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UFO・ミステリー事件遺産

UFO事件集(1941年〜1950年) 

「UFO事件集」索引欄

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1941年〜1950年
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1941年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ケープジラード・ハフマン事件(アメリカ) 1941年4月12日の晩,ミズリー州のある森の中に謎の飛行物体が墜落した。バプティスト派の牧師ウィリアム・ハフマンが,飛行機の墜落ということで(乗員が死亡しているので祈りを捧げるため)呼び出された。ミズリー州ケープジラードから約24キロ離れた墜落現場に着くと,墜落していたのは飛行機ではなく,円盤状の宇宙船であった。宇宙船の中には人間の形をした乗組員3体の死体があった。警察官や消防隊員,カメラマンが何人か来ていた。ハフマンが祈りを終えたところで軍隊が到着し,指揮権を掌握した。カメラマンが撮影したフィルムなどは没収され,ここで見たことは重大な国家安全保障事項であることを告げられ,他言してはならないことを厳重に言い渡された。
この事件を示す書類は,
1990年代中盤になり発見された。UFO研究家レオナード・ストリングフィールドに宛てたシャーロット・マンの書簡に初めて登場する。ウィリアム・ハフマンは,シャーロットの祖父である。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒gogo-going-blog(1941年ケープジラードに墜落した円板と異体)
1942年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ロサンゼルス砲撃事件(アメリカ)
(Battle Of Los Angeles)



『ロサンゼルス・タイムズ』に載ったもの。かなりレタッチされていたという。
『あなたの知らない都市伝説の真実』から
太平洋戦争が開戦して間もないころの1942年2月25日午前2時15分、ロサンゼルスの西方約190キロの地点に編隊を組んだ20個以上の謎の飛行物体をレーダーがとらえた。米軍は、これを日本軍の航空機の襲撃と見、午前3時16分、第37沿岸砲兵旅団による高射砲攻撃が始まった。サーチライトで機体をとらえ1,430発もの高射砲を浴びせた。だが、高射砲をあびせた飛行物体は一機も撃墜されることなく、上空約30qをゆっくりと飛び去っていった。この攻撃で、ロサンゼルスの空は、まるで爆発した火山のように真っ赤になった。驚いた市民が、交通事故や心臓麻痺などにより5人が犠牲になった。
【参考文献】
『NASAも隠しきれない異星文明の巨大証拠群』(ロサンゼルス上空のUFO),2003年
『宇宙人はなぜ地球に来たのか』,2013年
『あなたの知らない都市伝説の真実』(アメリカで起こった「宇宙戦争」),2014年
『スペースプログラムが予言する終末カウントダウン』,2015年
1943年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
1944年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
1945年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
1946年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
1947年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●モーリー島事件(アメリカ)



『UFOと宇宙NO.56』から
1947年6月21日,米ワシントン州タコタ沖のモーリー島で目撃されたUFOから謎の物体が放出された事件。
この日,タコマ沖プジェット海峡のモーリー島近くの東側海上をパトロール中の警備艇があった。警備艇にはH・A・ダール艇長と2人の乗員の他,ダールの息子と飼犬も同乗していた。艇がモーリー島の東岸の湾に入ったときだった。低くたれこめた雲の中から突然現れた6機のドーナツ型飛行物体が艇に近づいてくるのが目撃された。
最初はバルーンのように見えたが,よく見ると全く異なっていた。6機のうち1機は高度が急に500フィート(約150m)くらいまでガクンと下がり,いまにも墜落しそうな動きをみせた。その機は故障を起こしているようだった。他の5機は故障機の周囲をグルグル回っていた。物体群は無音で飛行し,色は銀色で光りを反射させており,外縁には舷窓をもっていた。底部の中心部にある穴の直径は約25フィート(7.6m)で,その内側は黒く,縁には窓が連続して並んでいた。
5分ほど見ていると,故障機の周囲を回っているうちの1機が,故障機に近づき接触するようにそのまま4分間じっとしていた。そして,鈍いドシンという音が聞こえたと同時に,故障した1機が,底部の穴から明るい白い金属片を多量に放出し始めた。それは,水面に水しぶきをたてて落下した。つづいて,溶岩のような黒い物質をばらまいた。物質は溶解しているらしく,海上でシューシューと音をたて蒸気をあげた。
艇上の息子は破片で腕にケガをし,犬は破片の当たり所が悪く死んでしまった。黒い溶岩状の物質はモーリー島の海岸にも落下していた。
危険を感じた警備艇はモーリー島の海岸の崖下に避難した。やがて,故障機も全快したらしく,6機の飛行物体は高度を上げ,太平洋に向け西の方の飛びさっていったが,故障していた機は編隊の中央に位置したままだった。
海岸には落下された黒い物質が散乱しており,しばらくの間,熱くてさわれなかった。

【参考文献】
『UFOと宇宙』NO.30,1978年(「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
『UFOと宇宙』NO.56,1980年(「怪奇モーリー島事件とは何か」,文:日高実男)
『世界UFO大百科(ムー別冊)』,1985年(「ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊」,文:黒田佑太)
参考外部サイト=> UFO事件簿(モーリー島事件)

参考外部サイト=> 怖話(【1947年】モーリー島事件)

参考外部サイト=> 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(UFO同士の空中衝突!?〜「モーリー島事件」)

参考外部サイト=> リアルライブ(UFOが襲来、謎の物質を撒き散らす!? 「モーリー島事件」)

参考外部サイト=> ぶちねこのUFO文庫(【1947年】モーリー島事件)

参考外部サイト=> 柳田威生blog(モーリー島事件 誰が誰をだましたの?)


参考外部サイト=> 未解決事件/世界不思議事件/凶悪事件まとめ(モーリー島のUFO故障事件)
●ケネス・アーノルド事件(アメリカ)
1947年6月24日,アメリカ・ワシントン州のレーニア山上空で,ケネス・アーノルドが,賞金つきの行方不明機(レーニア山の南西側山腹に墜落したもの思われる海兵隊輸送機)を捜索中に,北から南へ編隊を組んで高度9500フィート(約2900メートル)を飛行中の9つの奇妙な物体を目撃した。
アーノルドは高高度飛行用に設計された単発の自家用機で,チェハリスからヤマキに向けて飛行中だったが,不明機の話しを聞き,レーニア山南西側付近を飛び回った。不明機は見つからず,捜査をあきらめて機首を元のコースに向けると,機体表面をキラリと強い閃光が反射した。光の方角に顔を向けると,9機の奇妙な外形をした尾翼のない飛行機がまるで連結されたように一本の対角線状に編隊を組みながら飛んでいた。
後日,アーノルドの手記より「flying saucer(空飛ぶ円盤)」の名が生まれた。マスコミが報道したことから,空飛ぶ円盤騒動の発端となった。また,アーノルド氏が目撃した
6月24日は,「空飛ぶ円盤(UFO)の日」とされている。
【参考文献】
『地球ロマン(復刊2号)』【資料・空飛ぶ円盤】
『UFOの内幕』
『UFOと宇宙人(99の謎)』【世界のUFO事件簿】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ケネス・アーノルドが遭遇した謎の飛行編隊】
参考外部⇒Wikipedia(ケネス・アーノルド事件)
参考外部⇒UFO事件簿(ケネス・アーノルド事件
●ロズウェル事件(アメリカ) 1947年7月4日の深夜,ニューメキシコ州コロナに近いフォスター牧場(ロズウェルの北西70マイル(約110キロ))の管理人(ウィリアム・マック・ブレーゼル)が爆発音を耳にし,5日の朝,牧草地に散乱する金属片やプラスチックの棒のようなものを多数発見した。保安官に連絡後の7日になると,現場は陸軍航空隊と憲兵により管理された。
破片を回収したのは,当時ロズウィル陸軍飛行場に駐屯していた第509爆撃航空団で,最初に残骸の調査に派遣されたのは,第509爆撃航空団の首席情報官のジェシー・マーセル少佐である。残骸は,現場から,ロズウェル陸軍飛行場に運ばれた。基地司令官ウィリアム・ブランチャード大佐が,基地広報係士官のウォルター・ハウト中尉に許可を与え,
7月8日,ウォルター・ハウト中尉が,「ロズウェル空軍基地駐屯の第8航空軍第509爆撃大隊情報部が,円盤の回収に成功した」という声明を発表した。しかし,その数時間後,「円盤回収は誤報で,正体は気象観測用の熱気球とレーダー反射器だった」と声明を撤回した。
墜落機の破片は,爆撃機に搭載するよう指示され,第8航空軍の司令部の置かれているフォートワース陸軍飛行場に運ばれ,ロジャー・M・レイミー准将が指揮をとった。レイミー准将の参謀長,トマス・ジェファーソン・デユボーズ大佐は,第8航空軍戦略空軍副司令官クレメンツ・マクミュラン中将から"円盤"話を握りつぶすよう命令された。回収された破片は,マクミュラン中将のいるワシントンDCのもとに輸送され,マクミュランはこれを受け取り,分析のため、自家用機に乗せ,オハイオ州デイトンにあるライト飛行場(後のライト・パターソン空軍基地)に運んだ。

1947年
時点での空軍の公式見解は,回収された破片は気象観測用の熱気球とレーダー反射器であった。この言い訳が定着して,ロズウェル事件はほとんど忘れられた。しかし,1978年,スタントン・フリードマンが偶然から退役したジェシー・マーセルに出会い,マーセルがロズウェル事件でかかわった新事実を語ったことから,この事件がふたたび注目を集めることになった。
1990年代中盤に空軍は,気象観測用の気球というのは作り話で,実際に墜落したのは,当時の最高機密計画「プロジェクト・モーグル」と名づけられた機材だったことを認めた。しかし,この装置の部分には,ごくありきたりの気象観測用気球と,バルサ材と金属箔でできたレーダー反射器,真空管を使った無線装置が使われていた。
空軍でも屈指のトップエリートが集う爆撃航空団(第509爆撃航空団は,原子爆弾の輸送運搬を許可された唯一の航空団)の当時,首席情報官だったジェシー・マーセルが,たとえ残骸でもこれらを見分けられないはずはないという。
【参考文献】
『X-ZONE(No.5)』(隠蔽されたUFO墜落事件),1997年
『決定版超怪奇UFO現象FILE』,2009年

『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部⇒「浅川嘉富の世界」にようこそ!!(ロズウェル事件の真相)

参考外部⇒Myth_of_Roswell Incident(ロズウェル事件)


参考外部⇒A Different Perspective(The Roswell UFO and Jesse Marcel)

参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件)

参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件の目撃談)

参考外部サイト⇒UFONUT(Cowboys & Aliens:The real story )

参考外部サイト⇒UFO事件簿(ロズウェル事件 )

参考外部サイト⇒パブー(Roswellに堕ちたUFOミステリー)

参考外部サイト⇒ASIOS(ロズウェル事件)
●もう一つのロズウェル事件(アメリカ) コロナでの墜落(ロズウェル事件)と同じタイミングで,もう一つの別の墜落事件があったという。場所はニューメキシコ州のサンアグスティン平原(ソコロの西方70マイル(約110キロ),コロナから140マイル(約220キロ)離れた場所)である。地質学者バーニー・バーネットが,地質学専攻の学生らとともにこのエリアを調査中に墜落機の残骸に出くわしたというもの。彼と学生たちは機体の外に乗員と見られる身長が1.2メートルほどの人間に似た生物を何体か見つけ,そのうちの一人はまだ生きているのに気づいたという。
【参考文献】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部⇒Wikipedia(ロズウェル事件の目撃談)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ロズウェル事件 )
参考外部サイト⇒BEFORE IT'S NEWS(THE “OTHER” ROSWELL CRASH: The Secret of the Plains)
●ヒギンズ宇宙人遭遇事件(ブラジル)
1947年7月23日,ブラジルでジョゼ・C・ヒギンズが巨大な(身長約2.1メートル)宇宙人に出会った事件。
この日,ブラジル・サンパウロの北西にあるパウルで,測量労務者のジョゼ・C・ヒギンズが,絹を裂くような高音を聞いた。すると近くに大きさが45メートルほどの金属製の円盤が着陸していた。円盤は,曲がった脚で立っていた。一緒にいた他の労務者は逃げ出したが,ヒギンズだけはそこに残った。すると,いつのまにか身長約2.1メートルの宇宙人が3人立っていた。3人の宇宙人は,透き通ったスーツで体中を覆っており,3人とも金属製らしき箱を背負い,同じような大きな眼と禿げあたまをしていた。そして,足が長かったという。3人はヒギンズを取り囲み手にもった金属チューブを向け,円盤に誘い込もうとしている様子であった。彼らが妙に日光を避けているらしいので,そのすきをうかがって,うまいこと,近くのしげみに逃げ隠れた。そして1時間半ばかり,じっとして彼らの行動を観察した。3人は動揺しているらしく,ぴょんぴょんはねたり,大きな石を投げたりして,さんざんあばれた後,円盤内に入り,円盤はヒューというような音をたて上昇し,北の方角に飛び去っていったという。
【参考文献】
『ヒューマノイド空飛ぶ円盤搭乗者』,1974年
参考外部サイト⇒GAsite(第7章 現代のUFO 第3話)
参考外部サイト⇒世界最大の怖い話サイト 怖話(【1947年】ヒギンズ事件)
●ジャンサンUFO遭遇事件(アメリカ)
1947年7月23日,航空専門誌編集者ジャン・ジャンサンが自家用飛行機を操縦中に2機の円盤に遭遇し,ジャンサンの飛行機が空中で一時停止させられた。
この日,ニュージャージー州モリスタウンに住むジャンサンは自分の飛行機を操縦して高度1800メートルを飛行していると,何かカメラのフラッシュのような光がひらめいたのに気づいた。光は機首の上方,11時方向からで,ジャンサンは上のほうを飛んでいる飛行機が太陽光線を反射したのだと思っていた。それ以上べつに気にもしなかったが,機のエンジンの調子がおかしくなり始めた。ジャンサンはキャブレターの温度を上げ,スロットルを全開にしたが,エンジンはゼーゼーという音を出しただけで停止してしまった。当然,機は機首を下げて滑空を始めると思ったのだが,正常の水平飛行姿勢をとり,スピード・メーターの針はゼロを指していた。なんと,機は重力の法則に逆らっていたのだ。
異様な状況におびえてしまったジャンサンは,左翼の先端越しに奇妙な飛行物体を見た。それは空飛ぶ円盤のようで,フレンジのように突き出た円形の縁の両側には,汽船の舷窓のようなものが点々と並んでいた。円盤は空中に停止していた。さらに,その円盤の向こう側上方,機から400メートルほど離れたところに,もう1機の円盤が見えた。2番目の円盤も空中に停止しているようだった。ジャンサンは,この円盤から観察されているような不気味な感じを受けたという
ジャンサンは切ってあったエンジンの点火スイッチを入れると,点火装置はオンになり,プロペラがゆっくり回りだした。機ははじめ機首を下げて失速状態で滑空していたが,やがて対空速度を得て安定飛行に移った。

クランプによる斥力場の空中効果の解析図)
【参考文献】
UFOと宇宙』NO.29,1977年(「続 宇宙・引力・空飛ぶ円盤」,文:レナード・クランプ
●サンチナ村小人宇宙人遭遇事件(イタリア)

『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』より
1947年8月14日,イタリアのサンチナ村近くの山林でヨハネス教授が着陸している円盤と小人の宇宙人に遭遇した事件。
イタリアの東北部のフリゥリのカルニアにあるサンチナ村に近いところに当時住んでいたラプッチ・ルイギ・ヨハネス教授(画家・著作家)が,この日の朝,キアルショと呼ばれる谷川沿いの渓道をナップザックと地質学用のピック(突棒)をもって歩いていた。教授は地質学と人類学に興味をもっていた。モミの木立ちをぬけ出たところで、岩だらけの岸の上,約50メートル離れたところに赤色のレンズ状の物体を発見した。近づいてみると10メートルほどの大きさの円盤で,四分の一ぐらいが岩肌の割れ目に埋まっていた。まわりをみわたすと,50〜60メートルはなれたところに,二人の少年が立っていた。教授が少年たちの半分ぐらいまで近づいていくと,それは少年ではなく,畸形な小人だった。身長が90センチほどで頭に毛はなく,黒褐色のキャップをかぶっていた。目は非常に大きく緑黄色に色づいたぶどうの果実そっくりであった。目玉の真ん中には縦なりの瞳孔が見えた。太いベルトをつけた小人は,小刻みな歩幅で両手をぶらさげ,よちよちと歩いてきた。小人が近くまできて,立ちどまると教授の体はシビレてきた。教授は手にもっていたピックを高くさしあげ,かれらの方に向けて,大声で「君たちは何者なのだ!」というようなことを叫ぶと,彼らは脅かされていると感じたらしく,なにか光線か煙のようなものを発した。教授は,そのとたんに,ふらふらと倒れてしまった。教授が手放したピックを彼らは手にとった,彼らの手は指が8本あり,4本4本が向かい合わせについていた。やがて,小人たちは円盤に戻っていった。その間,教授は起き上がるがやっとで両手を地面について彼らを観察するだけであった。円盤は垂直に上昇し,少し滞空し,やがて上昇し見えなくなった。

【参考文献】
『ヒューマノイド-空飛ぶ円盤搭乗者-』,1974年
1948年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●マンテル大尉事件(アメリカ)

トーマス・マンテル大尉
1948年1月7日の午後,ケンタッキー州フォートノックスにあるゴッドマン空軍基地に州警察から「メイズビル近辺(基地から約140キロ)で未確認飛行物体が発見された」との通報があり,午後2時ちかくになると,基地管制官も管制塔から肉眼でそれを確認した。傘のような外見をした飛行物体は光を浴びて磨きあげられた銀器のようにキラキラ輝いて,直径は60〜90メートルほどに見えた。訓練飛行から帰るため付近を通過中だったトーマス・マンテル大尉25歳)率いるP51の4機編隊に,ゴッドマンの管制塔から調査の要請が入る。1機は燃料不足のため基地に向かい,残り3機が物体を要撃した。高度約5000メートルまで上昇したところで,2機が酸素不足のため追跡を断念した。大尉は,単独で物体を追跡した。無線通信で何度か物体の情報を管制塔に伝えてきたが,やがて連絡が途絶えたため,捜索隊が派遣され,1時間後に基地から150キロ離れた場所で,大尉機の残骸と遺体が発見された。
空軍の公式調査の結果は,金星を追いかけているうちに酸欠になり意識を失ったものだと発表されたが,マンテル大尉は軍で高く評価されていた人物であったため,高官たちの間で議論が紛糾したという。この事件は政府の姿勢に不安を抱いていた国民を激しく煽りたて,空軍に大きなプレッシャーをかけたという。

【参考文献】
『UFOと宇宙(コズモ)』No.8,【マンテル大尉の悲劇,文:荒井欣一
『UFOと宇宙人(99の謎)』【世界のUFO事件簿,文:南山宏
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【悲劇のマンテル大尉,文:花積ヨーコ】
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』
参考外部サイト⇒Wikipedia(マンテル大尉事件)
参考外部サイト⇒UFO事件簿(マンテル大尉機墜落事件)
参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(マンテル大尉事件)
参考外部⇒UFO CASEBOOK(1948, The Death of Thomas Mantell
●イースタン航空機事件(アメリカ)

目撃者(機長と副操縦士)によるスケッチのうちの2枚
『謎解き超常現象DX』から 
1948年7月24日午前3時ごろ、ジョージア州アトランタに向かって飛行していたイースタン航空のダグラスDC-3旅客機675便(機長-C・S・チャイルズ、副操縦士-J・B・ホイッテッド)が、アラバマ州モンゴメリーの南西20マイル(約32キロ)の地点で不思議な飛行物体に遭遇した。
それは、明るい光を放っており、葉巻型の航空機で翼も尾翼もなく、後部から大きな光を噴射していた。機体には2列の窓があり、内部照明はマグネシウム光を連想させるほどの明るさだった。
その物体は、675便の方に猛然と突っ込んできたので、操縦士は、機を左に急旋回させた。すると、物体も反対側に向きを変え、675便の700フィート(約210メートル)のところですれ違った。このとき物体は675便より上空にあった。物体は急に後部からすさまじい炎を吹き出しながら急上昇を始めた。、その吹き出した炎のせいか、675便はガタガタゆさぶられたという。物体は急速度で雲の中に姿を消していった。
物体の長さは100フィート(約30メートル)ほどで胴体の直径は戦闘機B-29の2倍ぐらいあった。機長、副操縦士以外の何人かの乗客も強烈な光を目撃している。
【参考文献】
『ムー』N0.3;【「UFOと航空機の遭遇事件!」文:南山宏
『UFOの内幕』

『世界UFO大百科(ムー別冊)』【火を吹く物体イースタン航空機に急接近・文/秦洋一】
『謎解き超常現象DX』【「イースタン航空事件」の伝説部分・文/山本弘】

『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』
●ゴーマン少尉事件(アメリカ)

『世界UFO大百科(ムー別冊)』から
1948年10月1日午後9時,ノースダコダ州ファーゴ基地にいつもの哨戒飛行を終えた州空軍所属のジョージ・ゴーマン少尉(当時25歳)のP-51戦闘機が,管制官から着陸許可を得たとき,1000ヤード(約900メートル)の距離に別の機体の尾灯とおぼしきものを認めたため,進行方向に何かないかを管制塔に確認した。管制塔は彼の機の下方に別なパイパー小型機をあることを伝えてきたが,ゴーマン少尉はそれをはっきり確認できた。彼が見ている光はそれとは別なものであった。
その光体は白色に輝き点滅をくりかえし,北西に向かい,時速約400キロで移動していた。少尉が接近すると,光体は点滅をやめ,輝きを強め,左に旋回し急降下した。少尉は,光体が管制塔に急降下攻撃するものと思い,後を追い少尉も急降下したが,光体は左に旋回し,高度を上げていった。速度を増しながら上昇していく光体についていけないと判断した少尉は,最大速度を出して右方向から迎撃コースをとった。衝突は避けられないと思った瞬間,光体は機の上500フィート(約150メートル)のところをすれちがった。ゴーマン機は,この光体と追いつ追われつの空中戦を
約20分繰り返したが,光体は途中で向きを変え,上昇して姿を消した。少尉も後を追ったが高度14000フィート(約4300メートル)で,エンジンが失速し追跡をあきらめた。
【参考文献】
『世界UFO大百科(ムー別冊)』【ゴーマン少尉,UFOと空中戦,文:秦洋一】
,1985年
『UFOの内幕』,1985年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(ゴーマン少尉機空中戦事件)

参考外部サイト⇒まにあ道(UFOと空中戦を展開した空軍少尉)


空中戦の様子を描いた絵
(サイト:「超魔界帝国の逆襲」から)
●緑の火球事件(アメリカ)
ニューメキシコ上空に,1948年の秋に出現した謎の緑の火球は,年々夜空に出現し1951年には最高潮に達し,9個の目撃が報告された。しかし,1952年以来出現しなくなった。
目撃者には,冥王星の発見者,クライド・トンボー博士がいる。博士は,
1949年8月にニューメキシコ州ラスクルセスで6から8個の緑色の光体群を目撃した。また,流星の世界的権威であるリンカーン・ラ・パス博士も火球を目撃しているが,博士はそれらが流星ではないと結論付けている。
緑の火球は,流星のように落下せず,頭上を直線で進行し,通常は消滅するか,破片を落とさずに空中で無音で爆発した。

【参考文献】
UFOと宇宙』NO.18,1976年(「UFOは地球の救済に来るのか!」)
『宇宙よりの来訪者』
,1977年
1949年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
1950年
200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ファーミントンUFOフリート事件(アメリカ)
1950年の3月中旬,昼間3日間にわたって無数の空飛ぶ円盤が,ニューメキシコ州の小さな町ファーミントン上空で目撃された。17日の午前には,町の半分(約3000人)もの人々が白昼UFOを目撃した。数百機も見たという者が何人かいる一方で,9機以下という者は皆無であった。その物体は,まるで鬼ごっこをしているように見え,時には,信じられない速さで視界から飛び去った。ある人物の三角測量によるとその飛行速度は時速1000マイル(約1600キロ),大きさはB29爆撃機の約2倍と推定された。新聞社への目撃報告によると,物体は銀色に輝く円盤型をしていたという。また,1機だけ赤色をしていたと証言する人もかなりいた。また,ある目撃者によると,物体は編隊を組んで飛行しているように見えたという。
※)ファーミントンは石油の採れる町で人口は5000人(当時)を超える。ロスアラモスにある核施設から北西に110マイル(約180キロ)離れている。
【参考文献】
『UFOの内幕』,1985年
『アメリカ大統領はなぜUFOを隠し続けてきたのか』,2015年
参考外部サイト⇒UFO EVIDENCE(The Farmington UFO Armada )
参考外部サイト⇒THINK ABOUTIT(1950: The Farmington UFO Armada)
参考外部サイト⇒You Tube(UFO Over Farmington, New Mexico March 17, 1950)
●トレント夫妻UFO目撃事件(アメリカ)


『UFOの謎』から
1950年5月11日,オレゴン州マクミンビルの農夫ポール・トレントとその妻が自宅からUFOを目撃し,写真に撮った事件。
19時30分ごろ,トレント夫人が庭でウサギたちに餌をやっていると,北東の方向にUFOを見つけ,ポールに庭に来るよう呼びかけた。UFOは西方に向かって移動していった。トレント夫人が家のなかから写真機をもってきて,ポールが最初の撮影をした。UFOは北西に動いて速度を速めたとき,2枚目を撮影した。その際,ポールは右方に移動してゆかねばならなかった。UFOが迅速に西方に消えてゆくとき,UFOはいくらか傾斜しているのを,夫妻は確認している。UFOはあたかも浮遊するかのように滑空し,回転している様子はなかったという。
【参考文献】
『UFOの謎』,1975年
参考外部サイト⇒UFO事件簿(トレント夫妻のUFO写真)
参考外部サイト⇒実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(これぞホンモノのUFO写真〜「トレント写真」)
参考外部サイト⇒SKY PEOPLE(ポール・トレントのUFO写真はホンモノ?)
●ダニエル・フライ無人円盤搭乗事件(アメリカ)
 【ホワイトサンズ事件】
 
イラスト:河合徳恵
『世界UFO大百科』から
1950年7月4日の夜,ニューメキシコ州ホワイトサンズ実験場でロケット関係の仕事で働いていたダニエル・フライ氏が,涼しさを求めて散歩中に,直径約9メートルの卵型無人円盤に遭遇し,円盤から発する声(英語)に対応し,円盤内に搭乗した。円盤内では,声はフライ氏の頭に直接聞こえてきた(テレパシー)という。円盤は貨物機であったらしく,遠隔操作されており,見えない知的生命体はなぜフライ氏とコンタクトしてきたかを述べたという。円盤はニューヨーク上空まで飛行し,元の場所まで約30分で往復した。
【参考文献】
『コズモ(UFOと宇宙)』NO.2,1973年-(「私は円盤に乗った!」【文:ダニエル・フライ】)
参考外部サイト⇒GAsite(ホワイトサンズUFO搭乗事件)

参考外部サイト⇒地球外人類と惑星間移住(地球外文明と地球人接触者)

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