が燐家のアギアール氏(警官)とパーティ・ゲームを楽しんでいた。 11時40分ごろ ,アギアール氏が海上に着水する物体を目撃した。最初,氏はそれが水しぶきをあげるモータボートだと思った。 物体が着水したのは,海岸道路であるニエメイエル・ハイウェーから約500メートル沖合である。 ハイウェーは海面から30〜40メートル高いところにある。一同(全部で8名)はゲームをやめ,どうするかを検討した。 アギアール氏が救助機関に電話をかけるため,付近のマール・ホテルへ走った。残ったマチャド家の人々は,物体を仔細に観察し続けた。 物体は,白っぽい金属性の色をしており,長さは4メートルほどあり,透明なドームがついていた。 物体には二人の人間がいて光る衣服と頭部に何か着け,物体のデッキ上で働いているようであった。 アギアール氏が 30分後 にホテルから戻ったが,物体はまだ着水していた。 やがて円盤型の物体は,水面上約300メートルをモータボートのようにしぶきをあげ滑走し,空中に浮き,南東の方向に飛んでいった。 このとき、一同はこの物体が空飛ぶ円盤だと気づいた。円盤が海上に着水していたのは, 約40分間 だったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.7)』,1974年【海上に着水した円盤!・文:ウォルター・ビューラー】


★ニエメイエル・ハイウェー。
道路の左上にマチャド家がある。


★付近の地図
『UFOと宇宙』(No.7)から
●農家の庭に降りた円盤と乗員目撃事件(スペイン)

『コズモ(UFOと宇宙)』NO.9から
  
1970年8月16日 ,スペインのバリャドリード地方のプエンテ・デ・エレラに住むドン・ルイス・デ・ディエゴ氏の農家の庭に,夜間UFOが降り立ち, そばに一人のヒューマノイド(人間)がいたことを手伝いの婦人が目撃した。
ドーム型の物体は幅が約4メートル,高さが約2.5メートルあり,何本かの脚(脚の高さは約60センチ)で立っており, 上部には回転する青白い光が見えた。人物は高さが1.8メートルほどで,ぴったりした黒もしくは灰色の服を着て, ヘルメットをかぶり,腰と足首,手首には光るブレスレットのようなものをつけていた。夫人が家の外で目撃したのは数秒間であるという。 物体は現れた時と同じ,ヒューッという音をたてたことを婦人は家の中から聞いている。また,円盤が降り立った場所は,
数日間,夜になると光っていた。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)(No.9)』,1974年【スペインに出現した円盤と乗員・文:J・マシアス&アンヘル・バリゴン,訳:志田真人】

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