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UFO事件集(1951年〜1960年) 
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1951年〜1960年
1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年
1957年 1958年 1959年 1960年
1951年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ラボック・ライト【ラボック光体群】目撃事件(アメリカ)
1951年8月 にテキサス州ラボックで目撃された謎の光体群。 この光体群は,この年( 1951年 )に14回目撃された。

⇒1951年8月25日PM9:10ごろ,テキサス工業大学の地質学教授のロビンソン博士は,テキサス州ラボックにある自宅の裏庭で,2人の同僚 (応用化学の教授A・G・オーベルグ博士と石油化学科の主任W・L・ダッカー教授)と,無数の光体が数秒間に,地平線から反対側の地平線に音もなく上空を通過するのを目撃した。
それは30数個ぐらいの数珠(じゅず)を半月形にならべたような印象であった。
数分間に,他の同様な一群が,夜空を燦然と飛んでいった。その光は 1秒間に30度円弧を通過する速度で飛行している事実を観察することができた。
科学者でもない一般人でも何百人の人たちが,このラボックの上空で神秘的な半弧を描いて飛ぶ光体を見ていたのである。

(出典;『空飛ぶ円盤実見記』 【高文社:1972年刊行/ 著者:D・レスリー】から抜粋)


(★ラボック光体群を目撃したテキサス工科大学の3教授(左からオーベルグ教授,ダッカー教授,ロビンソン教授)と討論に加わったジョージ博士(右側))
『UFOと宇宙』NO.33【日本の科学者に問う】から)

⇒1951年8月31日夜
,テキサス州ラボック市に住んでいた18歳のカール・ハント少年が撮影(コダックの35ミリカメラを利用しf3・5、1/10秒で撮影)した光体群。光体は、夜空を十数個のオレンジ色に輝やかせて編隊をなして通過していった。
ユナイテッド・プレス社によってアメリカ全国に流され有名になった。
空軍は「鳥の群れ」としてかたづけた。
(出典;『コズモ』(UFOと宇宙)1973年7,8月号(創刊号))


(★ラボック光体群をコダック35を使用してとらえたカール・ハント少年)
『UFOと宇宙』NO.33 【日本の科学者に問う】から)
参考外部サイト⇒ Wikipedia(Lubbock Lights)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ラボック事件)

参考外部サイト⇒リアルライブ(嘘か真か? V字で飛行する「編隊飛行UFO」は実在するのか?)

参考外部サイト⇒徒然ブログ(ラボックライト)

参考外部サイト⇒怖話(【1951年】ラボック事件)
●ウェップ教授UFO目撃事件(アメリカ) 1951年8月3日,天文学講師のウォルター・N・ウェップ教授が,シルバー・レイク湖岸でUFOを目撃した事件。

マサチューセッツ州ボストン(Boston)のチャールズ・ヘイドン・プラネタリウム(Charles Hayden Planetarium)主任天文学講師ウォルター・N・ウェップ教授(Astronomer Walter Webb's) は,シルバー・レイク(Silver Lake−ミシガン州)湖岸にある青少年キャンプ場で,小型望遠鏡を使って,子供たちにさまざまな天体の観測をさせていた。
午後11時少し過ぎ,教授は湖の南端の丘陵地帯のうえを波形の軌道を描いて移動する,黄またはオレンジ色の明るい光に気がついた。
その物体は波形軌道の底部では木々の梢に隠れてしまうほどの超低空を飛行していた。飛行機や惑星なら木の高さ以下の低空で飛行するはずもなく,教授は何かひどく異常なものを目撃したことを知った。
それが地上の明かりの逆転現象である可能性は即座に除外された。なぜなら,その種の現象が起こる気象条件ではなかったからだ。
それは,本当に見たままのもの,つまりUFOであったというのが,観測事実にもとづく唯一の結論だった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Walter Webb's, 1951, Silver Lake, UFO 】
参考外部=>cohenufo(Astronomer Walter Webb's 1951 UFO Sighting)

参考外部=>rr0(Walter No. Webb)

参考外部=>NICAP(Astronomer Walter Webb's 1951 UFO Sighting)

参考外部=>EducatingHumanity(Astronomers who claimed to have seen UFOs)
●ウンマトジェラ族UFO目撃事件(オーストラリア) 1951年9月,中央オーストラリアでアボリジニー(aborigines-原住民)のウンマトジェラ(Walmatjari) 族の一団が,着陸した2機のUFOを目撃した。

彼らは,低い丘の上から輝く丸い物体が着陸するのを目撃した。似たようなもう1機の物体はすでに地上に着陸していた。2機目の物体は,1機目から少し離れたところに降下した。
着陸している,その円盤状の物体は二つとも同じ大きさで,直径は25フィートから40フィート(約7.6m〜12m)で,高さは”人間一人分とその半分”であった。
アボリジニーたちは,その物体に近づくのが嫌で,岩だらけの丘の上に隠れたまま,この奇妙な光景を見守っていた。
数分後,非常に小さな人間に似た生き物(光る服を着て,丸い光る頭【ヘルメットか?】をしていた)が,2機目の物体の底面から出てくると,1機目の物体の底から中に入っていった。
しばらくすると,1機目の物体が,昆虫の群れのような唸りをあげて上昇をし始め,すぐに2機目の物体も続いて空に舞い上がり,二つとも見えなくなったという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部サイト=>Wikipedia(アボリジニ)



参考外部サイト=>JOSHUA PROJECT(Walmatjari in Australia)

参考外部サイト=>PROJECT 1947 FORUM(AUSTRALIAN ABORIGINAL CULTURE
AND POSSIBLE UFO CONNECTIONS)
 
1952年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●スピッツベルゲン島UFO墜落事件(ノルウェー) 1952年の初頭,ノルウェーのスピッツベルゲン島に墜落して破損した空飛ぶ円盤が発見されたことをノルウェー政府が発表した。

通信社の外電が,ノルウェー軍のパイロットがスピッツベルゲン(Spitsbergen)島に飛行機の残骸とおぼしきものがあると報告した。
1952年のことである。
救助隊が現場へ飛び,ノルウェー政府は次のように発表したと伝えられる。
「発見されたのは航空機ではなく,一般に空飛ぶ円盤と呼ばれる物体で,ひどく破損していたが,それと識別できるほどの原形はとどめていた」
同国スポークスマンは,合衆国と英国の専門家に通知して調査への参加を要請したと語った。
しかし,その事件は外電ニュースから消えた。
1955年,ノルウェー政府のスポークスマンがその沈黙を破る。
次の<シュトウットガルト・ターゲブラット(Stuttgart tagesblatt)>紙の記事はそれを報じた代表するものである。

ノルウェー・オスロ発1955年9月4日 − ノルウェー参謀幕僚調査委員会は目下,1952年初めにスピッツベルゲン付近に墜落したと思われるUFOの遺物の調査報告を公表すべく準備を進めている。委員長のゲルノート・ダルンビン(G・Dornbil)大佐は,空軍将校への訓令に当たって次のように述べた。「スピッツベルゲンの円盤墜落事件は極めて重要である。現在のわれわれの科学知識では,全ての謎を解明することはできないが,それだけにスピッツベルゲンの残存物は第一級の重要性を持つものである。以前には,この円盤がソビエト製のものではないかと発表されて,誤解を招いたこともあった。だが,円盤は地球上のいかなる国の手によって作られたものでもない − このことは大いに強調しておきたい。円盤の建造に使われた物質は,調査に参加した全ての専門家にとってまったく未知のものであった」
ダルンビル大佐によれば,調査委員会は「合衆国の専門家とある驚くべき事実について検討するまでは」,これ以上の報告を公表するつもりはない。「われわれは発見の内容を明らかにするべきだ。誤った秘密主義はパニックを引きおこす恐れがある」
アメリカその他からの情報とは対照的に,スピッツベルゲン事件以来,北極地帯の特別監視員に任ぜられていたプロプス(Brov)少尉とティレセン(Tullensen)少尉は,空飛ぶ円盤が極地方に数回着陸したことがあると報告した。ティレセン少尉は語る。「北極は未知の者たちに一種の航空基地として使われていると思います。とくに自分たちなら基地へ引き返さざるえないような吹雪の時に。自分は別々の機会に三度ほど円盤が発着するのを見ました。その際,気づいたのは,着陸した後で円盤の周囲が高速で回転するということです。光がまぶしく輝くので,この光のカーテンの裏で円盤の上や内部で何が行われているのかを全く見ることができません。光の強さは離着陸の際の速度に応じて変わるのです」

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章/破片を集めろ!】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「UFO CASEBOOK」から
参考外部=>Wikipedia(スピッツベルゲン島)

参考外部サイト⇒★阿修羅♪(スピッツベルゲン島)

参考外部サイト⇒Kazumoto Iguchi's blog(北極海にあるエイリアン基地!?:だれか探検してみないか?)

参考外部サイト⇒googleブックス(未確認飛行物体UFO大全)



【サイト検索キー: Spitsbergen, 1952, ufo 】
参考外部=>Earth Chronicles News(The UFO crash on Spitsbergen in 1952)

参考外部=>UFO CASEBOOK(The Legends of UFO Crashes at Spitzbergen,Norway,1946&1952)

参考外部=>MysteriousUniverse(The Spitsbergen UFO:A “Plant”?)

参考外部=>reddit(1952 Spitsbergen UFO crash)

参考外部=>ATS(UFO crash on svalbard in 1952?)

参考外部=>naziufos(Legend of the Spitsbergen Saucer)
●パンアメリカン航空機UFO目撃事件(アメリカ) 1952年7月14日,パンアメリカン航空の大型旅客機DC-4が,バージニア州上空近くを飛行中に,6つの円盤型UFOを目撃した事件。

パンアメリカン航空パイロットのウィリアム・B・ナッシュと副操縦士のウィリアム・フォーテンベリーがヴァージニア州ノーフォーク上空にさしかかったとき,600メートル下をそれぞれ直径30メートル以上もある半ダース(6個)の未確認飛行物体が並んで飛行しているのを目撃した。
その物体群はアクロバット飛行を見せ,90度の直角ターン,急停止などをやってのけた。乗っているのが人間だったら圧死してしまうような芸当である。
物体群は,「ピストルの弾丸が石の壁に当たって跳ね返ったよう」に急激に方向転換し,編隊を組んだまま西へ遠ざかっていった。その直後に,さらに2つの発光体が出現し編隊に加わったという。
乗務員たちの証言によると,円盤の光は動力源と何か関係があるようで,減速すると光が暗くなり,加速すると輝きが増したという。
円盤の速度は,時速19200キロメートル,音速の16倍であると推定された。
【参考文献】
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒カラパイア(3. ナッシュ・フォーテンベリー事件、パンアメリカン航空)

参考外部サイト⇒excite.ニュース(民間航空会社のパイロットが確かに見たと証言した5つのUFO目撃情報)

参考外部サイト⇒GIBEON(パンアメリカン航空目撃事件)

参考外部サイト⇒Men's Modern(ナッシュフォーテンベリーUFO事件)
●ワシントン上空のUFO乱舞事件(アメリカ)
1952年7月19日23時40分ごろ,アメリカの首都ワシントン上空に出現した多数の未確認飛行物体を,ワシントン・ナショナル空港の航空路管制部(ARTC)の長距離レーダー (100マイル(約160km)の探索距離を有し,航空路の管制に使用)がとらえた。

レーダー・スコープ上の物体は信じられないような動きを示した。 ナショナル空港にもう一つある管制塔の短距離レーダー(空港近傍の航空機の管制に使用)と近くのアンドリューズ空軍基地管制塔の短距離レーダーもこれをとらえていた。
レーダーで確認された飛行物体群は肉眼でも確認され,管制官,基地の要員,付近を航行していた旅客機の乗務員や乗客が明るい飛行物体として目撃している。 物体群は飛行禁止空域であるホワイトハウスや国会議事堂上空をも侵犯を繰り返した。
ARTCは,標的群がレーダーの故障に起因するものでないことが判明した直後,空軍に迎撃機を発進させて探索するよう電話をしていたが, 1機のF-94戦闘機が姿を現したのは明るくなる頃であった。その頃には標的群はいなくなっていた。

1952年7月26日21時30分 ごろ,ARTCのレーダー・スコープ上に,1週間前にUFO像を見た同じレーダー操作員が,再び同じような標的群を捕捉した。 ナショナル空港管制塔とアンドリューズ空軍基地の2か所のレーダーもこれらを捕捉した。ニューカースル空軍基地から2機のF-94戦闘機が迎撃に向かった。 ところが,2機のF-94が問題の空域に達するやいなや,標的群はレーダー・スコープ上から姿を消したのである。
F-94からの視界はきわめて良好であったが,何も視認できず,機上レーダーでも確認できなかった。 しばらく,問題の空域を飛び回り組織的な捜索を実施したが何も発見できなかったため,基地に向かって帰投し始めた。
すると,F-94がワシントン空域を去って数分後,この機会を待っていたかのように先ほどの標的群がレーダー・スコープ上のもとの位置にもどってきた。 再度,2機のF-94が戻ってきたが,今度は標的群はレーダー・スコープ上に踏みとどまった。だが,誘導されたF-94が標的に近づこうとすると,それらは増速して逃げてしまうのだった。 この追跡中,F-94機上のレーダーで捕捉しようとしたがまったくできなかったという。 ワシントン上空を
約20分 飛びまわった結果,燃料が減り,やむなく帰投した。
数分後に,標的群はスコープ上にまた輝きだした。標的群が,すべて飛び去ったのは,太陽が昇りはじめた頃であった。
この一帯にいた数千の人々が,飛行物体の群れを目撃していた。 写真にも収められ,世界中に報道された。 一般市民はもちろん,政治家も真相を知りたがり,空軍に強く圧力をかけた。
7月29日 ,空軍のジョン・サンフォード将軍とロジャー・レイミー将軍が記者会見を開き,人々の不安を和らげようとした。 この会見は,第1次世界大戦以来最も大がかりな記者会見となったが,サンフォード将軍の説明は,問題の光は星の見間違えたものであり, レーダー反射波は大気温の逆転が原因というものであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.27),【ワシントンのUFOパニック】,1977年
『UFOと宇宙』(No.67・No.68),【ワシントンUFO騒動の真相(上・下)】,1981年
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,【ワシントン上空の編隊UFO乱舞事件,文:黒田佑太】,1985年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』 ,2015年
 
参考外部サイト⇒ Wikipedia(ワシントンUFO乱舞事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ワシントンD.C.事件)

参考外部サイト⇒ザ・オカルトサイト (大量のUFOが襲来?「ワシントンD.C. UFO乱舞事件」)

参考外部サイト⇒怖話(【1952年】ワシントンUFO乱舞事件)
●クラリオン星人コンタクト事件(アメリカ)
【トゥルーマン・ベサラムの宇宙人コンタクト事件】




(円盤の平面・断面図)
いずれも「空飛ぶ円盤の秘密」から
1952年7月28日の午前3時ごろ ,ネバダ州グレンデール付近のネバダ砂漠の第91ハイウェイの補修作業の夜間修理工として働いていたトゥルーマン・ベサラムが,モルモン台地に着陸したクラリオン星からきた空飛ぶ円盤に遭遇した。

着陸した円盤は直径が300フィート(約90メートル),厚さが中心で約6ヤード(約5.5メートル),外端には1フィート(30センチメートル) ぐらいの傾斜面をもつ幅約3フィート(約1メートル)の縁が,船体の周囲をとりまいていた。 そして,降りてきた10人ぐらいの帽子をかぶり制服を着た小人(男の成人であるが身長が5フィート(150センチ)ぐらい)に円盤内に案内され, 女性機長アウラ・レインズとコンタクトした。機長のアウラは,ほかの男たちよりも少し背が低く,皮膚はバラ色をおびたオリーブ色をし,髪は短く端が上向きにカールされていた。 黒と赤の混ざったベレー帽をちょっと傾けてかぶり,黒いビロードのような上衣と赤い布地のスカートをつけていた。
彼らはトゥルーマンに対しては英語で話しかけたが,彼らどうしでは,トゥルーマンには理解できない言葉で話していたという。
トゥルーマンとアウラのコンタクトは,その後10回以上におよんだ。体験記を,
1954年 に『Aboard A Flying Saucer』(邦題:「空飛ぶ円盤の秘密」 1974年 刊)という本に著した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の秘密』,1974年
『UFOと宇宙』(No.24),1977年,(クラリオンの円盤と小人宇宙人)
『世界の超人・怪人・奇人』,2015年
参考外部サイト⇒ GAsite(第5章 最初のコンタクト 第3話  宇宙よりの来訪者より )

参考外部サイト⇒ 地震予知 UFO 宇宙人情報 音楽 etc(コンタクティたちの悲劇)

参考外部サイト⇒ UFOの科学的研究―学術研究出版センター(全米UFO論争史 >第5章 コンタクティとUFOマニア)

参考外部サイト⇒ 超魔界帝国の逆襲(クラリオン星人現る)
●モングッチ事件(イタリア)
1952年7月31日 ,アルプスのベルニナ山中で,ジャンピエトロ・モングッチ氏が着陸した 円盤と降りてきた乗員を目撃撮影した事件。

この日の朝9時ごろ のこと,イタリアのミラノにあるモンザ鉄工所の技師,ジャンピエロ・モングッチ(当時30歳)は, 夫人とともに,アルプスで夏スキーを楽しもうと,ベルニナ山(ヨーロッパ・アルプスの南東部にある標高4042mの山で,スイスとイタリアとの国境近くに位置している)に登っていた。 突然,音がまったくしなくなった。自分の足音さえ聞こえなくなったという。そのとき,山頂近くの氷河稜線の向こうから円盤形の物体がせり上がってきて,斜面上部に停止した。目撃したモングッチは無気味さを感じ岩陰に隠れたが,物体は氷河の斜面に静止したままだったので,勇気をだし50mほど登り,物体に近づき腹ばいになって, 持っていた望遠レンズ付きのカメラでそれを撮影した。
円盤形の物体の上部は丸いドームになっており,てっぺんに長いアンテナが立っていた。 すると,物体の左側から潜水服のような重装備をして,右手に懐中電灯のようなものを持ってヘルメットをかぶった一人の宇宙人らしき人物が現われ, 円盤の周囲を何か作業をするようにゆっくり歩き始めたが,そのうち円盤の裏側に姿を消した。 しばらくすると,円盤は上昇をはじめ,10mほど上昇したところで数秒くらい静止し,そして時速200〜300kmで北東の方角へと飛び去っていった。 時刻は,
午前9時27分 だった。
モングッチは,円盤が着陸してから飛び去るまでを7枚の連続写真におさめている。
彼の目撃談は,その後,『エポカ』というイタリアの雑誌の
1952年11月 号に掲載されたが,次の号で,円盤は模型で宇宙人は人形であり,写真はインチキだという暴露記事が載った。 この記事のため,モングッチの写真はトリックだという説が広く知れわたるようになる。 モングッチは,この写真を撮影したせいで信用を落とし,職を失った。
しかし,事件から
24年 たってから再調査に乗り出したICUFON(国際UFO星間宇宙船調査分析ネットワーク;ニューヨークに本部がある民間UFO研究団体。 代表者はコールマン・ヴォン・ケビュツキー氏)は,その分析結果を次のように発表した。
●着陸した円盤の撮影距離:60m
●離陸する円盤の撮影距離:200m
●円盤の直径:12m
●円盤の高さ:3.5m
●宇宙人の身長(スーツなしで):1.75m
そして,ICUFONによると写真は本物で,事件をうやむやにしたのはCIA(米中央情報局)の陰謀だという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』2015年,著者:韮澤潤一郎
参考外部サイト⇒GAsite(ボリビアの凶暴な怪人 )

参考外部サイト⇒ UFO事件簿(1952年7月31日/アルプスのベルニナ山峰のモングッチ写真 )
●フラッドウッズモンスター事件(アメリカ)

『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から




★目撃者となった少年たち
『宇宙人の死体写真集』から
1952年9月12日 ,アメリカ・ウェストバージニア州のフラッドウッズに怪物のような宇宙人が現れ, この怪物は,後にフラッドウッズモンスターと呼ばれる。

この日の
午後7時15分ごろ,フットボール場で遊んでいた少年たちは,真っ赤に輝く丸い物体が,上空を横切って近くの丘へと降下していくのを目撃した。彼らは,キャスリン・メイ夫人の家に向かい,彼女を説得して一緒に,物体が降下した丘へと探索に出かけていった。
木立のあいだから,赤く脈動する光が見えた。メイ夫人,息子のエディとフレッド,他の少年少女たちは,その光る物体から20メートルまで近づいた。
その物体は,直径5メートル,高さ1.8メートルほどの大きさで,火のついた石炭の塊のようにかすかな輝きを放っていた。あたりには濃い霧がたちこめている。そして,なんとも形容できない異臭のせいで,目がうるみ,鼻がひりひりした。
そのとき,ユージン・レモン(17歳)が手にしていた懐中電灯に何かが浮かびあがった。ついてきていたレモンの飼い犬がけたたましく吠えはじめた。
彼らの前に出現したのは,オレンジ色の目をもつ巨大な怪物だった。怪物は3メートル以上もあり,顔のところに大きな丸い窓のようなものがあり,そこから青みがかった二本の光線を発していたという。そして怪物は地面の上に浮かんで移動しているように見えた。その際に,シューッという音をたてるのが聞こえた。あたりにたちこめているガスで,みんな吐き気をもよおした。
怪物が接近してきたので,全員は恐ろしくなって,一目散に丘を駆けくだった。
メイ夫人はヒステリー状態に,何人かの少年はショックでおびえ,
何時間も吐きつづける者もあった。
1時間後,保安官らがショットガンを携えて,現場にいったときには怪物も火の玉もなかったという。ただ,不快な臭いがかすかに残っていた。地面には,草が円形におしつぶされた痕跡と,二本の平行な溝とが見つかった。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』著者:中村省三,1989年(宇宙モンスターがウェストバージニアに出現)
『【完全版】世界のUFO現象FILE』著者:並木伸一郎,2011年
参考外部サイト⇒ Wikipedia(フラットウッズ・モンスター)

参考外部サイト⇒ togetter(UFO学23ツイート)

参考外部サイト⇒ UFO事件簿(フラットウッズ事件)

参考外部サイト⇒ 怪奇動画ファイル(フラットウッズモンスターの正体と事件の真相!)

参考外部サイト⇒ オカルト評論家山口敏太郎のUMA図鑑(昭和のとらうま「フラットウッズ・モンスター」)

参考外部サイト⇒ リアルライブ(日本でも目撃例が存在!? 巨大宇宙人『フラットウッズ・モンスター』の正体とは!?)


●ガブリール・ガシナールUFO目撃事件(フランス)
【マリニャン空港事件】
1952年10月27日,フランスのマルセイユ近郊のマリニャン空港(Marignane Airport)で,税関吏のガブリール・ガシナールが,滑走路に着陸したUFOを目撃した。

時刻は午前2時30分のことである。輝く物体が2棟の暗い格納庫の間から滑るように飛んでくるのを税関吏のガブリール・ガシナール(Gabriel Gachignard)が目撃した。
物体は,ガシナールが立っている場所から,およそ100ヤード(約91m)離れた滑走路の上に降下した。物体は,両端が先細りで,長さは約15フィート(約4.6m),中心部の厚さは約3フィート(約0.9m),柔らかい黄色に光輝く小さな正方形の窓が6個ついていたという。
ガシナールは,物体をもっとよく見ようとして足早に近づいていくと,50ヤード(約45m)ぐらい手前で,物体は突然,火花の雨を降らせながらふらふらと空中へ上昇し,空港の端にある柵をかすめるぐらいの低高度で飛び去った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「KANYE TO THE」から
【サイト検索キー: Marignane Airport, Gachignard Gabriel, 1952, ufo 】
参考外部=>UFO DNA(27 Oct 1952-Marignane Airport, France)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1952: October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>BUFO Paranormal and UFO Radio(UFOs in 1952)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day)

参考外部=>BarbaraDelong(1952)

参考外部=>KANYE TO THE(Creepy/Paranormal Thread)
●アダムスキー事件(アメリカ)
 
『UFOと宇宙船』(文藝春秋デラックス)から


同行者のアリス・ウェルズが双眼鏡で見たものを後にスケッチしたもの。
『UFOと宇宙』(NO.23)から
ジョージ・アダムスキーが米カルフォルニア州モハビ砂漠で,円盤から降りてきた金星人と会見した事件。
1952年11月20日午前11時ごろ,予感を感じていたアダムスキーは,UFO観測仲間6人(アリス・ウィルズ,ルーシー・マクギニス,アル・ベリーズ夫妻,ジョージ・ウィリアムスン夫妻)と2台の車でアリゾナ州のデザート・センター近くのパーカー街道脇の砂漠地帯にいた。
風が強く寒い日であった。7人は近くの岩の上で食事をし,これからの観測コースなどについて話し合っていたとき,山の向こうの飛行基地から双発の飛行機が頭上を飛んでいった。
やがて,その飛行機が小さくなったころ,飛行機の現れた山すそから葉巻状の銀色をした飛行船が音もなく上昇し,こちらに向かってきて空中に滞空した。
街道脇のこの地点では彼らは着陸しないと直感したアダムスキーは,車をだした。同乗したのは,ルーシーとアル2人で,ハンドルはルーシーがにぎった。残りの4人には,この場所で観測するため残ってもらった。
アダムスキーは,道路を半マイル(約800m)ほど走り,右に曲がり少し走ったところで車からおり,持ってきた望遠鏡を設置した。残りの4人がいる場所とは半マイル(約800m)から1マイル(約1.6km)離れていた。
飛行船は頭上に滞空していた。アルとルーシーには4人のいるところに戻るよう指示し,アダムスキーは1人この場所に残った。すると上空の飛行船は機首を転じ,山頂を越え消えていった。 それと前後して十数台の空軍の飛行機が轟音をたて,その飛行船を追跡していった。
それでもその地点に残り観測機器を設置していたアダムスキーは,
5分ほど後 に,空中に閃光を発見した。 小さい飛行体が二つの峰の間に現われ,半マイル(約800m)ほど離れた山腹のくぼみに近づいてきて,一定の高度を保ちながら滞空していた。
最初の写真を撮った直後,その円盤は閃光を放ち消えてしまった。
直後 ,2,3機の飛行機が轟音を轟かせ頭上に飛来したが,2,3度旋回し飛び去っていった。
数分後
にアダムスキーは4分の1マイル(約400m)ほど離れた谷間の入り口に1人の男を突然発見する。 男はスキーズボンのような服をはいており,髪を長くしていた。
近づいていったアダムスキーは,その男から握手を求められ,応じようとして手を差しのべたが,相手は手を握る代わりに掌をわずかに触れさせた。
身長は5フィート6インチ(約160cm)ぐらい,体重は135ポンド(約60kg)ぐらい,年齢は27,8歳に見えた。腰のあたりには8インチ(約20cm)幅ぐらいの金褐色のベルトがしめられていた。
アダムスキーは身振り手振りと英語で会話をしたという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』1972年
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,(戦後UFO30年史;ジョージ・アダムスキーの体験)
『メビウス』(No.2)1983年,(「金星から来た男」/文:韮澤潤一郎
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』2013年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ジョージ・アダムスキー )

参考外部サイト⇒GAsite(金星人イエスの実像と出現の意義 )

参考外部サイト⇒ 月刊「ムー」公式サイト(アダムスキーの金星交遊録/超常UFO宇宙人事件)

参考外部サイト⇒世界の不思議(UFO>アダムスキー型UFOが発見されるまで!宇宙人と友達に?)

参考外部サイト⇒ Cosmic Consciousness(アダムスキーのUFO体験と波乱の生涯)


(コンタクト発生前のアリス・ウェルズ(左)とアダムスキー(右))


(残された金星人の足跡)


(足跡を石こうにとる一行)
『UFOと宇宙』(NO.11)【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】から
●アダムスキーUFO撮影事件(アメリカ)

『コズモ(UFOと宇宙』NO.9から
1952年12月13日,午前9時10分 ,パロマー・ガーデンズに飛来した円盤をアダムスキー が,6インチ反射望遠鏡にカメラを取りつけ撮影した事件。
この日の朝,ジェット機が数台爆音を轟かせて家の上空を過ぎたので何か起こったのかと思いアダムスキーは家の外に飛び出した。
空の向こうに閃光が輝いて消え去るのが見えた。
9時ごろ,また空中に閃光が現われたので,望遠鏡を向けた。
ジェット機の姿はなかった。望遠鏡を一生懸命操作していると,朝の太陽の光線を受けて真珠色に輝いた円盤が,こちらに向かって飛んでくるのが見えた。
だが,円盤はアダムスキーから2000〜3000フィート(600〜900m)離れた谷間の上空3000〜5000フィート(900〜1500m)のところで停止し滞空し始めた。
アダムスキーが4枚目を撮影しようとしたとき,動き始めた。アダムスキーは,カメラを望遠鏡の接眼レンズに取付け,目測で円盤の大きさを測定してメモにつけた。
円盤は幅が35〜36フィート(約11m),高さが15〜20フィート(約5m)あることに気づいた。
やがて,その円盤はアダムスキーから100フィート(30m)ぐらいに接近してきた。
その時,機体の一部に丸い窓が開き,そこから腕が差しだされて,その手から小さな物が投下された。 円盤がアダムスキーの頭上を過ぎるとき,その手は軽く2,3度振られたように見えた。
円盤は,進路を東にとって北側の山のふもとをかすめるように飛びながら峡谷を渡って飛んでいった。 峡谷を過ぎるまで
数秒 しかかからなかったが,その後もずっと地上すれすれに飛行し続けていったが,やがて急に高度を上げて,朝の青空に消えてしまった。
円盤が落とした小さな物は,
11月20日のコンタクト時にアダムスキーが宇宙人に手渡したフィルムであった。
この投下されたフィルムは数日間家に保存しておいたが,後に現像してみると,何か分からぬ奇妙な記号的文章が写っていた。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』(1972年),文:ジョージ・アダムスキー,訳:高橋豊
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』(2013年),文;益子祐司
●オスカー・リンケUFO遭遇事件(ドイツ) 1952年に大論争を巻き起こした事件。事件の起きた月日は不明。
元市長であるオスカー・リンケと娘のガブリエルが,ハッセルバッハ町付近でUFOと異星人らしき二人の人間に遭遇した。

妻と6人の子供と共に東ドイツから脱出したグライマーショウゼン(Gleimershausen)の元市長であったオスカー・リンケ(Oscar Linke) は,次のような体験をした。
ある日の午後,娘のガブリエル(Gabrielle)をオートバイの後ろにのせ,ベルリンの近くの小さな町ハッセルバッハ(Hasselbach)郊外を走っていると,タイヤがパンクしてしまった。 二人でオートバイを押していると,ガブリエルが150ヤード(約140m)先に何かを見つけた。
それは,
夕暮れの中で小鹿に見えたが,オートバイを置いて50ヤード(約50m)まで近づくと,それは小鹿ではなく二人の人間らしい姿だった。
彼らは金属質のものを着て,かがみこんで地面の何かを調べていた。
30フィート(約9m)近くまで這って行き,小山の上からのぞいて見ると,大きな物体があった。 直径が40〜50フィート(約13m)あり,大きなフライパンのような形をしていた。側面には2列の直径1フィート(0.3m)くらいの穴が並んでいた。 その円形の物体の中央からは,10フィート(3m)くらいの円筒形の司令塔のようなものが突き出ていた。
後方に残っていたガブリエルの呼び声が聞こえた。 その声は彼らにも聞こえたらしく,彼らは急いでその物体の方へ走ってもどり,司令塔のようなものの側面を昇り,中に消えた。
もどる途中で,一人の胸にランプをぶらさげているのが見えた。そのランプは一定の間隔で点滅していた。
すると,物体の側面部が輝き始めた。最初は緑色で,次に赤色に変わった。ブーンという音が聞こえ,輝きが強くなった。 同時に中心部の突き出ていた司令塔のようなものが,物体の中に入り込み,司令塔のようなものを軸にして,本体はゆっくり上昇していった。
司令塔の下部は地面に着いていたが,本体が地上から上昇するにつれ,司令塔は,また本体の中心部に入って消え,上方部に再び現れた。
物体の上昇速度は大きくなった。 そのとき,口笛のような音が聞こえた。物体は近くの村の方にカーブし,丘や森を越える高さを保ちながらシュトックハイム(Stockheim)の方へ消えていった。

(リンケ氏が見た円盤の離陸時の再現図)

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.19),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道




サイト:「MisteroUFO」から
参考外部サイト⇒ GA Site(宇宙・引力・空飛ぶ円盤 by レナード・クランプ)


【サイト検索キー:Oscar Linke UFO 】
参考外部=>UFO INSIGHT(The Case Of Oscar Linke And Flying Saucers Over Cold War Berlin)

参考外部=>TopSecretWriters(The Surreal UFO Story of Oscar Linke in 1952)

参考外部=>MisteroUFO(1952; Gli strani umanoidi di Gleimershausen, Germania)
  
1953年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●コンウェイUFO射撃事件(アメリカ) 1953年1月29日,サウスカロライナ州コンウェイ(Conway)で,ロイド・C・ブースが,目撃したUFOめがけライフルを射撃した事件。

空軍の元情報将校のロイド・C・ブース(Lloyd C. Booth)が,両親の家への帰途,
午前1時ごろ家畜小屋から豚たちのキイキイ騒ぐ声や,馬たちが厩(うまや)の床を蹴りつける音を聞いた。
彼は,あたりを調べたあと,家畜小屋の裏手の林の上に,ある高度をたもって滞空している円盤型のUFOを発見した。
彼は,その物体の下まで行き,22口径ライフルで数発発射し,その物体が飛び去るまでに,何発かの命中音を聞いたという。
この報告に従い,軍部はその地域の徹底調査をおこない,電子金属探知機を使用して,UFOに命中してはねかえされ地上に落下したに違いない弾丸を探し出そうとした。
しかし,軍部が何を発見したか,あるいは何も発見できなかったかは公表されていない。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Conway, Lloyd C. Booth, 1953, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1953 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Man Fires 0.22 At Hovering Object)

参考外部=>sohp.us(THE FIFTH HORSEMAN OF THE APOCALYPSE UFOS: A mSTORY)

参考外部=>azarchivesonline(James E. McDonald papers, (1904-1997))
●サルバドール・ビラヌエバ異星人遭遇事件(メキシコ) 1953年8月,タクシー運転手のサルバドール・ビラヌエバが,タクシーの故障中に異星人と遭遇し,彼らと会話をした事件。
サルバドール・ビラヌエバはメキシコシティで個人タクシー業を営んでいた。その日,彼は二人のテキサス人を乗せてテキサス国境へ向かっていたが, 約60マイル(96km)走ったカイダル・バレーを過ぎたところで車が故障してしまった。 客は別な車に乗せて送ったが,サルバドールはそこで一晩を過ごすほかはなかった。
彼が車の下にもぐりこんで故障個所を調べていると,二人の人間が車のそばにいることに気づいた。 身長は4フィート6インチ(約150cm)そこそこで,首から足先までつながった灰色の服を着て,幅広い光沢のある穴あきベルトをしめていた。 首すじには金属製のカラーを巻き,首のうしろには黒い小箱があった。 そしてヘルメットを小わきにかかえていた。サルバドールは付近に着陸した飛行機のパイロットたちだろうと考えたという。
一人がサルバドールに話しかけてきた。雨が降りはじめたので,三人は車の中に入って会話を続けた。 会話をしたのは二人のうちの片方だけで,もう一人は一言もしゃべらなかった。 夜が白みはじめたころ,サルバドールは不安になり,思いきって疑問を口にすると,自分たちはこの惑星のものではないことを話したという。 サルバドールは冗談だろうと思ったが,彼らがそろそろ立ち去ると聞いたときにはほっとした。
彼らは自分たちの乗り物を見にこないかといい,やぶの茂った沼地のあいだを500メートルほど歩いた。 道は徐々に悪くなる一方で,サルバドールの足はくるぶしまで泥に沈んだ。 しかし、彼らの足は泥沼に触れたかと思うと,目に見えない力で泥は飛び散り,彼らの足は泥で汚れなかった。 泥が飛び散るたびに彼らの穴あきベルトが輝いたという。
突然,前方が開け,直径35~40フィート(約10m)の巨大な機体が目に入った。2枚のスープ皿を合わせた形をしていて,上部には丸窓がついた浅いドームがあった。
彼らは,サルバドールを機体の中にさそったが,サルバドールは首を振るとその場を逃げ出した。 元の道に戻った彼は,いま来た方を振り返ると,白く輝く機体がゆっくり上昇するのが見えた。 その物体はしばらく空中で停止したあと,スピードをあげると振子のような運動を始め,前後に弧を描いて動いた。 まるで,落下するかわりに上昇していく落葉のようだった。機体は数百フィートの高度に達すると,輝きを強め,信じられないスピードで上昇していった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.21),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:中村省三
●ノリッジUFO目撃事件(イギリス) 1953年10月6日 ,イングランド東部ノーフォークの州都ノリッジで,ノリッジ天文協会のF・W・ポター氏と他の数名が空を観測中にUFOを目撃した事件。
午後7時15分に,ポター氏が空を観測中,一個の大きな物体が南西から出現し,続いて水平飛行をしたことに気づいた。 物体は大きな黄色の星のようであったが,肉眼で見ると小さな星々のかたまった卵型に見えた。ポター氏は,3.5インチの屈折望遠鏡の視野内に物体の焦点を合わせた。
焦点を合わせると,星々のかたまりのように見えたものは,大きな平たい円盤の上についているドームの窓の光であることがわかった。 ドームの周囲には一定の間隔をおいて丸窓が並んでいて,この丸窓から洩れる光によって,円盤の全体像を見ることができた。
上部のドームは回転しておらず,円盤の下部はくぼんでいて鈍い赤色に輝いていた。 物体は一定の高度を保っているようで,観測していた場所からは音が聞こえなかった。
物体は南西から北東へ進行した。ポター氏の視界にあったのは,
3分半ほどの時間である。 空は一点の雲もない快晴であり,あらゆる星座が見えたという。
この物体は,ポター氏以外にも,ノリッジ天文協会と英国天文協会の会員たち7名に目撃されている。




【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.11)』1975年,【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎
●アメリカン航空機UFO遭遇事件(アメリカ) 1953年10月19日,アメリカン航空のDC6型航空機がUFOに遭遇し,急降下をした。航空機の乗客は救急措置を必要とした。

アメリカン航空(American Airlines)のDC6型機が,ワシントン国際空港に向かってフィラデルフィア国際空港(Philadelphia International Airport)を飛び立っていた。巨大な4発機は,8000フィート(約2400m)の高度を飛行していた。ちぎれ雲が散在し,月光は明るく,天候は良好であった。
午前零時10分過ぎ,機はサスケハナ川(Susquehanna River)のコノウェンゴ・ダム(conowingo dam)の上空に近づいていた。右手約30マイル(約48km)ほどのところに,ボルティモア(Baltimore)の街明かりが靄(もや)に包まれた巨大な宝石のように輝いていた。
薄い雲間から見え隠れするたびに,月明かりを反射してキラキラと輝く物体を副操縦士が見つけた。それは,航空規則に規定されている夜間飛行灯をつけていなかった。
J・L・キッド機長(Captain JL Kidd)は,機の速度を落とした。その物体は動かず静止していた。DC6は急速にその物体に接近していった。その物体を着陸灯で照らしてみた。着陸灯の二条の白色光線が,その物体を突き刺すように照らしつけた。
すると,反対にめくるめくような白色光線が,物体から旅客機に向けて照らしつけられた。機長は物体が自分のほうに直進してくるのをさとり,操縦かんを前方に押し倒した。座席ベルトを締めていなかった乗客は,上方へ投げ飛ばされた。5000フィート(約1500m)の高度で,機長はその状態から離脱させ,機内に浮遊していた乗客たちは通路や座席に落下した。
この戦慄すべき事件は,翌朝の<ワシントン・ポスト>のある版に掲載された。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: American Airlines, DC6, Conowingo Dam, 19 October 1953, ufo 】
参考外部=>Ufoinfo.com(Encounters with Aliens on this Day)

参考外部=>StealthSkater(Timeline of Early UFO Sightings)

参考外部=>The UFO Proletariat(Did Missing Malaysia Jet Encounter A UFO?)

参考外部=>books.google(A Need to Know: UFOs, the Military and Intelligence)
●マッチデール墜落UFO遭遇事件(アメリカ) 1953年末 1954年初め 早朝 の事である。ニューヨーク州シラキュースのマッチデールで,マースデン夫妻が墜落したUFOに遭遇した事件。
マースデン夫妻が車で友人宅を訪問しての帰り,パトロールカーがライトをつけて停まっている事故現場のような交差点を曲がった。彼らが道路から遠くないところに見たものは,長さが約6メートルで高さが4.5メートルほどの卵形の物体であった。 その物体の周囲には明るい色のついた光がいくつかあり,数人の警官が物体の周りをぐるぐる回って検査をしているのが見えた。
翌日,マースデン氏は郡保安官に電話をかけてみると,軍事機密だと言われただけであった。
あとになり,事件の現場を訪れてみると,踏まれた草とタイヤ跡だけだっという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
 
1954年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●コニストン事件(イギリス)



撮影直前に目撃した円盤をスティーヴン少年がスケッチしたものと撮影された実際の写真
『コズモ(UFOと宇宙)』NO9から
1954年2月15日 ,イギリス・ランカシャーのコニストンで,2少年がアダムスキー型円盤を目撃し,コダック・カメラで円盤を撮影した事件。
スティーヴン・ダービシャー(13歳)は,
この日の朝 ,なぜか家の裏山(コニストンの丘)に登りたくなった。いとこのエイドリアン・マイヤー(8歳)を連れて,カメラを手に頂上に着いた。
午前11時ごろ ,エイドリアンが丸い物体が降下してくるのを発見した。
物体は約90メートル先の少し盛り上がった土の向こう側に降りて見えなくなったが,
数秒後 に現われ,ヒューッという音をたて縦に倒れて空中を急上昇して雲の中に消えていった。
ステーィヴンは,土の向こうに降りる前と土の向こうから出現したときの2枚の写真撮影に成功した。 写真はかなりぶれていたがアダムスキー型の円盤が写っていた。
ステーィヴンは,物体がドーム,丸窓,三個の球,中心にコーンのようなものがあり,丸窓は4つあったことを証言している。

【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6(1974年)/【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】の序文(文:デスモンド・レスリー)から
 

撮影時の様子を示すスティーヴンとエードリアン
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6から



参考外部サイト=>GAsite(レイクランドの円盤)

参考外部サイト=>水島保男外伝版ブログ(1954 それは始まりだった)
●火星人コンタクト事件(スコットランド)
【セドリック・アリンガム事件】
【ロシーマウス事件】



離陸準備中の円盤に戻る異星人の後姿を撮影


最初に発見時直後に雑記帳に描いたおおざっぱなスケッチの写し
『火星からの空飛ぶ円盤』から
1954年2月18日 ,スコットランド北端のロシーマウスに近い海岸を野鳥観察にきていた,セドリック・アリンガムが空飛ぶ円盤から降りてきた異星人(火星人)とコンタクトした事件。
アリンガムはこの日,
12時35分 に約5000フィート(約1500メートル)の高さに偶然,円盤を発見し双眼鏡で確認した。 その後, 3時45分ごろ に直径約15メートル,高さが6メートルほどのアダムスキー型円盤(3つづつグループになった窓,ドームの上には黒い垂直の棒,球体の着陸装置がついていた)がアリンガムの約50メートル先に着陸した。 円盤から身長が6フィート(約180センチ)ぐらいで,年齢はアリガムと同じぐらいで,ひたいの高い人間が降りてきた。 頭髪は褐色で肌は深いタンニン色をしていた。首から足までつながった服を着ており手だけが出ていた。 鼻にチューブのようなもの(おそらく呼吸装置)が届いていた。 アリンガムは雑記帳に太陽系などの図を書きジェスチャーで相手とコミュニケーションを交わした。 言葉は通じなかったが,相手はしゃべれたという。アリンガムが発音した「ビーナス(金星)」と「マース(火星)」について同じくきれいな声で発音を返したという。 そして,相手が火星からきていることを確認した。アリンガムは自分の万年筆を贈った。アリンガムは円盤の機体にさわったというが異常はなかった。 やがて別れのとき,アリンガムは機体から離れるように伝えられ,相手が機体に向かう別れ際,後姿の写真を思い出したように気づき急いで撮ったという。 やがて挨拶を交わしてスライドした扉の中に消えた相手を乗せた機体は40フィート(約12メートル)まで上昇した。 そして,北の方向にものすごいスピードで飛び消えていった。 午後4時25分 の事である。
【参考文献】
『火星からの空飛ぶ円盤』著:C・アリンガム,訳:岩下肇,1971年
『世界の超人・怪人・奇人』著:並木伸一郎,2015年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年
参考外部サイト⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(昭和なUFOネタシリーズ〜「火星人の後姿」写真)




初めにとらえた円盤の写真

着陸時の円盤の写真
『火星からの空飛ぶ円盤』から
●ユナイテッド航空193便UFOニアミス事件(アメリカ) 1954年4月14日,ユナイテッド航空193便が定期飛行中,ロング・ビーチ上空で,突然UFOが機をかすめて飛び去った。

ユナイテッド航空(United Airlines)の193便がカルフォルニア(California)の海岸沿いに定期飛行中,
午前零時少し前にロング・ビーチ(Long Beach)上空に達した。 機長のJ・M・シーデル(Captain Schidel) が機の操縦にあたっていた。
突然,夜闇の中から物体が飛び出してきて,あやうく機をかすめた。物体は夜間航行灯をつけていなかった。
次の瞬間,物体の側面から明るい赤色光が輝いてシーデル機長の右側を照らした。機長は衝突すると思い,操縦かんをうしろに引き倒した。旅客機はカーブしながら急上昇を始めた。一人のスチュワーデスが,調理室にはじき飛ばされて足首を折った。乗客の一人でノースハリウッド(North Hollywood)のC・バーバーは,通路に投げ出されたため左脚を骨折した。
他の乗客たちも,突然の急上昇に不意打ちをくらって,あちこちに投げ出され,擦過傷やら打撲傷やらを負ったが,さいわい重傷者は出なかった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: United-193, Long Beach, 1954, ufo 】
参考外部=>StealthSkater(Timeline of Early UFO Sightings)

参考外部=>PrestonDennett(UFOs Over California)

参考外部=>PROJECT1947(UFO REPORTS-1954)

参考外部=>ONSTELLAR(The Top Twenty California UFO Encounters)

参考外部=>NARCAP(national aviation reporting center on anomalous phenomena)
●ウィルキンズ博士UFO目撃事件(アメリカ) 1954年6月11日,天文学者のH・P・ウィルキンズ博士は,講演旅行でジョージア州アトランタに向かう途中,機内からUFOを目撃した。

講演旅行でウィルキンズ(Hugh Percy Wilkins)博士を乗せた双発のコンベア機は,ウェストバージニア州チャールストン(Charleston)からジョージア州アトランタ(Atlanta)へ向かって飛行していた。
午前10時45分ごろ,ウィルキンズ博士は後部寄り座席からチラリと窓の外を見ると,2マイル(約3200m)ほど離れた雲海に出たり入ったりしている二個の物体があるのを目撃した。
その物体は楕円形で,つややかな真鍮色,濃い縁があった。 磨きこんだディナー皿そっくりで,雲のあたりを急進したり反転したりする時,日光が機体に反射していた。 やがて,第三の物体が大きな雲中から,ゆったりと現われたが,これは雲の陰にいて動かなかったので,他の二つより黒っぽく見えた。まもなく,この第三の物体は急激に動きだして別の雲のかたまりの中に突っこんで行った。

約2分後には,はじめの二つも同じように第三の物体の後を追い,雲の中に消え,それっきり姿を見せることはなかった。
アトランタに降り立ったウィルキンズ博士は,報道陣を前に,3機の空飛ぶ円盤を見たこと,目測でその直径は約50フィート(約15m)あったことを語った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・地球の空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>en.wikipedia(Hugh Percy Wilkins)

参考外部=>CUFOS(UFOs: A History 1954 June-August)
●ウェイルズビル戦闘機墜落事件(アメリカ) 1954年7月1日,ニューヨーク北部のグリフィス(Griffith)空軍基地のレーダーが捉えた未確認飛行物体を迎撃に向かったF-94戦闘機が,UFOからの熱波に襲われ墜落した。緊急脱出した2名のパイロットは,ウェイルズビル(Walesville)付近の町に無事降下した。

この日の正午,グリフィス空軍基地のレーダーが,奇妙なブリップ(飛行物体からの反射波)を捉えた。付近に航空機が一機もいないことがわかると,ただちにF-94スターフャイヤー・ジェット戦闘機が迎撃に向かった。パイロットは,地上管制によってコースを指示され,F-94の後部座席のレーダー士も機上のスコープでブリップを見守っていた。
離陸後,
2分ほどで機のパイロットは,未知の物体を肉眼でとらえることができた。それは,輝く円盤状の物体で,機の上方数千フィート(千フィートは約300m)のところを飛行していた。
機は,スロットルを開いて全速で物体に向かった。そして,それをはっきりと見ることができるところまで近づいた。その物体は動きをとめていた。
レーダー士が,通信機のスイッチを入れ,その物体に向けて身許確認を求めるまでは,何も起こらなかった。突然,ジェット機のエンジンが停止した。そして,その瞬間,機のコクピット内は焦熱地獄と化した。物体が火炎などを放射している様子はなかったが,パイロットは噴射炎をまともに顔に吹き付けられたような熱波を感じたという。
レーダー士の脱出音を確認すると,半分めくらになったパイロットもあえぎながら,ジェット機から脱出した。その瞬間,あお向きになりながら,UFOをチラリと見ることができた。物体は巨大な円形だったという。
2人の飛行士は,ニューヨーク州ウェイルズビル付近の町に,無事落下傘降下することができたが,戦闘機は墜落し,1台の車と2軒の家屋を破壊し,子供2人を含む4人を死亡させた。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Griffith, Walesville, f94, 1954 ufo 】
参考外部=>NICAP(The Walesville Incident)

参考外部=>UFO DNA(July 1954-Walesville,New York,USA)

参考外部=>GenDisasters.com(Walesville,NY Jet Fighter Crashes Into Homes,July 1954)

参考外部=>PAST HISTORIES #9(ALIENS FROM SPACE・・・)

参考外部=>SHG(Optical and Radar Analyses of Field Cases)
●ヨーロッパUFO大ウェーブ事件(ヨーロッパ)

1954年に,ヨーロッパでのUFOフラップ(UFO目撃,UFO着陸,宇宙人遭遇)がピークとなり,イギリス〜スペインへとヨーロッパ全域に及んだ。
8月から11月にかけ,目撃者の数は100万人以上といわれる。その中でも 10月1日〜11日 のフランス内での目撃が最大ピークとされ,目撃数を減少させながら,イタリー,南米に拡がっていった。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,著者:平野威馬雄,1974年
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎,1988年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』,著者:韮澤潤一郎,2015年
 

−1954年フランス国内での目撃地点と人口密集地帯の対比図−
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』ジャック・バレー
の分析)から】
●バーノン葉巻型UFO目撃事件(フランス)  1954年8月23日の深夜 にセーヌ川沿いバーノン近郊に住むベルナール・ミザエル(実業家)が,自宅近くの上空で直立した巨大な葉巻型UFOを目撃した事件。

深夜1時ごろ ,暗かった街が青白く照らされているのに気づき,上空を見るとセーヌ川の北岸の上空に, 直立した長さ100メートルもあるような巨大な葉巻型UFOを発見した。 その葉巻型物体の下から円盤状の飛行物体が次から次と現われミザエルの後方に飛び去っていった。 その後,葉巻型の物体は輝き失い,闇の中に溶け込んでいったという。
【参考文献】
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年

1954年8月23日
のバーノン近郊での出来事が,二人の地方警察官と一人の陸軍技術員からもたらされた。 それによると,彼らは1個の巨大で無音の全く静止した葉巻型物体が,垂直に立っているのを目撃した。
そして,4人目の目撃者は,ビジネスマンのM・バーナード・ミゼリー(上記のベルナール・ミザイルと同一人物)で, 彼の証言によると,その葉巻型物体の底の部分から平板状の物体が1個,初めはふらふらと落下してゆっくりと動くと見るや,急降下して川を渡り水平にミゼリーの方に向かってきたという。
しばらくすると,後続の小型機3個が次々とわずかな間隔をおいて出現し,それぞれ違った方角に飛び去ったという。 そして,しばらく時間をおいてから5番目の物体が静止したままの葉巻型物体から現われ,この最終の円盤は,これまでのより一番低く降下し,ちょっとの間揺れ続けたが, 数秒間停止し振動した後,閃光のように北に向かって飛び去ったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』著:ロバート・ヘイスティングス,2011年
●バレンシエンヌ短足宇宙人目撃事件(フランス)
【カルーブル村UFO事件】



★目撃した宇宙人
(IIIust/YUFOS)
『宇宙人の死体写真集2』から
1954年9月10日,北フランスのバレンシエンヌ(Valenciennes)の近郊のカルーブル(Quarouble)村で,マリウス・デウィルド(Marius Dewilde−34歳)が,小柄で短足の2人の宇宙人を目撃した。

この日の夜10時30分ごろ,庭のほうから愛犬キキの異常な鳴き声を聞いたデウィルドは懐中電灯を手にして家の外に出てみた。
すると,庭のすぐそばを走っている鉱山鉄道の線路上に,黒っぽい物体があることに気がついた。
キキがデウィルドに近寄ってきた時,右手のほうで足音がした。デウィルドが懐中電灯をそこに向けると,20フィート(約6m)と離れていないところに,2人の生物がいて, 一列縦隊で黒っぽい物体のほうに歩いていた。 その2人の身長は3フィート半から4フィート(1〜1.2m)で,異様に肩幅が広く,ダイバーのような服を着ていた。 光を反射する,巨大なヘルメットのようなものをかぶっており,2人は身長の割には,いかにも短足だった。 腕があるかどうかも見分けられなかった。
デウィルドは,2人と線路上の物体との間に割りこんで連中を取り押さえようとして,庭を横切って駆け出した。デウィルドが2人まであとわずかというところまで近づいたとき,線路上の物体から,マグネシウム閃光のようなまぶしい光が放射された。すると,彼の体はマヒしてしまって立っていることしかできなくなった。,大声を出そうにも出せず,脚がまったく動かなくなった。
光が消えてデウィルドの身体が自由になったときには,2人の姿は物体の中に消えていた。
すると物体は,下から黒い蒸気を噴き出し,ヒューッというけたたましい音をたてながら空中に飛び上がった。 100フィート(約30m)ほど上昇してから東の方角へ遠ざかった。かなり遠ざかったとき,赤っぽく光ったが
1分後には完全に見えなくなった。
デウィルドは動けるようになると,すぐに1マイル(約1.6km)ほど走って,カルーブルの警察は彼の話をとりあわなかった。そこで,警察本部長のグーシェの自宅へ行くと,本部長は話を聞いてくれた。グーシェがしかるべきフランスの役人に連絡すると,警察やフランス空軍と地域防衛省の調査官たちの手によって,綿密な調査が開始された。
物体が着陸していた鉄道線路の枕木に,5つの深いくぼみを見つけた。調査の専門家はこのような跡をつけるには30トンの圧力が必要だったろうという。また,枕木の間にバランスとして使われていた砂利が異常にもろい状態になっていた。まるで高熱にさらされたかのようだった。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(バレンシエンヌに出現した短足で腕のない宇宙人)
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



(★着陸現場を指すデウィルド)
サイト:Wikipedia(Marius Dewilde)から
参考外部サイト=>togetter(キメ顔宇宙人の素性を探るまとめ−1954年のカルーブル事件か)


【サイト検索キー:Marius Dewilde UFO】
参考外部サイト=>Wikipedia(英語版:Marius Dewilde)

参考外部サイト=>YouTube(UFO 1954, Marius Dewilde)

参考外部サイト=>UFOs at Close Sight(The 1954 French flap)

参考外部サイト=>Ufopolis.com(Los asombrosos humanoides que vio Marius Dewilde)

参考外部サイト=>Touraine Insolite(L’Affaire Marius Dewilde)
●シャンブイユUFO目撃事件(フランス) 1954年9月26日,南フランスのシャンブイユの森の中でレブーフ夫人が,半透明の潜水服のようなものを着た小人に遭遇した後, 近くの森の中から現れ飛び去るた円盤を目撃した。
南フランスのバレンス(valence)に住むレブーフ夫妻は,13kmほど東にあるシャンブイユ(chabeuil)の祖父の家を訪れていた。
午後2時30分ごろ,2人は犬を連れて散歩に出かけた。レブーフ夫人はキノコを採るため,夫から90mほど離れた森の中へ入っていった。
しばらくすると,犬がキャンキャンとみじめな声で叫びはじめた。犬は小麦畑の端で何かに向かい合っていた。夫人はそれが最初カカシだと思ったが近づいてみると,それは身長が90cmほどの半透明のプラスチックでできた潜水服のようなものを着た小柄な人間であった。
大きい2つの眼が,ヘルメットごしに夫人を見つめていることに気づいた。
その小柄な怪人が,よたよたしながらも,かなりのスピードで夫人の方に近づいてきたので,夫人は恐怖を感じ,大声で悲鳴を上げながら逃げ出した。そして,木立の陰に隠れてから背後の様子をうかがうと,その怪人は見えなくなっていた。
しかし,犬は悲しげに吠え続けた。付近にいるすべての犬もそれに唱和するように吠え続けたという。
すると,近くの木立の中から巨大な金属製の円形の物体が飛び上がり,かすかにシューという音をたてて低空を飛行した。やがて,小麦畑を横切ると突然方向を変え上昇し,ものすごいスピードで遠ざかっていった。
その後,現場に集まってきたレブーフ氏と村の人々は,物体が飛び立った木立のなかに,直径約3.3mの円形の跡を発見した。
事件後,
2日間夫人は高熱にうなされた。犬は3日後も恐怖にわなないていた。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1977年
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(バレンスで犬に吠えられたヒューマノイド)
●ミラノ競技場UFO着陸事件(イタリア) 1954年10月28日,ミラノの複数の住人が,使われていない運動競技場に着陸したUFOと宇宙人を目撃した事件。
あるミラノ(Milano)の住人が,市の郊外で開かれた野外映画会からの帰り道,ほとんど使われていない運動競技場から煌々と光が洩れていることに気づいた。そこは,かなりガタのきた高い板塀で囲まれていた。
こんな夜更けに,どんな活動がなされているのだろうと,彼は自転車から降りると,塀の割れ目から,内をのぞいた。
すると,そこには蛍光灯のように穏やかな光を発する,かなり大きな物体があった。着陸しているか,地上数インチのところに浮かんでいたかは不明であった。彼と物体の間を動き回る小さな黒い人影が目に入った。 彼は,恐ろしくなり,再び自転車に乗ると,一目散に市の郊外へと向かった。ほんの百ヤードほど行ったところで,農民の一団(30人ほど)に出会った。彼らは集会に出た後の帰り道であった。そして,農民たちはこの男の話を聞くと,一緒に現場へ急行した。
塀の隙間からのぞくと,農夫たちにも男が見たというものが見えた。物体の周りを動き回っていたのは身長が4フィート(1.2メートル)ほどの小さな人間たちで,透明に見えるヘルメットをかぶり,全員が背中に呼吸装置のようなものを背負っていた。
やがて競技場の塀の回りから見ていた目撃者たちは,競技場の中に入りこむと,小さな黒い影は,ちょこちょこと物体へ向かって走り,その底部から中に逃げ込んだ。たちまち,怪物体はブンブンというような音をたて舞い上がり夜空に消えていった。
農民たちは,その前に,手にもっていた何十という腐ったオレンジをそれらに向かって投げつけていた。そのいくつかは,命中したという。

(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部サイト=>BBC NEWS(The day UFOs stopped play)

参考外部サイト=MilanoFree.it(U.F.O. su Milano )
●イタリアの小人異星人出現事件
【チェンニーナ事件】


1954年11月1日,イタリア,アレッツオ地方のチェンニーナ町に住むローザ・ロッティ・ネイ・ダイネリ(当時40歳)婦人が紡錘型UFOから現れた小人2人に,手に持っていたカーネーションの花束とストッキングの片方を奪われた事件。
ローザ・ロッティ・ネイ・ダイネリが教会に行くため, 右手にカーネーションの花束,左手に靴とストッキングを持ち,朝早く家をでた。とっておきの靴を汚したくないため,靴とストッキングは手に持ち,はだしで歩いていた。
すると,糸杉の根元に高さ2メートルを超す巨大な紡錘形の物体があるのを発見した。 物体の中間部には丸窓が2つと小さなドアがあり,開いているドアの中には2つの小さな座席が見えた。 座席は背中合わせに置いてあり,物体の両面にある丸窓に向いていた。
突然,物体の後ろから2人の小人が現れ,ローザ婦人に話しかけてきた。 小人は,1メートルぐらいの身長で灰色の胴着とぴったりしたズボン,それにマントを着けヘルメットをかぶっていた。 人間と同じ顔つきをし,笑みを浮かべ,言葉は不明であったが,発音は中国語に似ていたという。
小人の一人が,驚いて立ちすくんでいる婦人から,カーネーションの花束とストッキングの片方をもぎとった。 小人は,それを物体の中に投げ入れ,もう一人の小人と一緒に中から茶色の丸い包みを2つ取り出し婦人に渡そうとした。
しかし,婦人は夢中で町をめざして逃げ出していた。走っているうちに恐怖がつのり,町へたどり着いたときには,疲労と恐怖で口もきけなかったという。
話を聞いた町の憲兵隊が現場にかけつけたが,物体のあった地面には,大きな穴があいていただけであった。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)

【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)』No.8,【イタリアの不思議な小人出現事件,文:セルジオ・コンティ,訳:志田真人】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ストッキングと花束を奪いとった小人異星人,文:片岡道代】
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ 怖話(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ 妖怪王(チェンニーナ事件・1954年小人宇宙人との遭遇事件)

参考外部サイト⇒ ゼロファイル(チェンニーナ事件)

参考外部サイト⇒ Hatena::Diary(モンテビニキ事件,あるいはチェンニーナ事件の前日譚についての覚書)
●サンマルタン・ストーン事件(スペイン)

異星人らしき人物からもらった石

サンマルタンが撮ったUFO
【いずれも『UFOと宇宙』(No.33)から】
1954年11月17日 ,スペインのマドリッド郊外に住むアルベルト・サンマルタンが,夜中にマドリッド大学都市構内で, 異星人らしき人物から薄緑色の石をもらった事件。
午前2時半ごろ のこと,サンマルタンは,不思議な力にひき寄せられるように,都市構内を歩きラ・コルナ・ハイウェーの橋のたもとまできた。 すると髪の毛が長くウエットスーツのようなものを着けた男に出会った。 男は言葉を話せないのか態度でサンマルタンに親愛の情を示し,長さ12センチ,幅4センチ,厚さが2センチほどの薄緑色をした石を受け取るような身ぶりを示した。 サンマルタンがその石を受け取ると,男は背を向けて橋の付近で見えなくなった。 すると,橋の下の方の空き地からドーム型の円盤が光りながら飛び立っていった。 朝,その空き地に行ってみると,円盤が着陸したような焼け焦げた着陸痕を発見した。 受け取った石の表面には不思議な文字のようなものが彫られていた。 サンマルタンは,石の正体を探ろうとあちこちの研究室をたずねた。その後,サンマルタンは,石の研究を深めるため,ブラジルに移住した。
1965年 ,サンパウロ郊外でUFOを目撃し8枚の連続写真の撮影に成功する。 2年後 1967年 にも同じようなUFOを目撃し連続写真の撮影に成功した。 撮影したUFOはいずれも肉眼では見えにくいボンヤリしたものであった。 写真は暗めに焼いたが,驚いたことに写真に写ったUFOは一枚づつ形を変えていたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年4月号(No.33),「私は宇宙人を見た!−サンマルタン・ストーンの謎」,文:矢追純一
●ゴンザレス宇宙人格闘事件(ベネズエラ)


『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から
1954年11月29日午前2時ごろ,トラック運転者が道路上のUFO近くにいた毛むくじゃらの怪物と格闘した事件。
ベネズエラ(Venezuela)のカラカス(Caracas)とペタレ(Petare)を結ぶ道路上に直径3メートル以上もある球形の物体が道路上に滞空していた。
トラックを降りた運転手のグスターヴォ・ゴンザレス(Gustavo Gonzales)に,物体の近くにいた爪をはやしたギョロ目の怪物が近づいてきた。 ゴンザレスは思わずその怪物に背負い投げをくらわそうとしたら,思わぬ軽さにびっくりした。 怪物は毛むくじゃらでカチカチに固いこがらな怪物だった。反対に一撃を受けたゴンザレスは4,5メートルもつきとばされた。
もう一人の運転者ホセ・ポンチェ(Jose Ponce)が警察に走ろうとすると,もう二人の怪物が物体の中から手に武器のようなものを持って出てきた。 危険を感じたゴンザレスはナイフで相手に抵抗した。 だが,相手の体は石のように固くびくともしなかった。怪物の一人が手に持った小さな管から光線をだし,ゴンザレスの眼を照射した。 ゴンザレスは眼がくらみ抵抗をやめた。
ポンチェはこのとき,近くの茂みから二人か三人の怪物が土か岩のようなものを腕いっぱいにかかえてとび出してくるのを見た。怪物たちは物体の中に戻ってしまうと,物体は音もなく上昇し消えてしまったという。

【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年


ゴンサレスは警察署へ走って行き,相棒のポンセの2分後に到着した。
最初,警察は男たちが酔っぱらっているか,頭がおかしいと考えた。呼ばれた医師は二人ともショックを受けているが,酒はのんでいないと診断した。
ゴンサレスは,左の脇腹の下にある長くて深いひっかき傷を治療してもらい,鎮静剤を打たれた。
この事件の一部始終を目撃していた者がいた。カラカス(Caracas)の著名な外科医で,夜間の往診の途中で,ゴンサレスが物体と出会った時,彼の車はゴンサレスの後ろにいたのであった。しかし,医師は馬鹿にされるのがいやで,二人の報告を裏づける気にはなれなかったということであった。のちに公式の報告書には名前を出さないという保証を取りつけてから,医師は警察に供述した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎




サイト:「XENLife」より
参考外部サイト⇒ GA Site(第7章 現代のUFO 第3話宇宙よりの来訪者)


【サイト検索キー:Gustavo Gonzales 1954 UFO 】

参考外部サイト=>URECAT(NOVEMBER 29, 1954, PETARE, MIRANDA, VENEZUELA, GUSTAVO GONZALES AND JOSE PONCE:)

参考外部サイト=>MysteriousUniverse(Hairy Dwarfs on the Rampage)

参考外部サイト=>Inexplicata-The Journal of Hispanic Ufology(Venezuela: A Classic CE3K Revisited-The 1954 Jose Ponce/Gustavo Gonzalez Incident)

参考外部サイト=>XENLife(Alien Abduction And Close Encounter Defined)
●カロラ宇宙人誘拐未遂事件(ベネズエラ) 1954年12月10日の夕方,うさぎ狩りをして帰る途中の2人の少年が,ベネズエラのカロラというところで,4匹の小さな毛むくじゃらの怪物に誘拐されかけた事件。
ロレンソ・フロレス(Lorenzo Flores-10歳)とヘスス・ゴメス(Jesus Gomez-12歳)の2人の少年が,チコとセルロ・デ・ラ・トレス・トルレス(Chico-Cerro de las Tres Torres)間のアンデス横断ハイウェーのそばで,うさぎ狩りをして帰る途中,カロラ(Carora)近くのハイウェーの端を歩いていると,45mほど向こうの道路わきの茂みに,キラキラ光る金属製の物体があることに気づいた。
自動車がスリップして道路から飛び出したのだろうと思い,近づいていくと,その物体は自動車ではなく,スープ皿を2つ重ねたような形をして自動車の2倍くらいの大きさだった。物体は90cmほどの高さに浮かび,底の部分から炎を噴射していた。
その物体にみとれていた2人の後ろから,突然,4匹の小さな毛むくじゃらの怪物(身長は約3フィート;90cm)が現われ, そのうちの2匹がゴメスをつかみ,物体のほうへ引きずっていこうとした。
フロレスはウサギ狩りで使った猟銃(古いショットガン)で撃とうとしたが,弾が無くなっていたため、その銃身を握って,力いっぱい1匹の怪物に振りおろした。 怪物は,まるで岩を殴っているようであったが,何度も殴っているうちに銃は折れてしまった。怪物たちは,ゴメスをはなして物体のなかに逃げていった。
2人は現場から走って逃げだし,途中でハイウェイ・パトロールの事務所に飛び込んだ。
そこに着いた時,二人の衣服はひどく破れていて,深いひっかき傷を負っていた。
翌朝,警官たちを遭遇現場に案内すると,格闘らしきものがおこなわれたことを示す証拠が大量に見つかった。フロレスが使った折れたショットガンも発見された。しかし,わずかに焦げた茂みを除けば,小さな怪物やその乗り物がいたという痕跡は見つからなかった。

2人が遭遇した怪物は,ゴンザレスが遭遇した怪物(ゴンザレス宇宙人格闘事件)と同じものであろうと言われる。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【UFOと謎の奇怪な生物,文:グレイ・バーカー,訳:木戸淳子】,1977年

『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎
【サイト検索キー:chico, venezuela, 10 december 1954 ufo 】

参考外部サイト=>MysticFiles(Amazing UFO Sightings From Around the World: South America)

参考外部サイト=>UFO DNA(10 Dec 1954 - Chico-Cerro de las Tres Torres, Venezuela)

参考外部サイト=>On Dhis Day(Encounters with Aliens on this Day)

参考外部サイト=>ufoinfo.com(The Magonia Database: Part 4: October 19th 1954 - August 25th 1955)
●カンピナスUFO金属噴出事件(ブラジル) 1954年12月14日,ブラジルのカンピナスに現れた3機のUFOのうち1機が下面から銀色に輝く液体をしたたり落とした。

この日の午後,カンピナス(Campinas−ブラジル南東部の内陸都市)に現れた3機のUFOを多数の人々が目撃した。
3機のうちの一つは,激しく振動し,高度を維持するのが大変なように見えた。他の2機の円盤は,その円盤をまるで助けでもするかのように,その周囲をゆっくりと旋回している。不自然に振動する円盤が,約300フィート(約91m)の高度まで落ちた時,ドシンという低く響く音を発した。音は時々起こる振動と同期して聞こえるようだった。
他の2機の円盤が,その円盤のすぐそばまで来たとき,それは急に傾き,がくんがくんと前進し始めた。すると,銀色に輝く液体が細い流れとなって円盤の下面からしたたり落ちた。一瞬後,円盤は低いブーンという音とともに水平飛行に移った・・・そして3機の円盤は,そろって上昇し始め,すぐに雲中へ姿を消した。
ただちに当局は,UFOから地上に銀色の物質が落下したと伝えられる地域の調査に取りかかった。すると点々と飛び散ったような金属が,屋根の上や歩道や街路,ある場合には戸外に干してあった衣類にかかっているのが見つかった。
この物質は,数オンス(1オンスは約28g)ほどで(正確な数値は発表されていない),ブラジル政府が保管にあたっている。
後の記者会見で,政府のスポークスマンは問題の物質が錫(すず)であることを認めたが,それ以上のことはほとんど何も明らかにしなかった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章/破片を集めろ!】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎



サイト:「The Big Study」から
【サイト検索キー: Campinas, 1954 UFO 】
参考外部=>UFO DNA(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFO DNA(14 Dec 1954-Campinas,Sao Paulo,Brazil)

参考外部=>UFO HUNTERS(Campinas,Sao Paulo (Brazil))

参考外部=>UFO PORTUGAL(Campinas,1954-Caso“LLUVIA DE PLATA”-Re-estudio)

参考外部=>The Big Study(FSR Volume 8 #3:May-June 1962)
●ヘスス・パス宇宙人傷害事件(ベネズエラ) 1954年12月16日,サン・カルロス・デル・スリア郊外にある公園で,ヘスス・パスが毛むくじゃらの怪物に襲われ昏倒した事件。
この日,3人の若者たちがサン・カルロス・デル・スリア(San Carlos Del Zulia)のレストランで食事をしたのち,車に同乗して家路についていた。
途中,公園までくると,3人のなかの1人,ヘスス・パス(Jesus Paz)が小用のため車を止めるよう頼んだ。そしてパスが車をおり,ものの十歩と歩かないうちに悲鳴をあげて助けを求めた。
友人たちが彼を助けようと駆けつけると,パスが血まみれになって気絶して地面に横たわっていた。少し離れたところを,人間に似た毛むくじゃらの小さな生き物が,芝生のところにある円盤型の光る物体に向かって走っていた。
パスの連れの1人である州軍兵士のルイス・メヒアは,とてつもない振動音をあげて離陸し始めた円盤に,石を拾って投げつけたが,それが精一杯の反撃であった。
パスは急いで,市内の病院に運ばれた。体には鉤爪の痕のような深いひっかき傷が,右脇から背骨にかけて斜めに走っていた。
パスの証言によると,公園の背の高い花を植えた花壇のそばを歩いていくと,いきなり彼はつまずきそうになった。見ると足元で毛むくじゃらの小人のような生き物が花を調べていた。 パスは逃げようとして向きを変えたところで,その生き物に襲われた。最初は爪でシャツを裂かれ,次に首の後ろを殴られたので,パスは昏倒したという。

パスが遭遇した怪物は,ゴンザレスが遭遇した怪物(ゴンザレス宇宙人格闘事件)と同じものであろうと言われる。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎
【サイト検索キー:San Carlos Del Zulia , venezuela, 16 december 1954 ufo 】
参考外部サイト=>
UFO DNA(16 Dec 1954 - San Carlos del Zulia, Zulia, Venezuela)

参考外部サイト=>ThinkAboutit-Docs(1954: Earth Vs The Hairy Dwarves)


参考外部サイト=>On Dhis Day(Encounters with Aliens on this Day)

参考外部サイト=>MysticFiles(Amazing UFO Sightings From Around the World: South America)
 
1955年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ブランチヒル小人宇宙人遭遇事件(アメリカ)


★目撃されたアンバランスな体型の怪人たち
(IIIust/SKYLOOK no.84)
『宇宙人の死体写真集2』から
1955年5月25日,オハイオ州ラブランドのロバート・ハニカットは, 夜中 にブランチヒルの道路わきに立っていた3人の異様な怪人を目撃した。
この日の午前3時30分ごろ,コックのロバート・ハニカットは仕事を終えラブランドから帰宅する途中,ブランチヒルにあるホープウェル道路の近くにさしかかったとき, 右手の草むらに三人の男がしゃがんでいるのが目に入った。ところが,車のライトに照らし出されたのは人間とは似ても似つかぬ生物だった。
彼らは背が低く,道路の反対側を向いて,ほぼ三角形を作るように位置していた。一人が道路に接近して立ち,あとの二人は後方の両脇に立っていた。
前方の生物は,棒か鎖のようなものを両手の間に握って,両腕を頭上30センチほどのところまであげていた。 その棒のようなものの上下にそって,青白い火花のようなものが両手の間を行き来していた。
ハニカットは車を停め外に出ると,前方にいた生物が腕を脚のあたりまで下げた。 手にしていた棒のようなものを,両足の踵(かかと)のところに巻きつけたように見えたという。 そして三人が同時にこちらを向いたため,ハニカットをまともに見つめる形になったが,彼らは何の表情も示さなかった。
車のライトがあたっていたため,ハニカットは生物たちを細かく観察することができた。 いずれもヒューマノイド・タイプで,身長は1メートル強で,顔も衣服も同じグレイ色をしていた。口は唇らしいものがなく, 横一文字で顔の下半分に横に拡がっていたためカエルを思わせた。鼻は特徴がなく,目も眉毛がない点を除けばごく普通だった。 頭頂部は禿げており,贅肉が何本か横に走っていて,ペンキで描いた人形の髪の毛のようにウェーブしていた。
最も特徴的だったのは上半身で,胸があきらかにアンバランスだった。右胸が脇の下から腰のあたりまで異様に膨れていて,非対称だった。 それにともなって腕も長さが違い,右が左よりも長かった。
ハニカットの車は,ヒューマノイドたちから6メートルほど離れた場所にあった。 彼は車の左手から正面に回り,彼らに近づこうとして左のフェンダーのところまで進んだとき,彼らは同時にやや前進した。 明らかにそれ以上接近してはならないという態度を示した。
ハニカットは不気味に感じ,数分して立ち去ろうと車に乗り込んだとき,突然強烈な悪臭を感じた。 それは刈り取ったばかりのアルファルファ草に少しのアーモンドを混ぜたような臭いだった。
尋常でないものに遭遇したと悟ったハニカットは,恐ろしくなって車を飛ばすと,そのまま警察署長のジョン・フリッツの自宅へ駆け込んだ。
朝の4時にたたき起こされた警察署長は急いで現場に駆けつけ調査をしたが,異常なものは何も発見できなかった。
事件が起きてから
1年3ケ月ほど後に,フリッツ署長から話を聞いたUFO研究家のテッド・ブローチャードとレオナード・ストリングフィールドは, 目撃者のハニカットのもとを訪れ,当時の状況を聞き出した。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(オハイオに出現したアンバランスな体型の小人宇宙人)
参考外部サイト⇒ 怪奇動画ファイル(UMAカエル男・・・)

参考外部サイト⇒ UMA図鑑(UMA図鑑47・・・)


参考外部サイト⇒ UFO事件簿(未整理写真集その2)
●ホプキンスビル怪物襲撃事件(アメリカ)

『ムー』1979年創刊号から
1955年8月21日の夜間,ケンタッキー州ホプキンスビルにあるケリーという集落のガイザー・マッギー農場に住む住民が,身長1メートルほどで銀色に光る怪物に襲撃された事件。8人の大人と3人の子供が現場に居合わせた。
この農場はサットン一家のものであるが,
夕方,庭の井戸で水を飲んでいた息子のビリー・サットンが,虹色に光る物体が近くの渓谷に落下するのを目撃していた。
夜間
に犬がけたたましく吠えていたため,サットン家の息子たち2人が銃をもち様子を見に行くと, 闇の中に銀色に光る怪物が宙を浮くように近づいてきた。それは1.4メートルほどの小人で,頭が大きく腕が異常に長く目は大きく黄色く輝いていた。
2人は,家の裏口まであと6メートルの距離に近づいた怪物に発砲した。手ごたえはあったが怪物はちょこちょこと歩き暗闇に消えた。 怪物は家のまわりに何度も現われ,そのたびに銃に撃たれたが不死身のようであったという。
サットン一家は恐怖にかられ,
11時すぎ全員で自動車で警察に向かった。警官を伴い農場に戻り調査したが足跡さえ発見できなかった。 警官が帰りしばらくは静かだったが,また怪物が現われて朝まで"鬼ごっこ"を繰り返した。 日が昇るころに,怪物は現れなくなったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.33号,1978年,「私は宇宙人を見た!」
『ムー』1979年創刊号,「異星人は敵か,味方か?」
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(ホプキンスビル事件)

参考外部サイト⇒ リアルライブ(宇宙人と銃撃戦を繰り広げた男たち「ホプキンスビルの宇宙人襲撃事件」)

参考外部サイト⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(ホプキンスビル・恐怖の一夜)
●ジョウゼフ・バンデルカUFO遭遇事件(オーストリア)


★遭遇したUFO
(IIIust/FSR vol.24,no.6)
『宇宙人の死体写真集2』から
1955年8月末か9月初めのこと,ウィーンの森の中で,ジョウゼフ・バンデルカというオーストリア人がUFOに遭遇し,UFO内にも搭乗した。
彼はバイクでウィーン郊外をツーリングしていた。
午後3時ごろのことである。 ウィーンから25キロほど南西にある森林地帯を走っていると,20メートルばかり向こうの空き地に,鈍い色の金属製の円盤が゙着陸していた。
円盤の幅は10〜12メートル,高さが2.5メートルほどで,窓もなく着陸脚もなかった。 側面に長方形をした開口部があり,そこから地面に長さが4メートルほどの傾斜路が伸びていた。
バルデルカは,バイクにまたがったまま,傾斜路を登り円盤内に入ってみた。 機内は照明されており,1.8メートルぐらいの人物が5,6人いて彼を取り巻いた。
彼らは,まるで6歳から10歳までの子供のような美しい顔立ちをしていた。 全員が同じグレイの模様のないオーバーオールを着ていた。縫目もなく足の先までつながっていた。 手は指なしの長手袋でおおっていた。髪は中ぐらいの長さのブロンドで,後頭部をずきんのようなもので包んでいた。
バンデルカは,住所と氏名を名乗り,無礼を謝罪した。 すると彼らは,流ちょうなドイツ語で,自分たちはカシオペア座のトップ・ポイントから来たことを告げた。 バルデルカは,地球の政治体制について説明したが,あまり興味を示さないようだった。
バルデルカは,立ち去る際に挨拶すると,彼らは東洋風にお辞儀をして返礼したという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(ウィーンの森の中に着陸していたUFOの搭乗員)
●フランク・ホルステッドUFO目撃事件(アメリカ) 1955年11月1日,天文学者のフランク・ホルステッド(Frank August Halstead)博士は,ラスベガスの西100マイル(約160km)のモハヴェ砂漠(Mojave Desert)で,列車の中から葉巻型のUFOを目撃した。

カルフォルニア(California)に向かう列車の窓側に座っていた妻のアン(Ann)が,その物体を見つけた。
それは,列車から見える山脈(列車は山脈と並行に走っていた)の頂上をかすめるようにキラキラ光りながら列車と同じ方向へ動いていた。
はじめはプリンプ(blimp-軟式小型飛行船)だと思った博士だったが,じっと見ているうちに,プリンプでないことに気づいた。プリンプは200フィート(約60m)ほどのものであるが,その物体は,なんと長さが800フィート(約240m)もある巨大なものであった。物体は山際すれすれを飛んでいたので,木立や林を比較対照にしての目測が可能であった。
4,5分間,列車と並行して動く物体を観測しているうちに,別の物体が加わったことに気づいた。この第二の物体は,急に第一の物体のうしろに現れた。第一の物体の陰(向こう側)にいたらしい。
第二の物体は,円盤状でキラキラ光っていた。大きさは100フィート(約30m)ほどで,底部が平らで,上側に低いドームがついていた。
二つの物体は,列車とほぼ同じスピードで,山の尾根ぎりぎりのところを飛んでいるように見えた。列車からの距離は500フィート(約150m)ほどだったという。
2,3分たつと,その二つの物体は,ゆっくり上昇しはじめたが,数秒後にはぐっと速度をあげて,15秒か20秒すぎた時には,列車の窓から見えないほどの上空にいた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部サイト=>Find A Grave(Frank August Halstead)

参考外部サイト=>探究調査室(超一流の科学者が円盤を認める!)

参考外部サイト=>阿修羅(フランク・エドワーズの円盤研究)



【サイト検索キー: Frank Halstead, Mojave Desert, 1955, ufo 】
参考外部=>theblackvault(A List of UFO Sightings by Astronomers (Compiled in 2000))

参考外部=>Discover(Why astronomers don't report UFOs)

参考外部=>ISSUU(The UFO Evidence)

参考外部=>NICAP(Chapter 7)

参考外部=>EducatingHumanity(Astronomers who claimed to have seen UFOs)
 
1956年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●空軍機C-131D衝突事件(アメリカ) 1956年7月22日,C-131Dコンヴェア空軍機が,カルフォルニア州ピクスリー付近の上空で,機が何物かの衝撃を受けて9000フィート(約2700m)も降下した。

旅客機でおなじみのコンヴェア双発機は,軍部ではC-131Dとして知られる。
この日の夜,メルヴィル・ステンヴァーズ(Merwin Stenvers)空軍少佐(飛行時間のべ数千時間というベテランパイロット)は,このC-131Dでカルフォルニア州ピクスリー(Pixley)の付近を16000フィート(約4900m)の高度で飛行していた。
突然,機は何物かによるすさまじい衝撃によってぐらつき,右方へと突き飛ばされた。少佐がなんの行動も起こすひまもないうちに,コンヴェア機は機首を下げて,まっさかさまに降下を始めた。
ようやく,機のバランスを回復させるまでに,彼は9000フィート(約2700m)も急降下する機内で大奮闘しなければならなかった。操縦の反応で機がひどい損傷を受けていることが確認できた。
少佐は,機が「空飛ぶ円盤にぶつけられた」と無線連絡をし,ベイカーズフィールド(Bakersfield)空港に緊急着陸の許可を要請した。彼が機を無事着陸させた時,空港当局から知らされた報道陣がすでに待機していた。彼らは,衝撃で下方にへし曲げられている機の後部表面の写真を撮った。
ステンヴァーズ少佐を含む飛行士たちは,生還できたことに感謝した。一人の軍人が負傷したが,それ以外の乗員に奇跡的に死傷者はでなかったのだ。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Pixley, 1956, UFO 】
参考外部=>YouTube(UFOカバーアップ?1956 Pixley UFOインシデント-UFOシーカー)

参考外部=>UFO UpDates(A mailing list for the study of UFO-related phenomena)

参考外部=>openminds(November 1956)

参考外部=>UFO DNA(Close Encounters of the Second Kind in 1956)

参考外部=>UFO DNA(22 Jul 1956-Pixley,California,USA)
●サフォーク上空UFO目撃 事件(イギリス)
【レイクンヒース事件】



『未公開UFOファイル2018』から
1956年8月13日 ,サフォーク州レンデルシャムの森付近の上空に怪しい飛行物体が目撃された。
この日の
午後9時30分ごろ ,ベントウォーターズ空軍基地のレーダーが,奇妙な飛行物体を捕捉した。 物体は東海岸から侵入して,オーフォード・ネスと呼ばれる寒村の上空を越え,レンデルシャムの森を横切って,ベントウォーターズ基地に向かってきた。
基地にいた大勢の将兵たちが,レーダー係からの連絡で,外に出て上空を見上げたところ,このUFOを肉眼で確認することができた。 UFOは,かすんだもやのような青白い光に包まれていた。
同時に,付近の上空を飛んでいた輸送機も,このUFOが,輸送機の真下を移動していくのを確認することができた。 UFOの高度は,およそ1千メートル程度だと思われた。
さっそく基地から,ベノン迎撃戦闘機がスクランブルされた。レーダー管制塔がスクリーン上のUFOの位置を確認しながら,戦闘機をUFOの近くに誘導させた。
戦闘機パイロットが,機上のレーダーと肉眼で確認できることを伝えてきた。
だが,その直後,UFOは戦闘機の眼の前から消えてしまった。それを,管制塔のレーダーも捉えていたが,UFOは瞬間的に戦闘機の後方へと移動したのだ。
戦闘機のパイロットは後方にピタリとついて飛行しているUFOを発見し, なんとかこれを振り切ろうと,急激な方向転換,急降下,宙がえりなどを試みたがうまくいかなかった。
戦闘機の燃料が切れるまで,UFOは後方にくっついたまま追尾したという。 戦闘機が基地に帰投するのを見届けると,UFOは,アッという間に飛び去っていった。
事件当時の夜は晴れて視界は良好であった。地上の管制塔のレーダーと機上のレーダー,それに基地の将兵の肉眼と, 機上のパイロットの肉眼の4者が同時にUFOを確認したことで,この事件はもっとも信頼できるUFO事件として分類されている。
また
この日 ,同じサフォーク州のレイクンヒース空軍基地(ベントウォーターズ空軍基地の北西にある)のレーダーもこのUFOを捕捉していたため,このUFO事件は,「レイクンヒース事件」とも呼ばれる。
【参考文献】
『謎のHALT文書』,1989年
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒FC2(レイクンヒース事件 イギリスのレイクンヒースにある空軍基地のレーダーに突然に、推定時速3200キロメートルで動く未確認飛行物体が捕捉された)

参考外部サイト⇒SSPC(レイクンヒース基地管制官からの手紙)

参考外部=>阿修羅(1956年の事件)
 
1957年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●パンアメリカン航空257便UFOニアミス事件(アメリカ) 1957年3月9日,パンアメリカン航空257便,ダグラスDC6Aがフロリダ州上空で,白色光を放つUFOとニアミスした。

この日,マット・ヴァン・ウィンクル(Matthew Van Winkle)機長の操縦するパンアメリカン航空(Pan American World Airways)257便のダグラスDC6Aが,ニューヨーク(New York)からプエルトリコ(Puerto Rico)のサンファン(San Juan)へと向かっていた。暴風雨を避けるため,通常のコースより西にずれたコースを選んでいた。
午前3時30分,機はフロリダ州ジャンクソンヴィル(Jacksonville)の150マイル東方を飛んでいた。その時,機長は機の右手下方から射した,激しく輝く白い光線に驚かされた。その光を放つ物体の縁は輪郭がくっきりとしていた。
その物体が機との衝突コース上にあることを一瞬間見てとった彼は,次に巨大機を急上昇させた。ウィンクル機長が機のバランスを回復させようと格闘している間に,乗客,副操縦士(彼はその時客室にいた)などが座席から投げ出され宙に舞い飛んだのである。何人かの乗客が負傷し,機がサンファン空港へ着いた時には,救急車が待機していた。
付近の空域を飛行していた他の4機の飛行機の乗員たちは,このパンアメリカン機事故の起った
数分以内に,同じかあるいはよく似た物体を目撃していた。彼らはそれを,前面からまばゆい光線を,後部からは赤味がかった光ないし排気ガスを放出している,輝く物体であると描写している。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Pan American DC-6A, Jacksonville, March 1957, ufo 】
参考外部=>NICAP(DC-6A Crew Take Evasive Action)

参考外部=>NICAP(DC-6A Crew Take Evasive Action)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1957:March UFO & Alien Siqhtings)

参考外部=UFO DNA(UFO Sightings in 1957)

参考外部=>NARCAP(national aviation reporting center on anomalous phenomena)
●ミルトン・トーレス事件(イギリス)

★全米記者クラブでスピーチする78歳のトーレス博士
1957年5月20日,ミルトン・トーレスが,F-86Dジェット戦闘機のレーダーに写った雲の中の未確認飛行物体に対し,ロケット弾を撃込むためターゲットをロックオンして待ったが,物体は瞬時に加速し,レーダーから消えていった。

イギリス・ケント州にあるマンストンイギリス空軍基地で, 第514要撃戦闘飛行隊の第406航空遠征航空団に所属していたミルトン・トーレス中尉(当時25歳)が, イースト・アングリア地域上空の未確認飛行物体の迎撃のためF-86Dジェット戦闘機で飛び立ち,高度32,000フィート(約9.7km)で, 目的物をとらえたが,物体は厚い雲の中におおわれ目視できなかった。
しかし,機のレーダーがはっきりととらえていた。レーダー画面が焼き焦がれるほどだったという。 その影は航空母艦の形をしていた。上限ギリギリ約24kmでターゲットはロックオンされた。
ロケット弾をすべて撃ち込めという地上からの命令が入った。しかし,物体はレーダースコープをさっと横切り,機と地上のレーダーからも消え去ったという。 その物体が消え去る速度は,時速約16,000kmだったという。
トーレス氏はその後,工学の分野で学士号を取得すると,フロリダ州のケープ・カナヴェラル基地の射撃統制士官となる。ベトナム戦争では200回以上の戦闘飛行に就き,
1971年に空軍を退役する。退役後,機械工学の分野で博士号を取得したのち大学教授になった。
その後,イギリス国防省がUFOに関するファイルを公開し始めたときに,トーレス氏のUFO遭遇関連書類の写しが出てきた。 これが,この出来事の機密解除になり,トーレス博士は長年秘めていた話を語り始めた。
全米記者クラブで開かれたスティーヴン・バセットXカンファレンスでスピーチをしたトーレス博士は,UFO問題について,これまでわかったことを開示し,秘密を隠し続けなければならない多くの人を,開放せねばならないことを合衆国政府に呼びかけた。

【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒UFO事件簿( UFOニュース2008年)



参考外部サイト⇒mail online(U.S. fighter pilot: 'I was ordered to fire 24 rockets at UFO flying over East Anglia)

参考外部サイト⇒You Tube(Pt 2 Milton Torres UFO Disclosure Press Conference 09)
●ルチアノ・ガリUFO同乗事件(イタリア) 1957年7月7日,エンジニアのルチアノ・ガリは,ローマ郊外のクロアラ・リッジでUFOに乗り,上空にいた葉巻型の母船内に案内された事件。
この日 ,ガリが自宅での 昼食後 ,自分の工場に戻ろうとしたとき,一台の黒のフィアットが来てとまり,長身で黒い肌の男が彼に話しかけてきた。 男は突き刺すような漆黒の目をしていた。そして,ガリを車に乗るよう誘った。車には,もう一人のもっと小さくて繊細な顔をした男が運転をしていた。 車が,ローマ郊外のクロアラ・リッジまで行くと,そこには円盤型のマシンがガリを待っていた。 円盤の下側の中央からシリンダーが降りてきて,そのドアが開くと,長身の方の男が,ガリを円盤内に導き入れた。
円盤の底には直径1ヤード(0.9m)ぐらいの窓のようなレンズがあり,それを通して円盤が上昇するにつれて,小さくなっていく地球を見ることができた。
数分 のうちにガリたちは宇宙にいて,巨大な葉巻型の物体に接近した。 それは,推定600メートルもある巨大なもので,一方の端を,ひじょうに明るい光が取り巻いていて,そこのポートから,たくさんの円盤がはいったり出たりしているのが見えた。
開いているポートの一つに飛び込み,ガリが円盤を出ると巨大な船内にいることを知った。 400〜500人以上の人が,立ったり歩き回ったりしていた。彼は船内を案内してもらい,大きな図書館,ラウンジ,コントロール・ルーム,指令室などを見せてもらった。
4時間 もたたないで,彼はローマ郊外の,出発したところに戻った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
●ヴァリグ航空機UFO遭遇事件(1)(ブラジル) 1957年8月14日,ヴァリグ(Varig)航空のC-47貨物輸送機がポルト・アレグレからリオデジャネイロに向かう途中,UFOに遭遇し,機のエンジンが停止しかけた。

この日の午後9時,ヴァリグ・ブラジル航空のC-47貨物輸送機がリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に向けてポルト・アレグレ(Porto Alegre)を飛び立った。
機は5700フィート(約1700m)の高度を時速160マイル(時速258km)で飛行していた。視界は良好であった。
ジョルジェ・アロウジョ機長とエドガー・ソアレス副操縦士は,機の左側やや後方に,明るく輝く物体を見つけた。数行後にそれは,信じられぬスピードで機の前方右手へと移動していた。物体は,平たくピカピカしていた。上部にドームのついた円盤状だった。
物体はそれから,機に向かって突進してきた。機の照明はほとんんど消えかけて暗くなった。エンジンは停止しかけ,無線の受信はぱったりととだえた。
乗員たちにとって,きわめて不安な
数秒間が過ぎた。UFOは下降して雲海の中に沈み,同時に機の電気系統は正常に戻った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部サイト=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空)

参考外部サイト=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故)

参考外部サイト=>Let's easily go!気楽に行こう!( 【事故?】消えたジェット機「ヴァリグ・ブラジル航空967便」の消失【遭難?】)
●ウバツーバ円盤爆発事件(ブラジル) 1957年9月,サンパウロ州ウバツーバの海岸付近で,円盤状の物体が爆発して無数の破片となり飛び散った。いくつかの破片が回収され,研究者の手に渡った。

1957年9月14日,リオデジャネイロの新聞<オ・グロボ(O Globo)>紙のコラムニスト,イブラヒム・スード(Ibrahim Sued)は,サンパウロ(Sao Paulo)州ウバツーバ(Ubatuba)の海岸付近で,円盤状の物体が爆発した際に回収された数個の破片を受け取ったと報じた。
目撃者たちの報告によれば,円盤はものすごいスピードで海岸に向かって下降していたが,突然反転,数百フィート上昇したかと思うと,ぐらついてから爆発して無数の輝く破片となった。小片のうち浅いところに落ちたものは,目撃者にも回収でき,それこそが自分が受け取った破片なのだと,スード氏は述べた。
APRO代表の研究家オラボ・フォンテーズ博士(Dr. Olavo Fontes)は,新聞社からこれらの破片のうち3個を入手することができたが,この破片は3つともかなり小さい(アメリカの50セント銅貨くらいか,それよりやや小さい程度)ものだった。表面がひどくざらざらしていて,驚くほど軽いものであった。
引きつづいて行われたブラジル鉱物生産研究所の分光写真部門に所属するルイザ・バルボーザ博士(Dr. Luisa Maria A. Barbosa)の冶金学的分析の結果,破片は純粋マグネシウムであることが判明した。
フォンテーズ博士から残った破片の提供を受けたAPROは,米空軍に対して,もしAPROのために調査結果を鑑定し,解説してくれる適格な科学者の立ち合いを認めてもらえるなら,その小片の調査か分析,あるいはその両方を空軍に任せてもよいと申し出た。
この件に関して,APROと空軍の間で長々と手紙のやりとりがあったが,結局,空軍は分析のほうは引き受けていいが,部外者を調査に立ち合わせる件については,認めるわけにいかないということになった。,
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章・破片を集めろ!】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「UFO CASEBOOK」から
【サイト検索キー: ubatuba brazil, 1957, ufo 】
参考外部=>UFO CASEBOOK(Ubatuba UFO Fragments,1957)

参考外部=>UFOs at close sight(1957 September 14, Ubatuba UFO crash, Brazil:)

参考外部=>NICAP(The Ubatuba Incident)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1957: A Report on the Investigation of a UFO Explosion Over the Sea in Brazil )



サイト:「POLITIZANDO」から
●アントニオ・ボアス宇宙人誘拐事件(ブラジル)

★サイト:「UFO事件簿」から
1957年10月15日,ブラジルに住むアントニオという青年が,宇宙人に誘拐され,UFO内で異星人の女性とセックス体験をした事件。
ブラジルのミナスジェラエス州のサンフランチスコ・デ・テレスに住む農夫のアントニオ・ビラス・ボアス青年(23歳)が,
この夜 ,畑で一人農作業をしていると,赤い星が畑に落ちてきた。 それは,あたりを真昼のように照らし,長さが10メートルほどもあるタマゴ型の円盤で,トラクターから15メートルのほどのところに三本脚で着陸した。
アントニオは,トラクターで逃げようとしたが,エンジンがかからなかった。 走って逃げる途中で,円盤の中から出てきた,異様な人間に捕まり,かかえあげられ円盤の中に連れ込まれてしまった。 彼らは,身長が1.5メートルほどで,高いヘルメットをかぶり灰色の体にピッチリと合ったオーバーオールを身につけていた。
円盤の中で,アントニオは裸にされ,粘り気のある液体で全身を拭かれた後,チューブのようなものをあごの下にあてがわれ,血液を採取されたという。 また,別の部屋に通され若い女と性的関係をむすばせられた。 その女は,東洋的な美しさをしており,そばかすがあり,とがったアゴをし,明るい青い眼の斜視で身長が1.4メートルぐらいであった。
その後,アントニオは服を着せられ,円盤の中を案内してもらった。 アントニオを降ろした円盤は着陸脚を引き込み,回転塔を回しながら,弾丸のように飛び去っていったという。 気がつくと,
朝の5時半 であった。
【参考サイト】
UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『UFOと宇宙(NO.24)』,(ブラジルの奇怪な誘拐事件),1977年
『世界UFO大百科』,(美人宇宙人に誘拐された青年,文:秦洋一),1985年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))


★サイト:「UFO事件簿」から
●レブランド走行車エンスト事件(アメリカ) 

★自動車が異常を起こした場所
『謎のUFO怪事件』より
1957年11月2日夜,テキサス州レブランド(Levelland)近辺を走っていた車が,低空を飛んできた魚雷型の巨大な発光体(UFO)により,エンジン停止やヘッドライトが消えたりした事件。

物体は長さが約60mぐらいで卵型および魚雷の形をしており,ネオン燈のように輝いていた。物体が近づくと,遭遇した車やトラックのエンジンが止まりヘッドライトが消えた。 物体が遠ざかるともとに戻った。
この夜,レブランド署の当直巡査A・J・ファウラーのもとには,こういったUFOに関する通報が15件入ったという。
郡保安官のウェイア・タレムはネオンサインのような赤い光が,400mも離れていない前方でハイウェーを横切るのを目撃,
2秒間ほど,前方の路上を照らしだしたという。 物体の発する光は点滅を繰り返し,光がつくたびに自動車のエンジンが止まり,ライトが消えたと目撃者のひとりが語っている。
この事件は,UFOが起こすEM効果の最も信憑性の高いものといわれている。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.25)』(続/宇宙・引力・空飛ぶ円盤),1977年
『謎のUFO怪事件』,1992年


この日(1957年11月2日)の深夜12時直前,ペドロ・サウセードがジョー・サラブという男を乗せて,国道116号線をテキサス州レブランド(Levelland)に向かって車を走らせていた。
その時,巨大な物体が青緑色の輝きを放ちながら,ペドロのトラックをかすめてゆっくりと国道の路面に降下・・・あるいは路面すれすれのところに降りたった。すると彼らの車のライトが薄れ,エンジンが停止した。恐怖にかられたペドロは,ドアから飛び出てトラックの下にもぐりこんだ。
車に残ったジョーは,恐怖のあまり身動きできずにいた。物体の発する強力な光が赤に変わりジョーはまともに目を向けられなかったという。
二人は,かすかに金属が触れあうようなカンカンという音・・・それから,声らしき音も聞こえたと報告しているが,それが声だったとしても,二人にはちんぷんかんぷんだったという。
約3分後,全長200フィート(60m)ほどありそうな飛行船型のその物体は,なおもまばゆい赤い光を発し,音もなく急速に舞い上がり,夜空にかき消すように消えていったという。
このレブランドの事件では,少なくとも8人の目撃者が,車のライト,ラジオ,および点火装置に対する影響を報告している。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「MrOwl」から
参考外部サイト=>カラパイア(記録上有名な25のUFO目撃説-7.米テキサス州レベルランド(1967))

参考外部サイト=>Wikipedia(レヴェランドUFO事件)




【サイト検索キー: Levelland, 1957 ufo 】
参考外部=>en.Wikipedia(Levelland UFO case)

参考外部=>howstuffworks(The 1957 Levelland UFO Encounter)

参考外部=>YouTube(OVNI (Reconstitution) Levelland, Texas [2 novembre 1957].)

参考外部=>GHOST THEORY(The Night A UFO Landed In Levelland Texas)

参考外部=>UFO CASEBOOK(The Levelland, Texas Landings - 1957)

参考外部=>MrOwl(Levelland Case, 1957)

参考外部=>UFO DNA(2 Nov 1957 - Levelland, Texas, USA)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)
●ヴァリグ航空機UFO遭遇事件(2)(ブラジル) 1957年11月4日,ヴァリグ(Varig)航空のC-46貨物輸送機がポルト・アレグレからサンパウロに向かう途中,赤い光体のUFOに遭遇し,機のエンジンの発電機などに支障をきたし,ポルト・アレグレにUターンした。

1957年11月3日の夜,ヴァリグ航空のC-46貨物輸送機は,ブラジルのポルト・アレグレ(Porto Alegre)からサンパウロ(Sao Paulo)を目指し飛び立った。
双発の輸送機は,7700フィート(約2300m)まで上昇し,その高度でちぎれ雲の上を飛行していた。
11月4日午前1時30分ごろ,ジーン・V・ディ・ベイサック機長が,機の左手下方,座っている側に奇妙な赤色光を見つけた。機長は,それを良く見ておくようにと副操縦士に告げた。そして副操縦士もそれを確認した。ややあって,機長が左側を見下ろすと,赤い物体はまだそこに存在し,かつ急速に機に近づいてきた。
彼は機を物体の方へとバンク(方向転換)させようとしたが,物体も機に向かって激しく突き進んできた。
そして物体は,手をのばせばとどくような近さにきていた。すると,何かが焦げているような強烈な匂いがした。しかし火災報知機は何も示していない。すると,物体の赤い輝きは突然,薄れ始めた。
すばやく点検をすると,無線装置,右側エンジンの発電機,空中方位測定システムが,すっかり焼けてしまっていることがわかった。
機長は,機をUターンさせ,ポルト・アレグレに這う這うの体で引き返した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部サイト=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空)

参考外部サイト=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故)

参考外部サイト=>Let's easily go!気楽に行こう!( 【事故?】消えたジェット機「ヴァリグ・ブラジル航空967便」の消失【遭難?】)
●イタイプ要塞UFO襲撃(ブラジル)  1957年11月4日午前2時,ブラジル陸軍の要塞【イタイプ(Itaipu)基地】上空に出現したUFOが,要塞の機能を一斉に停止させた事件。

その夜,大西洋上の空は澄み渡っており星が1つ輝いているだけであった。物体はものすごい速度で要塞上空に接近してきた。 あまりにも速いので2人の警備兵はパトロールのことも忘れてただただ眺めていた。 UFOは停止して強烈なオレンジ色の光りを発しながらゆっくりと降下してきた。要塞の砲塔から40〜50メートルの上空で,UFOは動きをとめ静止した。 その物体は,低くうなる音を発し光度を増していた。
2人の警備兵は何か熱いものが顔に触れるのを感じた。そのうちの1人はすすり泣くような声を聞いたようだという。次に衣服全体に火がついたような耐えがたい熱波が襲ってきた。
警報装置を鳴らすと同時に要塞の電気系統がすべて働かなくなった。照明設備,機械の動力用電源,通信システムなどが一斉に機能停止し,基地全体が完全な暗黒につつまれた。
5時にセットしてあった電気時計のベルが鳴り始めた。午前2時3分である。
秩序が回復し,非常用電力補給装置が活動を始めた頃には,UFOは去っていた。しかし,
地上に出た数名の士官達は,オレンジ色に輝く巨大なUFOを目撃したという。
2人の警備兵は熱線にさらされてひどい火傷を負い,病院に長期間入院しなければならなかった。
【参考文献・サイト】
『UFOと宇宙(NO.25)』1977年(続宇宙・引力・空飛ぶ円盤)
『空飛ぶ円盤の真実』1988年
・サイト⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)

参考外部サイト⇒怖話(イタイプ要塞襲撃事件)
●セベイゴー号UFO遭遇事件(アメリカ) 1957年11月5日,合衆国沿岸警備隊の監視船セベイゴー(Sebago)号がUFOに遭遇した事件。


(★セベイゴー号 【サイト:「cohenufo.org」より】)

この日の朝5時10分のことである。セベイゴー(Sebago)号の周囲を飛び回っている物体をレーダーが偶然発見した。
この物体を追跡するうち,レーダー手たちは,物体が空中に停止し,次いで高速で前方へ突進するのを見た。
レーダーがUFOのブリップを見つけた
11分後,セベイゴー号の甲板にいた4人の乗員は,それを肉眼ではっきり見ることができた。名前を挙げると,ドナルド・シェイファー(Donald Schaefer)大尉,操舵手ケネス・スミス(Kenneth Smith),無線技士トマス・カーク(Thomas Kirk),そしてウェイン・ショットリー(Wayne Schottley)少尉である。彼らの描写によると,物体は光輝く円形で,既知の航空機の限界を越える飛び方をしたという。
これらのことを,ウェアリング(Waring)中佐が報告書で述べている。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章・典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年


 
(★セベイゴー号の乗員たち)
サイト:「SebagoSailors.org」から
【サイト検索キー: Sebago, nov.1957 ufo 】
参考外部=>Think AboutIt- REAL(1957: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>SebagoSailors.org(Sebago UFO Sighting)

参考外部=>waterufo(Sebago, 1945,WPG/WHEC-42)

参考外部=>NICAP(The Coast Guard Cutter Sebago Case)

参考外部=>NICAP(UFO CASEBOOK:1957)

参考外部=>cohenufo.org(Coast Guard Cutter "Sebago" RV Case)
●ラインホルト・シュミットUFO遭遇事件(アメリカ)

★シュミットが遭遇したとされるUFOのイラスト
『未公開UFOファイル2018』から
1957年11月5日,穀物バイヤーのラインホルト・シュミットが,ネブラスカ州カーネイ(Kearney)の川床に着陸していたUFOに遭遇し,その乗員にUFO内を案内された。

カルフォルニア州に住む穀物バイヤーのラインホルト・シュミットは,この日ネブラスカ州カーネイの南約1.5キロのところを車で走っていると,川床に巨大な葉巻型の物体が着陸しているのに気がついた。
物体の大きさは全長が約30メートル,幅9メートル,高さが4メートルほどで,4本の脚で地上に立っていた。
シュミットが,車を近づけようとすると,急にエンジンが止まり車が動かなくなった。 そこで,車からおり徒歩で近づこうとした。すると,その物体から発する不思議な光波のようなものにさえぎられて前進できなくなった。
突然,物体の中から一人の男がでてきて,シュミットにたくみな英語で話しかけてきた。 そして,迷惑をかけたことを詫び,彼を物体の中へ案内した。
物体の中には乗員が全部で6人おり,うち2人は女性だった。みな,上手なドイツ語で話しており,いそがしげに機械類のなかを動きまわっていた。 乗員の歩き方を見ていると,それは歩くというよりも滑りまわるようにみえたという。彼らは,何か物体内の修理をしているようだった。
シュミットは,案内者にいろいろ質問したが,ただ危害を加えないというだけで,質問には答えてくれなかった。
修理が終わり,出発のまぎわになって,彼らはシュミットに,物体が去ってしまうまでは,自動車をスタートさせることはできないだろうことを告げた。
やがて物体は軽く4,50メートル垂直に飛び上がり,それからほとんど空中へとけこむかのように見えなくなったという。
シュミットは警察に届け出たが,正気でないと判断され精神病院に送られた。 しかし後日,物体の着陸現場に出かけた現地の警察署長が,何らかのものがそこに着陸していたこを確認した。 また,その地域で,謎の飛行物体を何人もの人が目撃していることがわかり,シュミットの発言が見直されることになる。
【参考文献】
『宇宙の使者』,1973年,著者:斎藤守弘
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部サイト⇒TOCANA(警察が態度急変→精神病院に強制入院!? UFOコンタクティー、ラインホルト・シュミット事件の真実)

参考外部サイト⇒You Tube(【UFO・未確認飛行物体】もう一つのUFOコンタクティー「ラインホルト・シュミット事件」の真相 )
●クラーク少年着陸UFO遭遇事件(アメリカ) 1957年11月6日朝6時半,テネシー州ノックスビル(Knoxville)郊外のダンティ(Dante)に住むエヴァレット・クラーク(12歳)は,家の近くの原っぱに着陸しているUFOと4人の乗員を目撃した。

クラーク少年は
この朝,飼い犬のフリスキーを外に出してやると,家から300フィート(91m)離れた原っぱに不思議な長円形の輝く物体が静止しているのを見つけた。起きたばかりなので, 夢でも見ているのだろうとクラークは一度ベッドに戻ったが,数分後,犬を呼びにドアのところに戻ると,その物体がまだそこにあるのを目撃した。
フリスキー以外にも近所の犬が数匹,その物体の周りに集まって,物体のそばにいる4人の人物に向かって吠えたてていた。 男,女が2人づつだった。その4人は,クラークが映画で見たドイツ兵みたいながらがら声で話していたという。
一人がフリスキーをつかまえようとしたが,犬がうなり声をあげたので後ずさりした。 他の男がフリスキー以外の犬をつかまえたが,犬が噛みついたので,その男は犬を放してやった。
彼らの一人がクラークに気づいて,クラークに対して近くにくるような身振りをした。クラークは拒絶した。それから,その不思議な4人組は,向こうを向いて物体を貫いてまっすぐに歩いて行ったように見えたという。
後に,ノックスヴィルの《ニューズ・センティネル》の記者カーソン・ブルワーが,その野原に長さ24フィート(7.3m),幅5フィート(1.5m)にわたって草がおしつぶされた跡を発見した。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
●メロムUFO光線事件(アメリカ) 1957年11月6日,インディアナ州メロム(Merom)で,鉄工所工員ルネ・ギルハムが,光線を発するUFOを目撃した。

若い鉄工所工員ルネ・ギルハム(Rene Gilham)は,インディアナ州テールホート(Terre Haute)南方約25マイル(約40km)にある小さな町メロム(Merom)のはずれに,妻と子供たちといっしょに住んでいた。
この日,ギルハム家の夕食時に,隣りの家の子供が駆けこんできて,空におかしな星が出ているとギルハムと子供たちをせきたてた。子供たちは飛び出し,それを見て興奮し,今度は親たちを呼び出した。
ギルハムと彼の妻が家の前の通りに出ると,筋向いの家の家族はすでにそこに出ていた。そして,彼らは200〜300フィート(61〜91m)上空に静止している円形の物体を見守っていた。物体は直径が30〜40フィート(9〜12m)ぐらいで,何の音も発していなかった。
しばらくすると,明るく青い,目のくらむような光線が,物体の中心部から下方へと放射された。筋向いの家族の者たちや,ギルハムの子供たちと夫人は家の中に引っ込んだが,ギルハムだけは残って,その不思議な光景を見ていた。
彼は,物体が飛び去るまでの
約10分間,立ったまま周期的に半秒間ほどづつ放射される青い光線を浴びていた。物体はシューシューという,まるで高速電動モーターのような音を出していたという。
目撃は
水曜日の夜であったが,金曜日になるとギルハムの体に異常が現われ出てきた。顔が腫れあがり,かゆみだした。土曜日になると,頭のてっぺんと顔がいよいよ異常にふくれて赤味を増してきたので医者に診てもらった。
ギルハムを診たインディアナ州ダガー(Dugger)のジョゼフ・ディークス(Joseph Dukes)博士は,彼を治療のためインディアナ州サリヴァン(Sullivan)の病院に送った。彼はそこで治療され,
数日後に退院を許されたが,退院前に空軍将校たちにいろいろと尋問されたという。
ジョゼフ・ディークス博士の話によると,ギルハムの火傷は,電気溶接用トーチランプの光線に長い間さらされ過ぎたときの症状に似ていたということであった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Merom, Terre Haute, 1957, ufo 】
参考外部=>NICAP(Blue Light Beams Projected On Witness)

参考外部=>NICAP(Merom/Gilham Incident)

参考外部=>IndianaMUFON(Classic UFO Reports)
●ドナルド・ダッジUFO目撃事件(アメリカ)
【ヴァルパライソ事件】
1957年11月17日,高校の美術教師であるドナルド・ダッジが,インディアナ州ヴァルパライソに向かう途中の夜8時ごろ ,走行中の車からUFOを目撃した。

当時,インディアナ州ヴァルパライソ(Valparaiso)高校で美術を教えていたドナルド・ダッジ【D・Dodge-フランク・エドワーズの甥にあたる。のちにジョージタウン大学(Georgetown University)の著名な画家となる】は,この夜,車でヴァルパライソ(Valparaiso)に向かっていた。
ヴァルパライソ付近まで来ていた,
午後8時,彼は聞いていた番組が終わったのでカーラジオのスイッチを切った。
その時,彼は道路沿いの一面の雪野原の上に,回転する光が降りてくるのを目撃した。 最初はそれが故障した飛行機ではないかと思い,彼は車を急停車して外に飛び出た。
その物体は雪原の10フィート(約3m)ほど上空で静止して,非常に強い白光を放った。
彼は,自分の知識にないものを目撃したことを悟り,恐怖からあわてて車に駆けもどり,車を走らせた。 すると,物体はハイウェイを走るドナルドの車と並走して動き,車を追い抜き道路に飛び出した。
行く手をさえぎられたドナルドは,力いっぱいブレーキを踏みこんだ。 車は急停止した。UFOは一瞬,滞空したかと思うと,あっという間に上昇して厚い雲の後方へと去っていった。
彼は記憶が生なましいうちに,目撃したUFOの絵を描いた。


(★ドナルド・ダッジが目撃したUFOを描いた絵)
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Valparaiso, Dodge 1957 UFO 】
参考外部=>UFO DNA(17 Nov 1957-Valparaiso, Indiana,USA)

参考外部=>cufos.org(UFO_History-30th_History.pdf)

参考外部=>SCRIBD(Exclusive 30 Day Trial)
 
1958年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ブラジル海軍UFO撮影事件(ブラジル)
【トリンダテ島事件】

 
 

中央はUFOの拡大。
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
1958年1月16日,国際地球観測年で海上研究をしていたブラジル海軍が, トリンダテ島近海で土星型円盤を撮影し,これが大統領名で「本物」と公認される。
ブラジル海軍の科学船アルミランテ・サルダーニャ号に乗船中の50名の士官たちが,トリンダテ島(Ilha da Trindade)付近の水平線上を飛行しているUFOを目撃した。 報道関係者として乗船中のカメラマンアルミロ・バラウナを甲板に呼び,UFOの撮影を要請した。島の山頂付近で急旋回し, 高速で水平線へと飛び去ろうとしていたUFOの写真を4枚撮影するのに成功した。
撮影されたフィルムは,船長を含む2名の立ち会いのもとで船内で現像され,焼き付けされた写真には,緑色に輝く土星型のUFOが写し出されていた。 ブラジル海軍相のアルヴェス・カマラ提督はクビチェック大統領に面会を求め,会談後に海軍が撮影に成功したUFO写真は本物であるとの大統領談話を公式に発表した。
国が世界で初めてUFO写真を公認する歴史的出来事となった。
【参考文献】
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』,監修:南山宏, 2010年



(★事件の見取り図。UFOは右手の方角から飛んできて,数字の位置で停止。最後に島のレーダー施設を周回してから,北東方向へ飛び去った)
『空飛ぶ円盤の真実』(1988年,著者:フランク・エドワーズ)から
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(トリンダデ島事件)

参考外部サイト⇒怖話(【1958年】トリンダデ島事件)
●モノン鉄道UFO遭遇事件(アメリカ)


サイト:「UFOinsight」から
1958年10月3日,インディアナ州モノンからインディアナポリスに向かうモノン鉄道の第91番貨物列車の乗務員が,列車に付きまとう4つのUFOに遭遇した。

56両の貨物列車は,インディアナ州モノン(Monon)からインディアナポリス(Indianapolis)に向かう途中だった。およそ,90マイル(約145km)ほどの行程である。
機関士のハリー・エックマン,機関助手のセシル・ブリッジ,主任制動手のモリス・オットの3名の乗務員は列車の先頭にあるディーゼル機関車の運転席にいた。車掌のエド・ロビンソンと信号手のポール・ソスピーは列車最後尾の車掌室にいた。この両グループは,FM無線機で連絡をとっていた。同時に同じ方法でラファイエット(Lafayette)にある鉄道の運転指令室とも交信していた。
10月3日金曜日の朝の3時20分ぐらいのことであった。列車がワスコー(wasco)という小さな町をすぎたところで,列車の前方の空に4つの奇妙な光があることに機関助手のブリッジが気づいた。それは動く光体で,V字型の隊形で動いていた。
それらは,明らかに飛行機でないことが分かった。時速4,50マイル(約70km)くらいで動きながら,列車の半マイル(約800m)ほど先の線路を横切った。そして,4つの光体は,突然止まって,まっすぐ元の位置に戻った。光度は低く,ほとんど木の梢すれすれだった。そして,勢いよく東へ向かい,ブリッジたちの視界から消えた。しかし,
1分後ぐらいに突然また前方の線路の上に現われ,列車に近づいてきた。
ブリッジが無線で車掌室を呼び出すと,後ろのロビンソンとソスピーは,展望窓に上がって,貨車の上の様子を見ることができた。4個の光の塊が列車の全長と同じ半マイル(約800m)ぐらいのところにあった。その光は列車とは反対方向(北)に向かって,高度2,300フィート(約75m)のところを,時速約50マイル(約80km)のスピードで列車の上を通り過ぎた。それは,白い蛍光物のように光っていて,直径が40フィート(約12m)ぐらいで円盤型であった。
4つの光体は,半マイルほど列車の後ろに行ってから,
数秒間停止し,それから1つまた1つと順繰りに線路からそれて,東の方へ動き始めた。それを,乗務員全員が見ることができた。物体群は,速度を変えると色も変えた。明るい蛍光色から最も遅い速度のときにはくすんだ黄色がかったオレンジ色になった。
およそ
2分間,乗務員たちの視界から消えていたが,列車の背後からまた現われ,線路に沿ってまっすぐやってきて,たちまち列車を追い越した。そして,また車掌室の約200フィート(約60m)以内に近づいてきた。それらは線路用地沿いに並んでいる木立の梢よりやや高いところを,線路の上の2つの物体は縁を垂直方向に立てて,両側の2つは,ほぼ45度に傾いて飛行していた。
ロビンソンは車掌室に駆けこんで,電池5個入りの強力なシールド・ビーム式懐中電灯を持ってきて,その光を物体に浴びせかけた。すると,その光が当たると物体は横に飛びのいて光線を避けたのだった。物体たちが線路の上に戻ってくると,もう一度その光を浴びせたところ,今度はパッと散り散りになった。2度目に光を当ててからは,物体はもう近くに来なくなった。
それでも,列車の横や後ろをかなりの距離をとって飛び回ってはいたが,列車がカークリン(Kirklin)に着くと,北東の方へ勢いよく飛んで行き,2度と現われなくなった。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎





(上下写真,イラストとも,サイト:「NOUFORS」から)
【サイト検索キー:Monon Railroad UFO 】

参考外部サイト=>UFOinsight(Multiple UFOs On The Monon Railroad)

参考外部サイト=>NICAP(The Monon RR UFO Incident)

参考外部サイト=>NOUFORS(The Monon Railroad UFO Incident)
●イグアペUFO沈没事件(ブラジル) 1958年10月31日,ブラジル・イグアペのペロパーバ川に,故障したUFOと思われる機体が墜落し沈んだ事件。

この日の午後2時半ごろ
,ブラジルのイグアペ(Iguape)でガランガランという金属音とともに故障していると思われる5メートルもある銀色のUFOが町の上空に姿を現し, そのまま機体はペロパーバ川(Rio Peropava)近くの濁った水の上に突進し,川の流れの中にすべり込んだ。
水が沸騰したらしく, 沈没地点あたりで川底からの泥が渦を巻いていた。 12人の目撃者がいた。本格的な調査が始まったのは,
1週間後からで,川の底に沿って走る4メートル以上の深い泥の層によって,機体の残骸をつきとめることはできなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義


イグアペ(Iguape)は,ブラジルのサンパウロ州内に位置し,ペロパーバ川(Rio Peropava)の河岸にある。川は広いゆっくりした流れで,その場所はおよそ15フィート(約4.5m)の深さがあった。
午後2時半ごろ,少なくとも20人の人間が,頭上から時折りガチャンガチャンという金属音をはさんで聞こえてくる大きな爆音に注意を引きつけられた。
ふらふらしながら現われて川に向かって飛行している物体は,直径約16フィート(約5m),中心部の厚さ約4フィート(約1.2m)の光る円盤状のものであった。それは,川岸にあるエリディア・アルベス・デ・ソウザ夫人宅の屋根をぐらつきながら飛びこえた。 そして,機体を傾けて方向転換しようとしたらしいが,椰子(やし)の木の幹に当たって,ますます不安定になった。 円盤は上向きに傾いた。どうやら上昇しようとしたらしい。次いで30フィート(約9m)ほど横に動き,うなりをあげて金属音を発しながら
数秒間,川の上空に浮かんでいたが,突然くるりと回転して水中に突っこんでしまった。
物体は,水に触れると,灼熱していたかのようにシューシューという音がしたが,蒸気は出てこなかった。だが,大きな泡が沸きあがってきた。
何秒か後には,かき乱された川の水にひどく泥が混じりだした。物体が突っこんだ場所では,1時間以上も水が泡だちつづけた。
後に警察と軍が,目撃した全員(総勢12名)を尋問した。
11月7日までには,さまざまな装置や専門家が勢ぞろいした。だが,二週間にわたる徹底した調査にも関わらず,肝心の物体は見つからなかったという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー:Peropava-Iguape UFO 】

参考外部サイト=>Sigma21(Queda de UFO no Rio Peropava-Iguape/SP)

参考外部サイト=>WATERUFO.NET(A SUBMERGED UFO?)
●スコットランド異星人遭遇事件(スコットランド) 1958年11月 ,地方守備陸軍部隊が演習中の二人の若者が,身長が2m以上もある二人の異星人らしき者に遭遇した事件。
地方守備陸軍部隊が週末の演習を,アバーディーンから約60マイル(96km)のターランド村より数マイルはずれたブリマーとバラターの中間の場所で実施した。 演習が始まり,二人の若者が数時間小さな丘の頂上に歩哨として残された。二人とも完全武装をしており,横になるための壕を掘っていた。
早朝 ,太陽が地平線に現れたとき,二人の位置から数百ヤード離れた樹木の後ろから,ビンから水を流し込むときのようなドクドクという奇妙な音が聞こえてきた。音がやまないので, 二人は調べるため樹木の方へ歩き始めた。すると突然,二人の人影がよろめきながらこちらに向かって歩いてきた。 若者たちは恐怖で歩けなくなった。近づいてくる者たちは,身長が2~2.4メートルぐらいあり,ドクドクという音を出していた。 それは相手が互いに喉の奥で話し合っているために出てくる音のようであった。 奇妙な服装をして,荒れた丘の頂上を歩くのが困難らしかった。
二人の若者は,急ぎ丘をかけおり,ターランドのハイウェーに向かって走った。 郵便局のエンジニアたちの臨時宿泊所になっている小屋に向かった。 道路を走りながら,若者の一人が振り返ると,背後でシューッと音をたて,巨大な円盤型物体が地上数フィートの空間を道路沿いに飛んでくるのを目撃した。 巨大な物体は,一目散に逃げる二人の若者の頭上をサーッと飛びこえて,まもなく見えなくなった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.18),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1976年
●ケーキ人間襲撃事件(スエーデン) 1958年12月20日の午前3時ごろ ,デンマークとの間を隔てるエレソン海峡に面したヘルシングボリ市の付近で,ボーリングのピンとスポンジケーキの合いの子のような得体の知れない4匹の怪物に2人の男が誘拐されようとした事件。
ハンス・グスタブソン(25歳)とスティグ・ティドベルトは,ダンスに出かけて帰る途中,近くの松林のなかの空き地に,光るものを見つけて車を止めた。2人は車を降りて近づいていくと,それは三脚台の上に乗った直径4.8mほどの光を放つ物体であった。
突然,4匹の怪物(身長が1.2mぐらいで手足が短かい)が彼らを襲ってきた。強い握力で,2人は着陸中の物体に引きずられていった。
その怪物に右手のこぶしで抵抗すると,こぶしはひじのあたりまで相手の体のなかにめりこんでしまった。ぐにゃぐにゃした怪物は,彼らの考えを読めるようだったという。彼らがつかもうと思うと,瞬間その部分をひっ込めたという。
看板の柱にしがみついたハンスを,2匹の怪物がまごついていると,スティングを引きずっていた他の2匹がスティングを放し,手伝いにきた。
スティングは走って車にもどり,けたたましくクラクションを鳴らした。音に驚いた怪物たちはハンスを放した。怪物たちは,急いで物体の中にもどり,物体は地上を離れ上昇して消えていった。
地方の各新聞は,彼らの供述を面白おかしく報道した。 とくに”ボーリングのピンか丸い菓子パン”みたいな怪物だったというハンスの言葉をからかって, この事件を”ケーキ人間の襲撃”と書き立てたが,2人の同意のもとにテストを行った精神科医のエリック・エッセルとキルヘルム・ヘルステン両博士は, 彼らの体験が本物であるという結論に達した。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【UFOと謎の奇怪な生物,文:グレイ・バーカー】,1977年
 
1959年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●グジニア港UFO墜落事件(ポーランド)  1959年2月21日, ポーランドのグジニアというバルト海の港で,桟橋で働いていた労務者たちが白熱した物体が港に落下するのを目撃した。 謎の物体を捜すためダイバーが見つけたのは,錆びていない金属片一つだけであった。
また,
2日後 けがをした異星人が浜づたいに這っているところを発見された。 宇宙服のような奇妙な金属製の服装をしていたという。彼は病院に連れていかれ,医者は服を脱がせるのに苦労をしたが,腕輪のようなものを外したとたん, その患者は死んでしまったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
参考外部サイト⇒ TOCANA(ポーランド版ロズウェル事件)
●キリアン機長UFO目撃事件(アメリカ)  1959年2月24日の夜 ,アメリカン航空のDC-6型機が,3個の輝く円盤によって45分間つきまとわれた事件。

ピーター・キリアン機長(Captain Peter Killian-
20年の経験と飛行距離400万マイル以上の経験をもつ)と副操縦士のジョン・ディー(James Dee)は,アメリカン航空(American Airlines) の貨物輸送機でニューアーク空港(Newark Liberty International Airport)を離陸し, ノンストップでデトロイト(Detroit)に向かっていた。
ペンシルバニア(Pennsylvania)上空【フィリップスバーグ(Phillipsburg)とブラドフォード(Bradfort)の中間】を高度8500フィート(約2600メートル)で飛んでいた
午後8時45分,南の方角に黄色に輝きながら一列に並んで飛ぶ3つの光体を目撃した。
キリアン機長は副操縦士のジョン・ディーや他の乗員及び乗客にその光体のことを知らせた。乗員は彼が幻覚を見たのではなく,複数の物体がたしかにそこに存在していることを確証した。
機長はそれを確かめられる位置にいる二機のアメリカン航空の飛行機に無線で連絡をとったが,二人の機長は,自分たちも間違いなく見たこと返事をしてきた。
乗客の中にN・D・バスカスというユーティカ(Utica)のカーチス・ライト(Curtiss-Wright Corporation)支社の製造部長がいたが, 彼はその物体群が正確な編隊を組み,空中でダンスをしているように見え,1個の光体が近づいてきては,また隊列にもどるというようなことを繰り返していたと述べた。
このキリアン機長の報告に対し,空軍からは”ジェット機に燃料補給している空中給油機”だとか,”オリオン座の三つ星の見間違え”とかの説明を聞かされる破目になった。
豊富な経歴をもつベテラン・パイロットであるキリアン機長は,空軍のスポークスマンがニューヨークの新聞記者たちに,キリアン機長はおそらく飲みすぎていたのだろうと語ったため,キリアン機長は法廷で争う構えをみせた。そのため,その中傷はすぐに撤回されたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.19)』1976年,「(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道
『空飛ぶ円盤の真実』【第10章・アメリカ人への口枷】,1988年,著:フランク・エドワーズ




(★状況を説明するキリアン機長。この写真では,左手にアメリカン航空DC-6のモデルを持っている)
サイト:「NICAP」から
【サイト検索キー:American Airlines Killian 1959 ufo 】

参考外部サイト=>UFOinsight(The 1959 Killian UFO Case)

参考外部サイト=>NICAP(Airliners Paced By Three UFOs: The Killian Case)

参考外部サイト=>INTERLINK UFO CASES(THE KILLIAN CASE)

参考外部サイト=>UFOs at Close Sight(The Killian - Orion belt sightings,1959:)
●大型輸送機C-118墜落事件(アメリカ)
【フォート・ルイス事件】
1959年4月1日,乗員4名を乗せた空軍のC-118輸送機が,謎の飛行物体と衝突し,山腹に激突した事件。

その
朝6時30分にワシントン州タコマ(Tacoma)のマッコード・フィールド(McChord Field)空軍基地を飛び立った乗員4名のC-118機から,緊急通信の無線が送られてきた。
「われわれは何物かに衝突した−あるいは何物かに衝突された」−
数秒間の沈黙の後,操縦士の叫び声が聞こえた。
「メーディ! メーディ!」−国際的な救助要請信号だった。それから,最後の言葉が続いた。
「これがそうだ! −これがそうだ!」
C-118の大型輸送機は,サムナー(Sumner) とオーティング(Orting)間の山腹に衝突して,バラバラに分解した。生存者はなかった。
フォート・ルイス(Fort Lewis)から,ただちに軍隊が出動して,当該地域に非常線を張り,民間人の現場への立ち入りを禁止した。
遭難機を目撃した数多くの人は,二つのオレンジ色もしくは黄色味がかった物体が,C-118の後方すれすれに接近して,追跡していたと述べた。
その後,ちぎれてなくなった機体の後尾の部品が,現場から何マイルも離れたレーニア山(Mount Rainier)の北側山腹の丘の上で発見された。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Fort Lewis, C-118, 1959, UFO 】
参考外部=>MyNorthwest(Bonney Lake crash and UFO mystery reveal hidden history)

参考外部=>CUFOS(UFOS: A HISTORY 1959 APRIL-JUNE)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1959:April UFO & Alien Siqhtings)
●パプア島円盤騒動事件(パプア・ニューギニア)

『コズモ(UFOと宇宙)』NO.3から
パプア島のグッドイナフ湾付近の上空で 1959年の6月から8月 において,多数の円盤が目撃された。特に, 6月27日 のボイアナイの目撃時には円盤の乗員らしき人影が円盤上から手を振った。

●以下,
6月27日 の目撃状況−
1959年6月27日午後6時ごろ,前日の6月26日 に続き,同じ形の円盤がボイアナイに出現した。 ボイアナイは,ニューギニア島のパプア内にある村落で,海岸には,ボイアナイ全聖者伝道本部があった。 本部長のウィリアム・ブース・ジル神父と他数十名の目撃者がいた。円盤の上部には4人の人影が見えた。 乗員の一人は手すりにもたれてこちらを見下ろしていた。 神父が手を振るとその人影も同じ動作をした。アナニアス(目撃者の一人)が両手をあげて振ると,今度は二人が同じことをした。 何分間か交歓をかわすうちに彼らは興味を失ったのか姿を消してしまった。青いスポットライトが,数秒間づつ二度点灯された。 神父らは, 午後7時 の礼拝に出席し,礼拝が終った 7時45分 に協会を出たときには,雲におおわれた空には円盤は全て (人影が見えた大型円盤のまわりに小型の円盤が数機目撃されていた)姿を消していた。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』(NO.3・4),1973年(パプア島の円盤騒動,文:ノーマン・クラットウェル神父,訳:増野一郎)
参考外部⇒GA Site(パプア・ニューギニアのUFO出現騒動)
●ギデオン・ヨハンソンUFO遭遇事件(スウェーデン) 




『宇宙人の死体写真集』から
1959年の10月末のこと,スウェーデン南部のマリアンルンドという町で,電気技師だったギデオン・ヨハンソンが,地上50cmに静止しているUFOに遭遇し,UFO内にいる2人の不思議な乗員を目撃した。
ギデオンは,この日帰宅していたが,
午後7時前に突然,停電となってしまった。
停電の原因を調べようと家の外に飛び出していくと,三階建ての建物の上空に目もくらむような光体が浮かんでいるのを目撃した。ギデオンは最初,航空機が墜落しかけているのではないかと思ったが,その物体は空中に静止したまま動かなかった。音は,まったく聞こえてこなかった。
そのうち,その物体はゆっくり動きだした。どうやらヨハンソン家の庭に向かって降下してくるようだった。降下中に機体は3度ほど揺れ,カエデの木のこずえにぶつかった。UFOは,そのまま枝のあいだを抜けてほぼ垂直に降下し,路上50cmのところで静止した。そこで小型ボートのようにゆらゆらと空中で揺れている。
ギデオンが,門のところにたどりつくと,UFOはほんの3mほど近くにあった。UFOは全長が3.5〜4m,高さ2.5m,楕円形をしていた。薄いブルーで,厚さ8mmはありそうな装甲板に似た金属で造られているように見えた。周囲のフレームは,リベットでとめてあったため,UFOはまるでハンドメード(手作り)のような気がしたという。
そして,UFOの機体には窓があり,内部には不思議な白い光がついていた。窓ごしに見ると,機内に二人の小柄な奇妙な人物が座っていた。頭が大きく,美しい大きな目をしていた。鼻は細長く,おちょぼ口で,下あごが小さく,あごの先が尖っていた。彼らは黒い色の幅広のベルトを肩から胸にXの字のように交差させて,ユニフォームを着ているようだった。
一人が,急いでベルトをはずすと,しゃがみこんでなにか作業をはじめた。作業は,すぐに終わったようだった。ギデオンは,手を振って笑いかけたが,乗員の一人が数秒間,ギデオンをじっと見つめただけであった。
まもなく,UFOは浮かびあがり,いったん停止して機内の光が消えると,あっというまに飛び去ってしまった。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三
 
1960年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ジェルメン・ティシット宇宙人遭遇事件(フランス)
【ピュイ・ド・ドーム事件】



★遭遇したUFOと宇宙人
(IIIust/"Phenomenes Spatiaux" no.21)
『宇宙人の死体写真集2』から
1960年の4月もしくは5月初めのある晩 ,フランス中部のピュイ・ド・ドーム県にある村でパン屋を営んでいたジェルメン・ティシット(50歳代)は, 付近に着陸した巨大な円盤型UFOに遭遇し,中から降りてきた小柄な乗員からビーム光線を浴びせられた。
午前2時ごろ,パン生地をこねる作業が終わったティシットは,窓の外から差し込む光と奇妙な音を聞いた。
なんと,パン製造工場の外にある坂道に巨大な物体が着陸しているのを,外に出たティシットは目撃した。
最初,物体は坂道の傾斜どおりに傾いて着陸していたが,底部から着陸装置が伸びてきて機体が持ち上がり水平になった。 その物体はコマのような形状をして,大きな音を発していた。幅は10〜15メートルで高さが5メートルほどであった。 物体の上半分は透明で,高速回転をしており,ネオン管に似た長さが50センチほどの蛍光管が,同じ間隔を空けて表面に4列並んでいた。 列により色が違ったが,まぶしい多色の光を機体の周囲に投げかけていた。そして,物体からは生温かい強烈な風が噴き出していた。
すると,物体の右手からはしごが下りてきて,そのはしごから小柄な人間が地上に降りてきて,ティシットのほうに近づいてきた。ティシットは,その乗員をつかまえてやろうと強風に逆らって突き進んでいった。
その乗員は小柄だったが,体格がよく,顔立ちもハンサムらしかった。 小さなブーツとぴったりしたズボンをはき,ボタンが並んだ灰緑色のジャケットを着ていた。 消防士のようなヘルメットをかぶり,4つの箱のついたベルトをしていた。
近づいてくるティシットに気づいた乗員は,懐中電灯に似た長いチューブを構えた。 すると,そのチューブの先から強烈な白いビームが放射され,ティシットの胸と頭を直撃した。彼は,息ができなくなった。 それでも,まだ進んでくるティシットを見て恐れをなしたのか,その小柄な乗員は,はしごを昇ると円盤の中に姿を消した。
円盤は垂直に30メートルほど上昇した。そして,わずかに揺れながら南の方角に猛烈なスピードで飛び去っていったが,その際,ティシットは月明かりで,同じような形をした円盤の群れに加わったのが見えたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(フランスのパン屋にビーム光線を浴びせた宇宙人)
参考外部⇒オカルト・クロニカル(パン屋 VS 宇宙人 ピュイ・ド・ドーム事件)

参考外部⇒GA Site(フランスに着陸したUFO軍人)
●牛乳配達人UFO遭遇事件(オーストラリア)  1960年の夏のある朝早く ,オーストラリアのシドニーの南海岸に沿って歩いていた牛乳配達人が,着陸している円盤とその乗員2人に遭遇した。
牛乳配達人は,すみれ色に取り囲まれ,哀れっぽい音を出している妙な金属製の円盤に出くわした。
突然,2人の男が現われた。2人とも宇宙服を着て透明なヘルメットをかぶっていた。 彼らの目は青く,東洋人のような顔をしていた。そして,完全な英語で牛乳配達人に声をかけたが,彼らの唇は動かなかった。 その声は,ベルトについている四角い箱から出ているようだった。
彼らは,オリオン星座から地球を接収する準備をするためにやってきたのだと警告し, 彼らが,その牛乳配達人に接触できたのは,彼からでているオーラのせいだと告げた。 そして,彼らは,いつかまた戻ってきて彼と接触することを約束したという。

【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
 

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