UFOレガシーUFO・ミステリー事件遺産 当サイトで参考にしたUFO関連本一覧
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UFO事件集(1941年〜1950年) 
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1941年〜1950年
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1947年 1948年 1949年 1950年
1941年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ケープジラード墜落円盤目撃事件(アメリカ)
【ウィルアム・ハフマン事件】
1941年4月12日の夜,牧師のウィリアム・ハフマンが,ミズリー州ケープジラード(Cape Girardeau)から約24キロ離れた飛行機の墜落現場に呼び出されたが,墜落していたのは円盤状の宇宙船で,死亡していたのはその乗組員3体であった。

この日,ミズリー州のある森の中に謎の飛行物体が墜落した。
バプティスト派の牧師ウィリアム・ハフマン(William Huffman)が,飛行機の墜落ということで(乗員が死亡しているので祈りを捧げるため)呼び出された。
しかし,ミズリー州ケープジラード(Cape Girardeau)から約24キロ離れた墜落現場に到着すると,墜落していたのは飛行機ではなく,円盤状の宇宙船であった。
宇宙船の中には人間の形をした乗組員3体の死体があった。 警察官や消防隊員,カメラマンが何人か来ていた。
ハフマンが祈りを終えたところで軍隊が到着し,指揮権を掌握した。
カメラマンが撮影したフィルムなどは没収され,ここで見たことは重大な国家安全保障事項であることを告げられ,他言してはならないことを厳重に言い渡された。
この事件を示す書類は,
1990年代中盤になり発見された。それは,UFO研究家レオナード・ストリングフィールドに宛てたシャーロット・マン(Charlotte Mann)の書簡に初めて登場する。 ウィリアム・ハフマンは,シャーロット・マンの祖父である。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年



サイト:「EXONEWS」から
参考外部サイト⇒gogo-going-blog(1941年ケープジラードに墜落した円板と異体)

【サイト検索キー: Cape Girardeau, 1941, ufo 】
参考外部=>YouTube(Aliens & UFOs: 1941 Cape Girardeau, Missouri UFO Crash)

参考外部=>YouTube(1941 Missouri UFO Crash)

参考外部=>CE(Before Roswell: The 1941 Cape Girardeau,Missouri UFO Crash With Extraterrestrial Bodies)

参考外部=>thoughtco(1941 Cape Girardeau,Missouri Crash)

参考外部=>exonews(The 1941 Cape Girardeau,Missouri UFO Crash With Extraterrestrial Bodies)
 
1942年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ロサンゼルス砲撃事件(アメリカ)
(Battle Of Los Angeles)



『ロサンゼルス・タイムズ』に載ったもの。かなりレタッチされていたという。
『あなたの知らない都市伝説の真実』から
1942年2月25日,ロサンゼルスの西方約190キロの地点に編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体に,米軍が高射砲攻撃を行った事件。

太平洋戦争が開戦して間もないころの
1942年2月25日午前2時15分,ロサンゼルスの西方約190キロの地点に編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体をレーダーがとらえた。
米軍は,これを日本軍の航空機の襲撃とみて,
午前3時16分,第37沿岸砲兵旅団による高射砲攻撃が始まった。
サーチライトで機体をとらえ1,430発もの高射砲を浴びせた。だが,高射砲をあびせた飛行物体は一機も撃墜されることなく,上空約30kmゆっくりと飛び去っていった。
この攻撃で,ロサンゼルスの空は,まるで爆発した火山のように真っ赤になった。驚いた市民が,交通事故や心臓麻痺などにより5人が犠牲になった。

【参考文献】
『NASAも隠しきれない異星文明の巨大証拠群』(ロサンゼルス上空のUFO),2003年
『宇宙人はなぜ地球に来たのか』,2013年
『あなたの知らない都市伝説の真実』(アメリカで起こった「宇宙戦争」),2014年
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』,2015年
参考外部⇒Wikipedia(ロサンゼルスの戦い)

参考外部⇒TOCANA(衝撃動画】25機のUFOが出現し、米軍がガチ攻撃した“伝説の事件映像”が発見される! 75年前のロサンゼルス事件全貌とは?)

参考外部⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(ロサンゼルスUFO空襲事件)

参考外部⇒UFO事件簿(ロサンゼルス空襲事件)
 
1943年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
 
 
1944年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
 
 
1945年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
 
 
1946年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ハワード・メンジャー宇宙人遭遇事件(アメリカ) 1946年6月,米ニュージャジー州のハワード・メンジャーが,着陸した円盤から降りてきた二人の男と一人の美しい女に遭遇した。

6月のある日,ハイブリッジにある彼の両親の家の近くに,輝くUFOが着陸し,二人の男と一人の美しい女が出てきた。
男たちは,ブルー・グレーのスキー服のような制服を着ていて,ブロンドの髪,白い肌,中くらいの身長をしていた。 女は,輝いているようなパステル・カラーの同じような服を着ていた。そして,その女はメンジャーに自分は500歳になると話した。
彼女は,メンジャーに自分の知能を利用することを学び,将来の重要なときに備えるように忠告した。 そして,このことは
1957年 までいっさい人に話さないでおくようにとも語った。
【参考文献】
『UFO超地球人説』,1976年,著:ジョン・A・キール,訳:巻正平
参考外部サイト⇒GAsite(第7章 現代のUFO 第3話宇宙よりの来訪者)
 
1947年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●モーリー島事件(アメリカ)



『UFOと宇宙NO.56』から
1947年6月21日 ,米ワシントン州タコタ沖のモーリー島で目撃されたUFOから謎の物体が放出された事件。

この日午後2時ごろ,タコマ沖プジェット海峡のモーリー島近くの東側海上をパトロール中の警備艇があった。 警備艇にはH・A・ダール艇長と2人の乗員の他,ダールの息子と飼犬も同乗していた。 艇がモーリー島の東岸の湾に入ったときだった。低くたれこめた雲の中から突然現れた6機のドーナツ型飛行物体が艇に近づいてくるのが目撃された。
最初はバルーンのように見えたが,よく見ると全く異なっていた。6機のうち1機は高度が急に500フィート(約150m)くらいまでガクンと下がり, いまにも墜落しそうな動きをみせた。その機は故障を起こしているようだった。 他の5機は故障機の周囲をグルグル回っていた。物体群は無音で飛行し,色は銀色で光りを反射させており,外縁には舷窓をもっていた。 底部の中心部にある穴の直径は約25フィート(7.6m)で,その内側は黒く,縁には窓が連続して並んでいた。
5分ほど 見ていると,故障機の周囲を回っているうちの1機が, 故障機に近づき接触するようにそのまま 4分間 じっとしていた。 そして,鈍いドシンという音が聞こえたと同時に,故障した1機が,底部の穴から明るい白い金属片を多量に放出し始めた。 それは,水面に水しぶきをたてて落下した。つづいて,溶岩のような黒い物質をばらまいた。 物質は溶解しているらしく,海上でシューシューと音をたて蒸気をあげた。
艇上の息子は破片で腕にケガをし,犬は破片の当たり所が悪く死んでしまった。 黒い溶岩状の物質はモーリー島の海岸にも落下していた。
危険を感じた警備艇はモーリー島の海岸の崖下に避難した。 やがて,故障機も全快したらしく,6機の飛行物体は高度を上げ,太平洋に向け西の方の飛びさっていったが, 故障していた機は編隊の中央に位置したままだった。
海岸には落下された黒い物質が散乱しており,しばらくの間,熱くてさわれなかった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.30,1978年(「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
『UFOと宇宙』NO.56,1980年(「怪奇モーリー島事件とは何か」,文:日高実男)
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年(「ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊」,文:黒田佑太)
参考外部サイト=> UFO事件簿(モーリー島事件)

参考外部サイト=> 怖話(【1947年】モーリー島事件)

参考外部サイト=> 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(UFO同士の空中衝突!?〜「モーリー島事件」)

参考外部サイト=> リアルライブ(UFOが襲来、謎の物質を撒き散らす!? 「モーリー島事件」)

参考外部サイト=> ぶちねこのUFO文庫(【1947年】モーリー島事件)

参考外部サイト=> 柳田威生blog(モーリー島事件 誰が誰をだましたの?)

参考外部サイト=> 未解決事件/世界不思議事件/凶悪事件まとめ(モーリー島のUFO故障事件)
●ケネス・アーノルド事件(アメリカ)
1947年6月24日,アメリカ・ワシントン州のレーニア山上空で,ケネス・アーノルドが, 賞金つきの行方不明機(レーニア山の南西側山腹に墜落したもの思われる海兵隊輸送機)を捜索中に, 北から南へ編隊を組んで高度9500フィート(約2900メートル)を飛行中の9つの奇妙な物体を目撃した。

アーノルドは高高度飛行用に設計された単発の自家用機で,チェハリスからヤマキに向けて飛行中だったが, 不明機の話しを聞き,レーニア山南西側付近を飛び回った。不明機は見つからず,捜査をあきらめて機首を元のコースに向けると,機体表面をキラリと強い閃光が反射した。 光の方角に顔を向けると,9機の奇妙な外形をした尾翼のない飛行機がまるで連結されたように一本の対角線状に編隊を組みながら飛んでいた。
後日,アーノルドの手記より「flying saucer(空飛ぶ円盤)」の名が生まれた。 マスコミが報道したことから,空飛ぶ円盤騒動の発端となった。また,アーノルド氏が目撃した
6月24日 は,「空飛ぶ円盤(UFO)の日」とされている。
【参考文献】
『地球ロマン(復刊2号)』,1976年【資料・空飛ぶ円盤】
『UFOの内幕』,1985年
『UFOと宇宙人(99の謎)』,1978年【世界のUFO事件簿】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊】
参考外部⇒Wikipedia(ケネス・アーノルド事件)

参考外部⇒UFO事件簿(ケネス・アーノルド事件)
●ランドバリー・キャッスル号飛行船型UFO遭遇事件(ケニア) 1946年6月30日の夜,近海蒸気船ランドバリー・キャッスル号が,ケニアの海岸沖で巨大な飛行船型飛行物体に遭遇した。

ランドバリー・キャッスル(Llandovery Castle)号は東アフリカのケニア(Kenya)の海岸沖を南に進んでいた,
この夜,夜空には星があふれていたが,月は出ていなかった。
一人の乗客が,星が何かの陰になって,夜空に異常な黒い部分があることに気づいた。その黒さが船に向かって降りてくるように感じた。
近くにいた船員が上官を呼んできた。そのころには乗客9人を含む総勢12人が,近づきつつある黒い物体を見守っていた。それは巨大で照明はついていなかった。
そして,海上約100フィート(30.5m),船から約0.5マイル(約800m)離れたところで,海岸と船の間を水平飛行をする態勢に移った。この時点で,物体は底部から目もくらむような白光を放った。その光は海上を照らし,反射で,その物体が巨大な飛行船型飛行物体であることが,はっきり確認できた。
その物体の長さは,ランドバリー・キャッスル号の2倍ほど,およそ1000フィート(305m)もあったという。
物体は音をたてず,機体は何らかの光る物質でできているらしく,海面にあたって反射した光線や,星の光さえも映していたところからすると,ぴかぴかに研磨された金属だったかもしれない。
その飛行物体は,
数分間,船とペースを合わせて進んだのち,まばゆいサーチライトを消して,あっという間に,音もなく,それが現われた夜空へと舞上がり消えていった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
【サイト検索キー: Llandovery Castle, 1946, ufo 】
参考外部=>waterufo.net(THE LARGEST SAUCER EVER OBSERVED)

参考外部=>UFOdna(Sightings near 50 N x 10 W)

参考外部=>intcat(INTCAT 1946-1949)

参考外部=>ATS(UFO Light Beam Cases.)
●ロズウェル事件(アメリカ) 1947年7月4日の深夜,ニューメキシコ州コロナに近いフォスター牧場(ロズウェルの北西70マイル(約110キロ)) の管理人(ウィリアム・マック・ブレーゼル)が爆発音を耳にし, 5日の朝 ,牧草地に散乱する金属片やプラスチックの棒のようなものを多数発見した。 保安官に連絡後の 7日 になると,現場は陸軍航空隊と憲兵により管理された。
破片を回収したのは,当時ロズウィル陸軍飛行場に駐屯していた第509爆撃航空団で, 最初に残骸の調査に派遣されたのは,第509爆撃航空団の首席情報官のジェシー・マーセル少佐である。 残骸は,現場から,ロズウェル陸軍飛行場に運ばれた。 基地司令官ウィリアム・ブランチャード大佐が,基地広報係士官のウォルター・ハウト中尉に許可を与え,
7月8日 ,ウォルター・ハウト中尉が,「ロズウェル空軍基地駐屯の第8航空軍第509爆撃大隊情報部が,円盤の回収に成功した」という声明を発表した。 しかし,その数時間後,「円盤回収は誤報で,正体は気象観測用の熱気球とレーダー反射器だった」と声明を撤回した。
墜落機の破片は,爆撃機に搭載するよう指示され,第8航空軍の司令部の置かれているフォートワース陸軍飛行場に運ばれ,ロジャー・M・レイミー准将が指揮をとった。 レイミー准将の参謀長,トマス・ジェファーソン・デユボーズ大佐は,第8航空軍戦略空軍副司令官クレメンツ・マクミュラン中将から"円盤"話を握りつぶすよう命令された。 回収された破片は,マクミュラン中将のいるワシントンDCのもとに輸送され,マクミュランはこれを受け取り,分析のため、 自家用機に乗せ,オハイオ州デイトンにあるライト飛行場(後のライト・パターソン空軍基地) に運んだ。

1947年 時点での空軍の公式見解は,回収された破片は気象観測用の熱気球とレーダー反射器であった。 この言い訳が定着して,ロズウェル事件はほとんど忘れられた。 しかし, 1978年 ,スタントン・フリードマンが偶然から退役したジェシー・マーセルに出会い, マーセルがロズウェル事件でかかわった新事実を語ったことから,この事件がふたたび注目を集めることになった。
1990年代中盤 に空軍は,気象観測用の気球というのは作り話で,実際に墜落したのは, 当時の最高機密計画「プロジェクト・モーグル」と名づけられた機材だったことを認めた。 しかし,この装置の部分には,ごくありきたりの気象観測用気球と,バルサ材と金属箔でできたレーダー反射器,真空管を使った無線装置が使われていた。
空軍でも屈指のトップエリートが集う爆撃航空団(第509爆撃航空団は,原子爆弾の輸送運搬を許可された唯一の航空団)の当時, 首席情報官だったジェシー・マーセルが,たとえ残骸でもこれらを見分けられないはずはないという。

【参考文献】
『X-ZONE(No.5)』(隠蔽されたUFO墜落事件),1997年
『決定版超怪奇UFO現象FILE』,2009年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部⇒「浅川嘉富の世界」にようこそ!!(ロズウェル事件の真相)

参考外部⇒Myth_of_Roswell Incident(ロズウェル事件)

参考外部⇒A Different Perspective(The Roswell UFO and Jesse Marcel)

参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件)

参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件の目撃談)

参考外部サイト⇒UFONUT(Cowboys & Aliens:The real story )

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ロズウェル事件 )

参考外部サイト⇒パブー(Roswellに堕ちたUFOミステリー)

参考外部サイト⇒ASIOS(ロズウェル事件)

参考外部サイト⇒You Tube(サイエンスZERO 「UFO現象の謎を追え」)

参考外部サイト=>The Roswell Incident
●もう一つのロズウェル事件(アメリカ)


★ジェラルド・アンダーソンが目撃した宇宙人のスケッチ
『宇宙人の死体写真集2』から




サイト「Mystery Planet」から
コロナでの墜落(ロズウェル事件)と同じタイミングで,もう一つの別の墜落事件があったという。

場所はニューメキシコ州のサン・アーグスティン平原(ソコロの西方70マイル(約110キロ),コロナから140マイル(約220キロ)離れた場所)である。 地質学者バーニー・バーネットが,地質学専攻の学生らとともにこのエリアを調査中に墜落機の残骸に出くわしたというもの。 彼と学生たちは機体の外に乗員と見られる身長が1.2メートルほどの人間に似た生物を何体か見つけ,そのうちの一人はまだ生きているのに気づいたという。

【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年


1990年に,同じ場所で宇宙人の死体を見たという人物が名乗りをあげた。 それは,当時5歳であったジェラルド・アンダーソンである。
彼は,
1947年7月に,家族そろってインディアナ州からニューメキシコ州のアルバカーキに移住してきた。
南西部に来て
2日目に,叔父のテッドと兄のグレン・ジュニア,従兄のビクターなど5人で車に乗り込み,砂漠に岩石の採集に出かけた。 そして,コケメノウがあるという場所に向かった。 車は尾根のてっぺんで行き止まりになり,彼らは車を降りて,徒歩で涸れ谷を下り,干し上がった川底を通って平原に出た。
そして,角を曲がると,正面の丘に直径が約15メートルの銀色の円盤が突っ込んでいるのを目にした。 そこは,地元の人たちが,サン・アーグスティーン平原と呼んでいる場所の端にある低い丘の中腹のところであった。
そのそばには4体の生物がいた。2体はすでに死んでおり,一体は瀕死の重傷,もう一体は無傷のようであった。 その生物の身長は1.2メートル程で,異常に頭が大きく,アーモンド型の真っ黒な目をして,円盤の影で体を丸めていた。
彼ら,目撃者たちが近づいていくと,4体目の無傷の生物は,襲撃されると思ったのか,恐怖でたじろいだ。 大人たちが,その生物に英語とスペイン語で,いろいろ話しかけたが,返事はなかったという。
数分後に,その現場に大学生5名と教授1名がやってきた。 彼らは,そこから数キロ離れた場所で遺跡の発掘に従事していたが,前の晩に火を吹く隕石が落下したように見えたので,この場所に来たのだという。 教授は,ブッシュカーク博士という名前だった。
そのころには,太陽は中天に昇り,気温は45度以上に達した。アンダーソンは,円盤の影に避難することにした。 機体の周囲に近づくと冷たくなったのを感じた。機体の金属に触ってみると,冷蔵庫から出したばかりのように冷たかった。
5歳のアンダーソンは,横たわったままの生物にも触れてみた。その体も冷たかったが,子供心にその生物が人形のように見えると思った。
アンダーソンたちは,全体の状況を観察するために,近くの小山のてっぺんに走った。 すると,尾根にピックアップ・トラックが停まっていて,その連中が見物人に加わった。(UFO研究者たちは,これが地質学者のバーニー・バーネットたちだと信じている)
アンダーソンは,勇気を奮い起こして,もう一度円盤に近づいた。そのとき,立っている生物が急に振り向いて,彼の顔をのぞきこんだ。 アンダーソンは,その生物が頭の中に入り込んだかのような感じがし,墜落感とぐるぐる回転するような感覚を覚えた。 その生物の墜落の体験をアンダーソンは,頭の中で再体験したのだという。
その後,事態は急速に展開した。武装した軍の分遣隊が現われ,兵士たちが現場に殺到した。 兵士たちにより,民間人たちは機体から追いやられた。
アンダーソンは,赤毛の大尉と黒人の軍曹の荒っぽい言葉を特に覚えているという。
アンダーソン゙たちが,丘の頂上まで,引き返すと,軍の一大隊が集結しているのが見えた。 道路を封鎖し,トラックや航空機が集まっていた。無線通信装置,救急車,武装した兵士などが大勢いたという。
アンダーソンが見た円盤は,まるで衝突したかのように側面に裂け目が生じていたという。 このため,もう1機がそこにぶつかり,1機は爆発して,ロズウェル近郊にばらばらになって墜落し,もう1機が,目撃したサン・アーグスティーン平原に墜落したものだという。

【参考文献】
『宇宙人の死体写真集2』,1991年, 著者:中村省三(43年間の沈黙を破った宇宙人の死体の目撃者)
参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件の目撃談)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ロズウェル事件 )

参考外部サイト⇒BEFORE IT'S NEWS(THE “OTHER” ROSWELL CRASH: The Secret of the Plains)
●ヒギンズ宇宙人遭遇事件(ブラジル)

サイト「GAsite」から
1947年7月23日,ブラジルでジョゼ・C・ヒギンズが巨大な(身長約2.1メートル)宇宙人に出会った事件。

この日,ブラジルのパラナ州ピタンガ(Pitanga)の北西,カンポ・ムラオ(Campo Mourao)の南西にあたるゴイオ・バングという村で,測量労務者のジョゼ・C・ヒギンズが,絹を裂くようなシューツという高音を聞いた。
すると奇妙な円形の物体が開拓地の上空を旋回して,ヒギンズから45メートルほど離れたところにふんわりと着陸した。
一緒にいた他の労務者は逃げ出していたが,ヒギンズだけはそこに残った。
その円盤は,直径は約24メートル,高さは4.5メートルぐらいあり,パイプがいろいろな方向に交差していて,シューツという音は,その中の6本から発していた。 地面に接する部分には曲がった脚のようなものがあり,着陸すると曲がり方がいっそうひどくなった。 機体は,銀ではないが,明灰色の金属でできているようで,窓が一つあり,変わった様子の2人の男が,彼の方を物珍しそうに見ていたという。
そのうちに物体の下側のにドアが開くと,3人の男が現われた。体を完全に包む透明な作業服のようなものを着ていて,頭部まですっぽり包んでいた。 背中には金属製らしき箱を背負っていた。
彼らは,眉毛もまつげもない大きな丸い目をし,頭には全然毛がなく,大きくて丸い頭をしていた。 足は地球人より長く,身長は約2.1メートルほどあった。
彼らは,お互いが話し合っていて,ヒギンズには言っていることを聞きとることはできたが,意味は全然分からなかったという。 3人はヒギンズを取り囲み,一人が手にもった金属チューブをヒギンズに向け,円盤に誘い込もうとしている様子であった。
ヒギンズは手まねでどこへ連れていくのかとたずねたところ,彼らは分かったらしく,リーダーらしき一人が地面に太陽をあらわす円を描き,その周囲に7つの輪を描いた。 そして,7番目の輪と円盤の機体を指さし,それを何度か繰り返した。(注:7番目の惑星は天王星)
ヒギンズは恐れをなした。そのとき良い考えが浮かんだ。
彼らが妙に日光を避けているらしいので,自分も日陰に入り,ポケットから奥さんの写真を出し,彼らに見せ,彼女も連れていきたいという説明を手まねですると, 彼らはヒギンズを別に止めようとしなかったので,うまいこと近くのしげみに逃げ,彼らの様子を観察した。
彼らは跳びはねたり石を遠くに投げたりして子供のように遊んでいたが,
30分もすると,円盤に乗りこんだ。 円盤は,同じシューツという音をたてて上昇し,北の方角に飛び去っていったという。
ヒギンズは,彼らの言葉の一部を覚えていて,それによると,太陽を示す「アラモ」と7番目の輪を示す「オルケ」であるという。

【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,1974年
『UFOと宇宙(No.28)』,1977年【宇宙人からテレパシー・メッセージを受ける科学者たち,文:グレイ・パーカー,訳:増野一郎】
参考外部サイト⇒ GAsite(第7章 現代のUFO 第3話)

参考外部サイト⇒世界最大の怖い話サイト 怖話(【1947年】ヒギンズ事件)

参考外部=>YouTube(Caso Jose Higgins)
●ジャンサンUFO遭遇事件(アメリカ)
1947年7月23日 ,航空専門誌編集者ジャン・ジャンサンが自家用飛行機を操縦中に2機の円盤に遭遇し,ジャンサンの飛行機が空中で一時停止させられた。

この日 ,ニュージャージー州モリスタウンに住むジャンサンは自分の飛行機を操縦して高度1800メートルを飛行していると,何かカメラのフラッシュのような光がひらめいたのに気づいた。 光は機首の上方,11時方向からで,ジャンサンは上のほうを飛んでいる飛行機が太陽光線を反射したのだと思っていた。 それ以上べつに気にもしなかったが,機のエンジンの調子がおかしくなり始めた。 ジャンサンはキャブレターの温度を上げ,スロットルを全開にしたが,エンジンはゼーゼーという音を出しただけで停止してしまった。 当然,機は機首を下げて滑空を始めると思ったのだが,正常の水平飛行姿勢をとり,スピード・メーターの針はゼロを指していた。 なんと,機は重力の法則に逆らっていたのだ。
異様な状況におびえてしまったジャンサンは,左翼の先端越しに奇妙な飛行物体を見た。 それは空飛ぶ円盤のようで,フレンジのように突き出た円形の縁の両側には,汽船の舷窓のようなものが点々と並んでいた。 円盤は空中に停止していた。さらに,その円盤の向こう側上方,機から400メートルほど離れたところに,もう1機の円盤が見えた。 2番目の円盤も空中に停止しているようだった。ジャンサンは,この円盤から観察されているような不気味な感じを受けたという
ジャンサンは切ってあったエンジンの点火スイッチを入れると,点火装置はオンになり,プロペラがゆっくり回りだした。 機ははじめ機首を下げて失速状態で滑空していたが,やがて対空速度を得て安定飛行に移った。

クランプによる斥力場の空中効果の解析図)

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.29,1977年(「続宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
●サンチナ村小人宇宙人遭遇事件(イタリア)

『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』より
1947年8月14日 ,イタリアのサンチナ村近くの山林でヨハネス教授が着陸している円盤と小人の宇宙人に遭遇した事件。

イタリアのミラノ在住のラプッチ・ルイギ・ヨハネス教授(画家・SF作家)は,イタリア東北部のフリゥリのカルニアにあるサンチナ村に近いところに当時滞在していた。
この日の朝,キアルショと呼ばれる谷川沿いの渓道をナップザックと地質調査用のピッケルをもって歩いていた。 教授は地質学と人類学に興味をもっていた。
モミの木立ちをぬけ出たところで,約50メートル離れた岩だらけの川岸に赤色のレンズ状の物体を発見した。 近づいてみると10メートルほどの大きさの円盤で,中央に低いドームがあり,頂部に輝く金属製の伸縮式アンテナが突き出ていた。 その円盤は四分の一ほどが岩肌の割れ目に埋まっていた。
まわりをみわたすと,50〜60メートルはなれたところに,二人の少年が立っていた。 教授は,円盤を指さし大声で叫びながら,少年たちの半分ぐらいまで近づいていくと,それは少年ではなく,畸形な小人だった。 頭は普通の人間より大きくて,戯画を見ているような印象を受けた。
身長が90センチほどで頭に毛はなく,ダークブラウン色のキャップをかぶって,なんとも形容できないような材質のオーバーオールを身につけていた。 襟のところはカラーになっていて,かなり幅広のベルトを締めていたが,どちらも鮮やかな赤色だった。
顔の色は生気のないグリーンで,彫刻家の使用する塑型用粘土のような色で,鼻は真っすぐで,その鼻のしたに, への字の形をした細い切り込みがあって,魚の口のようにパクパクと開いたり閉じたりしていた。 目は非常に大きく緑黄色に色づいたぶどうの果実そっくりであった。目玉の真ん中には縦なりの瞳孔が見えた。
教授は驚いて,その場に立ち尽くしていると,小人は,小刻みな歩幅で両手をぶらさげ,よちよちと教授のほうに歩いてきた。
教授は,彼らの方向にピッケルを振り上げ,次に円盤の方向をピッケルで指しながら,「お前たちは誰だ?どこからやって来たのか?」などと興奮した声で怒鳴った。 すると,彼らは驚くほど素早く向きを変えた。教授の出し抜けの行動を脅迫だと受け取ったらしい。 一人が右手をベルトのところまで上げると,ベルトの中心部から薄い煙か光線のようなものが噴き出された。 教授は,そのとたんに,電気ショックを受けたような感覚を覚え,ふらふらと倒れてしまった。完全に力が抜けてしまい,必死に起き上がろうとしたがむだであった。
小人たちは,近づいてきて,教授が手放したピッケルを手にとった。彼らの手は指が8本あり関節はなく,指の4本4本が向かい合わせについていた。彼らの胸は波打っていて,腹の様子はまるで長距離を駆けてきた犬が喘いでいるときのようだった。
教授は死物狂いで立ち上がろうと試みたが,上半身を上げるのがやっとで両手を地面について彼らを観察するだけであった。
そのあいだに,小人たちはゆっくりと着実に岩の割れ目まで登っていき,割れ目にほとんど垂直に埋まっている円盤の中に姿を消した。 数分後,円盤は岩の中から垂直に上昇して,空中に舞い上がった。土砂が雪崩のように川床に降り注いだ。
円盤は,巨大なゴングを吊り下げたかのように空中で静止していたが,教授から4〜5メートルのところに円盤のフランジがあった。 教授は,その切っ先が近づいてきて自分の体を真っ二つにしてしまうのではないかと恐怖にかられた。
そのうちに,円盤は垂直の位置からやや傾いたかと思うと,あんなに大きかったのに見る見る小さく縮んでいって,しまいにはすうっと消えてしまったという。
その直後に,教授はものすごい強風に打たれて地面を何度も転がったという。 川床の石のところでようやく転がるのが止まり,そのままの姿勢で横たわっていた。 ようやく体を起こして座ることができたが,腕時計を見ると時刻は
9時14分だった。
教授が帰路につけるようになったのは,
昼下がりになってからで,1時間ぐらい眠りこけていたらしいという。
【参考文献】
『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』,1974年,著者:平野威馬雄

『宇宙人の死体写真集2』,1991年,著者:中村省三
『UFOと宇宙(NO.35)』,1978年【空飛ぶ円盤とオカルティズム(4),文:平野威馬雄
参考外部サイト⇒ 真実とは・・・(ケネスアーノルド 伝説の始まり

 
1948年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●マンテル大尉事件(アメリカ)

トーマス・マンテル大尉
1948年1月7日 の午後,ケンタッキー州フォートノックスにあるゴッドマン空軍基地に州警察から「メイズビル近辺(基地から約140キロ)で 未確認飛行物体が発見された」との通報があり, 午後2時ちかく になると,基地管制官も管制塔から肉眼でそれを確認した。 傘のような外見をした飛行物体は光を浴びて磨きあげられた銀器のようにキラキラ輝いて,直径は60〜90メートルほどに見えた。 訓練飛行から帰るため付近を通過中だったトーマス・マンテル大尉(25歳)率いるP51の4機編隊に, ゴッドマンの管制塔から調査の要請が入る。 1機は燃料不足のため基地に向かい,残り3機が物体を要撃した。高度約5000メートルまで上昇したところで,2機が酸素不足のため追跡を断念した。 大尉は,単独で物体を追跡した。無線通信で何度か物体の情報を管制塔に伝えてきたが,やがて連絡が途絶えたため,捜索隊が派遣され, 1時間後 に基地から150キロ離れた場所で,大尉機の残骸と遺体が発見された。
空軍の公式調査の結果は,金星を追いかけているうちに酸欠になり意識を失ったものだと発表されたが, マンテル大尉は軍で高く評価されていた人物であったため,高官たちの間で議論が紛糾したという。 この事件は政府の姿勢に不安を抱いていた国民を激しく煽りたて,空軍に大きなプレッシャーをかけたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)』No.8,1974年【マンテル大尉の悲劇,文:荒井欣一
『UFOと宇宙人(99の謎)』,1978年【世界のUFO事件簿,文:南山宏
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【悲劇のマンテル大尉,文:花積ヨーコ】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒Wikipedia(マンテル大尉事件)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(マンテル大尉機墜落事件)

参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(マンテル大尉事件)

参考外部サイト⇒UFO CASEBOOK(1948, The Death of Thomas Mantell)
●イースタン航空機事件(アメリカ)

目撃者(機長と副操縦士)によるスケッチのうちの2枚
『謎解き超常現象DX』から
 
1948年7月24日午前3時ごろ ,ジョージア州アトランタに向かって飛行していたイースタン航空のダグラスDC-3旅客機675便(機長-C・S・チャイルズ、副操縦士-J・B・ホイッテッド)が, アラバマ州モンゴメリーの南西20マイル(約32キロ)の地点で不思議な飛行物体に遭遇した。

それは,明るい光を放っており,葉巻型の航空機で翼も尾翼もなく,後部から大きな光を噴射していた。 機体には2列の窓があり,内部照明はマグネシウム光を連想させるほどの明るさだった。
その物体は,675便の方に猛然と突っ込んできたので,操縦士は,機を左に急旋回させた。 すると,物体も反対側に向きを変え,675便の700フィート(約210メートル)のところですれ違った。 このとき物体は675便より上空にあった。物体は急に後部からすさまじい炎を吹き出しながら急上昇を始めた。 その吹き出した炎のせいか,675便はガタガタゆさぶられたという。物体は急速度で雲の中に姿を消していった。
物体の長さは100フィート(約30メートル)ほどで胴体の直径は戦闘機B-29の2倍ぐらいあった。 機長,副操縦士以外の何人かの乗客も強烈な光を目撃している。
【参考文献】
『ムー』N0.3;1980年【UFOと航空機の遭遇事件!・文/南山宏
『UFOの内幕』,1985年
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【火を吹く物体イースタン航空機に急接近・文/秦洋一】
『謎解き超常現象DX』,2013年【「イースタン航空事件」の伝説部分・文/山本弘】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒ UFO事件簿(イースタン航空機事件)

参考外部サイト⇒ ATLAS(あわやUFOと衝突する所だった!?「イースタン航空機ニアミス事件」)
●ゴーマン少尉UFO追跡事件(アメリカ)

『世界UFO大百科(ムー別冊)』から
1948年10月1日,P-51で訓練中のゴーマン少尉が白い光体の飛行物体と遭遇し,空中戦(接近と追跡)を約20分繰り返した。

この日の午後9時,ノースダコダ州ファーゴ基地にいつもの哨戒飛行を終えた州空軍所属のジョージ・ゴーマン少尉(当時25歳)のP-51戦闘機が, 管制官から着陸許可を得たとき,1000ヤード(約900メートル)の距離に別の機体の尾灯とおぼしきものを認めたため,進行方向に何かないかを管制塔に確認した。
管制塔は彼の機の下方に別なパイパー小型機があることを伝えてきたが,ゴーマン少尉はそのパイパー機をはっきり確認できた。
彼が見ている光はそれとは別なものであった。
その光体は白色に輝き点滅をくりかえし,北西に向かい,時速約400キロで移動していた。
少尉が接近すると,光体は点滅をやめ,輝きを強め,左に旋回し急降下した。 少尉は,光体が管制塔に急降下攻撃するものと思い,後を追い少尉も急降下したが,光体は左に旋回し,高度を上げていった。
速度を増しながら上昇していく光体についていけないと判断した少尉は,最大速度を出して右方向から迎撃コースをとった。 衝突は避けられないと思った瞬間,光体は機の上500フィート(約150メートル)のところをすれちがった。
ゴーマン機は,この光体と追いつ追われつの空中戦を
約20分繰り返したが,光体は途中で向きを変え,上昇して姿を消した。
少尉も後を追ったが高度14000フィート(約4300メートル)で,エンジンが失速し追跡をあきらめた。

【参考文献】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年【ゴーマン少尉,UFOと空中戦,文:秦洋一】
『UFOの内幕』,1985年
参考外部サイト⇒UFO事件簿( ゴーマン少尉機空中戦事件)

参考外部サイト⇒まにあ道(UFOと空中戦を展開した空軍少尉)


空中戦の様子を描いた絵
(サイト:「超魔界帝国の逆襲」から)
●緑の火球事件(アメリカ)

(★目撃者リンカーン・ラパス夫人による絵画)
サイト:「PROJECT1947」から
ニューメキシコ上空に,1948年の秋に出現した謎の緑の火球は,年々夜空に出現し1951年には最高潮に達し,9個の目撃が報告された。しかし,1952年以降は出現しなくなった。

流星の世界的権威であるリンカーン・ラパス博士も火球を目撃しているが,博士はそれらが流星ではないと結論付けている。
緑の火球は,流星のように落下せず,頭上を直線で進行し,通常は消滅するか,破片を落とさずに空中で無音で爆発した。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.18,1976年(「UFOは地球の救済に来るのか!」)
『宇宙よりの来訪者』,1977年


プロジェクト・ブルーブックの機関長エドワード・ルッペルト空軍大尉は,1952年の初頭,ロスアラモスの科学者たちが「緑の火球」について議論する場に居合わせた時のことを著書に書いている。
ロスアラモスの科学者達の理論によれば,「緑の火球」は地上数百マイルの空間に静止する宇宙船から大気圏内に打ち出された一種の無人テスト機の可能性があるというものだ。
このように,核兵器専門家のトップが,「緑の火球」は地球外からの訪問者であるという過激な仮説の議論をしていることは,現代の科学者たちにもショックを与えることだろう。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第3章/核兵器とUFO】,2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
参考外部=>Wikipedia(緑色火球)

参考外部=>PROJECT1947(Green Fireball Chronology)
●サンディア基地UFO目撃事件(アメリカ) 1948年暮れから1950年初頭にかけて,原子兵器作戦本部の置かれたニューメキシコ州サンディア基地で,多数のUFO目撃が報告された。

サンディア研究所(Sandia Laboratories)【現在はサンディア国立研究所(SNL)】はニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque)の南東に位置するカートランド空軍基地(Kirtland Air Force Base)の敷地内(東側)に設けられたもので,
1949年12月に空軍特殊兵器司令部(AFSWC-Air Force Special Weapons Command)が置かれ研究所と基地を兼ねた。
アルバカーキの北方50マイル(約80km)にロスアラモス(Los Alamos)があり,南方約150マイル(約240km)にはアラモゴルド(Alamogordo)原爆実験地がある。これらの区域において,アメリカは原爆の量産と貯蔵へ向かう第一歩を踏み出したのだ。
この動きに連動するように,
1948年暮れから1950年初頭にかけて,サンディア基地/研究所とカートランド空軍基地でのUFO目撃情報が相次いだ。

1948年12月6日午後10時55分,
原子力安全管理部幹部のジョセフ・ツルーズ(Joseph Toulouse)がドライブ中に,サンディア基地の原子兵器工廠の上空に,緑の火球を目撃した。火球は満月の3分の1の大きさに見え,真っ赤に燃えるような尾を引いていた。

1949年1月6日午後5時30分,カートランド空軍基地の特別調査本部,特殊要員ジャック・L・ボリングが後に記述したところでは,サンディア基地に隣接するカートランド兵器庫地域で1個のUFOを目撃した報告書を,物資保全部長のマシュー・J・ドイルが提出した。
また,同地域を警備する憲兵がダイヤモンド型の白色に輝く,ジェット機よりも早い物体を目撃した。

1949年2月17日午前5時52分,カートランド空軍基地の特別調査部幹部メルビン・E・ニーフ大尉は,オレンジ色で"ガス炎状"の青い尾をひく1個の火球をサンディア基地で5〜7秒間目撃した。
同日午後5時59分から6時6分に,1個の黄色がかった明るいオレンジ色の葉巻型光体が,サンディアの軍警備兵を含む約100人によって,7分間観測された。

1949年3月13日午後9時53分,サンディア基地技術地区を警備する2人の憲兵が,大きさが満月の約半分ほどで青白色ないし緑白色,物体の2倍の長さの炎状尾流を見せて無音で飛ぶ1個の球体を目撃した。

サンディア基地における火球の目撃は
9月27日,9月30日,10月10日と続き,11月27日にはカートランド基地でも目撃された。
目撃者の一人,民間航空管理局(CAA)のカートランド航空運輸管制塔のW・W・ジョーンズ主任管制官は,物体は,腕を伸ばして手に持つ鉛筆の消しゴムと同じくらいに見えたという。それは青白色に輝くマグネシウムの炎のようだった。

1950年3月21日午後1時から1時半まで,兵器研究所およびカートランド空軍基地で多数のUFOが目撃された。約10種以上の空軍特別調査局の緊急情報報告では,円形で銀色,無音で飛行する様々なUFOが多くの目撃証人によって記述されている。

1950年3月24日午後3時5分,サンディアの3名の憲兵が円形,銀色で腕を伸ばしたところにあるソフトボール大の物体を目撃した。それは空中に静止していたが,急に時速700マイル(時速約1,100km)で離れていった。憲兵の一人は,その尾流が宙返り飛行を見せていたという。
同日の午後3時47分,他の憲兵は高度約7000フィート(約2100m)の高さでサンディア基地の真上を,4個の円形で銀色の物体が,ジェット機より速く飛ぶのを目撃している。

これらの目撃事例は,この期間アルバカーキで発生した全目撃数の僅か何分の一に過ぎない。
つまり,
1940年代後期から1950年代前期までを通して,サンディアおよびカートランド空軍基地におけるUFOと火球は,少なくとも軍事的観点から見て驚くべき頻度で発生したのである。
【参考文献】(下記より抜粋)
『UFOと核兵器』【第1章/初期の各施設UFO事例】,2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
【サイト検索キー: Albuquerque, Sandia, Kirtland AFB, 1948, 1949, 1950, ufo 】
参考外部=>En.Wikipedia(Sandia National Laboratories)

参考外部=>YouTube(Our Roots)

参考外部=>En.Wikipedia(Kirtland Air Force Base)

参考外部=>En.Wikipedia(Air Force Nuclear Weapons Center)

参考外部=>En.Wikipedia(Kirtland AFB UFO sighting)

参考外部=>NICAP(The New Mexico Sightings)

参考外部=>NICAP(AESS Observed Green Flare Directly Over Sandia Base)

参考外部=>NICAP(Vertical Climb,Then Leveled Off)

参考外部=>NICAP(March 13,1949,Sandia Base,NM,OSI Case 40)

参考外部=>NICAP(March 24,1950,Sandia Base,NM)

参考外部=>PROJECT1947(Green Fireball Chronology)

参考外部=>Think AboutIt- REAL(1980:Kirtland Air Force Base UFO Landing)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1948)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1949)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1950)
 
1949年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●キリーン核兵器貯蔵基地UFO目撃事件(アメリカ) 1949年3月6日,核兵器貯蔵のためのテキサス州キリーン空軍基地でUFOが目撃された。

第二次世界大戦後に冷戦が始まり,テキサス州にあるキリーン空軍基地(Killeen Air Force Station-総合監視レーダー基地,
1961年に閉鎖される)は,空軍の核兵器貯蔵基地の一つであった。
そこに訓練基地として
1942年に,キャンプフッド(Camp Hood-1950年にフォートフッド(Fort Hood)に改名)という陸軍基地が建設された。
その領域には,各種原子兵器の貯蔵庫が設置され,原子力委員会の管理下にあって,米国内における最重要な原子兵器施設の一つにランクされていた。

1949年3月6日夜,キリーン基地の警備兵が北東の空に,青い異常な閃光を観測した。その数分後,別の警備兵が西方の水平を横切るオレンジ色の尾流を引く1個の白色光を目撃した。
同様の目撃は,
3月8日にも発生した。

1949年3月17日夕暮に,基地情報幹部のホレース・マックルー(Horace McCulloch)大尉は不思議な閃光を目撃する。それが単なる炎や流星ではないと判断し,直ちにキャンプフッドを警戒態勢においた。
閃光は
4月16日と4月18日にも見られた。

1949年4月27日,ピンポン玉サイズの小さな1個の発光体が,安全警備兵など2つのグループにより目撃され,キリーン基地に報告された。その小さな発光体は,観測者からわずか6フィート(約1.8m)先の空間を音もなく飛行し,樹木の小枝の間を通りすぎた。
5分後,他の4人の警備員は,およそ時速60〜70マイル(97〜113km)で彼らに近づく野球ボール大の光体を目撃した。その後尾に小型の金属性コーンを取り付けているように見えた。光体は突如方向転換をして飛び去った。
その
12分後には,ピンポン玉状の球体が第2の警備員グループに接近し,数秒間ジグザグ運動を見せてから飛び去った。

1949年4月28日夕刻,警備その他の要員,全部で12名が,キリーン基地の南東方向で機動する小型発光体を,それぞれ9ヵ所の別地点から目撃した。光体の1つは先の報告にあった円錐形の付属物(コーン)を持つ白色光体で,その他は白,赤,緑と色彩を変える発光体であった。その一つの目撃は4個の光体群であり,他の目撃では8個から10個の編隊で成り立っていた。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第1章/初期の各施設UFO事例】,2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清
参考外部=>Wikipedia(フォート・フッド)

参考外部=>GlobalSecurity.org(Killeen Base (Site Baker) Gray AFB Robert Gray Army Airfield Killeen,Texas 31°03'53"N 97°49'40"W)



【サイト検索キー: Killeen Air Force Base, 1949, ufo 】
参考外部=>Texas UFO Museum & Research Library(Fort Hood Sightings,1949)

参考外部=>The Nuclear Connection Project(The Camp Hood Sightings)

参考外部=>TexasEscapes.com(Bell County Postwar Secrets Part 2 Attack on Camp Hood)

参考外部=>Tall White Aliens(Fort Hood,Texas UFO Wave)

参考外部=>UFO Casebook(1949-Fort Hood,Texas UFO Wave)
●ハンフォード核施設UFO侵入事件(アメリカ) 1949年5月21日,ワシントン州にあるハンフォード核施設上空の飛行禁止空域にUFOが侵入した。

ワシントン州にあるハンフォード核施設(Hanford nuclear Site)は,世界最大の兵器用プルトニウム生産工場であり,第二次世界大戦中,アラモゴルド(Alamogordo)での人類最初の原爆実験,ナガサキ(長崎)を破壊した原爆に使用された核分裂物質がここで製造された。
1949年5月21日,この飛行禁止空域に銀色の円盤状物体が現われ,ハンフォード施設の真上で空中に滞空するのを職員が目撃した。
その物体は,モーゼスレイク空軍基地(Moses Lake Air Force Base)レーダーでも捕捉され,F-82戦闘機が迎撃スクランブルをしたが,この円盤は高速で飛び去った。

1950年7月30日には,ハンフォード原子力委員会(AEC)施設上空で,円形の物体が目撃された。物体の高度は15,000フィート(約4500m)で,ジェット機による迎撃は不発に終わった。

1952年7月6日,不定期航路の4人のパイロットは,ハンフォードに近いリッチモンドの原子力施設近くの空中に滞空する1個の円盤が目撃された。目撃者の4人は全員がベテランの飛行家であった。

1952年12月10日夜,ハンフォード原子力関連施設付近をパトロール中のF-94戦闘機パイロットは, 26,000フィート(約7900m)を飛ぶ1個の円形の発光物体を目撃し,乗員は地上管制本部に問い合わせたが,その空域に他の機体はないとの回答を得た。
物体は白色の円形で,2個の”窓”からは,淡い赤色光が出ていた。それは,視界から消えたが,F-94の機上レーダーでなお追尾を続けた。そして,再度接近しようとした時,物体は方向転換し,急降下していった。機は衝突しそうになるので,何度も進路を変更した。
【参考文献】
『UFOと核兵器』【第1章/初期の各施設UFO事例】,2011年,著:ロバート・ヘイスティングス,監訳:天宮清



サイト:「PROJECT1947」から
参考外部=>Wikipedia(ハンフォード・サイト)


【サイト検索キー: the Hanford nuclear Site, ufo 】
参考外部=>YouTube(Rep. Bartlett-Size of the UFO Over Hanford Nuclear Site)

参考外部=>YouTube(UFO's over Hanford Nuclear Site)

参考外部=>PROJECT1947(UFOs Over Hanford:Commander R.W. Hendershot)

参考外部=>UFOs & Nukes(Reports Confirm UFO Activity at the Hanford Nuclear Weapons Plant During World War II)

参考外部=>NICAP(UFO Sighting Over Nuclear Reactor Hanford, Washington July 1945)

参考外部=>UFO HUNTERS(Hanford Nuclear Reservation, WA)

参考外部=>UFO HUNTERS(Hanford Nuclear facility (near), WA)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1949)

参考外部=>UFO dna(21 May 1949-Hanford,Washington,USA)

参考外部=>UFO dna(30 Jul 1950-Hanford AEC,Washington,USA)

参考外部=>UFO dna(5 Jul 1952-Hanford,Washington,USA)

参考外部=>UFO dna(10 Dec 1952-Odessa,Washington,USA)
●クライド・トンボー博士UFO目撃事件(アメリカ)

1949年8月10日,冥王星を発見したことで有名な天文学者クライド・トンボー博士がニューメキシコ州ラス・クルーセスの自宅から,葉巻型のUFOを目撃した事件。

この日の
夜10時45分ごろ,トンボー(Clyde William Tombaugh) 博士はラス・クルーセス(Las Cruces)の自宅中庭でくつろいでいた。妻と姑(妻の母親)も同席していた。3人は,空を背にして,はっきりしないシルエットになっている葉巻のような形の黒い物体に注意をひかれた。
その物体の中央部あたりに,先端から尾部に向かって一列に穴があいていて,そこから黄色い光が洩れていることを確認している。それは,もしかして小さな四角形の窓だったかもしれないという。
博士は,自宅の裏庭で数々の観測(望遠鏡使用,および裸眼状態において)をしてきたが,このような物体は後にも先にも現われたためしがなかったという。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎



サイト:「UfoSightingsDaily」から
【サイト検索キー: Clyde Tombaugh, Las Cruces, 1949, ufo 】
参考外部=>UFO SCIENCE SCHOOL(Clyde William Tombaugh)

参考外部=>en.wikipedia(Clyde Tombaugh)

参考外部=>The Night Sky(Clyde Tombaugh UFO Sighting)

参考外部=>UfoSightingsDaily(Lets Celebrate Clyde Tombaugh, ・・・)

参考外部=>YouTube(Clyde Tombaugh discovered Pluto and saw several UFO's)
 
1950年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ファーミントンUFOフリート事件(アメリカ)

1950年の3月中旬,昼間3日間にわたって無数の空飛ぶ円盤が,ニューメキシコ州の小さな町ファーミントン(Farmington)上空で目撃された。

17日の午前には,町の半分(約3,000人)もの人々が白昼UFOを目撃した。数百機も見たという者が何人かいる一方で,9機以下という者は皆無であった。
その物体は,まるで鬼ごっこをしているように見え,時には,信じられない速さで視界から飛び去った。 ある人物の三角測量によるとその飛行速度は時速1,000マイル(約1,600キロ),大きさはB29爆撃機の約2倍と推定された。
新聞社への目撃報告によると,物体は銀色に輝く円盤型をしていたという。 また,1機だけ赤色をしていたと証言する人もかなりいた。
また,ある目撃者によると,物体は編隊を組んで飛行しているように見えたという。
※)ファーミントンは石油の採れる町で人口は5,000人(当時)を超える。ロスアラモス(Los Alamos)にある核施設から北西に110マイル(約180キロ)離れている。

【参考文献】
『UFOの内幕』,1985年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年



サイト:「NORIO HAYAKAWA」から
【サイト検索キー: Farmington, 1950, UFO 】
参考外部=>YouTube(UFO Over Farmington,New Mexico March 17,1950)

参考外部=>YouTube(10/20/2013 UFO Over Farmington,New Mexico March 17,1950)

参考外部=>NORIO HAYAKAWA(The most amazing UFO incident…..it happened on March 15,16 and 17 over Farmington,New Mexico in 1950)

参考外部=>UFO EVIDENCE(The Farmington UFO Armada )

参考外部=>THINK ABOUTIT(1950: The Farmington UFO Armada)

参考外部=>UFO dna(UFO Sightings in 1950)

参考外部=>UFO dna(17 Mar 1950-Farmington,New Mexico,USA)
●トレント夫妻UFO目撃事件(アメリカ)
【マクミンビル事件】


『UFOの謎』から
1950年5月11日,オレゴン州マクミンビル(McMinnville)の農夫ポール・トレントとその妻が自宅からUFOを目撃し,写真に撮った事件。

19時30分ごろ,トレント夫人が庭でウサギたちに餌をやっていると,北東の方向にUFOを見つけ,ポールに庭に来るよう呼びかけた。UFOは西方に向かって移動していた。トレント夫人が家のなかから写真機をもってきて,ポールが最初の撮影をした。
UFOが北西に動いて速度を速めたとき,2枚目を撮影した。その際,ポールは右方に移動してゆかねばならなかった。
UFOが迅速に西方に消えてゆくとき,UFOはいくらか傾斜しているのを,夫妻は確認している。 UFOはあたかも浮遊するかのように滑空し,回転している様子はなかったという。
【参考文献】
『UFOの謎』,1975年




(★ポール・トレントが撮った1枚目の写真。物体は直径約25フィート(約7.5m),原野に立つ小屋の上,電柱の向こうを飛行した)
このトレントが撮った円盤の形状は初期タイプに分類される。
下記の写真は,
1954年3月5日,フランスのルーアン(Rouen)付近でフランス軍のパイロットにより撮影されたものだが,非常によく似ている。

【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』1988年,著者:フランク・エドワーズ
参考外部サイト=>Wikipedia(英語版:McMinnville UFO photographs)

参考外部サイト⇒UFO事件簿(トレント夫妻のUFO写真)

参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(これぞホンモノのUFO写真〜「トレント写真」)

参考外部サイト⇒SKY PEOPLE(ポール・トレントのUFO写真はホンモノ?)
●シーモア・ヘス博士UFO目撃事件(アメリカ) 1950年5月21日,ローウェル天文台の客員研究員であったシーモア・ヘス博士は,天文台構内においてUFOを目撃した。

フロリダ大学(University of Florida)隕石学科主任シーモア・ヘス(Seymour Lester Hess)博士は,UFOを目撃した
1950年5月当時,アリゾナ州フラッグスタッフ(Flagstaff)のローウェル天文台(Lowell Observatory)の客員研究員であった。
ヘス博士は,その日の体験について,NICAPあての署名入り書簡で,次のように述べている。
1950年5月20日午後12時15分から12時20分のあいだに,ローウェル天文台の構内において,この物体を目撃した。それは,南東から北西に移動中であった。裸眼でも非常に目につきやすい形態で,かなりの大きさであった。それが,視界にあった時間の後半においては,私は4倍の双眼鏡で観察をおこなった。はじめは垂直方向にある角度で傾いたパラシュートのように見えたが,半面に太陽を浴び半面陰になった球体あるいは円盤状の物体も,同様の形態に見える」
ヘスは博士は,その物体が雲のない部分にあるうちは明るく輝き,雲の下を通過する際は,黒っぽく見えたと書いている。これは,研磨された金属性の物体なら,たしかにそうなっただろう。
ヘス博士は,ただちに天文台からほんの3マイル南の気象局に電話を入れ,雲の底は約12000フィートの高さだったことを知った。
博士は,物体が直径3〜5フィート,位置は高度6000〜12000フィート,天頂約45度にあったと算定した。雲は物体の移動とは逆方向の北西から南東に流れていた。ゆえに,物体は何らかの動力が備わっていたに違いないという。時速約100〜200マイルと推定した。エンジン音は聞こえなかった。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第1章/地球の空を飛ぶもの】,1988年,著:フランク・エドワーズ,訳:安龍次郎
参考外部=>en.wikipedia(Seymour Hess)


【サイト検索キー: Seymour Hess, Flagstaff, Arizona, 1950, ufo 】
参考外部=>UFO DNA(UFO Sightings in 1950)

参考外部=>UFO DNA(20 May 1950-Flagstaff,Arizona,USA)

参考外部=>NICAP(Part IV Appendices)

参考外部=>Revolvy(Seymour Hess)
●スティープロック・レイクUFO目撃事件(カナダ) 1950年7月2日,オンタリオ州スティープロック湖(Steeprock Lake)で,鉱山従業員のある夫妻が,湖上に浮かぶUFOを目撃した事件。
これは,スティープロック鉱山業者(カナダ・オンタリオ州スティープロック・レーク)で働く会社の従業員が体験談として匿名で,社内報<スティープロック・エコー誌>の
1950年9月号と10月号に載せた記事の内容である。
この日の午後,従業員は妻と釣りのため,ソービル湾(Sawbill bay-今は,Marmion lakeとして知られる)から入ったとある入り江に出かけた。その入り江は,入口の幅が約100ヤード(約90m)で,切り立った岩に囲まれているため,外側の湾(湖)からは,入り江の中は見えないようになっていた。
二人はボートを砂浜に引き上げて,サンドイッチなどを食べくつろいでいた。すると,突然空気が震えるのを感じた。彼はそれをダイナマイトの爆発の衝撃波に似ていると思った。しかし,何の音もしなかったし,一番近くのダイナマイトを使う採掘現場からもかなり離れているため,その考えを打ち消した。
しかし,彼は不安を押さえきれず近くの岩によじ登った。その岩の上には裂け目があり,そこから入り江の外を見ることができた。
すると,大きな光沢のある物体が湖水上に浮かんでいるのを見つけた。それは,二人のいる入り江の入り口から4分の1マイル(約400m)と離れていなかった。彼は妻を呼んで,岩の隙間から今度はそれを二人で覗いた。
物体は,二枚の大きな皿を互いに逆向きに重ねたような円盤状の形をしていて,端から4フィート(1.2m)ほどのところを丸い黒ぶちの舷窓がぐるりと取り巻いていた。上部にはハッチの蓋らしきものがいくつか開いていて,10人ほどの奇妙な格好の小さい人影が,物体の表面を動きまわっていた。
物体の中心の約8フィート(約2.4m)上のところを環状のレーダーのような物がゆっくり回転していた。それが,二人の方を向くと動きを止めた。人影も同時に動きを止めた。全てが二人の覗いている方に集中しているようだった。二人は思わず頭をすくめた。そして右の肩ごしに目をやると,岩の反対側の岸に鹿が水を飲みにやって来ていた。レーダーのような物も人影も鹿を向いていたのだった。それらは,すぐにまた回り出し,再び鹿の方を向いても動きを止めることはなかった。
輪(レーダー)の下にいる人物だけが赤い縁のない帽子かヘルメットのようなものをかぶり,その他の者は紺色のかぶり物をつけていた。身長は3フィート半から4フィート(1〜1.2m)ほどで全員がほぼ同じ高さであった。格好も同じようだった。表情は分からなかったが,彼らの特徴は自動人形のように動くことだった。身体をねじることができず,顔の向きを変えるたびに,足の向きも変えていた。彼らは一つのホースから水を吸いこみ,もう片方のホースからは,何かを水中に流しているようだった。
すると,あの回転する輪(レーダー)が,また二人のいる岩の方に向いてきたため,二人は岩の裂け目から頭を引っこめねばならなかった。そして,再び頭をあげ見た時には,物体の表面から彼らの姿は消え失せていた。
すぐに物体は湖面から上昇を始めて,8フィート(約2.4m)ほどの高さのところで静止した。物体が浮かんでいた水面は,赤味かかった青色で,かすかに金色を帯びていた。
物体の直径は48フィート(約15m)くらいで,中央の厚さは約15フィート(約4.6),端の厚さは12フィート(約3.7m)ほどであった。それが迎角45度で急速に飛び去り,たちまち遠方に見えなくなった。すぐに突風がどっと吹いてきた。
【参考文献】
『空飛ぶ円盤の真実』【第7章/操縦者は誰だ】1988年,著者:フランク・エドワーズ,訳者:安龍次郎



サイト:「MYSTERIES OF CANADA」から
【サイト検索キー:Steeprock Lake ufo 】
参考外部サイト=>MYSTERIES OF CANADA(The Little Green Men of Steep Rock Lake)

参考外部サイト=>URECAT(JULY 2, 1950, STEEP ROCK LAKE, ONTARIO, CANADA, A MAN AND HIS WIFE)

参考外部サイト=>Canadian Heritage Matters(Extra! Extra! Small Town Man Perpetrates Big Time Hoax)
●ダニエル・フライ無人円盤搭乗事件(アメリカ)
【ホワイトサンズ事件】

イラスト:河合徳恵
『世界UFO大百科』から
1950年7月4日の夜 ,ニューメキシコ州ホワイトサンズ実験場でロケット関係の仕事で働いていたダニエル・フライ氏が, 涼しさを求めて散歩中に,直径約9メートルの卵型無人円盤に遭遇し,円盤から発する声(英語)に対応し,円盤内に搭乗した。
円盤内では,声はフライ氏の頭に直接聞こえてきた(テレパシー)という。
円盤は貨物機であったらしく,遠隔操作されており,見えない知的生命体はなぜフライ氏とコンタクトしてきたかを述べたという。
円盤はニューヨーク上空まで飛行し,元の場所まで約
30分 で往復した。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)No.2』,1973年(私は円盤に乗った!,文:ダニエル・フライ
参考外部サイト⇒GAsite(ホワイトサンズUFO搭乗事件)

参考外部サイト⇒地球外人類と惑星間移住(地球外文明と地球人接触者)
 

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