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当サイトで参考にしたUFO関連本一覧![]() |
人物紹介(ま〜も) (UFO研究家・コンタクティ・著述家など) ![]() |
180-20 氏名(敬称略) | 420-50 プロフィール | 300-30 著作物、関連サイトなど | ||||||||||||
ま | ||||||||||||||
●マイケル・サラ博士 ( Dr.Michael Salla ) (1958〜); ![]() |
1983年にメルボルン大学を卒業,その後クイーンズランド大学で行政学で博士号を取得した。オーストラリアの複数の大学で教鞭を執った後,
1996年にアメリカに移り住み,ワシントンにあるアメリカン大学の准教授に就任した。国際紛争の調停が専門分野だった。 1990年代には専門分野の研究誌に多くの論文を寄稿している。 サラ博士の名は,「宇宙政治(エクソポリティクス)」【主要な地球外生命やその組織,互いの政治関係などに関する研究】のパイオニアとしてより知られている。 2004年に「宇宙政治(エクソポリティクス)」についての初の著作を著したあと,2009年にも宇宙政治とアメリカの外交政策に関する著書を出版した。 2013年には『Galactic Diplomacy(銀河外交)』,『Kennedy’s Last Stand(ケネディ最後の戦い)』を出版している。 後者で博士は機密UFOとケネディ暗殺の関係を探究した。 【参考文献】 ・『ありえない世界』,2017年 ⇒・Wikipedia(スェーデン版;Michael Salla) |
公式サイト=>Exopolitics 参考外部サイト⇒prepare for change japan(COBRAとマイケルサラ博士のジョイントインタビュー) 参考外部サイト⇒prepare for change japan(シーズン7 エピソード11: サラ博士と共にSSPの根源をたどる) 参考外部サイト⇒so happy(マイケル・サラ博士とコブラ インタビュー より) ・『ありえない世界』,Dr.マイケル・E・サラ,訳:高島康司 |
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●マウントバッテン卿 (初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵ルイス・フランシス・アルバート・ヴィクター・ニコラス・マウントバッテン) ( Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma ) (1900〜1979); memory ![]() |
エリザベス女王の祖父の従兄(いとこ)にあたり,ヴィクトリア女王のひ孫になる。 戦前はイギリス最後のインド総督を務めた。戦時中はアジア地域連合軍の総司令官で,戦後は海軍元帥や国防参謀総長などを歴任した。 イギリスのブロードバンドにある卿の邸宅は,チャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚後に使用した広いものである。 この邸宅の裏庭に1954年ごろの冬の朝に,円盤が降り,使用人のブリックスが中から出てきた異星人とコンタクトを交わしたというUFO事件がある。 【参考文献】 ・『スペースプログラムが予言する終末へのカウントダウン』,2015年 ⇒・Wikipedia(ルイス・マウントバッテン) |
参考外部サイト⇒名のもとに生きて(皇女マリアに憧れた ルイス・マウントバッテン) 参考外部サイト⇒ 小市民の一日(今更ながらルイス・マウントバッテン卿の東京裁判批判) |
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●マオリッツオ・カヴァーロ ( Maurizio Cavallo Jhlos ) (1952〜); ![]() |
イタリア,ピエモンテ州のヴェルチェッリ在住。 ジャーナリスト,地元の市民大学の講師であり,国際会議の講演者,さまざまな研究機関のメンバーでもある。またクラリオン哲学研究所の創立者で代表。 アブダクションという個人的な体験を契機に,宇宙考古学や民俗学,神秘哲学に傾倒。 彼の詩や精神世界を描き出した絵画は専門家の注目を浴び,主にスペイン語やフランス語圏で出版物が刊行されている。 【参考文献】 ・『クラリオンからの伝言・超次元スターピープルの叡智』,2009年 |
公式サイト⇒
Centro Rcerchc Filosofiche Clarion 参考外部サイト⇒生首の出る部屋【アンチスピリチュアル】 ・『クラリオン星人にさらわれた私/超次元の扉』,著者:マオリッツォ・カヴァーロ,訳者:やよしけいこ,監修:浅川嘉富,2009年 ・『クラリオンからの伝言/超次元スターピープルの叡智』,著者:マオリッツォ・カヴァーロ/浅川嘉富,2009年 |
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●益子祐司(ましこゆうじ) (?〜); ![]() |
著述家,翻訳家,詩人。日本および海外で本を出版。 金星人オムネク・オネクやハワード・メンジャー,ジョージ・アダムスキーの未邦訳の著書を日本に紹介している。 |
関連サイト⇒Pastel Rose and Emerald
参考外部サイト⇒自由詩人!松尾多門のブログ(宇宙生命論!僕の友。益子祐司先生の紹介) ・『アダムスキーの謎とUFOコンタクティ』,2013年 ・『「YOUは」宇宙人に遭っています』,著:アーディ・S・クラーク,訳:益子祐司,2013年 |
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●松閣オルタ(まつかくおるた) (?〜); ![]() |
怪事件専門ルポライター。フォーティアン。 Webサイト『オカルト・クロニクル』主筆。奇現象・怪奇事件研究家。 会社員として企業に勤務するかたわらオカルト事象,未解決事件などの資料を収集。 【参考文献】 ・『オカルト・クロニクル』2018年 |
公式サイト⇒オカルト・クロニクル ・『オカルト・クロニクル』,著:松閣オルタ |
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●松下真一(まつしたしんいち) 【松下眞一】 (1922〜1990); memory ![]() |
日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。 九州大学理学部を卒業後,大阪市立大学助教授を経て,ハンブルクク国立大学理論物理学研究所客員教授として20年近く ドイツに滞在した。 作曲家としても活躍した。 【参考文献】 ・『法華経と原子物理学』,1979年 ⇒ ・Wikipedia(松下眞一) |
参考外部サイト⇒幻想旅人團・後の祭(松下眞一) 参考外部サイト⇒YouTube(日本の電子音楽 松下真一《黒い僧院》Shinichi MATSUSHITA ) ・『法華経と原子物理学』,著:松下真一 |
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●松村雄亮(まつむらゆうすけ) (1929〜??); ![]() |
スイスの国際的航空雑誌の日本通信員だった関係で,外国で問題になったUFOに,いち早く興味を持ち,研究団体「UFO Research Group
in Japan」を結成した。 1957年,久保田八郎氏,橋本健氏らと,「宇宙友好協会(CBA)」を設立した。 機関誌『空飛ぶ円盤ニュース』の編集兼発行などを行う。 また,松村氏は1959年に宇宙人とコンタクトし巨大母船内で宇宙連合の長老と会見したと云われている。 【参考文献】 ・『地球ロマン(復刊2号)』 【ドキュメント・CBA】 |
参考外部サイト⇒きよりんのUFO報告 | ||||||||||||
●マック・ブレイゼル | ウィリアム・マック・ブレイゼルの項を参照。 | |||||||||||||
●真鍋真(まなべまこと) (1959〜); ![]() |
国立科学博物館標本資料センター・コレクションディレクター,分子生物多様性研究資料センター・センター長。 恐竜など中生代の爬虫類,鳥類の研究を専門としている。また,博物館の展示の開発,特別展の企画・監修,書籍・図鑑等の監修を手がける。 【参考文献】 ・『[新版]恐竜の世界』,監修:真鍋真 ⇒・Wikipedia(真鍋真) |
参考外部サイト⇒学研の図鑑くらぶ(真鍋真先生にインタビュー わたしが恐竜博士になるまで) 参考外部サイト⇒国立科学博物館(研究者紹介) 参考外部サイト⇒日本の研究.COM(真鍋真) ・『[新版]恐竜の世界』,2018年 |
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●マリア・ライヘ ( Maria Reiche ) (1903〜1998); memory ![]() |
ドイツの数学者,天文学者。 ナスカ遺跡(ナスカの地上絵)の研究と保護に半生をささげた。 30年あまりにわたる調査の結果,地上絵は巨大な暦であると主張した。 【参考文献】 ・『世界最後の謎』(消えうせた民族/ナスカの謎のメッセージ),1978年 ⇒・Wikipedia(マリア・ライヒェ) ⇒・Wikipedia(英語版:Maria Reiche) |
参考外部サイト⇒
The maria-reiche museum 参考外部サイト⇒ 歴史人(マリア・ライヘとは?ナスカの地上絵に生涯をかけた数学者の人生を解説!) 参考外部サイト⇒ Eriko Kusuta's World(新「ナスカの地上絵」保護プロジェクト) |
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●マルセル・オム教授 (1897〜?); memory ![]() ★オム教授と愛犬"マルアイ" |
ジョージ・アダムスキーが,金星人から受けとったフィルムに写っていた模様と同じような紋様を石器から見つけたことで有名である。 オム教授が,後日,アダムスキー著の『空飛ぶ円盤実見記』を読んだとき,自分の発見した紋様とあまりにも似ているので,飛び上がらんばかりに驚いたという。 オム教授の発見したその紋様は,南米の奥地にあるペドラ・ピンターダという巨大な一つ岩で見つけた石器に刻まれていたものである。 オム教授はフランスに生まれ,アルジェリア北部のアルジェ大学で考古学を学んだ。アフリカ大陸で15年間を過ごし,地中海沿岸諸国の古代の遺跡を調査したり,ピグミー族を研究したりした。 1940年に,ブラジルに渡ってサンパウロに居住した。その後,南米の考古学センターからアマゾン河流域を探検するよう命ぜられた。 このため,オム教授は,ブラジルの古代遺跡を組織的に発見調査した最初の科学者となった。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙』(No.14):1975年,【マルセル・オム教授の不思議な発見物,文:常岡理太郎】 |
![]() ★不思議な紋様が刻まれた石器を見つけたペドラ・ピンターダ(南米の奥地にある一つ岩) 『UFOと宇宙』NO.14から ![]() ★オム教授が見つけた石に刻まれた紋様 『UFOと宇宙』NO.14から |
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●マージョリー・フィッシュ ( Marjorie Fish ) (?〜); ![]() |
ヒル夫妻UFO誘拐事件
(
1961年
)で,ベティが催眠によってとりもどした記憶にもとづいて描いた図から,オハイオ州で小学校の教師をしていたマージョリー・フィッシュが,
その図を星図にはめこんでいった。
1968年
,そしてついに問題の星が,
レチクル座のゼータTとゼータUという星であることをつきとめた。 ベティの描いた星図には, 1969年 になってはじめてカタログ(グリーゼ近隣星カタログ)に収められた3つの星の位置が正しく記入されていたことが判明した。 【参考文献】 ・『ムー(No.6)』(”第4種接近遭遇”事件の謎を探る!!/彼らはレチクル座から来ているという,文:並木伸一郎),1980年 |
参考外部サイト=>Wikipedia(ヒル夫妻誘拐事件) 参考外部サイト=>Bad UFOs: Skepticism, UFOs, and The Universe 参考外部サイト=>spacephenomena(ヒル夫妻誘拐事件) 参考外部サイト=>路(リスはUFO接近を感知するか) |
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み | ||||||||||||||
●三浦関造(みうらかんぞう) (1883〜1960); memory ![]() |
キリスト教徒・オカルティスト・ヨガ研究者,翻訳家。タゴール研究家。 福岡師範学校・青山学院神学部卒業。 神智学およびヨガを学び,1953年には自らの団体「綜合ヨガ・竜王会」を主催。 神智学書籍「沈黙の声」や「至高者の歌(バガヴァッド・ギータ)」などの翻訳活動もおこなった。 【参考サイト及び文献】 ・サイト(Hatena Keyword(三浦関造)) ・『聖シャンバラ』,1956年 ⇒・Wikipedia(三浦関造) |
参考外部サイト⇒Hatena Blog(マダムNの神秘主義的エッセー) 参考外部サイト⇒Hatena::Diary(2011-11-09古本夜話148 三浦関造『革命の前』、ブラヴァツキー、竜王文庫) 参考外部サイト⇒竜王文庫 ・『聖シャンバラ』,著:三浦関造 |
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●三島由紀夫(みしまゆきお) (1925〜1970); memory ![]() |
東大法学部を卒業後,大蔵省に勤務するも9ケ月で退職。執筆活動に入る。 1949年,最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行し,作家としての地位を確立した。 1970年11月25日,自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した。 ミシマ文学は諸外国語に翻訳され,全世界で愛読されている。 【参考文献】 ・『美しい星』,2016年 ⇒・Wikipedia(三島由紀夫) ⇒・Wikipedia(英語版;Yukio Mishima) |
参考外部サイト⇒ トクベツキカク(美輪明宏が語る天才作家・三島由紀夫) ・『美しい星』,著:三島由紀夫 |
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●水島保男(みずしまやすお) (1954〜); ![]() |
月・惑星研究家,電力増殖技術研究開発者,宇宙開発とUFOジャーナリスト等の肩書をもつ。 1982年10月に月面を横切る5つの未確認物体のVTR収録に成功。 以後,多数のTV番組に出演,その映像の放映を行う。 【参考サイト】 ・講演依頼.COM(水島保男) |
公式サイト⇒水島保男外伝版ブログ ・『新/第3の選択』,著:水島保男,監修:韮澤潤一郎 |
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●ミシェル・ド・ノートルダム 【ノストラダムス】 ( Michel de Nostredame ) (1503〜1566); memory ![]() |
フランスのサンレミで公証人の息子として生まれる。 人文学と医学を学んだが,彼を有名にしたのは暦の出版によってである。その後,最初の予言集,354の4行詩からなる,題名が『真実の諸世紀』なるものが生まれた。 これがフランス国王アンリU世の目にとまり,王に近づくことができた。 予言が何によってされたかは不明であるが占星術が重要な役割をなしていたのは確かなようである。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙』NO.47(ノストラダムス第三次世界大戦詳細予言),1979年 ⇒・Wikipedia(ノストラダムス) |
参考外部サイト⇒まとめ(【2014年5月12日】ノストラダムスの予言は終わっていない) 参考外部サイト⇒ らばQ(「ノストラダムスの予言はほとんど当たっていなかった→翻訳した女性が改変」海外の反応) |
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●三田光一(みたこういち) (1885〜1943); memory ![]() |
御船千鶴子,長尾郁子らとともに福来友吉博士によって発掘された「超能力者」の一人。 三田は透視能力者として,一部のあいだで御船千鶴子よりも早くから知られていたが, 念写を始めたのは長尾郁子を知ってからのことである。 彼が華々しく騒がれたのは大正初期から昭和10年ごろまでの間である。 三田の千里眼能力は新聞社や各種団体などの主催によって, 全国各地と朝鮮,満州などにおいて,広い会場に大勢の観客を集めて見世物興行的に公開実験として行われた。 福来博士がさかんに実験をおこなったのは昭和になってからで,博士は当時の三田の心霊能力を高く評価していた。 昭和5(1930)年3月,京都の嵯峨公会堂での念写実験では弘法大師(空海)の肖像を念写し,昭和6(1931)年6月には,福来博士の自宅(大阪・箕面)においた乾板に,約40キロ離れた三田の自宅(神戸・須磨)から月面の裏側の姿を遠隔念写した。 【参考文献】 ・『透視も念写も事実である』:2004年 ⇒ ・Wikipedia(三田光一) |
参考外部サイト⇒超常現象の謎解き(月の裏側を念写した男「三田光一」) 参考外部サイト⇒財団法人福来心理学研究所(三田光一による剛健質素の念写) 参考外部サイト⇒密教初級編(念写・弘法大師空海) 参考外部サイト⇒NAVERまとめ(月の裏側を念写した!?超能力者、三田光一とはいったい何者か。) 参考外部サイト⇒最新情報強者ブログ(千里眼事件の概要。御船千鶴子の子孫やトリック、墓は?) |
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●皆神龍太郎(みながみりゅうたろう) (1958〜); ![]() |
疑似科学ウォッチャー,「と学会」運営委員。 UFOをはじめとする超常現象一般に深い興味を抱いているが,いずれの現象も,いくら調べても存在すると言える確かな証拠が何も出てこないので,何も信じていない。 関係書を多数,著している。 【参考文献】 ・『NASAアポロ疑惑の超真相』,著:山口敏太郎&アトランティア編集部 ⇒・Wikipedia(皆神龍太郎) |
参考外部サイト⇒with news(超常現象を30年間追う男 「なんでそんなこと?」聞いたら深かった) | ||||||||||||
●南山宏(みまみやまひろし) (1936〜); ![]() |
東京外国語大学卒。元「SFマガジン」編集長である。 わが国におけるUFO研究の第一人者として知られているが,超常現象全般に関するエキスパートでもある。 ⇒・Wikipedia(南山宏) |
・『宇宙から来た遺跡』,1981年 ・『人類は地球外生物に狙われている』,1987年,著:ローレンス・フォーセット/バリー・J・グリーンウッド,訳:南山宏 ・『MJ12の謎と第18格納庫の秘密』,1990年,著:ティモシー・G・ベクリー,訳:南山宏 ・『古代核戦争の謎』,2009年 |
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●御船千鶴子(みふねちづこ) (1886〜1911); memory ![]() |
透視能力を持つ超能力(千里眼)者として福来友吉博士に紹介された女性。
22歳のとき,陸軍中佐・河地可謙と結婚。 ある日,夫の財布からなくなった50円が姑の使っていた仏壇の引き出しにあると言い当てたことで,姑は疑いをかけられたことを苦にして自殺未遂を起こした。 それがもとでほどなく離婚することになり,実家に戻る。 実家で義兄(姉の夫),清原猛雄に「お前は透視ができる人間だ」との催眠術をかけられた際に優れた結果が出たため,修練を続けることとなった。 その後,日露戦争時に第六師団が撃沈された軍艦・常陸丸にたまたま乗っていなかったことを透視したり,三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い,万田炭鉱(熊本県荒尾市)を発見して謝礼2万円(現在の価値で約2000万円)を得るなどした。 また,樹皮の下にいる虫の存在や海で紛失した指輪の場所を言い当てたりしたという。 中でも清原は千鶴子に人の人体を透視して病気を診断させたり,手かざしによる治療を試みた。 評判が広まった千鶴子を,1909年(明治42年)から翌年の1910年(明治43年)にかけて京都帝国大学医科大学の今村新吉教授や,東京帝国大学文科大学の福来友吉助教授などの当時の学者が研究を始めた。 千鶴子の透視能力を確信した福来は,この実験結果を心理学会で発表した。 これにより,「透視」という言葉が新聞で大きく取り上げられ,真贋論争を含め大きな話題となった。 千鶴子のもとには透視の依頼が殺到したほか,長尾郁子をはじめとした「千里眼」の持ち主を名乗る人々が続々と現れた。 1910年(明治43年)9月15日,物理学の権威で東京帝国大学の元総長の山川健次郎が立ち会いのもと,透視実験を行った。 千鶴子は鉛管の中の文字の透視を「成功」させたものの,それは山川の用意したものではなく,福来が練習用に千鶴子に与えたものであったことが発覚する。 この不審な経緯に,新聞は千鶴子の透視能力について否定的な論調を強めて行った。そんな中,長尾郁子の念写を非難する記事を見て失望と怒りを感じた千鶴子は,1911年(明治44年)1月18日に重クロム酸カリで服毒自殺を図り,翌日未明に24歳で死亡した。 【参考サイト・文献】 ・Wikipedia(御船千鶴子) ・『千里眼千鶴子』【不知火の女】:1983年 ・『怪物科学者の時代』【福来友吉】:1998年 |
参考外部サイト=>超常現象の謎解き(千里眼の開山「御船千鶴子」) 参考外部サイト=>Wikipedia(千里眼事件) 参考外部サイト=>NAVER-まとめ(御船千鶴子とは) |
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●宮城音弥(みやぎおとや) (1908〜2005); memory ![]() |
心理学者。 心理学および精神医学をわかりやすく紹介し,心理学を広く国民に広めた。 【参考サイト;参考文献】 ・Wikipedia(宮城音弥) ・『現代の謎・神秘の世界(文藝春秋デラックス)』 |
参考外部サイト⇒at homeこだわりアカデミー(気性と性格の心理学) ・『現代の謎・神秘の世界(文藝春秋デラックス)』,1977年;【超能力を科学する】(宮城音弥) |
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●宮本正太郎(みやもとしょうたろう) (1912〜1992); memory ![]() |
昭和期の宇宙物理学者。 わが国の天体物理学のパイオニアとして様々な分野での先駆的な研究業績を残した。 【参考サイト】 ・花山星空ネットワーク(宮本正太郎先生) ⇒・Wikipedia(宮本正太郎) |
参考外部サイト⇒花山星空ネットワーク(宮本正太郎先生) 参考外部サイト⇒Astro Arts(クレーター、宮本正太郎博士にちなみMiyamotoと命名) 参考外部サイト⇒毎日新聞(【1965年7月16日】火星の写真が宇宙から届く) 参考外部サイト⇒京都情報大学院大学 ・『惑星と生命』,1975年 |
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●村田正雄(むらたまさお) (1906〜1994);memory ![]() |
昭和19年(1944年)4月ソ連国境の守備に当たる。 終戦と共に召集を解除され九死に一生を得て約2ケ月の後,大連にたどり着く。引揚者の救済に当たる。最後の引揚げ船,高砂丸にて昭和22年(1947年)4月,日本に引揚げる。 昭和28年(1953年)1月に市川市平田村に村田商店を経営し,繊維製品の販売に当たる。同年8月 ,株式会社コロナ電気工業を創設して,歯科用電気炉の製造に当たった。 白光真宏会理事を務める。五井昌久氏の提唱した“祈りによる世界平和運動”に挺身し,多くの悩める人々を救った。 【参考文献】 ・『空飛ぶ円盤と超科学』1974年,著:村田正雄 |
参考外部サイト⇒白光出版(村田英雄) ・『空飛ぶ円盤と超科学』,1974年 |
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●武良信行(むらのぶゆき) (1946〜); ![]() |
⇒30数年にわたり,社会人として仕事をしながら兵庫県でUFOやスカイフィッシュの写真を撮影し,宇宙人とコンタクトをしている。 定年退職後もUFO研究に専念している。 (出典;『本当にいる宇宙人完全ファイル』笠倉出版社:2010年発行,監修:山口敏太郎) |
参考外部サイト⇒NAVERまとめ 参考外部サイト⇒tsunebo.com |
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●森脇十九男(もりわきとくお) (1944〜2016); memory ![]() |
いくつかのUFO研究会を主宰した。 UFOを社会問題としてとらえ,政治団体などへのアプローチを試み,1982年に「UFO党」(後に「開星論のUFO党」に改称)を立ち上げた。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙』(No.41):1978年,【UFOスペシャル'78】 |
参考外部サイト⇒Wikipedia(「開星論」のUFO党 ) 参考外部サイト=> YOUTube(「反核開星地球統合論」森脇十九男) ・『UFOの真実−みんな騙された−』,2008年 |
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●モリス・K・ジェサップ ( Morris Ketchum Jessup ) (1900〜1959); memory ![]() |
天文学者。作家。UFO研究家。インディアナ州ロックヴィル生まれ。 ミシガン大学で博士課程の学生のとき,南アフリカ連邦へ行く機会に恵まれ,当時南半球最大だった屈折望遠鏡を使っての仕事で,彼の完成させた研究プログラムは,のちにたくさんの連星発見につながり,英国天文学会編纂のカタログにも入ることになる。 この経験を土台に,本国で天体物理学の分野で博士論文を書く。この仕事が完成し,発表されたのは,1933年のことである。 不況期の時代に,彼は農務省からの任命で,ブラジルに赴き”アマゾン源流に生ゴム資源を探る”ことになる。 ジャングルから戻ると,ワシントンDCでカーネギー研究所と契約し,カメラマンとして,中央アメリカのマヤ遺跡研究の調査団に参加する。 彼はメキシコからペルーへ行き,インカと前インカ遺跡をも探検した。 そして,彼はこれらの石造遺跡の巨大さなどから,一つの仮説を立てた。 これらの巨石建造物はインカ人が建てたのでなく,洪水前時代にある種の空中船から操作される浮揚装置の助けによるものだと結論づけた。 これは,それから30年ほど後に有名になる学説,”古代宇宙飛行士” 説の最初の提唱者といえる。1950年代初期には,自費で現地調査の続行に着手した。 1940年代から50年代前半にかけて繰り広げられた”空飛ぶ円盤”現象にも, ジェサップは興味を惹かれていた。ワシントンDCへ移ってから,すでにまとまっていた構想の執筆にとりかかった。 彼は1954年の夏,秋,冬と研究調査に精魂をかたむけ,最終的に脱稿したのは, 1955年1月13日だった。本のタイトルは,『UFO実在論(Case For The UFO)』である。 この本は,ベストセラーには入らなかったが,バンタム版になるくらいにはハードカバー本が売れ,ペーパーバックは1955年の秋 に出版された。 彼は,1959年4月20日,自宅近くの公園内に駐めてあった,ステーション・ワゴンの中で一酸化中毒で,謎の死をとげている。 【参考文献】(下記から抜粋) ・『謎のフィラデルフィア実験』,1979年 ⇒・Wikipedia(英語版:Morris K. Jessup) |
参考外部サイト=>NAVERまとめ(【世界の謎】恐怖の空間転送実験「フィラデルフィア計画」とは) 参考外部サイト=>Translator(Morris K. Jessup) |
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「UFO関連人物」索引欄
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