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怪奇・不可思議事件集(は〜ほ) 


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●バミューダ海域に消えた6機の海軍機
【フライト19事件】





★同型の雷撃機と飛行艇
『大消滅』『謎・謎・謎』から
1945年12月5日にバミューダ海域で訓練中の5機のアメリカ海軍機と救助に向かった飛行艇1機が消息を絶った。
この日の午後2時,5機の海軍機(フライト19)が,フロリダのフォート・ローダデール海軍航空基地の滑走路を編隊を組んで飛び立っていった。
目的は,いつもの訓練飛行で,はじめ東へ160マイル(257km),つぎに北へ40マイル(64km),そして南西へ進路を取って基地にもどるということで
2時間の飛行が予定されていたが,この三角形の飛行プランの頂点は,ぴったりバミューダと一致していた。
5機の海軍機はネービー・グラマンTBM3型アベンジャー雷撃機で,搭乗員は士官パイロットが5名,下士官兵9名の計14名であった。燃料タンク,エンジン,計器類,救命用いかだなど,機体のすべては離陸前にチェックされており,各機とも,1000マイル(1609km)以上の飛行に耐えるだけの燃料を積んでいた。
気温は華氏65度。雲はまばらで,穏やかな北東の風が吹ていた。飛行時間
2500時間以上の指揮官チャールズ・テイラー中尉は,隊機をビキニ北方のチキン浅瀬に誘導した。そこで標的廃船相手の爆撃訓練を行なう予定であった。
爆撃訓練を終えて,編隊が東進しているころの
3時15分に,フォート・ローダデールの管制塔は,編隊長からのただならぬ通信を受け取った。
「緊急事態だ。コースをはずれたらしい。陸地が見えない…くり返す…陸地が見えない」
基地の管制塔は,位置はどこかと問い返した。
「位置もはっきりしない。どこにいるのか判らないんだ・・・迷ったらしい…」
「どっちが西なのか判らん。何もかもおかしい…奇妙だ…方角がさっぱり判らない…海の様子も,いつもと違う・・・」
ここで,交信は一時的にとだえてしまった。
3時30分ごろ,フォート・ローダデールの首席飛行教官は,飛行実習生の一人であるパワーズを呼んでいるだれかの通信を傍受した。彼は羅針盤がどうなっているかをパワーズに聞いていたが,「どこにいるのか判らない。最後にターンしてから,方向を見失ったらしい」とパワーズからの返事が聞こえた。
管制塔側の首席飛行教官がフライト19の教官を呼ぶと,「羅針盤が二つともいかれた。フォート・ローダデールを探している・・・フロリダ小島帯の中にいるのは確かだが,どのへんなのか判らない…」という返事があり,首席飛行教官は,太陽を左に見ながら北へ飛べば,フォート・ローダデールに出られる指示した。
「たったいま小さな島の上を飛び過ぎた・・・ほかに陸地は見えない…」という応答があった。これは,フライト19の教官機がフロリダ小島群にいるのではないことを示していた。通常ならば,小島群に続いて陸地があるはずなのに,それが見えないというからには,編隊の全機が迷ってしまったということになる。
フライト19からの連絡は,次第に聞きとりにくくなっていった。向こうでは,管制塔の声が聞きとれぬらしいが,管制塔の方では隊機同士の会話をかなり傍受できた。
このころ,フォート・ローダデールでは緊急ベルが鳴らされ,救助のための飛行機がすぐさま用意された。双発エンジンのマーチン・マリナー飛行艇がバナナ・リバー海軍航空基地から飛び立った。マーチン・マリナーの搭乗員は全員で13名であり,救助に必要な装備を完全に備えていた。
午後4時,管制塔のオペレーターは,フライト19の指揮官(テイラー中尉)が,理由もはっきりせずに,スティバー大尉に飛行指揮の代行を頼んでいるのを聞いた。
20分後,新しい指揮官スティバー大尉が管制塔に交信してきた。彼の声は,ヒステリーを絶望的になりながらも押さえようとしている人のように,荒々しく,引きつったような調子であった。
「われわれは,どこにいるのかはっきりしない…基地の北東225マイル(362km)の地点のはずだが…もうフロリダを通過して,メキシコ湾に来ていなければおかしいが…」
いっぽう遭難地点と予想される海域に向かったマーチン・マリナー機のコーム中尉から,離陸
数分後に,「上空6000フィートは強風状態」という連絡が管制塔に入った。だが,これが救難機からの最後の連絡であった。
以後,管制塔とマーチン・マリナー機との交信はとだえてしまい,それ以上つながることはなかったのである。
日が沈む前に,マイアミの沿岸警備隊の船が,捜索を開始した。頭上では,12機の海軍の飛行機が,その地域を空から調べていた。しかし,海は穏やかで,
夕方の空は晴れわたり,時速40マイル(64km)ほどの風が吹いていただけであった。救命ボートも,油の帯も,一片の残骸も発見されなかった。
捜索は,
一晩じゅう続けられた。夜明けとともに捜索はいっそう強化された。航空母艦『ソロモン』も,21隻の船をひき連れて参加した。260機のアメリカの飛行機とバハマ諸島の英国空・海軍からの協力を得て,史上未曾有の大捜索を行った。
兵士や海兵隊員や,市民の有志からなる15の陸上部隊が,遺体や手がかりになるような破片などを求めて,組織的にフロリダ海岸を北上したり南下したりして捜索を続けた。
捜索はしだいに,大西洋のはるかかなたのメキシコ湾にまで広がり,100万平方マイルの4分の1の海域に及んだのである。陸上部隊は,ジープに乗ったり,または徒歩で,湿地や人里離れた森の中も捜索した。
この捜索は史上かつてないほど徹底的で大規模なものであった。しかし,すべての結果はゼロであった。失われた飛行機のものと思われるほんのわずかな破片も,ネジも,ボタンすら発見されることはなかった。
5日後,捜索は打ち切られ,海軍調査委員会が設置されて,この不思議な事件の解明にあたることになった。
【参考文献】
『謎・謎・謎』,1975年
『謎のバミューダ海域』,1975年
『大消滅』,1977年
参考外部⇒ 超常現象の謎解き(バミューダ・トライアングル最大の謎「フライト19消失事件」)

参考外部⇒ NATIONAL GEOGRAPHIC(第4回フライト19編隊)

参考外部⇒ 不思議なチカラ(フライト19事件…バミューダトライアングルの謎はここから始まった!)

参考外部⇒ excite.ニュース(バミューダトライアングルの謎がついに解き明かされる?時速270kmの空気爆弾がその正体か?(米研究))

参考外部⇒ KIJIDASU!(大好き都市伝説) 謎のバミューダトライアングルに消えた第19飛行編隊(フライト19) 〈248JKI07〉)

参考外部⇒ 実録!!ほんとにあった(と思う)怖い話(フライト19〜バミューダ・トライアングルに消えた雷撃機編隊)

参考外部⇒ NAVERまとめ(バミューダトライアングルの謎に新仮説!!あなたは信じるか?)
●バミューダ海域の水中ピラミッド

★魚群探知器がとらえたもの
『大隆起』から
1977年初春 ,漁船のソナー・グラフがバミューダ・トライアングルの海底に,高さが約180メートルの水中ピラミッドをとらえた。
1977年4月3日の『読売新聞』に,「魔の海域に水中ピラミッド」という見出しで,同紙のニューヨーク特派員発で次のような記事が掲載された。

「数多くの船や飛行機が姿を消している謎の”バミューダ・トライアングル”(魔の三角海域)の海底で,巨大な水中ピラミッドが発見され,ミステリー・ゾーンにまた新たな謎が生じた。これを報じた米誌『ワシントン・ポスト』によれば,水中ピラミッドの見つかった場所は同海域の大西洋とカリブの接点にある深さ約900メートルの海底で,ピラミッドの高さは約180メートル。この水中ピラミッドの発見について,ベストセラー『バミューダ・トライアングル』(邦訳題『謎のバミューダ海域』訳:南山宏・徳間書店刊)の著者チャールズ・バーリッツは,かつてこの海域に高度に発達した古代文明が栄えていた証拠ではないか−と述べている」

この問題の"水中ピラミッド"を発見したのは1977年の初春のことで,この海域に出漁していた漁船のソナー・グラフにキャッチされたもの。偶然にも,お目当ての魚群ではなくピラミッドがソナーのスクリーン上に映し出されたのである。
高さは少なくとも470フィート(143m),底部各辺は520フィート(159m)ほどで,エジプトのギゼーにあるクフ王(ケオプス)の大ピラミッドと,傾斜面の角度はほぼ等しい。
長い歳月の間に重みで海底に沈下したか,それとも泥砂が堆積した結果か,"水中ピラミッド"の一底辺が最初の測定では反対側より長いので,真の基底部からの高さはもっとあると考えられる。
【参考文献】
『大隆起』,1977年【プロローグ(解説:南山宏)の部分より】
参考外部⇒ ATLAS(海底にクリスタルのピラミッド!?「バミューダトライアングル」の真実)

参考外部⇒ カラパイア(魔の三角海域「バミューダ・トライアングル」に沈む巨大なクリスタルピラミッドの謎)


参考外部⇒ 怪奇動画ファイル(バミューダトライアングル海底に古代遺跡!)

参考外部⇒ misaのブログ(バミューダの海底ピラミッド詳細)

参考外部⇒ 月刊ムー(バミューダ海底のクリスタル・ピラミッド アトランティスが遺した大水晶/ムー的古代遺跡)
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200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
●ファティマの奇跡

ファティマの奇跡
『UFOと宇宙(NO.35)』から
1917年,ポルトガルの小さな町ファテマで起きた,カトリック教会が公認している、
聖母出現の奇跡の一つであるが,このとき出現した聖母はコンタクトした3人の子供たちにいくつかの予言を与えた。

(☆)1度目のコンタクト
最初のコンタクトがあったのは,
1917年5月13日のことである。場所はポルトガルの首都リスボンから北東約130kmにあるファテマ村のはずれにあるコパ・ダ・イリアという渓谷である。
コンタクトしたのは,ルシア・ドス・サントス(10歳-少女)と,その従姉妹であるフランシスコ・マルト(9歳-少年),ジャシンタ・マルト(7歳-少女)という付近に住む農家の3人の子供たちであった。
彼らは,
この日に30数頭の羊をつれ村から2.5kmはなれたルシア家の所有地である,この渓谷にきていた。3人が,そこに着いたのはお昼ごろだった。持って来た弁当の昼食をすませると,オリーブの木のそばの草の上にひざまずいて,ロザリオ(カトリック教会における聖母マリアへの祈り)を唱えた。
そのあと3人は,羊たちが丘の上の草原に行ったのを見とどけると,そこらの石ころや木片を集めては,模型の家を作る遊びに夢中になっていた。突如,空中に強烈な稲妻がきらめいた。かみなりかと思った3人は,帰ろうと羊を追って,ヒイラギの木の近くまで来た。すると,またも一閃,もっと強い光が空中で輝いた。
すると,3人から1mも離れていない高さ1m少々のヒイラギの木の上に,1人の貴婦人が立っていた。その貴婦人は,たとえようもない高貴な顔にかすかな微笑みを浮かべていた。胸に両手を組み合わせ,右手に光る輝くロザリオをさげて,足元まで垂れさがったゆるやかな衣服は雪のように純白だった。首からは金色のネックレスを胸までさげ,両肩には黄金色のふちのついた,足まで垂れた真白なマントをかけていた。ハダシのバラ色の両足をヒイラギの梢にかかった雲の上にふんわりと乗せながら,その貴婦人は,ルシアと語り始めた。
この,コンタクトは
約10分間続いた。その貴婦人は話し終わると,直立したまま空中を移動して,太陽の光の中に消えていった。

(☆)2度目のコンタクト
3人の子供たちは貴婦人との約束を果たすために,
6月13日に再び,コパ・ダ・イリアに向かった。しかし,ルシアたちの行動をひそかに注視する60名ばかりの群衆がついてきた。
ルシアたち3人は,ロザリオを唱えた。終わるとルシアが立ち上がって,「貴婦人さまがおいでになります」と叫んで,3人は前と同じヒイラギの木に近づき,ルシアが空中の一点に向かって歓喜に満ちた表情で話しかけた。周囲の群衆には,何も見えなかった。
この2度目のコンタクトは
約15分間で終わった。

(☆)3度目のコンタクト
続く3度目の約束である
7月13日が近づいてきた。この頃になると,事件が近隣一帯に知れ渡り,7月13日には,コパ・ダ・イリアの地には3人の他に,なんと5〜6千人の群衆がひしめいていた。
正午ごろ,稲妻に似た閃光がきらめいて聖母の幻影が現われた。ルシアが空中に向かって話しかける。何かを語り終わった聖母は静かに東方の空に消えた。このとき群衆には聖母の姿は見えなかったが,ひとかたまりの白雲が3人の子供を取り囲んだのを目撃した。また,太陽が急に暗くなって,気温が低下したので,群衆からどよめきの声があがった。

(☆)4度目のコンタクト
約束の
8月13日には,数万の群衆がコパの盆地に集合して子供たちを待った。だが,彼らは郡長のアルトゥール・デ・オリベイ・サントスにウレムへ連行されたため,この地に来ることができなかった。
集まった群衆は,子供たちが郡長の手で監禁されたという噂を聞いたために,郡長に対し怒りだした。しかし,ここで不思議な現象が発生する。快晴の空に突如雷鳴がとどろいたあと,美しいひとかたまりの雲が降下して,ヒイラギの木の上にとどまり,
10分間ほどして上昇したのである。
群衆は,歓声をあげ祝福の言葉を叫びあった。
子供たちと聖母の4度目のコンタクトは,ルシアが監禁から解放された
4日後8月19日,群衆のいない同じ場所で,ルシアの兄ヨハネを含む4人で行われた。
ここでも,聖母はヒイラギの木の上に立って,微笑みながら話しかけた。
ヨハネには聖母の姿は見えなかったが,ルシアのコンタクト中に太陽の光が変化し,聖母が去っていくときに,空中で爆弾が破裂するような音を聞いた。

(☆)5度目のコンタクト
約束の
9月13日の奇跡を待ちわびて,ぞくぞくと人々が終結した。英国や遠いオーストラリアから視察に来た聖職者やジャーナリストもいた。この日のコパは,約3万人が集まったと推定されている。大群集で埋まり,3人の子供が歩行するすき間さえないほどであった。
この日までに聖母の出現したヒイラギの木は,多数の訪問客の手により引き抜かれており,かわりにそこには木造の"出現の門"が建てられていた。
ルシアは,群衆に向かって「ロザリオを唱えてください」と叫び,ロザリオを唱え始めると,そばにいた人々がひざまずき,みるみるうちに3万人の人々も地面にひざまずいた。
正午になると,明るく輝いていた太陽が,にわかに光を失ったかと思うと,コパ一帯は黄金色になった。ルシアが,「聖母さまが,いらっしゃいます!あそこです!あそこ!」と右手を上げて指さす方向に,なんと銀白色に輝くタマゴ型の物体が,ゆるやかに東から西に移動し,"出現の門"の上まで来てから見えなくなった。
聖母と語り始めたルシアの視線は眼前の空間の一点にそそがれ,体は微動だにしない。群集に見えるのは,見えない何者かと語り続ける10歳のルシアと澄みきった青空だけだった。
15分が経過し,「貴婦人さまがお帰りです!」とルシアの声が響いた。とたんに,あの銀白色のタマゴ型の物体が出現して,ゆっくりと上昇していった。人々は驚異の目をみはって口々に叫んだ。「聖母の乗り物だ!」錯覚ではなく,この光景は3万人の人々に目撃された。
このタマゴ型物体は,『聖母の輝く空艇』と呼ばれている。また,この"空艇"の出現と同時に,ひとかたまりの"雲"が降下して,3人の子供を包んだ。同時に空中から降るまっ白な綿状のものが見えたが,それらは,地面にとどかぬうちに消滅した。

(☆)6度目のコンタクト
約束された6度目である最期のコンタクトは,
10月13日に行われた。
この日は朝から土砂ぶりの大雨であった。この日集まった群集は7万人以上といわれている。渓谷に入りきれない人々は沿道に待機した。群集はずぶぬれになり,渓谷の草原はぬかるみと化した。
11時40分,3人の子供は両親につれられ姿を現した。大群集の祈りの声と讃美歌の歌声がしだいに拡がって,渓谷にこだました。
正午。突然ルシアが叫んだ。「あそこに,貴婦人さまが!」群集の目に,煙のような白い雲が,3人の子供の周囲にわき出て,5〜6mの高さに上昇したのが映った。
やがて,聖母は3人の子供たちに語り終えると,太陽の方へ上昇していった。
その時,ルシアが大声で叫んだ。「太陽をごらんなさい!」すると,それまでの土砂降りが急にやみ,雲が割れて青空が展開したかと思うと,そこに見なれぬ"太陽"が出現した。
それは,急速に火の車のように回転し,その周囲に無数の色光を放っている。
7万人の大群集から,大喚声がわき起こった。
輝く大円盤は,回転を停止して,少し水平に移動し,また元の位置にもどって,ふたたび回転を始め,すさまじい色光を放射した。これが3回繰り返されたあと,今度はジグザグで下降を始め,群集の頭上に落下するように見えた。
群集の驚異と畏怖の念は頂点に達した。コパ・ダ・イリアは,いまや興奮と熱狂のるつぼと化した。7万人の目は空中に釘づけとなり,無数の手が上空に向けられている。
約10分間見えた不思議な"太陽"は,いつともなく姿を消したが,だれひとりとせず立ち去ろうとはしなかった。
【参考文献】
『UFOと宇宙(NO.34)』1978年,【ファティマの奇跡(1)その時,ファティマで何が起こったのか?,文:久保田八郎
『UFOと宇宙(NO.35)』1978年,【ファティマの奇跡(2)7万人の群集が目撃した物体は何か?!,文:久保田八郎
参考外部⇒ Wikipedia(ファテマの聖母)

参考外部⇒ オカルト・クロニクル(ファティマに降りた聖母――7万人の見た奇跡)

参考外部⇒ カトリック・あい(秋田でマリア像“奇跡の対面” 聖体奉仕会で「ファティマの聖母」公開)
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