UFOレガシーUFO・ミステリー事件遺産 当サイトで参考にしたUFO関連本一覧
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UFO事件集(1951年〜1960年) 
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1957年 1958年 1959年 1960年
1951年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 参考サイトなど
1951年UFO情報 参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS- 1951)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1951 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1951)

参考外部=>NICAP(1951 UFO Chronology)


参考外部=>intcat(INTCAT 1950 - 1951)
●ネバダ核実験(レンジャー作戦)UFO出現事件(アメリカ) 1951年1月30日,ネバダ核実験場での爆発実験(レンジャー)に関連してUFOが出現した。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

レンジャー作戦(Operation Ranger)はネバダ核実験場においては最初のシリーズで,発生したフォールアウト(放射性降下物)に関連してUFOの出現が目撃された。

実験名:「ベイカー(Baker)」。爆弾は8キロトン。起爆は,
1951年1月28日午前5時52分(太平洋標準時)。
放射性雲
1月29日東部標準時午後5時30分,放射性粒子雲がニューヨーク州オールバニー(Albany)の上空30,000フィートを通過した。
UFOの目撃
1月30日午後7時30分(放射性粒子降雨の26時間後),ニューヨーク州オールバニー(Albany)上空を飛行中のF-86戦闘機の2人のパイロットは,1個の緑色発光体が急角度で降下するのを目撃した。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Ranger)


【サイト検索キー: albany ny, F-86, 1951, UFO 】
参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1951)

参考外部=>UFOdna(30 Jan 1951-Albany,New York,USA)
●ラボック・ライト【ラボック光体群】目撃事件(アメリカ)
1951年8月 にテキサス州ラボック(Lubbock)で目撃された謎の光体群。 この光体群は,この年( 1951年 )に14回目撃された。

⇒1951年8月25日PM9:10ごろ,テキサス工業大学の地質学教授のロビンソン(Dr. WI Robinson)博士は,テキサス州ラボック(Lubbock)にある自宅の裏庭で,2人の同僚 (応用化学の教授A・G・オーベルグ博士(Dr. AG Oberg)と石油化学科の主任W・L・ダッカー教授(Dr. WL Ducker))と,無数の光体が数秒間に,地平線から反対側の地平線に音もなく上空を通過するのを目撃した。
それは30数個ぐらいの数珠(じゅず)を半月形にならべたような印象であった。
数分間に,他の同様な一群が,夜空を燦然と飛んでいった。その光は 1秒間に30度円弧を通過する速度で飛行している事実を観察することができた。
科学者でもない一般人でも何百人の人たちが,このラボックの上空で神秘的な半弧を描いて飛ぶ光体を見ていたのである。

(出典;『空飛ぶ円盤実見記』 【高文社:1972年刊行/ 著者:D・レスリー】から抜粋)



(★ラボック光体群を目撃したテキサス工科大学の3教授(左からオーベルグ教授,ダッカー教授,ロビンソン教授)と討論に加わったジョージ博士(右側))

(★ラボック光体群をコダック35を使用してとらえたカール・ハント少年)

『UFOと宇宙』NO.33 【日本の科学者に問う】から)


⇒1951年8月31日夜
,テキサス州ラボック(Lubbock)市に住んでいた18歳のカール・ハント(Carl Hart, Jr.)少年が撮影(コダックの35ミリカメラを利用しf3・5、1/10秒で撮影)した光体群。光体は,夜空を十数個のオレンジ色に輝やかせて編隊をなして通過していった。
ユナイテッド・プレス社によってアメリカ全国に流され有名になった。
空軍は「鳥の群れ」としてかたづけた。
(出典;『コズモ』(UFOと宇宙)1973年7,8月号(創刊号))
参考外部⇒ Wikipedia(Lubbock Lights)

参考外部⇒UFO事件簿(ラボック事件)

参考外部⇒リアルライブ(嘘か真か? V字で飛行する「編隊飛行UFO」は実在するのか?)

参考外部⇒徒然ブログ(ラボックライト)

参考外部⇒怖話(【1951年】ラボック事件)

参考外部=>NICAP(The Lubbock Lights, Unabridged)


【サイト検索キー: Lubbock Lights, 1951, ufo 】
参考外部=>YouTube (UFO Lubbock Lights August 30, 1951, Lubbock, Texas )

参考外部=>YouTube (Famous ufo pictures- the Lubbock lights)

参考外部=>openminds (1951 Lubbock lights UFOs in Texas (Video))

参考外部=>AlienUFOBlog (The Lubbock Lights: Birds, Planes, or Aliens?)

参考外部=>UFO Casebook(The Lubbock Lights,1951)

参考外部=>History (The Unsolved Mystery of the Lubbock Lights UFO Sightings)
●ウェッブ教授UFO目撃事件(アメリカ) 1951年8月3日,天文学講師のウォルター・ウェッブ教授が,シルバー・レイク湖岸でUFOを目撃した事件。

マサチューセッツ州ボストン(Boston)のチャールズ・ヘイドン・プラネタリウム(Charles Hayden Planetarium)主任天文学講師ウォルター・N・ウェッブ教授(Walter N.Webb)は,シルバー・レイク(Silver Lake−ミシガン州)湖岸にある青少年キャンプ場で,小型望遠鏡を使って,子供たちにさまざまな天体の観測をさせていた。
午後11時少し過ぎ,教授は湖の南端の丘陵地帯のうえを波形の軌道を描いて移動する,黄またはオレンジ色の明るい光に気がついた。
その物体は波形軌道の底部では木々の梢に隠れてしまうほどの超低空を飛行していた。飛行機や惑星なら木の高さ以下の低空で飛行するはずもなく,教授は何かひどく異常なものを目撃したことを知った。
それが地上の明かりの逆転現象である可能性は即座に除外された。なぜなら,その種の現象が起こる気象条件ではなかったからだ。
それは,本当に見たままのもの,つまりUFOであったというのが,観測事実にもとづく唯一の結論だった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Walter Webb's, 1951, Silver Lake, UFO 】
参考外部=>cohenufo(Astronomer Walter Webb's 1951 UFO Sighting)

参考外部=>rr0(Walter No. Webb)

参考外部=>NICAP(Astronomer Walter Webb's 1951 UFO Sighting)

参考外部=>EducatingHumanity(Astronomers who claimed to have seen UFOs)

参考外部=>UFODNA(3 Aug 1951- Silver Lake, Michigan, USA)
●ウンマトジェラ族UFO目撃事件(オーストラリア) 1951年9月,中央オーストラリアでアボリジニー(aborigines-原住民)のウンマトジェラ(Walmatjari) 族の一団が,着陸した2機のUFOを目撃した。

彼らは,低い丘の上から輝く丸い物体が着陸するのを目撃した。似たようなもう1機の物体はすでに地上に着陸していた。2機目の物体は,1機目から少し離れたところに降下した。
着陸している,その円盤状の物体は二つとも同じ大きさで,直径は25フィートから40フィート(約7.6m〜12m)で,高さは”人間一人分とその半分”であった。
アボリジニーたちは,その物体に近づくのが嫌で,岩だらけの丘の上に隠れたまま,この奇妙な光景を見守っていた。
数分後,非常に小さな人間に似た生き物(光る服を着て,丸い光る頭【ヘルメットか?】をしていた)が,2機目の物体の底面から出てくると,1機目の物体の底から中に入っていった。
しばらくすると,1機目の物体が,昆虫の群れのような唸りをあげて上昇をし始め,すぐに2機目の物体も続いて空に舞い上がり,二つとも見えなくなったという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>Wikipedia(アボリジニ)



参考外部=>JOSHUA PROJECT (Walmatjari in Australia)

参考外部=>PROJECT 1947 FORUM (AUSTRALIAN ABORIGINAL CULTURE
AND POSSIBLE UFO CONNECTIONS)
●ネバダ核実験(バスター・ジャングル作戦)UFO目撃事件(アメリカ) 1951年10月30日,ネバダ核実験場での爆発実験の最中,上空に3機編隊からなる多数の円盤が目撃された。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
近くにはインディアン・スプリングス空軍基地(Indian Springs Air Force Base)があり,諸任務に従事する軍民要員のための後方支援をしていた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

UFO研究家でもある,天文学者ウォルター・N・ウェッブ(Walter N.Webb)は,
1964年に"ミスターM"なる人物を紹介される。ミスターMは1951年当時,ナリス空軍基地の航空兵で,AECサイトの周辺警備歩哨兵としてネバダ核実験場勤務を命じられていた。
1951年のネバダ実験シリーズ最後の7連ショットは,10月と11月バスター・ジャングル(Buster-Jungle;原爆実験に付された作戦名)だった。それぞれ10月22日午前6時太平洋標準時,28日午前7時20分,そして30日午前7時の順序で行われた。
ミスターM(当時19歳)が,UFOを目撃したのは
10月30日で,彼の位置は太陽を背にして爆心地の東方,5〜6キロメートルの地点だった。彼が目の前の晴れた空をふと見ると,銀色をした3個の楕円状物体が,約600メートルの高度に静止しているのに気づいた。その時刻は,知らされている爆発実行タイム(10月30日の実験名はチャーリー(Charlie)で,起爆は午前7時だった)の15〜20分前の午前6時40分から45分だった。
目撃した3個の物体には,それぞれ平らな底部とドーム状の上部構造があった。他に特徴はなく,目撃者のミスターMに向かって,前面に1個,両翼後方に各1個ずつで,平面状の三角形を組んでいた。
物体を目撃したもう一人の警備兵が,指示を得るため警備隊軍曹のもとに赴いた。二人がミスターMのところに到着した時,他の円盤編隊が現われた。そして元いた3機に合流し,3機編隊が6個のグループに編成されるのを3人は目撃する。ミスターMは全部の18個を数えるまでの時間があったことを記憶している。
30秒から1分後に,UFOの全編隊は突如斜めに上昇し,数秒後に消え去った。


(★1951年10月30日のネバダ核実験上空のUFO編隊図【MUFON資料より】)
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年



このバスター・ジャングル(Buster-Jungle)において発生したフォールアウト(放射性降下物)に連動する火球UFOの飛行が目撃された。

実験名:「ドッグ(Dog)」。爆弾は21キロトン。起爆は,
1951年11月1日午前7時30分(太平洋標準時)。
放射性雲:アリゾナ州の中部および南西部,南部ニューメキシコへ移動。
11月2日にテキサス州中西部上空に広く長く伸びた放射性雲が認められた。
UFOの目撃:爆発の
約23時間後の11月2日の朝,テキサス州アビリーン(Abilene)東方上空でアメリカン航空DC-4旅客機の乗務員が,DC-4と同じサイズの物体が尾流を引いて飛行するのを目撃。物体は旅客機を追い抜きながら全方向に火の玉ボールを発射した。
11月2日午後9時5分,アリゾナ州で青い閃光が上空を横断した。キャピタルエアウェイ航空のHR・デハニー機長は「物体が横切る時,それが青緑色ボール状の真球体でキラキラ輝く赤色火状の尾流を残しているように見えた」と語った。

実験名:「イージー(Easy)」。爆弾は31キロトン。起爆は,
1951年11月5日午前8時30分(太平洋標準時)。
放射性雲:アリゾナ州南東部上空24,000フィートに滞留した放射性粒子物質は,ニューメキシコ州南部,テキサス州西部,そしてメキシコ北部へ移動した。
UFOの目撃
11月8日,アリゾナ,ニューメキシコ,テキサスの各州とメキシコの上空を火球が横切った。
11月9日午後10時47分,アイオワ州アイオワ市で大きな緑色の流星状物体が数人によって目撃された。火球はニューヨーク州ミドルタウン(Middletown)上空にも現われ,多数の市民が高空を横切る火の玉を目撃した。

実験名:「シュガー(Sugar)」。爆弾は1.2キロトン。起爆は,
1951年11月19日午前9時(太平洋標準時)。
UFOの目撃:シュガー爆発の
約35時間後の11月20日午後6時42分(山地標準時),カンザス州ダッジシティ(Dodge City),テキサス州ラボック(Lubbock)とビッグスプリングス(Big Spring)で,色鮮やか緑色の火球が目撃された。
また,カートランド空軍基地に着陸中の空軍パイロット2名とトランスワールド航空のパイロットが燃えているような物体を目撃している。

【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>Wikipedia(アメリカ原子力委員会)

参考外部=>Wikipedia(ネバダ核実験場)

参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Buster-Jangle)

参考外部=>En.Wikipedia(Creech Air Force Base)

参考外部=>UFODNA(30 Oct 1951-Yucca Flat,Nevada,USA)



【サイト検索キー: Operation Buster- Jangle, Nevada Test Site, 1951, ufo 】
参考外部=>Think AboutIt- REAL(1951: Squadron of Discs Fly over Atomic Test Site)

参考外部=>NICAP(Astronomer Walter Webb's 1951 UFO Sighting)

参考外部=>CSGLOBE (These Videos of Nuclear Weapon Tests Are Terrifying But Spectacular)

参考外部=>YouTube(Operation Buster- Jangle:Shot Baker)

参考外部=>YouTube(Operation Ranger, Operation Buster / Jangle- Nuclear Test Film (1951))

参考外部=>NICAP(1951 UFO Chronology)

参考外部=>Ufoinfo(On Thisi Day November 2)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1951)

参考外部=>UFODNA(2 Nov 1951- Abilene, Texas, USA)

参考外部=>UFODNA(2 Nov 1951- Arizona, USA)

参考外部=>UFODNA(9 Nov 1951- Middletown, New York, USA)

参考外部=>UFODNA(20 Nov 1951- Dodge City, Kansas, USA)

参考外部=>UFODNA(20 Nov 1951- Lubbock, Texas, USA)

参考外部=>UFODNA (20 Nov 1951- Big Spring, Texas, USA)
 
1952年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1952年UFO情報 参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS- 1952)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1952 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1952)

参考外部=>NICAP(The 1952 Sighting Wave)

参考外部=>intcat(INTCAT 1952)
●スピッツベルゲン島UFO墜落事件(ノルウェー) 1952年の初頭,ノルウェーのスピッツベルゲン島に墜落して破損した空飛ぶ円盤が発見されたことをノルウェー政府が発表した。

通信社の外電が,ノルウェー軍のパイロットがスピッツベルゲン(Spitsbergen)島に飛行機の残骸とおぼしきものがあると伝えた。
1952年のことである。
救助隊が現場へ飛び,ノルウェー政府は次のように発表したと伝えられる。
「発見されたのは航空機ではなく,一般に空飛ぶ円盤と呼ばれる物体で,ひどく破損していたが,それと識別できるほどの原形はとどめていた」
同国スポークスマンは,合衆国と英国の専門家に通知して調査への参加を要請したと語った。
しかし,その事件は外電ニュースから消えた。
1955年,ノルウェー政府のスポークスマンがその沈黙を破る。次の<シュトウットガルト・ターゲブラット(Stuttgart tagesblatt)>紙の記事はそれを報じた代表的なものである。

ノルウェー・オスロ発1955年9月4日 − ノルウェー参謀幕僚調査委員会は目下,1952年初めにスピッツベルゲン付近に墜落したと思われるUFOの遺物の調査報告を公表すべく準備を進めている。
委員長のゲルノート・ダルンビン(G・Dornbil)大佐は,空軍将校への訓令に当たって次のように述べた。「スピッツベルゲンの円盤墜落事件は極めて重要である。現在のわれわれの科学知識では,全ての謎を解明することはできないが,それだけにスピッツベルゲンの残存物は第一級の重要性を持つものである。以前には,この円盤がソビエト製のものではないかと発表されて,誤解を招いたこともあった。だが,円盤は地球上のいかなる国の手によって作られたものでもない − このことは大いに強調しておきたい。円盤の建造に使われた物質は,調査に参加した全ての専門家にとってまったく未知のものであった」
ダルンビル大佐によれば,調査委員会は「合衆国の専門家とある驚くべき事実について検討するまでは」,これ以上の報告を公表するつもりはない。「われわれは発見の内容を明らかにするべきだ。誤った秘密主義はパニックを引きおこす恐れがある」
アメリカその他からの情報とは対照的に,スピッツベルゲン事件以来,北極地帯の特別監視員に任ぜられていたプロプス(Brov)少尉とティレセン(Tullensen)少尉は,空飛ぶ円盤が極地方に数回着陸したことがあると報告した。
ティレセン少尉は語る。「北極は未知の者たちに一種の航空基地として使われていると思います。とくに自分たちなら基地へ引き返さざるえないような吹雪の時に。自分は別々の機会に三度ほど円盤が発着するのを見ました。その際,気づいたのは,着陸した後で円盤の周囲が高速で回転するということです。光がまぶしく輝くので,この光のカーテンの裏で円盤の上や内部で何が行われているのかを全く見ることができません。光の強さは離着陸の際の速度に応じて変わるのです」

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章/破片を集めろ!】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「UFO CASEBOOK」から
参考外部=>Wikipedia(スピッツベルゲン島)

参考外部⇒★阿修羅♪(スピッツベルゲン島)

参考外部⇒Kazumoto Iguchi's blog(北極海にあるエイリアン基地!?:だれか探検してみないか?)

参考外部⇒googleブックス(未確認飛行物体UFO大全)



【サイト検索キー: Spitsbergen, 1952, ufo 】
参考外部=>Earth Chronicles News(The UFO crash on Spitsbergen in 1952)

参考外部=>UFO CASEBOOK(The Legends of UFO Crashes at Spitzbergen, Norway, 1946 & 1952)

参考外部=>MysteriousUniverse(The Spitsbergen UFO: A “Plant”?)

参考外部=>reddit(1952 Spitsbergen UFO crash)

参考外部=>ATS(UFO crash on svalbard in 1952?)

参考外部=>naziufos(Legend of the Spitsbergen Saucer)
●ネバダ核実験(タンブラー・スナッパー作戦)UFO出現事件(アメリカ) 1952年4月2日,ネバダ核実験場での爆発実験(タンブラー・スナッパー)に関連してUFOが出現した。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

タンブラー・スナッパー作戦(Operation Tumbler-Snapper )の核爆発実験においても,発生したフォールアウト(放射性降下物)に関連してのUFOの出現が目撃された。

実験名:「エイブル(Able)」。爆弾は1キロトン。起爆は,
1952年4月1日午前9時(太平洋標準時)。
放射性雲:爆発による放射性粒子雲地図によれば,高度160,000フィートの主要な軌道は,
午後6時頃ネバダ州ミード湖(Lake Mead)の真北を通過して東へ向かった。さらに何らかの気象条件により雲の動きが遅くなり,東部ネバダ州を汚染させた。その地域にはミード湖,アリゾナ州北西部,ユタ州の大半が含まれる。
UFOの目撃
4月2日午前9時,セルドン・スミス空軍曹長とその妻,そして友人のレスター・ゴセット曹長は,ミード湖の上空に1個のUFOを観察した。それは銀色をした両翼のないB-36爆撃機大の円柱型で,1時間 にわたり湖面の上空に静止していた。
4月3日には,デイトンレコードクロニクル紙が,「流星か空飛ぶ円盤か? 燃えるような高速物体がテキサス上空で目撃」と報じた。

実験名:「ベイカー(Baker)」。爆弾は1キロトン。起爆は,
1952年4月15日午前9時30分
UFOの目撃
4月17日午後12時05分,ラスベガス近郊ネリス空軍基地(Nellis AFB)のオービル・ローソン軍曹(T/S Orville Lawson)と4名の軍属は,18個の円形物体が実験場の東寄りに近接して飛行するのを目撃した。

実験名:「ドッグ(Dog)」。爆弾は19キロトン。起爆は,1952年5月1日午前8時30分(太平洋夏時間)。
UFOの目撃爆発の
4時間後(5月1日昼間),アルバカーキ(Albuquerque)上空を10機あまりの核爆撃機B-29ないしはB-50(B-29の改造機)が編隊飛行をしていた。
アルバカーキジャーナル(Albuquerque Journal-ニューメキシコ州内で最大の新聞)の社員であるユージン・クラインは
午後1時45分,この編隊に接近する輝く4個の円筒状物体を目撃した。
物体は爆撃機の周囲で回転したり,上下運動をするなどジェット機の2倍ほどの速度で機動飛行を見せた。これらの物体の直径は爆撃機の翼のスパンの約3分の1に見え,爆撃機と同じ高度で飛行していた。
ほぼ同じ頃,同市南東にあるサンディア核兵器研究所(Sandia National Laboratories)において,バーゼス他3名によって爆撃機と鬼ごっこをする4機の円筒状UFOが目撃されている。

実験名:「イージー(Easy)」。爆弾は12キロトン。起爆は,1952年5月7日午前4時15分
放射性雲
5月7日から9日にかけて,広大な幅の放射性粒子降下物がアメリカ合衆国を東に横切った。5月9日には,北部ジョージア州の全土と,サウスカロライナ州の大半が多量の放射性降下物に見舞われた。

実験名:「フォックス(Fox)」。爆弾は11キロトン。起爆は,
1952年5月25日午前4時00分
放射性雲
5月26日と27日,放射性降下物は北部ニューメキシコ州,北部アリゾナ州,ユタ州,コロラド州の大半,そして遥か五大湖東方の諸地点を覆った。28日にはウィスコンシン全州が放射性降下物の影響を受けた。
UFOの目撃
5月28日午後1時45分から2時40分の間,アルバカーキの消防署員2名が,2個の円形の物体を目撃した。1個は輝く銀色,もう1個はオレンジまたは淡褐色で市の上空で急速な機動飛行を展開した。
午後8時40分頃には,ニューメキシコ州上空で,1個ないし2個の緑の火球が目撃された。月の半分のサイズに見えた火球は,8ヵ所の駅と5機の航空機からも目撃された。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>Wikipedia(アメリカ原子力委員会)

参考外部=>Wikipedia(ネバダ核実験場)

参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Tumbler- Snapper)

参考外部=>En.Wikipedia(Albuquerque Journal)

参考外部=>En.Wikipedia(Sandia National Laboratories)




【サイト検索キー: Operation Tumbler- Snapper, Nevada Test Site, 1952, ufo 】
参考外部=>YouTube(Operation Tumbler Snapper (1952))

参考外部=>YouTube(Technical Report: Tumbler- Snapper)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1952)

参考外部=>UFOdna(2 Apr 1952- Lake Mead, Nevada, USA)

参考外部=>NICAP(April 17, 1952; Nellis AFB, Nevada Large group of circular UFOs)

参考外部=>UFOdna(17 Apr 1952- Nellis AFB, Nevada, USA)

参考外部=>UFOdna(28 May 1952- Albuquerque, New Mexico, USA)

参考外部=>UFOdna(28 May 1952- Albuquerque, New Mexico, USA)

参考外部=>Naval History and Heritage Command(Atmospheric Nuclear Testing and the U.S. Navy; A Select Bibliography)

参考外部=>Doug's Darkworld(Operation Tumbler- Snapper)
●サバンナ川核施設UFO出現事件(アメリカ) 1952年5月10日,サバンナ川核施設で,複数のミニチュア空飛ぶ円盤が目撃された。

サバンナ川核施設(SRS-Savannah River Site)は,サウスカロライナ州の核分裂物質施設で,ジョージア州との州境を流れるサバンナ川沿岸に位置している。
1952年に始動し,アメリカの核兵器に使われるプルトニウムおよびトリチウムの多くを生産しているものと思われる。

1952年5月10日に,この核施設で複数のミニチュア"空飛ぶ円盤"が目撃されたという。これは,J・エドガー・フーバー(John Edgar Hoover)FBI長官から空軍特別調査本部長および空軍監察官宛てに送られた書簡の中に述べられている。
それによると,同施設で働くデュポン(Du Pont)社員4人が,南方から現れて上流階級地区と呼ばれる地域の方向に飛行した後,北方に去った4機の小型円盤を目撃したというものである。
円盤は直径約15インチ(38cm)で金色に近い黄色で,高速で無音だったという。物体は左右に曲がりくねりながら飛ぶが,全体はコースをきちんと保持しているように見えたと記している。
1機の円盤は,上流階級地区にあるいくつかの高いタンクを乗り越えねばならないほどの低空を飛んでいた。この上流階級地区には数多くの大型タンクがあり,その中にはプルトニウム加工処理関連の廃液が貯蔵されている。円盤のサイズは,このタンクのそばを低空飛行したことで,大きさが推定された。このミニチュアUFOは,おそらくリモートコントロールされたものであろう。

1952年7月19日午前10時ごろ,この施設に技術者として勤務していたジョン・A・アンダーソンは,100名ほどの技師,科学者,技術者と共に,デュポン(Du Pont)社創立150周年記念祭を祝う寸劇を見物していた。
その時,トレーラーの上で演じられている寸劇に熱中しきれない数人が,頭上のくっきりした空中に浮かぶ物体を発見した。やがて大勢の眼は地上の寸劇を離れて空中の物体に集中した。
物体は緑色に発光し,光のため形ははっきり識別できなかったが,角ばったサイズは満月の直径の5分の1よりは小さく見えた。高度はとても高く感じられたが,それは発生する音がまったく聞こえなかったせいかもしれない。
突然,物体は高速で前後に
2分間ほど動き続けた。それは並外れた起動性能を見せ,鋭角ターンし方向転換を繰り返した。物体は驚異的な速度で地平の彼方に消えて行った。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第1章/初期の核施設UFO事例】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>En.Wikipedia(Savannah River Site)

参考外部=>Wikipedia(サバンナ・リバー・サイト)


【サイト検索キー: Savannah River , 1952, ufo 】
参考外部=>NCP Paper(NCP-11: Do Nuclear Facilities Attract UFOs?)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1952)

参考外部=>UFO dna(10 May 1952- Savannah River Aec, Ellenton, South Carolina, USA)

参考外部=>UFO dna(19 Jul 1952- Savanna River, South Carolina, USA)

参考外部=>NICAP(Objects Sighted Near Vital Installation May 10, 1952 New Ellenton, South Carolina)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1952: May UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFO CASEBOOK(South Carolina Area Has History of Strange Sightings)
●オスカー・リンケUFO遭遇事件(ドイツ)


サイト:「NOUFORS」から
1952年7月9日,元市長であるオスカー・リンケと娘のガブリエルが,ハッセルバッハ町付近でUFOと異星人らしき二人の人間に遭遇した。

妻と6人の子供と共に東ドイツから脱出したグライマーショウゼン(Gleimershausen)市の元市長であったオスカー・リンケ(Oscar Linke) は,次のような体験をした。
ある日(1952年7月9日)の午後,娘のガブリエル(Gabrielle-11歳)をオートバイの後ろにのせ,ベルリンの近くの小さな町ハッセルバッハ(Hasselbach)郊外を走っていると,タイヤがパンクしてしまった。 二人でオートバイを押していると,ガブリエルが150ヤード(約140m)先に何かを見つけた。
それは,
夕暮れの中で小鹿に見えたが,オートバイを置いて50ヤード(約50m)まで近づくと,それは小鹿ではなく二人の人間らしい姿だった。
彼らは金属質のものを着て,かがみこんで地面の何かを調べていた。
30フィート(約9m)近くまで這って行き,小山の上からのぞいて見ると,大きな物体があった。 直径が40〜50フィート(約13m)あり,大きなフライパンのような形をしていた。側面には2列の直径1フィート(0.3m)くらいの穴が並んでいた。 その円形の物体の中央からは,10フィート(3m)くらいの円筒形の司令塔のようなものが突き出ていた。
後方に残っていたガブリエルの呼び声が聞こえた。 その声は彼らにも聞こえたらしく,彼らは急いでその物体の方へ走ってもどり,司令塔のようなものの側面を昇り,中に消えた。もどる途中で,一人の胸にランプをぶらさげているのが見えた。そのランプは一定の間隔で点滅していた。
すると,物体の側面部が輝き始めた。最初は緑色で,次に赤色に変わった。ブーンという音が聞こえ,輝きが強くなった。
同時に中心部の突き出ていた司令塔のようなものが,物体の中に入り込み,司令塔のようなものを軸にして,本体はゆっくり上昇していった。
司令塔の下部は地面に着いていたが,本体が地上から上昇するにつれ,司令塔は,また本体の中心部に入って消え,上方部に再び現れた。
物体の上昇速度は大きくなった。 そのとき,口笛のような音が聞こえた。物体は近くの村の方にカーブし,丘や森を越える高さを保ちながらシュトックハイム(Stockheim)の方へ消えていった。

(リンケ氏が見た円盤の離陸時の再現図)

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.19),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道




サイト:「MisteroUFO」から
参考外部⇒ GA Site(宇宙・引力・空飛ぶ円盤 by レナード・クランプ)


【サイト検索キー:Oscar Linke UFO 】
参考外部=>UFO INSIGHT(The Case Of Oscar Linke And Flying Saucers Over Cold War Berlin)

参考外部=>NOUFORS(UFO with occupants encountered by former mayor in Hasselbach, Germany)

参考外部=>TopSecretWriters(The Surreal UFO Story of Oscar Linke in 1952)

参考外部=>MisteroUFO(1952; Gli strani umanoidi di Gleimershausen, Germania)
●パンアメリカン航空機UFO目撃事件(アメリカ)
【ナッシュ−フォーテンベリーUFO目撃事件】
1952年7月14日,パンアメリカン航空の大型旅客機DC-4が,バージニア州上空近くを飛行中に,6つの円盤型UFOを目撃した事件。

パンアメリカン航空(The Pan American airliner)パイロットのウィリアム・B・ナッシュ(William B. Nash)と副操縦士のウィリアム・フォーテンベリー(William H. Fortenberry)がヴァージニア州ノーフォーク(Norfolk)上空にさしかかったとき,600メートル下をそれぞれ直径30メートル以上もある半ダース(6個)の未確認飛行物体が並んで飛行しているのを目撃した。
その物体群はアクロバット飛行を見せ,90度の直角ターン,急停止などをやってのけた。乗っているのが人間だったら圧死してしまうような芸当である。
物体群は,「ピストルの弾丸が石の壁に当たって跳ね返ったよう」に急激に方向転換し,編隊を組んだまま西へ遠ざかっていった。その直後に,さらに2つの発光体が出現し編隊に加わったという。
乗務員たちの証言によると,円盤の光は動力源と何か関係があるようで,減速すると光が暗くなり,加速すると輝きが増したという。
円盤の速度は,時速19,200キロメートル,音速の16倍であると推定された。
【参考文献】
『MJ-12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年
『未公開UFOファイル2018』,2018年



サイト:「Project1947」から
参考外部⇒カラパイア(3. ナッシュ・フォーテンベリー事件、パンアメリカン航空)

参考外部⇒excite.ニュース(民間航空会社のパイロットが確かに見たと証言した5つのUFO目撃情報)

参考外部⇒GIBEON(パンアメリカン航空目撃事件)

参考外部⇒Men's Modern(ナッシュフォーテンベリーUFO事件)



【サイト検索キー: Pan Am Flight, 1952, ufo 】
参考外部=>En.Wikipedia(Nash- Fortenberry UFO sighting)

参考外部=>Project1947(TRUE   Magazine October 1952)

参考外部=>YouTube(Nash- Fortenberry Sighting)
●ワシントン上空のUFO乱舞事件(アメリカ)
1952年7月19日,アメリカの首都ワシントン上空をUFO編隊が乱舞した事件。

この日の23時40分ごろ,アメリカの首都ワシントン(Washington, DC)上空に出現した多数の未確認飛行物体を,ワシントン・ナショナル空港(Washington National Airport)の航空路管制部(Air Route Traffic Control section)に所属するARTS(Automated Radar Terminal System)がとらえた。

*ARTS;100マイル(約160km)の探索距離を有し,ワシントンに近づくすべての航空路の管制に使用される長距離レーダーシステムのこと。

レーダー・スコープ上の物体は信じられないような動きを示した。 ナショナル空港にもう一つある管制塔の短距離レーダー(空港近傍の航空機の管制に使用)と近くのアンドリューズ空軍基地(Andrews Air Force Base)管制塔の短距離レーダーもこれをとらえていた。
レーダーで確認された飛行物体群は肉眼でも確認され,管制官,基地の要員,付近を航行していた旅客機の乗務員や乗客が明るい飛行物体として目撃している。
物体群は飛行禁止空域であるホワイトハウス(White House)や国会議事堂上空をも侵犯を繰り返した。
ARTSの標的群がレーダーのハード故障に起因するものでないことが判明した直後,空軍に迎撃機を発進させて探索するよう電話をしていたが, 1機のF-94戦闘機が姿を現したのは明るくなる頃であった。その頃には標的群はいなくなっていた。


1952年7月26日21時30分 ごろ,ARTSのレーダー・スコープ上に,1週間前にUFO像を見た同じレーダー操作員が,再び同じような標的群を捕捉した。 ナショナル空港管制塔とアンドリューズ空軍基地の2か所のレーダーもこれらを捕捉した。ニューカースル空軍基地(New Castle Air Force Base)から2機のF-94戦闘機が迎撃に向かった。 ところが,2機のF-94が問題の空域に達するやいなや,標的群はレーダー・スコープ上から姿を消したのである。
F-94からの視界はきわめて良好であったが,何も視認できず,機上レーダーでも確認できなかった。 しばらく,問題の空域を飛び回り組織的な捜索を実施したが何も発見できなかったため,基地に向かって帰投し始めた。
すると,F-94がワシントン空域を去って数分後,この機会を待っていたかのように先ほどの標的群がレーダー・スコープ上のもとの位置にもどってきた。 再度,2機のF-94が戻ってきたが,今度は標的群はレーダー・スコープ上に踏みとどまった。だが,誘導されたF-94が標的に近づこうとすると,それらは増速して逃げてしまうのだった。 この追跡中,F-94機上のレーダーで捕捉しようとしたがまったくできなかったという。 ワシントン上空を
約20分 飛びまわった結果,燃料が減り,やむなく帰投した。
数分後に,標的群はスコープ上にまた輝きだした。標的群が,すべて飛び去ったのは,太陽が昇りはじめた頃であった。
この一帯にいた数千の人々が,飛行物体の群れを目撃していた。 写真にも収められ,世界中に報道された。一般市民はもちろん,政治家も真相を知りたがり,空軍に強く圧力をかけた。


7月29日
,空軍のジョン・サンフォード将軍とロジャー・レイミー将軍が記者会見を開き,人々の不安を和らげようとした。 この会見は,第1次世界大戦以来最も大がかりな記者会見となったが,サンフォード将軍の説明は,問題の光は星の見間違えたものであり, レーダー反射波は大気温の逆転が原因というものであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.27),【ワシントンのUFOパニック】,1977年
『UFOと宇宙』(No.67・No.68),【ワシントンUFO騒動の真相(上・下)】,1981年
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,【ワシントン上空の編隊UFO乱舞事件,文:黒田佑太】,1985年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』 ,2015年



(★7月19日深夜のレーダー上でのUFOの動き)
『UFOと宇宙(No.67)』,【ワシントンUFO騒動の真相(上),文:エドワード・J・ルッペルト】から
参考外部⇒ Wikipedia(ワシントンUFO乱舞事件)

参考外部⇒UFO事件簿(ワシントンD.C.事件)

参考外部⇒ザ・オカルトサイト (大量のUFOが襲来?「ワシントンD.C. UFO乱舞事件」)

参考外部サイト⇒怖話(【1952年】ワシントンUFO乱舞事件)


【サイト検索キー: Washington, D.C. , 1952, ufo 】
参考外部=>YouTube(Breakdown- 1952 UFOs Over Washington DC Video)

参考外部=>YouTube(Washington D.C. UFO Sightings, 1952)

参考外部=>YouTube(UFO- Washington D.C., USA, July 12, 1952)

参考外部=>YouTube(The Washington DC UFO Sightings)

参考外部=>en.Wikipedia(1952 Washington, D.C. UFO incident)

参考外部=>Gaia(The 1952 Washington, D.C., UFO Incident, Explained)

参考外部=>History(When UFOs Buzzed the White House and the Air Force Blamed the Weather)

参考外部=>History(In 1952, 'Flying Saucers' Over Washington Sent the Press Into a Frenzy)

参考外部=>bswett(The UFO Sightings Over Washington, DC, 1952)

参考外部=>The Washington Post(The month that E.T. came to D.C.)

参考外部=>crystalinks(1952 Washington D.C. UFO Incident)
●クラリオン星人コンタクト事件(アメリカ)
【トゥルーマン・ベサラムの宇宙人コンタクト事件】




(円盤の平面・断面図)
いずれも「空飛ぶ円盤の秘密」から
1952年7月28日の午前3時ごろ,ネバダ州グレンデール付近のネバダ砂漠の第91ハイウェイの補修作業の夜間修理工として働いていたトゥルーマン・ベサラム(Truman Bethurum)が,モルモン台地に着陸したクラリオン星からきた空飛ぶ円盤に遭遇した。

着陸した円盤は直径が300フィート(約90メートル),厚さが中心で約6ヤード(約5.5メートル),外端には1フィート(30センチメートル) ぐらいの傾斜面をもつ幅約3フィート(約1メートル)の縁が,船体の周囲をとりまいていた。
そして,降りてきた10人ぐらいの帽子をかぶり制服を着た小人(男の成人であるが身長が5フィート(150センチ)ぐらい)に円盤内に案内され, 女性機長アウラ・レインズとコンタクトした。機長のアウラは,ほかの男たちよりも少し背が低く,皮膚はバラ色をおびたオリーブ色をし,髪は短く端が上向きにカールされていた。 黒と赤の混ざったベレー帽をちょっと傾けてかぶり,黒いビロードのような上衣と赤い布地のスカートをつけていた。
彼らはトゥルーマンに対しては英語で話しかけたが,彼らどうしでは,トゥルーマンには理解できない言葉で話していたという。
トゥルーマンとアウラのコンタクトは,その後10回以上におよんだ。体験記を,
1954年 に『Aboard A Flying Saucer』(邦題:「空飛ぶ円盤の秘密」 1974年 刊)という本に著した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の秘密』,1974年
『UFOと宇宙』(No.24),1977年,(クラリオンの円盤と小人宇宙人)
『世界の超人・怪人・奇人』,2015年
参考外部⇒ GAsite(第5章 最初のコンタクト 第3話  宇宙よりの来訪者より )

参考外部⇒ 地震予知 UFO 宇宙人情報 音楽 etc(コンタクティたちの悲劇)

参考外部⇒ UFOの科学的研究―学術研究出版センター(全米UFO論争史 >第5章 コンタクティとUFOマニア)

参考外部⇒ 超魔界帝国の逆襲(クラリオン星人現る)


【サイト検索キー: Truman Bethurum, 1952, UFO 】
参考外部=>YouTube(The Incredible Close Encounters of Truman Bethurum)

参考外部=>En.Wikipedia(Truman Bethurum)

参考外部=>the-wanderling(TRUMAN BETHURUM)
●モングッチ事件(イタリア)
1952年7月31日,アルプスのベルニナ山中で,ジャンピエトロ・モングッチ氏が着陸した円盤と降りてきた乗員を目撃撮影した事件。

この日の朝9時ごろのこと,イタリアのミラノにあるモンザ鉄工所の技師,ジャンピエロ・モングッチ(Giampero Monguzzi-当時30歳)は, 夫人とともに,アルプスで夏スキーを楽しもうと,ベルニナ山(Bernina Mountains-ヨーロッパ・アルプスの南東部にある標高4042mの山で,スイスとイタリアとの国境近くに位置している)に登っていた。
突然,音がまったくしなくなった。自分の足音さえ聞こえなくなったという。そのとき,山頂近くの氷河稜線の向こうから円盤形の物体がせり上がってきて,斜面上部に停止した。
目撃したモングッチは無気味さを感じ岩陰に隠れたが,物体は氷河の斜面に静止したままだったので,勇気をだし50mほど登り,物体に近づき腹ばいになって, 持っていた望遠レンズ付きのカメラでそれを撮影した。
円盤形の物体の上部は丸いドームになっており,てっぺんに長いアンテナが立っていた。
すると,物体の左側から潜水服のような重装備をして,右手に懐中電灯のようなものを持ってヘルメットをかぶった一人の宇宙人らしき人物が現われ, 円盤の周囲を何か作業をするようにゆっくり歩き始めたが,そのうち円盤の裏側に姿を消した。
しばらくすると,円盤は上昇をはじめ,10mほど上昇したところで
数秒くらい静止し,そして時速200〜300kmで北東の方角へと飛び去っていった。 時刻は,午前9時27分だった。
モングッチは,円盤が着陸してから飛び去るまでを7枚の連続写真におさめている。
彼の目撃談は,その後,『エポカ』というイタリアの雑誌の
1952年11月号に掲載されたが,次の号で,円盤は模型で宇宙人は人形であり,写真はインチキだという暴露記事が載った。
この記事のため,モングッチの写真はトリックだという説が広く知れわたるようになる。 モングッチは,この写真を撮影したせいで信用を落とし,職を失った。
しかし,事件から
24年たってから再調査に乗り出したICUFON(国際UFO星間宇宙船調査分析ネットワーク;ニューヨークに本部がある民間UFO研究団体。 代表者はコールマン・ヴォン・ケビュツキー氏)は,その分析結果を次のように発表した。
●着陸した円盤の撮影距離:60m
●離陸する円盤の撮影距離:200m
●円盤の直径:12m
●円盤の高さ:3.5m
●宇宙人の身長(スーツなしで):1.75m
そして,ICUFONによると写真は本物で,事件をうやむやにしたのはCIA(米中央情報局)の陰謀だという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』1989年,著者:中村省三
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』2015年,著者:韮澤潤一郎
参考外部⇒GAsite(ボリビアの凶暴な怪人 )

参考外部⇒ UFO事件簿(1952年7月31日/アルプスのベルニナ山峰のモングッチ写真 )



【サイト検索キー: Giampiero Monguzzi, July 1952, UFO 】

参考外部=>YouTube(Remarkable UFO Stories (part 2) - Giampero Monguzzi, Milan July 31, 1952)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1952: Bernina Mountains, Italy)

参考外部=>UFO INSIGHT(The 1950s Italian UFO Explosion)

参考外部=>UFODNA(31 Jul 1952- Bernina Alps, Italy)
●ロニー・デスバーガーズUFO目撃事件(アメリカ) 1952年8月19日, フロリダ(Florida)のボーイスカウト隊長であるロニー・デスバーガーズが, ウェスト・パームビーチ付近でUFOを目撃した。

ボーイスカウト隊長であるロニー・デスバーガーズ(Ronny Desvergers)は, 3人のボースカウト仲間と,
この日の夜9時ごろ, フロリダ州ウェスト・パームビーチ(West Palm Beach)付近のハイウェーわきにある雑木林でUFOを目撃した。
彼らが近づくと, 何か火のようなものがUFOから発射された。それは, ロニーの帽子に焦げ穴を作って, 彼を地面にたたきつけた。
ひどく驚かされたものの怪我はなかったという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】, 著者:フランク・エドワーズ, 訳者:安龍次郎, 1988年



サイト:「palmbeachpost. com」から
【サイト検索キー: West Palm Beach, Florida 1952, ufo 】

参考外部=>UFO DNA(19 Aug 1952- West Palm Beach, Florida, USA)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1952: West Palm Beach, Florida Sighting )

参考外部=>NICAP(THE BEST HOAX IN UFO HISTORY?)

参考外部=>palmbeachpost. com(POST TIME: Happy Halloween! UFOs over Lantana?)

参考外部=>HISTORY(This Scoutmaster Had a Run- in with a UFO. The Kids Saw it Too.)
●フラッドウッズモンスター事件(アメリカ)

『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から




★目撃者となった少年たち
『宇宙人の死体写真集』から
1952年9月12日, アメリカ・ウェストバージニア州のフラッドウッズ(Flatwoods)に怪物のような宇宙人が現れ, この怪物は, 後にフラッドウッズモンスター(The Flatwoods Monster)と呼ばれる。

この日の
午後7時15分ごろ, フットボール場で遊んでいた少年たちは, 真っ赤に輝く丸い物体が, 上空を横切って近くの丘へと降下していくのを目撃した。彼らは, キャスリン・メイ(Kathleen May)夫人の家に向かい, 彼女を説得して一緒に, 物体が降下した丘へと探索に出かけていった。
木立のあいだから, 赤く脈動する光が見えた。メイ夫人, 息子のエディ( Edward)とフレッド(Fred), 他の少年少女たちは, その光る物体から20メートルまで近づいた。
その物体は, 直径5メートル, 高さ1.8メートルほどの大きさで, 火のついた石炭の塊のようにかすかな輝きを放っていた。あたりには濃い霧がたちこめている。そして, なんとも形容できない異臭のせいで, 目がうるみ, 鼻がひりひりした。
そのとき, ユージン・レモン(Eugene Lemon- 17歳)が手にしていた懐中電灯に何かが浮かびあがった。ついてきていたレモンの飼い犬がけたたましく吠えはじめた。
彼らの前に出現したのは, オレンジ色の目をもつ巨大な怪物だった。怪物は3メートル以上もあり, 顔のところに大きな丸い窓のようなものがあり, そこから青みがかった二本の光線を発していたという。そして怪物は地面の上に浮かんで移動しているように見えた。その際に, シューッという音をたてるのが聞こえた。あたりにたちこめているガスで, みんな吐き気をもよおした。
怪物が接近してきたので, 全員は恐ろしくなって, 一目散に丘を駆けくだった。
メイ夫人はヒステリー状態に, 何人かの少年はショックでおびえ,
何時間も吐きつづける者もあった。
1時間後, 保安官らがショットガンを携えて, 現場にいったときには怪物も火の玉もなかったという。ただ, 不快な臭いがかすかに残っていた。地面には, 草が円形におしつぶされた痕跡と, 二本の平行な溝とが見つかった。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』著者:中村省三, 1989年(宇宙モンスターがウェストバージニアに出現)
『【完全版】世界のUFO現象FILE』著者:並木伸一郎, 2011年



サイト:「abovetopsecret.com」から
参考外部⇒ Wikipedia(フラットウッズ・モンスター)

参考外部⇒ togetter(UFO学23ツイート)

参考外部⇒ UFO事件簿(フラットウッズ事件)

参考外部⇒ 怪奇動画ファイル(フラットウッズモンスターの正体と事件の真相!)

参考外部⇒ オカルト評論家山口敏太郎のUMA図鑑(昭和のとらうま「フラットウッズ・モンスター」)

参考外部⇒ リアルライブ(日本でも目撃例が存在!? 巨大宇宙人『フラットウッズ・モンスター』の正体とは!?)



【関連サイト検索キー: The Flatwoods Monster, 1952, incidnt 】

参考外部=>abovetopsecret. com(The Flatwoods Monster, OBOLs, and The Long Strange Trip)

参考外部=>history.com(In 1952, the Flatwoods Monster Terrified 6 Kids, a Mom, a Dog- and the Nation)

参考外部=>FANDOM(Flatwoods Monster)

参考外部=>herald- dispatch. com(Episode of History show to feature the Flatwoods Monster)

参考外部=>FANDOM(The Flatwoods Monster)
●オロローンUFOエンゼル・ヘアー放出事件(フランス) 1952年10月17日,オロローン市の上空に出現した円筒形のUFOが,クモの糸のような不思議な物質(エンゼル・ヘアー)を放出した。

この日の午後12時50分のことである。オロローン(Oloron)市に住むプリジャン(Prigent)一家が昼食につこうとしていた時,息子のジャン(Jean)が窓の外を見ていると,北の空に不思議な物体を目撃し家族を呼んだ。
北方の空には綿のような雲が流れていた。その雲の上に45度に傾いた一本の細長い円筒が,ゆっくりと南西の方角にまっすぐ移動していた。高度は6,000〜11,000フィート(1.8〜3.3km)と推定された。
物体は光を放っていないが白色で,りんかくのはっきりしたものであった。上端から羽毛状の白い煙をだしていた。
よく見ると,物体前方の近くに,およそ30個の別の物体が同じ軌道で動いており,それらをオペラグラスでよく見ると,45度に傾いた黄色のリングでとりまかれ,中央部が赤色の球体であることが分かった。そして,これらの「円盤」は2機づつ1組になって急速で短いジグザグ運動を繰り返した。ところが,2機の「円盤」がたがいにパッと離れたかと思うと一条の白色の筋が両機の間に生じた。
これらの不思議な物質は,全ての円盤から放出され,ゆるやかに地上に落下した。その物質は地上のあちこちに散乱して,
数時間,樹木や電線,屋根の上などにひっかかっていた。
この物質を手にとってみると,羊毛やナイロンそっくりだったが,手でさわってみると,ゼラチン状態になり,だんだんと消散してしまう。このため,化学分析をすることができなかった。
この日の不思議な現象は,オロローン市だけでなく,となりのジェロンス市からも目撃された。
また,この事件の起きた
10日後の10月27日にも,同じフランスのガイヤック(Gaillac)のタルン上空で,同様の謎の現象が発生した。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる;「空飛ぶ円盤は実在する(エメ・ミシェル著)」から】,編:平野威馬雄,1960年



(★Gildas Bourdais提供)
サイト:「THEOZFILES」から


サイト:「ufocasebook.com」から
【サイト検索キー: Angel Hair UFOs in Oloron, France 】

参考外部=>En.Wikipedia(Angel hair (folklore))

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1952)

参考外部=>UFO DNA(17 Oct 1952- Oloron, France)

参考外部=>science.howstuffworks.com(Angel Hair UFOs in Oloron, France)

参考外部=>ufocasebook.com(1952- UFOs Drop Angel Hair- Oloron, France)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1952: UFOs Drop Angel Hair- Oloron, France)

参考外部=>THEOZFILES(UFOs and "angel hair" - in search of evidence)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day; October 17)
●ガブリール・ガシナールUFO目撃事件(フランス)
【マリニャン空港事件】
1952年10月27日,フランスのマルセイユ近郊のマリニャン空港(Marignane Airport)で,税関吏のガブリール・ガシナールが,滑走路に着陸したUFOを目撃した。

時刻は午前2時30分のことである。輝く物体が2棟の暗い格納庫の間から滑るように飛んでくるのを税関吏のガブリール・ガシナール(Gabriel Gachignard)が目撃した。
物体は,ガシナールが立っている場所から,およそ100ヤード(約91m)離れた滑走路の上に降下した。物体は,両端が先細りで,長さは約15フィート(約4.6m),中心部の厚さは約3フィート(約0.9m),柔らかい黄色に光輝く小さな正方形の窓が6個ついていたという。
ガシナールは,物体をもっとよく見ようとして足早に近づいていくと,50ヤード(約45m)ぐらい手前で,物体は突然,火花の雨を降らせながらふらふらと空中へ上昇し,空港の端にある柵をかすめるぐらいの低高度で飛び去った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「KANYE TO THE」から
【サイト検索キー: Marignane Airport, Gachignard Gabriel, 1952, ufo 】
参考外部=>UFO DNA(27 Oct 1952- Marignane Airport, France)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1952: October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>BUFO Paranormal and UFO Radio(UFOs in 1952)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day)

参考外部=>BarbaraDelong(1952)

参考外部=>KANYE TO THE(Creepy / Paranormal Thread)
●アダムスキー事件(アメリカ)
 
『UFOと宇宙船』(文藝春秋デラックス)から


同行者のアリス・ウェルズが双眼鏡で見たものを後にスケッチしたもの。
『UFOと宇宙』(NO.23)から
1952年11月20日,ジョージ・アダムスキーが米カルフォルニア州モハビ砂漠で,円盤から降りてきた金星人と会見した事件。

この日の午前11時ごろ,予感を感じていたアダムスキーは,UFO観測仲間6人(アリス・ウィルズ,ルーシー・マクギニス,アル・ベリーズ夫妻,ジョージ・ウィリアムスン夫妻)と2台の車でアリゾナ州のデザート・センター近くのパーカー街道脇の砂漠地帯にいた。
風が強く寒い日であった。7人は近くの岩の上で食事をし,これからの観測コースなどについて話し合っていたとき,山の向こうの飛行基地から双発の飛行機が頭上を飛んでいった。
やがて,その飛行機が小さくなったころ,飛行機の現れた山すそから葉巻状の銀色をした飛行船が音もなく上昇し,こちらに向かってきて空中に滞空した。
街道脇のこの地点では彼らは着陸しないと直感したアダムスキーは,車をだした。同乗したのは,ルーシーとアル2人で,ハンドルはルーシーがにぎった。残りの4人には,この場所で観測するため残ってもらった。
アダムスキーは,道路を半マイル(約800m)ほど走り,右に曲がり少し走ったところで車からおり,持ってきた望遠鏡を設置した。残りの4人がいる場所とは半マイル(約800m)から1マイル(約1.6km)離れていた。
飛行船は頭上に滞空していた。アルとルーシーには4人のいるところに戻るよう指示し,アダムスキーは1人この場所に残った。すると上空の飛行船は機首を転じ,山頂を越え消えていった。 それと前後して十数台の空軍の飛行機が轟音をたて,その飛行船を追跡していった。
それでもその地点に残り観測機器を設置していたアダムスキーは,
5分ほど後 に,空中に閃光を発見した。 小さい飛行体が二つの峰の間に現われ,半マイル(約800m)ほど離れた山腹のくぼみに近づいてきて,一定の高度を保ちながら滞空していた。
最初の写真を撮った直後,その円盤は閃光を放ち消えてしまった。
直後 ,2,3機の飛行機が轟音を轟かせ頭上に飛来したが,2,3度旋回し飛び去っていった。
数分後
にアダムスキーは4分の1マイル(約400m)ほど離れた谷間の入り口に1人の男を突然発見する。 男はスキーズボンのような服をはいており,髪を長くしていた。
近づいていったアダムスキーは,その男から握手を求められ,応じようとして手を差しのべたが,相手は手を握る代わりに掌をわずかに触れさせた。
身長は5フィート6インチ(約160cm)ぐらい,体重は135ポンド(約60kg)ぐらい,年齢は27,8歳に見えた。腰のあたりには8インチ(約20cm)幅ぐらいの金褐色のベルトがしめられていた。
アダムスキーは身振り手振りと英語で会話をしたという。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』1972年
『UFOと宇宙(NO.24)』1977年,(戦後UFO30年史;ジョージ・アダムスキーの体験)
『メビウス』(No.2)1983年,(「金星から来た男」/文:韮澤潤一郎
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』2013年
参考外部⇒UFO事件簿(ジョージ・アダムスキー )

参考外部⇒GAsite(金星人イエスの実像と出現の意義 )

参考外部⇒ 月刊「ムー」公式サイト(アダムスキーの金星交遊録/超常UFO宇宙人事件)

参考外部⇒世界の不思議(UFO>アダムスキー型UFOが発見されるまで!宇宙人と友達に?)

参考外部⇒ Cosmic Consciousness(アダムスキーのUFO体験と波乱の生涯)


(コンタクト発生前のアリス・ウェルズ(左)とアダムスキー(右))


(残された金星人の足跡)


(足跡を石こうにとる一行)
『UFOと宇宙』(NO.11)【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】から
●アダムスキーUFO撮影事件(アメリカ)

『コズモ(UFOと宇宙』NO.9から
1952年12月13日,午前9時10分,パロマー・ガーデンズに飛来した円盤をアダムスキー が,6インチ反射望遠鏡にカメラを取りつけ撮影した事件。

この日の朝,ジェット機が数台爆音を轟かせて家の上空を過ぎたので何か起こったのかと思いアダムスキーは家の外に飛び出した。
空の向こうに閃光が輝いて消え去るのが見えた。
9時ごろ,また空中に閃光が現われたので,望遠鏡を向けた。
ジェット機の姿はなかった。望遠鏡を一生懸命操作していると,朝の太陽の光線を受けて真珠色に輝いた円盤が,こちらに向かって飛んでくるのが見えた。
だが,円盤はアダムスキーから2000〜3000フィート(600〜900m)離れた谷間の上空3000〜5000フィート(900〜1500m)のところで停止し滞空し始めた。
アダムスキーが4枚目を撮影しようとしたとき,動き始めた。アダムスキーは,カメラを望遠鏡の接眼レンズに取付け,目測で円盤の大きさを測定してメモにつけた。
円盤は幅が35〜36フィート(約11m),高さが15〜20フィート(約5m)あることに気づいた。
やがて,その円盤はアダムスキーから100フィート(30m)ぐらいに接近してきた。
その時,機体の一部に丸い窓が開き,そこから腕が差しだされて,その手から小さな物が投下された。 円盤がアダムスキーの頭上を過ぎるとき,その手は軽く2,3度振られたように見えた。
円盤は,進路を東にとって北側の山のふもとをかすめるように飛びながら峡谷を渡って飛んでいった。 峡谷を過ぎるまで
数秒 しかかからなかったが,その後もずっと地上すれすれに飛行し続けていったが,やがて急に高度を上げて,朝の青空に消えてしまった。
円盤が落とした小さな物は,
11月20日のコンタクト時にアダムスキーが宇宙人に手渡したフィルムであった。
この投下されたフィルムは数日間家に保存しておいたが,後に現像してみると,何か分からぬ奇妙な記号的文章が写っていた。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤実見記』(1972年),文:ジョージ・アダムスキー,訳:高橋豊
『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』(2013年),文;益子祐司
  
1953年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1953年UFO情報 参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS- 1953)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1953 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1953)

参考外部=>NICAP(The 1953 UFO Chronology)


参考外部=>intcat(INTCAT 1953)
●コンウェイUFO射撃事件(アメリカ) 1953年1月29日,サウスカロライナ州コンウェイ(Conway)で,ロイド・C・ブースが,目撃したUFOめがけライフルを射撃した事件。

空軍の元情報将校のロイド・C・ブース(Lloyd C. Booth)が,両親の家への帰途,
午前1時ごろ家畜小屋から豚たちのキイキイ騒ぐ声や,馬たちが厩(うまや)の床を蹴りつける音を聞いた。
彼は,あたりを調べたあと,家畜小屋の裏手の林の上に,ある高度をたもって滞空している円盤型のUFOを発見した。
彼は,その物体の下まで行き,22口径ライフルで数発発射し,その物体が飛び去るまでに,何発かの命中音を聞いたという。
この報告に従い,軍部はその地域の徹底調査をおこない,電子金属探知機を使用して,UFOに命中してはねかえされ地上に落下したに違いない弾丸を探し出そうとした。
しかし,軍部が何を発見したか,あるいは何も発見できなかったかは公表されていない。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Conway, Lloyd C. Booth, 1953, ufo 】
参考外部=>NICAP(The 1953 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Man Fires 0.22 At Hovering Object)

参考外部=>sohp.us(THE FIFTH HORSEMAN OF THE APOCALYPSE UFOS: A mSTORY)

参考外部=>azarchivesonline(James E. McDonald papers, (1904-1997))
●ネバダ核実験(アップショット・ノックホール作戦)UFO出現事件(アメリカ) 1953年5月21日,ネバダ核実験場での爆発実験(アップショット・ノックホール)に関連してUFOが出現した。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

アップショット・ノックホール作戦(Operation Upshot-Knothole)の核爆発実験においても,発生したフォールアウト(放射性降下物)に関連してのUFOの出現が目撃された。

実験名:「ハリー(Harry)」。爆弾は32キロトン。起爆は,
1953年5月19日午前5時05分(太平洋夏時間)。
放射性雲:高度30,000〜40,000フィートと推定される煙のように立ち昇る放射性粒子物質が南南東アリゾナ州プレスコット(Prescott)の真上を通過した。
UFOの目撃
5月21日朝,プレスコットの住人3人が,神秘的なUFOのアクロバチックな動きを目撃した。3人とはスポーツマンクラブ会長のビル・ビアーズ(Bill Beers),郵便局員のレイ・テンプル(Ray Temple),そしてエド・オルソン(O.Ed Olson)である。
空中の円盤は全部で8個あった。2個の円盤は静止状態のままで,他の6個の円盤の通常の飛行機では真似のできない機動飛行を見守っているように見えたという。目撃時間は全部で
1時間にも及んだ。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>Wikipedia(アップショット・ノットホール作戦)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Upshot-Knothole)

参考外部=>YouTube(Operation Upshot-Knothole-Nuclear Test Film (1953))

参考外部=>YouTube(Operation Upshot Knothole (1953))


【サイト検索キー: Prescott AZ, may 1953, ufo 】
参考外部=>prescottazhistory(1953:Prescott is a Hotspot for Flying Saucers)

参考外部=>NICAP(The 1953 UFO Chronology)

参考外部=>UFOINFO(On This Day;May 21)

参考外部=>UFOcasebook(UFO Crash in Arizona,1953)
●サルバドール・ビラヌエバ異星人遭遇事件(メキシコ) 1953年8月18日,タクシー運転手のサルバドール・ビラヌエバが,タクシーの故障中に異星人と遭遇し,彼らと会話をした事件。

サルバドール・ビラヌエバ(Salvador Villanueva)はメキシコシティ(Mexico City)で個人タクシー業を営んでいた。その日,彼は二人のテキサス人を乗せてテキサス国境へ向かっていたが, 約60マイル(96km)走ったカイダル・バレー(Ciudad Valleys)を過ぎたところで車が故障してしまった。 客は別な車に乗せて送ったが,サルバドールはそこで一晩を過ごすほかはなかった。
彼が車の下にもぐりこんで故障個所を調べていると,二人の人間が車のそばにいることに気づいた。 身長は4フィート6インチ(約150cm)そこそこで,首から足先までつながった灰色の服を着て,幅広い光沢のある穴あきベルトをしめていた。 首すじには金属製のカラーを巻き,首のうしろには黒い小箱があった。 そしてヘルメットを小わきにかかえていた。サルバドールは付近に着陸した飛行機のパイロットたちだろうと考えたという。
一人がサルバドールに話しかけてきた。雨が降りはじめたので,三人は車の中に入って会話を続けた。 会話をしたのは二人のうちの片方だけで,もう一人は一言もしゃべらなかった。 夜が白みはじめたころ,サルバドールは不安になり,思いきって疑問を口にすると,自分たちはこの惑星のものではないことを話したという。 サルバドールは冗談だろうと思ったが,彼らがそろそろ立ち去ると聞いたときにはほっとした。
彼らは自分たちの乗り物を見にこないかといい,やぶの茂った沼地のあいだを500メートルほど歩いた。 道は徐々に悪くなる一方で,サルバドールの足はくるぶしまで泥に沈んだ。 しかし、彼らの足は泥沼に触れたかと思うと,目に見えない力で泥は飛び散り,彼らの足は泥で汚れなかった。 泥が飛び散るたびに彼らの穴あきベルトが輝いたという。
突然,前方が開け,直径35〜40フィート(約10m)の巨大な機体が目に入った。2枚のスープ皿を合わせた形をしていて,上部には丸窓がついた浅いドームがあった。
彼らは,サルバドールを機体の中にさそったが,サルバドールは首を振るとその場を逃げ出した。 元の道に戻った彼は,いま来た方を振り返ると,白く輝く機体がゆっくり上昇するのが見えた。 その物体はしばらく空中で停止したあと,スピードをあげると振子のような運動を始め,前後に弧を描いて動いた。 まるで,落下するかわりに上昇していく落葉のようだった。機体は数百フィートの高度に達すると,輝きを強め,信じられないスピードで上昇していった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.21),「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:中村省三



サイト:「mexicounexplained.com」から
【関連サイト検索キー:Salvador Villanueva, MEXICO, 1953, UFO 】
参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1953)

参考外部=>UFOdna(18 Aug 1953-Ciudad Valleys,Mexico)

参考外部=>NICAP(The 1953 UFO Chronology)

参考外部=>On This Day(August 18)

参考外部=>YouTube(The Alien Abduction of Salvador Villanueva Medina:Mexico Unexplained)

参考外部=>YouTube(CONTATTI UFO-Salvador Villanueva Medina)

参考外部=>galactic.no(1953-1977,Mexiko,Salvador Villanueva Medina)

参考外部=>mexicounexplained.com(The Alien Abduction of Salvador Villanueva Medina)

参考外部=>URECAT(CIRCA AUGUST 17,1953,CIUDAD VALLES,SAN LUIS POTOSI,MEXICO,SALVADOR VILLANUEVA MEDINA:)
●ノリッジUFO目撃事件(イギリス) 1953年10月6日 ,イングランド東部ノーフォーク(Norfolk)の州都ノリッジ(Norwich)で,ノリッジ天文協会のF・W・ポター氏と他の数名が空を観測中にUFOを目撃した事件。

午後7時15分に,ポター氏(Mr FW Potter)が空を観測中,一個の大きな物体が南西から出現し,続いて水平飛行をしたことに気づいた。 物体は大きな黄色の星のようであったが,肉眼で見ると小さな星々のかたまった卵型に見えた。ポター氏は,3.5インチの屈折望遠鏡の視野内に物体の焦点を合わせた。
焦点を合わせると,星々のかたまりのように見えたものは,大きな平たい円盤の上についているドームの窓の光であることがわかった。 ドームの周囲には一定の間隔をおいて丸窓が並んでいて,この丸窓から洩れる光によって,円盤の全体像を見ることができた。
上部のドームは回転しておらず,円盤の下部はくぼんでいて鈍い赤色に輝いていた。 物体は一定の高度を保っているようで,観測していた場所からは音が聞こえなかった。
物体は南西から北東へ進行した。ポター氏の視界にあったのは,
3分半ほどの時間である。 空は一点の雲もない快晴であり,あらゆる星座が見えたという。
この物体は,ポター氏以外にも,ノリッジ天文協会(Norwich Astronomical Society)と英国天文協会の会員たち7名に目撃されている。



【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.11)』1975年,【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎



サイト:「instagyou.com」から
参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1953)

参考外部=>UFOdna(6 Oct 1953-Norwich,England,UK)

参考外部=>Eastern Daily Press(Weird Norfolk:The Norwich UFO documented by the CIA)

参考外部=>Eastern Daily Press(In my view:The day a UFO came to Norwich)

参考外部=>EAST ANGLIAN(WEIRD SUFFOLK:The county-hopping UFO that sped from Suffolk to Norfolk)
●アメリカン航空DC6型機UFO遭遇事件(アメリカ) 1953年10月19日,アメリカン航空のDC6型航空機がUFOに遭遇し,急降下をした。航空機の乗客は救急措置を必要とした。

アメリカン航空(American Airlines)のDC6型機が,ワシントン国際空港に向かってフィラデルフィア国際空港(Philadelphia International Airport)を飛び立っていた。巨大な4発機は,8000フィート(約2400m)の高度を飛行していた。ちぎれ雲が散在し,月光は明るく,天候は良好であった。
午前零時10分過ぎ,機はサスケハナ川(Susquehanna River)のコノウェンゴ・ダム(conowingo dam)の上空に近づいていた。右手約30マイル(約48km)ほどのところに,ボルティモア(Baltimore)の街明かりが靄(もや)に包まれた巨大な宝石のように輝いていた。
薄い雲間から見え隠れするたびに,月明かりを反射してキラキラと輝く物体を副操縦士が見つけた。それは,航空規則に規定されている夜間飛行灯をつけていなかった。
J・L・キッド機長(Captain JL Kidd)は,機の速度を落とした。その物体は動かず静止していた。DC6は急速にその物体に接近していった。その物体を着陸灯で照らしてみた。着陸灯の二条の白色光線が,その物体を突き刺すように照らしつけた。
すると,反対にめくるめくような白色光線が,物体から旅客機に向けて照らしつけられた。機長は物体が自分のほうに直進してくるのをさとり,操縦かんを前方に押し倒した。座席ベルトを締めていなかった乗客は,上方へ投げ飛ばされた。5000フィート(約1500m)の高度で,機長はその状態から離脱させ,機内に浮遊していた乗客たちは通路や座席に落下した。
この戦慄すべき事件は,翌朝の<ワシントン・ポスト>のある版に掲載された。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: American Airlines, DC6, Conowingo Dam, 19 October 1953, ufo 】
参考外部=>Ufoinfo.com(Encounters with Aliens on this Day)

参考外部=>StealthSkater(Timeline of Early UFO Sightings)

参考外部=>The UFO Proletariat(Did Missing Malaysia Jet Encounter A UFO?)

参考外部=>books.google(A Need to Know: UFOs, the Military and Intelligence)
●サン・フェルナンド渓谷エンゼル・ヘアー事件(アメリカ) 1953年11月16日,カルフォルニア州サン・フェルナンド渓谷(San Fernando Valley)一帯にUFOからの放出物(エンゼル・ヘアー)が落下した。

ホワイト・オーク街とヘインズ通りの町角近くに住んでいる,ルイス・ダンジョロ(Louis Dangelo)夫妻,燐家の夫婦,近くに来ていたパン屋の自動車運転手,これらの人々が一帯に落ちる蒸気質の毛布を目撃した。
ダンジョロ(Dangelo)夫人の語るところによると,目撃者たちは,
その日3機のジェット機を見ていたという。するとその後ろに巨大な銀色の球がついてきていた。それは,曳航標的か何かでジェット機に連結されているものだと思っ手でいたが,ジェット機は編隊をとき急降下して着陸したにも拘わらず,その銀色の球はまだ上空に滞空していたという。
そして上下左右に移動し,蒸気噴流のような細長い白色の物質を,物体後部から流していた。その物質は地上に落ち始め,ズタズタに裂かれた白い羊毛のように,柔らかく糸くずのように散らばって近隣一帯にクモの巣みたいに垂れ下がったという。夫人の家の電線も白く変わったほどで,
夜中にはピカピカと火花を出した。
目撃者であるパン屋の自動車運転手のポップ・ティルトも落ちてくるクモの糸のようなものに気づいた。それは,彼の車の窓いっぱいに散乱したという。
ダンジョロ夫人は,その物質はちょうどこま切れ羊毛(ウール)か,ガラス糸みたいなもので,指でつまむと,
数分間で雲消霧散してしまい,樹木などから落ちて人の頭髪にからむようなこともあったという。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年
【サイト検索キー: San Fernando Valley, angel hair, 1953, ufo 】

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1953)

参考外部=>UFOdna(16 Nov 1953- San Fernando Valley, California, USA)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day;November 16)

参考外部=>Preston Dennett(UFOs Over California)

参考外部=>NICAP(Challenge of UFOs- Complete book)

参考外部=>NICAP(PART   II: A Scientist Looks at UFOs)
●スペリオール湖上空F-89消滅事件(アメリカ)
【キンロス事件】
1953年11月23日,ミシガン州キンロス空軍基地からスクランブルしたF-89C戦闘機が未確認機を追跡し,スペリオール湖上空で消息を絶った。

この夜,スペリオール湖(Lake Superior)上空を飛行中の不明機を迎撃・確認するため,ネープルズGCI(地上管制迎撃)の指令で一機のF-89Cが,キンロス空軍基地(Kinross Air Force Base)から1822時EST(東部標準時)にスクランブル発進した。F-89Cにはフェリックス・モンクラ(Felix Moncla)が操縦し,レーダー・オペレータとして少尉ロバート・L・ウィルソン(Robert L. Wilson)が乗り組んだ
同機の最初のレーダー管制は,ネープルズGCIで維持され,
1841時ESTにピローGCIへ移管された。この時,機は高度9,000メートルを飛んでいたが,1847時ESTにピローGCIの要請により,高度2,100メートルに降下し迎撃を開始した。
同機の位置は,この時キンロス空軍基地の北東約240キロ,スペリオール湖北部上空だった。
1851時EST,同機のパイロットは針路を20度方向に変更して,不明機の遮断(カットオフ)進路をとるよう要請された。方向転換が完了後,パイロットは未確認機が11時の方角,16キロの距離にいると通知された。
ピローGCIのレーダー・スコープ上で両機のレーダー反射波は,そのあと合体するのが見られた。
未確認機からのレーダー反射波は本来のコースを保っていることを示したが,F-89Cからの反射波は,ここでGCIのレーダー・スコープから消滅した。
未確認とされた航空機は,カナダのウィニペグからサドベリーへ飛行中のカナダ空軍ダコタ機(C-47)だった。この時刻に,同機はスペリオール湖北部を西から東へ高度2,100メートルで横断していた。
消滅されたとされるF-89Cの捜索は,アメリカ,カナダ両空軍機により実施されたが,不成功に終わった。80パーセントの地域は調査されたが,大雪のため効果的な地上捜索はできなかった。
さて,実際のところこの報告は不明機がカナダ空軍のC-47とされているが,それは事実ではなかったのだ。ドナルド・キーホーの『宇宙からの訪問者』(
1973年刊行)によれば,カナダ空軍当局に接触して,このことをただしたところ,カナダ空軍はそのようなフライトはなかったと回答したのである。
機体の残骸も乗員の遺体もまったく発見されず,米空軍がカナダ機説にいくらしがみついたところで,この事件はミステリーのまま残っている。
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第5章/過去からのこだま】,著者:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏,1987年



サイト:「NICAP(The Kinross Incident)」より
参考外部=>Wikipedia(スペリオル湖)

参考外部=>En.Wikipedia(Lake Superior)

参考外部=>En.Wikipedia(Kincheloe Air Force Base)

参考外部=>Wikipedia(フェリックス・モンクラ)

参考外部=>En.Wikipedia(Felix Moncla)


【サイト検索キー: The 1953 Kinross UFO Incident 】
参考外部=>science.howstuffworks.com(UFOs and the Government;The 1953 Kinross UFO Incident)

参考外部=>YouTube(Unsolved Mysteries-The Kinross Incident 1953)

参考外部=>sootoday.com(Is this the missing jet from the 1953 Kinross UFO incident?)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1953:The Kinross Air Force Base Incident)

参考外部=>ufobc.ca(The Kinross Incident)

参考外部=>NICAP(The Kinross Incident)
●マッチデール墜落UFO遭遇事件(アメリカ) 1953年末か1954年初めの早朝の事である。ニューヨーク州シラキュース(Syracuse)のマッチデール(Mattydale)で,マースデン夫妻が墜落したUFOに遭遇した事件。

マースデン夫妻が車で友人宅を訪問しての帰り,パトロールカーがライトをつけて停まっている事故現場のような交差点を曲がった。
彼らが道路から遠くないところに見たものは,長さが約6メートルで高さが4.5メートルほどの卵形の物体であった。 その物体の周囲には明るい色のついた光がいくつかあり,数人の警官が物体の周りをぐるぐる回って検査をしているのが見えた。
翌日,マースデン氏は郡保安官に電話をかけてみると,軍事機密だと言われただけであった。
あとになり,事件の現場を訪れてみると,踏まれた草とタイヤ跡だけだっという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(No.38),「空飛ぶ円盤墜落す」,文:ボブ・ダグラス,訳:柳尾武義
【サイト検索キー: Syracuse Mattydale, 1953, UFO Crashes 】
参考外部=>961theeagle.com(Did A UFO Crash In Mattydale New York In 1954?)

参考外部=>syracusenewtimes.comNew (York State's Roswell- Mattydale UFO Crash)

参考外部=>Angelfire(Other Crash Links)

参考外部=>thinkaboutit- ufos.com(1561- 1997 List of UFO crashes

参考外部=>sacred- texts.com(Alleged UFO Crashes)
 
1954年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1954年UFO情報 参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS- 1954)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1954 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1954)

参考外部=>NICAP(1954 UFO Chronology)


参考外部=>intcat(INTCAT 1954)
●コニストン事件(イギリス)



(★撮影直前に目撃した円盤のスケッチと撮影された実際の写真)
『コズモ(UFOと宇宙)』NO9から
1954年2月15日 ,イギリス・ランカシャーのコニストン(Coniston)で,2少年がアダムスキー型円盤を目撃し,コダック・カメラで円盤を撮影した事件。

スティーヴン・ダービシャー(Stephen Darbishire- 13歳)は,
この日の朝,なぜか家の裏山(コニストンの丘)に登りたくなった。いとこのエイドリアン・マイヤー(8歳)を連れて,カメラを手に頂上に着いた。
午前11時ごろ,エイドリアンが丸い物体が降下してくるのを発見した。
物体は約90メートル先の少し盛り上がった土の向こう側に降りて見えなくなったが,
数秒後に現われ,ヒューッという音をたて縦に倒れて空中を急上昇して雲の中に消えていった。
ステーィヴンは,土の向こうに降りる前と土の向こうから出現したときの2枚の写真撮影に成功した。 写真はかなりぶれていたがアダムスキー型の円盤が写っていた。
ステーィヴンは,物体がドーム,丸窓,三個の球,中心にコーンのようなものがあり,丸窓は4つあったことを証言している。

【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6(1974年)/【宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:久保田八郎】の序文(文:デスモンド・レスリー)から



サイト:「Think AboutIt- REAL」から
 

撮影時の様子を示すスティーヴンとエードリアン
『コズモ(UFOと宇宙)』NO6から



参考外部=>GAsite(レイクランドの円盤)

参考外部=>水島保男外伝版ブログ(1954 それは始まりだった)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: February UFO & Alien Sightings)
●火星人コンタクト事件(スコットランド)
【セドリック・アリンガム事件】
【ロシーマウス事件】



離陸準備中の円盤に戻る異星人の後姿を撮影


最初に発見時直後に雑記帳に描いたおおざっぱなスケッチの写し
『火星からの空飛ぶ円盤』から
1954年2月18日,スコットランド(Scotland)北端のロシーマウス(Lossiemouth)に近い海岸を野鳥観察にきていた,セドリック・アリンガム(Cedric Allingham)が空飛ぶ円盤から降りてきた異星人(火星人)とコンタクトした事件。

アリンガムはこの日,
12時35分に約5,000フィート(約1,500m)の高さに偶然,円盤を発見し双眼鏡で確認した。その後,3時45分ごろに直径約15メートル,高さが6メートルほどのアダムスキー型円盤(3つづつグループになった窓,ドームの上には黒い垂直の棒,球体の着陸装置がついていた)がアリンガムの約50メートル先に着陸した。
円盤から身長が6フィート(約180センチ)ぐらいで,年齢はアリガムと同じぐらいで,ひたいの高い人間が降りてきた。頭髪は褐色で肌は深いタンニン色をしていた。首から足までつながった服を着ており,手だけが出ていた。 鼻にチューブのようなもの(おそらく呼吸装置)が届いていた。
アリンガムは雑記帳に太陽系などの図を書きジェスチャーで相手とコミュニケーションを交わした。言葉は通じなかったが,相手はしゃべれたという。アリンガムが発音した「ビーナス(金星)」と「マース(火星)」について同じくきれいな声で発音を返したという。
そして,相手が火星からきていることを確認した。アリンガムは自分の万年筆を贈った。アリンガムは円盤の機体にさわったというが異常はなかった。
やがて別れのとき,アリンガムは機体から離れるように伝えられ,相手が機体に向かう別れ際,後姿の写真を思い出したように気づき急いで撮ったという。
やがて挨拶を交わしてスライドした扉の中に消えた相手を乗せた機体は40フィート(約12メートル)まで上昇した。
そして,北の方向にものすごいスピードで飛び消えていった。
午後4時25分の事である。
【参考文献】
『火星からの空飛ぶ円盤』著:C・アリンガム,訳:岩下肇,1971年
『世界の超人・怪人・奇人』著:並木伸一郎,2015年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年
参考外部⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(昭和なUFOネタシリーズ〜「火星人の後姿」写真)




初めにとらえた円盤の写真

着陸時の円盤の写真
『火星からの空飛ぶ円盤』から

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: February UFO & Alien Sightings)
●ユナイテッド航空193便UFOニアミス事件(アメリカ) 1954年4月14日,ユナイテッド航空193便が定期飛行中,ロング・ビーチ上空で,突然UFOが機をかすめて飛び去った。

ユナイテッド航空(United Airlines)の193便がカルフォルニア(California)の海岸沿いに定期飛行中,
午前零時少し前にロング・ビーチ(Long Beach)上空に達した。 機長のJ・M・シーデル(Captain Schidel) が機の操縦にあたっていた。
突然,夜闇の中から物体が飛び出してきて,あやうく機をかすめた。物体は夜間航行灯をつけていなかった。
次の瞬間,物体の側面から明るい赤色光が輝いてシーデル機長の右側を照らした。機長は衝突すると思い,操縦かんをうしろに引き倒した。旅客機はカーブしながら急上昇を始めた。一人のスチュワーデスが,調理室にはじき飛ばされて足首を折った。乗客の一人でノースハリウッド(North Hollywood)のC・バーバーは,通路に投げ出されたため左脚を骨折した。
他の乗客たちも,突然の急上昇に不意打ちをくらって,あちこちに投げ出され,擦過傷やら打撲傷やらを負ったが,さいわい重傷者は出なかった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: United- 193, Long Beach, 1954, ufo 】
参考外部=>StealthSkater(Timeline of Early UFO Sightings)

参考外部=>PrestonDennett (UFOs Over California)

参考外部=>PROJECT1947 (UFO REPORTS- 1954)

参考外部=>ONSTELLAR (The Top Twenty California UFO Encounters)

参考外部=>NARCAP (national aviation reporting center on anomalous phenomena)
●ウィルキンズ博士UFO目撃事件(アメリカ) 1954年6月11日,天文学者のH・P・ウィルキンズ博士は,講演旅行でジョージア州アトランタに向かう途中,機内からUFOを目撃した。

講演旅行でウィルキンズ(Hugh Percy Wilkins)博士を乗せた双発のコンベア機は,ウェストバージニア州チャールストン(Charleston)からジョージア州アトランタ(Atlanta)へ向かって飛行していた。
午前10時45分ごろ,ウィルキンズ博士は後部寄り座席からチラリと窓の外を見ると,2マイル(約3,200m)ほど離れた雲海に出たり入ったりしている二個の物体があるのを目撃した。
その物体は楕円形で,つややかな真鍮色,濃い縁があった。 磨きこんだディナー皿そっくりで,雲のあたりを急進したり反転したりする時,日光が機体に反射していた。 やがて,第三の物体が大きな雲中から,ゆったりと現われたが,これは雲の陰にいて動かなかったので,他の二つより黒っぽく見えた。まもなく,この第三の物体は急激に動きだして別の雲のかたまりの中に突っこんで行った。

約2分後には,はじめの二つも同じように第三の物体の後を追い,雲の中に消え,それっきり姿を見せることはなかった。
アトランタに降り立ったウィルキンズ博士は,報道陣を前に,3機の空飛ぶ円盤を見たこと,目測でその直径は約50フィート(約15m)あったことを語った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・地球の空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>en.wikipedia(Hugh Percy Wilkins)

参考外部=>ufoinfo (On This Day;June 11)

参考外部=>CUFOS (UFOs: A History 1954 June- August)

参考外部=>NICAP (THE UFO EVIDENCE)
●リフィエルUFO目撃事件(デンマーク) 1954年6月30日,デンマークのリフィエル(Lifjell, Denmark)上空で,日食観測の旅客機からUFOが目撃された。

この日の午後2時17分に,日食観測のため観測者50名ほどをを乗せた旅客機が3機出発した。
高度は,15,000フィート(約4,600m)であった。UFOの目撃者の一人,ロンドンプレスのスウェーデン交通省特派員のE・グラハム(Ernest Graham)氏は,地平線を横切って輝く2個の円盤を見た。
全員が見ていたのだが,おどろきのあまりに,誰一人としてカメラを向けようとは考えつかなかった。しばらく物体を監視してから,突然ビョルヌルス(John Bjornulf)氏がカメラをとりに,あわてて通路を駆けぬけた。観測者たちはUFOについて,いろいろ議論をたたかわせつつあったが,物体が消え始めるのに気づき,めいめいが,われさきにとカメラのところに駆け出したため,ちょっとした混乱があった。
その時,ビョルヌルス氏は,円盤に焦点をあわせ,ファインダーを覗きながら撮影を始めていた。物体は明らかに回転をしており,船尾線(スターン・ライン)を示していた。これが,排気ガスのようなものかどうかは,グラハム氏には分からなかったという。
物体は,およそ15〜20マイル(24〜32km)の距離にあり,スピードと大きさは飛行機のそれよりもはるかにすぐれていた。こう推測する理由は,目撃者たちが,日食の蝕中にあった間のことで,物体は太陽光線外にあったからである。影は,少なくとも観測者たちの位置から北へ15マイル(約24km)ほど伸びていた。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年



サイト:「Think AboutIt- REAL」から
参考外部=>abovetopsecret.com(Oldies but goodies and an errr really? now moment)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: June UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFOdna(30 Jun 1954- Oslo, Norway)

参考外部=>En.Wikipedia(Solar eclipse of June 30, 1954)
●ウェイルズビル戦闘機墜落事件(アメリカ) 1954年7月1日,ニューヨーク北部のグリフィス(Griffith)空軍基地のレーダーが捉えた未確認飛行物体を迎撃に向かったF-94戦闘機が,UFOからの熱波に襲われ墜落した。緊急脱出した2名のパイロットは,ウェイルズビル(Walesville)付近の町に無事降下した。

この日の正午,グリフィス空軍基地のレーダーが,奇妙なブリップ(飛行物体からの反射波)を捉えた。付近に航空機が一機もいないことがわかると,ただちにF-94スターフャイヤー・ジェット(F-94 Starfire jet)戦闘機が迎撃に向かった。パイロットは,地上管制によってコースを指示され,F-94の後部座席のレーダー士も機上のスコープでブリップ(レーダー上の光点)を見守っていた。
離陸後,
2分ほどで機のパイロットは,未知の物体を肉眼でとらえることができた。それは,輝く円盤状の物体で,機の上方数千フィート(千フィートは約300m)のところを飛行していた。
機は,スロットルを開いて全速で物体に向かった。そして,それをはっきりと見ることができるところまで近づいた。その物体は動きをとめていた。
レーダー士が,通信機のスイッチを入れ,その物体に向けて身許確認を求めるまでは,何も起こらなかった。突然,ジェット機のエンジンが停止した。そして,その瞬間,機のコクピット内は焦熱地獄と化した。物体が火炎などを放射している様子はなかったが,パイロットは噴射炎をまともに顔に吹き付けられたような熱波を感じたという。
レーダー士の脱出音を確認すると,半分めくらになったパイロットもあえぎながら,ジェット機から脱出した。その瞬間,あお向きになりながら,UFOをチラリと見ることができた。物体は巨大な円形だったという。
2人の飛行士は,ニューヨーク州ウェイルズビル(Walesville)付近の町に,無事落下傘降下することができたが,戦闘機は墜落し,1台の車と2軒の家屋を破壊し,子供2人を含む4人を死亡させた。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年


1954年7月2日1105時EST(東部標準時),グリフィス空軍基地(Griffith AFB)をF-94C一機が作戦訓練任務に飛び立った。
同機が数キロ飛んだとき,グリフィス管制塔がパイロットを呼び,積極防空任務に変更されたとの通告をし,同機は未確認機を迎撃するため,60度方向へ高度3,000メートルで進路誘導された。
未確認機の発見は手間どり,管制官は同機をその付近にいる第二の未確認機へ誘導したが,この第二の未確認機は空軍のC47と確認された。そのため,管制官は,最初の未確認機に方位を240度変更させた。
この時,F-94Cは高度2,400メートルのちぎれ雲の上を飛んだ。雲層の上に未確認機は見つからなかったので,同機は雲層の下へ降下を始めた。
降下の途中,機内の火災警報灯がついた。エンジンがただちに停止された。乗員は緊急脱出し無傷で回収されたが,機体は199度方位を保ったまま,約6.4キロ飛行し,
1127時ESTにウェールズヴィル(Walesville)交差点という地域に墜落した。
機は住宅一軒に激突して主婦が死亡,娘を負傷させた。さらに交差点の車に衝突し,乗っていた三人を死亡させた。

この事件は
1980年に解禁された空軍の事故報告によるものであるが,墜落の細部が不明なので,この戦闘機を故障させた原因は決定できない。
同じファイルに含まれていた「不充分な報告」用紙によると,パイロットのウィリアム・E・アトキンズ中尉(Lt. William E. Atkins)は,コクピット内の温度が急上昇したのを感じ,前部火災警報灯がついたことに気がついたという。すぐレーダー操作員のヘンリー・コンドン中尉(Lt. Henry Condon)に警告し,スロットルをアイドル位置にし,
4秒待ってから止めコックを入れた。さらに4秒待ってから二人とも射出されて脱出に成功した。
少なくとも,ウェールズヴィル事故報告の末尾では,次のように結論されている−「残骸の調査の結果,機内の出火は認められないと判明した。火災警報装置の誤作動の原因は決定できなかった
【参考文献】
『人類は地球外生物に狙われている』【第5章・過去からのこだま】,著者:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,編訳:南山宏,1987年




サイト:「A Different Perspective」から
【サイト検索キー: Griffith, Walesville, f94, 1954 ufo 】

参考外部=>NICAP (The Walesville Incident)

参考外部=>UFO DNA (July 1954- Walesville, New York, USA)

参考外部=>GenDisasters.com(Walesville, NY Jet Fighter Crashes Into Homes, July 1954)

参考外部=>PAST HISTORIES #9 (ALIENS FROM SPACE・・・)

参考外部=>SHG(Optical and Radar Analyses of Field Cases)

参考外部=>wutang-corp.com(UFO / Alien Chronological Thread Directory)


【サイト検索キー: F-94, Walesville, 1954 ufo 】

参考外部=>A Different Perspective (Walesville UFO Jet Chase)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: July UFO & Alien Sightings)

参考外部->NICAP(The Walesville Incident / F-94 Crash)
●ハロルド・ヒル(天文学者)UFO観測事件(イギルス) 1954年7月8日,イギリスのアベイレイクの観測所で,天文学者のハロルド・ヒル氏は,不思議な物体を観測した。

天文学者のハロルド・ヒル氏(Mr.Harold Hill; 1920-2005)は,
この日の20時30分頃(グリニッチ標準時), ランカシャー(Lancashire)州ウイガン(Wigan)にあるアベイレイクスの観測所で,南方上空高度55度の位置に静止する星のように輝く物体一個を発見した。
33倍と50倍の12インチ反射望遠鏡で観ると,この”星”の左手に,さまざまな光度をした小さい星らしい15〜20個からなるバラバラの”星団”を引きつれているのが,はっきり観測された。それらは,”蜜房の蜂(ハチ)”のように間断なく動きまわっており,しばらくの間,雲でおおわれたかと思うと,さらにはっきり,互いに接近した二つの輝く物体となり,夜空にあざやかな光を投げかけていた・・・・・・かと思うと,これは望遠鏡の視野の外だけかも知れないが,星の一団は消えていた。
なおも注意して見ていると,今度は,はっきりわかる動きが感じられ,その二個の明るい物体は,生あるもののように,生き生きと動きいていた。それらは,ヒル氏の観測中,たがいに離れ,それぞれ旋回したり閃光を放ったりするだけでなく,あたかもダンスのパートナーのごとく,たがいにゆるやかな振子運動をしていた。
この運動が激しくなるにしたがって,12インチ反射望遠鏡で追跡するのがむつかしくなって,視野からもはみ出すので,たえず望遠鏡を調整しなければならなかったという。
やがて,厚く広大な雲がでてきたので,やむなく観測を終了したのが
20時55分(グリニッチ標準時)だった。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年
【サイト検索キー: Wigan, England, harold hill, astronomer, 1954, ufo 】

参考外部=>theblackvault.com(A List of UFO Sightings by Astronomers (Compiled in 2000))

参考外部=>NICAP(1954 UFO Chronology)

参考外部=>adsabs.harvard.edu(Title: Obituary: Harold Hill (1920-2005))

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: July UFO & Alien Sightings )

参考外部=>UFOdna(8 Jul 1954- Wigan, England, UK)

参考外部=>YouTube(UK & AU: Wigan Flying Saucer Group)
●ヨーロッパUFO大ウェーブ事件(ヨーロッパ)

1954年に,ヨーロッパでのUFOフラップ(UFO目撃,UFO着陸,宇宙人遭遇)がピークとなり,イギリス〜スペインへとヨーロッパ全域に及んだ。
8月から11月にかけ,目撃者の数は100万人以上といわれる。その中でも 10月1日〜11日 のフランス内での目撃が最大ピークとされ,目撃数を減少させながら,イタリー,南米に拡がっていった。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,著者:平野威馬雄,1974年
『空飛ぶ円盤の真実』,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎,1988年
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』,著者:韮澤潤一郎,2015年




−1954年フランス国内での目撃地点と人口密集地帯の対比図−
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』ジャック・バレーの分析)から】
参考外部=>NICAP (The Worldwide UFO Wave of 1954)

参考外部=>En.Wikipedia (UFO sightings in France)

参考外部=>ufosnw.com (1954 French UFO Humanoid Encounters)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1954 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1954)

参考外部=>NICAP(1954 UFO Chronology)

参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS - 1954)
●バーノン葉巻型UFO目撃事件(フランス)  1954年8月23日の深夜にセーヌ川沿いバーノン(Vernon)近郊に住むベルナール・ミザエル(Bernard Misery;実業家)が,自宅近くの上空で直立した巨大な葉巻型UFOを目撃した事件。

深夜1時ごろ,暗かった街が青白く照らされているのに気づき,上空を見るとセーヌ川の北岸の上空に, 直立した長さ100メートルもあるような巨大な葉巻型UFOを発見した。
その葉巻型物体の下から円盤状の飛行物体が次から次と現われミザエルの後方に飛び去っていった。
その後,葉巻型の物体は輝き失い,闇の中に溶け込んでいったという。

【参考文献】
『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』著:韮澤潤一郎,2015年

1954年8月23日
のバーノン近郊での出来事が,二人の地方警察官と一人の陸軍技術員からもたらされた。それによると,彼らは1個の巨大で無音の全く静止した葉巻型物体が,垂直に立っているのを目撃した。
そして,4人目の目撃者は,ビジネスマンのM・バーナード・ミゼリー(Bernard Misery-上記のベルナール・ミザイルと同一人物)で, 彼の証言によると,その葉巻型物体の底の部分から平板状の物体が1個,初めはふらふらと落下してゆっくりと動くと見るや,急降下して川を渡り水平にミゼリーの方に向かってきたという。
しばらくすると,後続の小型機3個が次々とわずかな間隔をおいて出現し,それぞれ違った方角に飛び去ったという。 そして,しばらく時間をおいてから5番目の物体が静止したままの葉巻型物体から現われ,この最終の円盤は,これまでのより一番低く降下し,ちょっとの間揺れ続けたが,数秒間停止し振動した後,閃光のように北に向かって飛び去ったという。
【参考文献】
『UFOと核兵器』著:ロバート・ヘイスティングス,2011年



サイト:「ufologie(The 1954 French flap:)」から
【サイト検索キー: Vernon, France, 1954, UFO 】
参考外部=>ufoinfo (On This Day August 23)

参考外部=>ufoweeklynews (Bernard Misery case)

参考外部=>ufologie (The 1954 French flap)

参考外部=>ufologie (UFOs in the daily Press)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFOdna (23 Aug 1954 Vernon, France)
●バレンシエンヌ短足宇宙人目撃事件(フランス)
【カルーブル村UFO事件】



(★目撃した宇宙人)
(IIIust/YUFOS)
『宇宙人の死体写真集2』から
1954年9月10日,北フランスのバレンシエンヌ(Valenciennes)の近郊のカルーブル(Quarouble)村で,マリウス・デウィルド(Marius Dewilde-34歳)が,小柄で短足の2人の宇宙人を目撃した。

この日の夜10時30分ごろ,庭のほうから愛犬キキの異常な鳴き声を聞いたデウィルドは懐中電灯を手にして家の外に出てみた。
すると,庭のすぐそばを走っている鉱山鉄道の線路上に,黒っぽい物体があることに気がついた。
キキがデウィルドに近寄ってきた時,右手のほうで足音がした。デウィルドが懐中電灯をそこに向けると,20フィート(約6m)と離れていないところに,2人の生物がいて, 一列縦隊で黒っぽい物体のほうに歩いていた。 その2人の身長は3フィート半から4フィート(1〜1.2m)で,異様に肩幅が広く,ダイバーのような服を着ていた。 光を反射する,巨大なヘルメットのようなものをかぶっており,2人は身長の割には,いかにも短足だった。 腕があるかどうかも見分けられなかった。
デウィルドは,2人と線路上の物体との間に割りこんで連中を取り押さえようとして,庭を横切って駆け出した。デウィルドが2人まであとわずかというところまで近づいたとき,線路上の物体から,マグネシウム閃光のようなまぶしい光が放射された。すると,彼の体はマヒしてしまって立っていることしかできなくなった。,大声を出そうにも出せず,脚がまったく動かなくなった。
光が消えてデウィルドの身体が自由になったときには,2人の姿は物体の中に消えていた。
すると物体は,下から黒い蒸気を噴き出し,ヒューッというけたたましい音をたてながら空中に飛び上がった。 100フィート(約30m)ほど上昇してから東の方角へ遠ざかった。かなり遠ざかったとき,赤っぽく光ったが
1分後には完全に見えなくなった。
デウィルドは動けるようになると,すぐに1マイル(約1.6km)ほど走って,カルーブルの警察は彼の話をとりあわなかった。そこで,警察本部長のグーシェの自宅へ行くと,本部長は話を聞いてくれた。グーシェがしかるべきフランスの役人に連絡すると,警察やフランス空軍と地域防衛省の調査官たちの手によって,綿密な調査が開始された。
物体が着陸していた鉄道線路の枕木に,5つの深いくぼみを見つけた。調査の専門家はこのような跡をつけるには30トンの圧力が必要だったろうという。また,枕木の間にバランスとして使われていた砂利が異常にもろい状態になっていた。まるで高熱にさらされたかのようだった。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(バレンシエンヌに出現した短足で腕のない宇宙人)
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



(★着陸現場を指すデウィルド)
サイト:Wikipedia(Marius Dewilde)から


サイト:「UFO-SVERIGE」から
参考外部=>togetter(キメ顔宇宙人の素性を探るまとめ−1954年のカルーブル事件か)


【サイト検索キー:Marius Dewilde UFO】
参考外部=>Wikipedia(英語版:Marius Dewilde)

参考外部=>YouTube (UFO 1954, Marius Dewilde)

参考外部=>UFOs at Close Sight(The 1954 French flap)

参考外部=>Ufopolis.com (Los asombrosos humanoides que vio Marius Dewilde)

参考外部=>Touraine Insolite (L’Affaire Marius Dewilde)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: September UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFO-SVERIGE(Demilde, Marius(1921 - 1996))

参考外部=>UFO Info (On This Day)
●ギュイッタ氏UFO遭遇事件(モロッコ)
1954年9月18日,カサブランカのギュイッタ氏が,沿岸道路をドライブ中にUFOに遭遇した。

カサブランカ(Casablanca)のギュイッタ氏(Mr.Guitta)が,沿岸道路をドライブ中,突然彼はバックミラーの中に,こちらへ向かって急降下して来る一個の灰色の物体を見た。
彼は,ハンドルをしっかり握りながら,本能的にかがんだ。数秒後に,その灰色の物体はすごいスピードで地面すれすれに左方へ通過した。
その直後,激しい「冷風」が彼を襲って,ハンドルをしっかり握っていたにもかかわらず,車は強く吸い込まれて左方へ走ったのである。
音はなかった。ギュイッタ氏は,前方の地平線に消えて行く物体をチラリと見たが,それは小さな灰色の円盤のように見えたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.28),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1976年
【サイト検索キー: Mr.Guitta, Casablana, 1954, ufo 】

参考外部=>On This Day (September 18)

参考外部=>NICAP (1954 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna (18 Sep 1954- Casablanca, Morocco)

参考外部=>ufoinfo.com (The Magonia Database: Part 2: December 1951- October 2nd 1954)
●シャンブイユUFO目撃事件(フランス)


(★レブーフ夫人がスケッチした空飛ぶ円盤)
サイト:「UFOs at close sight」から。
1954年9月26日,南フランスのシャンブイユの森の中でレブーフ夫人が,半透明の潜水服のようなものを着た小人に遭遇した後, 近くの森の中から現れ飛び去るた円盤を目撃した。

南フランスのバレンス(valence)に住むレブーフ夫妻は,13kmほど東にあるシャンブイユ(chabeuil)の祖父の家を訪れていた。
午後2時30分ごろ,2人は犬を連れて散歩に出かけた。レブーフ夫人(Ms. Lucette Leboeuf)はキノコを採るため,夫から90mほど離れた森の中へ入っていった。
しばらくすると,犬がキャンキャンとみじめな声で叫びはじめた。犬は小麦畑の端で何かに向かい合っていた。夫人はそれが最初カカシだと思ったが近づいてみると,それは身長が90cmほどの半透明のプラスチックでできた潜水服のようなものを着た小柄な人間であった。
大きい2つの眼が,ヘルメットごしに夫人を見つめていることに気づいた。
その小柄な怪人が,よたよたしながらも,かなりのスピードで夫人の方に近づいてきたので,夫人は恐怖を感じ,大声で悲鳴を上げながら逃げ出した。そして,木立の陰に隠れてから背後の様子をうかがうと,その怪人は見えなくなっていた。
しかし,犬は悲しげに吠え続けた。付近にいるすべての犬もそれに唱和するように吠え続けたという。
すると,近くの木立の中から巨大な金属製の円形の物体が飛び上がり,かすかにシューという音をたてて低空を飛行した。やがて,小麦畑を横切ると突然方向を変え上昇し,ものすごいスピードで遠ざかっていった。
その後,現場に集まってきたレブーフ氏と村の人々は,物体が飛び立った木立のなかに,直径約3.3mの円形の跡を発見した。
事件後,
2日間夫人は高熱にうなされた。犬は3日後も恐怖にわなないていた。
(この事件は,ヨーロッパUFO大ウェーブ事件の中の1つである)
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ】,1977年
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(バレンスで犬に吠えられたヒューマノイド)




(★トウモロコシ畑の前に比例して置かれたミセス・レブーフよる描画)
サイト:「UFOs at close sight」から
参考外部=>NICAP (1954 UFO Chronology)

参考外部=>On This Day (September 26)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFOdna (26 Sep 1954- Chabeuil, Rhone- Alpes, France)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: September UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFOs at close sight(The 1954 French flap:)
●ポンセイ・スュール・リニオンUFOクレーター事件(フランス) 1954年10月4日,フランスのポンセイ・スュール・リニオンの畑に着陸したUFO跡の土が吸い上げられ地上に散らばっていた。

10月4日,ポンセイ・スュール・リニオン(Poncey-sur-Lignon)で,ある家庭の主婦が,一機のオレンジ色の物体を目撃した。それは円形で,直径が約3メートルほどあり,中空を飛びまわった後,畑に着陸した。話を聞いた隣人が銃を片手にかけつけた時,地面の土が四辺形に大きく吸い上げられていた。
吸い上げられた四等辺形地帯の土のあとの分析が,警察と調査隊の手で徹底的に行われたが,事件は未解明におわった。

【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』【第1章/ジャック・ヴァレーの分析】,編者:平野威馬雄,1974年

10月5日の夕方7時ちょうど
に,ブルゴーニュ地方のサン・セーヌ・ラペイ(Saint-Seine-l'Abbaye)村の警察に,ポンスイ・シュール・リヨン(Poncey-sur-Lignon)の村長アナトール・カゼイ氏から,電話がかかった。
話によると,空飛ぶ円盤が
昨夜牧場に着陸し,たくさんの人がそれを見たという。そして,円盤は地面に説明のつかない跡を残したということである。
UFO着陸痕は,長さ1.5メートル,一方の端の幅が70センチ,他方の端の幅が50センチで地面の土が吸い上げられて穴になっていた。その穴のなかの土の表面には,白い地虫がまだ動いていた。
穴の中の土は,穴の周囲の半径約4メートルほどの地面に,直径30センチぐらいの固まりになって散らばっていた。
また,穴は地面と底との中間あたりが最も広くなるように土が取り去られていた。
驚くべきことに,普通の方法で穴を掘れば切れるはずの草の根が,どれも無傷のまま,穴の内面の各所に露出していた。要するに,草の根の周囲の土が,強力な真空の力で吸い上げられたとしか思えない状態だった。
このようなUFO着陸痕は,過去,世界中で何千回となく見られているが,この現象はUFOが重力を制御しているという理由以外には説明不可能なのである。

【参考文献】
『UFO&宇宙人の謎』【第3章/UFOのテクノロジーを解明する】,著者:平川陽一,1991年

10月4日
,フランスのポンセ・シュル・リニョン(Poncey-sur-Lignon)で目撃された例では,直径3ヤード(約2.7m)程度の円盤が急激に前進しながら上昇した後で,長さ1ヤード半(約1.4m),幅は,一方が20インチ(約0.5m),端の方が27インチ(約0.7m)程すくいとったような穴が発見されている。
すくいとられた土は4ヤード(約3.7m)の半径の範囲にちらばっていた。穴は地表に近くなる程広がっており,簡単に言うと,大きな真空掃除機で草の周辺の土が吸い上げられたように見える。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.19)』1976年,【続/宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道】



(★Poncey-sur-Lignon事件の記事)
サイト:「ufologie.patrickgross」から
【サイト検索キー: Poncey-sur-Lignon, France, 1954,UFO 】
参考外部=>NICAP(1954 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFOdna(4 Oct 1954- Poncey- sur- Lignon, France)

参考外部=>On This Day(October 4)

参考外部=>ufologie.patrickgross (La vague francaise de 1954:)

参考外部=>ufoinfo.com(The Magonia Database: Part 3: October 3rd 1954- October 18th 1954)

参考外部=>UFOcasebook(A Century of UFO Landings (1868- 1968))
●モンバザン着陸UFO目撃事件(フランス) 1954年10月11日,フランスのアベロン(Aveyron)のモンバザン(Montbazens)で,牧場に着陸しているUFOを複数の人が目撃した。

この日の午後10時ごろ,カリエール氏(Mr.Carriere)の経営する自動車修理工場で,息子のベルナール(Bernard)がすぐ隣の畑から明るい光が近づいてくることに気づいた。
ベルナールが大声でみんな(工場にいた6人)を呼ぶと,全員が走ってきたが,驚いて立ちどまってしまった。 隣りの家の脇に直径3.5mほどの円盤状の物体がとまっていて,それが強力な赤い光を発していた。
誰もその物体に近寄ることをためらっていたが,ガルデル(Mr.Gardelle)という男が,もっとよく見ようとして前に進んだ。
ガルデルが,ほんの数メートル歩きかけたとき,円盤が音もなく地面を離れた。円盤は,地上数メートルまで上昇すると,爆発的な加速度を出し,上空に消えてしまった。
ガルデルは,顔を手で押さえて,よろめくようにあとずさりした。皆がそばへ寄ってみると,ガルデルは息を詰まらせて,あえぎながら,ひどい衝撃に打たれたように,ぼうっとしていたという。 これは,まるで肺の中から空気を叩きだされたようなありさまだったのであろうか?

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.28)』1977年,【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:遠山峻征】

その日の午後10時
,アヴェロン(Aveyron)のモンバザン(Montbazens)で,直径4メートルの円盤が牧場に着陸。強い赤色光を放射して恐ろしいほどのスピードで上昇し,目撃者が近寄った時には中空に消えていた。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』【第1章/ジャック・ヴァレーの分析】,編者:平野威馬雄,1974年


(★エメ・ミシェルが,この日(1954年10月11日)のUFO目撃情報を地図上に記録し,「直線則」を表わしたもの)
サイト:「ufologie.patrickgross.org」から
【サイト検索キー: 【サイト検索キー: montbazon france, 1954, UFO 】 】
参考外部=>ufologie.patrickgross.org(The 1954 French flap:)

参考外部=>NICAP(1954 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFOdna(11 Oct 1954- Montbazens, Midi- Pyrenees, France)

参考外部=>On This Day(October 11)

参考外部=>UFOcasebook(A Century of UFO Landings (1868- 1968))
●ミラノ競技場UFO着陸事件(イタリア) 1954年10月28日,トラダーテ(イタリア)の複数の住人が,使われていない運動競技場に着陸したUFOと宇宙人を目撃した事件。

トラダーテ(Tradate)のある住人が,市の郊外で開かれた野外映画会からの帰り道,ほとんど使われていない運動競技場から煌々と光が洩れていることに気づいた。そこは,かなりガタのきた高い板塀で囲まれていた。
こんな夜更けに,どんな活動がなされているのだろうと,彼は自転車から降りると,塀の割れ目から,内をのぞいた。
すると,そこには蛍光灯のように穏やかな光を発する,かなり大きな物体があった。着陸しているか,地上数インチのところに浮かんでいたかは不明であった。彼と物体の間を動き回る小さな黒い人影が目に入った。 彼は,恐ろしくなり,再び自転車に乗ると,一目散に市の郊外へと向かった。ほんの百ヤードほど行ったところで,農民の一団(30人ほど)に出会った。彼らは集会に出た後の帰り道であった。そして,農民たちはこの男の話を聞くと,一緒に現場へ急行した。
塀の隙間からのぞくと,農夫たちにも男が見たというものが見えた。物体の周りを動き回っていたのは身長が4フィート(1.2メートル)ほどの小さな人間たちで,透明に見えるヘルメットをかぶり,全員が背中に呼吸装置のようなものを背負っていた。
やがて競技場の塀の回りから見ていた目撃者たちは,競技場の中に入りこむと,小さな黒い影は,ちょこちょこと物体へ向かって走り,その底部から中に逃げ込んだ。たちまち,怪物体はブンブンというような音をたて舞い上がり夜空に消えていった。
農民たちは,その前に,手にもっていた何十という腐ったオレンジをそれらに向かって投げつけていた。そのいくつかは,命中したという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>Think AboutIt-REAL(1954:October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>On This Day(October 28)

参考外部=>BBC NEWS (The day UFOs stopped play)

参考外部=MilanoFree.it (U.F.O. su Milano )
●イタリアの小人異星人出現事件
【チェンニーナ事件】


1954年11月1日, イタリア, アレッツオ地方のチェンニーナ(Cennina)町に住むローザ・ロッティ・ネイ・ダイネリ(当時40歳)婦人が紡錘型UFOから現れた小人2人に, 手に持っていたカーネーションの花束とストッキングの片方を奪われた事件。

ローザ・ロッティ・ネイ・ダイネリ(Rosa Lotti Dainelli)が教会に行くため, 右手にカーネーションの花束, 左手に靴とストッキングを持ち, 朝早く家をでた。とっておきの靴を汚したくないため, 靴とストッキングは手に持ち, はだしで歩いていた。
この日の午前6時半ごろのことである。糸杉の根元に高さ2メートルを超す巨大な紡錘(スピンドル)型の物体があるのを発見した。
物体の中間部には丸窓が2つと小さなドアがあり, 開いているドアの中には2つの小さな座席が見えた。 座席は背中合わせに置いてあり, 物体の両面にある丸窓に向いていた。
突然, 物体の後ろから2人の小人が現れ, ローザ婦人に話しかけてきた。 小人は, 1メートルぐらいの身長で灰色の胴着とぴったりしたズボン, それにマントを着けヘルメットをかぶっていた。 人間と同じ顔つきをし, 笑みを浮かべ, 言葉は不明であったが, 発音は中国語に似ていたという。
小人の一人が, 驚いて立ちすくんでいる婦人から, カーネーションの花束とストッキングの片方をもぎとった。 小人は, それを物体の中に投げ入れ, 年上と思われる方の小人が, 座席の下からボール紙に似た丸く茶かっ色の小さな包みを1つ取り出し, それを胸のあたりまで持ちあげて彼女に向けた。婦人はこの時, 相手が写真をとりたいのではないかと思ったという。
しかし, 同時に婦人は夢中で町をめざして逃げ出していた。約100メートル逃げてから後ろを振り向くと, 小人や奇妙な物体はまだ見えたという。走っているうちに恐怖がつのり, 町へたどり着いたときには, 疲労と恐怖で口もきけなかったという。
話を聞いた町の憲兵隊が現場にかけつけたが, 物体のあった地面には, 大きな穴があいていただけであった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)』No.8, 【イタリアの不思議な小人出現事件, 文:セルジオ・コンティ, 訳:志田真人】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ストッキングと花束を奪いとった小人異星人 ,文:片岡道代】



サイト:「OpenMinds」から

この日,
当時25歳で石工をしていたロムアルド・ベルティはアニャーノ修道院から帰ってくる途中, 葉巻のような光るロケットが後尾から炎を発して, チェンニーナの森から垂直に上昇し, ア・ルオティ修道院の方に向かって飛んでいったと証言している。ロケットは, 最初は垂直に上昇していたが, しばらくするとほぼ水平に飛行したという。物体は青味がかった色をしており, 音は聞こえなかった。
当時6歳のアムベリノ・トルツィーニと9歳の兄の二人は, この日の早朝, 自分たちの飼っている豚の世話をしに出たときに, チェンニーナの森で, 一人の女性が男たちと話をしている光景と紡錘型をした物体を目撃した。彼らはそれを何かの動物と見まちがえたと述べている。父親を連れて戻ってきたときには, 物体が残したと思われる穴が残っているだけであった。
フィレンツェの控訴院に勤めているルィージ・ディニは, 自分と娘がほぼ
同時刻に, 奇妙な物体がプラトヌーニョの上空からアレッツォの方向に向かって飛んできて, 徐々にスピードを落として下降していく様子をテラノヴァ・ブラッチョリーニにある自宅のテラスから目撃したと述べている。
この事件が起こった日
(1954年11月1日)の夜11時45分頃,目撃された物体と非常によく似た物体が, 9人の人々によって同じ地域のそれぞれの3ヵ所の異なる場所から目撃されている。

【参考文献】(下記より抜粋・上図も)
『UFOと宇宙(コズモ(No.8))』【イタリアの不思議な小人出現事件, 文:セルジオ・コンティ, 訳:志田真人】, 1974年
参考外部⇒ UFO事件簿(チェンニーナ事件)

参考外部⇒ 怖話(チェンニーナ事件)

参考外部⇒ 妖怪王(チェンニーナ事件・1954年小人宇宙人との遭遇事件)

参考外部⇒ ゼロファイル(チェンニーナ事件)

参考外部⇒ Hatena::Diary(モンテビニキ事件,あるいはチェンニーナ事件の前日譚についての覚書)


【サイト検索キー: Cennina Italy, 1954, ufo 】
参考外部=>UFOdna(1 Nov 1954- Cennina, Italy)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>OpenMinds(The Cennina Italy UFO encounter of 1954 illustrated)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>YouTube(UFO. close encounter- incontro ravvicinato a Cennina 1954)
●サンマルタン・ストーン事件(スペイン)

(★異星人らしき人物からもらった石)

(★サンマルタンが撮ったUFO)
【いずれも『UFOと宇宙』(No.33)から】
1954年11月17日 ,スペインのマドリッド(Madrid)郊外に住むアルベルト・サンマルタン(Alberto Sanmartin)が,夜中にマドリッド大学都市構内で, 異星人らしき人物から薄緑色の石をもらった事件。

午前2時半ごろのこと,サンマルタンは,不思議な力にひき寄せられるように,都市構内を歩きラ・コルナ・ハイウェー(route de Coruna)の橋のたもとまできた。 すると髪の毛が長くウエットスーツのようなものを着けた男に出会った。
男は言葉を話せないのか態度でサンマルタンに親愛の情を示し,長さ12センチ,幅4センチ,厚さが2センチほどの薄緑色をした石を受け取るような身ぶりを示した。サンマルタンがその石を受け取ると,男は背を向けて橋の付近で見えなくなった。すると,橋の下の方の空き地からドーム型の円盤が光りながら飛び立っていった。
朝,その空き地に行ってみると,円盤が着陸したような焼け焦げた着陸痕を発見した。
受け取った石の表面には不思議な文字のようなものが彫られていた。 サンマルタンは,石の正体を探ろうとあちこちの研究室をたずねた。その後,サンマルタンは,石の研究を深めるため,ブラジルに移住した。
1965年,サンパウロ郊外でUFOを目撃し8枚の連続写真の撮影に成功する。2年後1967年にも同じようなUFOを目撃し連続写真の撮影に成功した。
撮影したUFOはいずれも肉眼では見えにくいボンヤリしたものであった。 写真は暗めに焼いたが,驚いたことに写真に写ったUFOは一枚づつ形を変えていたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年4月号(No.33),「私は宇宙人を見た!−サンマルタン・ストーンの謎」,文:矢追純一



サイト:「rr0.org」から
【サイト検索キー: Madrid Spain, Alberto Sanmartin, 1954, ufo 】

参考外部=>elojocritico.info(LA PIEDRA DEL ESPACIO: HISTORIA DE UN FRAUDE COMPARTIDO)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFOdna(17 Nov 1954- Madrid, Spain)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>rr0.org(Alberto Sanmartin Comes)
●ゴンザレス宇宙人格闘事件(ベネズエラ)


『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』から



サイト:「NOUFORS」から
1954年11月29日午前2時ごろ,トラック運転者が道路上のUFO近くにいた毛むくじゃらの怪物と格闘した事件。

ベネズエラ(Venezuela)のカラカス(Caracas)とペタレ(Petare)を結ぶ道路上に直径3メートル以上もある球形の物体が道路上に滞空していた。
トラックを降りた運転手のグスターヴォ・ゴンザレス(Gustavo Gonzales)に,物体の近くにいた爪をはやしたギョロ目の怪物が近づいてきた。 ゴンザレスは思わずその怪物に背負い投げをくらわそうとしたら,思わぬ軽さにびっくりした。 怪物は毛むくじゃらでカチカチに固いこがらな怪物だった。反対に一撃を受けたゴンザレスは4,5メートルもつきとばされた。
もう一人の運転者ホセ・ポンチェ(Jose Ponce)が警察に走ろうとすると,もう二人の怪物が物体の中から手に武器のようなものを持って出てきた。 危険を感じたゴンザレスはナイフで相手に抵抗した。 だが,相手の体は石のように固くびくともしなかった。怪物の一人が手に持った小さな管から光線をだし,ゴンザレスの眼を照射した。 ゴンザレスは眼がくらみ抵抗をやめた。
ポンチェはこのとき,近くの茂みから二人か三人の怪物が土か岩のようなものを腕いっぱいにかかえてとび出してくるのを見た。怪物たちは物体の中に戻ってしまうと,物体は音もなく上昇し消えてしまったという。

【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年


ゴンサレスは警察署へ走って行き,相棒のポンセの2分後に到着した。
最初,警察は男たちが酔っぱらっているか,頭がおかしいと考えた。呼ばれた医師は二人ともショックを受けているが,酒はのんでいないと診断した。
ゴンサレスは,左の脇腹の下にある長くて深いひっかき傷を治療してもらい,鎮静剤を打たれた。
この事件の一部始終を目撃していた者がいた。カラカス(Caracas)の著名な外科医で,夜間の往診の途中で,ゴンサレスが物体と出会った時,彼の車はゴンサレスの後ろにいたのであった。
しかし,医師は馬鹿にされるのがいやで,二人の報告を裏づける気にはなれなかったということであった。のちに公式の報告書には名前を出さないという保証を取りつけてから,医師は警察に供述した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎




サイト:「XENLife」より
参考外部⇒ GA Site(第7章 現代のUFO 第3話宇宙よりの来訪者)



【サイト検索キー:Gustavo Gonzales 1954 UFO 】
参考外部サイト=>URECAT(NOVEMBER 29, 1954, PETARE, MIRANDA, VENEZUELA, GUSTAVO GONZALES AND JOSE PONCE:)

参考外部=>MysteriousUniverse (Hairy Dwarfs on the Rampage)

参考外部=>Inexplicata- The Journal of Hispanic Ufology(Venezuela: A Classic CE3K Revisited- The 1954 Jose Ponce / Gustavo Gonzalez Incident)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>XENLife(Alien Abduction And Close Encounter Defined)
●カロラ宇宙人誘拐未遂事件(ベネズエラ) 1954年12月10日の夕方,うさぎ狩りをして帰る途中の2人の少年が,ベネズエラのカロラというところで,4匹の小さな毛むくじゃらの怪物に誘拐されかけた事件。

ロレンソ・フロレス(Lorenzo Flores-10歳)とヘスス・ゴメス(Jesus Gomez-12歳)の2人の少年が,チコとセルロ・デ・ラ・トレス・トルレス(Chico-Cerro de las Tres Torres)間のアンデス横断ハイウェーのそばで,うさぎ狩りをして帰る途中,カロラ(Carora)近くのハイウェーの端を歩いていると,45mほど向こうの道路わきの茂みに,キラキラ光る金属製の物体があることに気づいた。
自動車がスリップして道路から飛び出したのだろうと思い,近づいていくと,その物体は自動車ではなく,スープ皿を2つ重ねたような形をして自動車の2倍くらいの大きさだった。物体は90cmほどの高さに浮かび,底の部分から炎を噴射していた。
その物体にみとれていた2人の後ろから,突然,4匹の小さな毛むくじゃらの怪物(身長は約3フィート;90cm)が現われ, そのうちの2匹がゴメスをつかみ,物体のほうへ引きずっていこうとした。
フロレスはウサギ狩りで使った猟銃(古いショットガン)で撃とうとしたが,弾が無くなっていたため,その銃身を握って,力いっぱい1匹の怪物に振りおろした。 怪物は,まるで岩を殴っているようであったが,何度も殴っているうちに銃は折れてしまった。怪物たちは,ゴメスをはなして物体のなかに逃げていった。
2人は現場から走って逃げだし,途中でハイウェイ・パトロールの事務所に飛び込んだ。
そこに着いた時,二人の衣服はひどく破れていて,深いひっかき傷を負っていた。
翌朝,警官たちを遭遇現場に案内すると,格闘らしきものがおこなわれたことを示す証拠が大量に見つかった。フロレスが使った折れたショットガンも発見された。しかし,わずかに焦げた茂みを除けば,小さな怪物やその乗り物がいたという痕跡は見つからなかった。

2人が遭遇した怪物は,ゴンザレスが遭遇した怪物(ゴンザレス宇宙人格闘事件)と同じものであろうと言われる。

【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26),【UFOと謎の奇怪な生物,文:グレイ・バーカー,訳:木戸淳子】,1977年

『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎


サイト:「UFO Craft - Angelfire」から
【サイト検索キー:chico, venezuela, 10 december 1954 ufo 】

参考外部=>MysticFiles(Amazing UFO Sightings From Around the World: South America)

参考外部=>UFO DNA(10 Dec 1954- Chico- Cerro de las Tres Torres, Venezuela)

参考外部=>On Dhis Day(Encounters with Aliens on this Day; December 10)

参考外部=>ufoinfo.com(The Magonia Database: Part 4: October 19th 1954- August 25th 1955)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: December UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFO Craft- Angelfire(ET- Short Height)
●カンピナスUFO金属噴出事件(ブラジル) 1954年12月14日,ブラジルのカンピナスに現れた3機のUFOのうち1機が下面から銀色に輝く液体をしたたり落とした。

この日の午後,カンピナス(Campinas−ブラジル南東部の内陸都市)に現れた3機のUFOを多数の人々が目撃した。
3機のうちの一つは,激しく振動し,高度を維持するのが大変なように見えた。他の2機の円盤は,その円盤をまるで助けでもするかのように,その周囲をゆっくりと旋回している。不自然に振動する円盤が,約300フィート(約91m)の高度まで落ちた時,ドシンという低く響く音を発した。音は時々起こる振動と同期して聞こえるようだった。
他の2機の円盤が,その円盤のすぐそばまで来たとき,それは急に傾き,がくんがくんと前進し始めた。すると,銀色に輝く液体が細い流れとなって円盤の下面からしたたり落ちた。一瞬後,円盤は低いブーンという音とともに水平飛行に移った・・・そして3機の円盤は,そろって上昇し始め,すぐに雲中へ姿を消した。
ただちに当局は,UFOから地上に銀色の物質が落下したと伝えられる地域の調査に取りかかった。すると点々と飛び散ったような金属が,屋根の上や歩道や街路,ある場合には戸外に干してあった衣類にかかっているのが見つかった。
この物質は,数オンス(1オンスは約28g)ほどで(正確な数値は発表されていない),ブラジル政府が保管にあたっている。
後の記者会見で,政府のスポークスマンは問題の物質が錫(すず)であることを認めたが,それ以上のことはほとんど何も明らかにしなかった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章/破片を集めろ!】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎



サイト:「The Big Study」から
【サイト検索キー: Campinas, 1954 UFO 】
参考外部=>UFO DNA(UFO Sightings in 1954)

参考外部=>UFO DNA(14 Dec 1954- Campinas, Sao Paulo, Brazil)

参考外部=>UFO HUNTERS(Campinas, Sao Paulo (Brazil))

参考外部=>UFO PORTUGAL(Campinas, 1954- Caso “LLUVIA DE PLATA” -Re- estudio)

参考外部=>The Big Study (FSR Volume 8 #3: May- June 1962)
●ヘスス・パス宇宙人傷害事件(ベネズエラ) 1954年12月16日,サン・カルロス・デル・スリア郊外にある公園で,ヘスス・パスが毛むくじゃらの怪物に襲われ昏倒した事件。

この日の夜,3人の若者たちがサン・カルロス・デル・スリア(San Carlos Del Zulia)のレストランで食事をしたのち,車に同乗して家路についていた。
途中,公園までくると,3人のなかの1人,ヘスス・パス(Jesus Paz)が小用のため車を止めるよう頼んだ。そしてパスが車をおり,ものの十歩と歩かないうちに悲鳴をあげて助けを求めた。
友人たちが彼を助けようと駆けつけると,パスが血まみれになって気絶して地面に横たわっていた。少し離れたところを,人間に似た毛むくじゃらの小さな生き物が,芝生のところにある円盤型の光る物体に向かって走っていた。
パスの連れの1人である州軍兵士のルイス・メヒアは,とてつもない振動音をあげて離陸し始めた円盤に,石を拾って投げつけたが,それが精一杯の反撃であった。
パスは急いで,市内の病院に運ばれた。体には鉤爪の痕のような深いひっかき傷が,右脇から背骨にかけて斜めに走っていた。
パスの証言によると,公園の背の高い花を植えた花壇のそばを歩いていくと,いきなり彼はつまずきそうになった。見ると足元で毛むくじゃらの小人のような生き物が花を調べていた。 パスは逃げようとして向きを変えたところで,その生き物に襲われた。最初は爪でシャツを裂かれ,次に首の後ろを殴られたので,パスは昏倒したという。

パスが遭遇した怪物は,ゴンザレスが遭遇した怪物(ゴンザレス宇宙人格闘事件)と同じものであろうと言われる。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎
【サイト検索キー:San Carlos Del Zulia, venezuela, 16 december 1954 ufo 】
参考外部サイト=>
UFO DNA(16 Dec 1954 - San Carlos del Zulia, Zulia, Venezuela)

参考外部サイト=>ThinkAboutit-Docs(1954: Earth Vs The Hairy Dwarves)


参考外部サイト=>On Dhis Day(Encounters with Aliens on this Day; December 16)

参考外部サイト=>MysticFiles(Amazing UFO Sightings From Around the World: South America)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1954: December UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFO DNA(16 Dec 1954 - San Carlos del Zulia, Zulia, Venezuela)
●アップル・ヴァレイUFO目撃事件(アメリカ) 1954年12月16日,カルフォルニア州ヴィクトルヴィル(Victorville)近くのアップル・ヴァレイ(Apple Valley)上空の葉巻型UFOをハート・T・グットマンが目撃した。

目撃者のハート・T・グットマン(Hart T. Goodman)は,航空,レーダー飛行,観測などの豊かな経験を持つ者であるが,
この日の午後6時ごろから翌日の正午ごろまで,アップル・ヴァレイ宿屋(Apple Valley Inn)上空25,000フィートで滞空していた葉巻型をした銀色に光り輝く物体を目撃することができた。
その夜のうちは,物体は赤オレンジ色の輝きとして現われていたが,夜明けとともに白銀色に変わっていった。
肉眼で容易に見ることができたが,7 X 50の双眼鏡で朝方それを観測し,より詳細に確認することができた。この物体の長さはB-29(爆撃機)の約2倍半はあり,底部近くの一端に,2つの舷窓があり,全体が一列のボルトあるいは小さな穴で区切られているように見えた。
一緒に目撃していた人は50人ほどいたが,その中には,州警備官補2名,医者1名,アップルヴァレイ宿屋の支配人と従業員の大部分,宿泊中の少なくとも20名ほどの客がいる。

【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年





(★グットマン氏が目撃したUFOのスケッチ)
サイト:「PROJECT 1947」から
【サイト検索キー: Apple Valley, 1954, ufo 】

参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS - 1954)
 
1955年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1955年UFO情報 参考外部=>PROJECT 1947 (UFO REPORTS- 1955)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1955 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1955)

参考外部=>NICAP(1955 UFO Chronology)

参考外部=>intcat(INTCAT 1955)
●ネバダ核実験(ティーポット)UFO出現事件(アメリカ) 1955年3月11日,ネバダ核実験場での爆発実験(ティーポット)に関連してUFOが出現した。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

ティーポット作戦(Operation Teapot)の核爆発実験においても,発生したフォールアウト(放射性降下物)に関連してのUFOの出現が目撃された。

実験名:「タルク(Turk)」。爆弾は43キロトン。起爆は,
1955年3月7日午前5時20分(太平洋標準時)。
放射性雲
3月10日までに高度10,000フィートの放射性粒子雲の軌道は,アイオワ州東部,イリノイ州北西部,ウィスコンシン州南部を横断した。
さらに
3月9日と10日,大量の放射性降下物が降雨のようにアイオワ州南部を横切りイリノイ州北部の大半を覆った。
UFOの目撃
3月11日午後4時18分,アイオワ州クリントンで,K・B・ハーシャル(K.B.Hershire)は,1個の白色楕円形で雲状の物体が,西から東へと急速に移動しているのを目撃した。
同日午後7時50分,ウィスコンシン州マディソンでローレンス・グラブルは,上空を恐ろしいスピードで南西から北東へと飛ぶ燐光を発する物体を目撃した。
さらにこのティーポット爆発実験に参加したフレッド・フォス元伍長は,実験と実験の間の
ある日の夕刻,インディアンスプリングス空軍基地付近で,赤やオレンジの光を放射しながら実験場の方向へ飛行する葉巻型物体を目撃した。


実験名:「アップル-1(Apple-1)」。爆弾は14キロトン。起爆は,1955年3月29日午前4時55分
実験名:「ワスプ・プライム(Wasp Prime)」。爆弾は3.5キロトン。起爆は,1955年3月29日午前10時00分
放射性雲:高度30,000フィートでの放射性雲の帯が,ユタ州,ニューメキシコ州を越え,重度の放射性降下物がネバダ,アイダホ,ユタ,コロラド,アリゾナ,ニューメキシコの各州を覆った。
3月29日から4月3日まで,これらの州は途切れないほどの放射性降下物に見舞われた。
UFOの目撃
4月6日付『アラモゴルドディリーニュース』紙は,「州上空に火球シャワー」というタイトルで核実験を論評した。
事実,
その前夜,3〜4個の火球が間をおかずに続けて報告された。4月8日午後9時25分には,アルバカーキにも青緑色の火球が現われ,3人の住民によって目撃され,翌日の地方紙に掲載された。


実験名:「メット(MET)」。爆弾は22キロトン。起爆は,1955年4月15日午前11時15分
放射性雲
4月23〜24日までに放射性降下物がアイオワ,ネブラスカ,カンザス,イリノイの各州の一部の地上を覆った。
UFOの目撃
4月25日午前1時00分頃,1個の強烈に明るい閃光を放つ物体が,南西部アイオワ州とネブラスカ州南東部の空を輝かせた。
4月27日午前1時頃,アイオワ州ハイウェーパトロールのジョン・エバートは,突然全天が明るくなったのを見て飛行機の墜落炎上かと思ったが,フロントガラスから見るとそれは1個の光体であった。
ネブラスカの住民も,やはり
午前1時30分頃,地上に衝突したような炎を目撃している。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Teapot)

参考外部=>YouTube(HD Operation Teapot MET shot 1955 atomic bomb exploded footage remaster color)

参考外部=>YouTube(Operation Cue- 1955 Operation Teapot, Nuclear Tests, Apple-2, Nevada Test Site 40960 HD)

参考外部=>カラパイア(ネバダの幽霊:1955年の米国原爆実験未公開写真,テストに使われたマネキンたち)

参考外部=>NICAP(The 1955 UFO Chronology)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1955)

参考外部=>UFOdna(11 Mar 1955- Clinton, Iowa, USA)
●ブランチヒル小人宇宙人遭遇事件(アメリカ)


(★目撃されたアンバランスな体型の怪人たち)
(IIIust/SKYLOOK no.84)
『宇宙人の死体写真集2』から
1955年5月25日,オハイオ州ラブランドのロバート・ハニカットは, 夜中 にブランチヒルの道路わきに立っていた3人の異様な怪人を目撃した。

この日の午前3時30分ごろ ,コックのロバート・ハニカット(Mr. Robert Hunnicutt)は仕事を終えラブランドから帰宅する途中,ブランチヒル(Branch Hill)にあるホープウェル道路の近くにさしかかったとき, 右手の草むらに三人の男がしゃがんでいるのが目に入った。ところが,車のライトに照らし出されたのは人間とは似ても似つかぬ生物だった。
彼らは背が低く,道路の反対側を向いて,ほぼ三角形を作るように位置していた。一人が道路に接近して立ち,あとの二人は後方の両脇に立っていた。
前方の生物は,棒か鎖のようなものを両手の間に握って,両腕を頭上30センチほどのところまであげていた。 その棒のようなものの上下にそって,青白い火花のようなものが両手の間を行き来していた。
ハニカットは車を停め外に出ると,前方にいた生物が腕を脚のあたりまで下げた。 手にしていた棒のようなものを,両足の踵(かかと)のところに巻きつけたように見えたという。 そして三人が同時にこちらを向いたため,ハニカットをまともに見つめる形になったが,彼らは何の表情も示さなかった。
車のライトがあたっていたため,ハニカットは生物たちを細かく観察することができた。 いずれもヒューマノイド・タイプで,身長は1メートル強で,顔も衣服も同じグレイ色をしていた。口は唇らしいものがなく, 横一文字で顔の下半分に横に拡がっていたためカエルを思わせた。鼻は特徴がなく,目も眉毛がない点を除けばごく普通だった。 頭頂部は禿げており,贅肉が何本か横に走っていて,ペンキで描いた人形の髪の毛のようにウェーブしていた。
最も特徴的だったのは上半身で,胸があきらかにアンバランスだった。右胸が脇の下から腰のあたりまで異様に膨れていて,非対称だった。 それにともなって腕も長さが違い,右が左よりも長かった。
ハニカットの車は,ヒューマノイドたちから6メートルほど離れた場所にあった。 彼は車の左手から正面に回り,彼らに近づこうとして左のフェンダーのところまで進んだとき,彼らは同時にやや前進した。 明らかにそれ以上接近してはならないという態度を示した。
ハニカットは不気味に感じ,数分して立ち去ろうと車に乗り込んだとき,突然強烈な悪臭を感じた。 それは刈り取ったばかりのアルファルファ草に少しのアーモンドを混ぜたような臭いだった。
尋常でないものに遭遇したと悟ったハニカットは,恐ろしくなって車を飛ばすと,そのまま警察署長のジョン・フリッツの自宅へ駆け込んだ。
朝の4時にたたき起こされた警察署長は急いで現場に駆けつけ調査をしたが,異常なものは何も発見できなかった。
事件が起きてから
1年3ケ月ほど後に,フリッツ署長から話を聞いたUFO研究家のテッド・ブローチャードとレオナード・ストリングフィールドは, 目撃者のハニカットのもとを訪れ,当時の状況を聞き出した。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(オハイオに出現したアンバランスな体型の小人宇宙人)
参考外部⇒ 怪奇動画ファイル(UMAカエル男・・・)

参考外部⇒ UMA図鑑(UMA図鑑47・・・)


参考外部⇒ UFO事件簿(未整理写真集その2)





【サイト検索キー: Branch Hill Ohio, 1955, ufo 】
参考外部=>UFOdna(25 May 1955- Branch Hill, Ohio, USA)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1955: March UFO & Alien Sightings )

参考外部=>En.Wikipedia(Loveland frog)

参考外部=>intcat(INTCAT 1955)

参考外部=>FANDOM(Ohio Bridge Trolls)
●ホプキンスビル怪物襲撃事件(アメリカ)

『ムー』1979年創刊号から
1955年8月21日の夜間 ,ケンタッキー州ホプキンスビル(Hopkinsville)にあるケリー(Kelly)という集落のガイザー・マッギー農場に住む住民が,身長1メートルほどで銀色に光る怪物に襲撃された事件。8人の大人と3人の子供が現場に居合わせた。

この農場はサットン(Sutton)一家のものであるが,
夕方,庭の井戸で水を飲んでいたビリー・テーラー(Billy Ray Taylor;サットン家の友人)が,虹色に光る物体が近くの渓谷に落下するのを目撃していた。
夜間
に犬がけたたましく吠えていたため,エルマー・サットン(Elmer “Lucky” Sutton-25歳)とビリー・テーラー(21歳)の2人が銃をもち様子を見に行くと, 闇の中に銀色に光る怪物が宙を浮くように近づいてきた。それは1.4メートルほどの小人で,頭が大きく腕が異常に長く目は大きく黄色く輝いていた。
2人は,家の裏口まであと6メートルの距離に近づいた怪物に発砲した。手ごたえはあったが怪物はちょこちょこと歩き暗闇に消えた。 怪物は家のまわりに何度も現われ,そのたびに銃に撃たれたが不死身のようであったという。
サットン一家は恐怖にかられ,
11時すぎ全員で自動車で警察に向かった。警官を伴い農場に戻り調査したが足跡さえ発見できなかった。 警官が帰りしばらくは静かだったが,また怪物が現われて朝まで"鬼ごっこ"を繰り返した。 日が昇るころに,怪物は現れなくなったという。
【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.33号,1978年,【私は宇宙人を見た!】
『ムー』1979年創刊号,【異星人は敵か,味方か?】
『宇宙人の死体写真集』【第2章/七つの古典的な宇宙人遭遇事件】,1989年


(提供:CUFOS)
サイト:「NICAP」から
参考外部⇒ UFO事件簿(ホプキンスビル事件)

参考外部⇒ リアルライブ(宇宙人と銃撃戦を繰り広げた男たち「ホプキンスビルの宇宙人襲撃事件」)

参考外部⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(ホプキンスビル・恐怖の一夜)


参考外部=>Think AboutIt- REAL(1955: THE HOPKINSVILLE ALIEN INVASION)

参考外部=>NICAP(1955 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Sutton (Kelly / Hopkinsville) Encounter)

参考外部=>NICAP(The Sutton (Kelly/Hopkinsville) Encounter)

参考外部=>intcat(INTCAT 1955)
●ジョウゼフ・バンデルカUFO遭遇事件(オーストリア)


★遭遇したUFO
(IIIust/FSR vol.24,no.6)
『宇宙人の死体写真集2』から
1955年8月末か9月初めのこと,ウィーンの森の中で,ジョウゼフ・バンデルカ(Josef Wanderka -26歳)というオーストリア人がUFOに遭遇し,UFO内にも搭乗した。

彼はバイクでウィーン(Vienna)郊外をツーリングしていた。
午後3時ごろのことである。 ウィーンから25キロほど南西にある森林地帯を走っていると,20メートルばかり向こうの空き地に,鈍い色の金属製の円盤が゙着陸していた。
円盤の幅は10〜12メートル,高さが2.5メートルほどで,窓もなく着陸脚もなかった。 側面に長方形をした開口部があり,そこから地面に長さが4メートルほどの傾斜路が伸びていた。
バンデルカは,バイクにまたがったまま,傾斜路を登り円盤内に入ってみた。 機内は照明されており,1.8メートルぐらいの人物が5,6人いて彼を取り巻いた。
彼らは,まるで6歳から10歳までの子供のような美しい顔立ちをしていた。 全員が同じグレイの模様のないオーバーオールを着ていた。縫目もなく足の先までつながっていた。 手は指なしの長手袋でおおっていた。髪は中ぐらいの長さのブロンドで,後頭部をずきんのようなもので包んでいた。
バンデルカは,住所と氏名を名乗り,無礼を謝罪した。 すると彼らは,流ちょうなドイツ語で,自分たちはカシオペア座のトップ・ポイントから来たことを告げた。 バンデルカは,地球の政治体制について説明したが,あまり興味を示さないようだった。
バンデルカは,立ち去る際に挨拶すると,彼らは東洋風にお辞儀をして返礼したという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(ウィーンの森の中に着陸していたUFOの搭乗員)



サイト:「skillssolon.com」から
参考外部=>Think AboutIt- REAL(1955: August UFO & Alien Sightings)

参考外部=>URECAT(SEPTEMBER 1955, ARBESTHAL, BRUCK AN DER LEITHA, AUSTRIA, JOSEF WANDERKA)

参考外部=>UFOdna(In Mid- 1955 - Wien (Vienna), Austria)

参考外部=>skillssolon.com

参考外部=>intcat(INTCAT 1955)
●フランク・ホルステッドUFO目撃事件(アメリカ) 1955年11月1日,天文学者のフランク・ホルステッド(Frank August Halstead)博士は,ラスベガスの西100マイル(約160km)のモハヴェ砂漠(Mojave Desert)で,列車の中から葉巻型のUFOを目撃した。

カルフォルニア(California)に向かう列車の窓側に座っていた妻のアン(Ann)が,その物体を見つけた。
それは,列車から見える山脈(列車は山脈と並行に走っていた)の頂上をかすめるようにキラキラ光りながら列車と同じ方向へ動いていた。
はじめはプリンプ(blimp-軟式小型飛行船)だと思った博士だったが,じっと見ているうちに,プリンプでないことに気づいた。プリンプは200フィート(約60m)ほどのものであるが,その物体は,なんと長さが800フィート(約240m)もある巨大なものであった。物体は山際すれすれを飛んでいたので,木立や林を比較対照にしての目測が可能であった。
4,5分間,列車と並行して動く物体を観測しているうちに,別の物体が加わったことに気づいた。この第二の物体は,急に第一の物体のうしろに現れた。第一の物体の陰(向こう側)にいたらしい。
第二の物体は,円盤状でキラキラ光っていた。大きさは100フィート(約30m)ほどで,底部が平らで,上側に低いドームがついていた。
二つの物体は,列車とほぼ同じスピードで,山の尾根ぎりぎりのところを飛んでいるように見えた。列車からの距離は500フィート(約150m)ほどだったという。
2,3分たつと,その二つの物体は,ゆっくり上昇しはじめたが,数秒後にはぐっと速度をあげて,15秒か20秒すぎた時には,列車の窓から見えないほどの上空にいた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・空を飛ぶもの】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>Find A Grave(Frank August Halstead)

参考外部=>探究調査室(超一流の科学者が円盤を認める!)

参考外部=>阿修羅(フランク・エドワーズの円盤研究)



【サイト検索キー: Frank Halstead, Mojave Desert, 1955, ufo 】
参考外部=>theblackvault(A List of UFO Sightings by Astronomers (Compiled in 2000))

参考外部=>Discover(Why astronomers don't report UFOs)

参考外部=>ISSUU(The UFO Evidence)

参考外部=>NICAP(Chapter 7)

参考外部=>EducatingHumanity(Astronomers who claimed to have seen UFOs)
●ジーン・ミラー(パイロット)UFO遭遇事件(アメリカ) 1955年11月14日,カルフォルニア州バンニング(Banning)までのチャーター旅客便を操縦中のジーン・H・ミラーが,UFOに遭遇した。ミラー氏が着陸ライトを点滅するとUFOもライトを点滅して応答した。

この日の夕方,6時30分ごろ,アリゾナ州フェニックス(Phoenix)からカルフォルニア州バンニング(Banning)までのチャーター旅客便があった。操縦しているのはカルフォルニア州バンニングの市営飛行場の支配人で,民間航空のベテランパイロットであるジーン・H・ミラー(Gene Miller)であった。
彼が,操縦している飛行機はパイパー・トリペイサーで,客はカルフォルニア州レッドランズ(Redlands)からの医者が一人である。月は西方に沈んで
一時間ほどで,外はもう真っ暗であった。
機の進路は磁石方角290度,高度は5,000フィート(約1,500m)である。デサート・ホット・スプリングスという小さな町にさしかかった時,機と同高度で右前方30度,7〜8マイル(11〜13km)の位置に一個の白い発光体を認めた。彼はそれを
1分間ほど見守った後,乗客にも示した。
すると,物体は機に向かって近づいてきた。衝突を避けようと,ミラー氏は機器を操作した。が,物体はますます接近してくる気配を示したので,彼は着陸用ライトを2度点灯した。すると,物体はすぐさまライトを消し,すぐにまた点灯し,これを2度繰り返した。
物体は,飛行機などではなかった。飛行機はあんなに大きなライトは備えていないはずだからだ。
2分ほどすると,物体はさらに接近してきたが,速度はそれほどでもなかった。だが,機体との距離は1マイル(1.6km)ちょっととなり,回避体勢をとらなければならなかった。だが,その前に彼は再び着陸用ライトを3度点滅させた。すると不思議なことに,物体はまたしても3度の点滅で応答してきたのだ。
彼は機体を減速し降下させようとすると,物体は急に接近するのをやめ,後退をはじめ,やがて遠ざかっていった。遠ざかる速度は接近の時より,はるかに高速であった。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年
【サイト検索キー: Banning California, Gene Miller, November 1955, ufo 】

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1955: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>UFOdna(14 Nov 1955 - Banning, California, USA)

参考外部=>nicap.org(The UFO Evidence)
 
1956年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1956年UFO情報 参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1956 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1956)

参考外部=>NICAP(1956 UFO Chronology)

参考外部=>intcat(INTCAT 1956)
●エリザベス・クラーラー異星人遭遇事件(南アフリカ)


サイト:「UFO- FYI」から


(★エイコンの肖像画)
サイト:「FANDOM」から
1956年4月7日, 南アフリカのドラケンスバーグ山脈の麓にあるモーイ川流域で, エリザベス・クラーラー(Elizabeth Klarer)が, 着陸した円盤に搭乗し異星人とコンタクトした事件。

南アフリカ(South African)のプレトリア在住のUFO研究家エドガー・シーバース(Edgar Sievers)の伝えるところでは,
1956年4月7日の朝, ドラケンスバーグ(Drakensberg)山脈の麓でナタール地方(Natal Province)を流れるムーイ川(Mooi River)流域の, ある丘に着陸した円盤の中から出てきた乗員に, エリザベス・クラーラー(Mrs Elizabeth Klarer Fielding)という婦人が会見し, 彼女は円盤に同乗したという。
クラーラーは7歳の頃に円盤を目撃(フットボール大のオレンジ色の物体)し, 再び目撃する事を望んでいた。
1954年12月27日の午前10時頃, 自宅近くの丘を散歩中のクラーラーは, 再び円盤を目撃することができた。円盤は, 北側の斜面上を何度も旋回し, やがて彼女に近づいてきた。彼女は円盤窓内の乗員の顔をはっきり見ることができた。それは, ブロンドの髪と灰色の目を持ち, 彼女がそれまで出会ったどの男性よりもハンサムであった。しかし, 恐れを感じた彼女は後づさりをしてしまった。
円盤は飛び去ってしまったが, それからというもの, もう一度チャンスをつかみたいと思い, 毎日のように丘に登るようになった。
事件が起こる
前日の1956年4月6日に, いつもの丘に登りたいという衝動にかられ, 旅行先のダーバンから家に戻ったという。そして, 翌日朝早く家を出て, 丘の南側斜面の頂上に立つと, まだ朝日の当たらない東側斜面に円盤が着陸していた。
円盤に向かって駆け寄ると, あの日(
12月27日)目撃したあのブロンドの男が立っていた。彼女が手をさしのべると, 男はクラーラーの手を取り, 完璧な英語で「今度は恐くないですね」と言って, 彼女を円盤内に招き入れた。
円盤の中の空気は, 驚くほど新鮮で, 床下からはハミングのような静かな音が聞こえ, 気持ちを和らげた。
窓は4つあり, そのうち3つの覆いが外されたので外を眺めようとしたが, 円盤の胴体が邪魔して下の方を見ることができなかった。
操縦装置のそばに座っているもう一人の男がいた。男は色が黒く背が高くなかったので, 「あなたがたは, ロシア人ではないんでしょうね」と聞くと, 彼は, 金星から来たことを伝えた。
彼らの服装は, 上衣とズボンが, それぞれ手首とくるぶしで細くなったデザインで, 身体にフィットした暗褐色のスーツで, 素材は目の粗いナイロンのように見えた。
しばらくたつと, 彼らは新鮮な水と, リンゴやバナナに似たおいしい果物をくれた。それを食べ終えると, 彼らはクラーラーにいろいろ説明をしてくれた。
やがて, 彼らはクラーラーの息子デビッドが病気であることを教えてくれ, 円盤を元の場所に着陸させ, 彼女を地上におろし, ゆっくりと南の空に消えていった。
それから
3か月後の7月17日, 彼女は娘のカメラで, 円盤を撮影することに成功した。フィルムを調査したエドガー・シーバース(Edgar Sievers)によると, 円盤の直径は約15〜18mで, ドームはアダムスキーアリンガムに見られるような半球状ではなく, 平たいものであった。
その後, 彼女はこの金星人と名のる異星人と数度コンタクトを重ねたという。
【参考文献】
『UFOと宇宙(No.24)』【特集/戦後UFO30年史・南アフリカのUFO同乗事件】,1977年


宇宙船のキャビンに入ると,彼は柔らかい円形のベンチに私を下ろした。コントロール・パネルで腰かけていた男性は目を上げ,ハンサムな顔に歓迎の笑みを浮かべた。
突然,私はドアが閉まるのを目にした。それは音もなく自動的に閉まった。
ただ,滑らかな壁が,柔らかく輝く光で照らされているだけでも,それは地表で浴びる日光と同様に自然なものだった。キャビン全体がこの柔らかい反射光で光っていた。その光は影を作らず,ワイヤーやケーブルが接続されているようには見えなかった。
私が柔らかなベンチにもたれかかると,彼は静かに言った。
「私の名前はエイコン(Akon)です。私は科学者で自分たちの太陽系を越えてたくさんの惑星を訪れました」
彼の髪の毛はストレートで長く,耳の後ろで首筋まで達していた。そして,銀色の光沢で揺らめく,体に密着する無地の服を着ていた。それは,すべてが一体化したワンピースとなっていて,光るナイロンのように軽く快適そうだった。
彼たちは,地球の影のように,青い暗がりの中へと移動した。その時,宇宙船の壁と天井は色を変え,さまざまな色の星々が明るい光で輝いた。地球という遠くの球体−青と白の天体,生命の故郷,はるかな遠方へ来たと感じた。

【参考文献】(下記より抜粋引用)
『光速の壁を超えて』【第3章/地球人がまだ知らない光の秘密】, 2016年, 著:エリザベス・クラーラー, 訳:ケイ・ミズモリ



(★惑星メトンのエイコンの家)
サイト:「universe-people.com」から
参考外部=>Think AboutIt- REAL(1956: April UFO & Alien Sightings)

参考外部=>intcat(INTCAT 1956)

参考外部=>En.Wikipedia(Elizabeth Klarer)

参考外部=>UFO- FYI(UFOs One Year at a Time: 1956)

参考外部=>YouTube(Beyond the Light Barrier ; Elizabeth Klarer (Documentary))

参考外部=>YouTube(Elizabeth Klarer Live speech of her UFO experiences full)

参考外部=>YouTube(Uzayli Varlik ile Yasanan Ask ; Elizabeth Klarer Olayi)

参考外部=>FANDOM(Elizabeth Klarer)

参考外部=>universe- people.com(BEYOND THE LIGHT BARRIER)

参考外部=>zamandayolculuk. com(Elizabeth Klarer)
●バッド・ペカロ少年UFO目撃事件(アメリカ) 1956年4月下旬, 家族と自動車で旅行中のバッド・ペカロ少年が, ハイウェイ上から葉巻型のUFOを目撃した。

その朝, 自動車は, アリゾナ州テンプ(フェニックスとタクスンの間)に向けてハイウェイを走っていた。バッドの父が,車の右前方上空に妙な物体が飛んでいることに気づいた。
父が指さす方向を見ると, 確かに銀色の細長い物体が一つ, 何かを噴射しながら, 右手の方角に飛んでいくのが見えた。
バッドは, 大型の双眼鏡を取りだし, 焦点を合わせようとしたが, うまくいかなかった。しかし, 物体は中央部に黒い斑点か孔のようなものがあいていて, 細長い葉巻型をしていることが確認された。
父が双眼鏡で見ると次のようなことがあきらかになった。物体の側面には, 一列の舷窓が並んでいて, しきりにするどい閃光をはなっていること, そして, 底部から小さな流星みたいな物体がいくつも発射されている・・・ということだった。
そのとき, バットはハッとして眼をおおった・・・。物体が突然パッと明るく燃え上がるように思われたからだ。物体は, そのまま光りながら, 次第に遠ざかって行くようだった。
やがて, 自動車は人の往来の少ないところに出たので, 物体をよく観測できると思い, 車を道路の片側によせて止めた。だが, このときまでに例の物体は, ハイウェイの右側から左側に移動して, 遠方の山々のいくつかをすでに越していた。スピードも増したように思われた。
観測をあきらめて, そこを去る前に, もう一度双眼鏡をのぞくと, 物体はボールペンみたいな格好に見え, その尖端がぎらぎらと輝き, 底部は黒色をしていた。
観測時間は, 都合
10分ほどだった。
【参考文献】
『これが空飛ぶ円盤だ!』【こうして謎は世界をめぐる】,編:平野威馬雄,1960年
●空軍機C-131D衝突事件(アメリカ) 1956年7月22日,C-131Dコンヴェア空軍機が,カルフォルニア州ピクスリー付近の上空で,機が何物かの衝撃を受けて9000フィート(約2700m)も降下した。

旅客機でおなじみのコンヴェア双発機は,軍部ではC-131Dとして知られる。
この日の夜,メルヴィル・ステンヴァーズ(Merwin Stenvers)空軍少佐(飛行時間のべ数千時間というベテランパイロット)は,このC-131Dでカルフォルニア州ピクスリー(Pixley)の付近を16000フィート(約4900m)の高度で飛行していた。
突然,機は何物かによるすさまじい衝撃によってぐらつき,右方へと突き飛ばされた。少佐がなんの行動も起こすひまもないうちに,コンヴェア機は機首を下げて,まっさかさまに降下を始めた。
ようやく,機のバランスを回復させるまでに,彼は9000フィート(約2700m)も急降下する機内で大奮闘しなければならなかった。操縦の反応で機がひどい損傷を受けていることが確認できた。
少佐は,機が「空飛ぶ円盤にぶつけられた」と無線連絡をし,ベイカーズフィールド(Bakersfield)空港に緊急着陸の許可を要請した。彼が機を無事着陸させた時,空港当局から知らされた報道陣がすでに待機していた。彼らは,衝撃で下方にへし曲げられている機の後部表面の写真を撮った。
ステンヴァーズ少佐を含む飛行士たちは,生還できたことに感謝した。一人の軍人が負傷したが,それ以外の乗員に奇跡的に死傷者はでなかったのだ。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Pixley, 1956, UFO 】
参考外部=>YouTube(UFOカバーアップ?1956 Pixley UFOインシデント- UFOシーカー)

参考外部=>UFO UpDates(A mailing list for the study of UFO- related phenomena)

参考外部=>openminds(November 1956)

参考外部=>UFO DNA(Close Encounters of the Second Kind in 1956)

参考外部=>UFO DNA(22 Jul 1956- Pixley, California, USA)
●サフォーク上空UFO目撃事件(イギリス)
【レイクンヒース事件】



『未公開UFOファイル2018』から
1956年8月13日,サフォーク州レンデルシャムの森付近の上空に怪しい飛行物体が目撃された。

この日の
午後9時30分ごろ,ベントウォーターズ空軍基地(Bentwaters RAF)のレーダーが,奇妙な飛行物体を捕捉した。 物体は東海岸から侵入して,オーフォード・ネスと呼ばれる寒村の上空を越え,レンデルシャムの森を横切って,ベントウォーターズ空軍基地に向かってきた。
基地にいた大勢の将兵たちが,レーダー係からの連絡で,外に出て上空を見上げたところ,このUFOを肉眼で確認することができた。 UFOは,かすんだもやのような青白い光に包まれていた。
同時に,付近の上空を飛んでいた輸送機も,このUFOが,輸送機の真下を移動していくのを確認することができた。 UFOの高度は,およそ1千メートル程度だと思われた。
さっそく基地から,ベノン(Venom)迎撃戦闘機がスクランブルされた。レーダー管制塔がスクリーン上のUFOの位置を確認しながら,戦闘機をUFOの近くに誘導させた。
戦闘機パイロットが,機上のレーダーと肉眼で確認できることを伝えてきた。
だが,その直後,UFOは戦闘機の眼の前から消えてしまった。それを,管制塔のレーダーも捉えていたが,UFOは瞬間的に戦闘機の後方へと移動したのだ。
戦闘機のパイロットは後方にピタリとついて飛行しているUFOを発見し, なんとかこれを振り切ろうと,急激な方向転換,急降下,宙がえりなどを試みたがうまくいかなかった。
戦闘機の燃料が切れるまで,UFOは後方にくっついたまま追尾したという。 戦闘機が基地に帰投するのを見届けると,UFOは,アッという間に飛び去っていった。
事件当時の夜は晴れて視界は良好であった。地上の管制塔のレーダーと機上のレーダー,それに基地の将兵の肉眼と, 機上のパイロットの肉眼の4者が同時にUFOを確認したことで,この事件はもっとも信頼できるUFO事件として分類されている。
また
この日 ,同じサフォーク州のレイクンヒース空軍基地(Lakenheath RAF - ベントウォーターズ空軍基地の北西にある)のレーダーもこのUFOを捕捉していたため,このUFO事件は,「レイクンヒース事件(Lakenheath Incident)」とも呼ばれる。
【参考文献】
『謎のHALT文書』,1989年
『未公開UFOファイル2018』,2018年



(★UFOに追跡されたベノン迎撃戦闘機と同型のもの)
サイト:「NICAP」から
参考外部⇒FC2(レイクンヒース事件 イギリスのレイクンヒースにある空軍基地のレーダーに突然に、推定時速3200キロメートルで動く未確認飛行物体が捕捉された)

参考外部⇒SSPC(レイクンヒース基地管制官からの手紙)

参考外部=>阿修羅(1956年の事件)


参考外部=>NICAP(The 1956 UFO Chronology)

参考外部=>NICAP(Several Incidents of R/V at Bentwaters)

参考外部=>NICAP(Lakenheath and Bentwaters RAF/USAF units)

参考外部=>martinshough. com(The RAF Lakenheath/ Bentwaters Incidents)

参考外部=>En.Wikipedia(Reported UFO sightings in the United Kingdom)
 
1957年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1957年UFO情報 参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1957 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1957)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>intcat(INTCAT 1957)
●パンアメリカン航空257便UFOニアミス事件(アメリカ) 1957年3月9日,パンアメリカン航空257便,ダグラスDC6Aがフロリダ州上空で,白色光を放つUFOとニアミスした。


この日,マット・ヴァン・ウィンクル(Matthew Van Winkle)機長の操縦するパンアメリカン航空(Pan American World Airways)257便のダグラスDC6Aが,ニューヨーク(New York)からプエルトリコ(Puerto Rico)のサンファン(San Juan)へと向かっていた。暴風雨を避けるため,通常のコースより西にずれたコースを選んでいた。
午前3時30分,機はフロリダ州ジャンクソンヴィル(Jacksonville)の150マイル東方を飛んでいた。その時,機長は機の右手下方から射した,激しく輝く白い光線に驚かされた。その光を放つ物体の縁は輪郭がくっきりとしていた。
その物体が機との衝突コース上にあることを一瞬間見てとった彼は,次に巨大機を急上昇させた。ウィンクル機長が機のバランスを回復させようと格闘している間に,乗客,副操縦士(彼はその時客室にいた)などが座席から投げ出され宙に舞い飛んだのである。何人かの乗客が負傷し,機がサンファン空港へ着いた時には,救急車が待機していた。
付近の空域を飛行していた他の4機の飛行機の乗員たちは,このパンアメリカン機事故の起った
数分以内に,同じかあるいはよく似た物体を目撃していた。彼らはそれを,前面からまばゆい光線を,後部からは赤味がかった光ないし排気ガスを放出している,輝く物体であると描写している。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
【サイト検索キー: Pan American DC-6A, Jacksonville, March 1957, ufo 】

参考外部=>NICAP(DC-6A Crew Take Evasive Action)

参考外部=>NICAP(DC-6A Crew Take Evasive Action)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1957: March UFO & Alien Siqhtings)

参考外部=UFO DNA(UFO Sightings in 1957)

参考外部=>NARCAP(national aviation reporting center on anomalous phenomena)
●ヴァン・シュル・カラミーUFO目撃事件(フランス) 1957年4月14日,フランス南西部にあるヴァン・シュル・カラミー城の近くを散歩中の2人の女性が,騒音を発するUFOを目撃した。

この日の午後,村のヴァン・シュル・カラミー城(Castle Vins-sur-caramy)の近くを散歩していた,ガルシア夫人(Mrs.Marie Garcin)とラミ夫人(Mrs. Julia Rami)は,「耳をつんざくような金属音」にふり返った。
すると,30メートルほど離れたところを,小さな金属の物体が,路上低くをゆっくり飛んでいた。物体は,上半分が半球の形で,下側は円錐形であった。下部の円錐は,さまざまな色の光を放つ棒の束でできていて,目まぐるしく動いていた。
しかし,騒音を発したのは金属製の道路標識の方で,標識はUFOの発光する棒と共鳴しているかのように,激しく音を出してゆれ動いていた。
近くの丘にいた,ボグリオ氏(Mr.Jules Boglio)は,騒音と叫び声を耳にし,事故だと思い十字路まで駆けていった。そして,彼もその物体を目撃した。
地面まで降りた物体は,はね上がったかのように飛んで別の道路標識の上に行った。すると,この標識も振動を始めて,「同じような金属音」をたてた。物体自身は,静かに180メートルほど飛んで再び下降した。
目撃者たちは,物体が実際に地面に触れたと思ったが,物体はその場で
数秒間停止し,ついに空中に飛び上がると,それほどスピードを出さずに消えて行った。
その後の調査で,2本の道路標識が異常に磁気を帯びていることが判明した。磁石を5センチメートルまで近づけると,針が15度も振れるのである。3番目の標識では,こうしたことが全く認められなかった。
また,物体が着陸したと思われる地点の近くに灌漑用の鉄管があったが,この鉄管も同じように磁気を帯びていた。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.24),【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤,文:レナード・クランプ,訳:中村省三】,1977年



サイト:「ovni-extraterrestre.com」から
【サイト検索キー: Vins-sur-Caramy France, April 1957, UFO 】

参考外部=>ufoweeklynews.com(Vins- sur- Caramy Case)

参考外部=>UFOdna(14 Apr 1957, Vins- sur- Caramy, Provence- Alpes- Cote- d'Azur, France)

参考外部=>UFOdna(UFO Sightings in 1957)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>NICAP(Top- Shaped Object Hovers At 300)

参考外部=>intcat(INTCAT 1957)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1957: April UFO & Alien Sightings)
●ミルトン・トーレス事件(イギリス)

(★全米記者クラブでスピーチする78歳のトーレス博士)
1957年5月20日,ミルトン・トーレスが,F-86Dジェット戦闘機のレーダーに写った雲の中の未確認飛行物体に対し,ロケット弾を撃込むためターゲットをロックオンして待ったが,物体は瞬時に加速し,レーダーから消えていった。

イギリス・ケント州にあるマンストンイギリス空軍(RAF Manston)基地で, 第514要撃戦闘飛行隊の第406航空遠征航空団に所属していたミルトン・トーレス(Milton John Torres)中尉(当時25歳)が, イースト・アングリア(East Anglia)地域上空の未確認飛行物体の迎撃のためF-86Dジェット戦闘機で飛び立ち,高度32,000フィート(約9.7km)で, 目的物をとらえたが,物体は厚い雲の中におおわれ目視できなかった。
しかし,機のレーダーがはっきりととらえていた。レーダー画面が焼き焦がれるほどだったという。 その影は航空母艦の形をしていた。上限ギリギリ約24kmでターゲットはロックオンされた。
ロケット弾をすべて撃ち込めという地上からの命令が入った。しかし,物体はレーダースコープをさっと横切り,機と地上のレーダーからも消え去ったという。 その物体が消え去る速度は,時速約16,000kmだったという。
トーレス氏はその後,工学の分野で学士号を取得すると,フロリダ州のケープ・カナヴェラル基地の射撃統制士官となる。ベトナム戦争では200回以上の戦闘飛行に就き,
1971年に空軍を退役する。退役後,機械工学の分野で博士号を取得したのち大学教授になった。
その後,イギリス国防省がUFOに関するファイルを公開し始めたときに,トーレス氏のUFO遭遇関連書類の写しが出てきた。 これが,この出来事の機密解除になり,トーレス博士は長年秘めていた話を語り始めた。
全米記者クラブで開かれたスティーヴン・バセットXカンファレンスでスピーチをしたトーレス博士は,UFO問題について,これまでわかったことを開示し,秘密を隠し続けなければならない多くの人を開放せねばならないことを,合衆国政府に呼びかけた。

【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒UFO事件簿( UFOニュース2008年)



参考外部⇒mail online(U.S. fighter pilot: 'I was ordered to fire 24 rockets at UFO flying over East Anglia)

参考外部=>colinandrews.net(The official website of COLIN ANDREWS)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1957: May UFO & Alien Sightings)

参考外部=>Hippie Wiki(Milton Torres 1957 UFO encounter)

参考外部=>thelivingmoon.com(US airman Milton Torres told to shoot down UFO when based at RAF Manston)

参考外部⇒You Tube(Pt 2 Milton Torres UFO Disclosure Press Conference 09)
●ルチアノ・ガリUFO同乗事件(イタリア) 1957年7月7日,エンジニアのルチアノ・ガリ(Luciano Galli)は,ローマ郊外のクロアラ・リッジで怪しい男たちに案内され,UFOに乗り,上空にいた葉巻型の母船内に搭乗した。

この日,ガリがボローニャ(Bolonia)の自宅で昼食後,自分の工場に戻ろうとしたとき,一台の黒のフィアットが来てとまり,長身で黒い肌の男が彼に話しかけてきた。
男は突き刺すような漆黒の目をしていた。そして,ガリを車に乗るよう誘った。車には,もう一人のもっと小さくて繊細な顔をした男が運転をしていた。
車が,ローマ郊外のクロアラ・リッジ(Croara Ride)まで行くと,そこには円盤型のマシンがガリを待っていた。 円盤の下側の中央からシリンダーが降りてきて,そのドアが開くと,長身の方の男が,ガリを円盤内に導き入れた。
円盤の底には直径1ヤード(0.9m)ぐらいの窓のようなレンズがあり,それを通して円盤が上昇するにつれて,小さくなっていく地球を見ることができた。
数分のうちにガリたちは宇宙にいて,巨大な葉巻型の物体に接近した。 それは,推定600メートルもある巨大なもので,一方の端を,ひじょうに明るい光が取り巻いていて,そこのポートから,たくさんの円盤がはいったり出たりしているのが見えた。
開いているポートの一つに飛び込み,ガリが円盤を出ると巨大な船内にいることを知った。 400〜500人以上の人が,立ったり歩き回ったりしていた。彼は船内を案内してもらい,大きな図書館,ラウンジ,コントロール・ルーム,指令室などを見せてもらった。
4時間もたたないで,彼はローマ郊外の,出発したところに戻った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平


サイト:「historiaovni.com」から
【サイト検索キー: Luciano Galli, ufo 】

参考外部=>phils.com(The Luciano Galli Story)

参考外部=>URECAT(JULY 7, 1957, CROARA, BOLOGNA, ITALY, LUCIANO GALLI:)

参考外部=>listverse.com(10 Truly Unbelievable Claims Of UFO And Alien Encounters)

参考外部=>La STEFANI(Ufo a Bologna)

参考外部=>Historico de casos Ovni(LUCIANO GALLI)
●ネバダ核実験(プラムボブ)UFO出現事件(アメリカ) 1957年7月16日,ネバダ核実験場での爆発実験(プラムボブ)に関連してUFOが出現した。

ネバダ核実験場(Nevada Test Site)として知られる原子兵器実験サイトは,
1951年に原子力委員会(AEC-Atomic Energy Commission)によって創設され,実験の殆どはネバダ州ユッカ平地(Yucca Flats)と呼ばれる乾湖床にあるラスベガス北西約65マイル(約104km)の地点で行われた。
1950年代を通して行われた原爆実験の方法は,B-50など爆撃機からの投下と,高いタワーに取り付けられて行われた。

プラムボブ作戦(Operation Plumbbob)の核爆発実験において,発生したフォールアウト(放射性降下物)に関連してのUFOの出現が目撃された。

実験名:「ディアブロ(Diablo )」。爆弾は17キロトン。起爆は,
1957年7月15日午前11時30分
放射性雲:軌道地図には,ラスベガス方面に向かって東方へと次第に弱まっているのが示されている。その動きは極めて遅く,
7月16日にラスベガスに到達した。
UFOの目撃
7月16日午後1時56分から58分まで,ネバダ州エンジェルピーク(Angel Peak)のラスベガス空軍基地(Las Vegas AFS)の防空軍レーダーにUFOが捕捉された。スコープ監視員ウォルター・ライアンズ一等兵(A/2c Walter Lyons)は,管制技師アーマンド・テリアン上等兵(A/1c Armand Therrien)と共に時速6,200マイルで接近する目標を48秒間観察した。それは,レーダーサイトの東北東約85マイルで突然停止し,12秒間持続静止した。
未知の物体は,再び移動を開始し,レーダー最長距離244マイル地点で消えるまでの
72秒間が観察された。その間の時速は約7,000マイルで,最後はアリゾナ州マーブルキャニオン(Marble Canyon)近郊にあった。


実験名:「モルガン(Morgan)」。爆弾は8キロトン。起爆は,1957年10月7日午前5時00分(太平洋標準時)。
放射性雲
10月8日までに高度30,000フィートの放射性粒子雲は南部ユタ州を横切って東に移動し,南部コロラド州に入り,その後北東に曲がり,中部コロラド州デンバー付近を横切った。
UFOの目撃
10月10日山岳標準時午前4時頃,1個の火球がユタ,コロラド州境に落下するのが,海軍輸送機から目撃された。
あるパイロットは,火球が墜落したといい,他のパイロットは火球が水平線と平行に飛び,その後空中分解したと報告した。

【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核実験とUFO】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年
参考外部=>En.Wikipedia(Nevada Test Site)

参考外部=>En.Wikipedia(Operation Plumbbob)

参考外部=>YouTube(Operation Plumbbob 1957)




参考外部=>Think AboutIt- REAL(1957: July UFO & Alien Sightings)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>NICAP(6200 MPH Target Hovers Near Grand Canyon)
●ヴァリグ航空機UFO遭遇事件(1)(ブラジル) 1957年8月14日,ヴァリグ航空(Varig Airlines)のC-47貨物輸送機がポルト・アレグレからリオデジャネイロに向かう途中,UFOに遭遇し,機のエンジンが停止しかけた。

この日の午後9時,ヴァリグ・ブラジル航空のC-47貨物輸送機がリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に向けてポルト・アレグレ(Porto Alegre)を飛び立った。
機は5,700フィート(約1,700m)の高度を時速160マイル(時速258km)で飛行していた。視界は良好であった。
ジョルジェ・アロウジョ(Jorge Araujo)機長とエドガー・ソアレス(Edgar Soares)副操縦士は,機の左側やや後方に,明るく輝く物体を見つけた。数行後にそれは,信じられぬスピードで機の前方右手へと移動していた。物体は,平たくピカピカしていた。上部にドームのついた円盤状だった。
物体はそれから,機に向かって突進してきた。機の照明はほとんんど消えかけて暗くなった。エンジンは停止しかけ,無線の受信はぱったりととだえた。
乗員たちにとって,きわめて不安な
数秒間が過ぎた。UFOは下降して雲海の中に沈み,同時に機の電気系統は正常に戻った。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年
参考外部=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空)

参考外部=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故)

参考外部=>Let's easily go!気楽に行こう!( 【事故?】消えたジェット機「ヴァリグ・ブラジル航空967便」の消失【遭難?】)



参考外部=>ufoinfo.com(On This Day・ August 14)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>NICAP(UFO AIRCRAFT CLOSE ENCOUNTER IN BRAZIL, 1957:)
●ウバツーバ円盤爆発事件(ブラジル) 1957年9月,サンパウロ州ウバツーバの海岸付近で,円盤状の物体が爆発して無数の破片となり飛び散った。いくつかの破片が回収され,研究者の手に渡った。

1957年9月14日,リオデジャネイロの新聞<オ・グロボ(O Globo)>紙のコラムニスト,イブラヒム・スード(Ibrahim Sued)は,サンパウロ(Sao Paulo)州ウバツーバ(Ubatuba)の海岸付近で,円盤状の物体が爆発した際に回収された数個の破片を受け取ったと報じた。
目撃者たちの報告によれば,円盤はものすごいスピードで海岸に向かって下降していたが,突然反転,数百フィート上昇したかと思うと,ぐらついてから爆発して無数の輝く破片となった。小片のうち浅いところに落ちたものは,目撃者にも回収でき,それこそが自分が受け取った破片なのだと,スード氏は述べた。
APRO代表の研究家オラボ・フォンテーズ博士(Dr. Olavo Fontes)は,新聞社からこれらの破片のうち3個を入手することができたが,この破片は3つともかなり小さい(アメリカの50セント銅貨くらいか,それよりやや小さい程度)ものだった。表面がひどくざらざらしていて,驚くほど軽いものであった。
引きつづいて行われたブラジル鉱物生産研究所の分光写真部門に所属するルイザ・バルボーザ博士(Dr. Luisa Maria A. Barbosa)の冶金学的分析の結果,破片は純粋マグネシウムであることが判明した。
フォンテーズ博士から残った破片の提供を受けたAPROは,米空軍に対して,もしAPROのために調査結果を鑑定し,解説してくれる適格な科学者の立ち合いを認めてもらえるなら,その小片の調査か分析,あるいはその両方を空軍に任せてもよいと申し出た。
この件に関して,APROと空軍の間で長々と手紙のやりとりがあったが,結局,空軍は分析のほうは引き受けていいが,部外者を調査に立ち合わせる件については,認めるわけにいかないということになった。,
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第4章・破片を集めろ!】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「UFO CASEBOOK」から
【サイト検索キー: ubatuba brazil, 1957, ufo 】
参考外部=>UFO CASEBOOK(Ubatuba UFO Fragments, 1957)

参考外部=>UFOs at close sight(1957 September 14, Ubatuba UFO crash, Brazil:)

参考外部=>NICAP(The Ubatuba Incident)

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1957: A Report on the Investigation of a UFO Explosion Over the Sea in Brazil )



サイト:「POLITIZANDO」から
●アントニオ・ボアス宇宙人誘拐事件(ブラジル)

★サイト:「UFO事件簿」から
1957年10月15日,ブラジルに住むアントニオという青年が,宇宙人に誘拐され,UFO内で異星人の女性とセックス体験をした事件。

ブラジルのミナスジェラエス州のサンフランチスコ・デ・テレスに住む農夫のアントニオ・ビラス・ボアス青年(23歳)が,
この夜 ,畑で一人農作業をしていると,赤い星が畑に落ちてきた。 それは,あたりを真昼のように照らし,長さが10メートルほどもあるタマゴ型の円盤で,トラクターから15メートルのほどのところに三本脚で着陸した。
アントニオは,トラクターで逃げようとしたが,エンジンがかからなかった。 走って逃げる途中で,円盤の中から出てきた,異様な人間に捕まり,かかえあげられ円盤の中に連れ込まれてしまった。 彼らは,身長が1.5メートルほどで,高いヘルメットをかぶり灰色の体にピッチリと合ったオーバーオールを身につけていた。
円盤の中で,アントニオは裸にされ,粘り気のある液体で全身を拭かれた後,チューブのようなものをあごの下にあてがわれ,血液を採取されたという。 また,別の部屋に通され若い女と性的関係をむすばせられた。 その女は,東洋的な美しさをしており,そばかすがあり,とがったアゴをし,明るい青い眼の斜視で身長が1.4メートルぐらいであった。
その後,アントニオは服を着せられ,円盤の中を案内してもらった。 アントニオを降ろした円盤は着陸脚を引き込み,回転塔を回しながら,弾丸のように飛び去っていったという。 気がつくと,
朝の5時半 であった。
【参考サイト】
UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,編者:平野威馬雄,1974年
『UFOと宇宙(NO.24)』,(ブラジルの奇怪な誘拐事件),1977年
『世界UFO大百科』,(美人宇宙人に誘拐された青年,文:秦洋一),1985年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(宇宙人とのSEX事件(1957年))


★サイト:「UFO事件簿」から
●レブランド走行車エンスト事件(アメリカ) 

★自動車が異常を起こした場所
『謎のUFO怪事件』より
1957年11月2日夜,テキサス州レブランド(Levelland)近辺を走っていた車が,低空を飛んできた魚雷型の巨大な発光体(UFO)により,エンジン停止やヘッドライトが消えたりした事件。

物体は長さが約60mぐらいで卵型および魚雷の形をしており,ネオン燈のように輝いていた。物体が近づくと,遭遇した車やトラックのエンジンが止まりヘッドライトが消えた。 物体が遠ざかるともとに戻った。
この夜,レブランド署の当直巡査A・J・ファウラーのもとには,こういったUFOに関する通報が15件入ったという。
郡保安官のウェイア・タレムはネオンサインのような赤い光が,400mも離れていない前方でハイウェーを横切るのを目撃,
2秒間ほど,前方の路上を照らしだしたという。 物体の発する光は点滅を繰り返し,光がつくたびに自動車のエンジンが止まり,ライトが消えたと目撃者のひとりが語っている。
この事件は,UFOが起こすEM効果の最も信憑性の高いものといわれている。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.25)』(続/宇宙・引力・空飛ぶ円盤),1977年
『謎のUFO怪事件』,1992年


この日(1957年11月2日)の深夜12時直前,ペドロ・サウセードがジョー・サラブという男を乗せて,国道116号線をテキサス州レブランド(Levelland)に向かって車を走らせていた。
その時,巨大な物体が青緑色の輝きを放ちながら,ペドロのトラックをかすめてゆっくりと国道の路面に降下・・・あるいは路面すれすれのところに降りたった。すると彼らの車のライトが薄れ,エンジンが停止した。恐怖にかられたペドロは,ドアから飛び出てトラックの下にもぐりこんだ。
車に残ったジョーは,恐怖のあまり身動きできずにいた。物体の発する強力な光が赤に変わりジョーはまともに目を向けられなかったという。
二人は,かすかに金属が触れあうようなカンカンという音・・・それから,声らしき音も聞こえたと報告しているが,それが声だったとしても,二人にはちんぷんかんぷんだったという。
約3分後,全長200フィート(60m)ほどありそうな飛行船型のその物体は,なおもまばゆい赤い光を発し,音もなく急速に舞い上がり,夜空にかき消すように消えていったという。
このレブランドの事件では,少なくとも8人の目撃者が,車のライト,ラジオ,および点火装置に対する影響を報告している。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「MrOwl」から
参考外部=>カラパイア(記録上有名な25のUFO目撃説-7.米テキサス州レベルランド(1967))

参考外部=>Wikipedia(レヴェランドUFO事件)




【サイト検索キー: Levelland, 1957 ufo 】
参考外部=>en.Wikipedia(Levelland UFO case)

参考外部=>howstuffworks(The 1957 Levelland UFO Encounter)

参考外部=>YouTube(OVNI (Reconstitution) Levelland, Texas [2 novembre 1957].)

参考外部=>GHOST THEORY (The Night A UFO Landed In Levelland Texas)

参考外部=>UFO CASEBOOK(The Levelland, Texas Landings - 1957)

参考外部=>MrOwl(Levelland Case, 1957)

参考外部=>UFO DNA(2 Nov 1957 - Levelland, Texas, USA)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)
●ヴァリグ航空機UFO遭遇事件(2)(ブラジル) 1957年11月4日,ヴァリグ航空(Varig Airlines)のC-16貨物輸送機がポルト・アレグレからサンパウロに向かう途中,赤い光体のUFOに遭遇し,機のエンジンの発電機などに支障をきたし,ポルト・アレグレにUターンした。

1957年11月3日の夜,ヴァリグ航空のC-46貨物輸送機は,ブラジルのポルト・アレグレ(Porto Alegre)からサンパウロ(Sao Paulo)を目指し飛び立った。
双発の輸送機は,7,700フィート(約2,300m)まで上昇し,その高度でちぎれ雲の上を飛行していた。
11月4日午前1時30分ごろ,ジーン・V・ディ・ベイサック(Jean Vincent de Beyssac)機長が,機の左手下方,座っている側に奇妙な赤色光を見つけた。機長は,それを良く見ておくようにと副操縦士に告げた。そして副操縦士もそれを確認した。
ややあって
,機長が左側を見下ろすと,赤い物体はまだそこに存在し,かつ急速に機に近づいてきた。
彼は機を物体の方へとバンク(方向転換)させようとしたが,物体も機に向かって激しく突き進んできた。
そして物体は,手をのばせばとどくような近さにきていた。すると,何かが焦げているような強烈な匂いがした。しかし火災報知機は何も示していない。すると,物体の赤い輝きは突然,薄れ始めた。
すばやく点検をすると,無線装置,右側エンジンの発電機,空中方位測定システムが,すっかり焼けてしまっていることがわかった。
機長は,機をUターンさせ,ポルト・アレグレに這う這うの体で引き返した。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年



サイト:「nicap.org」から
参考外部=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空)

参考外部=>Wikipedia(ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故)

参考外部=>Let's easily go!気楽に行こう!( 【事故?】消えたジェット機「ヴァリグ・ブラジル航空967便」の消失【遭難?】)




参考外部=>NICAP(Nov.4,1957; Nr.Ararangua, Brazil / C-46 Encounter / Strong E-M)

参考外部=>NICAP(UFO AIRCRAFT CLOSE ENCOUNTER IN BRAZIL, 1957:)
●イタイプ要塞UFO襲撃(ブラジル)  1957年11月4日午前2時,ブラジル陸軍の要塞【イタイプ(Itaipu)基地】上空に出現したUFOが,要塞の機能を一斉に停止させた事件。

その夜,大西洋上の空は澄み渡っており星が1つ輝いているだけであった。物体はものすごい速度で要塞上空に接近してきた。 あまりにも速いので2人の警備兵はパトロールのことも忘れてただただ眺めていた。 UFOは停止して強烈なオレンジ色の光りを発しながらゆっくりと降下してきた。要塞の砲塔から40〜50メートルの上空で,UFOは動きをとめ静止した。 その物体は,低くうなる音を発し光度を増していた。
2人の警備兵は何か熱いものが顔に触れるのを感じた。そのうちの1人はすすり泣くような声を聞いたようだという。次に衣服全体に火がついたような耐えがたい熱波が襲ってきた。
警報装置を鳴らすと同時に要塞の電気系統がすべて働かなくなった。照明設備,機械の動力用電源,通信システムなどが一斉に機能停止し,基地全体が完全な暗黒につつまれた。
5時にセットしてあった電気時計のベルが鳴り始めた。午前2時3分である。
秩序が回復し,非常用電力補給装置が活動を始めた頃には,UFOは去っていた。しかし,
地上に出た数名の士官達は,オレンジ色に輝く巨大なUFOを目撃したという。
2人の警備兵は熱線にさらされてひどい火傷を負い,病院に長期間入院しなければならなかった。
【参考文献・サイト】
『UFOと宇宙(NO.25)』1977年(続宇宙・引力・空飛ぶ円盤)
『空飛ぶ円盤の真実』1988年
・サイト⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)
参考外部⇒UFO事件簿(イタイプ要塞襲撃事件)

参考外部⇒怖話(イタイプ要塞襲撃事件)
●セベイゴー号UFO遭遇事件(アメリカ) 1957年11月5日,合衆国沿岸警備隊の監視船セベイゴー(Sebago)号がUFOに遭遇した事件。


(★セベイゴー号 【サイト:「cohenufo.org」より】)

この日の朝5時10分のことである。セベイゴー(Sebago)号の周囲を飛び回っている物体をレーダーが偶然発見した。
この物体を追跡するうち,レーダー手たちは,物体が空中に停止し,次いで高速で前方へ突進するのを見た。
レーダーがUFOのブリップを見つけた
11分後,セベイゴー号の甲板にいた4人の乗員は,それを肉眼ではっきり見ることができた。名前を挙げると,ドナルド・シェイファー(Donald Schaefer)大尉,操舵手ケネス・スミス(Kenneth Smith),無線技士トマス・カーク(Thomas Kirk),そしてウェイン・ショットリー(Wayne Schottley)少尉である。彼らの描写によると,物体は光輝く円形で,既知の航空機の限界を越える飛び方をしたという。
これらのことを,ウェアリング(Waring)中佐が報告書で述べている。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章・典型的なケース】,著者:フランク・エドワーズ ,訳者:安龍次郎,1988年


 
(★セベイゴー号の乗員たち)
サイト:「SebagoSailors.org」から
【サイト検索キー: Sebago, nov.1957 ufo 】
参考外部=>Think AboutIt- REAL(1957: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>NICAP(1957 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>SebagoSailors.org (Sebago UFO Sighting)

参考外部=>waterufo(Sebago, 1945, WPG / WHEC- 42)

参考外部=>NICAP(The Coast Guard Cutter Sebago Case)

参考外部=>NICAP(UFO CASEBOOK: 1957)

参考外部=>cohenufo.org(Coast Guard Cutter "Sebago" RV Case)
●ラインホルト・シュミットUFO遭遇事件(アメリカ)

★シュミットが遭遇したとされるUFOのイラスト
『未公開UFOファイル2018』から
1957年11月5日,穀物バイヤーのラインホルト・シュミットが,ネブラスカ州カーネイ(Kearney)の川床に着陸していたUFOに遭遇し,その乗員にUFO内を案内された。

カルフォルニア州に住む穀物バイヤーのラインホルト・シュミットは,この日ネブラスカ州カーネイの南約1.5キロのところを車で走っていると,川床に巨大な葉巻型の物体が着陸しているのに気がついた。
物体の大きさは全長が約30メートル,幅9メートル,高さが4メートルほどで,4本の脚で地上に立っていた。
シュミットが,車を近づけようとすると,急にエンジンが止まり車が動かなくなった。 そこで,車からおり徒歩で近づこうとした。すると,その物体から発する不思議な光波のようなものにさえぎられて前進できなくなった。
突然,物体の中から一人の男がでてきて,シュミットにたくみな英語で話しかけてきた。 そして,迷惑をかけたことを詫び,彼を物体の中へ案内した。
物体の中には乗員が全部で6人おり,うち2人は女性だった。みな,上手なドイツ語で話しており,いそがしげに機械類のなかを動きまわっていた。 乗員の歩き方を見ていると,それは歩くというよりも滑りまわるようにみえたという。彼らは,何か物体内の修理をしているようだった。
シュミットは,案内者にいろいろ質問したが,ただ危害を加えないというだけで,質問には答えてくれなかった。
修理が終わり,出発のまぎわになって,彼らはシュミットに,物体が去ってしまうまでは,自動車をスタートさせることはできないだろうことを告げた。
やがて物体は軽く4,50メートル垂直に飛び上がり,それからほとんど空中へとけこむかのように見えなくなったという。
シュミットは警察に届け出たが,正気でないと判断され精神病院に送られた。 しかし後日,物体の着陸現場に出かけた現地の警察署長が,何らかのものがそこに着陸していたこを確認した。 また,その地域で,謎の飛行物体を何人もの人が目撃していることがわかり,シュミットの発言が見直されることになる。
【参考文献】
『宇宙の使者』,1973年,著者:斎藤守弘
『未公開UFOファイル2018』,2018年
参考外部⇒TOCANA(警察が態度急変→精神病院に強制入院!? UFOコンタクティー、ラインホルト・シュミット事件の真実)

参考外部⇒You Tube(【UFO・未確認飛行物体】もう一つのUFOコンタクティー「ラインホルト・シュミット事件」の真相 )
●クラーク少年着陸UFO遭遇事件(アメリカ) 1957年11月6日朝6時半,テネシー州ノックスビル(Knoxville)郊外のダンティ(Dante)に住むエヴァレット・クラーク(Everett Clark-12歳)は,家の近くの原っぱに着陸しているUFOと4人の乗員を目撃した。

クラーク少年は
この朝,飼い犬のフリスキーを外に出してやると,家から300フィート(91m)離れた原っぱに不思議な長円形の輝く物体が静止しているのを見つけた。起きたばかりなので, 夢でも見ているのだろうとクラークは一度ベッドに戻ったが,数分後,犬を呼びにドアのところに戻ると,その物体がまだそこにあるのを目撃した。
フリスキー以外にも近所の犬が数匹,その物体の周りに集まって,物体のそばにいる4人の人物に向かって吠えたてていた。 男,女が2人づつだった。その4人は,クラークが映画で見たドイツ兵みたいながらがら声で話していたという。
一人がフリスキーをつかまえようとしたが,犬がうなり声をあげたので後ずさりした。 他の男がフリスキー以外の犬をつかまえたが,犬が噛みついたので,その男は犬を放してやった。
彼らの一人がクラークに気づいて,クラークに対して近くにくるような身振りをした。クラークは拒絶した。それから,その不思議な4人組は,向こうを向いて物体を貫いてまっすぐに歩いて行ったように見えたという。
後に,ノックスヴィルの《ニューズ・センティネル(New Sentinel)》の記者カーソン・ブルワー(Carson Brewer)が,その野原に長さ24フィート(7.3m),幅5フィート(1.5m)にわたって草がおしつぶされた跡を発見した。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平


サイト:「theufochronicles.com」から
参考外部=>ufoinfo.com(On This Day・ November 6)

参考外部=>theufochronicles.com(Egg- Shaped UFO Lands in Pasture; UFO CHRONICLE - 1957)

参考外部=>spaceguard.xyz(Egg- Shaped UFO Lands in Pasture; UFO CHRONICLE- 1957)

参考外部=>ufo-alienworld.blogspot.com(UFO sightings 1956 to 1957)

参考外部=>scribd.com(SAUCERS- Vol.5, No.4- Winter 1957 / 58)

参考外部=>ufocasebook.com(A Century of UFO Landings (1868- 1968))

参考外部=>monkeyfire.com(An old poet contends with the Space Age, and Knoxville)
●メロムUFO光線事件(アメリカ) 1957年11月6日,インディアナ州メロム(Merom)で,鉄工所工員ルネ・ギルハムが,光線を発するUFOを目撃した。

若い鉄工所工員ルネ・ギルハム(Rene Gilham)は,インディアナ州テールホート(Terre Haute)南方約25マイル(約40km)にある小さな町メロム(Merom)のはずれに,妻と子供たちといっしょに住んでいた。
この日,ギルハム家の夕食時に,隣りの家の子供が駆けこんできて,空におかしな星が出ているとギルハムと子供たちをせきたてた。子供たちは飛び出し,それを見て興奮し,今度は親たちを呼び出した。
ギルハムと彼の妻が家の前の通りに出ると,筋向いの家の家族はすでにそこに出ていた。そして,彼らは200〜300フィート(61〜91m)上空に静止している円形の物体を見守っていた。物体は直径が30〜40フィート(9〜12m)ぐらいで,何の音も発していなかった。
しばらくすると,明るく青い,目のくらむような光線が,物体の中心部から下方へと放射された。筋向いの家族の者たちや,ギルハムの子供たちと夫人は家の中に引っ込んだが,ギルハムだけは残って,その不思議な光景を見ていた。
彼は,物体が飛び去るまでの
約10分間,立ったまま周期的に半秒間ほどづつ放射される青い光線を浴びていた。物体はシューシューという,まるで高速電動モーターのような音を出していたという。
目撃は
水曜日の夜であったが,金曜日になるとギルハムの体に異常が現われ出てきた。顔が腫れあがり,かゆみだした。土曜日になると,頭のてっぺんと顔がいよいよ異常にふくれて赤味を増してきたので医者に診てもらった。
ギルハムを診たインディアナ州ダガー(Dugger)のジョゼフ・ディークス(Joseph Dukes)博士は,彼を治療のためインディアナ州サリヴァン(Sullivan)の病院に送った。彼はそこで治療され,
数日後に退院を許されたが,退院前に空軍将校たちにいろいろと尋問されたという。
ジョゼフ・ディークス博士の話によると,ギルハムの火傷は,電気溶接用トーチランプの光線に長い間さらされ過ぎたときの症状に似ていたということであった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第2章・熱波】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Merom, Terre Haute, 1957, ufo 】
参考外部=>NICAP(Blue Light Beams Projected On Witness)

参考外部=>NICAP(Merom/ Gilham Incident)

参考外部=>IndianaMUFON(Classic UFO Reports)
●ドナルド・ダッジUFO目撃事件(アメリカ)
【ヴァルパライソ事件】
1957年11月17日, 高校の美術教師であるドナルド・ダッジが, インディアナ州ヴァルパライソに向かう途中の夜8時ごろ, 走行中の車からUFOを目撃した。

当時, インディアナ州ヴァルパライソ高校(Valparaiso High School)で美術を教えていたドナルド・ダッジ 【Donald Dodge - フランク・エドワーズの甥にあたる。のちにジョージタウン大学(Georgetown University)の著名な画家となる】は, こ
の夜, 車でヴァルパライソ(Valparaiso)に向かっていた。
ヴァルパライソ付近まで来ていた,
午後8時, 彼は聞いていた番組が終わったのでカーラジオのスイッチを切った。
その時, 彼は道路沿いの一面の雪野原の上に, 回転する光が降りてくるのを目撃した。 最初はそれが故障した飛行機ではないかと思い, 彼は車を急停車して外に飛び出た。
その物体は雪原の10フィート(約3m)ほど上空で静止して, 非常に強い白光を放った。
彼は, 自分の知識にないものを目撃したことを悟り,恐怖からあわてて車に駆けもどり,車を走らせた。 すると, 物体はハイウェイを走るドナルドの車と並走して動き, 車を追い抜き道路に飛び出した。
行く手をさえぎられたドナルドは, 力いっぱいブレーキを踏みこんだ。 車は急停止した。UFOは一瞬,滞 空したかと思うと, あっという間に上昇して厚い雲の後方へと去っていった。
彼は記憶が生なましいうちに, 目撃したUFOの絵を描いた。


(★ドナルド・ダッジが目撃したUFOを描いた絵)
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章・地球の空を飛ぶもの】, 1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎
【関連サイト検索キー: Valparaiso, Dodge 1957 UFO 】

参考外部=>UFO DNA(17 Nov 1957- Valparaiso, Indiana, USA)

参考外部=>cufos.org(UFO- History 30th- History.pdf)

参考外部=>SCRIBD(Exclusive 30 Day Trial)

参考外部=>intcat(INTCAT 1957)
 
1958年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 参考サイトなど
1958年UFO情報 参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1958 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1958)

参考外部=>NICAP(1958 Sighting Wave Chronology)

参考外部=>intcat(INTCAT 1958)
●ブラジル海軍UFO撮影事件(ブラジル)
【トリンダテ島事件】

 
 

中央はUFOの拡大。
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』から
1958年1月16日, 国際地球観測年で海上研究をしていたブラジル海軍が, トリンダテ島近海で土星型円盤を撮影し, これが大統領名で「本物」と公認される。

ブラジル海軍の科学船アルミランテ・サルダーニャ(Almirante Saldanha)号に乗船中の50名の士官たちが, トリンダテ島(Trindade Island)付近の水平線上を飛行しているUFOを目撃した。 報道関係者として乗船中のカメラマンの アルミロ・バラウナ(Almiro Barauna)を甲板に呼び, UFOの撮影を要請した。アルミロは, 島の山頂付近で急旋回し, 高速で水平線へと飛び去ろうとしていたUFOの写真を4枚撮影するのに成功した。
撮影されたフィルムは, 船長を含む2名の立ち会いのもとで船内で現像され, 焼き付けされた写真には, 緑色に輝く土星型のUFOが写し出されていた。 ブラジル海軍相のアルヴェス・カマラ提督はクビチェック大統領に面会を求め, 会談後に海軍が撮影に成功したUFO写真は本物であるとの大統領談話を公式に発表した。
国が世界で初めてUFO写真を公認する歴史的出来事となった。
【参考文献】
『戦慄のUFO&宇宙人ミステリー99』, 監修:南山宏, 2010年




(★事件の見取り図。UFOは右手の方角から飛んできて, 数字の位置で停止。最後に島のレーダー施設を周回してから, 北東方向へ飛び去った)
『空飛ぶ円盤の真実』(1988年, 著者:フランク・エドワーズ)から



サイト:「Aenigmatis.com」から
参考外部⇒UFO事件簿(トリンダデ島事件)

参考外部⇒怖話(【1958年】トリンダデ島事件)



【関連サイト検索キー: Trindade Island, 1958, ufo 】

参考外部=>En.Wikipedia(Trindade Island UFO)

参考外部=>OpenMinds(UFO over Trindade Island, Brazil January 16, 1958 (Video))

参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1958 Sightings)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1958: January UFO & Alien Sightings)

参考外部=>NICAP(Trindade Island Photo (E-M, Radar, AR) Case)

参考外部=>YouTube(UFO over Trindade Island, Brazil January 16, 1958)

参考外部=>The Telegraph(140 years of UFO sightings - Part I)

参考外部=>PORTAL ufo(Trindade Case: Almiro Barauna?s Nephew Claims That The Photos Are Fake (part 2))

参考外部=>Aenigmatis.com(The Trindade Island UFO:)
●オファット空軍基地UFO目撃事件(アメリカ)


サイト:「The Night Sky」から
1958年9月8日, ネブラスカ州オファット米空軍基地近郊で, 空軍要員によりUFOが目撃観察された。

この日, SAC(米戦略空軍)司令部があるネブラスカ州オファット空軍基地(Offutt Air Force Base)近郊で, 少なくとも25名の米空軍要員によって目撃された。
目撃者の一人である, ポール・A・ドゥイッチ少佐(Major Paul A. Duich)は, NICAPの報告書に次のように書いている。
「我々は, まるで鉛筆か細身の葉巻型物体の底部に現れたブヨの一群によく似た, あちこちに跳ね回る黒点の一群を見守った。これは
約1分間ほど, 黒点群が消えるまで続いた。空中の同一点で静止したまま, その物体は徐々に直立状態から水平面に対し45度傾斜に姿勢を変え, 西方にゆっくりと動き始めた。」
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第6章/核ミサイルへの接近とは何か?】,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清,2011年



サイト:「Think AboutIt-REAL」から
参考外部=>Wikipedia(ベルビュー (ネブラスカ州))

参考外部=>Wikipedia(戦略航空軍団)



【サイト検索キー: Offutt Air Force Base, Omaha, Nebraska, sep 1958, ufo 】

参考外部=>NebraskAmazing(Nebraska UFOs)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1958: Strategic Air Command officers watch UFO)

参考外部=>The Night Sky(Offutt AFB Sighting)

参考外部=>NICAP(The 1958 UFO Chronology)
●モノン鉄道UFO遭遇事件(アメリカ)


サイト:「UFOinsight」から
1958年10月3日, インディアナ州モノンからインディアナポリスに向かうモノン鉄道の第91番貨物列車の乗務員が, 列車に付きまとう4つのUFOに遭遇した。

56両の貨物列車は, インディアナ州モノン(Monon)からインディアナポリス(Indianapolis)に向かう途中だった。およそ, 90マイル(約145km)ほどの行程である。
機関士のハリー・エックマン(Harry Eckman), 機関助手のセシル・ブリッジ(Cecil Bridge), 主任制動手のモリス・オット(Morris Ott)の3名の乗務員は列車の先頭にあるディーゼル機関車の運転席にいた。
車掌のエド・ロビンソン(Ed Robinson)と信号手のポール・ソスピー(Paul Sosbey)は列車最後尾の車掌室にいた。この両グループは, FM無線機で連絡をとっていた。
同時に同じ方法でラファイエット(Lafayette)にある鉄道の運転指令室とも交信をしていた。
10月3日金曜日の朝の3時20分ぐらいのことである。列車がワスコー(Wasco)という小さな町をすぎたところで, 列車の前方の空に4つの奇妙な光があることに機関助手のブリッジが気づいた。それは動く光体で, V字型の隊形で動いていた。それらは, 明らかに飛行機でないことが分かった。
時速40〜50マイル(約70km)くらいで動きながら, 列車の半マイル(約800m)ほど先の線路を横切った。そして, 4つの光体は, 突然止まって, まっすぐ元の位置に戻った。
高度は低く, ほとんど木の梢すれすれだった。そして, 勢いよく東へ向かい, ブリッジたちの視界から消えた。しかし,
1分後ぐらいに突然また前方の線路の上に現われ, 列車に近づいてきた。
ブリッジが無線で車掌室を呼び出すと, 後ろのロビンソンとソスピーは, 展望窓に上がって, 貨車の上の様子を見ることができた。4個の光の塊が列車の全長と同じ半マイル(約800m)ぐらいのところにあった。その光は列車とは反対方向(北)に向かって, 高度2,300フィート(約75m)のところを, 時速約50マイル(約80km)のスピードで列車の上を通り過ぎた。それは, 白い蛍光物のように光っていて, 直径が40フィート(約12m)ぐらいで円盤型であった。
4つの光体は, 半マイル(約800m)ほど列車の後ろに行ってから,
数秒間停止し, それから1つまた1つと順繰りに線路からそれて, 東の方へ動き始めた。それを, 乗務員全員が見ることができた。物体群は, 速度を変えると色も変えた。明るい蛍光色から最も遅い速度のときにはくすんだ黄色がかったオレンジ色になった。
およそ
2分間, 乗務員たちの視界から消えていたが, 列車の背後からまた現われ, 線路に沿ってまっすぐやってきて, たちまち列車を追い越した。そして, また車掌室の約200フィート(約60m)以内に近づいてきた。それらは線路用地沿いに並んでいる木立の梢よりやや高いところを, 線路の上の2つの物体は縁を垂直方向に立てて, 両側の2つは, ほぼ45度に傾いて飛行していた。
ロビンソンは車掌室に駆けこんで, 電池5個入りの強力なシールド・ビーム式懐中電灯を持ってきて, その光を物体に浴びせかけた。すると, その光が当たると物体は横に飛びのいて光線を避けたのだった。物体たちが線路の上に戻ってくると, もう一度その光を浴びせたところ, 今度はパッと散り散りになった。2度目に光を当ててからは, 物体はもう近くに来なくなった。
それでも, 列車の横や後ろをかなりの距離をとって飛び回ってはいたが ,列車がカークリン(Kirklin)に着くと, 北東の方へ勢いよく飛んで行き, 2度と現われなくなった。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎





(上写真,下イラストとも, サイト:「NOUFORS」から)
【サイト検索キー: Monon Railroad, 1958, UFO incident 】

参考外部=>monon.org(1958 MONON UFO Incident)

参考外部=>UFO Casebook(1958, The Monon Railroad UFO Incident )

参考外部=>UFOinsight (Multiple UFOs On The Monon Railroad)

参考外部=>NICAP(The Monon RR UFO Incident)

参考外部=>NICAP(The Monon RR UFO Incident)

参考外部=>NICAP(Comments: UFOs Follow Train)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1958: October UFO & Alien Sightings)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1958: The Monon Railroad UFO Incident )

参考外部=>intcat(INTCAT 1958)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day; October 3)

参考外部=>NOUFORS (The Monon Railroad UFO Incident)
●イグアペUFO沈没事件(ブラジル) 1958年10月31日, ブラジル・イグアペのペロパーバ川に, 故障したUFOと思われる機体が墜落し沈んだ事件。
【事件発生年が外部サイトでは, 多くが1963年になっており, こちらが正しいようです。】

この日の午後2時半ごろ
, ブラジル(Brazil)のイグアペ(Iguape)でガランガランという金属音とともに故障していると思われる5メートルもある銀色のUFOが町の上空に姿を現し, そのまま機体はペロパーバ川(Rio Peropava)近くの濁った水の上に突進し, 川の流れの中にすべり込んだ。
水が沸騰したらしく, 沈没地点あたりで川底からの泥が渦を巻いていた。 12人の目撃者がいた。本格的な調査が始まったのは,
1週間後からで,川の底に沿って走る4メートル以上の深い泥の層によって, 機体の残骸をつきとめることはできなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38), 「空飛ぶ円盤墜落す」, 文:ボブ・ダグラス, 訳:柳尾武義


イグアペ(Iguape)は, ブラジルのサンパウロ州内に位置し, ペロパーバ川(Rio Peropava)の河岸にある。川は広いゆっくりした流れで, その場所はおよそ15フィート(約4.5m)の深さがあった。
1958年10月31日の午後2時半ごろ, 少なくとも20人の人間が, 頭上から時折りガチャンガチャンという金属音をはさんで聞こえてくる大きな爆音に注意を引きつけられた。
ふらふらしながら現われて川に向かって飛行している物体は ,直径約16フィート(約5m), 中心部の厚さ約4フィート(約1.2m)の光る円盤状のものであった。それは, 川岸にあるエリディア・アルベス・デ・ソウザ夫人(Mrs. Elidia de Souza)宅の屋根をぐらつきながら飛びこえた。
そして, 機体を傾けて方向転換しようとしたらしいが, 椰子(やし)の木の幹に当たって, ますます不安定になった。 円盤は上向きに傾いた。どうやら上昇しようとしたらしい。次いで30フィート(約9m)ほど横に動き, うなりをあげて金属音を発しながら
数秒間, 川の上空に浮かんでいたが, 突然くるりと回転して水中に突っこんでしまった。
物体は, 水に触れると, 灼熱していたかのようにシューシューという音がしたが, 蒸気は出てこなかった。だが, 大きな泡が沸きあがってきた。
何秒か後には, かき乱された川の水にひどく泥が混じりだした。物体が突っこんだ場所では, 1時間以上も水が泡だちつづけた。
後に警察と軍が, 目撃した全員(総勢12名)を尋問した。
11月7日までには, さまざまな装置や専門家が勢ぞろいした。だが,二週間にわたる徹底した調査にも関わらず, 肝心の物体は見つからなかったという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第5章/典型的なケース】1988年, 著:フランク・エドワーズ, 訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Rio Peropava- Iguape, UFO incident 】

参考外部=>Sigma21(Queda de UFO no Rio Peropava- Iguape / SP)

参考外部=>REVISTA ufo(A rica incidencia do litoral de Sao Paulo)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day; October 31)

参考外部=>intcat(INTCAT 1963)

参考外部=>WATERUFO. NET(A SUBMERGED UFO?)
●スコットランド異星人遭遇事件(スコットランド) 1958年11月, 地方守備陸軍部隊が演習中の二人の若者が, 身長が2m以上もある二人の異星人らしき者に遭遇した事件。

スコットランド(Scotland)のある地方守備陸軍部隊が週末の演習を, アバーディーンから約60マイル(96km)のターランド村(village of Tarland)より数マイルはずれたブリマー(Braemar)とバラター(Ballater)の中間の場所で実施した。
演習が始まり, 二人の若者が数時間小さな丘の頂上に歩哨として残された。二人とも完全武装をしており, 横になるための壕を掘っていた。
早朝, 太陽が地平線に現れたとき, 二人の位置から数百ヤード離れた樹木の後ろから, ビンから水を流し込むときのようなドクドクという奇妙な音が聞こえてきた。音がやまないので, 二人は調べるため樹木の方へ歩き始めた。すると突然, 二人の人影がよろめきながらこちらに向かって歩いてきた。
歩哨の若者たちは恐怖で歩けなくなった。近づいてくる者たちは, 身長が2〜2.4メートルぐらいあり, ドクドクという音を出していた。 それは相手が互いに喉の奥で話し合っているために出てくる音のようであった。 その者たちは, 奇妙な服装をして, 荒れた丘の頂上を歩くのが困難らしかった。
二人の歩哨は, 急ぎ丘をかけおり, ターランドのハイウェーを走り, 郵便局のエンジニアたちの臨時宿泊所になっている小屋に向かった。 道路を走りながら, 若者の一人が振り返ると, 背後でシューッと音をたて, 巨大な円盤型物体が地上数フィートの空中を道路沿いに飛んでくるのを目撃した。
巨大な物体は, 一目散に逃げる二人の若者の頭上をサーッと飛びこえて, まもなく見えなくなった。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.18), 【続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤, 文:レナード・クランプ, 訳:久保田八郎】, 1976年
【関連サイト検索キー: Scotland, Braemar, Ballater, November 1958, ufo 】

参考外部=>Think AboutIt-REAL(1958: November UFO & Alien Sightings)

参考外部=>ufocasebook. com(Passport to Magonia- Sightings Database)

参考外部=>intcat(INTCAT 1958)

参考外部=>barbaradelong. com(1958)

参考外部=>ufo- alienworld. blogspot. com(UFO sightings 1958 to 1960)
●ケーキ人間襲撃事件(スエーデン) 1958年12月20日の午前3時ごろ, デンマークとの間を隔てるエレソン海峡に面したヘルシングボリ(Halsingborg)市の付近で, ボーリングのピンとスポンジケーキの合いの子のような得体の知れない4匹の怪物に2人の男が誘拐されようとした事件。

ハンス・グスタブソン(Hans Gustavsson- 35歳)とスティグ・ティドベルト(Stig Rydberg- 30歳)は, ダンスに出かけて帰る途中, 近くの松林のなかの空き地に, 光るものを見つけて車を止めた。2人は車を降りて近づいていくと, それは三脚台の上に乗った直径4.8mほどの光を放つ物体であった。
突然, 4匹の怪物(身長が1.2mぐらいで手足が短かい)が彼らを襲ってきた。強い握力で, 2人は着陸中の物体に引きずられていった。
その怪物に右手のこぶしで抵抗すると, こぶしはひじのあたりまで相手の体のなかにめりこんでしまった。ぐにゃぐにゃした怪物は, 彼らの考えを読めるようだったという。彼らがつかもうと思うと, 瞬間その部分をひっ込めたという。
看板の柱にしがみついたハンスを, 2匹の怪物がまごついていると, スティングを引きずっていた他の2匹がスティングを放し, 手伝いにきた。
スティングは走って車にもどり, けたたましくクラクションを鳴らした。音に驚いた怪物たちはハンスを放した。怪物たちは, 急いで物体の中にもどり, 物体は地上を離れ上昇して消えていった。
地方の各新聞は, 彼らの供述を面白おかしく報道した。 とくに ”ボーリングのピンか丸い菓子パン” みたいな怪物だったというハンスの言葉をからかって, この事件を ”ケーキ人間の襲撃” と書き立てたが, 2人の同意のもとにテストを行った精神科医のエリック・エッセルとキルヘルム・ヘルステン両博士は, 彼らの体験が本物であるという結論に達した。
【参考文献】
『UFOと宇宙』(NO.26), 【UFOと謎の奇怪な生物, 文:グレイ・バーカー, 訳:木戸淳子】,1977年



サイト:「CRYPTOPIA」から
【関連サイト検索キー: Hans Gustavsson, Stig Rydberg, Sweden, 1958, ufo 】

参考外部=>UFO-SVERIGE(Domstensfallet)

参考外部=>CRYPTOPIA(TERRIBLE FLYING JELLY BAGS aka DOMSTEN BLOBS: (SWEDEN)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1958: December UFO & Alien Sightings)

参考外部=>intcat(INTCAT 1958)

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day; December 20)

参考外部=>UFOdna(20 Dec 1958 - Hoganas, Sweden)


 
1959年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
1959年UFO情報 参考外部=>Think AboutIt- REAL(Category: 1959 Sightings)

参考外部=>UFOdna (UFO Sightings in 1959)

参考外部=>NICAP(The 1959 UFO Chronology)

参考外部=>intcat(INTCAT 1959)
●グジニア港UFO墜落事件(ポーランド)  1959年2月21日, ポーランド(Poland)のグジニア(Gdynia)というバルト海の港で, 桟橋で働いていた労務者たちが白熱した物体が港に落下するのを目撃した。
【事件発生月が外部サイトでは, 多くが1月になっており, こちらが正しいようです。】

謎の物体を捜すためダイバーが見つけたのは, 錆びていない金属片一つだけであった。
また,
2日後けがをした異星人が浜づたいに這っているところを発見された。 宇宙服のような奇妙な金属製の服装をしていたという。
身体の一部にやけどをしていた彼は,病院に連れていかれた。
医者は金属製の服を脱がせるのに苦労をしたが, 腕輪のようなものを外したとたん, その患者は死んでしまったという。
遺体は,ロシアに送られた。なお病院の検査で,その不幸な男は,手足の指の数が違い,血液型や器官も人間とまったく異なっていることが判明したという。

これは,ヨウン・ホバナ(Ion Hobana)とジュリアン・ウェバーベルグ(Julien Weverbergh)の共著である『共産圏のUFO』に記されているものである。

【参考文献】
『UFOと宇宙』1978年9月号(No.38), 「空飛ぶ円盤墜落す」, 文:ボブ・ダグラス, 訳:柳尾武義




サイト:「ufocasebook.com」から
参考外部⇒ TOCANA(ポーランド版ロズウェル事件)


【関連サイト検索キー: Gdynia Poland, 1959, UFO crash 】

参考外部=>COOL Interesting Stuff. com(The Unexplained Strange Creature Discovered In Gdynia (Soviet) Poland, 1959)

参考外部=>URECAT(JANUARY 21, 1959, GDYNIA, GDANSKIE, POLAND, BEACH GUARDS AND DOCTORS)

参考外部=>ufocasebook. com(Poland UFO Crashes )

参考外部=>ufoinfo.com(On This Day; January 21)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1959: January UFO & Alien Sightings )

参考外部=>Dziennik Baltycki(Siedem miejsc na Pomorzu, ・・・)
●キリアン機長UFO目撃事件(アメリカ)  1959年2月24日の夜, アメリカン航空のDC-6型機が, 3個の輝く円盤によって45分間つきまとわれた事件。

ピーター・キリアン機長(Captain Peter Killian-
20年の経験と飛行距離400万マイル以上の経験をもつ)と副操縦士のジョン・ディー(James Dee)は, アメリカン航空(American Airlines) の貨物輸送機でニューアーク空港(Newark Liberty International Airport)を離陸し, ノンストップでデトロイト(Detroit)に向かっていた。
ペンシルバニア(Pennsylvania)上空【フィリップスバーグ(Phillipsburg)とブラドフォード(Bradfort)の中間】を高度8500フィート(約2600メートル)で飛んでいた
午後8時45分, 南の方角に黄色に輝きながら一列に並んで飛ぶ3つの光体を目撃した。
キリアン機長は副操縦士のジョン・ディーや他の乗員及び乗客にその光体のことを知らせた。乗員は彼が幻覚を見たのではなく, 複数の物体がたしかにそこに存在していることを確証した。
機長はそれを確かめられる位置にいる二機のアメリカン航空の飛行機に無線で連絡をとったが, 二人の機長は, 自分たちも間違いなく見たこと返事をしてきた。
乗客の中にN・D・バスカスというユーティカ(Utica)のカーチス・ライト(Curtiss-Wright Corporation)支社の製造部長がいたが, 彼はその物体群が正確な編隊を組み, 空中でダンスをしているように見え, 1個の光体が近づいてきては,また隊列にもどるというようなことを繰り返していたと述べた。
このキリアン機長の報告に対し,空軍からは”ジェット機に燃料補給している空中給油機”だとか,”オリオン座の三つ星の見間違え”とかの説明を聞かされる破目になった。
豊富な経歴をもつベテラン・パイロットであるキリアン機長は,空軍のスポークスマンがニューヨークの新聞記者たちに,キリアン機長はおそらく飲みすぎていたのだろうと語ったため,キリアン機長は法廷で争う構えをみせた。そのため,その中傷はすぐに撤回されたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.19)』1976年,「(続)宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ,訳:藤間弘道
『空飛ぶ円盤の真実』【第10章・アメリカ人への口枷】,1988年,著:フランク・エドワーズ




(★状況を説明するキリアン機長。この写真では,左手にアメリカン航空DC-6のモデルを持っている)
サイト:「NICAP」から
【サイト検索キー:American Airlines Killian 1959 ufo 】

参考外部=>UFOinsight(The 1959 Killian UFO Case)

参考外部=>NICAP(Airliners Paced By Three UFOs: The Killian Case)

参考外部=>INTERLINK UFO CASES(THE KILLIAN CASE)

参考外部=>UFOs at Close Sight(The Killian - Orion belt sightings, 1959:)
●大型輸送機C-118墜落事件(アメリカ)
【フォート・ルイス事件】
1959年4月1日,乗員4名を乗せた空軍のC-118輸送機が,謎の飛行物体と衝突し,山腹に激突した事件。

その
朝6時30分にワシントン州タコマ(Tacoma)のマッコード・フィールド(McChord Field)空軍基地を飛び立った乗員4名のC-118機から,緊急通信の無線が送られてきた。
「われわれは何物かに衝突した−あるいは何物かに衝突された」−
数秒間の沈黙の後,操縦士の叫び声が聞こえた。
「メーディ! メーディ!」−国際的な救助要請信号だった。それから,最後の言葉が続いた。
「これがそうだ! −これがそうだ!」
C-118の大型輸送機は,サムナー(Sumner) とオーティング(Orting)間の山腹に衝突して,バラバラに分解した。生存者はなかった。
フォート・ルイス(Fort Lewis)から,ただちに軍隊が出動して,当該地域に非常線を張り,民間人の現場への立ち入りを禁止した。
遭難機を目撃した数多くの人は,二つのオレンジ色もしくは黄色味がかった物体が,C-118の後方すれすれに接近して,追跡していたと述べた。
その後,ちぎれてなくなった機体の後尾の部品が,現場から何マイルも離れたレーニア山(Mount Rainier)の北側山腹の丘の上で発見された。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第3章・空中衝突とニアミス】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Fort Lewis, C-118, 1959, UFO 】

参考外部=>MyNorthwest(Bonney Lake crash and UFO mystery reveal hidden history)

参考外部=>CUFOS (UFOS: A HISTORY 1959 APRIL- JUNE)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1959: April UFO & Alien Siqhtings)
●パプア島円盤騒動事件(パプア・ニューギニア)

『コズモ(UFOと宇宙)』NO.3から
1959年の6月から8月において,パプア島のグッドイナフ湾付近の上空で多数の円盤が目撃された。特に,6月27日のボイアナイの目撃時には円盤の乗員らしき人影が円盤上から手を振った。

●以下,
6月27日の目撃状況−
1959年6月27日午後6時ごろ,前日の6月26日に続き,同じ形の円盤がボイアナイ(Boianai)に出現した。
ボイアナイは,パプア・ニューギニア(Papua New Guinea)のパプア島内にある村落で,海岸には,ボイアナイ全聖者伝道本部があった。 本部長のウィリアム・ブース・ジル(William Booth Gill)神父と他数十名の目撃者がいた。
円盤の上部には4人の人影が見えた。 乗員の一人は手すりにもたれてこちらを見下ろしていた。 神父が手を振るとその人影も同じ動作をした。アナニアス(目撃者の一人)が両手をあげて振ると,今度は二人が同じことをした。
何分間か交歓をかわすうちに彼らは興味を失ったのか姿を消してしまった。
青いスポットライトが,
数秒間づつ二度点灯された。
神父らは,
午後7時の礼拝に出席し,礼拝が終った7時45分に協会を出たときには,雲におおわれた空には円盤は全て(人影が見えた大型円盤のまわりに小型の円盤が数機目撃されていた)姿を消していた。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』(NO.3・4),1973年(パプア島の円盤騒動,文:ノーマン・クラットウェル神父,訳:増野一郎)


ウィリアム・ブーズ・ギル(William Booth Gill)牧師は,英国国教会の叙任司祭であり,ブリスベーン大学の卒業生である。
この事件を目撃したのはギル牧師だけでなく,一緒にいたニューギニアのボアイナイ(Boianai)にいた20人以上の生徒と教師たちである。
1959年6月27日夜の夕食後,牧師はポーチ(張り出し玄関)に出て,金星の方角を見上げた。すると,金星よりもはるかに明るい光に目を奪われた。それは急速に近づいてきた。師は教師の一人を呼んだ。すると生徒も数人集まってきた。
光る物体は,距離にして目測で約400フィート(約120m)のところまでやってきた。おかげでそれが円盤型の構造物であることがわかった。基部は幅が30〜40フィート(9〜12m)で,底部には対角線上に並んだ4本の金属の脚が突き出ていた。上部はドーム状で,目撃者たちの推定では高さ10フィート(約3m),直径およそ20フィート(約6m)だった。そして,この飛行物体の頂上には一種のデッキ(甲板)があるようで,そのデッキ上には小さな人間に似た生き物が,幾人かがいた。彼らは一度に4人以上,姿を見せることはなかった。低い手すりによりかかっているようであるが,薄暗かったので手すりがあるかどうかは,はっきりとはわからなかった。
時々,連中の一人が身をかがめてデッキ上で何かを操作しているようで,
約30秒ほどの間合いを置いて,明るい青色の光が一条の細い光線となって,まるで信号を送っているかのように5秒間ほど,上空に向かって発射された。
ギル牧師は,彼らと連絡をとりたい衝動にかられ,手すりみたいなものから身を乗り出している一人に向かって,頭の上で手を振ったという。すると,相手も同じように手を振ってきた。教師が両手で手を振ると,乗り物の上にいる二つの人影が同じことをした。牧師と教師の二人は思いきり高く両手を振ると,今度は4つの人影がお返しとばかりに同じことをしたという。
牧師たちは嬉しくなった。少年たちは大喜びで,数人が円盤のデッキ上にいる人影に大声で呼びかけたそうだが,返事は聞こえなかったという。
男の子の一人がトーチ(懐中電灯)を持って来たので,それで光線を物体に向けたところ,円盤は地上にかなり近づいてきた。それで着陸をするつもりかと思ったのだが,そうではなくがっかりしたという。
同じ物体かあるいは似た物体が,その後
何日間か昼夜を分かたず,同校の上空に現れたが,この時ほど近づくことは,決してなかったという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ?】1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「The Black Vault」より
参考外部=>UFO事件簿(パプア事件(ギル神父事件))

参考外部=>GA Site(パプア・ニューギニアのUFO出現騒動)

参考外部=>UFOレポート(UFOREPORT006)

参考外部=>実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(ばいばーい)




【サイト検索キー: Boianai, Papua New Guinea, 1959,ufo 】

参考外部=>YouTube(The Father Gill / Papua New Guinea UFO Encounter (1959) )

参考外部=>YouTube(The Boianai UFO Encounter)

参考外部=>YouTube (Father William Gill Talks about the Extraordinary Papua New Guinea UFO Encounter (1959) - FindingUFO)

参考外部=>The Black Vault(Father Gill & the 1959 Papua New Guinea UFO Sighting)

参考外部=>UfoCaseBook(The Papua, New Guinea Sightings)

参考外部=>UFO INSIGHT(The Boianai Visitants Over Papua New Guinea)
●ギデオン・ヨハンソンUFO遭遇事件(スウェーデン) 




『宇宙人の死体写真集』から
1959年の10月末のこと,スウェーデン南部のマリアンルンドという町で,電気技師だったギデオン・ヨハンソンが,地上50cmに静止しているUFOに遭遇し,UFO内にいる2人の不思議な乗員を目撃した。
ギデオンは,この日帰宅していたが,
午後7時前に突然,停電となってしまった。
停電の原因を調べようと家の外に飛び出していくと,三階建ての建物の上空に目もくらむような光体が浮かんでいるのを目撃した。ギデオンは最初,航空機が墜落しかけているのではないかと思ったが,その物体は空中に静止したまま動かなかった。音は,まったく聞こえてこなかった。
そのうち,その物体はゆっくり動きだした。どうやらヨハンソン家の庭に向かって降下してくるようだった。降下中に機体は3度ほど揺れ,カエデの木のこずえにぶつかった。UFOは,そのまま枝のあいだを抜けてほぼ垂直に降下し,路上50cmのところで静止した。そこで小型ボートのようにゆらゆらと空中で揺れている。
ギデオンが,門のところにたどりつくと,UFOはほんの3mほど近くにあった。UFOは全長が3.5〜4m,高さ2.5m,楕円形をしていた。薄いブルーで,厚さ8mmはありそうな装甲板に似た金属で造られているように見えた。周囲のフレームは,リベットでとめてあったため,UFOはまるでハンドメード(手作り)のような気がしたという。
そして,UFOの機体には窓があり,内部には不思議な白い光がついていた。窓ごしに見ると,機内に二人の小柄な奇妙な人物が座っていた。頭が大きく,美しい大きな目をしていた。鼻は細長く,おちょぼ口で,下あごが小さく,あごの先が尖っていた。彼らは黒い色の幅広のベルトを肩から胸にXの字のように交差させて,ユニフォームを着ているようだった。
一人が,急いでベルトをはずすと,しゃがみこんでなにか作業をはじめた。作業は,すぐに終わったようだった。ギデオンは,手を振って笑いかけたが,乗員の一人が数秒間,ギデオンをじっと見つめただけであった。
まもなく,UFOは浮かびあがり,いったん停止して機内の光が消えると,あっというまに飛び去ってしまった。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集』,1989年,著者:中村省三
 
1960年
200 事件名 470 事件の概要および詳細 230 その他参考サイトなど
●ジェルメン・ティシット宇宙人遭遇事件(フランス)
【ピュイ・ド・ドーム事件】



★遭遇したUFOと宇宙人
(IIIust/"Phenomenes Spatiaux" no.21)
『宇宙人の死体写真集2』から
1960年の4月もしくは5月初めのある晩 ,フランス中部のピュイ・ド・ドーム県にある村でパン屋を営んでいたジェルメン・ティシット(50歳代)は, 付近に着陸した巨大な円盤型UFOに遭遇し,中から降りてきた小柄な乗員からビーム光線を浴びせられた。

午前2時ごろ,パン生地をこねる作業が終わったティシットは,窓の外から差し込む光と奇妙な音を聞いた。
なんと,パン製造工場の外にある坂道に巨大な物体が着陸しているのを,外に出たティシットは目撃した。
最初,物体は坂道の傾斜どおりに傾いて着陸していたが,底部から着陸装置が伸びてきて機体が持ち上がり水平になった。 その物体はコマのような形状をして,大きな音を発していた。幅は10〜15メートルで高さが5メートルほどであった。 物体の上半分は透明で,高速回転をしており,ネオン管に似た長さが50センチほどの蛍光管が,同じ間隔を空けて表面に4列並んでいた。 列により色が違ったが,まぶしい多色の光を機体の周囲に投げかけていた。そして,物体からは生温かい強烈な風が噴き出していた。
すると,物体の右手からはしごが下りてきて,そのはしごから小柄な人間が地上に降りてきて,ティシットのほうに近づいてきた。ティシットは,その乗員をつかまえてやろうと強風に逆らって突き進んでいった。
その乗員は小柄だったが,体格がよく,顔立ちもハンサムらしかった。 小さなブーツとぴったりしたズボンをはき,ボタンが並んだ灰緑色のジャケットを着ていた。 消防士のようなヘルメットをかぶり,4つの箱のついたベルトをしていた。
近づいてくるティシットに気づいた乗員は,懐中電灯に似た長いチューブを構えた。 すると,そのチューブの先から強烈な白いビームが放射され,ティシットの胸と頭を直撃した。彼は,息ができなくなった。 それでも,まだ進んでくるティシットを見て恐れをなしたのか,その小柄な乗員は,はしごを昇ると円盤の中に姿を消した。
円盤は垂直に30メートルほど上昇した。そして,わずかに揺れながら南の方角に猛烈なスピードで飛び去っていったが,その際,ティシットは月明かりで,同じような形をした円盤の群れに加わったのが見えたという。
【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』著者:中村省三,1991年(フランスのパン屋にビーム光線を浴びせた宇宙人)
参考外部⇒オカルト・クロニカル(パン屋 VS 宇宙人 ピュイ・ド・ドーム事件)

参考外部⇒GA Site(フランスに着陸したUFO軍人)
●牛乳配達人UFO遭遇事件(オーストラリア)  1960年の夏のある朝早く,オーストラリアのシドニーの南海岸に沿って歩いていた牛乳配達人が,着陸している円盤とその乗員2人に遭遇した。

牛乳配達人は,すみれ色に取り囲まれ,哀れっぽい音を出している妙な金属製の円盤に出くわした。
突然,2人の男が現われた。2人とも宇宙服を着て透明なヘルメットをかぶっていた。 彼らの目は青く,東洋人のような顔をしていた。そして,完全な英語で牛乳配達人に声をかけたが,彼らの唇は動かなかった。 その声は,ベルトについている四角い箱から出ているようだった。
彼らは,オリオン星座から地球を接収する準備をするためにやってきたのだと警告し, 彼らが,その牛乳配達人に接触できたのは,彼からでているオーラのせいだと告げた。 そして,彼らは,いつかまた戻ってきて彼と接触することを約束したという。

【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール
参考外部=>ufos-scientificresearch(South Australian UFO research 1953- 2017)
 

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