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UFO事件集(1951年〜1960年) 


      1801年 〜 1900年 1901年 〜 1940年 1941年 〜 1950年 1951年 〜 1960年 1961年 〜 1970年 1971年 〜 1980年 1981年 〜 1990年 1991年 〜 2000年  
2001年 〜 2010年  2011年 〜 2020年 UFO事件集(索引欄)
1951年〜1960年
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年
1957年 1958年 1959年 1960年
1951年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ラボック・ライト【ラボック光体群】目撃事件(アメリカ)
1951年8月 にテキサス州ラボックで目撃された謎の光体群。 この光体群は,この年( 1951年 )に14回目撃された。

 
⇒1951年8月25日PM9:10ごろ ,テキサス工業大学の地質学教授のロビンソン博士は,テキサス州ラボックにある自宅の裏庭で,2人の同僚 (応用化学の教授A・G・オーベルグ博士と石油化学科の主任W・L・ダッカー教授)と,無数の光体が 数秒間 に,地平線から反対側の地平線に音もなく上空を通過するのを目撃した。 それは30数個ぐらいの数珠(じゅず)を半月形にならべたような印象であった。 数分間 に,他の同様な一群が,夜空を燦然と飛んでいった。 その光は 1秒 に30度円弧を通過する速度で飛行している事実を観察することができた。 科学者でもない一般人でも何百人の人たちが,このラボックの上空で神秘的な半弧を描いて飛ぶ光体を見ていたのである。
(出典;『空飛ぶ円盤実見記』 【高文社:1972年刊行/ 著者:D・レスリー】から抜粋)

●ラボック光体群を目撃したテキサス工科大学の3教授 (左からオーベルグ教授,ダッカー教授,ロビンソン教授)と討論に加わったジョージ博士(右側)。
『UFOと宇宙』NO.33【日本の科学者に問う】から)

 ⇒1951年8月31日夜
、テキサス州ラボック市に住んでいた18歳のカール・ハント少年が撮影 (コダックの35ミリカメラを利用しf3・5、1/10秒で撮影)した光体群。光体は、夜空を十数個のオレンジ色に輝やかせて編隊をなして通過していった。 ユナイテッド・プレス社によってアメリカ全国に流され有名になった。空軍は「鳥の群れ」としてかたづけた。
(出典;『コズモ』(UFOと宇宙)1973年7,8月号(創刊号))

●ラボック光体群をコダック35を使用してとらえたカール・ハント少年
『UFOと宇宙』NO.33 【日本の科学者に問う】から)
参考外部サイト⇒ Wikipedia(Lubbock Lights)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ラボック事件)

参考外部サイト⇒リアルライブ(嘘か真か? V字で飛行する「編隊飛行UFO」は実在するのか?)

参考外部サイト⇒徒然ブログ(ラボックライト)

参考外部サイト⇒怖話(【1951年】ラボック事件)
 
1952年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●パンアメリカン航空機UFO目撃事件(アメリカ) 1952年7月14日,パンアメリカン航空の大型旅客機DC-4が,バージニア州上空近くを飛行中に,6つの円盤型UFOを目撃した事件。
パンアメリカン航空パイロットのウィリアム・B・ナッシュと副操縦士のウィリアム・フォーテンベリーがヴァージニア州ノーフォーク上空にさしかかったとき,600メートル下をそれぞれ直径30メートル以上もある半ダース(6個)の未確認飛行物体が並んで飛行しているのを目撃した。
その物体群はアクロバット飛行を見せ,90度の直角ターン,急停止などをやってのけた。乗っているのが人間だったら圧死してしまうような芸当である。
物体群は,「ピストルの弾丸が石の壁に当たって跳ね返ったよう」に急激に方向転換し,編隊を組んだまま西へ遠ざかっていった。その直後に,さらに2つの発光体が出現し編隊に加わったという。
乗務員たちの証言によると,円盤の光は動力源と何か関係があるようで,減速すると光が暗くなり,加速すると輝きが増したという。
円盤の速度は,時速19200キロメートル,音速の16倍であると推定された。
【参考文献】
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒カラパイア(3. ナッシュ・フォーテンベリー事件、パンアメリカン航空)

参考外部サイト⇒excite.ニュース(民間航空会社のパイロットが確かに見たと証言した5つのUFO目撃情報)

参考外部サイト⇒GIBEON(パンアメリカン航空目撃事件)

参考外部サイト⇒Men's Modern(ナッシュフォーテンベリーUFO事件)
●ワシントン上空のUFO乱舞事件(アメリカ)
1952年7月19日23時40分 ごろ,アメリカの首都ワシントン上空に出現した多数の未確認飛行物体を,ワシントン・ナショナル空港の航空路管制部(ARTC)の長距離レーダー (100マイル(約160km)の探索距離を有し,航空路の管制に使用)がとらえた。レーダー・スコープ上の物体は信じられないような動きを示した。 ナショナル空港にもう一つある管制塔の短距離レーダー(空港近傍の航空機の管制に使用)と近くのアンドリューズ空軍基地管制塔の短距離レーダーもこれをとらえていた。
レーダーで確認された飛行物体群は肉眼でも確認され,管制官,基地の要員,付近を航行していた旅客機の乗務員や乗客が明るい飛行物体として目撃している。 物体群は飛行禁止空域であるホワイトハウスや国会議事堂上空をも侵犯を繰り返した。
ARTCは,標的群がレーダーの故障に起因するものでないことが判明した直後,空軍に迎撃機を発進させて探索するよう電話をしていたが, 1機のF-94戦闘機が姿を現したのは明るくなる頃であった。その頃には標的群はいなくなっていた。

1952年7月26日21時30分 ごろ,ARTCのレーダー・スコープ上に,1週間前にUFO像を見た同じレーダー操作員が,再び同じような標的群を捕捉した。 ナショナル空港管制塔とアンドリューズ空軍基地の2か所のレーダーもこれらを捕捉した。ニューカースル空軍基地から2機のF-94戦闘機が迎撃に向かった。 ところが,2機のF-94が問題の空域に達するやいなや,標的群はレーダー・スコープ上から姿を消したのである。
F-94からの視界はきわめて良好であったが,何も視認できず,機上レーダーでも確認できなかった。 しばらく,問題の空域を飛び回り組織的な捜索を実施したが何も発見できなかったため,基地に向かって帰投し始めた。
すると,F-94がワシントン空域を去って数分後,この機会を待っていたかのように先ほどの標的群がレーダー・スコープ上のもとの位置にもどってきた。 再度,2機のF-94が戻ってきたが,今度は標的群はレーダー・スコープ上に踏みとどまった。だが,誘導されたF-94が標的に近づこうとすると,それらは増速して逃げてしまうのだった。 この追跡中,F-94機上のレーダーで捕捉しようとしたがまったくできなかったという。 ワシントン上空を
約20分 飛びまわった結果,燃料が減り,やむなく帰投した。
数分後に,標的群はスコープ上にまた輝きだした。標的群が,すべて飛び去ったのは,太陽が昇りはじめた頃であった。
この一帯にいた数千の人々が,飛行物体の群れを目撃していた。 写真にも収められ,世界中に報道された。 一般市民はもちろん,政治家も真相を知りたがり,空軍に強く圧力をかけた。
7月29日 ,空軍のジョン・サンフォード将軍とロジャー・レイミー将軍が記者会見を開き,人々の不安を和らげようとした。 この会見は,第1次世界大戦以来最も大がかりな記者会見となったが,サンフォード将軍の説明は,問題の光は星の見間違えたものであり, レーダー反射波は大気温の逆転が原因というものであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.27),【ワシントンのUFOパニック】,1977年
『UFOと宇宙』(No.67・No.68),【ワシントンUFO騒動の真相(上・下)】,1981年
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,【ワシントン上空の編隊UFO乱舞事件,文:黒田佑太】,1985年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』 ,2015年
 
参考外部サイト⇒ Wikipedia(ワシントンUFO乱舞事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ワシントンD.C.事件)

参考外部サイト⇒ザ・オカルトサイト (大量のUFOが襲来?「ワシントンD.C. UFO乱舞事件」)

参考外部サイト⇒怖話(【1952年】ワシントンUFO乱舞事件)
●クラリオン星人コンタクト事件(アメリカ)
【トゥルーマン・ベサラムの宇宙人コンタクト事件】




(円盤の平面・断面図)
いずれも「空飛ぶ円盤の秘密」から
1952年7月28日の午前3時ごろ ,ネバダ州グレンデール付近のネバダ砂漠の第91ハイウェイの補修作業の夜間修理工として働いていたトゥルーマン・ベサラムが,モルモン台地に着陸したクラリオン星からきた空飛ぶ円盤に遭遇した。
着陸した円盤は直径が300フィート(約90メートル),厚さが中心で約6ヤード(約5.5メートル),外端には1フィート(30センチメートル) ぐらいの傾斜面をもつ幅約3フィート(約1メートル)の縁が,船体の周囲をとりまいていた。 そして,降りてきた10人ぐらいの帽子をかぶり制服を着た小人(男の成人であるが身長が5フィート(150センチ)ぐらい)に円盤内に案内され, 女性機長アウラ・レインズとコンタクトした。機長のアウラは,ほかの男たちよりも少し背が低く,皮膚はバラ色をおびたオリーブ色をし,髪は短く端が上向きにカールされていた。 黒と赤の混ざったベレー帽をちょっと傾けてかぶり,黒いビロードのような上衣と赤い布地のスカートをつけていた。
彼らはトゥルーマンに対しては英語で話しかけたが,彼らどうしでは,トゥルーマンには理解できない言葉で話していたという。
トゥルーマンとアウラのコンタクトは,その後10回以上におよんだ。体験記を,
1954年 に『Aboard A Flying Saucer』(邦題:「空飛ぶ円盤の秘密」 1974年 刊)という本に著した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の秘密』,1974年
『UFOと宇宙』(No.24),1977年,(クラリオンの円盤と小人宇宙人)
『世界の超人・怪人・奇人』,2015年
参考外部サイト⇒ GAsite(第5章 最初のコンタクト 第3話  宇宙よりの来訪者より )

参考外部サイト⇒ 地震予知 UFO 宇宙人情報 音楽 etc(コンタクティたちの悲劇)

参考外部サイト⇒ UFOの科学的研究―学術研究出版センター(全米UFO論争史 >第5章 コンタクティとUFOマニア)

参考外部サイト⇒ 超魔界帝国の逆襲(クラリオン星人現る)
●モングッチ事件(イタリア)
1952年7月31日 ,アルプスのベルニナ山中で,ジャンピエトロ・モングッチ氏が着陸した 円盤と降りてきた乗員を目撃撮影した事件。
この日の朝9時ごろ のこと,イタリアのミラノにあるモンザ鉄工所の技師,ジャンピエロ・モングッチ(当時30歳)は, 夫人とともに,アルプスで夏スキーを楽しもうと,ベルニナ山(ヨーロッパ・アルプスの南東部にある標高4042mの山で,スイスとイタリアとの国境近くに位置している)に登っていた。 突然,音がまったくしなくなった。自分の足音さえ聞こえなくなったという。そのとき,山頂近くの氷河稜線の向こうから円盤形の物体がせり上がってきて,斜面上部に停止した。目撃したモングッチは無気味さを感じ岩陰に隠れたが,物体は氷河の斜面に静止したままだったので,勇気をだし50mほど登り,物体に近づき腹ばいになって, 持っていた望遠レンズ付きのカメラでそれを撮影した。
円盤形の物体の上部は丸いドームになっており,てっぺんに長いアンテナが立っていた。 すると,物体の左側から潜水服のような重装備をして,右手に懐中電灯のようなものを持ってヘルメットをかぶった一人の宇宙人らしき人物が現われ, 円盤の周囲を何か作業をするようにゆっくり歩き始めたが,そのうち円盤の裏側に姿を消した。 しばらくすると,円盤は上昇をはじめ,10mほど上昇したところで数秒くらい静止し,そして時速200〜300kmで北東の方角へと飛び去っていった。 時刻は,
午前9時27分 だった。
モングッチは,円盤が着陸してから飛び去るまでを7枚の連続写真におさめている。
彼の目撃談は,その後,『エポカ』というイタリアの雑誌の
1952年11月 号に掲載されたが,次の号で,円盤は模型で宇宙人は人形であり,写真はインチキだという暴露記事が載った。 この記事のため,モングッチの写真はトリックだという説が広く知れわたるようになる。 モングッチは,この写真を撮影したせいで信用を落とし,職を失った。
しかし,事件から
24年 たってから再調査に乗り出したICUFON(国際UFO星間宇宙船調査分析ネットワーク;ニューヨークに本部がある民間UFO研究団体。 代表者はコールマン・ヴォン・ケビュツキー氏)は,その分析結果を次のように発表した。
●着陸した円盤の撮影距離:60m
●離陸する円盤の撮影距離:200m
●円盤の直径:12m
●円盤の高さ:3.5m
●宇宙人の身長(スーツなしで):1.75m
そして,ICUFONによると写真は本物で,事件をうやむやにしたのはCIA(米中央情報局)の陰謀だという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』2015年,著者:韮澤潤一郎
参考外部サイト⇒GAsite(ボリビアの凶暴な怪人 )

参考外部サイト⇒ UFO事件簿(1952年7月31日/アルプスのベルニナ山峰のモングッチ写真 )
●フラッドウッズモンスター事件(アメリカ)

『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から




★目撃者となった少年たち
『宇宙人の死体写真集』から
1952年9月12日 ,アメリカ・ウェストバージニア州のフラッドウッズに怪物のような宇宙人が現れ, この怪物は,後にフラッドウッズモンスターと呼ばれる。
この日の
午後7時15分ごろ,フットボール場で遊んでいた少年たちは,真っ赤に輝く丸い物体が,上空を横切って近くの丘へと降下していくのを目撃した。彼らは,キャスリン・メイ夫人の家に向かい,彼女を説得して一緒に,物体が降下した丘へと探索に出かけていった。
木立のあいだから,赤く脈動する光が見えた。メイ夫人,息子のエディとフレッド,他の少年少女たちは,その光る物体から20メートルまで近づいた。
その物体は,直径5メートル,高さ1.8メートルほどの大きさで,火のついた石炭の塊のようにかすかな輝きを放っていた。あたりには濃い霧がたちこめている。そして,なんとも形容できない異臭のせいで,目がうるみ,鼻がひりひりした。
そのとき,ユージン・レモン(17歳)が手にしていた懐中電灯に何かが浮かびあがった。ついてきていたレモンの飼い犬がけたたましく吠えはじめた。
彼らの前に出現したのは,オレンジ色の目をもつ巨大な怪物だった。怪物は3メートル以上もあり,顔のところに大きな丸い窓のようなものがあり,そこから青みがかった二本の光線を発していたという。そして怪物は地面の上に浮かんで移動しているように見えた。その際に,シューッという音をたてるのが聞こえた。あたりにたちこめているガスで,みんな吐き気をもよおした。
怪物が接近してきたので,全員は恐ろしくなって,一目散に丘を駆けくだった。
メイ夫人はヒステリー状態に,何人かの少年はショックでおびえ,
何時間も吐きつづける者もあった。
1時間後,保安官らがショットガンを携えて,現場にいったときには怪物も火の玉もなかったという。ただ,不快な臭いがかすかに残っていた。地面には,草が円形におしつぶされた痕跡と,二本の平行な溝とが見つかった。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』著者:中村省三,1989年(宇宙モンスターがウェストバージニアに出現)
『【完全版】世界のUFO現象FILE』著者:並木伸一郎,2011年
参考外部サイト⇒ Wikipedia(フラットウッズ・モンスター)

参考外部サイト⇒ togetter(UFO学23ツイート)

参考外部サイト⇒ UFO事件簿(フラットウッズ事件)

参考外部サイト⇒ 怪奇動画ファイル(フラットウッズモンスターの正体と事件の真相!)

参考外部サイト⇒ オカルト評論家山口敏太郎のUMA図鑑(昭和のとらうま「フラットウッズ・モンスター」)

参考外部サイト⇒ リアルライブ(日本でも目撃例が存在!? 巨大宇宙人『フラットウッズ・モンスター』の正体とは!?)


●アダムスキー事件(アメリカ)
 
『UFOと宇宙船』(文藝春秋デラックス) 1978年から


同行者のアリス・ウェルズが双眼鏡で見たものを後にスケッチしたもの。
『UFOと宇宙』(NO.23)から
ジョージ・アダムスキーが米カルフォルニア州モハビ砂漠で,円盤から降りてきた金星人と会見した事件。
1952年11月20日午前11時ごろ ,予感を感じていたアダムスキーは,UFO観測仲間6人(アリス・ウィルズ,ルーシー・マクギニス,アル・ベリーズ夫妻,ジョージ・ウィリアムスン夫妻)と2台の車でアリゾナ州のデザート・センター近くのパーカー街道脇の砂漠地帯にいた。 風が強く寒い日であった。7人は近くの岩の上で食事をし,これからの観測コースなどについて話し合っていたとき,山の向こうの飛行基地から双発の飛行機が頭上を飛んでいった。 やがて,その飛行機が小さくなったころ,飛行機の現れた山すそから葉巻状の銀色をした飛行船が音もなく上昇し,こちらに向かってきて空中に滞空した。 街道脇のこの地点では彼らは着陸しないと直感したアダムスキーは,車をだした。同乗したのは,ルーシーとアル2人で,ハンドルはルーシーがにぎった。残りの4人には,この場所で観測するため残ってもらった。 アダムスキーは,道路を半マイル(約800m)ほど走り,右に曲がり少し走ったところで車からおり,持ってきた望遠鏡を設置した。残りの4人がいる場所とは半マイル(約800m)から1マイル(約1.6km)離れていた。 飛行船は頭上に滞空していた。アルとルーシーには4人のいるところに戻るよう指示し,アダムスキーは1人この場所に残った。すると上空の飛行船は機首を転じ,山頂を越え消えていった。 それと前後して十数台の空軍の飛行機が轟音をたて,その飛行船を追跡していった。それでもその地点に残り観測機器を設置していたアダムスキーは, 5分ほど後 に,空中に閃光を発見した。 小さい飛行体が二つの峰の間に現われ,半マイル(約800m)ほど離れた山腹のくぼみに近づいてきて,一定の高度を保ちながら滞空していた。 最初の写真を撮った直後,その円盤は閃光を放ち消えてしまった。 直後 ,2,3機の飛行機が轟音を轟かせ頭上に飛来したが,2,3度旋回し飛び去っていった。 数分後 >にアダムスキーは4分の1マイル(約400m)ほど離れた谷間の入り口に1人の男を突然発見する。 男はスキーズボンのような服をはいており,髪を長くしていた。 近づいていったアダムスキーは,その男から握手を求められ,応じようとして手を差しのべたが,相手は手を握る代わりに掌をわずかに触れさせた。 身長は5フィート6インチ(約160cm)ぐらい,体重は135ポンド(約60kg)ぐらい,年齢は27,8歳に見えた。腰のあたりには8インチ(約20cm)幅ぐらいの金褐色のベルトがしめられていた。 アダムスキーは身振り手振りと英語で会話をしたという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』1972年
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,(戦後UFO30年史;ジョージ・アダムスキーの体験)
『メビウス』(No.2)1983年,(「金星から来た男」/文:韮澤潤一郎
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』2013年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ジョージ・アダムスキー )

参考外部サイト⇒GAsite(金星人イエスの実像と出現の意義 )

参考外部サイト⇒ 月刊「ムー」公式サイト(アダムスキーの金星交遊録/超常UFO宇宙人事件)

参考外部サイト⇒世界の不思議(UFO>アダムスキー型UFOが発見されるまで!宇宙人と友達に?)

参考外部サイト⇒ Cosmic Consciousness(アダムスキーのUFO体験と波乱の生涯)

(コンタクト発生前のアル(左)とアダムスキー(右))


(残された金星人の足跡)


(足跡を石こうにとる一行)
『UFOと宇宙』(NO.11)【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】から
●アダムスキーUFO撮影事件(アメリカ)

『コズモ(UFOと宇宙』NO.9から
1952年12月13日、午前9時10分 、パロマー・ガーデンズに飛来した円盤をアダムスキー が、 6インチ反射望遠鏡にカメラを取りつけ撮影した事件。
この日の朝 ,ジェット機が数台爆音を轟かせて家の上空を過ぎたので何か起こったのかと思いアダムスキーは家の外に飛び出した。 空の向こうに閃光が輝いて消え去るのが見えた。 9時ごろ ,また空中に閃光が現われたので,望遠鏡を向けた。 ジェット機の姿はなかった。望遠鏡を一生懸命操作していると,朝の太陽の光線を受けて真珠色に輝いた円盤が, こちらに向かって飛んでくるのが見えた。 だが,円盤はアダムスキーから2000~3000フィート(600~900m)離れた谷間の上空3000~5000フィート(900~1500m)のところで停止し滞空し始めた。
アダムスキーが4枚目を撮影しようとしたとき,動き始めた。アダムスキーは,カメラを望遠鏡の接眼レンズに取付け,目測で円盤の大きさを測定してメモにつけた。 円盤は幅が35~36フィート(約11m),高さが15~20フィート(約5m)あることに気づいた。
やがて,その円盤はアダムスキーから100フィート(30m)ぐらいに接近してきた。 その時,機体の一部に丸い窓が開き,そこから腕が差しだされて,その手から小さな物が投下された。 円盤がアダムスキーの頭上を過ぎるとき,その手は軽く2,3度振られたように見えた。
円盤は,進路を東にとって北側の山のふもとをかすめるように飛びながら峡谷を渡って飛んでいった。 峡谷を過ぎるまで
数秒 しかかからなかったが,その後もずっと地上すれすれに飛行し続けていったが,やがて急に高度を上げて,朝の青空に消えてしまった。
円盤が落とした小さな物は,
11月20日 のコンタクト時にアダムスキーが宇宙人に手渡したフィルムであった。 この投下されたフィルムは数日間家に保存しておいたが,後に現像してみると,何か分からぬ奇妙な記号的文章が写っていた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』(1972年),文:ジョージ・アダムスキー,訳:高橋豊
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』(2013年),文;益子祐司
●オスカー・リンケUFO遭遇事件(ドイツ) 1952年 に大論争を巻き起こした事件。事件の起きた月日は不明。
元市長であるオスカー・リンケと娘のガブリエルが,ハッセルバッハ村付近でUFOと異星人らしき二人の人間に遭遇した。
妻と6人の子供と共に東ドイツから脱出したグライマーショウゼンの元市長であった,オスカー・リンケは,次のような体験をした。
娘のガブリエルをオートバイの後ろにのせ,西ベルリンのハッセルバッハ村付近を走っていると,タイヤがパンクしてしまった。 二人でオートバイを押していると,ガブリエルが150ヤード(約140m)先に何かを見つけた。 それは
夕暮れ の中で小鹿に見えたが,オートバイを置いて50ヤード(約50m)まで近づくと,それは小鹿ではなく二人の人間らしい姿だった。 彼らは金属質のものを着て,かがみこんで地面の何かを調べていた。 30フィート(約9m)近くまで這って行き,小山の上からのぞいて見ると,大きな物体があった。 直径が40~50フィート(約13m)あり,大きなフライパンのような形をしていた。側面には2列の直径1フィート(0.3m)くらいの穴が並んでいた。 その円形の物体の中央からは,10フィート(3m)くらいの円筒形の司令塔のようなものが突き出ていた。
後方に残っていたガブリエルの呼び声が聞こえた。 その声は彼らにも聞こえたらしく,彼らは急いでその物体の方へ走ってもどり,司令塔のようなものの側面を昇り,中に消えた。 もどる途中で,一人の胸にランプをぶらさげているのが見えた。そのランプは一定の間隔で点滅していた。
すると,物体の側面部が輝き始めた。最初は緑色で,次に赤色に変わった。ブーンという音が聞こえ,輝きが強くなった。 同時に中心部の突き出ていた司令塔のようなものが,物体の中に入り込み,司令塔のようなものを軸にして,本体はゆっくり上昇していった。 司令塔の下部は地面に着いていたが,本体が地上から上昇するにつれ,司令塔は,また本体の中心部に入って消え,上方部に再び現れた。
物体の上昇速度は大きくなった。 そのとき,口笛のような音が聞こえた。物体は近くの村の方にカーブし,丘や森を越える高さを保ちながらシュトックハイムの方へ消えていった。

(リンケ氏が見た円盤の離陸時の再現図)

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.19),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道
参考外部サイト⇒ GA Site(宇宙・引力・空飛ぶ円盤 by レナード・クランプ)
  
1953年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●サルバドール・ビラヌエバ異星人遭遇事件(メキシコ) 1953年8月 ,タクシー運転手のサルバドール・ビラヌエバが,タクシーの故障中に異星人と遭遇し,彼らと会話をした事件。
サルバドール・ビラヌエバはメキシコシティで個人タクシー業を営んでいた。その日,彼は二人のテキサス人を乗せてテキサス国境へ向かっていたが, 約60マイル(96km)走ったカイダル・バレーを過ぎたところで車が故障してしまった。 客は別な車に乗せて送ったが,サルバドールはそこで一晩を過ごすほかはなかった。
彼が車の下にもぐりこんで故障個所を調べていると,二人の人間が車のそばにいることに気づいた。 身長は4フィート6インチ(約150cm)そこそこで,首から足先までつながった灰色の服を着て,幅広い光沢のある穴あきベルトをしめていた。 首すじには金属製のカラーを巻き,首のうしろには黒い小箱があった。 そしてヘルメットを小わきにかかえていた。サルバドールは付近に着陸した飛行機のパイロットたちだろうと考えたという。
一人がサルバドールに話しかけてきた。雨が降りはじめたので,三人は車の中に入って会話を続けた。 会話をしたのは二人のうちの片方だけで,もう一人は一言もしゃべらなかった。 夜が白みはじめたころ,サルバドールは不安になり,思いきって疑問を口にすると,自分たちはこの惑星のものではないことを話したという。 サルバドールは冗談だろうと思ったが,彼らがそろそろ立ち去ると聞いたときにはほっとした。
彼らは自分たちの乗り物を見にこないかといい,やぶの茂った沼地のあいだを500メートルほど歩いた。 道は徐々に悪くなる一方で,サルバドールの足はくるぶしまで泥に沈んだ。 しかし、彼らの足は泥沼に触れたかと思うと,目に見えない力で泥は飛び散り,彼らの足は泥で汚れなかった。 泥が飛び散るたびに彼らの穴あきベルトが輝いたという。
突然,前方が開け,直径35~40フィート(約10m)の巨大な機体が目に入った。2枚のスープ皿を合わせた形をしていて,上部には丸窓がついた浅いドームがあった。
彼らは,サルバドールを機体の中にさそったが,サルバドールは首を振るとその場を逃げ出した。 元の道に戻った彼は,いま来た方を振り返ると,白く輝く機体がゆっくり上昇するのが見えた。 その物体はしばらく空中で停止したあと,スピードをあげると振子のような運動を始め,前後に弧を描いて動いた。 まるで,落下するかわりに上昇していく落葉のようだった。機体は数百フィートの高度に達すると,輝きを強め,信じられないスピードで上昇していった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.21),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:中村省三
●ノリッジUFO目撃事件(イギリス) 1953年10月6日 ,イングランド東部ノーフォークの州都ノリッジで,ノリッジ天文協会のF・W・ポター氏と他の数名が空を観測中にUFOを目撃した事件。
午後7時15分に,ポター氏が空を観測中,一個の大きな物体が南西から出現し,続いて水平飛行をしたことに気づいた。 物体は大きな黄色の星のようであったが,肉眼で見ると小さな星々のかたまった卵型に見えた。ポター氏は,3.5インチの屈折望遠鏡の視野内に物体の焦点を合わせた。
焦点を合わせると,星々のかたまりのように見えたものは,大きな平たい円盤の上についているドームの窓の光であることがわかった。 ドームの周囲には一定の間隔をおいて丸窓が並んでいて,この丸窓から洩れる光によって,円盤の全体像を見ることができた。
上部のドームは回転しておらず,円盤の下部はくぼんでいて鈍い赤色に輝いていた。 物体は一定の高度を保っているようで,観測していた場所からは音が聞こえなかった。
物体は南西から北東へ進行した。ポター氏の視界にあったのは,
3分半ほどの時間である。 空は一点の雲もない快晴であり,あらゆる星座が見えたという。
この物体は,ポター氏以外にも,ノリッジ天文協会と英国天文協会の会員たち7名に目撃されている。




【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.11)』1975年, 【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ, 訳:久保田八郎
●マッチデール墜落UFO遭遇事件(アメリカ) 1953年末 1954年初め 早朝 の事である。ニューヨーク州シラキュースのマッチデールで,マースデン夫妻が墜落したUFOに遭遇した事件。
マースデン夫妻が車で友人宅を訪問しての帰り,パトロールカーがライトをつけて停まっている事故現場のような交差点を曲がった。彼らが道路から遠くないところに見たものは,長さが約6メートルで高さが4.5メートルほどの卵形の物体であった。 その物体の周囲には明るい色のついた光がいくつかあり,数人の警官が物体の回りをぐるぐる回って検査をしているのが見えた。
翌日,マースデン氏は郡保安官に電話をかけてみると,軍事機密だと言われただけであった。
あとになり,事件の現場を訪れてみると,踏まれた草とタイヤ跡だけだっという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
 
1954年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●コニストン事件(イギリス)



撮影直前に目撃した円盤をスティーヴン少年がスケッチしたものと撮影された実際の写真
『コズモ(UFOと宇宙)』NO9から
1954年2月15日 ,イギリス・ランカシャーのコニストンで,2少年がアダムスキー型円盤を目撃し,コダック・カメラで円盤を撮影した事件。
スティーヴン・ダービシャー(13歳)は,
この日の朝 ,なぜか家の裏山(コニストンの丘)に登りたくなった。いとこのエイドリアン・マイヤー(8歳)を連れて,カメラを手に頂上に着いた。
午前11時ごろ ,エイドリアンが丸い物体が降下してくるのを発見した。
物体は約90メートル先の少し盛り上がった土の向こう側に降りて見えなくなったが,
数秒後 に現われ,ヒューッという音をたて縦に倒れて空中を急上昇して雲の中に消えていった。
ステーィヴンは,土の向こうに降りる前と土の向こうから出現したときの2枚の写真撮影に成功した。 写真はかなりぶれていたがアダムスキー型の円盤が写っていた。
ステーィヴンは,物体がドーム,丸窓,三個の球,中心にコーンのようなものがあり,丸窓は4つあったことを証言している。

【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6(1974年)/【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】の序文(文:デスモンド・レスリー)から
 

撮影時の様子を示すスティーヴンとエードリアン
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6から



参考外部サイト=>GAsite(レイクランドの円盤)

参考外部サイト=>水島保男外伝版ブログ(1954 それは始まりだった)
●火星人コンタクト事件(スコットランド)
【セドリック・アリンガム事件】
【ロシーマウス事件】



離陸準備中の円盤に戻る異星人の後姿を撮影


最初に発見時直後に雑記帳に描いたおおざっぱなスケッチの写し
『火星からの空飛ぶ円盤』から
1954年2月18日 ,スコットランド北端のロシーマウスに近い海岸を野鳥観察にきていた,セドリック・アリンガムが空飛ぶ円盤から降りてきた異星人(火星人)とコンタクトした事件。
アリンガムはこの日,
12時35分 に約5000フィート(約1500メートル)の高さに偶然,円盤を発見し双眼鏡で確認した。 その後, 3時45分ごろ に直径約15メートル,高さが6メートルほどのアダムスキー型円盤(3つづつグループになった窓,ドームの上には黒い垂直の棒,球体の着陸装置がついていた)がアリンガムの約50メートル先に着陸した。 円盤から身長が6フィート(約180センチ)ぐらいで,年齢はアリガムと同じぐらいで,ひたいの高い人間が降りてきた。 頭髪は褐色で肌は深いタンニン色をしていた。首から足までつながった服を着ており手だけが出ていた。 鼻にチューブのようなもの(おそらく呼吸装置)が届いていた。 アリンガムは雑記帳に太陽系などの図を書きジェスチャーで相手とコミュニケーションを交わした。 言葉は通じなかったが,相手はしゃべれたという。アリンガムが発音した「ビーナス(金星)」と「マース(火星)」について同じくきれいな声で発音を返したという。 そして,相手が火星からきていることを確認した。アリンガムは自分の万年筆を贈った。アリンガムは円盤の機体にさわったというが異常はなかった。 やがて別れのとき,アリンガムは機体から離れるように伝えられ,相手が機体に向かう別れ際,後姿の写真を思い出したように気づき急いで撮ったという。 やがて挨拶を交わしてスライドした扉の中に消えた相手を乗せた機体は40フィート(約12メートル)まで上昇した。 そして,北の方向にものすごいスピードで飛び消えていった。 午後4時25分 の事である。
【参考文献】
『火星からの空飛ぶ円盤』著:C・アリンガム,訳:岩下肇,1971年
『世界の超人・怪人・奇人』著:並木伸一郎,2015年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年
参考外部サイト⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(昭和なUFOネタシリーズ〜「火星人の後姿」写真)




初めにとらえた円盤の写真

着陸時の円盤の写真
『火星からの空飛ぶ円盤』から
●ヨーロッパUFO大ウェーブ事件(ヨーロッパ)

ヨーロッパでのUFOフラップ(UFO目撃,UFO着陸,宇宙人遭遇)は, 1954年 にピークとなり,イギリス〜スペインのヨーロッパ全域に及んだ。
8月から11月 にかけ,目撃者の数は100万人以上といわれる。その中でも 10月1日〜11日 のフランス内での目撃が最大ピークとされ,目撃数を減少させながら,イタリー,南米に拡がっていった。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,著者:平野威馬雄,1974年
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎,1988年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』,著者:韮澤潤一郎,2015年
 

−1954年フランス国内での目撃地点と人口密集地帯の対比図−
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』ジャック・バレー
の分析)から】
●バーノン葉巻型UFO目撃事件(フランス)  1954年8月23日の深夜 にセーヌ川沿いバーノン近郊に住むベルナール・ミザエル(実業家)が,自宅近くの上空で直立した巨大な葉巻型UFOを目撃した事件。
深夜1時ごろ ,暗かった街が青白く照らされているのに気づき,上空を見るとセーヌ川の北岸の上空に, 直立した長さ100メートルもあるような巨大な葉巻型UFOを発見した。 その葉巻型物体の下から円盤状の飛行物体が次から次と現われミザエルの後方に飛び去っていった。 その後,葉巻型の物体は輝き失い,闇の中に溶け込んでいったという。
【参考文献】
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年

1954年8月23日
のバーノン近郊での出来事が,二人の地方警察官と一人の陸軍技術員からもたらされた。 それによると,彼らは1個の巨大で無音の全く静止した葉巻型物体が,垂直に立っているのを目撃した。
そして,4人目の目撃者は,ビジネスマンのM・バーナード・ミゼリー(上記のベルナール・ミザイルと同一人物)で, 彼の証言によると,その葉巻型物体の底の部分から平板状の物体が1個,初めはふらふらと落下してゆっくりと動くと見るや,急降下して川を渡り水平にミゼリーの方に向かってきたという。
しばらくすると,後続の小型機3個が次々とわずかな間隔をおいて出現し,それぞれ違った方角に飛び去ったという。 そして,しばらく時間をおいてから5番目の物体が静止したままの葉巻型物体から現われ,この最終の円盤は,これまでのより一番低く降下し,ちょっとの間揺れ続けたが, 数秒間停止し振動した後,閃光のように北に向かって飛び去ったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』著:ロバート・ヘイスティングス,2011年
●バレンシエンヌ短足宇宙人目撃事件(フランス)


★目撃した宇宙人
(IIIust/YUFOS)
『宇宙人の死体写真集2』から
1954年9月10日 ,北フランスのバレンシエンヌの近郊で,マリウス・デウィルド(34歳)が,小柄で短足の2人の宇宙人を目撃した。
この日の夜10時30分ごろ,庭のほうから愛犬キキの異常な鳴き声を聞いたデウィルドは懐中電灯を手にして家の外に出てみた。
すると,庭のすぐそばを走っている鉱山鉄道の線路の先に,黒っぽい物体があることに気がついた。
愛犬がデウィルドに近寄ってきたと思うと,右手のほうで人間が急ぎ足で走るような音がした。 キキがまた吠え始めた。デウィルドが懐中電灯をそこに向けると,3メートルほどのところに二人の生物がいて, 一列縦隊で線路上の黒っぽい物体のほうに歩いていた。 その二人は小柄(1メートル足らずの身長)だが異様に肩幅が広く,ダイバーのような服を着ていた。 巨大なヘルメットのようなものをかぶっており,光を反射していた。そして,身長の割には,いかにも短足だった。 腕があるかどうかは見分けられなかった。
デウィルドは,彼らの行く手を遮るか,つかまえようとして遠ざかる二人に向かってダッシュした。そして,彼が二人の生物まであと2メートルまで近づいたとき,黒っぽい物体の四角い開口部から,マグネシウムの閃光のようなまぶしい光が放射された。すると,彼の体はマヒしてしまって,大声を出そうにも出せず,脚がまったく動かなかった。
光が消えてデウィルドの身体が自由になったときには,二人は物体の中に戻っていた。 すると,下からは黒い蒸気を噴き出した物体は,ヒューッというけたたましい音をたてながら空中に飛び上がった。 30メートルほど上昇してから東の方角へ向かい遠ざかった。かなり遠ざかったとき,赤っぽく光ったが
1分後には完全に見えなくなった。
翌朝,調査が行われたが物体の着陸現場となった線路脇の砂利は,高熱にさらされたかのようにもろくなっていた。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者: 中村省三,1991年(バレンシエンヌに出現した短足で腕のない宇宙人)
●シャンブイユUFO目撃事件(フランス) 1954年9月26日,南フランスのシャンブイユの森の中でレブーフ夫人が,半透明の潜水服のようなものを着た小人に遭遇した後, 近くの森の中から現れた円盤が飛び去るのを目撃した。
南フランスのバレンスに住むレブーフ夫妻は,13kmほど東にあるシャンブイユの祖父の家を訪れていた。
午後2時30分ごろ ,2人は犬を連れて散歩に出かけた。レブーフ夫人はキノコを採るため,夫から90mほど離れた森の中へ入っていった。 しばらくすると,犬がキャンキャンとみじめな声で叫びはじめた。犬は小麦畑の端で何かに向かい合っていた。
夫人はそれが最初カカシだと思ったが近づいてみると,それは身長が90cmほどの半透明のプラスチックでできた潜水服のようなものを着た小柄な人間であった。 大きい2つの眼が,ヘルメットごしに見つめていることに気づいた夫人は驚いた。
その小柄な怪人が,よたよたしながらも,かなりのスピードで夫人の方に近づいてきたので,恐怖を感じた夫人は大声で悲鳴を上げながら逃げ出した。木立の陰に隠れてから背後の様子をうかがうと,その怪人は見えなくなっていた。
しかし,犬は悲しげに吠え続けた。付近にいるすべての犬もそれに唱和し吠え続けたという。
そのうち,近くの木立の中から巨大な金属製の物体が飛び上がり,かすかにシューという音をたてて低空を飛行した。やがて,小麦畑を横切ると突然方向を変え上昇し,ものすごいスピードで遠ざかっていった。
その後,現場に集まってきたレブーフ氏と村の人々は,物体が飛び立った木立のなかに,直径約3.3mの円形の跡を発見した。
事件後,
2日間夫人は高熱にうなされた。犬は3日後も恐怖にわななく有様であった。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1977年
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(バレンスで犬に吠えられたヒューマノイド)
●ミラノ競技場UFO着陸事件(イタリア) 1954年10月28日 のミラノでの事である。 夜間 ,集会から帰る途中の農民30人ほどが,ほとんど使われていない競技場の中に,光りを発する大きな物体が着陸しているのを発見した。
物体の周りを動き回っていたのは身長が4フィート(1.2メートル)ほどの小さな人間たちで,透明に見えるヘルメットをかぶり, 全員が背中に呼吸装置のようなものを背負っていた。 やがて競技場の塀の回りから見ていた目撃者たちは,競技場の中に入りこむと,小さな黒い影は物体の底部から中に逃げ込んだ。 物体はブンブンというような音をたて舞い上がり夜空に消えていった。
農民たちは,逃げる途中の乗務員と物体に,持っていた腐ったオレンジを投げつけ,そのいくつかは,乗務員と物体に命中したという。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
●イタリアの小人異星人出現事件
【チェンニーナ事件】


1954年11月1日 ,イタリア,アレッツオ地方のチェンニーナ町に住むローザ・ロッティ・ネイ・ダイネリ(当時40歳)が教会に行くため, 右手にカーネーションの花束,左手に靴とストッキングを持ち,朝早く家をでた。とっておきの靴を汚したくないため,靴とストッキングは手に持ち,はだしで歩いていた。
すると,糸杉の根元に高さ2メートルを超す巨大な紡錘形の物体があるのを発見した。 物体の中間部には丸窓が2つと小さなドアがあり,開いているドアの中には2つの小さな座席が見えた。 座席は背中合わせに置いてあり,物体の両面にある丸窓に向いていた。
突然,物体の後ろから2人の小人が現れ,ローザ婦人に話しかけてきた。 小人は,1メートルぐらいの身長で灰色の胴着とぴったりしたズボン,それにマントを着けヘルメットをかぶっていた。 人間と同じ顔つきをし,笑みを浮かべ,言葉は不明であったが,発音は中国語に似ていたという。
小人の一人が,驚いて立ちすくんでいる婦人から,カーネーションの花束とストッキングの片方をもぎとった。 小人は,それを物体の中に投げ入れ,もう一人の小人と一緒に中から茶色の丸い包みを2つ取り出し婦人に渡そうとした。
しかし,婦人は夢中で町をめざして逃げ出していた。走っているうちに恐怖がつのり,町へたどり着いたときには,疲労と恐怖で口もきけなかったという。
話を聞いた町の憲兵隊が現場にかけつけたが,物体のあった地面には,大きな穴があいていただけであった。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)

【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)』No.8,【イタリアの不思議な小人出現事件,文:セルジオ・コンティ,訳:志田真人】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ストッキングと花束を奪いとった小人異星人,文:片岡道代】
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ 怖話(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ 妖怪王(チェンニーナ事件・1954年小人宇宙人との遭遇事件)

参考外部サイト⇒ ゼロファイル(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ Hatena::Diary(モンテビニキ事件,あるいはチェンニーナ事件の前日譚についての覚書)
●サンマルタン・ストーン事件(スペイン)

異星人らしき人物からもらった石

サンマルタンが撮ったUFO
【いずれも『UFOと宇宙』(No.33)から】
1954年11月17日 ,スペインのマドリッド郊外に住むアルベルト・サンマルタンが,夜中にマドリッド大学都市構内で, 異星人らしき人物から薄緑色の石をもらった事件。
午前2時半ごろ のこと,サンマルタンは,不思議な力にひき寄せられるように,都市構内を歩きラ・コルナ・ハイウェーの橋のたもとまできた。 すると髪の毛が長くウエットスーツのようなものを着けた男に出会った。 男は言葉を話せないのか態度でサンマルタンに親愛の情を示し,長さ12センチ,幅4センチ,厚さが2センチほどの薄緑色をした石を受け取るような身ぶりを示した。 サンマルタンがその石を受け取ると,男は背を向けて橋の付近で見えなくなった。 すると,橋の下の方の空き地からドーム型の円盤が光りながら飛び立っていった。 朝,その空き地に行ってみると,円盤が着陸したような焼け焦げた着陸痕を発見した。 受け取った石の表面には不思議な文字のようなものが彫られていた。 サンマルタンは,石の正体を探ろうとあちこちの研究室をたずねた。その後,サンマルタンは,石の研究を深めるため,ブラジルに移住した。
1965年 ,サンパウロ郊外でUFOを目撃し8枚の連続写真の撮影に成功する。 2年後 1967年 にも同じようなUFOを目撃し連続写真の撮影に成功した。 撮影したUFOはいずれも肉眼では見えにくいボンヤリしたものであった。 写真は暗めに焼いたが,驚いたことに写真に写ったUFOは一枚づつ形を変えていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年4月号(No.33),「私は宇宙人を見た!−サンマルタン・ストーンの謎」,文:矢追純一
●ゴンザレス宇宙人格闘事件(ベネズエラ)


『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から
1954年11月28日午前2時ごろ,トラック運転者が道路上のUFO近くにいた毛むくじゃらの怪物と格闘した事件。
ベネズエラのカラカスとペターレを結ぶ道路上に直径3メートル以上もある物体が道路上に滞空していた。
トラックを降りた運転手のグスターヴォ・ゴンザレスに,物体の近くにいた爪をはやしたギョロ目の怪物が近づいてきた。 ゴンザレスは思わずその怪物に背負い投げをくらわそうとしたら,思わぬ軽さにびっくりした。 怪物は毛むくじゃらでカチカチに固いこがらな怪物だった。反対に一撃を受けたゴンザレスは4,5メートルもつきとばされた。
もう一人の運転者ホセ・ポンチェが警察に走ろうとすると,もう二人の怪物が物体の中から手に武器のようなものを持って出てきた。 危険を感じたゴンザレスはナイフで相手に抵抗した。 だが,相手の体は石のように固くびくともしなかった。怪物の一人が手に持った小さな管から光線をだし,ゴンザレスの眼を照射した。 ゴンザレスは眼がくらみ抵抗をやめた。
ポンチェはこのとき,近くの茂みから二人か三人の怪物が土か岩のようなものを腕いっぱいにかかえてとび出してくるのを見た。怪物たちは物体の中に戻ってしまうと,物体は音もなく上昇し消えてしまったという。

【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
参考外部サイト⇒ GA Site(第7章 現代のUFO 第3話宇宙よりの来訪者)
●カロロ宇宙人誘拐未遂事件(ベネズエラ) 1954年12月10日の夕方 ,ベネズエラのカロロというところで,うさぎ狩りをして帰る途中の2人の少年が, 4匹の小さな毛むくじゃらの怪物に誘拐されかけた事件。
ロレンソ・フロレス(10歳)とヘスス・ゴメス(12歳)の2人の少年が,うさぎ狩りをして帰る途中, ベネズエラのチコとセロ・デ・ラス・トレストーレス間のアンデス山脈横断道路を歩いていると,45mほど向こうのやぶの中に,キラキラ光る金属製のものがあることに気づいた。 自動車がスリップして道路から飛び出したのだろうと思い近づいていくと,その物体は自動車ではなく, スープ皿を2つ重ねたような形をして自動車の2倍くらいの大きさだった。 突然,どしーんという音がして,物体は90cmほどの高さに浮かび,底の部分から強い光を放射していた。
その物体にみとれていた2人の後ろから,突然,4匹の小さな毛むくじゃらの怪物が現われ, そのうちの2匹がゴメスを物体のほうへ引きずっていこうとした。
フロレスは大切に持っていた猟銃で撃とうとしたが,弾がはいってなかったため、その銃身を握って,力いっぱい怪物に振りおろした。 怪物は,まるで岩を殴っているようであったが,何度も殴っているうちに銃は折れてしまった。 だが,怪物たちは,ゴメスをはなして物体のなかに逃げていった。
2人は,現場から走って逃げだし途中でハイウェイ・パトロールの事務所に飛び込んだ。
2人が遭遇した怪物は,ゴンザレスが遭遇した怪物(ゴンザレス宇宙人格闘事件)と同じものであるという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【UFOと謎の奇怪な生物,文:グレイ・バーカー】,1977年
 
1955年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ホプキンスビル怪物襲撃事件(アメリカ)

『ムー』1979年創刊号から
1955年8月21日の夜間,ケンタッキー州ホプキンスビルにあるケリーという集落のガイザー・マッギー農場に住む住民が,身長1メートルほどで銀色に光る怪物に襲撃された事件。8人の大人と3人の子供が現場に居合わせた。
この農場はサットン一家のものであるが,
夕方,庭の井戸で水を飲んでいた息子のビリー・サットンが,虹色に光る物体が近くの渓谷に落下するのを目撃していた。
夜間
に犬がけたたましく吠えていたため,サットン家の息子たち2人が銃をもち様子を見に行くと, 闇の中に銀色に光る怪物が宙を浮くように近づいてきた。それは1.4メートルほどの小人で,頭が大きく腕が異常に長く目は大きく黄色く輝いていた。
2人は,家の裏口まであと6メートルの距離に近づいた怪物に発砲した。手ごたえはあったが怪物はちょこちょこと歩き暗闇に消えた。 怪物は家のまわりに何度も現われ,そのたびに銃に撃たれたが不死身のようであったという。
サットン一家は恐怖にかられ,
11時すぎ全員で自動車で警察に向かった。警官を伴い農場に戻り調査したが足跡さえ発見できなかった。 警官が帰りしばらくは静かだったが,また怪物が現われて朝まで"鬼ごっこ"を繰り返した。 日が昇るころに,怪物は現れなくなったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.33号,1978年,「私は宇宙人を見た!」
『ムー』1979年創刊号,「異星人は敵か,味方か?」
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(ホプキンスビル事件)

参考外部サイト⇒ リアルライブ(宇宙人と銃撃戦を繰り広げた男たち「ホプキンスビルの宇宙人襲撃事件」)

参考外部サイト⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(ホプキンスビル・恐怖の一夜)
●ジョウゼフ・バンデルカUFO遭遇事件(オーストリア)


★遭遇したUFO
(IIIust/FSR vol.24,no.6)
『宇宙人の死体写真集2』から
1955年8月末か9月初め のこと,ウィーンの森の中で,ジョウゼフ・バンデルカというオーストリア人がUFOに遭遇し,UFO内にも搭乗した。
彼はバイクでウィーン郊外をツーリングしていた。
午後3時ごろのことである。 ウィーンから25キロほど南西にある森林地帯を走っていると,20メートルばかり向こうの空き地に,鈍い色の金属製の円盤が゙着陸していた。
円盤の幅は10〜12メートル,高さが2.5メートルほどで,窓もなく着陸脚もなかった。 側面に長方形をした開口部があり,そこから地面に長さが4メートルほどの傾斜路が伸びていた。
バルデルカは,バイクにまたがったまま,傾斜路を登り円盤内に入ってみた。 機内は照明されており,1.8メートルぐらいの人物が5,6人いて彼を取り巻いた。
彼らは,まるで6歳から10歳までの子供のような美しい顔立ちをしていた。 全員が同じグレイの模様のないオーバーオールを着ていた。縫目もなく足の先までつながっていた。 手は指なしの長手袋でおおっていた。髪は中ぐらいの長さのブロンドで,後頭部をずきんのようなもので包んでいた。
バンデルカは,住所と氏名を名乗り,無礼を謝罪した。 すると彼らは,流ちょうなドイツ語で,自分たちはカシオペア座のトップ・ポイントから来たことを告げた。 バルデルカは,地球の政治体制について説明したが,あまり興味を示さないようだった。
バルデルカは,立ち去る際に挨拶すると,彼らは東洋風にお辞儀をして返礼したという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(ウィーンの森の中に着陸していたUFOの搭乗員)
 
1956年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●サフォーク上空UFO目撃事件(イギリス)
【レイクンヒース事件】



『未公開UFOファイル2018』から
1956年8月13日 ,サフォーク州レンデルシャムの森付近の上空に怪しい飛行物体が目撃された。
この日の
午後9時30分ごろ ,ベントウォーターズ空軍基地のレーダーが,奇妙な飛行物体を捕捉した。 物体は東海岸から侵入して,オーフォード・ネスと呼ばれる寒村の上空を越え,レンデルシャムの森を横切って,ベントウォーターズ基地に向かってきた。
基地にいた大勢の将兵たちが,レーダー係からの連絡で,外に出て上空を見上げたところ,このUFOを肉眼で確認することができた。 UFOは,かすんだもやのような青白い光に包まれていた。
同時に,付近の上空を飛んでいた輸送機も,このUFOが,輸送機の真下を移動していくのを確認することができた。 UFOの高度は,およそ1千メートル程度だと思われた。
さっそく基地から,ベノン迎撃戦闘機がスクランブルされた。レーダー管制塔がスクリーン上のUFOの位置を確認しながら,戦闘機をUFOの近くに誘導させた。
戦闘機パイロットが,機上のレーダーと肉眼で確認できることを伝えてきた。
だが,その直後,UFOは戦闘機の眼の前から消えてしまった。それを,管制塔のレーダーも捉えていたが,UFOは瞬間的に戦闘機の後方へと移動したのだ。
戦闘機のパイロットは後方にピタリとついて飛行しているUFOを発見し, なんとかこれを振り切ろうと,急激な方向転換,急降下,宙がえりなどを試みたがうまくいかなかった。
戦闘機の燃料が切れるまで,UFOは後方にくっついたまま追尾したという。 戦闘機が基地に帰投するのを見届けると,UFOは,アッという間に飛び去っていった。
事件当時の夜は晴れて視界は良好であった。地上の管制塔のレーダーと機上のレーダー,それに基地の将兵の肉眼と, 機上のパイロットの肉眼の4者が同時にUFOを確認したことで,この事件はもっとも信頼できるUFO事件として分類されている。
また
この日 ,同じサフォーク州のレイクンヒース空軍基地(ベントウォーターズ空軍基地の北西にある)のレーダーもこのUFOを捕捉していたため,このUFO事件は,「レイクンヒース事件」とも呼ばれる。
【参考文献】
『謎のHALT文書』,1989年
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒FC2(レイクンヒース事件 イギリスのレイクンヒースにある空軍基地のレーダーに突然に、推定時速3200キロメートルで動く未確認飛行物体が捕捉された)

参考外部サイト⇒SSPC(レイクンヒース基地管制官からの手紙)

参考外部=>阿修羅(1956年の事件)
 
1957年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ミルトン・トーレス事件(イギリス) 

★全米記者クラブでスピーチする78歳のトーレス博士
1957年5月20日 ,イギリス・ケント州にあるマンストンイギリス空軍基地で, 第514要撃戦闘飛行隊の第406航空遠征航空団に所属していたミルトン・トーレス中尉(当時25歳)が, イースト・アングリア地域上空の未確認飛行物体の要撃のためF-86Dジェット戦闘機で飛び立ち,高度3万2000フィート(約9.7キロ)で, 目的物をとらえたが,物体は,厚い雲の中におおわれ目視できなかった。 しかし,機のレーダーがはっきりととらえていた。レーダー画面が焼き焦がれるほどだったという。 その影は航空母艦の形をしていた。上限ギリギリ約24キロでターゲットはロックオンされた。 地上からの命令でロケット弾をすべて撃ち込めという命令が入った。しかし,物体はレーダースコープをさっと横切り,機と地上のレーダーからも消え去ったという。 その物体が消え去る速度は,時速約16000キロだったという。
トーレス氏はその後,工学の分野で学士号を取得すると,フロリダ州のケープ・カナヴェラル基地の射撃統制士官となる。ベトナム戦争では200回以上の戦闘飛行に就き,
1971年 に空軍を退役する。退役後,機械工学の分野で博士号を取得したのち大学教授になった。 その後,イギリス国防省がUFOに関するファイルを公開し始めたときに,トーレス氏のUFO遭遇関連書類の写しが出てきた。 これが,この出来事の機密解除になり,トーレス博士は長年秘めていた話を語り始めた。 全米記者クラブで開かれたスティーヴン・バセットXカンファレンスでスピーチをしたトーレス博士は,UFO問題について, これまでわかったことを開示し,秘密を隠し続けなければならない多くの人を開放することを合衆国政府に呼びかけた。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒UFO事件簿( UFOニュース2008年)

参考外部サイト⇒Wikipedia( List of reported UFO sightings)

参考外部サイト⇒mail online(U.S. fighter pilot: 'I was ordered to fire 24 rockets at UFO flying over East Anglia)

参考外部サイト⇒You Tube(Pt 2 Milton Torres UFO Disclosure Press Conference 09)
●ルチアノ・ガリUFO同乗事件(イタリア) 1957年7月7日 ,エンジニアのルチアノ・ガリは,ローマ郊外のクロアラ・リッジでUFOに乗り,上空にいた葉巻型の母船内に案内された事件。
この日 ,ガリが自宅での 昼食後 ,自分の工場に戻ろうとしたとき,一台の黒のフィアットが来てとまり,長身で黒い肌の男が彼に話しかけてきた。 男は突き刺すような漆黒の目をしていた。そして,ガリを車に乗るよう誘った。車には,もう一人のもっと小さくて繊細な顔をした男が運転をしていた。 車が,ローマ郊外のクロアラ・リッジまで行くと,そこには円盤型のマシンがガリを待っていた。 円盤の下側の中央からシリンダーが降りてきて,そのドアが開くと,長身の方の男が,ガリを円盤内に導き入れた。
円盤の底には直径1ヤード(0.9m)ぐらいの窓のようなレンズがあり,それを通して円盤が上昇するにつれて,小さくなっていく地球を見ることができた。
数分 のうちにガリたちは宇宙にいて,巨大な葉巻型の物体に接近した。 それは,推定600メートルもある巨大なもので,一方の端を,ひじょうに明るい光が取り巻いていて,そこのポートから,たくさんの円盤がはいったり出たりしているのが見えた。
開いているポートの一つに飛び込み,ガリが円盤を出ると巨大な船内にいることを知った。 400〜500人以上の人が,立ったり歩き回ったりしていた。彼は船内を案内してもらい,大きな図書館,ラウンジ,コントロール・ルーム,指令室などを見せてもらった。
4時間 もたたないで,彼はローマ郊外の,出発したところに戻った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
●アントニオ・ボアス宇宙人誘拐事件(ブラジル)

★サイト:「UFO事件簿」から
1957年10月15日 ,ブラジルに住むアントニオという青年が,宇宙人に誘拐され,UFO内で異星人の女性とセックス体験をした事件。
ブラジルのミナスジェラエス州のサンフランチスコ・デ・テレスに住む農夫のアントニオ・ビラス・ボアス青年(23歳)が,
この夜 ,畑で一人農作業をしていると,赤い星が畑に落ちてきた。 それは,あたりを真昼のように照らし,長さが10メートルほどもあるタマゴ型の円盤で,トラクターから15メートルのほどのところに三本脚で着陸した。
アントニオは,トラクターで逃げようとしたが,エンジンがかからなかった。 走って逃げる途中で,円盤の中から出てきた,異様な人間に捕まり,かかえあげられ円盤の中に連れ込まれてしまった。 彼らは,身長が1.5メートルほどで,高いヘルメットをかぶり灰色の体にピッチリと合ったオーバーオールを身につけていた。
円盤の中で,アントニオは裸にされ,粘り気のある液体で全身を拭かれた後,チューブのようなものをあごの下にあてがわれ,血液を採取されたという。 また,別の部屋に通され若い女と性的関係をむすばせられた。 その女は,東洋的な美しさをしており,そばかすがあり,とがったアゴをし,明るい青い眼の斜視で身長が1.4メートルぐらいであった。
その後,アントニオは服を着せられ,円盤の中を案内してもらった。 アントニオを降ろした円盤は着陸脚を引き込み,回転塔を回しながら,弾丸のように飛び去っていったという。 気がつくと,
朝の5時半 であった。
【参考サイト】
UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『UFOと宇宙(NO.24)』,(ブラジルの奇怪な誘拐事件),1977年
『世界UFO大百科』,(美人宇宙人に誘拐された青年,文:秦洋一),1985年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))


★サイト:「UFO事件簿」から
●レブランド走行車エンスト事件(アメリカ) 

★自動車が止まった場所
『謎のUFO怪事件』より
1957年11月2日夜, テキサス州レブランド近辺を走っていた車が,低空を飛んできた魚雷型の巨大な発光体(UFO)により,エンジン停止やヘッドライトが消えたりした事件。
物体は長さが約60mぐらいで卵型および魚雷の形をしており,ネオン燈のように輝いていた。物体が近づくと,遭遇した車やトラックのエンジンが止まりヘッドライトが消えた。 物体が遠ざかるともとに戻った。
この夜,レブランド署の当直巡査A・J・ファウラーのもとには,こういったUFOに関する通報が15件入ったという。
郡保安官のウェイア・タレムはネオンサインのような赤い光が,400mも離れていない前方でハイウェーを横切るのを目撃,
2秒間 ほど,前方の路上を照らしだしたという。 物体の発する光は点滅を繰り返し,光がつくたびに自動車のエンジンが止まり,ライトが消えたと目撃者のひとりが語っている。
この事件は,UFOが起こすEM効果の最も信憑性の高いものといわれている。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.25)』(続宇宙・引力・空飛ぶ円盤),1977年
『謎のUFO怪事件』,1992年
●イタイプ要塞UFO襲撃(ブラジル)  1957年11月4日午前2時 ,ブラジルの要塞イタイプ上空に出現したUFOが,要塞の機能を一斉に停止させた事件。
その夜,大西洋上の空は澄み渡っており星が1つ輝いているだけであった。物体はものすごい速度で接近してきた。 あまりにも速いので2人の兵士はパトロールのことも忘れてただただ眺めていた。 UFOは停止して強烈なオレンジ色の光りを発しながらゆっくりと舞い降りてきた。要塞の砲塔から40~50メートルの上空で,UFOは動きをとめ静止した。 その物体は,低くうなる音を発していた。
哨兵たちは何か熱いものが顔に触れるのを感じた。そのうちの1人はすすり泣くような声を聞いたようだという。 次に衣服全体に火がついたような耐えがたい熱波が襲ってきた。同時に要塞の電気系統がすべてだめになった。 照明設備,機械の動力用電源,自家発電装置,通信システム。 これらが一斉に機能停止した。
5時 にセットしてあった電気時計のベルが鳴り始めた。 午前2時3分 であった。
数分後 に不気味な機械音が止まり,電気設備が元に戻った。地上に出た数名の士官達も,オレンジ色に輝く巨大なUFOを目撃した。 UFOはまっすぐ上昇してすぐに見えなくなった。
辺りには失神して倒れている哨兵と,物陰で錯乱している哨兵がいた。2人は全身に火傷を負っていた。

【参考文献・サイト】
『UFOと宇宙(NO.25)』(続宇宙・引力・空飛ぶ円盤),1977年
・サイト⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)

参考外部サイト⇒怖話(イタイプ要塞襲撃事件)
●ラインホルト・シュミットUFO遭遇事件(アメリカ)

★シュミットが遭遇したとされるUFOのイラスト
『未公開UFOファイル2018』から
1957年11月5日,穀物バイヤーのラインホルト・シュミットが,ネブラスカ・カーネイの川床に着陸していたUFOに遭遇し,その乗員にUFO内を案内された。
カルフォルニア州に住む穀物バイヤーのラインホルト・シュミットは,この日ネブラスカ州カーネイの南約1.5キロのところを車で走っていると,川床に巨大な葉巻型の物体が着陸しているのに気がついた。
物体の大きさは全長が約30メートル,幅9メートル,高さが4メートルほどで,4本の脚で地上に立っていた。
シュミットが,車を近づけようとすると,急にエンジンが止まり車が動かなくなった。 そこで,車からおり徒歩で近づこうとした。すると,その物体から発する不思議な光波のようなものにさえぎられて前進できなくなった。
突然,物体の中から一人の男がでてきて,シュミットにたくみな英語で話しかけてきた。 そして,迷惑をかけたことを詫び,彼を物体の中へ案内した。
物体の中には乗員が全部で6人おり,うち2人は女性だった。みな,上手なドイツ語で話しており,いそがしげに機械類のなかを動きまわっていた。 乗員の歩き方を見ていると,それは歩くというよりも滑りまわるようにみえたという。彼らは,何か物体内の修理をしているようだった。
シュミットは,案内者にいろいろ質問したが,ただ危害を加えないというだけで,質問には答えてくれなかった。
修理が終わり,出発のまぎわになって,彼らはシュミットに,物体が去ってしまうまでは,自動車をスタートさせることはできないだろうことを告げた。
やがて物体は軽く4,50メートル垂直に飛び上がり,それからほとんど空中へとけこむかのように見えなくなったという。
シュミットは警察に届け出たが,正気でないと判断され精神病院に送られた。 しかし後日,物体の着陸現場に出かけた現地の警察署長が,何らかのものがそこに着陸していたこを確認した。 また,その地域で,謎の飛行物体を何人もの人が目撃していることがわかり,シュミットの発言が見直されることになる。
【参考文献】
『宇宙の使者』,1973年,著者:斎藤守弘
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒TOCANA(警察が態度急変→精神病院に強制入院!? UFOコンタクティー、ラインホルト・シュミット事件の真実)

参考外部サイト⇒You Tube(【UFO・未確認飛行物体】もう一つのUFOコンタクティー「ラインホルト・シュミット事件」の真相 )
●クラーク少年着陸UFO遭遇事件(アメリカ) 1957年11月6日朝6時半 ,テネシー州ノックスヴィル郊外のダンティに住むエヴァレット・クラーク(12歳)は,家の近くの原っぱに着陸しているUFOに遭遇し,4人の乗員を目撃した。
この朝 ,クラーク少年は飼い犬のフリスキーを外に出してやるために起き,犬を放してやると,家から300フィート(91m)離れた原っぱに不思議な長円形の輝く物体が静止しているの目撃した。 夢でも見ているのだろうとクラークは一度ベッドに戻ったが,数分後,犬を呼びにドアのところに戻ると,その物体がまだそこにあるのを目撃した。
フリスキー以外にも近所の犬が数匹,その物体の周りに集まって,物体のそばにいる4人の人物に向かって吠えたてていた。 4人の人物は,男,女が二人づつだった。4人のうちの一人がフリスキーをつかまえようとしたが,犬はうなり声をあげて後ずさりした。 その4人の人物は,クラークが映画で見たドイツ兵みたいながらがら声で話していたという。
男がフリスキー以外の犬をつかまえたが,犬が噛みついたので,その男は犬を放してやった。 彼らの一人がクラークに気づいて,近くにくるような身振りをしたが,クラークは拒絶した。 それから,その不思議な4人組は,向こうを向いて物体の壁を貫いてまっすぐに歩いて行くように見えたという。
後に,ノックスヴィルの《ニューズ・センティネル》の記者カーソン・ブルワーが,その野原に長さ24フィート(7.3m),幅5フィート(1.5m)にわたって草がおしつぶされた跡を発見した。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
 
1958年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ブラジル海軍UFO撮影事件(ブラジル)
【トリンダテ島事件】

 
 

中央はUFOの拡大。
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
1958年1月16日 ,国際地球観測年で海上研究をしていたブラジル海軍が, トリンダテ島近海で土星型円盤を撮影し,これが大統領名で「本物」と公認される。
ブラジル海軍の科学船アルミランテ・サルダーニャ号に乗船中の50名の士官たちが,トリンダテ島付近の水平線上を飛行しているUFOを目撃した。 報道関係者として乗船中のカメラマンアルミロ・バラウナを甲板に呼び,UFOの撮影を要請した。島の山頂付近で急旋回し, 高速で水平線へと飛び去ろうとしていたUFOの写真を4枚撮影するのに成功した。
撮影されたフィルムは,船長を含む2名の立ち会いのもとで船内で現像され,焼き付けされた写真には,緑色に輝く土星型のUFOが写し出されていた。 ブラジル海軍相のアルヴェス・カマラ提督はクビチェック大統領に面会を求め,会談後に海軍が撮影に成功したUFO写真は本物であるとの大統領談話を公式に発表した。
国が世界で初めてUFO写真を公認する歴史的出来事となった。
【参考文献】
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』,監修:南山宏, 2010年
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(トリンダデ島事件)

参考外部サイト⇒怖話(【1958年】トリンダデ島事件)




UFOの飛行ルート図。
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
●イグアペUFO沈没事件(ブラジル) 1958年10月31日午後2時半ごろ の事,ブラジルのイグアペでガランガランという金属音とともに故障していると思われる5メートルもある銀色のUFOが町の上空に姿を現し, そのまま機体はペロパバ川近くの濁った水の上に突進し,川の流れの中にすべり込んだ。
水が沸騰したらしく, 沈没地点あたりで川底からの泥が渦を巻いていた。 12人の目撃者がいた。本格的な調査が始まったのは
1週間後から で,川の底に沿って走る4メートル以上の深い泥の層によって,機体の残骸をつきとめることはできなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
●スコットランド異星人遭遇事件(スコットランド) 1958年11月 ,地方守備陸軍部隊が演習中の二人の若者が,身長が2m以上もある二人の異星人らしき者に遭遇した事件。
地方守備陸軍部隊が週末の演習を,アバーディーンから約60マイル(96km)のターランド村より数マイルはずれたブリマーとバラターの中間の場所で実施した。 演習が始まり,二人の若者が数時間小さな丘の頂上に歩哨として残された。二人とも完全武装をしており,横になるための壕を掘っていた。
早朝 ,太陽が地平線に現れたとき,二人の位置から数百ヤード離れた樹木の後ろから,ビンから水を流し込むときのようなドクドクという奇妙な音が聞こえてきた。音がやまないので, 二人は調べるため樹木の方へ歩き始めた。すると突然,二人の人影がよろめきながらこちらに向かって歩いてきた。 若者たちは恐怖で歩けなくなった。近づいてくる者たちは,身長が2~2.4メートルぐらいあり,ドクドクという音を出していた。 それは相手が互いに喉の奥で話し合っているために出てくる音のようであった。 奇妙な服装をして,荒れた丘の頂上を歩くのが困難らしかった。
二人の若者は,急ぎ丘をかけおり,ターランドのハイウェーに向かって走った。 郵便局のエンジニアたちの臨時宿泊所になっている小屋に向かった。 道路を走りながら,若者の一人が振り返ると,背後でシューッと音をたて,巨大な円盤型物体が地上数フィートの空間を道路沿いに飛んでくるのを目撃した。 巨大な物体は,一目散に逃げる二人の若者の頭上をサーッと飛びこえて,まもなく見えなくなった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.18),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1976年
●ケーキ人間襲撃事件(スエーデン) 1958年12月20日の午前3時ごろ ,デンマークとの間を隔てるエレソン海峡に面したヘルシングボリ市の付近で,ボーリングのピンとスポンジケーキの合いの子のような得体の知れない4匹の怪物に2人の男が誘拐されようとした事件。
ハンス・グスタブソン(25歳)とスティグ・ティドベルトは,ダンスに出かけて帰る途中,近くの松林のなかの空き地に,光るものを見つけて車を止めた。2人は車を降りて近づいていくと,それは三脚台の上に乗った直径4.8mほどの光を放つ物体であった。
突然,4匹の怪物(身長が1.2mぐらいで手足が短かい)が彼らを襲ってきた。強い握力で,2人は着陸中の物体に引きずられていった。
その怪物に右手のこぶしで抵抗すると,こぶしはひじのあたりまで相手の体のなかにめりこんでしまった。ぐにゃぐにゃした怪物は,彼らの考えを読めるようだったという。彼らがつかもうと思うと,瞬間その部分をひっ込めたという。
看板の柱にしがみついたハンスを,2匹の怪物がまごついていると,スティングを引きずっていた他の2匹がスティングを放し,手伝いにきた。
スティングは走って車にもどり,けたたましくクラクションを鳴らした。音に驚いた怪物たちはハンスを放した。怪物たちは,急いで物体の中にもどり,物体は地上を離れ上昇して消えていった。
地方の各新聞は,彼らの供述を面白おかしく報道した。 とくに”ボーリングのピンか丸い菓子パン”みたいな怪物だったというハンスの言葉をからかって, この事件を”ケーキ人間の襲撃”と書き立てたが,2人の同意のもとにテストを行った精神科医のエリック・エッセルとキルヘルム・ヘルステン両博士は, 彼らの体験が本物であるという結論に達した。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【UFOと謎の奇怪な生物,文:グレイ・バーカー】,1977年
 
1959年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●グジニア港UFO墜落事件(ポーランド)  1959年2月21日, ポーランドのグジニアというバルト海の港で,桟橋で働いていた労務者たちが白熱した物体が港に落下するのを目撃した。 謎の物体を捜すためダイバーが見つけたのは,錆びていない金属片一つだけであった。
また,
2日後 けがをした異星人が浜づたいに這っているところを発見された。 宇宙服のような奇妙な金属製の服装をしていたという。彼は病院に連れていかれ,医者は服を脱がせるのに苦労をしたが,腕輪のようなものを外したとたん, その患者は死んでしまったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
参考外部サイト⇒ TOCANA(ポーランド版ロズウェル事件)
●キリアン機長UFO目撃事件(アメリカ)  1959年2月24日の夜 ,ニューアークからデトロイトに飛行していたアメリカン航空の貨物輸送機のピーター・キリアン機長と副操縦士のジョン・ディーは,ペンシルバニア上空にさしかかった際, 互いに位置を変えながら飛ぶ3つの明るく光る物体が機の周囲を動き回っているのを目撃した。 同地域にいた他の航空会社の乗員たちも,この物体を別な角度から目撃していた。
この報告に対し空軍からは”ジェット機に燃料補給している空中給油機”だとか,”オリオン座の三つ星の見間違え”とかの説明を聞かされる破目になった。 キリアン機長は豊富な経歴をもつベテラン・パイロットであり,空軍のスポークスマンが,ニューヨークの新聞記者たちに,キリアン機長はおそらく飲みすぎていたのだろうと語ったため, キリアン機長は法廷で争う構えをみせた。その中傷はすぐに撤回されたという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』,1988年,著:フランク・エドワーズ
●パプア島円盤騒動事件(パプア・ニューギニア)

『コズモ(UFOと宇宙)』NO.3から
パプア島のグッドイナフ湾付近の上空で 1959年の6月から8月 において,多数の円盤が目撃された。特に, 6月27日 のボイアナイの目撃時には円盤の乗員らしき人影が円盤上から手を振った。

●以下,
6月27日 の目撃状況−
1959年6月27日午後6時ごろ,前日の6月26日 に続き,同じ形の円盤がボイアナイに出現した。 ボイアナイは,ニューギニア島のパプア内にある村落で,海岸には,ボイアナイ全聖者伝道本部があった。 本部長のウィリアム・ブース・ジル神父と他数十名の目撃者がいた。円盤の上部には4人の人影が見えた。 乗員の一人は手すりにもたれてこちらを見下ろしていた。 神父が手を振るとその人影も同じ動作をした。アナニアス(目撃者の一人)が両手をあげて振ると,今度は二人が同じことをした。 何分間か交歓をかわすうちに彼らは興味を失ったのか姿を消してしまった。青いスポットライトが,数秒間づつ二度点灯された。 神父らは, 午後7時 の礼拝に出席し,礼拝が終った 7時45分 に協会を出たときには,雲におおわれた空には円盤は全て (人影が見えた大型円盤のまわりに小型の円盤が数機目撃されていた)姿を消していた。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』(NO.3・4),1973年(パプア島の円盤騒動,文:ノーマン・クラットウェル神父,訳:増野一郎)
参考外部⇒GA Site(パプア・ニューギニアのUFO出現騒動)
●ギデオン・ヨハンソンUFO遭遇事件(スウェーデン) 




★『宇宙人の死体写真集』から
1959年の10月末のこと,スウェーデン南部のマリアンルンドという町で,電気技師だったギデオン・ヨハンソンが,地上50cmに静止しているUFOに遭遇し,UFO内にいる2人の不思議な乗員を目撃した。
ギデオンは,この日帰宅していたが,
午後7時前に突然,停電となってしまった。
停電の原因を調べようと家の外に飛び出していくと,三階建ての建物の上空に目もくらむような光体が浮かんでいるのを目撃した。ギデオンは最初,航空機が墜落しかけているのではないかと思ったが,その物体は空中に静止したまま動かなかった。音は,まったく聞こえてこなかった。
そのうち,その物体はゆっくり動きだした。どうやらヨハンソン家の庭に向かって降下してくるようだった。降下中に機体は3度ほど揺れ,カエデの木のこずえにぶつかった。UFOは,そのまま枝のあいだを抜けてほぼ垂直に降下し,路上50cmのところで静止した。そこで小型ボートのようにゆらゆらと空中で揺れている。
ギデオンが,門のところにたどりつくと,UFOはほんの3mほど近くにあった。UFOは全長が3.5〜4m,高さ2.5m,楕円形をしていた。薄いブルーで,厚さ8mmはありそうな装甲板に似た金属で造られているように見えた。周囲のフレームは,リベットでとめてあったため,UFOはまるでハンドメード(手作り)のような気がしたという。
そして,UFOの機体には窓があり,内部には不思議な白い光がついていた。窓ごしに見ると,機内に二人の小柄な奇妙な人物が座っていた。頭が大きく,美しい大きな目をしていた。鼻は細長く,おちょぼ口で,下あごが小さく,あごの先が尖っていた。彼らは黒い色の幅広のベルトを肩から胸にXの字のように交差させて,ユニフォームを着ているようだった。
一人が,急いでベルトをはずすと,しゃがみこんでなにか作業をはじめた。作業は,すぐに終わったようだった。ギデオンは,手を振って笑いかけたが,乗員の一人が数秒間,ギデオンをじっと見つめただけであった。
まもなく,UFOは浮かびあがり,いったん停止して機内の光が消えると,あっというまに飛び去ってしまった。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三
 
1960年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ジェルメン・ティシット宇宙人遭遇事件(フランス)
【ピュイ・ド・ドーム事件】



★遭遇したUFOと宇宙人
(IIIust/"Phenomenes Spatiaux" no.21)
『宇宙人の死体写真集2』から
1960年の4月もしくは5月初めのある晩 ,フランス中部のピュイ・ド・ドーム県にある村でパン屋を営んでいたジェルメン・ティシット(50歳代)は, 付近に着陸した巨大な円盤型UFOに遭遇し,中から降りてきた小柄な乗員からビーム光線を浴びせられた。
午前2時ごろ,パン生地をこねる作業が終わったティシットは,窓の外から差し込む光と奇妙な音を聞いた。
なんと,パン製造工場の外にある坂道に巨大な物体が着陸しているのを,外に出たティシットは目撃した。
最初,物体は坂道の傾斜どおりに傾いて着陸していたが,底部から着陸装置が伸びてきて機体が持ち上がり水平になった。 その物体はコマのような形状をして,大きな音を発していた。幅は10〜15メートルで高さが5メートルほどであった。 物体の上半分は透明で,高速回転をしており,ネオン管に似た長さが50センチほどの蛍光管が,同じ間隔を空けて表面に4列並んでいた。 列により色が違ったが,まぶしい多色の光を機体の周囲に投げかけていた。そして,物体からは生温かい強烈な風が噴き出していた。
すると,物体の右手からはしごが下りてきて,そのはしごから小柄な人間が地上に降りてきて,ティシットのほうに近づいてきた。ティシットは,その乗員をつかまえてやろうと強風に逆らって突き進んでいった。
その乗員は小柄だったが,体格がよく,顔立ちもハンサムらしかった。 小さなブーツとぴったりしたズボンをはき,ボタンが並んだ灰緑色のジャケットを着ていた。 消防士のようなヘルメットをかぶり,4つの箱のついたベルトをしていた。
近づいてくるティシットに気づいた乗員は,懐中電灯に似た長いチューブを構えた。 すると,そのチューブの先から強烈な白いビームが放射され,ティシットの胸と頭を直撃した。彼は,息ができなくなった。 それでも,まだ進んでくるティシットを見て恐れをなしたのか,その小柄な乗員は,はしごを昇ると円盤の中に姿を消した。
円盤は垂直に30メートルほど上昇した。そして,わずかに揺れながら南の方角に猛烈なスピードで飛び去っていったが,その際,ティシットは月明かりで,同じような形をした円盤の群れに加わったのが見えたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』 著者:中村省三, 1991年(フランスのパン屋にビーム光線を浴びせた宇宙人)
参考外部⇒オカルト・クロニカル(パン屋 VS 宇宙人 ピュイ・ド・ドーム事件)

参考外部⇒GA Site(フランスに着陸したUFO軍人)
●牛乳配達人UFO遭遇事件(オーストラリア)  1960年の夏のある朝早く ,オーストラリアのシドニーの南海岸に沿って歩いていた牛乳配達人が,着陸している円盤とその乗員2人に遭遇した。
牛乳配達人は,すみれ色に取り囲まれ,哀れっぽい音を出している妙な金属製の円盤に出くわした。
突然,2人の男が現われた。2人とも宇宙服を着て透明なヘルメットをかぶっていた。 彼らの目は青く,東洋人のような顔をしていた。そして,完全な英語で牛乳配達人に声をかけたが,彼らの唇は動かなかった。 その声は,ベルトについている四角い箱から出ているようだった。
彼らは,オリオン星座から地球を接収する準備をするためにやってきたのだと警告し, 彼らが,その牛乳配達人に接触できたのは,彼からでているオーラのせいだと告げた。 そして,彼らは,いつかまた戻ってきて彼と接触することを約束したという。

【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
 

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